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夏空が妙に眩しくて、思わずカメラを向けてパチリ。
夏空の下に建つのは羽生市役所の庁舎。
昭和49年に建造されたもので、当初は白い建物だったが、
平成の終わり頃に現在の色に塗り替えられた。
かつての城内に、現代の庁舎が建っている自治体が散見される。
羽生市もその一つに数えていいと思う。
現在の羽生市役所庁舎が建っている場所は、往古は沼の中だった可能性が高い。
浅野文庫蔵諸国古城之図「先玉」には、東南北を覆う沼が描かれている。
『新編武蔵風土記稿』には「何れも城ありし頃固めの沼なりし」と記され、
「正保年中改定図」には「要害吉」とあるのは、
沼地や湿地を天然の堀として守りを固めていたからであろう。
そのような天然の堀の中に現在の庁舎があるとすれば、
広義の意味での「城内」と捉えてよいだろう。
この庁舎から北に少し歩けば、「羽生城址」碑の建つ古城天満宮が鎮座している。
ただ、往古の人は、まさか現在地に庁舎が建つとは夢にも思っていなかっただろう。
そもそも、葛西用水路より東は人家が少なく、寂しい場所だったという。
幼い頃、「川向こうへ遊びに行ってはいけない」と言われて育ったと、古老たちは異口同音に話す。
駅前通りが完成するのも戦後だし、沼もあちこち残っていた。
葦や蘆が生い茂り、「子供心にとても怖かった」という。
駅前通りが完成し、その道沿いに店舗ができ、
庁舎や新興住宅が建つようになったのは、実は比較的最近のことだ。
いまでは自分の子どもに「川向こうへ行ってはいけない」と言う親はいないだろう。
いざとなれば警察署はあるし、24時間営業のコンビニもあるのだ。
地面はアスファルトに覆われ、車や人が行き交う。
ただ、豪雨が降ると、市役所付近はたちまち水がたまって昔の沼地の名残が見られる。
とはいえ、排水機能が整備され、その光景を目にするのも短時間となっている。
昭和49年に庁舎が建って以来、幾度も夏が巡っている。
古き時代は遠く離れ、羽生城が廃城してから410年が経とうとしている。
戦国時代は寒冷期だったという。
往古の人たちは、現在の庁舎もさることながら、
40度に迫る暑さにびっくりするに違いない。
夏空の下に建つのは羽生市役所の庁舎。
昭和49年に建造されたもので、当初は白い建物だったが、
平成の終わり頃に現在の色に塗り替えられた。
かつての城内に、現代の庁舎が建っている自治体が散見される。
羽生市もその一つに数えていいと思う。
現在の羽生市役所庁舎が建っている場所は、往古は沼の中だった可能性が高い。
浅野文庫蔵諸国古城之図「先玉」には、東南北を覆う沼が描かれている。
『新編武蔵風土記稿』には「何れも城ありし頃固めの沼なりし」と記され、
「正保年中改定図」には「要害吉」とあるのは、
沼地や湿地を天然の堀として守りを固めていたからであろう。
そのような天然の堀の中に現在の庁舎があるとすれば、
広義の意味での「城内」と捉えてよいだろう。
この庁舎から北に少し歩けば、「羽生城址」碑の建つ古城天満宮が鎮座している。
ただ、往古の人は、まさか現在地に庁舎が建つとは夢にも思っていなかっただろう。
そもそも、葛西用水路より東は人家が少なく、寂しい場所だったという。
幼い頃、「川向こうへ遊びに行ってはいけない」と言われて育ったと、古老たちは異口同音に話す。
駅前通りが完成するのも戦後だし、沼もあちこち残っていた。
葦や蘆が生い茂り、「子供心にとても怖かった」という。
駅前通りが完成し、その道沿いに店舗ができ、
庁舎や新興住宅が建つようになったのは、実は比較的最近のことだ。
いまでは自分の子どもに「川向こうへ行ってはいけない」と言う親はいないだろう。
いざとなれば警察署はあるし、24時間営業のコンビニもあるのだ。
地面はアスファルトに覆われ、車や人が行き交う。
ただ、豪雨が降ると、市役所付近はたちまち水がたまって昔の沼地の名残が見られる。
とはいえ、排水機能が整備され、その光景を目にするのも短時間となっている。
昭和49年に庁舎が建って以来、幾度も夏が巡っている。
古き時代は遠く離れ、羽生城が廃城してから410年が経とうとしている。
戦国時代は寒冷期だったという。
往古の人たちは、現在の庁舎もさることながら、
40度に迫る暑さにびっくりするに違いない。
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