広汎性発達障害(自閉症・ADHD)の男の子を育てるクリスチャン・ホームの日記

素敵な青年に育ったにいにと一緒に、サポート活動もするようになりました☆

大声

2011年10月29日 | 日々のこと
娘も私もすっかり体調は回復しました。
しばらく体調がよくなかったときは、夜も昼もずっとグズグズ…抱っこです。私も高熱中から病み上がりで娘のことまでするのは本当につらかった…。体調がよくなかった一週間は私の体重が3キロ近く落ち、ナチュラルダイエット(?)状態でした。自分が食べられないのにぐずる娘は母乳しか飲まない…。痩せるはずです!
熱が下がってから娘に発疹が見つかり、ようやく突発性発疹だと分かりました。大きな病気ではなくて良かったです:)

そんなこんなで大変な感じだった時期のある日、お友達と公園に遊びに行った息子がなぜか途中で帰ってきました。
「バタン!(ドアの音)ただいまー!」
「あらら、帰ってきちゃった。。赤ちゃん寝てるから、大きな声出さないようにね」
 (息子は声のトーンを調節できないようで、常に大声…。)
「ピンポン、ピンポーン!(追いかけてきたお友達のチャイムの音)」
「おーい!Sくん!赤ちゃん寝てるから音鳴らすなよー!(大声)」
「だから大声だすと赤ちゃん起きちゃうってば…」
「えーん、えーん!!(赤ちゃん起きた)」
「あー、困ったな~、赤ちゃん起きちゃった~!僕が抱っこしてあげる!(大声)」
「だからさ…(イライラしたくなる私)」
大声出さないように、小さな声でね、と身振りも添えて教えて、一回は小さい声になるのですが、次の言葉ではまた大きくなります。声のトーンって難しいですね…。うちは赤ちゃんを起こされちゃうと私がイライラしちゃうので、気持ちの切りかえがほんっとうに必要です。

障害が分かる前にも、大声で「??」と思ったことが何度もありました。我が家はマンションなのですが、エレベーターホールに行くと決まって「あーー!」と大声を出す息子。声が響くのが嬉しいようで、毎回やっていました。響くとかなりの大声になるのでもちろん叱りました。周りの方の迷惑になるからやめなさい、と。毎回やるから毎回注意します。続けばもちろん怒ることになります。いいかげんにしなさい!!何度言ったらわかるの!!
怒られたその時は気をつける気持ちがあるようなのですが、次にそこを通るときには忘れるのです。あんなに怒られたのに…何で忘れるんだろう?
今となっては障害ゆえと分かりますが、当時は「???」という感じでした。ちなみに最近はもうやらなくなりました。さんざんやったし、満足したんでしょうかね。。

ちなみに、Sくんと遊んでいた息子はおもちゃを取りにうちに帰ってきたようですが、そのときにSくんが私に何やら訴えます。どうやら小さなトラブルがあったみたい。その場で息子に確認して謝らせ、仲直り。最後はキャラメルをあげてまた公園へと送り出しました。
Sくんはよく遊んでくれる仲のいいお友達で、お母さんも息子の障害を理解してくださっています。多少のトラブルは子供同士だからお互い様よ、とも言って下さいます。そのような理解者がいるというのは本当にありがたいなあ、と思う毎日です。

学校から帰って

2011年10月26日 | 日々のこと
学校から帰ってくるとまずおやつを食べます。
その日あったことや、宿題などを確認してると、息子の心はすでに公園に行ってしまったのかボンヤリしてほとんど私の話を聞いてない…。
「じゃあ、行ってきます!」とバタバタと出かける息子。

うちは今のところ習い事は水泳のみで、他には通信教材(チャレ○ジです)を家でさせています。あと本当は昔買った英語教材もあるのですが、こちらはビデオくらいしか興味を示さず、テキストなんて全然やろうとしない。(まあ、書くことはやらなくてもいいか、ともともと思っているのだけど。)

水泳は金曜で、その他の日はお友達と遊んで過ごします。まるで日替わりで「今日はSくんとTくん」「今日はHくんのうち」など色んな子の名前が出てきます。隣のクラスの子や他の学年の子、果ては公園で会った子ともすぐに仲良くなり、ひたすら遊びます。

ある時はSくんのうちに一人でお邪魔していて、Sくんママが「今帰ったよ」とメールをくれたのに全然帰って来ない。すっかり暗くなって帰ってきた息子「家の前の公園に他の友達がいたから遊んできた」みたいなペース。

水泳の日にも公園で遊んでから行きたがるので「家の前の公園でならいいよ」と。一時間遊んだらバッグをとりに帰ってきなさい、みたいなことは今のところ不可能なので。
プールバッグの用意をして公園に迎えに行くといない…。近くの公園にも探しに行って見つけてプールに連れて行く、という感じ。

ここでいちいち「家の前の公園にいるって約束したじゃない!!」と怒ってもこっちの身がもたないので(経験済み)、「あ、ここにいた!ほら、遅れるよ!」と追い立てる。これでなかなか見つからずにちょっと遅れてしまったりしても「まあいいや」と思うようにしています。
一番いいのは遅れるのも見越して時間的な余裕を持つことなんだけど、いつもそうできるわけでもないし。

ちなみに、よく遊ぶ子のお母さんとはメールしたりしてなるべくお互いに状況を分かるようにしています。子供同士の約束(しかもうちの息子は思い込みもあるし)は親の都合なんか気にしてないので。息子の障害も分かっていただいていると「あれ?」と思うことがあるときに教えてもらえるし、フォローしてもらえるかなと思っています。
うちの子は(私もですが)本当に多くの理解者に支えてもらっているなあ、といつも思います。

生まれつきの障害

2011年10月21日 | 私の支えの言葉
息子の障害が生まれつきのものであること、そして、病気ではないので今後落ち着くことはあっても、完全に治るたぐいのものではないことが分かったとき、様々な思いは出てきましたが、「自分のせいだ」とは思いませんでした。また「これはいつか神様が希望の光に変えてくださるんだろうな」とも思いました。その根拠が以下の聖書(ヨハネ9章1節から)の箇所です。

―1 またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
 2 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
 3 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。ー

当時は、何か障害や病気があると「本人や親が悪いことをしたからその罰を受けているのだ」という考えが主流だったそうです。なので、弟子たちは「誰が罪を犯したのですか?」という聞き方をしています。決して「なぜ病気になったのですか?」とは聞いていません。
イエスはそれに答え「神のわざがこの人に現れるためです」と答えられました。

私たち夫婦も「あの時あれが良くなかったかな…お腹にいたとき何かしたかな…」などと考えなかったわけではありません。でも聖書にははっきりと、神様のわざが現れるため、と書いてあります。
この事を通して、神様は何か私たち夫婦、そして息子本人にとっても「人間にはできない何か」をしようとしているのだと思いました。

クリスチャンになったとしても、全部が順風満帆の人生になるというわけではありません。しかし、神様に対する信仰を通して勝利という形で乗り越えられるのだと思っています。

この聖書に出てくる生まれつきの盲人は、イエスが言うことに従い、目を癒してもらいます。自分の人生に起きた奇跡をどう受け止めたのでしょうか。少し長いですがこの箇所を最後に転載しておきますので、ご興味のある方は読んでみて下さいね。
(当時の習慣などを知らずに読むと「?」という部分もあるかもしれませんが…。)

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1 またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
2 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
3 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。
4 わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。
5 わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」
6 イエスは、こう言ってから、地面につばきをして、そのつばきで泥を作られた。そしてその泥を盲人の目に塗って言われた。
7 「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって、帰って行った。
8 近所の人たちや、前に彼が物ごいをしていたのを見ていた人たちが言った。「これはすわって物ごいをしていた人ではないか。」
9 ほかの人は、「これはその人だ」と言い、またほかの人は、「そうではない。ただその人に似ているだけだ」と言った。当人は「私がその人です」と言った。
10 そこで、彼らは言った。「それでは、あなたの目はどのようにしてあいたのですか。」
11 彼は答えた。「イエスという方が、泥を作って、私の目に塗り、『シロアムの池に行って洗いなさい』と私に言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました。」
12 また彼らは彼に言った。「その人はどこにいるのですか。」彼は「私は知りません」と言った。
13 彼らは、前に盲目であったその人を、パリサイ人たちのところに連れて行った。
14 ところで、イエスが泥を作って彼の目をあけられたのは、安息日であった。
15 こういうわけでもう一度、パリサイ人も彼に、どのようにして見えるようになったかを尋ねた。彼は言った。「あの方が私の目に泥を塗ってくださって、私が洗いました。私はいま見えるのです。」
16 すると、パリサイ人の中のある人々が、「その人は神から出たのではない。安息日を守らないからだ」と言った。しかし、ほかの者は言った。「罪人である者に、どうしてこのようなしるしを行うことができよう。」そして、彼らの間に、分裂が起こった。
17 そこで彼らはもう一度、盲人に言った。「あの人が目をあけてくれたことで、あの人を何だと思っているのか。」彼は言った。「あの方は預言者です。」
18 しかしユダヤ人たちは、目が見えるようになったこの人について、彼が盲目であったが見えるようになったこの人について、彼が盲目であったが見えるようになったということを信ぜず、ついにその両親を呼び出して、
19 尋ねて言った。「この人はあなたがたの息子で、生まれつき盲目だったとあなたがたが言っている人ですか。それでは、どうしていま見えるのですか。」
20 そこで両親は答えた。「私たちは、これが私たちの息子で、生まれつき盲目だったことを知っています。
21 しかし、どのようにしていま見えるのかは知りません。また、だれがあれの目をあけたのか知りません。あれに聞いてください。あれはもうおとなです。自分のことは自分で話すでしょう。」
22 彼の両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れたからであった。すでにユダヤ人たちは、イエスをキリストであると告白する者があれば、その者を会堂から追放すると決めていたからである。
23 そのために彼の両親は、「あれはもうおとなです。あれに聞いてください」と言ったのである。
24 そこで彼らは、盲目であった人をもう一度呼び出して言った。「神に栄光を帰しなさい。私たちはあの人が罪人であることを知っているのだ。」
25 彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、私は知りません。ただ一つのことだけ知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」
26 そこで彼らは言った。「あの人はおまえに何をしたのか。どのようにしてその目をあけたのか。」
27 彼は答えた。「もうお話ししたのですが、あなたがたは聞いてくれませんでした。なぜもう一度聞こうとするのです。あなたがたも、あの方の弟子になりたいのですか。」
28 彼らは彼をののしって言った。「おまえもあの者の弟子だ。しかし私たちはモーセの弟子だ。
29 私たちは、神がモーセにお話しになったことは知っている。しかし、あの者については、どこから来たのか知らないのだ。」
30 彼は答えて言った。「これは、驚きました。あなたがたは、あの方がどこから来られたのか、ご存じないと言う。しかし、あの方は私の目をおあけになったのです。
31 神は、罪人の言うことはお聞きになりません。しかし、だれでも神を敬い、そのみこころを行うなら、神はその人の言うことを聞いてくださると、私たちは知っています。
32 盲目に生まれついた者の目をあけた者があるなどとは、昔から聞いたこともありません。
33 もしあの方が神から出ておられるのでなかったら、何もできないはずです。」
34 彼らは答えて言った。「おまえは全く罪の中に生まれていながら、私たちを教えるのか。」そして、彼を外に追い出した。
35 イエスは、彼らが彼を追放したことを聞き、彼を見つけ出して言われた。「あなたは人の子を信じますか。」
36 その人は答えた。「主よ。その方はどなたでしょうか。私がその方を信じることができますように。」
37 イエスは彼に言われた。「あなたはその方を見たのです。あなたと話しているのがそれです。」
38 彼は言った。「主よ。私は信じます。」そして彼はイエスを拝した。
39 そこで、イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」
40 パリサイ人の中でイエスとともにいた人々が、このことを聞いて、イエスに言った。「私たちも盲目なのですか。」
41 イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」

久々の高熱でした

2011年10月19日 | 日々のこと
日曜の午後あたりからなんだか体調がおかしく、あれよあれよという間に悪くなっていき、夕方には立っているのもつらいほどに…。
最近ちょっと風邪気味だったのと、娘が離乳食をよく食べるせいか母乳の飲む量が減ったこと、そしてチョコレートをいっぱい食べてしまったこと…。思い当たるのは「乳腺炎」!
あちゃー、ひさびさにやってしまった…。礼拝の間は何ともなかったのに~。帰りの電車では高熱が出ている感覚があってフラフラ。家に帰ってからは高熱でうなされながらつらくて長い一晩を過ごしました。

息子の時には3回くらいやってしまった乳腺炎。娘の時にはまだ大きなトラブルがなく、ちょっと調子にのって甘いもの食べ過ぎてたなと猛反省。しばらくは和食にしよう…。助産院の先生に診てもらったら、通院するほどのひどさではないとのこと。よかった…。

ようやく昨日あたりに熱も落ち着いたけど、まだ高熱の後遺症で体の関節が痛い。
そして、なんと娘も同じ時期に高熱を出してたみたいで…。私が高熱だったからかあまり気づかず。こちらは普通の風邪か、突発性湿疹か。まだ熱が下がりきっていないので、もう少し診ないとわからないかな。

そんなこんなだったので、学校の付き添いは行けず、宿題や持ち物もちゃんとみてあげられず。まいにち何かしら忘れ物していました。
でも優しい性格の息子、熱で苦しそうな私を見ると「肩、マッサージしてあげようか?」とモミモミ。「ジュース作ってあげるね」などとあれこれ世話焼き。優しいところはこのまま育って欲しいなあ、とあらためて思いました。

でもでも、私の熱は下がっても娘はまだ私に泣いてへばりついていた今日、私の指示にあれこれ口答えをしてくる息子をつい大きな声で叱りつけてしまいました…。息子は「大きな声はやめて」「いちどにふたつのことはわかんないよ」と、これまた正当な口答えをしてくる。むむむ…。わかっちゃいるけど、じゃあ注意される前に早くやりなさいよ~、と言いたくなる私でした。

付き添い

2011年10月15日 | 私の支えの言葉
週に何日か、先生に頼まれて息子の付き添いで学校に行っています。
うちの子の通う小学校では月曜と木曜の朝に職員会議があり、教室に先生がいなくなります。大人が誰もいないときに何かが起きると困るので、申し訳ないがお母さんにご協力いただけないか?とのことでした。

息子の主な症状は授業中に座っていられず立ち歩く、先生の話をおとなしく聞いていられない、お友達がいるとちょっかいを出す&いやがっているのにやめられない、ということです。まあ「やんちゃな男の子」と言ってしまえばそれまでですが、どんなにきつく叱られて反省しても、次の瞬間にはそれを忘れてしまうあたりが障害ゆえなんだと思います。

症状が出始めたのは入学して少したった5月ごろ。4月からすでに書いたような行動というのは起こっていてクラスでも問題として認識されはじめていました。先生としても、注意する→直らないので再び注意→ついには叱る→でも変わらないのでまた叱る、を繰り返しており、みんなの前で叱られ続ける息子のことを「かわいそうで心配」と言ってくださっていました(優しい先生なんです)。校長先生と担任の先生、特別支援の先生と私たち夫婦で面談をしたのが5月下旬。6月から付き添いをはじめることになりました。

「付き添っていただけませんか?」と言われたときには、正直「そんなあ…」と思ってしまって。ようやく小学校に入り、色々なことが一人でできるようになって手がかからなくなってほっとした矢先、しかも当時まだ7ヶ月の乳飲み子を抱っこして、学校に行かなきゃいけない…。そんな大変なことを親がしないといけないの??というのが最初に出てきた気持ちでした。とはいえ、先生も相当に大変な思いをされている&赤ちゃんがいることもかなり配慮してくださっての言葉、というのが伝わってきたので、「やってみます」としか言えませんでした。

付き添いといっても、うちの場合は朝の先生方の会議の時間(その間子供たちは自習をしている)から一時間目まで、だいたい2時間程度です。それ以外に通級に一日通っていたので、週に3回、2時間ずつ学校に行くペースでした。うちの子は、隣の席の子にちょっかいを出して顔をたたいてしまったことがあり(しかも女の子に!)、それ以来一人で座らせていました。隣の席が空いているので、私が娘を抱っこしてそこに座り、息子の様子をあれこれ観察&落ち着かせるという形でした。

いつ泣くか分からない赤ん坊の娘を抱っこしつつ、聞き分けのない息子の姿を目の当たりにし、おとなしく座っている同級生を気遣いながら過ごす時間は本当に疲れるもので、短時間とはいえ家に戻るとしばらくは何もできない状態でした。

とはいえ、いい事もありました。
赤ちゃん連れなので先生方が気遣ってくださり、また、場がなごやかになりました。同級生も娘を可愛がってくれて、私たちが教室に入ると「来た来た~!かわいい~!」とまわりを取り囲みました。可愛い妹を自慢できる息子も嬉しそうで、優しいところもある子なんだと周りにも理解してもらえた部分もかなりあったと思います。
それからもうひとつ大きかったのが、これが下の子の育休中だったということです。娘が産まれる前や産まれた直後も大変だったと思いますし、仕事をしながらだと、難しいことが多かったと本当に思います。

―神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。― (ローマ8:28)

神様を愛そうとするとき、すべてのことが良い方向に向かうようにと神様が整えてくださるのだなあ、と思います。