紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

人生というアポリア-サルトルの『嘔吐』を再読する

2006-10-28 19:38:29 | 小説・エッセイ・文学
平成18年度の文部科学省の『学校基本調査』によると(速報値)、文系(人文科学+社会科学)の大学院生(修士課程)の総数は、3万3千3百74人だそうだ。同じく文系の学部生の総数が、約137万人であることを考えると、大学院進学率が高まったとはいえ、文系の場合は学部卒業生の5%弱が進学しているに過ぎず、まだまだ少数派であることを改めて実感した。昨年は大学院の志願者が減ったように感じていたが、全国のデータを見ても、文系の大学院生は微減傾向にあるようで、実感通りなのだな、と思った。

私自身が大学院に進んだ時も、親しい友人やゼミ仲間の中で進学したのは私一人だった。文学部だったらそうでもないのかもしれないが、私が3、4年時に所属していたゼミは、学部でも1、2位を争う「就職に強いゼミ」で、しかも当時はバブル期の採用活動の全盛期だったので、面接を受けさえすれば、内定をもらえる一流企業もいくつもあり、しかも高給だったので、敢えて大学院に進もうとするものがいなかったのも当然であろう。ゼミ仲間の大部分は、金融業界に就職した。

政治学という学問は社会科学の一部門でありながら、経済学、経営学のように実社会で役立つわけでもなく、かといって文学、哲学や芸術学ほど「実用性」に背を向けているわけでもない、中途半端な性格を有している。政治学の中に、行政学や政策学のように実用性を志向する分野もあれば、政治思想史、政治哲学のように一応、「政治」を対象としながら、哲学的なスタンスで世の中を斜に構えてみるものまで、幅が広いのも特徴である。しかし学部レベルの政治学科卒業生の大部分はサラリーマンになり、営業畑で生きていく人が多いはずだ。その点は経済学部や経営学部とほとんど変わりない。そのため政治学科には、文学部に見られるような、「思索型」、「世捨て人」、「芸術肌」の学生はほとんどおらず、よくも悪くもごく普通に就職する平均的な文系大学生が集まる。

そんな環境で4年間を過ごした後、大学院に進学してからは、就職して日本経済の第一線で頑張っている友人たちのことを意識せざるを得なかった。自分自身が大学院に進学した意味ややっている政治学が、社会に出て働くのと同じくらい意味がないといけないのではないか、そんなことを当初は気負って考えていた。卒業してからも時々開かれていた、ゼミ仲間の飲み会で顔を合わせていたからなおさらだった。「社会に出ると、法律か経済か、どっちかやっておけばよかった。政治学はぜんぜん役に立たないね」。友人たちはいつも同じようなことを口にしていた。

ともかくも修士課程1年目は授業に追われ、2年目は修士論文の執筆に専念し、博士課程に進む際も、果たしてさらに進学すべきか否か、いろいろ迷ったものの、結局、そのまま進学した。博士課程は狭き門だったので、進学すべきかどうかという悩みも最後には、目の前の入試に合格するという目標に収斂してしまったのだった。

しかしいざ博士課程に進学し、出席すべき授業も金曜日午後のゼミくらいになると、自分の存在ややっていること自体が急に空しく感じられた。大学院に長年、在籍しながらも、将来の展望がなかなか見えてこない先輩たちの姿を目の当たりにしたことも大きかった。路上でチラシを配っている人を見ては、そんなチラシの方が、自分が一晩中机にかじりついて原書を読んでまとめたレジュメ1枚よりも「社会的に」意味があるのではないか?まったく意味がない比較だが、そんなことを時々、考えたりもした。そんな折に出会った、というよりも、何か答えが見つかるかもしれないと思って読んだのが、サルトルの『嘔吐』だった。

実存主義の「聖典」とも呼ばれるこの小説は、18世紀史を研究している主人公ロカンタンが、中央ヨーロッパ、北アフリカ、極東を回った調査旅行の後、港町ブーヴィルで静かに歴史を執筆しながら感じ始めた、周囲の事物、社会、過去、自分の存在自体に対する「吐き気」を描いている。原題 ”la nausee”は、「嘔吐」というより、「むかつき、吐き気」であるが、神経鋭敏なロカンタンは、例えば美術館で肖像画を見ても、次のようなことを考える。

そのとき私は、私たち(=肖像画上の人物とロカンタン自身)を隔てているものすべてを理解した。私が彼について考え得たことは、彼にとって痛くも痒くもないものだった。それは小説の中で行われる心理分析と言えば言えなくもなかったが、彼のほうからの批判は剣のごとく私を突き刺し、私の生きる権利に対してまでも疑問を投げかけた。だがそれはまさにその通りだった。私はそのことをつねに理解していた。私に生きる権利はなかったのだ。私は偶然この世に現われて、石のように、植物のように、微生物のように存在していた。私の人生は行き当たりばったりに、あらゆる方向に向かって伸びた。それは私にときおり曖昧な合図を送ったが、他の場合は意味のないぶんぶんいう音にしか聞こえなかった(白井浩司訳、138頁)。

肖像画で描かれた人物は家庭でも社会でも義務をきちんと果たし、人生に疑念を抱かなかったはずだが、それに比べて「私」は・・・などと絵を眺めて勝手に懊悩するロカンタンの姿を、神経症的だ、思い込みだ、妄想だと片付けるのは簡単かもしれない。しかし、自分の存在とは何か、自分の人生の意味とは何だろうかと真剣に悩んだことのある人は、見方によっては滑稽なこの描写を読んでも笑うことはできないだろう。また研究者は研究対象に対して、このロカンタンと同じような思いに捉われることも珍しくないはずだ。

院生のときに読んでいて、印象を受けたのは図書館で出会った「独学者」が、ロカンタンを慰めて、「アメリカのある作者の本」の結論として紹介した、「人生は、それに意義を与えようとすれば意義があるのだ。まず行動し、企ての中に飛び込まなければならない。その後で反省をすれば、すでに賽は投げられたのであり、道は決まったことがわかる」という言葉だった。この場面では、その独学者も「自分の意見ではない」と言っていたし、またサルトル自身の投影でもあるロカンタンも「虚偽の一種」だと突き放しているのだが、「アンガジュマン(関与)」と称して、その後、政治活動に積極的に参加していたサルトル自身を考えると、自我追求の袋小路の出口を、「人生に最初から決まった意味はないが、自分で意味づけるのだ」というテーゼに救いを求めているのではないかと考えた。実際、サルトルの後の講演録『実存主義とは何か』にほぼ同義の言葉が再び登場している。この言葉が、院生当時の自分にとっても、運命決定論的な構造主義よりも魅力的に見えた。

その後、私自身はアメリカに留学して、いつの間にかアメリカ流の楽観主義を身につけ、「やらないで後悔するより、やって後悔しよう」などと考えるようになり、かつては共感していたロカンタンのような懐疑主義から遠くなった。久しぶりに読み返してみて、面白かったのは、ロカンタンがかつての恋人・イギリス人女性アニーと再会する場面である。二人で、「完璧な瞬間」や「特権的な状態」とは何か、といった抽象的で哲学的な議論をするのだが、結局は、別れてからどちらが精神的により成長したのか、変わったのかを競い合っているようだ。

「アニーは私と同じ考えなのだ。私たちは決して別れたことがなかったように思われる」などと考えているロカンタンに対して、アニーは、「それじゃああたしは、あなたが変わらない方がやっぱり好きかもしれないわ。だってその方がずっと便利だもの。あたしはあなたとは違ってよ、だれかがあたしと同じことを考えたというのを知るのは、どっちかというといやだわ。それにあなたは間違っているはずよ」と冷水を浴びせる。最後にはアニーに「あなたはあたしに再会できなかった」と言われ、追い出されてしまう。ロカンタンの立場で書きながら、「単独者」を気取るロカンタンの勘違いと孤独や、二人の心と考え方のズレが巧みに描きだされている。

『嘔吐』の原書が出版されたのは、1938年。今から70年近く昔である。日本語訳も初版は1951年と50年近くも昔で、私が読んだ改訳版が出たのは10年くらい前であるが、上に引用したアニーの台詞にみられるような女性言葉などに古さを感じさせられる点を除けば、白井浩司氏の達意の訳文が光っている。重い主題を扱った哲学的小説のイメージを裏切る、少し屈折したフランスの恋愛映画のような軽やかで、時には官能的ですらある文体で、意外と読みやすいと感じる読者も多いはずだ。最近、ニート問題にひきつけて、このサルトルの『嘔吐』を論じた本もでているようだが(見てみると結局、フツーの哲学入門的な本のようだが)、人生とは何か、自分とは何か、何故、生きなければならないのか・・・若いときも年取っても直面する、永遠の問いを考える手がかりとして一度は読まなければならない小説だろう。

一人でいられない恐怖-安部公房の『友達』

2006-10-22 23:47:16 | 小説・エッセイ・文学
藤子不二雄A(安孫子素雄)のブラック・コメディ漫画『笑ゥせぇるすまん』に「やどかり」という話があった。酔っ払って帰宅した気弱で気のいい主人に同行してきた見知らぬ男が、一晩泊めてやったのをいいことにいつまでも帰ろうとせず、自分の家族を次々と呼び寄せ、ついには家を占拠して、勝手に住み着いてしまうという恐ろしい話である。藤子の漫画は、あるいはこの話にヒントを得たのではないかと思ったのが、往年の前衛作家・安部公房の戯曲『友達』である。

この作品に最近出会ったのは偶然で、洋書売り場の日本文学の棚を何気なく眺めていたときに、"Friends"というタイトルで英訳されていたのが目を引いて、オリジナルの日本語版を読んでみた。

1967年に書かれ、74年に安部公房スタジオによって上演されたこの作品は、次のようなあらすじである。31歳の独身の商社マンの部屋に9人の家族(祖父、父母、3人の息子、3人の娘)が突然押しかけ、勝手に上がりこむ。男は警察に「不法侵入だ」と訴えるが、「家族」の堂々たる振舞いのせいで信用してもらえず、事件として取り合ってもらえない。「家族」は隣人愛の大切さや共同生活の重要性を男に一方的に説きながら、傍若無人に振舞い、男の財布を取り上げ、「私たちは、ただひたすら善意から、君の財産を安全に管理して差し上げる義務を感じたまでのことだ」と言い放つ。口の達者な「家族」は、心配して訪ねてきた男の婚約者に対しても甘言を弄して、男との仲を裂こうとするばかりか、彼女の兄を言いくるめ、「仲間」にしてしまう。すっかり「家族」のペースで物事が進み、どうにもできない男は家を出ることを考えるが、監禁されてしまう。「家族」の「隣人愛」の思想が通じない男は、結局、毒殺されてしまう。男に恋していたふしもある「家族」の「次女」は食事で毒殺した後、「さからいさえしなければ、私たちなんか、ただの世間にすぎなかったのに」とつぶやく。

この話を読んで、集団生活を強要する新興宗教を連想する人もいれば、安部公房自身が一時所属し、やがてその方針に背いて除名された共産党を想起する人もいるかもしれない。いや、描かれているのは実はもっとありふれた光景なのだろう。『砂の女』もそうだが、安部公房の小説や戯曲は一見、非現実的な設定でありながら、日常生活に潜む不条理を寓話的に描いているため、前衛的な見かけよりもわかりやすく、思い当たることが多いのではないだろうか。

赤の他人が突然、親戚になったり、共同生活の「ルール」なるものが、結局のところ、それを唱えている人のわがままに過ぎなかったり、「一人でいることが悪いことだ」と勝手に決め付けたり・・・。この侵入してきた「家族」に近いことを他人や家族に対して行なっている人、そうした人々に現実に囲まれている人は珍しくないだろう。

最後には男に直接、手を下すことになる「次女」が、男に愛情を告白し、「私の頭の中は、いつもあなたのことでいっぱい」と言い、男から「(呆れて)それでいて、これほどぼくの気持ちがわからないなんて」と言い返される件も印象的で象徴的だ。自己満足な愛情や善意の押し付け。男が「わからない」と、それを「病気」だと考えて、最後は結局、「殺して」しまう。家族でも組織でも恋愛関係でも同じようなシチュエーションがあちこちで繰り返されていそうだ。

安部と親交があり、本人も優れた戯曲家でもあった三島由紀夫は、この作品を「連帯の思想が孤独の思想を駆逐し、まったくの親切気からこれを殺してしまう物語」と評した。「孤独」を恐怖に感じている「家族」が「善意」で、男を「孤独」から救おうとするのだが、もし男にとって「孤独」が恐怖でなく、家族の善意の方が恐怖だったとしたら、そうした男の存在そのものが今度は、家族にとって脅威となるのだろう。家族としてはそれを認める訳にはいかず、結局、男を消すしかなくなったのである。「孤独」を排除しようとしているこの家族は、「一人でいるのが怖い」という「恐怖」に基づく連帯であって、安心の連帯とは言えないのではないだろうか。

日常や社会の常識に潜む狂気をシュールな舞台でわかりやすく再現する安部公房の戯曲が、日本だけでなく、海外でも高い評価を受けるのは、こうした人間や社会に対する普遍的な洞察が含まれているからであろう。

長距離移動の心理描写

2006-06-05 00:01:52 | 小説・エッセイ・文学
1時間以上かけて通学していた学生時代と違って、今は電車通勤をしていないので移動時間に物を考えることがなくなってしまい、長距離移動といえばたまにアメリカに行ったり、また時々、新幹線で上京する程度になってしまった。さすがに14、5時間のフライトは長いと感じるが、それでも昔の小説に出てきた船旅の時代を思えば、一瞬である。明治や大正時代の小説を読んでいると、何か目的を終えて、渡航先から帰国する船上で考えたことが効果的に描写されているのに気づかされる。

出張でも旅行でもそうだが、往路は目的地についてからスケジュールなどを期待と不安を交えて考えているから、しみじみと物思いに耽ることは少ないのかもしれないが、帰路が長い場合、なかなか行けない場所や二度と訪れることのない場所から帰ってくる場合などは、やり残してきた数々の事柄に後ろ髪を引かれる思いで機中や車中を過ごす人も多いのではないだろうか?

そんな小説の場面をランダムに挙げてみると、まずは誰もが高校の『現代文』で習う、森鴎外の『舞姫(1890)』である。この小説の冒頭の場面は、エリスを捨ててドイツから日本へ帰国する船上での豊太郎の回想で始まっている。

げに東に帰る今の我は、西に航せし昔の我ならず、学問こそなお心に飽き足らぬところも多かれ、浮世のうきふしをも知りたり、人の心頼みがたきは言うもさらなり。われとわが心さえ変わりやすきをも悟り得たり。昨日の是は今日の非なるわが瞬間の感触を、筆に写して誰にか見せん。これや日記の成らぬ縁故なる、あらず、これには別にゆえあり(『舞姫』)。

エリスとの恋愛関係を無責任で乱暴な形で放棄して、日本での出世街道に戻っていく韜晦の念、思い出の美化と、状況や自分に対する後悔の念と言い訳が長い船旅の中で綴られていくという構図になっている。実際、洋行した小説家たちが数々の経験やアイディアを小説の構想として昇華させたり、完成させたりするのに船旅は極めて有効だったのだろう。

鴎外の小説と比べると今日、あまり読まれなくなったと思うが、武者小路実篤の『愛と死(1939)』も印象的な帰りの船旅の場面が出てくる。主人公の野々村は親友・村岡の妹・夏子と婚約直後に半年ほどパリに遊学する。後半は洋行中の野々村と夏子が毎日のようにやりとりした手紙が載せられているのだが、当時、大流行したスペイン風邪にかかって夏子は死んでしまい、日本への帰りの船中にあった野々村のもとに夏子死去の電報が突然届く。戦前の日本ながら、人前で宙返りして見せるような健康快活な少女として描かれているだけに、あっけない病死がインパクトがあり、悲劇的である。

僕は誰もいないところを探したが、船の中だし、二等だったので同室のものが二人もいるので、心ゆくばかり泣くわけにもゆかなかった。人が寝静まってあたりがしんとしているなかを、声がもれないように忍び泣いた。しかし人々は僕の様子を変に思った。今頃僕はなんとなく元気にしていた。ところがぼくは飯もろくに食べずに誰もいないところ逃げては鳴き、隠しても隠し切れない泣きはらした目をしている。人々は僕の許婚が死んだことを知った。僕は黙っていられなかった。人々は同情してくれたが、その同情も僕の頃に届かない。人々は僕に万一のことがありはしないかと注意した。もう自分は船が進むのが遅いと思わなくなった。日本へつくのがかえって恐ろしくなった。(『愛と死』)

鴎外の『舞姫』でも船中での主人公の様子がおかしいのを他の船客が気にする場面がでてくるのだが、自分で小説を書きながら泣いてしまうほどナイーブな武者小路だけに、鴎外と違って、気取らない、ストレートな描写である。電報の直前までは早く夏子と再会したいと船の速度の遅さを呪っていたのが一転して、悲しく分かりきった現実が待つ日本へ帰りたくなくなる。船旅の残酷さが小説的な効果をあげている。

船ではない長距離移動でも印象的な文学描写がある。文庫で手に入らないので読んだ方は少ないかもしれないが、帝政ロシアの文豪ツルゲーネフの『けむり(1867)』の車窓を眺めるシーンも印象的である。主人公のリトヴィーノフはモスクワでの学生時代の恋人で運命と家族に引き裂かれたイリーナとドイツの保養地・バーデンバーデンで十年ぶりに再会するが、彼女は今はラトーミロフ将軍夫人として社交界の花形となっている。リトヴィーノフ自身にも婚約者がいる。昔の恋愛感情がお互いに再燃するが、社交界を唾棄すべき存在として語りながらも結局はそこから離れられないイリーナに愛憎半ばし、優柔不断なリトヴィーノフも最後には別れを決意してロシアに帰ろうとする。その帰りの汽車の車窓からたちあがる蒸気をながめながら

『煙だ、煙だ』と彼は何べんか繰り返した。と不意に、何もかもが煙のような気がしてきた。自分の生活も、ロシヤの生活も―人間世界のいっさいのもの、とりわけロシヤのいっさいのものが。『みんな煙なんだ、蒸気なんだ』と彼は思った。『みんな絶えず変化しているように見えはする。どこを見ても新しい形でまた形で、現象を追って走っているけれど、実のところは、みんな相変わらずなのだ。もとのままなのだ。いっさいがせわしげに、どこかへ急いで行くが―結局は何も手に入らず、跡形もなく消えてしまう。風向きが変われば、すべてはさっと反対側になびいて、そこでもまた相も変らぬ、性懲りも無い、騒々しい、しかも無益な戯れが始まるのだ』。ここ数年の間に、彼の目の前で鳴り物入り爆竹入りで行なわれた、数々のぎょうさんな出来事が思い出された。『煙だ』と彼はつぶやいた。『煙だ』(『けむり』、神西清訳)


けむりに限らず、車窓の風景は一瞬目の前にあるときは『現実』だが、次から次へと流れ去って、忽ちに『過去』となってしまう。長時間の移動中には、時間や人生の意味とはかなさとをしみじみ痛感させられる。そんな気持ちをこの描写はうまく表現している。

船や汽車での長旅を強いられたことが、作家たちが文学的なイマジネーションを膨らます、よき土壌となったのかもしれない。IT化や生活の全ての面でのスピード化はそれに見合ったケータイ文学しか生み出せないのだろうか?そう考えると長すぎる移動も悪くないのだろう。

「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」-堀田善衛の『明月記』論にみる反骨精神

2005-09-25 16:13:17 | 小説・エッセイ・文学
あと数日でブログ開設1周年である。既に気付いている方も多いかと思うが、このブログのタイトルである「紅旗征戎(こうきせいじゅう)」は、『新古今和歌集』や『小倉百人一首』の撰者として知られる、平安時代の歌人・藤原定家(1162-1241)の日記『明月記』の有名な一節、「世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事二非ズ」から取ったものである。
 
時に源平争乱の時代。紅旗、つまり朝廷の旗(または天皇を奉じた平氏の旗と解する場合もあるようだが)による、征戎、つまり朝敵の征伐など、私は知ったことではない、という当時19歳の定家の非政治的・芸術至上主義を宣言したものとして知られている。私の専門である政治学はまさに「紅旗征戎」、つまり戦争と平和、騒乱と秩序の回復、デモクラシーなど支配の正統性をめぐる学問であるが、定家自身もこの発言とは裏腹に政治に翻弄され、日記を書き続けた。そうした定家の思いになぞる意味で、ブログのタイトルに好適ではないかと選んだ。
 
去年の9月に始めた時はネット上に定家やこの言葉をめぐるホームページは多数あったが、このタイトルのブログはなかったのでよいと思ったのだが、調べてみると今年の3月から、国文学を研究されている方が「贋・明月記―紅旗征戎非吾事―」という開設されていたようだ。

『明月記』は難解な漢文で、専門家以外は通読しがたいものだが、作家の堀田善衛氏による『定家明月記私抄』、『定家明月記私抄(続編)』という手頃な解説書が文庫で出ており、気軽に触れられるようになった。堀田氏の解説本を読んでいて興味深かったのは、第2次大戦中、20代の文学青年として「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」という言葉に出会い、衝撃を受けて、「自分がはじめたわけでもない戦争で」死ぬかもしれない、「戦争などおれの知ったことか」と言いたくてもいえないと胸の裂けるような思いをしてから、40年間、『明月記』に付き合い、ようやくまとめたという重みだった。そのため定家の気持ちを代弁する形を取りながら、堀田氏自身の批判や反骨精神が随所に溢れている。

堀田氏は後鳥羽上皇の放蕩・乱倫、平安時代の婚姻制度の非人間性に対する素朴な驚き、崇徳院の革命思想に対する畏怖などを自分の言葉で語っている。行間に堀田氏自身の貴族政治や天皇制に対する批判が満ちている。堀田氏は朝鮮戦争期の新聞記者の苦悩を描いた『広場の孤独』で芥川賞を受賞したが、院政や貴族制にたいする堀田氏の厳しい視線に、彼の小説同様の左翼的な政治傾向を読み取るのは容易かもしれない。
 
堀田氏は伝統芸能の世襲、家元制度を厳しく批判して、「(芸術が)家のものとなったりしたのでは、爾今独創を欠くものとなることは当然自然であり、存続だけが自己目的化して行く。縄張り集団の成立であり、それは日本において(中略)俳諧、連歌、茶、能、花道等々、すべてがこのパターンを取る。存続だけが自己目的化することにおいて、天皇制もまた例外ではない」(269頁)などと述べている。この言葉にも彼の姿勢がよく出ていると言えるだろう。

しかし堀田氏の『明月記』解説の真骨頂は、芸術運動と芸術至上主義の捉え方にあるのではないだろうか。堀田氏は、後白河法王が当時の流行歌である「今様」に凝り、有名な『梁塵秘抄』を編纂したことに触れ、「上層階級が想像力、従って創造力が欠けて来て、歌に歌を重ねる自分自身の真似ばかりをするという自動運動(オートマティズム)をはじめるとき、そこに生ずるものが階級への下降志向である」(237頁)と捉え、今で言うポップカルチュアに鋭敏だったと賞賛されることの多い後白河の姿勢を、むしろ宮廷文化の行き詰まりと創造力の欠如の現われとして批判的に捉えている。同様に堀田氏自身がかつては「その抽象美を日本文学史上の高踏の頂点であり、現実棄却の文学の祝祭」とまで賞賛した新古今集の世界を、文学として頂点を極めたということは、あとは袋小路ということで、「その先にあるものはデカダンスのみであり、現実を棄却して文学によって文学をするものは必ずや現実によって復讐されるのである」(236頁)と断じている。

マラルメ、パルナッス、ホイジンガといった、王朝文学論ではまず出てこないような固有名詞が飛び交い、堀田氏の西欧文学・文化の知識を縦横に駆使して論じる本書は、国文学の門外漢である一般読者としては大変興味深いが、堀田氏の平安文学に対するまなざしや問題意識は現代的すぎると批判することも可能だろう。
 
歴史家の場合は、研究対象となる時代背景に寄り添うように理解することが求められるだろうから、堀田氏のように現代を生きる自分の問題として定家の日記を読むのは、あるいは邪道かもしれない。しかし歴史学者が『明月記』に書かれている有職故実のディテールや当時の平安貴族の生活についての事細かな専門的描写をした論文を読むよりも、堀田氏自身の体制批判の精神と芸術創造者としての自負が漲った解説ともに定家の日記を読む方が、時代を超えて、浮世渡世の悩みを共有できる、知的で楽しい経験に違いない。自分と同年代の時に定家がどうしていたのかが気になって読んでみたが、出世の遅れの愚痴と貧窮の記述ばかりで残念であった。ともあれ、芸術と政治、戦争と文学、ハイカルチュアとポップカルチュア、芸術の階級性、貴族社会の文化と構造、伝統芸能の継承など様々な問題に思いを巡すことのできる好著だと思う。

ラストシーンから始まる人生:計画家・三島由紀夫

2005-08-15 08:39:45 | 小説・エッセイ・文学


ポケットをさぐると、小刀と手巾に包んだカルチモンの瓶とが出て来た。それを谷底めがけて投げ捨てた。別のポケットの煙草が手に触れた。私は煙草を喫んだ。一仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った。(『金閣寺』)

あまり露骨な哀訴の調子が言外にきかれたものか、彼女は一瞬おどろいたように黙った。顔から血の気の引いてゆくのを気取らぬように、あらん限りの努力を私は払っていた。別れの時刻が待たれた。時間を卑俗なブルースがこね回していた。私たちは拡声器から来る感傷的な歌声のなかで身動ぎもしなかった。私と園子はほとんど同時に腕時計を見た - 時刻だった- 。 私は立上るとき、もう一度日向の椅子のほうをぬすみ見た。一団は踊りに行ったと見え、空っぽな椅子が照りつく日差しの中に置かれ、卓の上にこぼれている何かの飲物が、ぎらぎらと凄まじい反射をあげた。(『仮面の告白』)

誠はこれを見ているうちに、その緑いろの鉛筆に見覚えがあるような心地がした。その日光の加減で光っている金文字にも記憶が滞っている。彼は思い出そうと試みた。そしてこの記憶の中に夢と現実との甚だあいまいな情景が現れ、そこから響いてくる声が、彼の耳の奥底に瞬時にひびいてすぎ去って行くように思われた。それはこう言っていた。「誠や、あれは売り物ではありません」その時日が翳ってきて、向こうの窓はたちまち光を失ったので、この声は掻き消えた光と一緒に彼の脳裏から飛び去った。(『青の時代』)


引用が長くなったが、「最後の一行が決まるまで書けない」と語っていただけあって、三島由紀夫の小説のラストシーンはいずれも唸るほど計算されつくしたうまさがある。吃音にコンプレクスをもつ若い修行僧が自分を束縛し続けた美の象徴・金閣寺を放火するまでの経緯を描いた、有名な『金閣寺』だが、放火を決行するまでの緊迫した精神状態、苦悩の描き方ももちろん素晴らしいが、放火した後に精神的に解放されて、ナイフや薬による自殺ではなく、煙草を選んで「生きよう」と思う。この一行があるだけで、ただの破滅的耽美小説で終わらず、普遍的な青春小説になっている気がして最初に読んだ時に感銘を受けた。

仮面の告白』は、三島の自伝的小説で、その同性愛的な感情と同性愛であるがゆえに初恋の女性・園子へ失恋したことを語った小説だが、三島好きだった大学の後輩は「普通の(異性愛の)恋愛小説として読みました」と語っていたのを思い出す。そうとも読める書き方になっているので、まさに二重の意味で「仮面」の告白なのである。

ここで引用したエンディングは、結婚した園子と「私」が再会してダンスホールで食事をしている場面だが、「私」は園子の存在を忘れて、思わずダンサーの男性を夢中になって眺めている。同席しているが関心の向かう方向がまったく違ってしまっている。そのズレと悲哀を巧みに描いている。

最後の『青の時代』は東大法学部生による闇金融詐欺事件「光クラブ事件」をモデルにして、その主犯の計画家・山崎に自己をかなり投影しながら、その半生を描いた小説である。このラストシーンでは、計画ばかりに縛られて生きてきた主人公が、自分のように優秀ではないがのびのび生きてきた従弟・易のデートの現場を眺めながら、すべてに自然体な易と、人工的で計算高い自分の人生とを対比しながら、子供の頃、文房具屋の看板の鉛筆が欲しいと親にねだって怒られたことを回想している。看板の鉛筆は人工物の象徴であり、「どこかで普通であることに憧れていながら、しかし決して普通になれない・なろうともしない」という三島文学に一貫した悲しさがうまく描かれている。

御存知のように三島由紀夫は自衛隊の市谷駐屯地で割腹するという衝撃的な最期を迎えたが、川端康成と三島由紀夫の書簡集を読んでいても、三島が小説のみならず最期まで自分の人生を計画しつくしていて、だからこそ計画に追い詰められ、老いていく自分に耐えられなかったような気がしてならない。遺作となった四部作『豊饒の海』は、松枝清顕の輪廻転生の物語で、転生していく主人公とそれを追いかけていく親友・本多繁邦を描いた長編小説だが、第4巻の『天人五衰』では、若い頃三島が自己を投影して描いたような計画家の若い天才肌の青年が出てくる点や老人が醜く描かれている点では、いかにも三島文学だが、もはや「若くなかった」三島は、尊大な若者への厳しい視線も忘れない書き方をしている点が異質である。

また松枝と死別した恋人で、今は尼になっている綾倉聡子と本多は、小説の結末で60年ぶりに再会するのだが、聡子は「その清顕という方には、本多さん、あなたはほんまにこの世でお会いにならっしゃったのですか?又、私とあなたと以前たしかにこの世でお目にかかったのかどうか、今、はっきりおっしゃれますか?」と、輪廻も松枝の記憶もすべて否定する。法則ですべて語れるような書き方で書いてきた三島が最後には自分の若い頃の投影のような若い主人公も、また輪廻の物語そのものも否定するような東洋的な曖昧な書き方で小説を終わらせ、直後に自決したというのが象徴的である。しかしその結末も最初から決めて書いていたのだから驚くしかない。

面白い連続ドラマを見ていても最終回で失望させられることが少なくないが、三島の小説の場合は最初に結末の文章を練りに練って考えているのでそのようなことは決してない。しかし人生はある一つのゴールに向かって一直線に計画的に進んでいくものではないだろうし、トンネルを抜けたら思ってもみなかったところに立っていた、という方が自然だろう。

三島が「自然」や「普通」にどこかで憧れていた反面、「選ばれたもの」としての極めて高い自意識をもち、平凡で流される「現実的な」人生を拒否して、徹底的に計画し尽くそうとした姿は彼の小説にも繰り返し反映されているが、どちらかというと破滅型で無計画な芸術家が多い中で、芸術至上主義者でありながら、計画にこだわり、計画で「破滅」した稀有な存在が三島由紀夫だったのだろう。彼が生きていれば今年で80歳だが、戦後60年を迎えた今日を彼だったらどのように捉えただろうか?それを見たくなかったから自決したのだろうか?そんなことをふと考えさせられた。


「危険な関係」と平行線の「粋」

2005-07-24 17:14:55 | 小説・エッセイ・文学
アメリカ都市についての随想に飽きてきた方も多いと思うので、以前から書こうと思って、機会を逸してきたトピックについて書いてみたい。日中、会社が学校にいる方はほとんど見たことないと思うが、今年の4月から6月末までドロドロした展開で有名な東海テレビの昼メロで『危険な関係』を放映していた。原作はいわずと知れた同名のフランスの18世紀の書簡体の小説(1782)である。テレビのメロドラマの原作だと思って、この小説を読み始めた読者は読みにくさに失望することは間違いないだろう。何故ならばこの小説には第三者的なナレーターが背景解説するような部分は一切なく、ただいろんな登場人物間の手紙が順番に並べられてあり、その行間から展開を類推して、話を理解していくというきわめて頭を使わせる構成になっているからである。

何度も映画化、ドラマ化された作品で最近ではペ・ヨンジュン主演の韓国映画『スキャンダル』があるし、グレーン・クロースとジョン・マルコビッチ、ミシェル・ファイファーらが出演した、原作に忠実なハリウッド映画版などもあるし、若者関係に翻案した『クルーエル・インテンションズ』といった映画もある。三島由紀夫の『禁色(1964)』も明らかにこの小説をベースにしている。この中で一番のお勧めはフランス宮廷の様子も上手く再現されており、クロース、マルコビッチらの演技が光るハリウッド版だろう。

話は、メルトイユ夫人が、かつて自分を捨てた男に復讐するため、過去の恋人ヴァルモン子爵と共謀して、男の婚約者を堕落させ、さらに周囲の人物を次々誘惑させていくという危険なゲームを行なっていくのだが、ポイントはメルトイユ夫人とヴァルモン子爵の関係である。メルトイユ夫人はヴァルモンにツールヴェル法院長夫人を誘惑させるのだが、ヴァルモンが本気になったことに嫉妬し、彼女を残酷に捨てさせる。その間の二人の意地の張り合いと緊迫した関係、隠された未練がハリウッド版では上手く演技されているのだが、現代日本に舞台を移した東海テレビ版ではメルトイユ夫人に当たる人物を若いヒロインにして美化していたため、最初から二人が未練を持っていることがあからさまで、この小説がもつ「悪」の部分というか、憎しみの裏側の感情を十分描き出せていなかったように思う。誘惑される側のツールヴェル法院長夫人に当たる女性の方が後でしたたかな「反撃」を試みるなど、やや悪役風で、むしろヒロインの方に同情・共感が集まるような描き方になっていた。
 
著者のラクロ(1741-1803)は軍人で、小説はこの『危険な関係』一本しか書いていないのだが、幾何学を学んだ人らしく、書簡という二者関係(線)を積み重ねて、全体の構造を類推させる手法は見事というしかない。同じように数学的な連想でこうした恋愛の緊張関係を論じたものとして思い出されるのは、戦前の哲学者・九鬼周蔵の『いきの構造(1930)』である。九鬼の文章は一見難解だが、辰巳芸者の着物の縦縞模様からヒントを得て、決して交わることのない、「平行線」の関係こそ「いき」の極致であると考えたようである。二つの線が交わってしまえば関係は点になってしまい、一つの決着がついてしまう(あるいは点からやがては「分かれて」しまう)。お互いに関心を持ち合いながら、言ってみれば線と線が見つめあいながら、しかし平行で決して交わることのない緊張関係を保ち続けることこそ「粋」なのだそうだ。

大学院で日本政治思想史を研究していた先輩は、「九鬼のように頭のいい人が『いきの構造』のような軟派な本を書いて、和辻(哲郎)のようなあまり明晰じゃない人が『日本精神史研究』のような本を書いたのは残念だ」などと暴言?を吐いて、嘆いていたのを思い出す。九鬼は祇園にも頻繁に出入り、戦時下では目をつけられていたらしいが、九鬼の分析はヴァルモン子爵とメルトイユ夫人の平行線関係を思い起こさせる鋭い数学的な感性だと思う。ラクロの小説は退廃文学だと言えるかもしれないが、2国間関係の説明を積み重ねて国際関係全体を説明するような本を書けたらすぐれた研究になるのではないか、などと政治学的なセンスも感じさせる小説である。実際、北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議や国連安保理常任理事国拡大をめぐる国家間関係などを眺めているとまさに昼メロさながらのドロドロした「危険な関係」であるに違いない。

国語の授業で読んだ本を再読する

2005-05-03 17:23:19 | 小説・エッセイ・文学
新学期が始まったとたん、ブログの更新がすっかり滞ってしまい、いったん止まると何を書こうか迷ってしまうが、最近出会った本からはじめてみたい。作家の城山三郎氏と東京電力の会長を務めた経済界のドン、平岩外四氏が若い時代に読んだ小説を再読しながら、対談しているのが講談社から二月に出された『人生に二度読む本』である。夏目漱石の『こころ』から始まり、『老人の海』(ヘミングウェイ)、『変身』(カフカ)、『山月記』(中島敦)、『車輪の下』(ヘッセ)といったところから、『間宮林蔵』(吉村昭)、『ワインズバーグ、オハイオ』(アンダソン)といったやや意外な本も含めた計12冊が取り上げられている。対談自体は二人の年齢を合わせると170歳近いこともあり、穏やかであまり意外性のない内容で、小説の描写や人間観よりも、「中島敦は京城中学で4年間トップだった」とか、「カフカが労働者傷害保険協会に10年間務めていた」とか、世間的な点に関心をもっているのがこの二人らしい。同じ対談(鼎談)形式でも上野千鶴子らの『男流文学論』の方が、「こういう読み方もできるのか」という面白さがある。しかしこの『人生に二度読む本』も「あらすじ」と「解説」が簡潔で要を得ていて優れているし、戦後経済の一線で活躍した平岩氏の小説をめぐる思い出話も興味深い。

この本でも最初にとりあげている、漱石の『こころ』だが、日本人だと高校時代に国語で習う定番の小説だろうが、これほど学校で教わる内容と小説の深さがかみ合ってない例も少ない気がする。たまたま実家に帰ったとき、高校時代の『現代文』の教科書を見たが、授業で習ったことがメモしてあり、「『先生』→Kに恋愛の勝負では勝ったが人間としては負けたので自殺した、『K』→道を貫くことができずに死んだ」などと書いてあったが、これほど皮相な読み方もないだろう。学校で習うと、明治天皇崩御と乃木大将の殉死の後書かれた小説なので、「『明治の精神』に殉ずるとはどういうことか」といった建前的な部分が強調されがちだが、長い書簡という形をとっているこの奇妙な小説が若い読者を時代を超えてひきつけるのはそんなところではないはずだ。

高校生ぐらいの時は、「お嬢さん」をめぐるKと「先生」のライバル関係にばかり注目して読んでしまうが、後から考えると、下宿先の「奥さん」が、資産家の息子である「先生」に目をつけて、Kを当て馬にして、「お嬢さん」とくっつけたような面もあり、それによって「親友」を失ってしまったという思いがあるから、「先生」は妻となった「お嬢さん」にKの自殺の真相を語らなかったと読むこともできるだろうし、土居健郎の『「甘え」の構造』が分析しているように、小説の語り手である「私」と「先生」、そして「先生」とKとの間に同性愛的な感情があり、そうした世界を女性である「お嬢さん」に意識的に共有させていないと読むこともできるだろう(漱石より後の武者小路実篤の『友情』でもそうした傾向が顕著だが)。

アメリカの大学の日本文学の授業で取り上げると、「なぜこの「先生」は奥さんに告白して許しを請わないのか?そうすれば必ず許してもらえるはずなのに」という質問が必ず出るそうだが、いかにもアメリカ人らしいspeak up至上主義だが、「言わない・言えない」ところにこの小説の妙味があるのだろう。そこまで読み込むと人間の「心理」を解明するというこの小説の醍醐味も分かる気がするのだが、高校の国語の授業ではその面白さが分からなかった。

小説はある程度人生経験を経ないと分からないことも多く、高校生には理解できない部分も多い気がする。読書感想文コンクールの入選作品などを見ると、早熟な女子学生の入選作などは、自分などはもう少し大人になるまでわからなかったような人間観察が含まれているものもあって感心する。成熟度によって小説の理解度も違うだろう。高校の古文の授業では『源氏物語』の比較的穏当な部分を読まされるが、『宇治十帖』の「浮舟」の心理なども純情な高校生にはわからないだろう。そう考えていくと作品に出会うという点は高校の国語の授業もいいかもしれないが、皮相な解釈を教えて、小説の本当の魅力を伝えきれず、興味を奪っている弊害もあるかもしれない。特にお仕着せの読書感想文の宿題はその傾向が強い気がする。

インターネット上には読書感想文のネタ元になるようなサイトも少なくない。先日も「小中学生のための自由に使える読書感想文」なるページを見つけた。このページの作者は、学校での読書感想文教育に批判的で、パロディとしてこのページを作っているようだが、「小学生向き」と題して、適度に下手な文章で、先生が喜びそうな実例を並べているところに鋭い批判精神を感じさせられた。大手出版社に勤める友人によれば、夏休みの小中高の読書感想文の宿題は出版社にとって稼ぎ時で、定番の小説文庫はドル箱であるらしい。学校時代に無理やり読まされた小説も、授業での読み方や何かわりきれないものを感じたら、社会人になったらまた読み直してみればいいだろう。学生の頃に発見できなかった面白さや、直面している悩みへの指針が見つかることもあるかもしれない

アメリカで読んだ『陰翳礼讃』

2005-04-07 17:17:22 | 小説・エッセイ・文学
外国で生活したり勉強しながら自分の国の文化の知らなかった側面を再発見するのは楽しいことである。アメリカの建築学の大学院の授業を聴講していた時に、学部時代に日本に留学していた学生と知り合った。彼女は学部では東アジア研究を専攻していて、日本文化に精通していたが、ある時、「タニザキの"In Praise of Shadows"を読んだことがありますか」と尋ねられた。これは言わずとしれた谷崎潤一郎の名エッセイ「陰翳礼讃」の英訳だが、恥ずかしながらその時点では読んだことがなかったので、夏休みに帰国した折に、中公文庫版を読んでみた。

谷崎といえば、『痴人の愛』、『刺青』、『卍』といった当時は倒錯的だと考えられていたデカダンな小説や、『春琴抄』や『細雪』といった何度か映画化もされている日本的な小説の作家として知られている。アメリカでも日本文化や文学に関心がある学生にはかなり読まれていて、『痴人の愛』は"NAOMI"というタイトルで、また『細雪』は"The Makioka Sisters"と訳されていて、主人公名をタイトルにするのがアメリカらしいと興味深く思ったりもした。

この『陰翳礼讃』は、蛍光灯全盛の今の日本とは違い、蝋燭や行灯を使い、暗闇や陰が多かった時代の日本を明るい照明の欧米諸国と対比しながら論じた文化論である。しかしアメリカにいてこの小論を読みながら私が思ったのは、「陰翳礼讃」しているのは、むしろ今はアメリカの方で、日本の方が照明過剰なのではないかということだった。

留学先の町はずれの空港に夜到着し、タクシーに乗って大学町の中心にある下宿に向かう途中は、街燈一つなく、まさに車のヘッドライトだけが頼りの暗闇だった。下宿も洗面所に蛍光灯が使われていただけで、あとは全て白熱燈で、電気スタンドまで白熱灯だった。大学院のレポートを徹夜で仕上げなければならない毎日だったので、この白熱灯はすぐに切れてしまい、頻繁に交換しなければならなかったが、スーパーで売っている安物の電球は交換していると金属部分だけがソケットに残ってしまい、ガラスの球だけが外れてしまって驚かされたのも懐かしい思い出である。

今は、勤務している大学の歩道でも間接照明を使ったりと、日本で暗さを楽しむ余裕が出てきたが、高度成長期の日本は蛍光灯的な明るさを一律に実現することを目標にしてきたのかもしれない。治安やコストの点、仕事の効率などを考えると日本の蛍光灯文化はそんなに悪いとは思わないが、明かりにしても、また電車内やプラットフォームの絶え間ないアナウンスに見られるような音にしても日本は「光」も「音」も過剰な国であるような気がする。外国映画に見る日本の都市の描写で、ネオンや騒音が強調されるのも、彼ら彼女らの目から見れば率直な印象なのだろう。

「陰翳礼讃」は失われた日本へのノスタルジーとして読むこともできるが、アメリカの田舎の大学町ではまだまだその世界だなあと興味深く読めた。この中公文庫版に収められている他のエッセイも大変興味深く、西洋対日本、男性対女性、関東対関西といった谷崎得意の二項対立的な比較が存分に行なわれているので、興味のある方には是非一読をお勧めしたいし、その二元論的な思考がある意味で谷崎が欧米で理解されやすい要因となっているのかもしれない。