story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

親父との夏

2021年07月12日 23時00分37秒 | 詩・散文

あれはちょうど万国博覧会が大阪で開催されていた頃

わが家の白黒テレビには連日、万博会場の混雑ぶりが映し出されていて

でも、親父は息子を何処かへ連れていきたかったのだろう

「ハイキングに行こうか」と六人いる兄弟姉妹の

年長者である僕だけを誘って難波へ出た

当時、港区築港から難波へ行く市バスが結構あって

それに乗ったのだと思う

 

難波の高島屋、地下の食料品街でおにぎりをいくつか買ってくれた

 

難波から乗った近鉄電車だが上本町ですぐに乗り換え

大阪線の準急だったと思う

めったに乗らない海老茶色の電車に二十分ほど乗っただろうか

二上という駅で降りるとそこは

真夏の青空と濃い田んぼの緑、陽炎のような里山が目に入る田舎だった

 

都会で生まれ育ち田んぼなど見ることもない僕は

その景色だけで遠くへ来たという気がしたものだ

 

親父は道を知っているようで駅からまっすぐに歩き

里山の登り口についた

そこから山道に入る

「これはまさに獣道っちゅうやつや」

そう笑いながらも楽しそうに山を登る

大汗を掻き、山の頂上近くの岩場に着いた

 

「ここで昼にしよう」

そういって岩場に座り込み、おにぎりを手渡してくれる

自分はいつの間に買ったのか、日本酒のワンカップを持っていた

「おとうちゃん、ご飯は?」

僕がきくと親父はワンカップを高々と上げて

「これの原料は米や、つまり、ご飯と同じや」

と言って笑う

 

山の上から見る香芝・二上の里の風景は広く緑に染まり平和そのものだ

今いる山の右手にゆったりとした大きな山が見える

「あれが二上山や」と教えてくれる

二上山は当時住んでいた大阪市港区からでも高い建物に登ればよく見えた。

ただし、金剛・葛城山系の北端に

小さな二子山として可愛い不思議な姿で見えていて

そのすぐ隣から生駒山系の穏やかな姿が続いていた

「二上山って、うちらのほうから二子山に見える山やろ」

「そうや、ここからやったら重なるから一つの山みたいに見えるけどな」

「ここから見たら富士山みたいやな」

「ああ、二上山も元々は火山やさかいな」

火山という言葉に僕は驚き

「火山やったら噴火したら怖いな」と言うと

「とっくに死火山になっとるから、噴火はせん・・けど・・」

「けど?」

「ワシが子供のころ、あの山の向こうの空が真っ赤に染まった」

「空が燃えたん?」

「うん、大阪が燃えとった、そやから二上山が火を背負うとるみたいやった」

「なんで大阪が燃えたん?火事やったん?」

「空襲や、アメリカがなんも悪いことしとらへん大阪市民の上に爆弾を降らせたんや」

「あ、学校で聞いたことあるわ」

「ちょっと聞いただけか、この頃は学校でも、ちゃんと空襲を教えへんのかいな」

「うん、あったという事だけ教えてくれたわ」

「八回もB二十九 が飛んできたんやで」

「八回も?」

「それも一回に何百機もつらねてな」

「何百機って、ものすごいな」

「そや、でも、うちはその時はもう、ここに疎開してたからワシは空襲にはあってないんやけどな」

「普通の市民を狙うのは卑怯やな」

「それが戦争やからな」

当時、親父の家は八百屋をミナミの大和町で営んでいた

本土決戦では都市部が狙われる

ここ二上に親戚があった親父の家は

その年は明けてすぐにここに疎開していたという

「もうあかん、商売なんかしてられへんって、おじいちゃんが言うてな」

「おじいちゃんは日本が負ける、アメリカが空襲してくるって知ってたん?」

「いろいろ顔がきく人やったからな、そういう情報は掴んどったんやろ」

おじいちゃんと言うのは親父の母、つまりは僕の祖母が

満州から日本へ帰ってきてから再婚した相手で

もう病気がひどくて寝たきりになっていた

 

親父は二上山のほうをじっと見ている

セミが鳴いている

奈良盆地を渡る風が吹く

 

******

昭和二十年三月十三日

もはや皆が寝ようとするときに空襲警報がけたたましく鳴り

家族はそれぞれ防空頭巾を被って隣の家と共同の防空壕にいた

「あれ見てみい、大阪のほうがえらい空襲やで」

隣の家の爺さんが庭先で叫ぶ

さっきまで鳴り続いていて空襲警報はいつの間にか静かになっていた

「なんやて」ぞろぞろと一家は庭に出る

暗い空の下のほうがやや明るくなり

二上山のシルエットがくっきりと浮かんでいる

「ちょっと見てくる」

満男が家族から離れ外に飛び出した

だれも止める者はおらず

村のはずれで、やはり飛び出してきていた少年たちと会う

「おう、山に登ってみるか」

誰かが言い出し、少年たちは夜の里山に向かう

夜道だが、道に慣れている村の少年たちだ

迷うことなく山上の岩場に着く

 

時々、遠くで小さく花火のような光がいくつも落ちていく

花火と違うのは上から落ちていくという事だ

そのあと、細かな小さな光がもっと数えきれないくらいに落ちていく

「こっちにもけえへんかな」

満男が心細くなり口にすると別の少年が諭す

「アメ公、こんな田舎に爆弾落としても仕方ないやろ」

だが、それからは無言だ

大阪の街が焼かれている

雷のような音が遠くから響いてくる

 

どないなるんやろ、ミナミの友達も、学校も自分の家も

 

満男はこれまでも何度も不安を感じたことはあった

母が突然満州へ行くといなくなったとき

祖母と住んでいた栃木からいきなり大阪へ呼ばれたとき

この人がお父さんだよと母に怖い顔の男を紹介されたとき

その父親になった男に何度も殴られたとき

そしていきなり奈良へ疎開するといわれたとき

 

だが、遠くから見ているだけなのに

この夜の不安はそんなものとはかけ離れた恐怖そのものだった

大阪が焼かれていく・・

暗い空が下のほうだけ明るくなり二上山がくっきりと浮かび上がる

地獄とはこのことかと思った

 

******

 

親父は一通り話してくれると

僕を促して下山した

田んぼの中を歩き、一軒の農家の庭先に入り

「おばちゃん、元気か!」

と声をかける

 

出てきたのは年配の女性で

「おやおや、みっちゃんやないか、来てくれたんやな」

嬉しそうにそういい、僕を見た

「息子かいな、えらい大きな息子がおるんやな」

親父は照れ臭そうに笑いながら

僕を連れ、女性について農家の暗い土間へ入っていく

 

帰りの近鉄電車で僕は疑問に思ったことを親父に訊いた

「なぁ、お父ちゃんの家は大丈夫やったんか?」

「空襲できれいさっぱり焼けてしもたわ」

当たり前やろと言いたそうに親父は苦笑する

窓を大きく開けた近鉄の準急電車は

田んぼの風を思い切り吸い込みながら奈良盆地を走っていた

 

******

 

ふっと、夏の旅行に近鉄で名古屋へ向かった

特急はもったいないからと、急行のロングシートに身を任せカップ焼酎を舐める

冷房の良く効く空いた車内

電車が淡々と二上を通過する

 

あの里山はどれだろう・・

ロングシート故、向かいの窓に映る景色を眺めている

だが、宅地開発が相当進んでいるようで、親父と登ったあの里山は見つけられず

整備された住宅地が広がるだけだ

急行電車はさっさとその場を通過してしまった

「おとうちゃん、あの山はどこやったんやろ」

焼酎の酔いに朦朧となりながら

僕は自分の中にいる親父に語り掛けていた

 

コメント
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