クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

熊谷のうちわ祭りはなぜ“うちわ”なのか?

2011年07月28日 | ふるさと歴史探訪の部屋
うちわ祭りと言えば古書。
祭りのシーズンになると、
熊谷の百貨店で古書市が開催される。

しかし、2011年は8月の開催らしい。
浦和に行ったら必ず寄りたい古書店さんからそう聞いた。
古書祭りに燃えるのは翌月に持ち越しだ。

ところで、熊谷のうちわ祭りというと、
関東一の祇園祭りとして知られる。
この祭りは八坂神社の例祭である。
室町時代に悪疫退散を願い、
八坂神を熊谷に勧請させた。

うちわ祭り=山車のイメージがあるかもしれないが、
もともとは神輿渡御が主流だった。
山車が登場するのは明治に入ってからのこと。
近世と近現代の祭りの様相は異なると言える。

うちわ祭りは、なぜ“うちわ”なのだろうと、
初めて足を運んだときから思っていた。
高校生の頃に行くと、比較的簡単にうちわが手に入った。
とはいえ、メインとなるのは山車だし、
うちわで何かをするというわけではない。

「うちわ」がこの祭りのキーワードになるのは、
やはり明治に入ってからである。
熊谷で割烹料理屋を営んでいた“泉州楼”という店が、
1本5銭の“渋うちわ”を、
3銭の買い物をした客に配ったことから発祥する。
それ以前は“赤飯”を配っていたのだが、
このうちわ配りをきっかけに主流が変わる。

客にとっては、2銭のお買い得になる。
このことはいつしか評判になり、
「買い物は熊谷のうちわ祭りの日」と言われるようになったという。

うちわにはいくつか種類があり、
渋うちわとは細かく割った竹に和紙を張り、
柄は平たくなっている。
いま、こうした竹製のものは見なくなったが、
その形態は受け継いでいると言えるだろう。

関東一の祇園祭りと言われるだけあって、さすがに人が多い。
こういう祭りに行くと、裏方さんに思いを馳せてしまう。
中には学芸員もいるだろう。
祭りは文化である。
うちわ祭りにそそぐ学芸員の視線も熱い。

古くから伝わるこの祭りは、形を変えても脈々と受け継がれてきた。
無病息災を願う人々の想いは変わらないだろう。
熊谷で扇ぐうちわには、
熱い文化の風が吹く。











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