広汎性発達障害(自閉症・ADHD)の男の子を育てるクリスチャン・ホームの日記

素敵な青年に育ったにいにと一緒に、サポート活動もするようになりました☆

息子の小さい頃は

2011年10月13日 | 小学校入学前
とにかく明るく楽しく元気よく、という感じの男の子でした。
赤ちゃんの頃から誰にでもニコニコとして、ベビーカーで連れて歩けば「可愛い子ね」とよく話しかけられていました。検診でもとくに問題はなく、すくすくと成長し、体も大きいほうで、とくに何の心配も感じていませんでした。

あれ?と最初に思ったのは言葉でした。
2歳ごろまでは順調に語彙も増え、流暢に話すようになっていったのですが、3歳ごろから急にどもるようになりました。
ちょうどトイレトレーニングをしていた頃で、プレッシャーになっちゃったかな?と思い、その後はのんびりにしてみましたが、しばらくしても良くなる気配がありませんでした。

色々調べると「小学校に入るころには落ち着く子がほとんど」という説明が多かったので、ひとまずはあまり言葉を指摘せずにのんびりと様子を見ることに。もし吃音が残ってしまったとしても、それはこの子の個性ととらえ、無理に治すことを考えず、本人が自信を持って成長していけるようにしようと夫婦で話していました。
「しゃべりたいことがいっぱいあるんだろうね」とか、「実は頭の回転が良すぎるんだよ」などと、何ともおおらかにとらえていました。(今でもそう思っていますが…。)

もうひとつ、この時期に困っていた事で、今は障害ゆえと思い当たることがあります。
それは「全速力で走り出し、止まらない」ことです。小さい頃は公園に行けばちょっと目を離すと公園の外にてくてくてく…。少し大きくなってからは、家から外に出ると猛スピードで走り出し、陸上で短距離をやっていた私が真剣に走っても追いつかないくらい。「私に似て足が速いなあ」とのん気に思っていましたが、荷物を持っているときなどは追いかけられずに本当に危なっかしくてヒヤヒヤしたものです。
お店に入っても売り場を走り回り、親から離れても全く気にしない様子…。迷子になるのが心配で、誰かがずっと見張っているか、買い物には連れて行かないかという選択でした。

「大変だな」とは思っていましたが、「男の子だし」という周囲の意見と、初めての子育てで比較できない環境も手伝い「大変だけど、こんなものかな」と思う毎日でした。


子育てをする中でいつも心に留めていたのは「子供は神様から預かっている大切な存在だ」ということです。決して自分の自由にできる所有物ではなく、自分とは違う人格だと。しっかりと愛して育て、いつか神様にお返しする、という思いでいました。
また、これは子供に対してだけではありませんが、「物事には必ず理由がある」ということです。私の目からは迷惑やいたずらに見えることでも、子供にとっては興味があったとか、親を手伝ってあげたかったとか何か理由があると思って接するようにしていました。私自身が子供のとき、理由も聞かれずに怒られたりして嫌な気持ちになったこともあったので、その気持ちを覚えていたいと考えていました。
もちろん、いつも上手くいくわけではありませんが、気にかけないよりは良かったかな、と今でも思っています。