story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

助けてよ

2020年07月24日 22時14分42秒 | 詩・散文

秋が深まる深夜の山梨県道を一台のセダンが走る
運転している女性は還暦も過ぎていて
人生の様々なことを味わっている年頃のはずだ

クルマは一度、交差点で停まった
ナビは自宅の方向を直進として射しているはずだ

だが、女性は交差点を左にハンドルを切る
二車線の快適な道路が続く

助けて・・
呟きながら女性はクルマを走らせる
助けて・・
この頃、近所の人が私の悪口を言ってる気がするの
どうすればいい?
警察にも相談したわ
でも誰も味方になんかなってくれない

やがて二車線道路は一車線に
そしてだんだん狭くなってくる
クルマを停めて彼女は外に出てみた

冬近い満点の星だ
あの星の中に行きたい・・
自分で呟きながら
なんと夢みたいなことをと思い直す

でも、あの賑やかで明るい星たちのところへ行きたい
ね、従妹のマキ、ワタシこのままやってけるかな

昨日のメールにマキは優しく返してくれていた
だから怒るだろうなぁ
私が夜中にこうやって飛び出したことを知ったら

あの子、独身でさ、私と同じ道を歩いているの
不思議だよね、お兄ちゃんも独身だったし
私、もうきっと誰かいい人と出会うなんてないよね
マキは相手をみつけてよね
今からでも遅くないよきっと

不安なことがあると一人って駄目ね
自分で自分がコントロールできない
こうして山の中にきて星空を眺めても何も解決しないのに

彼女はまたクルマに乗り込み
深夜の山道を
本当は来た道を引き返すべきだったのだろうけれど
また前に向かって進みだした

お兄ちゃん、会いたいよ
何処で会える?
あの世?
でもまだ早いよね私
還暦過ぎたけれど、病気だって全然ないし

でも
心が壊れてる感じがするの
近所の人、本当は悪い人なんかじゃないんだろうけれど
なんだか気に障るの
そりゃ、お父さんが生きていた頃からのお付き合いだもの
悪い人であるはずないよね
でも、私にはダメなんだよ
あの賑やかさがさ

クルマはさらに細い道に入りやがて行き止まりになった

バックしなくちゃ
彼女は運転が上手だ・・本来は
だが真っ暗闇の行き止まりの山道での後退

気が付くとクルマは斜めになっている
だめ!
そう思ったとたん、クルマが横に滑り出した

ガシャガシャグシャ

どうやら道を外れて転落したようだ
彼女はクルマから外へ出た

黒い山々の間の空は満天の星だ

お兄ちゃん、助けてよ
ここから、今のところから救い出してよ

そういえば、私にはもう一人のお兄ちゃんがいたって
お父さんから聞いたな
そのお兄ちゃんも助けてよ

彼女はふらりと歩き出した

そこは山の中の棚田
すでに稲は刈り取られ雪を待つだけだ

歩いて歩いて
そして倒れ込んだ
仰向けになって見上げる空の星

満天の星が彼女の身体に覆いかぶさる
風が吹いた
何かが飛んできてあたる
葉っぱのようで、手に取ると夜目にもモミジとわかる

可愛い・・
その葉を握りしめ
彼女は星々に抱かれるように眠くなってきた

お兄ちゃん
そう声をかけるとつい5年前まで一緒に暮していた兄と
もう一人、優しそうな男が彼女を見つめているのに気が付く

あ、もう一人のお兄ちゃんだね
手を伸ばして二人の腕に抱きとめられる

お兄ちゃん、会いたかったよ
私、ずっと一人だったんだよ
本当は秋の真っただ中
冬が早いこの辺りでは気温は低く、彼女の身体は冷えていくはずだ
だが、彼女は身体が暖かくなり、心が満たされる気持ちになる

満天の星の下
甲州の山の中
一人の女性が静かに天に召された

彼女の免許証も携帯電話も
壊れたクルマの中に置いたまま

コメント
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