最近のブログやツイッターにも書いていますが、最近は健康維持という目的もあり、散歩を心がけるようになりました。今日は渡良瀬遊水地へと行ってきました。
この渡良瀬遊水地、一度行ってみると分かりますが、見渡す限り何にもありません。久しぶりに水平線を見た、そんな気さえするところです。スタート地点に立ったときに感じる「あんなところまで行くのか!」という気持ち。ちょっとした覚悟がないと、しり込みしてしまいそうな感じです。それほどはるか遠くまで道が続いているようにさえ感じられるところです。
でも、歩き始めてみると不思議なものですね。
遠くに見えていた目標とする水門がだんだんと近づいてきます。歩くことに夢中で、しばらくゴールを見ずにいたあとに、ふっと見たゴールの水門の大きさに、「いつの間にこんなに歩いたんだろう」と思うこともしばしばありました。
何の変哲もない一歩ではありますが、実はその一歩によって自分が確実にゴールへと近づいている、そんなことを実感しました。
そして、ふと振り返ってみると、先ほどまで自分がわたっていた橋や自分のそばにあった大きな木が、それこそミニチュアのように小さく見える、そんなこともしばしばありました。それだけ、その場所から歩を進めてきた、足跡を残してきた、そういうことになると思います。振り返ってみると、これだけの距離を自分の足であるいてきたのかと、ちょっと感慨深くもなります。
わずか1時間、5.5kmの散歩ではありますが、その間に遠くに見えていたものが近づいてきたり、近くに見えていたものが小さく見えなくなってしまったりと、いろんな経験ができました。
考えてみれば、人が1時間歩くことでさえ、これだけの景色の変化があるわけです。それを思えば、私たちが歩く人生もまた、1時間の歩み方や1日の使い方で、大きくその結果が変わってきても不思議ではないなと思います。
「どうしてこんなことになってしまったんだろう?」
私もけっこうそう思うことがあります。でも、結局はそれは自分が歩を進めてきた結果なのだと思います。毎日の歩みは少しずつでも、自分で歩みを進めてきた結果、こんな結果になってしまっているのだと思います。
だからこそ、私たちはゴールを意識して歩んでいかなくてはならないのだと思います。
自分が歩を進めていく先には、どんな結果が待っているのか?
自分が歩を進めていく方向は、正しい方向なのか?
そんなふうにときどき歩みを止めて考えることで、大きく道を外れることを防ぐことができるようにも思います。
そして、これは勉強も同じですね。
たとえ時間をかけて努力をしても、ゴールとは違う方向へ進んでしまっていては意味がありませんよね。たとえわずかな方向の差であっても、間違いに気づかず、そのまま歩き続けてしまえば、それは結果として大きな差になってしまうのだと思います。
実際に歩くときでも、わずかな時間でも相当な距離を歩くことになり、間違えたといって引き返すのも、そう容易ではありません。だから、実際に本当に歩くときも、そして何かゴールを決めて人生を歩んでいくときも、ゴールをしっかりと見据えながら歩みを進めることが大切なのではないかと思います。
と同時に、最初は渡良瀬遊水地の大きさにビビッていましたが、歩みさえすれば、遠くに見えるものでも、いつかはその場所に辿り着けるということも分かりました。それは皆さんの人生でも同じ。憧れの高校や職業が、あまりにも遠くにあるように見えても、歩を進めていくうちに近づくことができるかもしれません。たとえ本当に遠くて辿り着けなかったとしても、スタート地点では見ることのできなかった別のルートや別のゴールを見つけることができるかもしれません。
だからこそ、まずは歩み始めていくべきだと思います。
「遠いから」「無理そうだから」と歩むことさえはじめなかったら、何も得るものはありません。でも歩みを進めていけば、違うルートなども見つけることができ、もしかしたら新しい人生のスタートを切ることもできるようなるかもしません。
生徒の皆さんは、これから歩むための時間がたくさんあります。
無駄に時間を過ごしていても、人生の歩は自動的に進んでいってしまうようにも感じます。だからこそ、意図的にゴールのほうへゴールのほうへと自分を導いていく、そんな人生を皆さんには歩んで行って欲しいと思います。
そして、ときどきは自分が歩いてきた道を振り返って、その足跡を見てみるのも良いと思います。これまでの足跡は、どこからやってきたのか、そしてこれから、どの方向に向かって足跡を残していくのか、、、、
そう考えると、まだまだたくさんの希望が持てますよね!
この渡良瀬遊水地、一度行ってみると分かりますが、見渡す限り何にもありません。久しぶりに水平線を見た、そんな気さえするところです。スタート地点に立ったときに感じる「あんなところまで行くのか!」という気持ち。ちょっとした覚悟がないと、しり込みしてしまいそうな感じです。それほどはるか遠くまで道が続いているようにさえ感じられるところです。
でも、歩き始めてみると不思議なものですね。
遠くに見えていた目標とする水門がだんだんと近づいてきます。歩くことに夢中で、しばらくゴールを見ずにいたあとに、ふっと見たゴールの水門の大きさに、「いつの間にこんなに歩いたんだろう」と思うこともしばしばありました。
何の変哲もない一歩ではありますが、実はその一歩によって自分が確実にゴールへと近づいている、そんなことを実感しました。
そして、ふと振り返ってみると、先ほどまで自分がわたっていた橋や自分のそばにあった大きな木が、それこそミニチュアのように小さく見える、そんなこともしばしばありました。それだけ、その場所から歩を進めてきた、足跡を残してきた、そういうことになると思います。振り返ってみると、これだけの距離を自分の足であるいてきたのかと、ちょっと感慨深くもなります。
わずか1時間、5.5kmの散歩ではありますが、その間に遠くに見えていたものが近づいてきたり、近くに見えていたものが小さく見えなくなってしまったりと、いろんな経験ができました。
考えてみれば、人が1時間歩くことでさえ、これだけの景色の変化があるわけです。それを思えば、私たちが歩く人生もまた、1時間の歩み方や1日の使い方で、大きくその結果が変わってきても不思議ではないなと思います。
「どうしてこんなことになってしまったんだろう?」
私もけっこうそう思うことがあります。でも、結局はそれは自分が歩を進めてきた結果なのだと思います。毎日の歩みは少しずつでも、自分で歩みを進めてきた結果、こんな結果になってしまっているのだと思います。
だからこそ、私たちはゴールを意識して歩んでいかなくてはならないのだと思います。
自分が歩を進めていく先には、どんな結果が待っているのか?
自分が歩を進めていく方向は、正しい方向なのか?
そんなふうにときどき歩みを止めて考えることで、大きく道を外れることを防ぐことができるようにも思います。
そして、これは勉強も同じですね。
たとえ時間をかけて努力をしても、ゴールとは違う方向へ進んでしまっていては意味がありませんよね。たとえわずかな方向の差であっても、間違いに気づかず、そのまま歩き続けてしまえば、それは結果として大きな差になってしまうのだと思います。
実際に歩くときでも、わずかな時間でも相当な距離を歩くことになり、間違えたといって引き返すのも、そう容易ではありません。だから、実際に本当に歩くときも、そして何かゴールを決めて人生を歩んでいくときも、ゴールをしっかりと見据えながら歩みを進めることが大切なのではないかと思います。
と同時に、最初は渡良瀬遊水地の大きさにビビッていましたが、歩みさえすれば、遠くに見えるものでも、いつかはその場所に辿り着けるということも分かりました。それは皆さんの人生でも同じ。憧れの高校や職業が、あまりにも遠くにあるように見えても、歩を進めていくうちに近づくことができるかもしれません。たとえ本当に遠くて辿り着けなかったとしても、スタート地点では見ることのできなかった別のルートや別のゴールを見つけることができるかもしれません。
だからこそ、まずは歩み始めていくべきだと思います。
「遠いから」「無理そうだから」と歩むことさえはじめなかったら、何も得るものはありません。でも歩みを進めていけば、違うルートなども見つけることができ、もしかしたら新しい人生のスタートを切ることもできるようなるかもしません。
生徒の皆さんは、これから歩むための時間がたくさんあります。
無駄に時間を過ごしていても、人生の歩は自動的に進んでいってしまうようにも感じます。だからこそ、意図的にゴールのほうへゴールのほうへと自分を導いていく、そんな人生を皆さんには歩んで行って欲しいと思います。
そして、ときどきは自分が歩いてきた道を振り返って、その足跡を見てみるのも良いと思います。これまでの足跡は、どこからやってきたのか、そしてこれから、どの方向に向かって足跡を残していくのか、、、、
そう考えると、まだまだたくさんの希望が持てますよね!