story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

大晦日の少女

2021年01月05日 20時44分23秒 | 小説

 

コロナウィルスで大変な年だったと誰もが認める大晦日、僕は年内最後の所用として友人が経営する事務所へ相談に行くところだ。
彼は商売がことのほかうまくいかなかった僕のために、大晦日の時間をこじ開けて部下がみな休みに入った事務所で待ってくれているというわけだ。

自宅近くから神戸市営地下鉄に乗る。
子どもの頃から見慣れている車両がやってきてそれに乗り込む。

大晦日であり、しかも世間はコロナだ。
列車は空いている。
窓が少し開いていて、外の風が吹き込むし、トンネルではやかましいが座席に腰掛けると腰の下から心地よい暖房が伝わってくる。
頭寒足熱とはまさにこのことかと、心地よさにうとうとしていた。

いくつめの駅だろうか・・
僕の車両には数人の乗客があり、その一番最後に制服を着た女子高生の姿があった。
小柄でもしかしたら女子中学生かと思えるような背格好の少女だ。

大晦日まで塾か、大変やな・・と思ってその女子高生を眺めた。
・・塾って制服でないと駄目なのか・・
疑問がわいた。

彼女はドアの横に立ち、列車の床を見つめている。
何か思いつめたような、きつい表情だ。

不良というのではない。
髪は染めていないし、きれいな黒髪のセミロングだ。
もちろん、白いマスクも清潔で、服装も清楚に着こなしている。
通学かばんは足元に置いてしまい無防備に見えるが、表情は硬い。
ただ、冬場には見ているものが寒さを感じるほどスカート丈が短いし、ストッキングやタイツは履かず、いわゆる生足だ。

僕にも娘がいる。
離婚した妻との間にだ。
とうに学校は卒業し、OLとして好き勝手やっているようだ。
わがまま放題に育った我が娘は、けれど彼女のようにきつい目をしたことはない。

三宮で電車を降りた。
件の少女は僕の少し前を歩いている。

友人の事務所は山手方向にあるので、阪急・阪神・JRといった多くの人が向かう方向から外れ、僕は北側の階段を目指す。

地上に出て北野坂を少し歩くが、友人への土産をと、彼の好きなパン屋で少し買い物をした。
北野坂のだらだら上りを登っていき、有名なコーヒーショップの脇を通ると、そこに先ほどの少女がいた。
一心にスマホを見ているようだが、口元が固く、あの年頃の自由闊達な雰囲気はない。

友人との会議は小一時間で終わった。
国の方針で今年は申告の類が猶予ができているらしいことも分かった。
とりあえずホッとして、あとは正月だ。
家に帰って酒を呑もうと解放感に浸って坂を下りる。
先ほどのコーヒーショップの角、あの少女がまだそこに佇んでいる。
スマホを持っている手はだらりと下がり、呆然と立っているように見える。

「あの・・お嬢さん」
僕は思わず声をかけてしまった。
彼女はマスクの上からキツイ目で僕を睨みつけた。
「いや、さっきからここにおられるの、ちょっと気になって」
一瞬怯んだ僕は声をかけたことを後悔した。

「ほっといてください」
キツイ声が出てくるかと思ったが、出てきた少女の声は弱り切っているようなか細い声だ。
「寒くないか」
少女は視線を地面に落とし、少し震えているようだ。
「おじさん・・」
「はい?」
「買ってください」
「なにを?」
「わたしを、わたしのバージンを」
僕はどう答えていいか分からなくなった。
「なにか、そういう約束をした人が来るのを待っているの?」
「来ないんです、5万で買ってくれるはずだったのに」
「5万?」
「だから買ってください、ここで会えたの、縁ですよたぶん」
思い切ったように顔を上げた少女は目に一杯、涙をためていた。
「きみ、幾つなの?」
「高校3年生、17歳です」
「じゃ、だめだ」
「どうしてですか?」
「18歳未満と猥褻な行為をすれば僕が警察に引っ張られる」
「誰にも言いません、本当にバージンですから買ってください、嘘は言いません、5万でよいのです」
「だめだよ、だれが見ているか、何処の防犯カメラに写っているか、この世の中はそう言うことに厳しいから」
「でも、わたし、5万がないと生きてゆけないのです」
必死に訴えてくる少女。
僕がこの話を断っても、この状態なら彼女は手あたり次第、誰かに自分を売りそうだ。
このご時世、喜んで買う御仁もあるだろう。
だが、それで彼女が安全に帰れるという保証などない。
娘がある僕だ、一瞬にしてそこまで考えた。

「ま、暖かいお茶を飲もう」
僕は少女を誘った。
もちろん、少女の身体を買うつもりなんてない。

少し離れたところの喫茶店に少女を連れて入る。
店に入って座った途端、少女は露わな太ももを手でこすっている。
「寒かっただろ」
うん、少女は頷く。
鼻水が出るらしく頻りにハンカチで鼻を拭く。
僕はいつもカバンに入れているポケットテイッシュを手渡した。
「ありがとう・・」
呟き、俯く少女の身体は小さく、可愛いが色気というものからは程遠い。
「どうして制服を着ているの?」
彼女は別に動じずそれには答えた。
「女子高生は売れますから」
僕は驚いた。
自分を商品であると見切っていたのだ。
「じゃ、なぜ生足なの、寒いのに」
「そういうのを買う人って生足のほうが嬉しいんじゃないですか・・」
うーーん・・僕はうなってしまった。
自分の商品価値を高めるということか・・・

けれど少女は暖かい紅茶を鼻水と一緒にすすり、体が温まると泣き出した。

「あのね・・」
僕はしばらくしてから声をかけた。
「安すぎるよ」
彼女はようやく落ち着いて僕を見られるようになったようだ。
「5万がですか?」
「いくらがそっちの世界の相場なのかは知らないけど、自分をそんなお金で売っではだめだよ」
「でも、それくらいでないと買ってくれない」
「買ってくれたとしても、そのあと、君は無事に家に帰れるか?君を買ったやつが悪い奴なら、お金をくれるどころか、どこかへ売り飛ばされるかもしれない」
「でも、でも」
実際、そういう話も聞いたことがある。
「そのお金はなんで要るの?」
彼女は俯いてしまった。

「君を見ていると、僕のわがまま放題な娘よりは、なにか、相当苦労しているように見える」
泣いている、鼻水をすすることもせず、涙と鼻水がハンカチの上に流れている。

「一緒に考えよう、さっき、君はここで会ったのが縁だと言ったよね」
俯いた少女は頷く。
「お金が必要なわけを教えてほしい」

しばらくの沈黙の後、少女は少し顔を上げた。
寒さで赤くなった頬が涙で濡れている。
「受験です」
「親御さんは出してくれないの?」
「無理です、わたしは母一人なのです、母がコロナのせい仕事がなくなり、特に今は出せないんです」
「進学したい学校があるの?」
「美術系の学校です、もう奨学金は申し込みができました。でも受験費用がどうしても出せない、電車賃も・・」
「遠くの学校なの?」
「いえ、大阪です」
そう言うと少女は薄いカバンからA4の封筒を取り出して僕の前に置いた。

その学校が良いかどうかは僕にはわからない。
でも僕は普段はこう考えている。
「やらなかった後悔より、やってみた後悔の方が自分自身が納得する」
そしてそれは自分でもそうやって実行し、いくつかの大失敗を経て今の自分がある。
自分の娘に進路を相談されたときもそう答えた。

けれど、もし人生の進路が決まるその時、入り口にすら立てないとき、いや、入り口はそこにあるのに、カネの問題一つでそこに立てないとき、それはどうやって乗り越えればいいのだろう。
「その学校を受験でき、合格したとして、生活はしていけるの?」
「学校は二部制なので夜学にして、昼間は働きます」
「なるほど・・学費は奨学金で心配が要らないと」
「はい」
「最初に通学費用も必要だよね」
「お正月明けからバイトしてそのお金を貯めます。もうバイト先も決まっています」
準備万端、怠りなしということか・・
「合格はできるの?」
「自信はあります」
「普通、その手の学校の受験ってもっと早い時期なんでは」
「二次なんです、一度諦めかけてどうしてもと、もしこれが出来なければわたし・・」
「不合格ならどうする」
僕は意地悪く聞いてみた。
「頑張って不合格なら諦めもつきます」

少女は動じない。
「ただ、君の家でのアクシデントがあって受験費用が今は全く出せないと」
「はい」
そういう少女から涙は消えていた。
「どうしようか・・」
少女は僕を見つめた。
「だから、買ってください!5万あれば前に向いて行けるんです」
「待ってよ・・」
「わたし、こう見えてもいい身体しているんです」
僕は苦笑した。
けれど彼女は制服の合わせ目を外し始めた。
「胸だって、自信あります」
僕は慌てた。
「ちょっと待てよ、それを僕が今見ても話は進まないよ」
だが、外したボタンの胸元からは豊かそうな稜線も見える。
少女は胸のボタンを留める。

ちょうど手元にはいくらかの現金は持っている。
「買わなきゃだめか」
「はい」
「貸すことはできるが」
「借金ばかり増やすのは嫌です、奨学金も借金です」
この子は頭がいいなと、ちゃんといろんなものを見てきているなと感じた。

「わかった」
「ありがとうございます」
「だけど今じゃない」
「え・・??」
不思議そうな表情をする、この年頃の可愛い表情だ。
「5万は安い、10万で買う、ただし、将来だ」
「将来ですか?」
「ああ、君が18歳になったときに売ってくれ、カネは前払いで支払っておく」
「八月ですが、それでもいいですか」
「いいよ、いつでも・・」
「でも」
「でも?」
「わたし、それまでに好きな人が出来たらバージンじゃなくなるかも」
「そこだけは契約してもらわないと困るな」
今度も意地悪くそういった。

「当然、それだけでは足らないかもしれない、その時は僕に連絡をくれ、可能な限りの応援はする」
足長おじさん気取りではあるが、コロナ時代の今の僕に資金のあてなどない。
俺もええかっこしいやな・・と苦笑する。
しかも、担保は彼女の身体なのだ。
足長おじさんには程遠い、俗物の契約だ。

僕は少女に10万円を渡した。
彼女の住所を聞き、携帯電話の番号を聞いた。
「信じていい?」
「はい、その時までバージンでいます」
「いや、そこじゃなくて、ちゃんと学校に行って頑張れるねということ」
そう言うと彼女は僕を見つめて背筋を伸ばした。
「信じてください」
そう言って頭を下げる。

いずれ同じ方向から来た二人、地下鉄駅へ並んで歩く。
少女は僕の手を引き、ちょっとこちらへ・・という。
そのままついていくと神社の境内だ。
「契約の前払い、少しだけいいですか?」
「なんだそれ、君は商業科か」
「あら、分かります?」
そう言って彼女は唇を重ねてきた。
下手糞な、唇を合わせるだけがキスだと思っているようなその動きに、僕はそっと彼女を抱きしめた。
「これだけでも青少年保護法違反だ」
そう言う僕の言葉をさらに覆いかぶせるように少女の唇が迫ってきていた。
「好き」
小さな言葉が聞こえた。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする