紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

自己開示と友情

2005-07-31 17:30:04 | 社会
予備校は個性的な先生が集まるところだが、英語のS先生は特に個性的で、どういう英語を教わったのかは全く思い出せないが、彼の雑談は今でもよく思い出す。美大で非常勤でフランス語を教えているというその先生は、ひげを蓄えて、ダンディというか、儚げで怪しいインテリな雰囲気を醸し出していた。フランス語訛りで英語を朗読しながら、常にラ・ロシュフーコーのアフォリズム風の毒舌を吐いていた。ある日、彼が囁くように言ったのは、「友だちができないって悩んでいる人いるけど、そんなの簡単です。誰か見つけて、『君だけに打ち明けるけど』って深刻な悩みを相談すれば、すぐに親友になれますよ」ということだった。これも毒のある言い方だと思うが、一面の真理をついているかもしれない。
 
大学に入って専攻する政治学以外で特に興味をもった科目は社会心理学で、その関係の本も結構読んだ。社会心理学や集団心理学は社会科学を学ぶ上でも重要な学問だが、何よりも人間関係に興味をもって、政治学や社会学を学んでいる人にとっては興味深い科目である。とくに対人社会心理学という分野があり、その中で重視されているのが「自己開示」ということだと知った。自分の弱い部分を見せない人、本音を語らない人はなかなか人から信頼されたり、好きになってはもらえないだろう。しかし人間はたとえ何か悩みを告白している時でもどこか自分を良く見せたい気持ちが残っているし、自分にとって望ましい自画像を他人を通じて確認しようとする傾向がある。また反対に過度に偽悪的になって、他人が聞きたくないような性癖、経済事情、家庭事情や非常識な行動をべらべらと「ぶっちゃけて」しゃべって、それが「飾らない」自分を話しているからいいのだと勘違いしている人もいる。そういう人は自分が他人から「お高く」見られがちなので、自分の低俗さをあえて強調することで親しみをもたせようと努力しているのかもしれないが、残念ながら他人は最初からその人のことをそれほど尊敬もしておらず、ただ周囲を幻滅させるだけのみっともない結果に終わることも多い。このように適切な「自己開示」というのは極めて難しいものだ。

自己開示型のコミュニケーションを重視するアメリカではたくさんの本が出ていて、日本語でも例えばV・J・ダーレガ著『人が心を開くとき、閉ざすとき-自己開示の心理学』という翻訳書も出ているので、興味のある方は読んで頂きたいが、知識がついても実践するには勇気とセンスと敏感さが必要であろう。

私自身も悩んでいる内容に応じて相談する相手が何人かいるが、本当に困っていることを素直に隠さずに話せるのは大学時代以来の友人一人かもしれない。今は遠く離れてお互い忙しく暮らしているため、普段はあまり連絡をとらず、何か悩んでいる時に連絡を取り合う関係だが、私の性格や弱点、特徴などを知りつくしていて、しかも説教くさくならずに、無責任でない助言をしてくれるのでとても助かっているし、頼りにしている。相談しながら結局その通りに行動できないことも少なくないし、同じ失敗も何度も繰り返しているのだが、彼のお陰で悩みが解消、とはいかなくても、軽減されたことは数知れないし、相談した以上、彼の信頼を裏切らないように行動したいといつも思っている。まことに英語のThat's what a friend is. というフレーズを思い出させる存在である。しかし大切なのはいくら付き合いが長く親密になっても、お互いの感情と最低限の礼儀を尊重する気持ちがあることだと思う。このブログを読んでくれているとは思えないが、この場を借りて日頃の友情に心から感謝したい。

「危険な関係」と平行線の「粋」

2005-07-24 17:14:55 | 小説・エッセイ・文学
アメリカ都市についての随想に飽きてきた方も多いと思うので、以前から書こうと思って、機会を逸してきたトピックについて書いてみたい。日中、会社が学校にいる方はほとんど見たことないと思うが、今年の4月から6月末までドロドロした展開で有名な東海テレビの昼メロで『危険な関係』を放映していた。原作はいわずと知れた同名のフランスの18世紀の書簡体の小説(1782)である。テレビのメロドラマの原作だと思って、この小説を読み始めた読者は読みにくさに失望することは間違いないだろう。何故ならばこの小説には第三者的なナレーターが背景解説するような部分は一切なく、ただいろんな登場人物間の手紙が順番に並べられてあり、その行間から展開を類推して、話を理解していくというきわめて頭を使わせる構成になっているからである。

何度も映画化、ドラマ化された作品で最近ではペ・ヨンジュン主演の韓国映画『スキャンダル』があるし、グレーン・クロースとジョン・マルコビッチ、ミシェル・ファイファーらが出演した、原作に忠実なハリウッド映画版などもあるし、若者関係に翻案した『クルーエル・インテンションズ』といった映画もある。三島由紀夫の『禁色(1964)』も明らかにこの小説をベースにしている。この中で一番のお勧めはフランス宮廷の様子も上手く再現されており、クロース、マルコビッチらの演技が光るハリウッド版だろう。

話は、メルトイユ夫人が、かつて自分を捨てた男に復讐するため、過去の恋人ヴァルモン子爵と共謀して、男の婚約者を堕落させ、さらに周囲の人物を次々誘惑させていくという危険なゲームを行なっていくのだが、ポイントはメルトイユ夫人とヴァルモン子爵の関係である。メルトイユ夫人はヴァルモンにツールヴェル法院長夫人を誘惑させるのだが、ヴァルモンが本気になったことに嫉妬し、彼女を残酷に捨てさせる。その間の二人の意地の張り合いと緊迫した関係、隠された未練がハリウッド版では上手く演技されているのだが、現代日本に舞台を移した東海テレビ版ではメルトイユ夫人に当たる人物を若いヒロインにして美化していたため、最初から二人が未練を持っていることがあからさまで、この小説がもつ「悪」の部分というか、憎しみの裏側の感情を十分描き出せていなかったように思う。誘惑される側のツールヴェル法院長夫人に当たる女性の方が後でしたたかな「反撃」を試みるなど、やや悪役風で、むしろヒロインの方に同情・共感が集まるような描き方になっていた。
 
著者のラクロ(1741-1803)は軍人で、小説はこの『危険な関係』一本しか書いていないのだが、幾何学を学んだ人らしく、書簡という二者関係(線)を積み重ねて、全体の構造を類推させる手法は見事というしかない。同じように数学的な連想でこうした恋愛の緊張関係を論じたものとして思い出されるのは、戦前の哲学者・九鬼周蔵の『いきの構造(1930)』である。九鬼の文章は一見難解だが、辰巳芸者の着物の縦縞模様からヒントを得て、決して交わることのない、「平行線」の関係こそ「いき」の極致であると考えたようである。二つの線が交わってしまえば関係は点になってしまい、一つの決着がついてしまう(あるいは点からやがては「分かれて」しまう)。お互いに関心を持ち合いながら、言ってみれば線と線が見つめあいながら、しかし平行で決して交わることのない緊張関係を保ち続けることこそ「粋」なのだそうだ。

大学院で日本政治思想史を研究していた先輩は、「九鬼のように頭のいい人が『いきの構造』のような軟派な本を書いて、和辻(哲郎)のようなあまり明晰じゃない人が『日本精神史研究』のような本を書いたのは残念だ」などと暴言?を吐いて、嘆いていたのを思い出す。九鬼は祇園にも頻繁に出入り、戦時下では目をつけられていたらしいが、九鬼の分析はヴァルモン子爵とメルトイユ夫人の平行線関係を思い起こさせる鋭い数学的な感性だと思う。ラクロの小説は退廃文学だと言えるかもしれないが、2国間関係の説明を積み重ねて国際関係全体を説明するような本を書けたらすぐれた研究になるのではないか、などと政治学的なセンスも感じさせる小説である。実際、北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議や国連安保理常任理事国拡大をめぐる国家間関係などを眺めているとまさに昼メロさながらのドロドロした「危険な関係」であるに違いない。

アンクル・トムとトヨタ:ケンタッキー州オーエンズボロ市

2005-07-23 17:11:56 | 都市
ここ2、3日心に残るアメリカの小地方都市について書いてきたが、中西部~南部をタイ人の友人と旅行していた時に宿をとるため、たまたま立ち寄ったのがこのケンタッキー州オーエンズボロ市である。毎年5月に、国際バーベキュー・フェスティバルが開かれるらしく、"BBQ capitial of the world(世界のバーベキューの中心地)"と半ば無理やりなキャッチフレーズをつけていたが、人口5万4千人の何の変哲もない地方都市で特に見るべきものもなかった。

偶然見つけたのは『アンクル・トムの小屋(1852)』のモデルになった黒人奴隷ジョサイア・ヘンソン(1789-1883)がカナダに逃亡する前に最後に奴隷として奉公させられていた家の跡地があった。といっても碑文が経っていただけで、同行のタイ人学者は教育行政学を学ぶためにアメリカに留学していて、アメリカ文化や文学には何の関心もなかったようで、「ん?有名な奴隷か?」と全く興味なさげな様子だった。子供の頃に読んだストウ夫人のこの小説はとても感動的で、リンカン大統領が「南北戦争を起こした小さな婦人」と語ったというエピソードとともよく思い出していた。しかし長じてアメリカについてもう少し勉強するようになると、「アンクル・トム」という英単語は「白人に従順で媚を売る黒人」という悪い意味で使われていることを知った。映画『マルコムX』でも黒人分離主義者のマルコムXがキング牧師など穏健派の公民権運動指導者のことを「アンクル・トム・リーダー」と罵っている演説が印象的である。最近では独裁国と名指しされて激怒した、ジンバブエのムガベ大統領がアメリカのライス国務長官を「アンクルトムの小娘」と罵ったのも記憶に新しい。

またこの小説自体に対しても、トムと並ぶ、もう一組の主人公であるジョージとエライザというカップルがカナダへと逃亡して、さらに幸福を求めてリベリアに旅立つという筋なので、黒人のリベリア植民を美化・礼賛・推奨した(言い換えればアメリカに留まる限り、黒人に明るい未来はないとした)プロパガンダ小説だという批判があることを知った。トムのモデルになったジョサイア・ヘンソンはカナダに逃亡してから聖職者として活躍し、自伝を書いているのだが、ストウ夫人の小説は彼の自伝(1849)の剽窃だという批判もあるようだ。「偶像破壊」も文学研究の大切な仕事なのかもしれないが、子供の頃の感動まで破壊されたような複雑な気持ちになったことは否めない。ちなみにヘンソンのカナダの家は観光地として整備されている。黒人として初めてカナダの切手に登場した人物と言うことで、「トム」と違い、幸せな晩年だったのかもしれない。
 
オーエンズボロの街中をタイ人の友人とその甥、そして私と三人三様の訛った英語で会話しながら食事したり歩いていると、アジア系が少なさそうなその町でジロジロ見られた。だが実はトヨタ自動車がケンタッキー州に工場を作っているように日本企業のケンタッキーなど南部進出が進んでおり、このオーエンズボロにも2001年にトヨタ自動車系列の豊田鉄工進出していることも後で知った。アメリカ諸州が連絡事務所を東京などに設置し、州知事たちが相次いで来日し、自州への日本企業誘致活動を行なっていることはよく知られるようになった。たまたま立ち寄った町がきっかけになり、子供の頃読んだ『アンクル・トムの小屋』の知られざる側面も知ったり、日本企業のアメリカ進出の実態を知ったのは嬉しい驚きだった。知らないところを訪ねるのは必ず何か発見がある。特に特徴もない地方都市も訪問者として何らかの形で楽しめると思った。

山間の祖国:イリノイ州ガリーナ

2005-07-22 17:08:14 | 都市
シャーロッツヴィルが退屈だと言っていたあなたの気持ちが今になるとよくわかります。家族も親戚も知り合いもいない異国の田舎の町で暮らすのは心細いものですね」とむこうの大学で知り合い、卒業後、北海道の農村にJETプログラムで中学校の英語補助教員として来日していたアメリカ人に言われたことがある。彼女は「アメリカの町は田舎でも文化がある」と言って日本の田舎暮らしをぼやいていたが、そういう言葉を聞くといかにもアメリカ人らしい傲慢な物言いだと思うかもしれない。だがアメリカでドライブしていて、何もない田園地帯に忽然とメインストリートを中心に整った町並みが現れたりすると一瞬、そんな気になることもある。

北イリノイ大学に留学していたタイ人の大学教員と一緒にドライブして訪ねた、イリノイ州とアイオワ州の州境の町、ガリーナもそんな町だった。シカゴから車で3時間程度。英語でweekend getaway(週末の行楽地)という表現があるが、仕事から「脱出」して土日に訪れるのにちょうどいい町かもしれない。

19世紀中盤に鉛鉱業の町として栄え、ミシシッピー川など交通の便もよかったことから多くの移民労働者が集まり、当時は2万人近い人口を抱えるようになったそうだ。現在は約3500人の住民しかいない、日本で言えば村の規模だが、1960年代から歴史的町並み保存に力を入れて観光地化し、年間130万人もの観光客が訪れるという。南北戦争で北軍を指揮し、18代大統領となったユリシーズ・グラントの家があることで知られているようだが、シカゴやウィスコンシン州に住む人たちはともかく、日本人も知り合いのアメリカ人もガリーナの名前を知らなかったので、知る人ぞ知るリゾートなのだろう。

美しいヨーロッパ風の町並みを眺めながら感じたのは、旅行者としての一方的な感傷に過ぎないかもしれないが、ドイツやフランス、スイスなどの母国を遠く離れてきた移民たちがどんな思いで山の中に祖国を再現するようなこの町を作ったのだろうかということだった。アメリカのスモールタウンはヨーロッパの町のミニチュア・コピーで、日本で言えばハウス・テンボスとか(今はないが世界の建物を縮小再現した)ユネスコ村の中でそのまま生活しているような観がある。日本でも歴史的町並み保存をしている地域は増えてきたし、実際そういう町で生活している人も少なくないのだが、移民国アメリカだけに出身国の町並みを何もない土地に再現している様子が訪れるものにある種の感慨をもたらすに違いない。

シャーロッツヴィル、ヴァージニア

2005-07-21 17:06:03 | 都市
13回程度のアメリカ論の講義で毎回、違ったアメリカの都市を取り上げて、その街の背景や現在抱えている問題点などを浮き彫りにしてみたいという夢というか、構想はあるのだが、毎週徹夜で準備しなければならないことが目に見えているのでなかなか踏み出せない。とりあえずブログでまず気になる都市について語ってみたい。第一弾は留学先だったヴァージニア州シャーロッツヴィル市である。

東京以外で暮らしたことない私が人口4万人で大学と大学の創立者で3代大統領トーマス・ジェファソンの私邸モンティチェロ以外何もないこの町で暮らし始めた時のカルチュアショックはとてつもなく大きかった。写真のダウンタウンも歴史的建造物を再建して一見瀟洒だが、15分もあれば一周できる小さな規模である。アメリカの都市らしく都市中心部よりも郊外のショッピングモールなどが発展しているという典型的なスプロール型の発展をしていて、裕福な住民はシャーロッツヴィル市内ではなく、シティリミッツ(市域)外のアルバマール・カウンティの方に住んでいた。ヴァージニア州は全米で唯一、独立市制と呼ばれる、カウンティ(郡)とシティ(市)の財源の完全分離を行なっていたため、こうしたスプロールのとばっちりで州の下部組織であるカウンティの方にばかり高い固定資産税や消費税が入ってしまい、公共支出の多いシャーロッツヴィル市の方は税収が減少し、財政赤字に苦しんでいた。そのため、留学当時には名より実をとって市の「自治権」を捨てて、「市」から「タウン」へと「降格」し、カウンティの一部になってしまおうとする運動が盛り上がっていた。吸収合併して「市」に昇格しようという運動が一般的なので、Town Reversionと呼ばれたこうした動きは全米でも珍しいものであったが、その後はストップしてしまった。

ワシントンDCから車で2時間半程度、緯度で言えば「東部」であるが、文化的には「南部 Dixie」の雰囲気が濃厚な街で、フランス公使を経験をしたジェファソンの影響で18世紀末~19世紀初頭のフランス風の街の面影も残っている。東部で成功した人が引退後に住む住宅地としても人気があるようで、また大学もあったことから人口規模のわりには文化的な街で、画材店や骨董品店等も多かった。ダウンタウンのみやげ物店でLPレコードのような巨大なオルゴールを眺めていると、客は私一人しかいなかったのだが、総演奏時間20分程度かかるそのオルゴールをわざわざかけてくれた。古本屋ではアジア系の風貌の私がアメリカ史の本やアメリカの地方自治関係の本を探しているのが珍しかったのか、丁寧に解説してくれて、割引もしてくれた。何が原因か忘れたが、レストランで注文が来るまで、(たぶんいかにも)一人で落ち込んでいるように見えた私に他の客が慰めの言葉をかけてくれた。いずれも些細な思い出だが、そうした思い出の積み重ねが歴史の教科書にしかでてこないようなこの小さな町を私にとって特別なものにしている気がする

新宿オン・マイ・マインド

2005-07-19 17:03:42 | 都市
離れてみるとよく分かることがある。東京、というより新宿という街の存在は自分にとってはとても大きいものだと思う。私自身は都心育ちではなく、物心ついてからは新宿からは30分以上電車に乗らねばならない都下で成長したので、そんな私が「ふるさと」のイメージとして、新宿の高層ビルを挙げたら、「都会っ子」ぶりっ子と非難を受けそうだ。しかしアメリカ・バージニア州の片田舎の大学町で過ごした時も、現在暮らしている神戸の街並みを眺めていても、新宿の高層ビル街の夕日を思い出すことが多いし、JR新宿駅西口や東口前の雑踏が私にとっての都会の原風景であることには変わりはない。ボードレールの「群衆にひたるのは誰にでもできることではない。群衆を楽しむのは一種のアートである」(「群衆」『パリの憂鬱』)というフレーズを読んでも新宿駅前の光景を思い出す。

新宿には子どもの時から思い出が多い。何度か引越しをしたが、いずれも京王線沿線だったり、今のように府中や立川といった郊外に次々とデパートができる時代でもなかったので、買い物というと新宿に出ることが多かった。大学も大学院も新宿に程近く、何かイベントがあると新宿で飲み会をやっていた。大学野球の晩にコンパをして酔った学生が歌舞伎町を汚すというので、大学は新宿区に清掃費を払っていたらしいが、その位、私の大学と新宿の関わりは深かった。新宿と比較的縁が薄かったのは、横浜市の高校に通っていた時くらいである。

ある人は「新宿区の西口は欧米で、東口はアジアだ」と語ったが、二重性とでもいうべきか全く違った姿を見せてくれるのもこの街の魅力である。西口の高層ビルやオフィス街、東京都庁に見られる効率主義と洗練、モダニズムと、東口の歌舞伎町に象徴される猥雑な欲望と消費と暴力の集中、ゲイタウンの新宿2丁目、静寂の(そして昼夜で全く様子の違う)新宿中央公園、新宿御苑など都会の本音と建前を力強く見せてくれる街である。大都会であるのに、生活感に溢れているのも魅力の一つだろう。

新宿に住んだことはなく、新宿は出かける場所、通学する場所でしかなかったが、新宿で会った人々、新宿でした会話、飲んだ酒、買った本、見た映画、食べたもの、(厳密には新宿ではないがその周辺で)習った英語などが10代、20代の自分にとって大きな位置を占めている。同僚で京都という街に特別な思い入れをもつ人たちが少なくないが、学生時代を過ごすというのはそういうことなのかもしれない。そうしたものと切り離して都市は語れないのだろうが、単に思い出の街としてではなく、新宿が与えてくれた都市のイメージをいい意味で克服して、自分なりの都市論・都市像を考えてゆきたいと思っているのだが、離れた今でもこの街は自分の中で大きすぎる存在なのかもしれない。

器用貧乏になれないのは

2005-07-17 17:00:49 | 世間・人間模様・心理
宮沢賢治の誰でも知ってる詩に「雨ニモマケズ」がある。人に評価されなくても不器用に誠実に生きることの大切さを説き、「サウイウモノニ ワタシハ ナリタイ」と終わる国語の授業でも定番の詩である。後でこの詩は出版用に書かれたものではなく、賢治の手帳から死後発見されたことだとか、南無妙法蓮華経という言葉がたくさん添えられていて、法華経の信仰をもつ賢治の個人的な祈りに近いものだったということを知ったが、授業で習うとなんとなく説教臭く、賢治が自分の不器用な生き方を肯定しているのか、それとも権力や現世での物質的な成功を心の底では求めているのかどうか、本音を測りかねて、あまり好きな詩ではなかった。しかしそうした感情は一種の自己嫌悪であるのかもしれないと今にして思う。

個人的なことをストレートに書くのは好きではないのだが、私は不器用な人間だとつくづく思うことがある。大学生のときはいろいろな遊びに挑戦したがどれ一つ上手くできなかったし、得意なスポーツの一つもないし、車の運転もダメである。世の中には何でも上手くこなす人がいて、そういう人にかぎって「器用貧乏で、どれも本格的に身につかないんですよ」などと謙遜することが多い。そういう謙遜も含めて、不器用な私はかっこいいなあと思って、いつも羨ましく思ってきた。10代や20代の頃と違って、傍から見てスマートで悩みがないように見える人も、優雅に泳ぐ白鳥が水面下では必死に水かきをしているように、見えない悩みや苦労を抱えたり、努力をしていることはよく分かるのだが、皆ができることを普通の人より上手くこなせる人はやっぱり羨ましいし、私のようにそういう部分でつい無様になってしまうのはなんともやりきれない時がある。

不器用だから研究者の道を選んだ面もあるかもしれないが、研究者のはしくれになっても、器用な人はいろんなテーマやアプローチを駆使することが出来るのに対して、私は得意不得意がはっきりしている方だし、研究のみならず、余暇や趣味の点でもうまくできる研究者は沢山いて、自分の不器用さを思い知らされることがいまだに多い。多分に幻想かもしれないが、私が大学生の頃、自分の大学を愛していたのは、小学校から高校までと違い、大学はそうした自分が思いっきり自己主張をすることを許してくれた唯一の空間であった気がしたからである。また留学先のアメリカ社会を未だに比較的に好意的に評価しているのも、アメリカ社会が不器用だったり、世間的には不利な立場にあると考えられている人も「開き直って」自己主張することをむしろ奨励しているように思えて、共感できたからである。器用なジェネラリストになれない自分の人生を振り返って、いい人生だったと思えるかどうかは今後の私自身の努力にかかっているのだろうが、足りない部分があるとそこにこだわってしまうという人間の「さが」は常に思わぬ足かせになるような気がしてならない。

ボードレール 「どちらが本当の彼女か」(『パリの憂鬱』より)

2005-07-16 16:58:33 | 
私はかつてベネディクタとかいう娘と知り合ったが、彼女はあたりの空気を理想で満たし、彼女の眼は、偉大さへの、美への、栄光への、はたまた不滅を信じさせるすべてのものへの願望を撒き散らしていたのだ。
 だがこの奇跡的な少女は、長く生きるにはあまりに美しすぎた。だから、私が彼女と知り合った数日後には死んでしまったのであり、春がその香炉を墓地の中まで振っていたある日のこと、彼女を埋葬したのは私自身なのだ。インドの櫃のように香をしみ込ませて腐ることのない木材で作った棺桶の中に、しかと閉じ込めて、彼女を埋葬したのはこの私なのだ。
 そして私の目が、私の宝の埋められたその場所の上になおも釘付けになっていた時、突然、死んだ女と奇妙によく似た小娘の姿を私は見たのだが、その娘はヒステリックで異様な荒々しさをもってなま新しい土を踏みにじり、高らかに笑いながら言うのだった。「わたしよ、本当のベネディクタは!わたしよ、名うてのあばずれなのよ!あんたの頭がおかしくて、目がくらんでいたその罰に、これからあんたは、ありのままの私を愛するのだわ!」
 だが私は怒り狂って答えた、「いやだ!いやだ!いやだ!」そして自分の拒否をさらに強調するために、足でもってひどく乱暴に土を蹴ったものだから、私の脚はできた手の墓の中に膝まで没してしまい、この私は、罠にかかった狼よろしく、理想をほうむった墓穴に、ひょっとするといつまでも、繋ぎとめられたままなのだ。

 (阿部良雄訳、ちくま文庫版)

後に『国民評論』誌で出版された折には「理想と現実」というタイトルで出されたようだが、隠喩とも直喩ともとれる詩である。ボードレールの散文詩をブログで取り上げるのは、二度目だが、彼の象徴詩はとても分かりやすいし、一見破壊的なメッセージでもかなり美しい詩情をたたえていると思う。この詩を読んで、なぜか『古事記』に描かれた日本神話のいざなぎが死んだ妻のいざなみを黄泉の国に訪ねていく場面を思い出した。いろいろ考えさせられる詩である。

日常への復帰

2005-07-15 16:55:38 | 世間・人間模様・心理
日常とは多くの人にとって単調で退屈なものであるか、慌しくて考える余裕もないものかもしれない。時々嬉しいことがあったり、辛いことがあったりしながら毎日忙しく過ぎていく。しかしそんな日常の重みを感じさせるのが非日常的な悲劇的な事件である。7月7日にロンドンで起こった同時多発テロ事件はまさにその例だが、海外紙の社説でこの事件をどう捉えているのか、ネット上でいくつか読んでみたが、ひときわ目を引いたのは、『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙の7月11日の社説だった。「テロの合理的根拠(The rationale of terror)」と題するこの社説では次のように書かれている。

「本当に恐ろしい狂気はテロリストの狂気ではなく、我々自身の狂気である。(中略)地下鉄やロンドンの静かな広場を鳴り響いた爆音は、いかに正常という構造が頼りにならないか、言い換えれば私たち自身がいかに頼りにならないかを示した。私たちを恐怖のどん底に落とす目的は、私たちの感情を解き放ち、私たち自身やお互いに対して理性的に行動する能力をそこなうことなのである。しかし同時にテロ事件の後にいつも驚かされるのは日常生活というものがなんとも早く復帰することである。翌朝までにロンドンの鉄道の多くは運転再開し、人々はいつもの金曜日を取り戻している。これは単に時間とともに傷を癒す習慣のなせるわざであるだとか、リスクに対する認識の低さの結果であるとかつい考えてしまいがちだが、同時に人間文明という薄板が浅薄でないことを示しているのだろう」

声高に「テロに屈するな」と訴えたり、事実関係が不明である段階ですかさずイラク戦争やブッシュ政権との関連と結びつけて政策や政府の姿勢を批判する社説が多い中で、このトリビューン紙の社説はある種の格調をたたえながら、日常生活を取り戻す人間の理性の力の可能性を静かに訴えている。幸いにして身近であまり悲劇的な経験をせず、平凡な生活を送ってきた私だが、それでも仕事をしたくなくなるほど落ち込むようなことは時々ある。しかしそんな時こそ仕事や日常の雑事があることは有り難く感じられる。日常生活という一見もろい構造の重みを改めて感じさせたのが今回のテロ事件とそれについての社説だった。

笑いのある生活・笑いのある教室

2005-07-13 16:53:05 | 教育・学問論
忙しいという漢字は、心を亡くすと書くが、毎日雑用に追われて、いつのまにか大切なものを失っているような気がする。前回のブログで偉そうな説教調のことを書いてしまったので何か軽い笑えることを書きたいのだが、心をなくしているせいか、すぐには思い浮かばない。

最近の生活で笑える瞬間というのは、ゼミの時間やゼミの学生たちと話している時である。ゼミに笑いがあるというのは不謹慎に思えるかもしれないが、この一ヶ月間はプロジェクト方式と称して、数人からなるグループに企画と発表を任せて、いろいろな出し物をしてもらった。日本とアメリカのファッション雑誌を比較して、実際にデジカメを使ってファッション誌を作ってみたグループもあれば、日中関係と日米関係のどちらを重視するかという硬派なディベートをしたグループもある。またマクドナルドの功罪を巧みなプレゼンテーションで見せたグループもあれば、日本とアメリカの小学校の授業に見る日米文化の違いを実際に授業を実演しながら見せたグループもある。ビデオで撮影して後で学生たちと一緒に見てみると、映像で捉えられた彼ら彼女らの姿には性格がよく映し出されているし、私自身のコメントや話し方の稚拙さも発見できた。

どのグループにも共通していえるのは、若い学生たちは笑わせるのが巧みだということだ。ユーモアのあるコメントや演技をして、ゼミの教室には笑いが絶えない。人を怒らせたり不愉快にすることは簡単だが、笑わせることの方がはるかに難しい。そうした難しいことをさらっとやれる学生たちのセンスは頼もしく、うらやましく思える。参加型の授業は出たところ勝負というリスクもあるが、うちの学生たちはあまり細かな指示を与えるよりも自主性に任せた方が熱心に準備するし、面白い発表をするようだ。学生が本を読まなくなったことを嘆く先生も多いが、本を読まなくても笑いのセンスや情報に対する感度は鋭いものをもっているし、いったん興味をもったらその分野の本を読んだり調べたりすることを厭わないようだ。そんな部分をのばせたらと今日のゼミ発表の小学校の模擬授業を笑いながら見て思った。