紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

何を何で説明しているか?社会「科学」的考察のススメ

2005-09-30 16:32:08 | 教育・学問論
様々な学問分野(ディシプリン)の論文が投稿される雑誌の編集をしたことがあるが、論文の評価をめぐって、編集委員や査読者の間でこれほど評価が分かれるのかといささか驚かされた。例えば経済学部で出している雑誌や経済学の専門誌ならば、一つの論文の評価がAとDとに極端に分かれることはないだろう。しかし文学、歴史、経済学、社会学、政治学、教育学などなど様々な分野の論文が投稿されるような学際的な雑誌ではどの分野のスタンダードに合わせるのかが大変難しい問題で、実際に査読者の専門分野によって評価が真っ二つに分かれてしまうことも珍しくない。

困ったことに学者の場合は、自分がやっている分野が他の分野よりも優れているか、有意義だと思っていることが多い。一番優れていると自惚れている人もいるかもしれない。だからこそ、その分野を選択して長年、研究してきたのだろうが、学生や雑誌投稿論文を評価する際にもどうしても自分の学問分野の基準で判断しようとする傾向が強くなってしまう。

私が大学院時代に政治学の論文を書く時に注意されたのは、なるべく直接引用を避けることや、引用する場合も引用文をできる限り簡潔にすることだった。毒舌だった指導教授は、「長く引用するのは他人の原稿で原稿料を稼ぐ、詐欺みたいなものだ」と言っていた。

ところが日本の英文学の論文を見てみると、文学研究の性格上か、やたらに小説の直接引用があるばかりか、自分で日本語に訳した文章を載せるのではなく、英語の原文そのものを載せている。これだと書いている本人もその英文を正確に読めているのかどうかすら、判別できない。そうした英文学でトレーニングを受けた教授の指導の元で、例えば現代イギリスの社会問題について論文を書く学生が、同じように、イギリス社会についての社会科学的な研究書の文章をそのまま原文で引用してしまったりする。実証的な社会科学の場合は文章の美しさや押韻などはどうでもよく、データとその説明が正しいかどうかが重要なので、英文の原文を引用されても意味がないだけでなく、評価が下がってしまう。直接引用しないで、消化して(もちろん日本語で)要約せよ、ということになる。

このように文学と社会科学のように、全く違うディシプリンの間だとその壁が極めて厚いのは当然だが、「政治学」という一つの学問分野内部でも根深い対立がある。例えば征韓論をめぐる明治時代の政治家たちの対立を「ゲーム理論」で説明した論文があるとする。近年のアメリカ政治学のように、なるべく自然科学に近いように、同じデータさえ与えられれば、自然科学の実験のように再確認が可能であることが望ましいとされてくると、ゲーム理論を政治史に当てはめるような、一見、突飛な研究も出てくる。しかし伝統的な歴史学者からすれば、こうした数理モデルを使った研究は、「西郷隆盛の~年~月~日の発言を踏まえていない」とか、細かい史実から批判することはいとも容易いだろう。そうした実証的な歴史学者にすれば、一次史料を使わず、抽象モデルを使った説明など何の意味もないように思うに違いない。事実の発掘そのものに関心をもつ歴史学者と、法則性の発見をより重視する社会科学者の違いだともいえる。

統計データを使った計量分析は、経済学や社会学ではすっかり定着しているが、歴史や思想系研究者が依然として強い発言力をもっている日本の政治学界では選挙研究以外の分野ではまだまだ根強い抵抗があり、「計量分析を行なう人は数字ですべて説明できると思っている」、「計量分析による結果は、『保守的な有権者が自民党に投票している傾向が確認出来た』とか、調べなくても分かるような結論ばかりだ」といった発言がしばしば聞かれる。

しかし例えば後者について言えば、「保守的な有権者が自民党に投票する」という「仮説」が実際の選挙データで「どの程度」当てはまるかどうかを確認することに学問的な意義があるのであって、確認できれば、そうした「常識」が科学的にも実証された、ということになるし、もし確認できなかったり、部分的にしか当てはまらなければ、「なぜその選挙データに当てはまらないのか」についてさらなる研究や考察が深まる契機となって学問の発展につながるのである。「調べなくても分かる」というのは、非科学的かつ非学問的態度と言わざるを得ないだろう。

また「数字で全てを説明できると思っている」という非計量系研究者の批判も妥当ではない。なぜなら統計学や計量社会科学の場合は、まさに何をどの程度、説明できるか、できないかを数字で確認しているのであって、計量分析者ほど「数字で説明できない限界」に敏感な人たちはいないからだ。むしろ911以後のアメリカや世界を「帝国」という大雑把なキーワードで説明しようとしたり、「グローバリズム」、「支配」、「権力」、「システム」、「デモクラシー」といったビッグ・タームを多用する思想系の研究者の方が、「言葉(概念)が世界を変える」という思いに囚われすぎているせいか、一つのキーワードで複雑な社会現象を説明しきれるかの幻想に浸っているように見える。

社会調査や社会科学方法論で習う、おなじみの言葉に「説明変数(独立変数)」と「被説明変数(従属変数)」がある。数学の関数でいう、XとYに当たるのだが、例えば「親の所得水準」が「子供の最終学歴」に与える影響を調べるとすれば、「親の所得」がX(独立変数)で、「子供の最終学歴」がY(従属変数)ということになる。この独立変数と従属変数で考える習慣をつけると、社会科学的にモノを考えられるようになるだろう。

先ほどの学問分野の違いで議論がかみ合わない話に戻すと、例えば歴史学者は歴史が好きで、重要だと考えるから歴史を研究し、経済学者は経済が重要だと考えて研究している。例えばブッシュ大統領が2004年11月に再選されたという同じ現象(従属変数)を見る場合も、経済学者はアメリカの景気動向から選挙結果を説明しようとしたり、歴史学者がアメリカの草の根の保守主義の伝統から説明したりする。経済学者は「経済が分からなければ、政治はわからない」というし、歴史学者は「歴史が分からなければ、現代政治はわからない」と言うだろう。実際には、それぞれの学者が自分の分野での独立変数を使って説明しているに過ぎず、別の独立変数を使えば、全く違った説明ができるのである。その自覚が少ない学者が多い気がする。

現代アメリカ外交の事例を「孤立主義」の伝統との関連で説明する人もいるかもしれないが、それはあくまでもその人が「孤立主義」というレンズから眺めているから、そう見えるのであって、レンズをかけることでかえって見えなくなることも少なくないはずだ。安易な経済還元主義、歴史還元主義の危険性はここに潜んでいる。

違った分野や、違った方法論を使った人々同士で研究についての建設的な対話を行なうためには、まず、自分はある角度からの説明を試みているに過ぎないという「限界」の自覚が必要だろう。私が計量分析を学んで一番有用だったのは、「どの程度」説明できるかという「程度」の問題に敏感になったことである。「帝国」という言葉でアメリカ外交を説明している人たちは、「全て」を「帝国」という言葉で説明しようとしていて、どの「程度」説明できて、できないのかについて明らかにしていない。それでは「テロリストの側につくか、我々の側につくか」と世界を暴力的に二分化したブッシュ大統領のレトリックと同レベルの単純さだと言わざるを得ないだろう。

もちろん自分野の社会的有用性をアピールする必要もあるだろうから、分かっていてあえて議論を単純化して、自分が得意な「独立変数」で全て説明できるような顔をしている人もいるかもしれない。複雑な社会を単純化して説明するのも社会科学の役割の一つである。しかし相互に関連しあった社会現象をより正確に理解するためにはなるべく複数の独立変数を使って説明した方が結局は理解しやすいだろう。「何」を「何」によって、どの「程度」説明できているのかに注目することで、自分の専門外の研究書も批判的に、より科学的に読むことができるようになるだろう。

私的エッセイと公的発言の間で-ブログ1周年にあたって-

2005-09-28 16:17:14 | 日記
今日、9月28日でこのブログを書き始めてちょうど1年を迎えた。最初は担当している『アメリカ社会論』の質問に対する答えのストックが溜まり始めたので、一般に公開しようと思ってはじめた。第1回目(2004年9月28日)が「アメリカにおける保守とリベラル」、翌日が「黒人の民主党支持」といった具合で、よく聞かれるポイントを簡潔に説明しようとしたものだった。10月17日の「受刑者大国アメリカ」あたりまではそのパターンで書いていたのだが、この辺で大分長さも長くなり、評論調になってきた。
 
台風で授業が休講になったのをきっかけに、初めてアメリカ解説と身辺雑記を交えて書いたのが10月20日の「日本の大学と休講」だったが、この時、同僚の一人(実は出身大学院の先輩でもあるのだが)に面白いと言われた。以後、やや調子にのって評論を書くようになってしまった。彼は毎回熱心に読んで、「改行なしで長すぎるエッセイは読みにくいから、もう少し切れ目を入れてくれ」と助言までして下さった。

この1年間で書いた記事が81本なので、週二回ペースにも達しておらず、全体としては決して多くはない。2004年12月、2005年5月のように一回しか更新できなかった月もあったが、ブログを書くようになって、日常生活での観察や考察、専門外の読書の習慣などが以前よりも深まってきたのはよかったと思う。81の記事のうち、ブログ上でコメントを頂いた記事は17とこれも多くはないが、先ほどの同僚を含め、ゼミ生を中心とした周囲の学生や友人たちがいろいろと感想を寄せてくれた。特に同僚から面と向って「読んでるよ」と言われるのは恥ずかしいことであるのだが、自己満足に終わりがちなブログがそうした周囲の方々のコメントのおかげで、「目に見える」読者層を意識できて、書き甲斐が出たことは確かで感謝している。

周囲の方の反応があった記事をいくつか振り返ってみたい。2004年11月30日の「テレビは『自ら助くるものを助く』か?」は、アメリカでの人生相談型のトークショーに触れたものだが、初めてトラックバックしていただいた他、アメリカで生活していた院生もショーを見ていたらしく面白いと言ってくれた。12月27日の「正しい見方は誰が決めるか」は、自分としては言いたいことの半分も書けなかった記事だが、差別や偏見のない「正しい」表現、アメリカ流に言えば「ポリティカル・コレクトネス(政治的適正表現)」についての私見を述べたものだが、ブログ上で学生の一人からコメントを頂いた他にも、何人かの方から意見を頂いた。
 
2002年2月2日の「参政権と日本の若者」は、授業で選挙に行ったことがない、あるいは関心がない若者に選挙の重要性を教える難しさについて書いたものだが、先日の総選挙で周囲の学生を含む若者たちが大きな関心をもち、投票に出かけていた様子を見ると、状況次第で大きく変わるものだと思わされた。この記事の中で在日韓国人学生が参政権が無いことについて言及しているのだが、記事を読んだ、知り合いの在日韓国人学生が「自分の問題として読んだ」とメールをくれて、「参政権をもてないことは残念だが、自分の周囲の若い在日の学生たちも最初から政治に関心がない人も少なくない」という感想を寄せてくれた。2月12日の「反体制アニメと家族像」といったとっつきやすいトピックは学生には興味深かったようだ。
 
やわらかい話題を取り上げた時は同僚や周囲の人から「面白かった」と言われることが多く、例えばゲーム理論と絡めて男と女の見方の違いと埋め難い溝について書いた3月20日の「尽くす男は存在するのか?」も多くの方から興味深い感想を頂いた。テーマとしては先ほど挙げた「正しい見方は誰が決めるのか」同様、社会科学や社会評論に携わるものなら誰もが悩まされる、どの立場でどう発言すれば、「偏見」という謗りを受けずに済むのかという切実な問題について、私としては真面目に書いたつもりだが、軽い読み物として面白がられたようである。

大学の公開講座や研究会、または大学の広報誌で発表した原稿を転用したものもいくつかある。2004年11月3日の「メインストリートの再生」、2005年3月11日の「グローバル化はアメリカ化か?」、3月28日の「住民自治の功罪と対立するコミュニティ観-アメリカの場合-」、8月17日の「大都市が作る政治社会学-シカゴ、ニューヨーク、ロサンゼルス-」などがそうだが、どうしてもブログとしては専門的で長く、分かりにくい文章になってしまった。

同僚や友人からしばしば言われたのは、アメリカ政治を専門にしている私が「意外と」日本の文学や古典に興味をもっているのではないかということだった。しかしおそらく高校時代の友人からすれば、むしろ今、政治学を専門にしている方がやや意外で、国文学をやっていると言っても驚かないかもしれない。高校時代は古文・漢文が一番得意だったのだが、アメリカ政治を専門にするようになってからそうした経験を少しも生かすことができないのを残念に思っていた。
 
読み返してみると、昔の趣味がブログの題材選びにも出ている気がする。3月8日の「『葉隠入門』と『堕落論』にみる、生と死の哲学」、4月7日の「アメリカで読んだ『陰影礼賛』」、5月3日の「国語の授業で読んだ本を再読する」、7月24日の「『危険な関係』と平行線の粋」、8月15日の「ラストシーンから始まる人生:計画家・三島由紀夫」、8月18日の「『三酔人経綸問答』を再読する」などがそれに当たるが、日本の文化や文学が分からなければ日本の政治や社会を理解することはできないし、アメリカの社会や政治を学んでも、最終的には日本の社会や政治の改革につながらなければ何の意味もなく、単なる趣味に終わってしまうと平生思っているので、こうした関心は持ち続けてゆきたい。自作の詩を載せるほど恥知らずでもナルシストでもないが、何度か有名なをとりあげてブログを書いてしまった。これらは概して評判が悪かったので、今後はおそらく?登場することはないだろう。

大学での日常や教育についてダイレクトに書いたブログは、学生や同僚からいろんなご意見を頂いた。愚痴っぽくなってしまったものや口が滑りすぎた記事も少なくなく、反省もしている。8月18日の「真の反骨精神・批判精神とは」は、大学界にはびこる権威主義、反権力の新たな「権威」化とそれに安住する知識人の問題点について、日頃から思っていることを書いたものだが、何人かの学生からコメントをもらって、若い世代にも趣旨が伝わるのだなあと少し安心した。
 
ブログでは硬い話題と柔らかい話題を使い分けているが、硬い話題、特に大学教育関係について書くと、後で読み返すと、とても偉そうな口調になっているように感じられ、「おまえはどうなんだ?」という声がどこからか聞こえてきそうで内心忸怩たるものがある。このブログでは、全くの私的な日記やエッセイでなく、ある程度、公共性のあるテーマについて自分なりに責任をもって発言していきたいと思っているのでなおさらである。それがどこまでできているかは読者の方々に判断していただくしかないだろう。

一周年ということで、「楽屋オチ」のようなブログの舞台裏の話がつい長くなってしまったが、この辺にしたいと思う。この場を借りて、日頃ブログを読んでいただいて、様々な機会にコメントや感想、激励して下さった方々へ心からのお礼申し上げたい。

「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」-堀田善衛の『明月記』論にみる反骨精神

2005-09-25 16:13:17 | 小説・エッセイ・文学
あと数日でブログ開設1周年である。既に気付いている方も多いかと思うが、このブログのタイトルである「紅旗征戎(こうきせいじゅう)」は、『新古今和歌集』や『小倉百人一首』の撰者として知られる、平安時代の歌人・藤原定家(1162-1241)の日記『明月記』の有名な一節、「世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事二非ズ」から取ったものである。
 
時に源平争乱の時代。紅旗、つまり朝廷の旗(または天皇を奉じた平氏の旗と解する場合もあるようだが)による、征戎、つまり朝敵の征伐など、私は知ったことではない、という当時19歳の定家の非政治的・芸術至上主義を宣言したものとして知られている。私の専門である政治学はまさに「紅旗征戎」、つまり戦争と平和、騒乱と秩序の回復、デモクラシーなど支配の正統性をめぐる学問であるが、定家自身もこの発言とは裏腹に政治に翻弄され、日記を書き続けた。そうした定家の思いになぞる意味で、ブログのタイトルに好適ではないかと選んだ。
 
去年の9月に始めた時はネット上に定家やこの言葉をめぐるホームページは多数あったが、このタイトルのブログはなかったのでよいと思ったのだが、調べてみると今年の3月から、国文学を研究されている方が「贋・明月記―紅旗征戎非吾事―」という開設されていたようだ。

『明月記』は難解な漢文で、専門家以外は通読しがたいものだが、作家の堀田善衛氏による『定家明月記私抄』、『定家明月記私抄(続編)』という手頃な解説書が文庫で出ており、気軽に触れられるようになった。堀田氏の解説本を読んでいて興味深かったのは、第2次大戦中、20代の文学青年として「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」という言葉に出会い、衝撃を受けて、「自分がはじめたわけでもない戦争で」死ぬかもしれない、「戦争などおれの知ったことか」と言いたくてもいえないと胸の裂けるような思いをしてから、40年間、『明月記』に付き合い、ようやくまとめたという重みだった。そのため定家の気持ちを代弁する形を取りながら、堀田氏自身の批判や反骨精神が随所に溢れている。

堀田氏は後鳥羽上皇の放蕩・乱倫、平安時代の婚姻制度の非人間性に対する素朴な驚き、崇徳院の革命思想に対する畏怖などを自分の言葉で語っている。行間に堀田氏自身の貴族政治や天皇制に対する批判が満ちている。堀田氏は朝鮮戦争期の新聞記者の苦悩を描いた『広場の孤独』で芥川賞を受賞したが、院政や貴族制にたいする堀田氏の厳しい視線に、彼の小説同様の左翼的な政治傾向を読み取るのは容易かもしれない。
 
堀田氏は伝統芸能の世襲、家元制度を厳しく批判して、「(芸術が)家のものとなったりしたのでは、爾今独創を欠くものとなることは当然自然であり、存続だけが自己目的化して行く。縄張り集団の成立であり、それは日本において(中略)俳諧、連歌、茶、能、花道等々、すべてがこのパターンを取る。存続だけが自己目的化することにおいて、天皇制もまた例外ではない」(269頁)などと述べている。この言葉にも彼の姿勢がよく出ていると言えるだろう。

しかし堀田氏の『明月記』解説の真骨頂は、芸術運動と芸術至上主義の捉え方にあるのではないだろうか。堀田氏は、後白河法王が当時の流行歌である「今様」に凝り、有名な『梁塵秘抄』を編纂したことに触れ、「上層階級が想像力、従って創造力が欠けて来て、歌に歌を重ねる自分自身の真似ばかりをするという自動運動(オートマティズム)をはじめるとき、そこに生ずるものが階級への下降志向である」(237頁)と捉え、今で言うポップカルチュアに鋭敏だったと賞賛されることの多い後白河の姿勢を、むしろ宮廷文化の行き詰まりと創造力の欠如の現われとして批判的に捉えている。同様に堀田氏自身がかつては「その抽象美を日本文学史上の高踏の頂点であり、現実棄却の文学の祝祭」とまで賞賛した新古今集の世界を、文学として頂点を極めたということは、あとは袋小路ということで、「その先にあるものはデカダンスのみであり、現実を棄却して文学によって文学をするものは必ずや現実によって復讐されるのである」(236頁)と断じている。

マラルメ、パルナッス、ホイジンガといった、王朝文学論ではまず出てこないような固有名詞が飛び交い、堀田氏の西欧文学・文化の知識を縦横に駆使して論じる本書は、国文学の門外漢である一般読者としては大変興味深いが、堀田氏の平安文学に対するまなざしや問題意識は現代的すぎると批判することも可能だろう。
 
歴史家の場合は、研究対象となる時代背景に寄り添うように理解することが求められるだろうから、堀田氏のように現代を生きる自分の問題として定家の日記を読むのは、あるいは邪道かもしれない。しかし歴史学者が『明月記』に書かれている有職故実のディテールや当時の平安貴族の生活についての事細かな専門的描写をした論文を読むよりも、堀田氏自身の体制批判の精神と芸術創造者としての自負が漲った解説ともに定家の日記を読む方が、時代を超えて、浮世渡世の悩みを共有できる、知的で楽しい経験に違いない。自分と同年代の時に定家がどうしていたのかが気になって読んでみたが、出世の遅れの愚痴と貧窮の記述ばかりで残念であった。ともあれ、芸術と政治、戦争と文学、ハイカルチュアとポップカルチュア、芸術の階級性、貴族社会の文化と構造、伝統芸能の継承など様々な問題に思いを巡すことのできる好著だと思う。

ハリケーンと市政改革:テキサス州ガルベストン市

2005-09-23 16:08:18 | 都市
ハリケーン「カトリーナ」がニューオーリンズに壊滅的な打撃を与えたことは日本のテレビニュースでも連日報道されているが、新たにメキシコ湾に近づいている、同規模のハリケーン「リタ」のニュースも大きく報じられている。このニュースを聞いていて思い出したのだが、リタが近づいているテキサス州ガルベストンという町は、アメリカの地方自治の教科書ではおなじみの都市なのである。

ヒューストンから50マイル南に位置し、写真に見るようにまさにメキシコ湾に面した人口6万人の町ガルベストン市は、夏には海水浴客で賑わい、漁港としても知られている街だが、約100年前の1900年9月8日、ハリケーンの襲来で壊滅的打撃を受け、3000世帯の家屋が全壊し、8千人ものの死者を出した、アメリカ史上、最大規模の自然災害の一例として記憶されている。

アメリカの場合、市町村レベルの自治体は州によって設立・承認されることになっているが、ガルベストン市政府はこの災害にうまく対処できず、機能不全に陥ったので、テキサス州知事が州議会に圧力をかけて、全く新しいタイプの市政制度が同市で施行されることになった。それが市委員会制度というものである。アメリカの地方自治を日本人の感覚で捉えると分かりにくいが、日本の場合の市町村は全て、アメリカで言う「市長-議会制 mayor-council form」という仕組みをとっている。つまり市長も市議会議員もともに選挙で選ばれる二元代表制である。
 
それに対してアメリカの市町村の約半数(48%)が、市議会がシティ・マネージャーと呼ばれる行政責任者を任命して、行政全般を統括させる「マネージャー-議会制 manager-council form」というしくみをとっている。「市長-議会制」でなく、非公選のマネージャーが行政を統括する方がよいと考えられたのは、19世紀末から20世紀初頭のアメリカ大都市では移民の急増により、移民に仕事の斡旋などをする見返りに、選挙での特定の候補への投票を呼びかける、いわゆる「政党マシーン」が市政を支配しており、市長は「マシーン」を支配するボスの意にままに動かされていた。こうした政治腐敗を一掃するために、選挙によらない行政管理のプロを選んで、効率よい都市運営を行なうことが期待されたのだった。それがいわゆる「市政改革運動」と呼ばれるものである。ガルベストンの場合は、災害が転機になり、新たに「市委員会制度 city commission form」が導入されて、1904年までに市の完全再建を成し遂げたのだった。

この市委員会制度とは、有権者が例えば5人の委員を投票で選び、彼らがそれぞれ公共安全、公共事業、財政、公園管理、地域開発といった市の行政各部の分担責任者となる仕組みである。委員が市議会議員と行政各部門の長の役割を兼ねることになる。市長と議会の対立が都市政治の主要な側面だとすれば、この委員会はそうした「政治色」を極力排除したものである。ガルベストンでの成功の後、テキサス州内のヒューストン、ダラス、フォート・ワースといった主要都市や他州のピッツバーグ(ペンシルべニア州)、バッファロー(ニューヨーク州)、ナッシュヴィル(テネシー州)、シャーロット(ノースキャロライナ州)など一時は全米160の自治体でこのしくみが採択された。

しかし政治に興味がある方なら容易に想像がつくと思うが、強力な政治的リーダーシップを発揮する市長不在で、行政各部門の代表が合議して決めるこの仕組みは、それぞれが自分の部門の利害の代弁者となってしまい、総合調整機能が働かないため、話し合いがまとまらず、また行政部と立法部を兼職するため、チェック機能も働きにくく、市政制度としては問題が多いことが判明し、やがて廃れていった。
 
国際シティ・マネージャー協会(ICMA)の2005年の調査によれば、人口2500人以上の全米7112自治体のうちで、委員会制度を採用しているのは、わずかに2%(145自治体)に過ぎない。ガルベストンの場合も、災害復興という明確で短期的な目標があったからこそ機能したのだろう。このガルベストンも現在では委員会制ではなく、マネージャー-議会制を取っている。人口10万人以上で現在でも委員会制を取っている都市としては、オレゴン州ポートランド市(人口約53万人)がある。ポートランドでは現在、4人の委員と1人の市長、会計検査官が選挙で選ばれ、このうち市長と委員が行政を担当すると同時に、市議会構成員を兼ねている。「市長 mayor」という名称が使われているが、「同輩中の首席」委員という意味に過ぎず、強市長制の都市のようにリーダシップを発揮できる訳ではない。

イラク戦争に対する国際的な批判にも反応が鈍かったアメリカ国民だが、州兵をイラクに大量派遣しているために、「カトリーナ」に対する対応がうまく行かなかった事実に直面して、ようやくブッシュ政権批判を強めるようになった。日本の場合も阪神大震災の際に、政治的な理由で自衛隊出動要請が遅れたことが被害の拡大につながったと後に指摘されたが、大災害は日頃、見過ごしがちな政治システムの問題点を容赦なくあぶりだしてしまう反面、911テロで活躍したジュリアーニ前ニューヨーク市長が、共和党の次期大統領候補と目されるまで政治的知名度を向上させたり、中越地震の被害地の旧山古志村村長が今回の総選挙で衆議院議員に当選したりと、災害が(結果的にかもしれないが)政治家個人のキャリア・アップの手段となってしまうこともあるのが何とも皮肉だといえる。

災害が起こったときに、被害の拡大を安易に「人災だ」、「行政の責任だ」と決め付けるメディア報道も少なくないが、個人の住宅が仮に一定の安全水準に達してなかったとしても、行政サイドが建て直しを命令することはできないし、台風やハリケーンが来た場合に土砂崩れが起こりそうな地域の住民に対して、災害も起こってない段階で安全な地域への引越しを命じたりすることもできない。移動や居住の選択の自由や財産権の保護などの観点に立てば、私権の制限を伴う、日常の防災には自ずと限界があるだろう。日頃から市民の防災意識を高めておくと同時に、一旦、事が起こった場合の危機管理対策を充実させておくことこそ行政の任務であり、行政にできることと、市民が日頃から自らの安全は自ら守る意識を高めることが相補いあわなければ、防災行政の効果はあがらないに違いない。

人は自分に嘘をつくため、他人に嘘をつく-「嘘」と「言い訳」の間-

2005-09-20 15:37:28 | 世間・人間模様・心理
どの国に生まれた子供でも「嘘はついちゃいけないよ」と親から教えられて育つはずだ。にもかかわらず私たちは日々、嘘に囲まれて生きている。嘘をつくことを覚え、嘘を見抜く術も学び、大人になっていく。しかし嘘をつかれるのはいくつになっても愉快ではない。分かりきった嘘や言い訳を平然とする人に直面すると、「こんな嘘で騙せると思っているのか」と腹が立つと同時に、すぐにばれるような嘘をつく相手を哀れに思ってしまうこともある。「平気で嘘をつく人」とインターネットで検索をかければ、大体、「嫌いなタイプ」「嫌いな人」のところで挙げられている。それでも平気で嘘をつき続ける人たちは一向に減る気配がない。

研究室にいても常に怪しげな投資勧誘の電話がかかり、電子メールではミエミエのスパム・メールが毎日舞い込む。オレオレ詐欺や振り込め詐欺のニュースも絶えることがない。テレビでは何故かホストの生態を年中放送している。いったい嘘を職業にしている人たちはどんな思いなのだろうかと考えてしまう。昔の感覚で言えば、地獄に堕ちて閻魔様に舌を抜かれるのだろうが、宗教的モラルも良心の呵責も感じない人にとっては平気なのだろうか?昔、結婚詐欺で捕まった男が、「騙したのではない、『夢』を売ったのだ」とうそぶいたそうだが、まさにそうやって正当化し、自分をも騙し続けているのかもしれない。

最近、『言い訳』本が売れているという。本屋に行くと様々な言い訳本が並んでいる。大学を卒業して、ゼミ仲間で最初に飲み会をやった時に、銀行に勤めた友人が『言い訳』本を買っていたのを思い出した。学生時代、歓楽街の客引きにも怖がるような生真面目な男だったから、上司に上手く言い訳する術が見つからなかったのだろう。しかし今、ベストセラーになっている本を見てみると、大体、悪い言い訳の例を列挙しているか、または言い換え表現を載せているのだが、言い訳する相手との信頼関係がない限り、結局、できなかったことやできないことについて釈明せざるを得ないのだから、どんなに上手く言い訳しても解決しないどころか、かえって誠意のなさを感じさせるだけだろうと思った。「巧言令色少なし仁」という言葉がまさに思い浮かぶ。

そんな「言い訳」と「嘘」にうんざりしていたある日、本屋で、チャールズ・V・フォード『嘘つき-嘘と自己欺瞞の心理学』(草思社)という本と出会った。アラバマ大学の精神科の教授が書いた本で、いわゆる『言い訳』本とは一味違ったアカデミックな分析が載せられていて、大変面白い本だった。今回、タイトルで掲げたように、この本では他人につく「嘘」を、自分を騙す「自己欺瞞」との相関関係で分析し、その功罪を論じている。

「自己欺瞞」と嘘とは必ずしも同一でないが、嘘のメリットとして、自己欺瞞が出来る人はうつ病にかかる率が低いという結果が示されている。自分を責め続け、反省ばかりしていると鬱になりがちだが、ポジティブ・シンキングと言うべきか、将来を楽観し、自分の能力を信じ、自尊心を高める能力が高い人は精神障害にかかりにくいのだろう。これを「自己欺瞞」と呼ぶのは日本語の語感からすると抵抗があるが、なるほどと思った。しかし「下方的自己欺瞞」という、自分の能力や可能性を低く思い込むこともあるようなので、いい方に自分を騙す場合にのみ、評価できることなのだろう。

また集団思考を集団的な自己欺瞞として捉えている点も興味深かった。官僚主義的な組織がその組織内部でしか通用しない考え方を、「これが正しい」「こういうやり方しかない」「今までやってきたから間違いない」と思い込んで、間違った結果や過失につながっている例は歴史上後を絶たないが、結局、「だます」ことは「真実」でない以上、いろいろ無理が出てくるのは否めないのだろう。そう考えるとポジティブな自己欺瞞でもどこかで破綻してしまうのではないかと思わずにいられなかった。

嘘は一般に非道徳的なものだと考えられがちだが、本書はその点にも反論し、「真実の道徳性が一般大衆の間に広められるのは、それが権力構造の体制維持に役立つからだ」と指摘している。権力の座にあるものの「嘘」は組織や体制の利益のために役立つと正当化されるのに、一般構成員の「嘘」は組織にとって有害とみなされるのだと言う。プライバシーや個人の権利を権力者から守るための「嘘」は必要不可欠という立場から、著者のフォードは、「個人、社会、および人類にとって最も大きな危険は嘘ではなく、相互に強化される自己欺瞞」だと結論づけている。

しかし嘘が広まった社会は人間間の相互不信が高まった社会であり、それによる社会的紐帯の弱体化の可能性は否定できないだろう。近年、政治学でキーワードとなっている言葉に「ソーシャル・キャピタル(人間関係資本)」がある。これはロバート・パットナム・ハーバード大教授が提唱した概念だが、自治や行政が上手く作用する前提条件として、人々の間の信頼のネットワークやその蓄積が重要だというものである。日頃、お互いに嘘ばかりつきあっている人々の間で果たして、いざという時に助け合えるような「信頼」関係が築けるだろうか?実際、このフォードの著書で紹介されている対人心理学の実験では、会話中の人間のいずれか一方が嘘をついている時には、相手方がその嘘を気付いていないのに関わらず、互いの印象が悪化するという結果を示したとのことである。嘘に伴う非言語コミュニケーションが嘘をつく側にも、相手側のいずれにも親密な感情が生じるのを妨げるのだという。嘘をついた人にもつかれた人にもよく思い当たる知見だろう。

「人間は、自分のいうことを自分で『信じている』時により効果的に嘘をつく」と著者は言う。嘘ばかりついているうちに、いつの間にかそれが自分にとって「真実」になり、まさに自己欺瞞に成功し、さらにそれを信じて嘘をつき続けてしまうのは恐ろしいことだと思う。著者が言うように、「嘘」は本能的なもので、それ自体は道徳的でも非道徳的でもない、と自然科学者の立場からは言えるかもしれないが、社会的動物である人間を考える場合に、自己防衛的、緊急避難的な「嘘」はともかく、不必要な嘘、自己利益だけを考えた嘘、信頼関係を損なうような嘘は「非道徳」的として非難されても仕方がないのではないかと本書を読んでも思わずにいられなかった。それは「権力者の側に都合がいい」からではなく、「ソーシャル・キャピタル」論が言っているようにむしろ権力者に過度に頼らず、人々が自治的に協働関係を築くためにこそ、嘘のない信頼関係が重要なのではないかと思う。

江戸時代の五人組制度にせよ、イギリスやフランスがアフリカや東南アジアでの帝国主義的支配で活用した「分割統治 Divide and Rule 」方式にせよ、民衆の間の相互不信と対立を煽った方が、権力者や支配者にとっては好都合である。権力者に対抗するためには、ただの嘘つきになるのではなく、権力者に対しては嘘をついても、仲間内では嘘をつかない姿勢が必要なのだろう。本書は、「嘘」という身近だが、学問的に論じにくいトピックを体系的に論じている興味深い研究であり、心理学のみならず社会学、政治学、経済学など人間行動に関わる他の分野にも様々なヒントを与えてくれるものであろう。

小泉政治と「失われた10年」の政治課題

2005-09-17 15:10:47 | 政治・外交
9月11日の総選挙から一週間が過ぎた。参議院での否決で衆議院を解散するという異例の事態で始まった選挙戦自体が近年になく、高い関心を集めたが、結果は予想をはるかに上回る自民党圧勝に終わった。メディアの興奮も冷めやらぬままで、郵政民営化法案に反対した参議院議員も「民意を踏まえる」と称して賛成の意を示し、また大幅に議席を減らした民主党の次期代表もようやく今日、2票差という僅差で、前原誠司議員に決まったところである。

小泉純一郎という存在を知ったのは1988年の竹下内閣に厚生大臣として入閣した時だったと記憶しているが、その後、彼は自社さ連立の村山政権時の95年9月に行なわれた自民党総裁選で、橋本龍太郎が規定路線になっているにもかかわらず、あえて立候補し、橋本の304票に対して、87票を得て注目された。当時から一貫して郵政民営化論者として知られており、また1997年には議員勤続25周年表彰を辞退したり、また電車で国会に通勤していた時期があることが伝えられるなど、永田町の常識では「変人」だが、世間や新しい時代の感性に近いことを既にアピールしていた政治家だった。1998年の自民党総裁でも最大派閥の田中~竹下派直系の小渕恵三に挑戦し、再び敗れたが、森首相退陣表明後に行なわれた2001年の総裁選で、3度目の挑戦にして、本命の橋本を破り、総裁となり、小泉ブームを引き起こしたことは記憶に新しい。今回の総選挙は、第一次小泉政権成立直後に行なわれた参議院選挙での自民党圧勝を上回るもので、電撃的な訪朝と歴史的な日朝首脳会談などで一時は盛り返したが、すっかり低迷していた小泉人気に再び火をつける結果となった。

よく指摘されることだが、小泉首相の政治手法の特徴は自分に反対する勢力を「抵抗勢力」、「既得権者」と位置づけ、自らの改革者イメージを演出するのに長けていることである。ワンフレーズ・ポリティックスと呼ばれる短い標語だけで語るやり方やテレビ映りを意識したパフォーマンスがそれを助けている。政治家も芸能人も同じレベルで語るのが好きな日本の政治報道において、特にわかりやすい映像を求めるテレビにとって、小泉首相ほど次から次へと「絵」になる話題を提供してくれる有難い存在はいないだろう。郵政反対派に対抗する「刺客」候補の擁立、郵政公務員を「既得権者」と名指しし、国民に直接問いたいと呼びかける自民党のCMなど、政権担当者としての権力と、権力の座にありながら既存の秩序を破壊しているかに演出するテクニックを併せ持っているのだから、予想外の解散で慌ててマニフェストを持ち出して、愚直に政策論争を行なおうとした地味な岡田民主党に勝ち目がないのは明白だった。

しかも民主党の支持基盤である労働組合が、まさに「既得権」の象徴としてターゲットにされており、昨年から大阪市など自治体での問題点も世間の注目を集めていたところであった。本来は既存の利害を打破し、新しい世の中を作るのを目指すはずの「革新」政党が、護憲や生活防衛として既得権の維持を訴えるという意味で「保守的」になっているのに対して、グローバル化やそれに伴う新自由主義的な競争に対応しようとする小泉自民党が、郵政民営化や規制緩和、公務員改革などの既存のシステムの抜本的な「革新」を標榜するという図式である。こうした相違は単に政策上の差だけでなく、「新旧」や「世代交代」についての野党の感覚の鈍さにも現れており、例えば自民党執行部が中曽根・宮沢・橋本といった首相経験者の高齢大物議員を引退させ、立候補させなかったのに対して、社民党が土井たか子を立候補させ、落選させていることや小泉首相が8年も前に辞退した議員勤続表彰を民主党議員がいまだに受け続けていること、自民党の世襲体質を批判しながらも民主党は菅前代表の長男など今回の総選挙でも35人もの「世襲」候補を擁立したこと等にもよく現れている。有権者はそうした野党の「鈍さ」「古さ」を敏感に感じ取っているに違いない。

55年体制下では汚職などの政治腐敗の問題に対して、「何でもあり」の自民党支持者よりも野党支持者の方がよい意味で「潔癖」だったはずだが、「批判勢力」として期待する、そうした有権者の信頼を当の野党がこの10年間、裏切り続け、秘書給与詐取、学歴詐称、年金未納問題など相次いで発覚したスキャンダルで政治不信を深めた罪は大きいだろう。「護憲」を標榜する社民党が執行猶予中の候補を公認するようでは、本当に「法の精神」があるのだろうかと疑わざるを得なかった。野党が与党に選挙で勝つためには、野党政治家に与党政治家以上のモラル・スタンダードが求められるのであり、与党政治家と同じように腐敗しておこぼれにあずかっていたのでは、いつまでたっても万年野党の地位から脱することはできないだろう。それに対して女性スキャンダルや金権スキャンダルで足元をすくわれなかったのが小泉首相の強みだった。

大衆政治家としての小泉首相のもう一つの武器は、芸能人のようにテレジェニックさ(テレビ写りのいいこと)を十分意識し、それを臆面もなく発揮し、右に掲げた写真集を出したり、自分の写真を全面に押し出した自民党ポスターを作ったりしていることである。イギリスのブレア首相もアメリカのクリントン元大統領もそうだが、メディア時代のマスデモクラシーにおいて政治的リーダーのルックスの問題は演説力と同等かそれ以上の重みをもつものである。この点でも野党に小泉首相に対抗しうる人材がいなかった。

小泉政権が推進している「小さい政府」路線は戦後日本には少なくとも中曽根政権までは存在しなかった選択肢で、自民党も社会党も共産党も公明党もみな「大きな政府」志向で、中央から地方へ、高所得者から低所得者へ、工業セクターから農業セクターへの再配分を政府の力で積極的に行なう路線だった。日本の政党はアメリカで言えば、みな「民主党」型の社会民主主義政党で、共和党タイプの政党が日本にはないと言われ続けてきた。今回の選挙報道では「小さい政府」という言葉がすっかり定着した観があった。こうした変化は小泉政権の成果というよりもバブル崩壊後のいわゆる「失われた10年」と呼ばれる90年代から現在までにかけて、深刻化する財政赤字とそれに対する国民の認識の深まりや少子高齢化による将来に対する不安から来ているものなのだろう。

小さい政府路線による財政の健全化、地方分権、規制緩和、郵政民営化、国連安保理常任国入りの追求、対中円借款の見直し、自衛隊の海外派遣、憲法改正論議など小泉政権が推進してきた政策もまた小泉が常に対抗してきた田中~橋本派の各政権でもこの10年間少しずつ進められてきたものである。郵政民営化が最後のタブーで特に田中~橋本派の抵抗の強いものであったとは言え、衆議院では可決できるだけの同意を得るところまで来ていたのである。かつては「聖域」であったコメ市場の開放も1993年の細川内閣で行なわれたように、永久に既得権が守られる領域はないので、確かに小泉首相が言うように「改革に聖域なし」なのであり、変化を求めていくのが政治本来の姿であるはずだ。

そのように考えると、自民党圧勝のインパクトや小泉首相のパフォーマンス的な部分にばかり関心が集まり、人によっては「ファシズム」だといった安易なラベルを貼って批判しているが、グローバルな政治的経済的変化に対応するために各政権が積み重ねてきたことを分かりやすく、いささか派手に非妥協的に追求しているのが小泉首相であって、それに対して国民も「感覚的」に理解し、支持を与えているのが今回の選挙結果だと言えるのではないだろうか。「小泉革命」と呼ぶのは、あきらかに言いすぎだろう。郵便局が減るのは困るが、それだけ言っていても21世紀は乗り切れないだろうという認識が国民の中にあったはずである。ただ投票率が67%と高かったのは、自民党公認候補と郵政法案反対派の非公認候補の対立など、結果がどうなるかわからない面白さにも左右されたことは否定できない。そう考えると地方の首長選挙での投票率が低いのは、共産党以外の各政党が相乗りして、事実上、選択肢のない「無風選挙」ばかりが行なわれているせいであり、地方の首長選挙でも地方をどう活性化するのかについて複数の候補が様々なアイディアを出して論争しあうような状況が生まれれば、選挙そのものも活性化するはずだ。単に有権者の無関心に原因を帰するべきではないことがよくわかる。

小選挙区制は従来の中選挙区制と違って、同一政党からの複数の候補が当選する可能性はなく、過半数を取らないと議席を得られないので、各政党から一人ずつ出た候補の間で政策を争うべきシステムであり、その意味で総裁をはじめとする自民党の方針が「郵政法案」推進だったら、反対派の候補は公認しないのが当然であり、「賛成派」の選択肢を提供するという小泉首相の主張は妥当であった。「刺客」とか「非情」という言葉は当たらないのである。しかし「国民全体」の代表であり、特定の「選挙区」や「有権者」の代弁者ではないのが建前の国会議員でも、有権者は、候補者の「人柄」と候補者の所属「政党」の両面から判断するので、いくら小選挙区制といっても公明党や共産党のような組織政党の場合は別として、自民党や民主党の場合は政党の「政策」のみならず、というよりむしろ「候補者」の顔や名前をみて投票する有権者が多いだろう。無党派有権者の場合はなおさらである。その意味で魅力的な候補者をなるべく多く擁立しなければならないのであり、そのためには政権を取る可能性が高くなければ有能な人材が集まらないだろう。政策のみで訴えようとして、魅力的な候補が十分そろっていない野党の弱みはここにある。民主党にならって候補者の公募制を今回の選挙で積極的に導入した自民党だが、民主党が政権奪取する可能性が低くなればなるほど、公募にしろ、勧誘するにしろ、有力な候補を集めることはますます難しくなるだろう。

有権者はバランス感覚を備えており、今後の自民党政権の動向や特に消費税税率やサラリーマン新税など増税問題の推移などで、次回の選挙の結果は大きく左右されることになろう。その意味で今回の自民党の圧勝を「2005年体制」の成立、「自民党の都市政党への完全脱皮」などと安易に位置づけることはできないだろうが、「政権交代」のある健全なデモクラシーを実現するためには、国民の世論とも時代の変化ともタイムラグを大きく示している野党の側の方針転換と、何よりも魅力的な政党リーダーの養成と候補者の発掘が急務だといえるだろう。

最高裁判事に見る日米の相違

2005-09-09 14:49:07 | 政治・外交
以前、アメリカ人の政治学者と話した時に面白い発見があった。日本人の私が彼の前でアメリカの地方自治について研究報告し、アメリカ人の彼が日本の地方自治について報告したのも興味深く、いろいろ刺激を受けたが、自ずと日米の政治制度の比較が話題になった。最高裁判所の政治的役割について、司法が政治的判断を積極的に行なう「司法積極主義」のアメリカの最高裁は面白い判例が多いと私が言ったのに対して、彼は流暢な日本語で、「選挙で選ばれない最高裁判事が国の方向性を決めてしまう判断をするのは危険で、その点で日本の最高裁判事の国民審査はとても民主的でよい制度だ」と褒めた。

今週末、9月11日の総選挙と同時に最高裁判事の国民審査が行なわれる。選挙管理委員会によって選挙公報とともに『最高裁判所裁判官国民審査公報』が配達され、最高裁判事の略歴と関与した主要な判例が載せられている。アメリカの連邦最高裁は、憲法判断をなるべく回避する日本の最高裁と違って「違憲」判決を多く出しているだけでなく、その場合も意見が5対4、6対3と判事の間で分かれることが珍しくない。良くも悪くも判事の政治的イデオロギー的立場がはっきり反映されるのだが、今回の『公報』で挙げられている日本の最高裁判事の主要判例はほとんどが「全員一致」の判例で、「少数意見」の判例を挙げている判事が一人もいない。言い方を変えると選挙のように「目だって」選ばれようとするものではなく、あくまでも「罷免を可とする」人にXをつけるという消極的な審査なので、なるべく目立たないように、他の判事と同じであるように、いつも多数意見を言っているように示すことが大切なのだろう。

9月4日の『朝日新聞』日曜版(be on Sunday)によると1976年以降、10回行われた国民審査のうち、最も「罷免を可とする」投票が多かったのは、1番目に名前が書かれていた判事で、10回中7回であるという。ほとんど判断材料がないので、ただ最初の名前にXをつけてしまうのだろう。

新聞社も『公報』より詳しい判断材料を提供するため、各判事にアンケートを行なっている。9月7日の『朝日新聞』朝刊第5面で各判事が①議員定数配分の格差について②表現の自由とプライバシーについて③非嫡出子の法定相続分の不平等について④政教分離について⑤株主と経営者の衝突について⑥税務訴訟について⑦司法と行政の関係についての回答を求められている。これらの論点は各判事の社会政治的争点についてのスタンスを見る上で実によく選ばれていると思うが、6人のうち、①については3人が、③については3人が、④については3人が回答を拒否している。これらは国民の意見が分かれる重要争点なので、回答拒否した判事が自分の意見を持ってないわけはないと思うが、答えることが審査のプラスにならないと考えているのだろう。全体として弁護士出身の判事の方が質問に丁寧に答えており、キャリア裁判官や行政官出身者がなるべく無味乾燥に短く答えようとしているのが印象的である。こうした実態を踏まえると、アメリカ人の日本政治研究者が感心した判事の国民審査制度が機能する前提条件が整っているとは言えないことがよくわかるだろう。

アメリカの最高裁でも今週大きな進展があった。9月3日にウィルアム・レーンキスト連邦最高裁長官(首席判事)が80歳で亡くなった。以前、ブログで取り上げたリベラル派の最高裁長官だったアール・ウォーレンの「ウォーレン・コート」の時代と違い、いわゆる「レーンキスト・コート」の時代は戦後の最高裁史上、最も保守的だと言われ、社会改革や不平等是正、環境規制などに政府が介入することをあまり支持せず、企業活動の自由や財産権の保護を優先し、連邦政府が州に介入することも認めず、州中心主義の立場をとり、憲法にプライバシーの権利など新たな権利概念を読み込まず、憲法制定者の「原意」を重視する、言い換えれば時代の変化に応じた柔軟な姿勢をとらない方針を貫いてきた。ハリケーン「カトリーナ」への対応の遅れを指摘されていたブッシュ大統領はすばやく9月5日に後任の長官に、7月に最高裁判事に指名したばかりのジョン・ロバーツ現連邦控訴裁判事を指名した。ロバーツは7月に引退を表明した中道派のサンドラ・オコーナー判事の後任として指名されていたのだが、上院での承認がこれからだったが、50歳で連邦最高裁判事として新任でありながら、いきなり長官の重責を果たすことになる。

前述したようにアメリカの最高裁の政治的役割はきわめて大きく、各判事がはっきり政治的意見を表明するため、大統領はなるべく自分のイデオロギーに近い人を最高裁判事に指名しようとするが、逆に言えば野党は大統領が指名した判事の攻撃材料を探して、上院公聴会で問題にしようとする。しかしロバーツの場合は保守派と言っても穏健な実務型で、7月に指名されてからメディアや野党の民主党が過去の裁判記録を調べたりしたが、特に攻撃すべき材料が出てこなかったのが今回、ブッシュ大統領が素早く最高裁長官に選んだ要因だと言われている。世論調査の結果を見ても、最新の9月6-7日のピュー・リサーチ・センターの調査でも、ロバーツを上院が「承認すべきだ」と言う意見は35%(「すべきでない」が19%、「わからない」が46%)、ロバーツのイデオロギーについては「関心がない」が39%、「わからない」が36%で、「保守的すぎる」は20%に過ぎない。同じ日に行なわれたゾグビー・ポールの調査では、ロバーツが最高裁長官として有資格者か、という問いに共和党支持者の76%が、民主党支持者でも39%が同意しており、まだよくわからないながら、特に反対すべき理由もないといった模様である。

最高裁判事をめぐる公聴会と言えば、1991年秋にブッシュ元大統領によって最高裁判事に指名された保守派の黒人判事クラレンス・トーマスが、オクラホマ大学ロースクール時代の部下だった黒人の女性教授アニタ・ヒルからセクシャルハラスメントで訴えられ、上院公聴会で生々しい証言をされて、僅差でかろうじて承認されたことを思い出される方もいるだろう。ブッシュ元大統領の息子である現大統領がその時の苦い経験を踏まえれば、イデオロギー的に極端な保守派を選び、野党・民主党やリベラルなメディアの激しい追及を受けるよりは、穏健派を選択したのはよく分かるところである。

ギャラップ社が9月6日に行なった調査によると、ロバーツに公聴会として最も聞いてみたい話題としては、妊娠中絶の権利について(28%)、マイノリティの権利について(6%)、経済について(6%)などという順になっている。ロバーツが長官となり、さらにオコーナーの後任が誰になるかによって、最高裁判事の保守-リベラルのバランスが変わっていくことになるだろうが、いずれにしても上に挙げたような妊娠中絶の権利を認めた1973年の「ロウ対ウェイド判決」や、マイノリティへの優遇措置アファーマティブ・アクションの合憲性をめぐって、ロバーツや新任判事がどのような判断を示すかが注目の的となっていくに違いない。

アメリカの最高裁と日本の最高裁を比べて、前者が政治的で、後者が非政治的であることについて、前者の過度の政治性を批判したり、「日本ではアメリカほど社会的、政治的に問題になる司法上の争点がないのだ」と指摘する人もいる。しかし新聞の最高裁判事へのアンケートに見るように、靖国参拝に見られるような政教分離の問題、非嫡出子の「差別」に見られるジェンダー的視点から見た民法規定の合憲性の問題、増加しつつある経済訴訟への各判事の知識とスタンスなど、実は日本においても問うべき争点が沢山あるのであり、単に最初の名前にXをしたりということではなく、選挙公報同様、こうした裁判官のアンケートなどもきちんと読んで、数少ない国民の司法へのチェックの機会と権利を無駄にしないよう努めないといけないだろう。(写真はジョン・ロバーツ判事)

社会科と社会科学の違い

2005-09-08 14:35:17 | 教育・学問論
大学の教員には教員免許と言うものは存在しないが、中学や高校の教員免許をもつ大学教員は少なくない。特に歴史や文学、外国語などを専攻している人は大学時代に教員免許をとった人も少なくないだろう。しかし社会科学系の学部の場合だと教員養成系学部に授業を取りに行ったりするのが何かと面倒で、また社会科(現在の地歴科・公民科)の免許は経済学部だろうが法学部だろうが経営学部だろうがどこでもとれるので、供給過剰で価値がないとも思われているし、周りは普通に就職活動をする学生が大部分なので敢えて免許をとろうとするものも少ない。
 
私の場合は学部を卒業したら大学院に進学しようと考えていたし、大学の教員になれる保証もないので、中高の免許も取っておいた方がよいだろうと思い、かなりの負担ではあったが教職課程を履修し、免許を取得した。今は大学の単位数も減って、100~124単位で大卒の資格が取れるようになっているが、私は卒業単位に換算されない教職科目が多かったので、教職課程と合わせると195単位も履修した。教職を取らない、現在の学部卒業生に比べると倍近い科目を結果的に取らされた計算になる。

教育実習をやらせてもらったり、「社会科教育法」のような授業のやり方についての技術的なトレーニングを受けたことは大学の教師になった今でも役に立っている。また生徒としてしか習ってなかった「社会科」を教師として教えたり、また自分が研究対象としている社会科学と比較したりすることを通じて、中等教育における社会科教育のあり方を冷静に考えるきっかけともなった。

私は小学校3年の途中で東京の郊外に引っ越してからずっと中学卒業までその自治体の公立小・中学校に通ったが、当時は一貫していわゆる「革新自治体」だったため、小学校も中学校の先生たちも「革新」色の強い授業を行ない、行動を取っていた。小学校の時は、教職員のストライキがあって、授業が休みになって、子どもながらに「ストライキ」とは何を意味するかを学んだし、また弟の担任の先生は選挙が近づくたび、ある政党の候補への投票を呼びかける電話を親にかけてきたりした。地方公務員の政治活動は禁止されているのでその行為自体は法律違反だと思われるし、現在のように地方自治体の組合の政治活動や「ヤミ専従」問題などへの世論が厳しくなるとそういうことはできないのだろうが、当時はおおらかなものだった。

政治学でよく使うタームに「政治的社会化」という言葉があるが、これは政治に対する基本的な価値観や方向性を身につけることを意味する。子どもの政治的価値観は大体16歳くらいまでにかなりの程度固まると言われているのだが、そうなると小学校高学年から中学の社会科教育は死活的に重要な意味をもつ。ところが私の小学3、4年生の時は「はだしのゲン」などの原爆マンガ、水俣病などの公害の話、『ベロ出しチョンマ』という絵本を使った百姓一揆の話、天明の大飢饉の話、などなど、封建社会の問題点、戦争犯罪の問題、公害などの現代資本主義の矛盾など、かなり一つの方向性で統一した授業を受けた。

中学校の時は「世界地理」の授業が面白かったが、世界中を旅行していた若い女の先生だったが、中国の解説でいかに「人民公社」が優れたシステムであるかを熱弁し、またソ連のコルホーズ、ソフォーズについても詳細に説明して、北朝鮮の千里馬運動についても記憶に残るくらい教えてくれた。「北朝鮮」と書いた生徒は大幅に減点され、「朝鮮民主主義人民共和国」と書き取りさせられていた。しかし実は中学校で習っていた時点で「人民公社」解体が当の中国の全国人民代議員大会で決定していたことを大学に入って勉強してから知って、裏切られた気がした。不十分な情報や一つの価値観に基づいて、特定の国の政治や社会経済システムを賛美して教える危険性はこういうところにあるとしみじみ思った。

そういったイデオロギー的な小中学校の社会科教育にどっぷり浸っていたので、大学に入って社会科学を学びはじめると驚きの連続だった。何の研究会か忘れたが大学一年の時にたまたま聞いた報告で、計量経済史の発表をしていた学生が、江戸時代の農業生産性の変化について説明していた。ちょうど小学校の絵本で読まされた天明の飢饉の時期に触れて、「飢饉が強調されがちだが、一定の人口増加をしている事実を踏まえると生産性が向上していることがわかる」と述べるのを聞いて衝撃を受けた。
 
子どもの頃に植え付けられたイメージでは、貧しいお百姓さんが食べるものがなくなって、あげくの果てに人肉まで食べたという凄惨極まりない話だったが、それをデータ一つで「一定の生産性の向上が見られる」と断じる「非情さ」が社会科学なのかとよくも悪くも感心した。またちょうど冷戦崩壊期にあたっていたので、小学校や中学校で理想のシステムとして習った社会主義の悪いところばかりが露呈して、次々とそれが崩壊していく過程を目の当たりにした。「社会主義が悪いのではなく、ソ連が採用したスターリン型の社会主義が間違っていたのだ」とか「レーニンは正しかったが、スターリンや毛沢東が悪かった」などと叫んでいる人たちも相変わらずいたが、もうこの時点では耳に入らなかった。

ともあれそうした経験から研究や教育は出来る限り価値中立的であるべきだと考えるようになったのだが、「社会科教育法」の授業で模擬授業案を作った時に、担当の先生から、「しかしいずれの立場に立つにせよ、教師がある立場を選択して教えてやらないと現場の生徒は混乱するよ」とアドバイスされた。実際に、中学に教育実習に行くと、よりによって「日本国憲法の三原則」のところを教えることになったのだが、現場の指導の先生は「自衛官の子弟もいるから、自衛隊の悪口は言うな」と言われたのだが、いざ授業で「自衛隊については憲法9条に違反すると言う見方とそうでないという見方がある」と教えると、案の定、生徒たちからは「どっちなんですか?決めてください」と質問された。
 
この点については実際、現在議論になっている9条第2項の存在により、「自衛力」は認められていると言う政府(内閣法制局)解釈があるので、私の説明は間違ってないはずだが、子どもにすればいいか、悪いか決めてほしいようであり、どちらとも言えないという答えはアカデミックだが、小中学校の教育には馴染まないのかもしれないと思った。

出来る限り客観的であろうとする社会科学が好んで使う言葉に「モデル」という概念がある。モデルとは、簡単に言えば「社会や世界の説明の仕方」のことを指している。「社会主義」、「自由主義」というのと、「社会主義モデル」、「自由主義モデル」というのでは違いがあって、前者は単に社会運営のあり方を説明するだけでなく、それを信奉する学者や政治活動家にとっての理想像であり、生活信念とも分かちがたく結びついている。それに対して「モデル」というのはもっと冷めた見方であり、複数のモデルが並存することを予め前提としている。社会主義についても「ソ連型モデル」もあれば、「中国型モデル」もあるといった言い方もできるだろう。しかし「主義」に拘っている人たちからすると、自分たちの信奉している「モデル」こそが「正しい」、「唯一絶対」なものなので、中ソ対立の折には、相互に「修正主義者」、「社会帝国主義者」だと罵りあう結果となったのである。

教育、政治、宗教の三者には共通した点が多い。いずれもある価値をよしとして、それを実現するために人々を説得していこうとする側面も持っている。いずれも「そういう見方もあるよね」、「それだけじゃないよね」といった冷めた姿勢と相容れない面がある。
 
テレビの『金八先生』シリーズを見ていても、金八先生と言う教祖によって生徒たちがどれだけ教化されるのか、されないのかを描いているかのような、宗教がかった面を感じる方も少なくないだろう。しかしだからこそ中学校や高等学校においても、現代社会や世界を捉える基礎作りをする「社会科」においては、特定の平和観や社会正義観を植え付けることを目的とするのではなく、社会や世界には複数の見方、捉え方、モデルがあることを教えるべきであって、教員の政治信念や社会観を押し付けることには慎重で抑制的であるべきではないかと思うが、場合によっては熱心な先生ほど信念に基づいて教えているのでそうした抑制がきかないような気がする。実際、私が小中学校で習った先生方もイデオロギーや情報の点では「偏って」いたかもしれないが、教育熱心で面倒見もよく、尊敬できる人が多かった。冷めた分析的な教師は小学生や中学生の支持を得られないかもしれない。

しかしせめて先生の意見と違うことを言う少数の生徒を尊重する寛容さは必要ではないだろうか。小学3年生の時に、戦争についてクラスで議論をした時に、先生を初め、大部分の生徒たちは日本の軍部が悪い戦争をしたという意見だったが、へそ曲がりだった私は日本も追い詰められて戦争した面もあったんじゃないかと言って、担任の先生に怒られたことがあった。
 
今から思うと単に少数意見を言ってみたかっただけだったのだが、先生に誉められようと思ったり、他の生徒から孤立しないようにしようと思えば皆同じ意見を言うことになるだろう。しかし異論がない「正論」、「正義」というのは所詮、弱い「正義・正論」でしかない。様々な反対意見や違った見方の人たちと議論しながら、時には自分の信念を反省し、見直し、意見を変えたり、さらに意見を深めたりしていくべきものであるはずだ。政治の現場では55年体制と冷戦構造の崩壊などにより、そうした弱い「正論」がだんだん居場所を失ってきたようだが(それはそれで問題があるのだが)、教育現場では依然として古い「正論」にしがみつき、ただ社会が「右傾化」「保守化」し、アメリカの陰謀で日本の教育が悪くなっているのだと一方的に嘆いている人が少なくないようだ。そういう人たちの教える社会科はおそらく私が受けたような授業なのだろう。

戦争がなくならない理由を明晰に分析説明する社会科学よりも、戦争が絶対いけないということを連呼する社会科教育の方が若者にとって意味があるし、社会的にも重要だということは事実かもしれない。そう思う時もあるのだが、かといって大学に入るまで社会を分析的に見るチャンスがないというのはあまりにも遅すぎる気がする。大学生の中でも、帝国論なら帝国論といった一つの方向性の参考文献しか読まずにレポートや論文をまとめて、別の意見や見方を受け付けない者も少なくない。自分の政治的社会的意見として一つの立場を明確に選択するのは大いに結構だが、その場合でも「敵を知る」というべきか、反対意見の本を読んだり、話を聞いてみるべきだろう。私は中学生でもそれくらいやってもいいと思うのだが、少なくとも高校生レベルの社会科ならぜひやって欲しい。

社会科学そのものも決して価値中立的ではなく、それが形成された国や時代の価値観に大きく規定されていることは言うまでもないが、自分の信念を教えることと、社会を客観的に見る努力をすることの間に存在する緊張関係を、社会科や社会科学を教える人間は意識しなければならない気がする。私が小中学校で習った先生方もそうしたことを大人として全く考えていなかったとは思わないが、後から振り返ると、あまりに無邪気に一面的な正義を語りすぎていたのではないだろうかと思う。

カラオケという悪徳

2005-09-06 14:31:12 | 世間・人間模様・心理

者の中でカラオケを全く経験したことがない方はほとんどいらっしゃらないだろう。老若男女を問わない国民的娯楽だといっていい。どんな地方都市に行ってもカラオケボックスがあるし、温泉旅館もカラオケは必ず備えている。

私自身のカラオケ体験は大学に入ってからだった。大学1年のときはまだカラオケボックスはなく、駅前に安料亭を改造したカラオケ屋があり、そこで同級生たちと歌ったものだが、もともと和室で防音設備もなく、隣の部屋とは襖で仕切られているだけだったので、互いに張り合って大声で歌ったり、よその部屋に乱入したり無茶苦茶であった。飛び跳ねていると階下に響くので、仲居さん?がよく注意しに来たが、歌うよりも暴れるのを目的にしていたような同級生たちは怒られると余計面白がって騒いでいた。歌うというよりそういうバカ騒ぎは大学に入った当初は確かに楽しかった記憶がある。ネットで検索するとまだあの店は居酒屋として存在しているようだ。今はどうなっているのだろうか。

大学2年になると現在のようなカラオケボックスがあちこちに建ち始め、だんだんカラオケのレパートリーも増えていった。しかし改造旅館カラオケでバカ騒ぎしていた頃と違って、お互いに人の歌っているときはあまり聞かないで、うつむいて曲目リストで歌える歌を必死に探すという、今のカラオケのスタイルになった。大手出版社に勤める編集者の友人は、小説があまり売れない反面、文学賞への応募者が増えている現象を同業者内では「カラオケ小説家」と呼んでいると話していた。つまり先人の小説は読まないで、自分ばかり書いているそうだ。カラオケはお酒を飲んだ2次会で行く場合が多いと思うが、初対面だったり、あまり共通の話題がなかったりすると、普通の居酒屋に行くよりもカラオケで適当に歌って盛り上げたようにしているほうが無難なようだ。会話を避けているといってもいいかもしれない。

同年代の友人で、流行を共有している同士で気軽にカラオケに行っている分には、ボックスで徹夜しようがどうしようが、大学生くらいなら全く構わないと思うが、ゼミで教員を交えていったり、あるいは会社でも年齢差や上下関係があるグループでカラオケに行くのはどうなのかと思うことが多い。そうした場合、どうしても年長者に気を遣ってしまうだろうし、若い人たち同士だけで知らない歌で盛り上がっていると年長者が機嫌が悪くなるのはまず間違いないだろう。

私自身も年長の先生たちとカラオケに行く機会が多かった時は古い流行歌を覚えて歌ったりしたが、学生の中にも気を使って、我々が大学生だった頃に流行った歌を歌ってくれる場合があって、それがあまりにピッタリだとかえって複雑な思いをしたものだ。若者の真似をして最新ヒットチャートを歌うのもどうかと思うが、かといって古い歌を歌って自己満足しても仕方ないという屈折した気分なのかもしれない。古い歌を歌うと自分が古くなった気がしてならない。懐メロを歌っている人たちはそう思わないのだろうか?

純粋に若い人たちがバカ騒ぎをしているのを眺めているだけで嬉しいという人なら、若いグループに混じってカラオケに行ってもいいだろうが、接待というか盛り上げてもらったり、デュエットしてもらいにカラオケに行くくらいなら、学生や会社の部下と行かずにスナックに行けばいいのではないかと思ってしまう。若い人とカラオケに行きたがる中年男性や中年化しつつある男性は大部分、自分の歌を聞かせたい人だと思って間違いない。実際、共通の話題がない人たちと飲むのはかなり神経も気も使うし、話題も一ひねりしなければならないだろう。だから面白いのであって、それが出来なかったり嫌だったら、飲みに行かないとか、二次会に行かなければいいのではないだろうかと私は思う。

「二次会、カラオケで」というと最近、あまり乗らないことが多いので、学生に「先生はカラオケ嫌いなんですか?」と聞かれるのだが、嫌いなのではなく、変に気を遣ってもらうのは嫌だったり、また飲み会は教室では話せないようなことを学生と話したり聞いたりする貴重な機会だと思っているので、カラオケで話も出来ず歌っているだけじゃもったいないと思うからである(その態度が逆に気を遣わせているかもしれないが・・・)。

アメリカ人と話した時に、アメリカでは老人から子供まで何かの機会にはダンスをするという話を聞いて、「日本人は踊れない人が多いけど、カラオケがそれに当たるでしょうね」といったら妙に納得していた。「Shall We ダンス?」のような映画がアメリカでもヒットしたからなおさら日本人のダンス下手は納得したことだろう。小泉首相が登場するまで、首相が短期間で交代する時期が続いた時は、日本政治は(歌の順番を待っている)「カラオケ政治」だと揶揄されたこともあった。良くも悪くも現代日本文化の一翼を担っているのだろう。

あまり気乗りがしないカラオケに付き合った時はスクリーンをぼうっと眺めていると、世相を上手く捉えた歌詞が面白いと思うことが多い。洋楽はサウンド重視で歌詞は二の次だと言うが、日本人は歌詞に特別の思い入れを抱いているようだ。詩集が売れないというが、その分、Jポップ(これも死語だろうか)の歌詞が昔の詩集の代わりを果たしているのだろう。

烏賀陽弘道氏が『Jポップの心象風景』(文春新書)という本で分析されているが、少し小難しく考えすぎているような気もしたが、歌謡曲やJポップの歌詞は時代の空気から遊離してしまったら売れなくなってしまうのだろう。1970年代を風靡した作詞家・阿久悠氏が沢田研二に提供した歌詞(例えば「カサブランカ・ダンディ」)などは今の目から見るといかに時代錯誤で男尊女卑的か、歌ってみるとよく分かるが、当時はそれがカッコよかったのだろう。「ウーマンリブ」が言われ出した時代だから敢えてあのような歌詞にしたのかもしれないが、世相の変化が反映されていて面白いものだ。

ともあれカラオケという空間は本来、唱和して一緒に盛り上がることが目的とされているのかもしれないが、集まった人たちの性格や価値観、世代のギャップなど、むしろ「個」が露呈する場である。カラオケを非常に楽しんでいた時期もあるし、一概に否定できない、いい面もあると思うが、やはりお互いに気を遣わない同士で行って、気兼ねなく時を忘れて盛り上がるべきものなのではないだろうか?


映画にならない経済、絵にならないニュース

2005-09-05 14:23:12 | 映画・ドラマ
講義科目は一方的に話しているとどうしても聴いている方は退屈してしまうので、ビデオなどの映像資料を毎回使うようにしている。例年は衛星放送やケーブルテレビから録画したドキュメンタリー物を主に使っていたのが、今年はアメリカ社会論の講義であるし、映画大国アメリカの豊富なソースから選んで、毎回のテーマに関連した映画を授業の真ん中あたりでさわりだけ見せて説明した。

教室は電動スクリーンを下ろさないとビデオを投影できないのだが、中には要領よく、私が話している間は熟睡していて、スクリーンが降りてくる音ともにむくりと起き上がって映画だけは欠かさず見ている学生もいた。

「シネマで学ぶ~学」「映画に見る~論」といった本は数多く出版されているし、様々な論点に即した映画を選ぶことはたやすいように思われるかもしれないが、実際やってみると容易でない。まず第一に仮に映画があったとしても日本の視聴者があまり関心がなさそうな映画はレンタルビデオ店に行ってもまず置いていない。
 
例えばヒスパニックを扱った映画はもともと少ないのだが、『ブラッド・イン、ブラッド・アウト』といった比較的有名な映画でも入手困難である。また日系アメリカ人や在米邦人、日米関係を扱った映画などもあまりないのだが、例えばチャールズ・ブロンソン主演の『禁じ手』のような、日本人や日本が偏見を持って描かれている映画は、視聴者受けが悪いのでお店には置いてない場合が多い。しかし国際理解を深めるためにはむしろそういう「反日」「日本蔑視」ドラマのようなものこそ図書館やレンタルビデオで置いて、外国の人々がどんなステレオタイプを抱いているか知るべきだろう。

映画そのものがあまりないテーマもある。例えば経済である。日本映画では高杉良氏の『金融腐蝕列島』のような経済小説が映画化されているし、『ミナミの帝王』シリーズのようなノンバンクもの?も一つの映画ジャンルになるほど多く作られている。特にバブル崩壊後の「失われた10年」に金融問題が大きな社会的関心を呼んだことも関係あるだろう。
 
しかしハリウッド映画で経済を正面から扱った映画は実に少ない。せいぜい黒幕として多国籍企業が出てきたり、あるいは日米貿易摩擦の激しかった80年代にやはり悪役として日系企業が登場したりということはあるのだが、アメリカの経済界の内幕やグローバル企業の実態などを正面から描いた映画はほとんどない。おそらく該当する映画が少なかったせいであろう、分野ごとにアメリカ映画を整理した『アエラ・ムック アメリカ映画がわかる』でも「経済」のところで、リチャード・ギア&ジュリア・ロバーツの『プリティ・ウーマン』を挙げている始末である。経済映画でメジャーなものと言えば、せいぜい『ウォール街』と『摩天楼はバラ色に』といった約20年前の映画くらいしか挙げられず、2000年以降のニューエコノミーを正面から扱った映画などが見あたらなかったのが残念だった。もしいい映画をご存知な方がいらっしゃればぜひ教えていただきたい。

経済映画が少ないというのは、経済に関心がないというより、経済を映像で描くのが難しいのが一因ではないだろうか?同じことはテレビニュースについても言える。夜の7時や10~11時代のニュース番組を考えてもわかるが、テレビでの経済ニュースで映される場面というと、東京株式市場の風景や不祥事のあった企業の謝罪会見の場面、為替相場や日経平均のデータ、丸の内の通勤風景をバックした解説などで、経済という素材が見えにくく、絵になりにくいことをあらわしている。

それに対して、アメリカ南部荒れ狂ったハリケーン「カトリーナ」の被害状況、ホリエモン対亀井静香の対決、バクダッドの治安悪化、反日、反米デモ、スポーツニュースなどは分かりやすく、映像になりやすい素材である。そのためテレビニュースは事実を単純化し、センセーショナルに映像化できる話題ばかり強調して、もともと複雑でわかりにくい日々の地味な政治や経済活動に関するニュースは新聞やインターネットに任せっきりになってしまっている。

以前ブログでも取り上げた政治学者・故・丸山真男氏がテレビ時代以前に「日本には政治記者はおらず、政界記者しかいない」と嘆いたのは有名だが、どういう年金制度が国民にとって望ましいか、ミサイル防衛システムは結局日本の安全保障にとってどの程度プラスなのかどうか、というような専門的な政策論争は複雑でわかりにくい。
 
それに対して、郵政法案反対派の候補のところに対立候補を「刺客」として送るといったストーリーは極めて単純でわかりやすい。小泉政治の本質は「ワイドショー政治」だとよく批判されるが、多かれ少なかれ、テレビを含む日本の政治報道は、抽象的な政策論議よりも、政治を人間関係のレベルで語ろうとする、政治の「パーソナリゼーション(人格化)」の傾向が強い。経済もそのレベルで語られることが多く、企業内部の派閥対立や日銀総裁、財務相、金融相のパーソナリティ、アメリカの財務長官や連邦準備制度理事会(FRB)・議長、米通商代表部(USTR)代表などのキャラクターなどから経済政策が説明されたりする。
 
政治も経済も人間が行なうことなので、そうしたヒューマン・ファクターに着目することは重要ではあるが、全てを人間関係で説明されてしまうと矮小化を免れず、本当に視聴者が知らなければならない情報が見えにくくなってしまっている嫌いがある。先日の朝日新聞の捏造問題も一方では取材モラルの問題であるが、もう一方では、取材しないでも言いそうなことを時としてでっち上げられてしまうほどの、政治家と記者との間の距離感のなさが根底にあるのではないだろうか。記者クラブ制度をはじめ、この距離の近さが日本のジャーナリズムの特徴としてしばしば指摘されるところである。新党結成の裏話よりも今度の選挙に関して国民が知るべき重要な争点は他にあるのではないだろうか。

アメリカの場合は『ニューヨーク・タイムズ』や『ワシントン・ポスト」などの新聞報道は日本のように政界事情を詳細に書くよりは政策の背景を詳しく説明したものが多いが、とはいえ日本は夜の1時間のTVニュース番組では国内ニュースから国際ニュースまで幅広く取り上げて解説しているのに対して、アメリカの地上波の夜11時の30分間のローカルニュースは全国と地元のニュースをごく浅薄に扱っているに過ぎず、平均的アメリカ人は全国情報の少ないローカル紙とこのローカルニュースのみを主な情報源としているので、政治知識はどうしても限られてしまっている。
 
アメリカの公共放送であるPBSが昨年、アメリカのニュース報道の問題点についての特集番組を放送していたが、その中でもこのローカルニュースの内容の乏しさを指摘し、例えばカリフォルニアの州議会議員が交通事故を起こせばニュースになるが、彼がどういう考えの持ち主でどういう法案を提出したかはニュースにならないので、有権者は投票の際に判断する材料をニュースから得ることができないと批判していた。イラク戦争に対するアメリカ国民の反応が鈍かった一因としてもこうしたニュース報道の限界が指摘できるだろう。

新聞とラジオ中心の時代と違って、テレビとインターネットが中心の今日のメディア環境を考える場合に映像が占めている中心的地位はゆるがないだろう。そうだとすると、より深い分析や情報をいかにして映像化・図式化すべきかを考えていくことが大切なのかもしれない。また授業の教材として使いたいからという理由だけでなく、似たような戦争映画や恋愛映画ばかり作っているのだったら、面白い経済映画もぜひハリウッドで作ってほしいものである。