九品人の落書帖

写真をまじえ、身の回りで見聞きしたことを、つれづれなるままに!

全国戦没者追悼式

2021年08月15日 | 日記

 きょう敗戦から76年目。

 テレビを点けて、全国戦没者追悼式の中継を観る。

 正午の時報を合図に黙とう

 天皇のお言葉を聞きながら、

 ふと、高村光太郎の詩『終戦』が思い浮かんだ。

                   ■

 あのラジオできいた。

 私は端座してふるえていた。

 日本はついに赤裸となり、人心は落ちて底をついた。

 占領軍に飢餓を救われ、わづかに亡滅を免れている。

 その時天皇は自ら進んで、われ現人神に非ずと説かれた。

 日を重ねるに従って、私の眼から梁がとれ、

 いつの間にか六十年の重荷は消えた。

                   ■

 あの日、私は国民学校の二年生。

 ラジオは聴いていない。

 空は快晴で、終戦を知らせるビラのようなものが舞っていた記憶がある。

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2 コメント

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終戦記念日 (YOSHO)
2021-08-15 16:30:24
76年前、私は中学1年生でした。
入学して2ケ月程は授業がありましたが、校舎が疎開してきた飛行機工場になりました。
3年以上は工場に、1,2年生は農地の開墾作業に動員されました。

あの日は夏休みでした。我が家のラジオの前に家族や近所の人が集まりました。
雑音が多くよく聴き取れず、負けたらしい、いや勝つたのではと大人達が話していました。
その日からアメリカの飛行機が飛ばなくなり静かになりました。
今となつては戦争に負けたから民主主義になり平和になつたと思います。
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YOSHOさんいらっしゃい。 (hiko)
2021-08-15 18:28:31
校門には六年生が週番に立ち朝の敬礼だった。
登校途中で空襲警報が出ると、急いで家へ引き返し防空壕へ。
そのうち登校そのものが無くなり、家の近くに分教場ができて、そこでの寺子屋式の授業となった。
ほとんど勉強らしいことは無かったように思われる。
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