クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

今夏、羽生城の謎解きに集まりし“もののふ”は? ―羽生城謎解きラリーー

2023年07月25日 | 羽生城跡・城下町巡り
羽生城の遺構は消えても、町なかに散見される城の字。
今夏、各公共施設等に「羽生城謎解きラリー」のポスターが貼られている。

その名のとおり、羽生城を題材に、同城ゆかりの場所を訪ねて謎を解くというもの。
羽生市広報に掲載されたのを機に、
7月24日現在で、「朝日新聞」(7月19日付)、
「埼東よみうり」(7月21日付)、
「埼玉新聞」(7月21日付)に取り上げられたから、目にしている人も多いと思う。

羽生城は永禄3年(1560)以降上杉謙信に属し、
成田氏から独立して以降、天正2年(1574)の自落まで一度も後北条氏になびかなかった城として知られる。
後北条氏やそれに属す国衆の観点から見ても、
少なくとも史料上では羽生城が後北条氏に帰属したことは認められない。

そのような羽生城は、小田原城主北条氏政や忍城主成田氏長に狙われ、危機に陥っていた。
そこで参加者が市内各所に眠る謎をめぐり、
忍びの封印を解いて羽生城を救え! という設定となっている。

忍びを材料としたのには理由がある。
天正2年4月4日付の羽生城将に宛てた上杉謙信の書状に、
特殊技能を持った者を使い、敵地の船を奪い取るよう指示しているのである(「林文書」)。

この特殊技能者を忍びと断定するにはまだ他の資史料が必要だが、
色々な状況からそのような者を羽生城主が使役していた可能性は高いと思われる。
羽生城に関する忍びの詳細については、
岩田明広氏の論文や、私の拙稿を参考にしてもらえれば幸甚である。
(吉川弘文館刊『戦国の城攻めと忍び』に収録)

というように、羽生城謎解きラリーは、実際の歴史を基にしている。
史実を基にしつつ、幅広い年齢層に親しんでもらうため、多少のフィクションも織り交ぜている。
城の遺構はなくても、今現在市内に残っているゆかりのものがある。
実際に存在しながら、あまり見向きもされていないものを選び、そこに謎を付した。
謎解きラリーをきっかけに地域の歴史に関心を持ち、
そこから世界の奥へと歩を進めてもらえれば望外の喜びである。

と、ここまで述べればお察しのとおり、羽生城謎解きラリーに私も携わらせていただいた。
「埼玉新聞」に忍び姿で写真に掲載されている三浦伸元氏に企画を持ちかけられたのがきっかけだった。
ちょうど、『戦国の城攻めと忍び』の原稿を推敲していたときと重なっていたせいもあるかもしれない。
構成や謎作りに何度も打ち合わせを繰り返し、
それぞれ出し合ったアイディアを採用したりボツにしたりしながら試行錯誤を重ねた。
そして、最終的には羽生城・忍び・謎解きラリーが組み合わさって、このような形になった次第である。

謎解きラリーの主催者は“羽生市観光協会”で、
協力は“羽生市教育委員会”になっている。
文化財保護法が改正され、「活用」に重点が置かれて数年が経つ。
観光協会と教育委員会が連携し、遺構が消えた羽生城を題材に、謎解きラリーを作成した意義は深い。
いや、とても深いと個人的には思っている。

文化財保護法の改正を待たずとも、このような流れは数年前ではかなり実現しにくいものだった。
7月22日のムジナモ講演会に300名を越す人が集まったように、
苦節10年、折れることなくさまざまな人が蒔いてきた種が芽吹いているのかもしれない。

羽生市観光協会の局長と三浦氏の3人で、市内各所を巡り回った春先が懐かしい。
年度初め、これから抱える事業にいささか情緒不安定になっていたのも、
おそらくあとで思い出すのだろう。

7月22日、羽生駅や羽生市産業文化ホールの「ムジナモ講演会」で、
忍びや甲冑姿の妖しい男たちを目にした人はいるだろうか。
彼らこそ、「羽生城謎解きラリー」の仕掛け人である。
一緒に写真を撮りたいという参加者も見られた。

羽生城の遺構は完全に消えている。
だからこそ、そこに潜む魅力が存在する。
過大評価して、郷土自慢をしたいわけではない。
約450年前、羽生城をめぐって干戈を交え、思想や価値観をぶつけ合った人々の息吹が、
現代を生きる我々の心を熱く揺さぶるだけである。
10年後、興味のある人もそうでない人も、
羽生城の名を一度くらいは聞いたことがある、
「ああ、羽生ってお城があるよね」と外国人が言うくらい、
蒔いた種がらんまんに咲き乱れていることを夢見ている。


『戦国の城攻めと忍び』吉川弘文館
岩田明広「永禄五年葛西城忍び乗っ取り作戦と天正二年羽生城忍び合戦」
高鳥邦仁「上杉謙信の「夜わざ鍛錬之者」から探る羽生城の忍び」
などを収録

「羽生城謎解きラリー」の詳細については、下記の羽生市観光協会ホームページへ
https://hanyu-kanko.jp/info7.html
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