紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

国家のためにできること

2004-10-26 15:40:00 | 政治・外交
「国があなたのためにできることではなく、あなたが国のために何ができるのかを考えてみてください(Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country)」というのは、1961年のケネディ大統領就任演説の有名な一節である。ある授業で試みに"your country"と"you"のところを空欄にして、4箇所を埋めてもらったところ、"you"と"your country"を逆に答えた学生も少なくなかった。国が何かをしてくれるのが当たり前で、国のために何かをするということを考えたことのない、現代日本の学生の気質をよく示しているといえば言い過ぎになるだろうか?

しかしケネディがこの演説をした1960年代はまさにリベラリズム全盛の時代であり、演説のフレーズとは裏腹に国(政府)が国民のためにできることを最大限拡大していった時期であった。
 
ケネディが提案した様々な構想・法案の実現は彼を引き継いだジョンソン政権をまたねばならなかったが、人種差別撤廃、教育、都市再生などこれまで連邦政府が積極的に取り組んでこなかった分野に乗り出したのが、このケネディ-ジョンソン民主党政権期であった。ケネディはこの台詞に続けて、「世界の市民の皆さん、アメリカが皆さんのために何ができるのかではなく、人間の自由のために私たちが一緒に何ができるのかを考えて下さい」と呼びかけているのも象徴的で、この言葉と裏腹にアメリカはベトナム戦争に深く介入していくことになった。ケネディはそうした自覚を持たずにこのような演説をしたのだろうか?むしろアメリカ政府が内外に活動領域を大幅に拡大せざるを得ない自覚があったからこそ、このような警鐘を鳴らしたのだろう。

個人が国家や地域社会のために貢献することは容易ではない。ボランティア活動やコミュニティ活動の先進国を自認しているアメリカにおいても、特に1980年代以降、急速にコミュニティにおける政治社会参加が低下していると警告した、ハーバード大学のロバート・パットナムの『一人でボーリングを』(2000年)がベストセラーになったのは記憶に新しい。個人主義のアメリカが一方では集団参加や社会参加を通じて自己実現しているというのはよく指摘されてきたが、個人がより狭い興味関心に閉じこもってしまうと、社会参加や地域参加から遠のいてしまうのは、アメリカでも例外ではなかったのである。しかし日本の現状を考えると、もともと参加民主主義の伝統がアメリカより弱い上に、アメリカとは違って、「愛国心」が何か後ろめたいもののように戦後教えられてきた。

愛国心とは言ってみれば、自己の狭い関心利益を超えて、国家や地域社会をよくするために何ができるのかを問うていく姿勢だと言えよう。しかし政治家が「愛国心」を語ると往々にして、自分たちが所属する政治システムを支持してくれと要求すること、つまり自分たちを愛してくれと要求するのに等しくなってしまうため、胡散臭く聞こえてしまう。ケネディの前述の名台詞も現存の政治家が引用したとたんにいかがわしいものに響くのもそのためである。
 
しかしだからといって地域社会や自分の所属する国家のために何ができるのかを考えることの重要性は否定できないだろう。ケネディの問いかけは、「愛国心」をめぐって的外れで型にはまった議論を繰り返している私たちにも重くのしかかってくる。新潟での大地震で多大な被害が出ているにもかかわらず、優勝のビールかけを強行する球団とその様子を平然と放送するテレビを眺めながらその思いを強くしている。
 

日本の大学と休講

2004-10-20 15:35:47 | 教育・学問論
台風23号に伴う暴風警報の発令により、本日の授業は全て休講となった。今年二度目の台風による休講措置だが、予定を立てず気ままに授業をやっているわけではなく、毎回完結主義でテーマを決めてやっているので、突然の休講や補講は計画をかなり変更しなければならず厄介である。
 
近年は日本の大学も授業計画をシラバスとして明記することやセメスター制(2期制)の導入と半期15回の授業原則の確立など、アメリカ式のやり方が一般的になってきたが、筆者が学部生だった15、6年前まではその日まかせの授業をして、突然休講する先生も珍しくなかった。月に一度なぜか必ず休講する先生もいたし、半期の授業で6回休講して、補講もしなかったという信じがたい教員も存在した。
 
アメリカの大学院に留学した時にまず気付いたのは、休講が事実上存在しないことだった。2年間の留学期間で学会報告などの都合で休講になったケースが全クラスを通じて2-3回しかなかった。日本では自分が報告するのではなく、ただ単に学会に参加するだけなのに金曜日や月曜日に休講する教員さえいたので、アメリカの大学教員の熱心さには感銘を受けた。
 
また日本はもともとアメリカと比べて国民の祝日が多いが、アメリカの大学は11月のサンクスギビング(感謝祭)や12月のクリスマスを除くと、祝日で休むということがなく、州立大学だったが、州の休日も関係なく授業を行い、大学が独自にreading recess(読書休暇)といった春や秋の一週間程度の休みを設定して、授業スケジュールを乱さないようにしていた。
 
日本の場合は、いわゆる「ハッピーマンデー法」(正式には1998年の「国民の祝日法」改正)により、月曜日が休日となる場合が多いため、月曜の授業回数は少ないという本末転倒なことが起こったりしている。筆者の勤務校では月曜の授業のための補講日を設定しているが、日本の大学で、国民の祝日と無関係に独自のカレンダーで授業をやっているところは皆無だろう。「大学の自治」というのはまずそういうことになるのかもしれない。
 
日本の場合は、ゴールデンウィークによって、4月の新学期は始まったとたんにペースが狂ったりする。ハッピーマンデー法を通した際の議論も、「三連休を取りやすくすることで、旅行産業や鉄道産業の景気回復につながる」といった経済論議ばかりで、教育的な配慮や懸念はほとんど聞かなかった。安易な休講の乱発もそうだが、今までの日本の大学教育においては、教員の意識も、学生の意識も、またそれを支える社会の意識においても、大学教育という貴重な機会を充実させようという姿勢が不十分だったように思われる。
 
この10年の変化はめざましいものがあるが、国民の祝日とは無関係な大学歴で授業する大学が日本でも現れてきてもいいのではないかとさえ思う。少なくとも働き詰めの社会人と学生とが同じ論理で全国一律に休みを取る必要はないのではないだろうか?

受刑者大国アメリカ

2004-10-17 15:32:54 | 社会
この夏、8年ぶりに訪れたサンフランシスコの街角やBART(地下鉄)のホームで目に付いたのが、右に掲げたポスターである。「ぼくのお父さんは刑務所を出たばかりです。お父さんは僕と皆さんの助けを必要としています。仕事と医療保険と住む場所があれば、彼は立ち直れるのです」という台詞の下に、「元受刑者も家族です」というフレーズが書かれている。
 
この広告は、Centerforceというサンフランシスコを中心に活動している受刑者・元受刑者やその家族を支援するNPOで、読み書きなどの教育や職業訓練・リハビリ、受刑者本人やその家族へのセラピーやカウンセリングなどの活動を行なっている。他にも「私の夫は・・・」と若い女性の写真が写っているものと、「僕の妹は・・・」と若い白人男性が写っているヴァージョンもある。
 
日本でこのような広告を目にしたことがないので驚いたのだが、2003年の統計では、アメリカでは連邦、州、地方の刑務所に収容されている受刑者が207万8千5百人であり、まさに受刑者大国であり(アメリカ司法省ホームページによる)、元受刑者が社会に日常的にありふれていることがこうした広告の背景にあるといってよいだろう。

207万人がどのくらいの規模かを考えるとアメリカ人10万人あたりに480人が受刑者であるという計算になる。日本の場合は、2003年の場合は、受刑者と収容されている被告人を合わせて71889人であり(法務省ホームページ)、日本人10万人当たりの被収容者は56.3人となるので、アメリカの数字は日本の8倍以上である。
 
アメリカの場合は特に黒人の犯罪率が問題になるが、実際に大きな数字であり、白人男性の場合は10万人あたりに681人の受刑者であるのに対して、ヒスパニック男性は1778人、黒人男性は実に4834人もの受刑者がいる計算になる。黒人男性の場合、白人男性より社会経済的な困難を抱えている場合が多いことや、黒人男性などを積極的に検挙する、いわゆる「レイシャル・プロファイリング(人種狙い撃ち取調べ)」などの問題もあるが、黒人男性の犯罪件数が白人男性やアメリカ全人口の平均と比べて著しく高いことは否めないだろう。

日本の場合は近年、治安の悪化と外国人犯罪の増加が強調されているが、日本に入国した外国人の受刑者は2003年末で3134人で、そのうち中国人が1368人であるが、外国人受刑者は全受刑者の4%を占めているに過ぎない。ただし5年間で中国人受刑者が5倍に増加したことから、クローズアップされるようになってきた。
 
受刑者の増加による刑務所不足が日米両国の刑事行政の課題となっているが、「刑務所を増やせば増やすほど、受刑者の数が増える」のが刑事行政の「マーフィの法則」であるという声もあるように、刑務所の増設は解決策の一つでしかない。元受刑者や犯罪者になりかねない人々に犯罪を起こさせないように、社会で受け入れていこうとする、Centerforceのような地道な活動もまた重要であろう。

アメリカの凶悪犯罪発生率はなぜ高いか?

2004-10-13 15:30:08 | 社会
アメリカは日本と比べてはもちろん、フランスやドイツと比べても殺人などの凶悪発生率が高いのは何故だろうか?一般的には、①アメリカの暴力文化、②人種構成など社会の異質度の高さ、③犯罪解決率の低さ、④貧困や差別などの社会経済的格差が大きいこと、⑤銃やドラッグの蔓延、⑥国土が広く、人目が行き届かないところが多いことなど様々な要因が挙げられて、説明されることが多い。

犯罪解決率の低さについて言えば、検挙率が低い上に、逮捕の3分の2が起訴に至らない。その最も大きな理由は、「司法取引」により、被告人が起訴事実の一部を認める代わりに、一部を取り下げてもらうことが一般的であるためで、被告人は罪を認める代わりに刑を軽くしてもらうことができ、検察官は面倒な立証作業を省くことができるからである。また司法取引を行なえば事実認定は自白だけで済み、審理を行なわずにすぐ判決を下すことができ、裁判所としても効率のいいシステムといえる。そのため,実際に起訴される「件数」は減ることになる。
 
陪審制は、「有罪」か「無罪」かを判断するしくみだが、素人判断なため、しばしば弁護士や被告人の演技や証言に「騙されてしまって」、「有罪」判断を下せないことがあるという指摘がある。またドラッグや銃規制の甘さについて言えば、現在のアメリカ人一般は,銃規制の強化に賛成であるが、「自分や自分の家族を自分で守る権利がある」という思想が根強く、そういう権利を国家が奪うことができないと考えられている。その点が「刀狩り」以来、一般民衆の「武装」の権利を認めてこなかった日本とは大きく異なっている。

青少年のドラッグ使用は、アメリカ教育界の最大の関心事項の一つで,高校3年生のマリファナ系経験率(1999)は49.7%、コカインは12.2%となっている。恐らく日本のように校則を厳しくし、所持品検査や盛り場の見回りなどをすればある程度効果があがると思われるが、そういう方向に進まない点が個人の自由と権利を重視するアメリカの自由主義かもしれない。ただし1994年以来、アメリカでは凶悪犯罪は減少しており、2001年には人口1000人当たり24.7件と過去最低になっている。ピークは1981年の52.3%だったので、ピーク時の半数以下になっている。これはアメリカの景気が改善され、強盗・窃盗や暴行が減っていることが反映されている。
 
 

『文明の衝突』と「文化戦争」

2004-10-10 15:25:03 | 思想・哲学・文明論
「古典とは、誰もが賞賛するが、読まないもの」と言ったのは、マーク・トウェインだが、読まないでも内容を理解した気になるのが古典だとすると、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』も現代の古典と言えるだろう。2001年の同時多発テロ事件を予言した本として一躍注目されることになったが、もともと湾岸戦争でも同時多発テロでもなく、1992年に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を念頭において書かれた本である。

1990年代以降に書かれた政治学的な著作で『文明の衝突』論ほど一般にも注目され、批判されてきた本もないだろう。『文明の衝突』論は、文明の定義があいまいであることや、西欧中心主義的であることや、儒教・イスラム文明を仮想敵としていること、西欧、ラテンアメリカ、アフリカ、イスラム、中国、ヒンドゥー、東方正教会、仏教、日本という文明の分類が乱暴であること、文明間の衝突が必然であるかのごとく描いていることなどが批判されてきた。
 
例えば進藤栄一氏は『現代国際関係学』(有斐閣、2002)で、「西欧キリスト教文明対儒教=イスラム連合軍との2010年世界戦争を想定し、欧ロ軍がシベリアから万里の長城を超え勝利するシナリオを描いた」としてそのネオ・リアリズムの世界観を批判している。
 
ハンチントンが保守的な政治学者であることは否めず、近著の『我々は何者か-アメリカのナショナル・アイデンティティへの挑戦』(邦訳タイトルは『分断されるアメリカ』集英社、2004)でも、ワスプ的なアメリカの知的文化を軸にアメリカ社会の再構築を構想していることは確かであるが、『文明の衝突』批判が多くの場合、原書で書いてない内容を読み込んで、批判している。
 
『文明の衝突』を素直に読むと、「異なる文明が接するフォルトライン(断層線)で戦争がおこりやすいこと」や「異文明に属すると考えられる国家間の紛争はエスカレーションしやすい」とは書かれているが、「文明の衝突」を必然としているわけでもなく、西欧の勝利を強調しているわけでもない。また「フォルトライン紛争を防ぐために」という節も設けられている。安易な紹介に頼らず、原著を読んでほしいと思う。

アメリカ国内に目を転じると、アフリカ中心主義などのラジカルな多文化主義やドラッグ・カルチュア、同性婚をめぐる議論、移民をめぐる政府の対応などをめぐる価値観の衝突やその政治化がしばしば「文化戦争」と呼ばれている。「文化戦争」は「文明の衝突」の国内版と言えるかもしれないし、ハンチントンの近著『我々は何者か』はまさにアメリカ国内の文化戦争について彼の考えをまとめたものである。
 
「衝突」や「戦争」というと直ちに回避すべきものと日本人的には考え、目をそらしがちだが、こうした価値観の衝突が存在しないかのごとくに考えられていた、従来の画一的、コンセンサス的な文化観の方がむしろ問題であり、現代日本についてもどういう「文化戦争」、「価値観の衝突」、「文明の衝突」の可能性があるのかを真剣に考えなければならないだろう。

連邦最高裁と男女平等

2004-10-07 15:22:10 | 政治・外交
1950年代までアメリカの南部諸州は法律によって公然と人種差別をし、学校、レストラン、鉄道など公共施設は人種別だったことはよく知られており、また公立小学校における人種別学を憲法違反であるという判断を示した画期的な連邦最高裁判決が、1954年の「ブラウン対カンザス州トピーカ市教育委員会」事件判決だったこともよく知られている。
 
それでは男女差別について、似たような判例はあるだろうか?公立小学校における男女別学をめぐる裁判はなかったが、「男女差別」や大学などの高等教育機関入学をめぐる男女差別をめぐる最高裁判例はある。人種差別の場合と同様に、19世紀の判例、例えば1873年の「ブラッドウェル対イリノイ」事件では,女性に弁護士資格を認めていなかった当時の州法を、「弁護士資格は憲法で保護される特権にはあたらず『合憲』である」としていた。
 
これに対して判例として性差別禁止が確立したのは,1976年の「クレイグ対ボーレン」判決で、この判決では女性には18歳以上にビールを販売しているのに対して,男性の場合は21歳以上なのは「違憲」であるとされた。1982年の「ミシシッピ-女子大学対ホーガン事件」では,州立女子大の看護学部に男子学生を入学させないのは「違憲」であると判断され,さらに1996年の「合衆国対バージニア」事件では、州立兵学校が男子学生のみを入学させていることが「違憲」だとされた。
 
このように最高裁判決は、「性別」を基準として使うことが合理的か否かが争われた裁判が中心で,アメリカ憲法では「男女平等」の明確な規定がないこともあって、憲法裁判は性差別解消にあまり積極的な役割を果たしてこなかった。人種差別撤廃のための公民権法やアファーマティブ・アクションを(数の上では必ずしも)少数者でない「女性」にも拡大適用することで、女性の地位・権利を実質的に改善してきた。

大統領の戦争権限

2004-10-06 15:19:28 | 政治・外交
合衆国憲法では、まず連邦議会が宣戦布告をし、それを受けた大統領が国軍の最高司令官として指揮をとる手続きになっているが、実際にはなかなかその手続きがとられない、ということを授業で説明すると、「なぜ大統領は議会を無視して戦争を起こせるのか?」と必ず聞かれる。
 
誤解のないようにしておかねばならないが、大統領が議会を文字通り「無視」して戦争を行なったことはほとんどなく、「議会による宣戦布告」という手続きを経て,行なわれた戦争が米英戦争(1820)、メキシコ戦争(1846)、米西戦争(1898)、第一次大戦(1917)。第二次大戦(1941)、湾岸戦争(1991)の6回に過ぎないというだけであって、議会による決議や議会への書簡などで議会のコンセンサスを得て、開戦している。
 
ベトナム戦争の反省から作られた、1973年戦争権限法(正確には戦争権限決議)は、ニクソン大統領の拒否権を,議会の再可決(override)で乗り切って成立した法律で,歴代大統領に嫌われてきた法律で、「憲法違反」という声もあるが、今のところこの戦争権限法についての最高裁判決はまだ出ていない。この戦争権限法では、「大統領は軍隊を派遣する前に議会に相談しなければならず、また実際に派遣された場合、48時間内に議会に報告し、60日以内に宣戦布告するか、あるいは60日の期限延長をしなければ派遣された部隊を撤収しなければならない」ことになった。
 
戦争権限法が機能した例としては,フォード大統領がカンボジア兵にとらわれた米兵救出を行なった際に議会に報告した例や、レーガン大統領がレバノンへ派兵した際にタイムリミットを設定した例などごく限られており、主要な戦争には関わっていない。
 
1990年代以降でもブッシュ元大統領の湾岸戦争、クリントン大統領のソマリアやボスニア派兵はいずれにも戦争権限法にのっとらずに行なわれ、また同時多発テロ後は、連邦議会が「9月11日のテロ行為に関与した国家、組織、人物に対して、全て必要な武力を行使することを認める」と決議したので、大統領は「国家非常事態宣言」をして、その流れでアフガニスタンを攻撃した。2003年のイラク戦争では、サダム・フセインの国外退去の期限とした3月20日に、ブッシュ大統領が議会に攻撃の同意を求める書簡を送る形で開戦された。
 
第2次大戦後のアメリカ大統領で海外での大規模な軍事行動を行なっていないのは、2年強しか任期がなかったフォード大統領とカーター大統領のみで、カーター大統領期にはイランでアメリカ大使館人質事件が起こり、救出作戦が行なわれたので、事実上、戦後の大統領で海外で何らかの軍事的衝突に関わらなかったのは一人もいないと言っても過言ではない。大統領選挙もテレビ討論で佳境を迎えてきたが、いずれの候補が大統領になるにせよ、アメリカ大統領である限り、任期中に何らかの形で戦争あるいは軍事行動を指揮する必要に直面することになるだろう。

二重国籍と合衆国愛国法

2004-10-04 15:16:41 | 政治・外交
アメリカで増加するヒスパニック系について講義した折に、1990年代以降、中南米諸国で、アメリカに移民した人々に「二重国籍」を認める国が増えている、と話したところ、「二重国籍を認めることは、2001年合衆国愛国法と矛盾するのではないか?」と質問された。
 
アメリカ社会におけるヒスパニックにとって「二重国籍」は何を意味し、また「愛国法」との関係はどうなっているのだろうか?まずヒスパニック系移民にとって、母国籍を維持しながらも、アメリカ市民権を得ることは参政権などの政治的権利を得るばかりでなく,教育や社会保障の権利を得ることになり、また就職の機会も増えるのでメリットの方が当然多い。
 
「合衆国愛国法」は事実上、主に中東系移民をターゲットにしたテロ対策法だが、第二次大戦中の日系移民のように戦争が起こった場合に、「忠誠心」が問題になることが多いので、その場合に二重国籍がデメリットとなり,場合によっては母国の国籍を放棄せざるを得なくなることもあるだろう。
 
アメリカ政府は二重国籍の存在を容認し、アメリカ人が他の国籍を持つ事を認めてはいるが、原則としては二重国籍を積極的には奨励していない。二重国籍を持つアメリカ人がアメリカ国民としての義務ともう一方の国の法律との間で板ばさみになることがあるし、二重国籍者が海外に在留する場合、米国政府が当該者に対して自国民保護を行うのに支障がでる場合もあるからである。
 
アメリカ政府は、「二重国籍者が国籍を持つ一方の国に居る時には、その国の要求が優先する」としており、「二重国籍者が国籍を持つもう一方の国で困難に遭遇した場合、米国政府が自国民として援護出来る範囲は限定される」と警告している。アメリカの移民国籍法では、アメリカ人は米国の出入国の際に米国のパスポートを使用しなければならないことになっているが、国によっては二重国籍者に、その国の出入国に関して、自国のパスポートを使うよう要請する場合がある。米国政府は、そのことで米国籍に影響を失うことはない、としているが、入国管理強化が進められている今日、二重国籍者の出入国には様々なトラブルが付きまとうことになるだろう。

国連での日米協力

2004-10-01 15:12:50 | 政治・外交
前期の授業でアメリカと国連の関係について講義した折に、「国連を通じた日米協力としてはどのようなものが考えられるか」と質問された。これはなかなかユニークな問いだと思う。安全保障に関しては、日本の国連での安全保障面での貢献が限定されていることと、日米安保体制の方が重視されている理由などから、あまり国連を通じての協力という展開は期待できないが、アメリカは日本の常任理事国入りを一貫して支持しているし、またアメリカのサポートもあり、日本は何度か非常任理事国には選出されている。一方、日本からの協力として考えられるのは、アメリカを支持する投票だが、日本は国連総会では60-70年代にはアメリカと80%同じ投票をしていたが、石油危機以後、アラブ諸国へも配慮するようになり、80年代半ばにはアメリカと同じ投票は37%程度まで低下するなど「自立性」を高めている(Amy E. Searight. “International Organizations.” In Steven K. Vogel. 2002. US-Japan Relations in a Changing World. Washington, DC: Brookings Institution.)。

国連での日米協力の可能性がある分野の一つは、途上国の「民主化」支援や「ガバナンス」改革である。アメリカ主導で「民主化」支援を行なうことは、「アメリカニゼーション」であるという反発を買いやすいが、日本も関与して、アメリカ色を弱めて、より現地のニーズや非欧米世界に適合しやすい形で現地の理解を得ながら、途上国の行財政システムや司法制度の改革を支援する可能性はあるだろう。
 
実際、JICAも1994年に「参加型開発と良い統治(分野別援助研究)」、96年に「地域の発展と政府の役割(分野別援助研究)」、2001年に「民主化支援のあり方(基礎研究)」などを実施し、参加型開発や地方分権、民主化などの課題への取り組みに関連させたガバナンス強化の方策を検討し、東南アジア、中南米、中央アジアでの民主化支援事業に力を入れるようになってきている。