紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

差別と向き合うには-好井裕明『差別原論』を読んで

2007-07-26 19:12:27 | 社会
専門が社会学ではなく、政治学ということもあってか、学生時代は差別の問題を特に研究対象とすることはなかった。しかしアメリカに留学をしていたのがちょうどO・J・シンプソン裁判の頃で、現在と比較しても人種関係が緊張した時期だったこともあり、人種差別の問題について本格的に考えるようになった。それでも大学でアメリカ社会論やアメリカ政治論の講義を行なうまでは、差別問題を学問的に論じる難しさについて、必ずしも十分な自覚をもっていなかったというのが正直なところだ。

関西の大学で教え始めて、学生から「私は実は在日韓国人で・・・」、「私は地区出身で・・」と打ち明けられることが何度かあった。そのように告白されても、言われる前と後で彼や彼女を見る目が特に変わる訳ではない。ただアメリカの人種差別をめぐる問題について、自分の語り口が、私よりも差別の問題について、より身近に感じていて、先鋭な意識をもっているかもしれない学生たちの前でどれほど説得的なのだろうかと自問するようになった。

4月に出た好井裕明氏の『差別原論』(平凡社新書)を手に取ったのも、差別問題の専門家が一般向けに「差別」の問題をどうまとめているのか、気になったからだ。一口に差別といっても人種差別、民族差別、差別、男女差別、同性愛者に対する差別、障害者差別、ホームレス差別、高齢者差別、容貌差別などは、それぞれ様相が異なっており、「差別原論」といったタイトルで総括して論じるのに相当無理があるに違いない。しかし好井氏は、「差別はしていけない」という規範論から始めるのではなく、差別は誰もが日常的にしてしまうものであり、差別-被差別、差別をする側-される側という硬直した二分法で捉えるべきではないと強調する。二分法で捉えて、いくら「差別をやめましょう」と「啓発」しても、結局は、差別するにしろ、されるにしろ、自分ではなく、「あの人たちの問題」だとして傍観者的な立場をとる人間を増やすだけだという。そうではなく、「差別を隠し、見えにくくする知」について自覚し、「差別してしまう可能性がある」自分と向き合えと呼びかけている。

「内なる権力」を自覚せよ、というロジックは、フーコーを持ち出すまでもなく、いかにも社会学者的な説明だが、差別と被差別の二分法の袋小路は、差別の問題を考えたり、論じる時に常に感じていたので、なるほどと思った。また以前、このブログでアメリカのバラエティ番組である、サタデー・ナイト・ライブのコメディを取り上げた時も書いたが、コメディで差別ネタを扱うことでむしろ差別の無意味さを笑い飛ばす、という著者の考え方にも共感できた。しかし「差別的な日常を『あたりまえ』のように生きている私という存在の核心にある『差別的なるもの』をつくりかえるにはどうしたらよいか」(187頁)という著者自身の問い -もって回った言い方をしているが-要するに自分の中の差別意識を克服するにはどうしたらいいか?という問いへの答えが、著者が、大学で教えるのも、論文を書くのも、学生と飲みに行くのも、家事をすることも、子供の面談に行くのも、日常の営みを全て「等価」に扱っていることだ、と書いていたのには拍子抜けであった。

著者は、差別問題と取り組むといった「構え」を捨てて、自然体で、内なる差別の問題にも取り組み、また差別されている人々の生きた言葉にも耳を傾け、対話的な知を形成していくことの重要性を説いている。著者が読者に求めているのはそうしたしなやかな取り組みである。ただ著者自身はおそらく生真面目な人なのだろうが、様々な「構え」や「自意識」から解放されていないように読める箇所が多かった。

例えば解放団体支部の女性たちとカラオケに行って、長く解放運動に関わっていた年配教員のカラオケがうけていたのに、自分の唄が「ウケ」なかったのは、自分が「差別問題研究や人権教育を少しでも進めるために何かしなければならない」と「構え」ていたのが反発されたせいだと勝手に納得してみたり、深夜に線路を歩いていて、警官に職務質問されたときに、東大の大学院の学生証を見つけた警官が急に態度を変えたのを、「これが警察官の権威主義だなと実感した」(152頁)と決め付けたり、著者自身の「構え」や「内なる権威主義」が透けてみえるエピソードが散りばめられている。

同じ著者は『「あたりまえ」を疑う社会学』(光文社新書)という、エスノメソドロジーのわかりやすい入門書を出しているが、その中で、「私は・・・これまで生きてきた人生経験から、できれば家庭内の性別分業を壊したいと思い、・・・掃除、洗濯はするし、夕飯の支度、後片付けをする。食事が運ばれてくるのを、あぐらをかいて待っていたことなどない。後片付けの後は、みんなにお茶を入れる。子供の運動会や遠足の弁当は必ず作る」(201頁)などとわざわざ書いている。家事をするのは至極、当然のことでありながら、著者自身が伝統的な性別役割から解放されきっておらず、、「やってやってる」的な意識をもっていることが図らずも露呈している。著者が望むような「自然体」ではなく、やはりどこか構えているのだ。そういう内なる「差別」意識を抱えている、人一倍自覚している著者だからこそ、差別の問題に専門的に取り組んでいるのかもしれないと考えさせられた。

政治学を研究している立場から言えば、差別の問題は、単に「当たり前」や「普通」という規範を疑えば解消できるものではなく、必ず多数派と少数派の権力争いの側面を含んでいると思う。封建時代や植民地主義の時代は、少数派である支配階級が、自分たちの価値観を多数派である被支配階級に一方的に押し付けることもあったが、多くの場合、「当たり前」だとされる社会規範は、その時代や社会、集団の多数派の価値観をおおむね反映しているものである。したがって多数派が変われば、「当たり前」の基準も変わっていく。だから少数派も多数派になろうとするか、あるいは自分たちの「価値観」を「当たり前」にしようと戦うのである。差別の問題を考える際に、そうした政治闘争としての側面を抜きにして論じることはできないだろう。

本書での定義によれば、「差別」とは、「人々が他者に対して、ある社会的カテゴリーをあてはめることで、他者の個別具体的な生それ自体を理解する回路を遮断し、他者を忌避・排除する具体的な行為の総体」であるという(60頁)。だから「カテゴリー」を疑い、具体的で生きた生活体験に耳を傾けよ、ということになり、参与観察などの質的調査を重視する社会学者としての立場と主張が一貫している。しかし同時に「カテゴリー」というのは常にネガティブなものではなく、自分が何者かというアイデンティティが、ある種、集合的なカテゴリーにおいて形成されている面があるのも事実である。

アフリカ系アメリカ人の問題を研究していると常に感じるが、一人のアメリカ人を、単にアメリカ人としてではなく、「黒人」と「カテゴリー」化して捉えるのとは明らかに「差別」であるが、当の本人が、自分は「アフリカ系」として差別されてきたが、白人に負けずにここまで頑張って来れたと「誇り」に思っている場合もあるかもしれない。アイデンティティの形成に「アフリカ系」であることが全く影響しないとは考えにくい。そこに「アイデンティティ」と「カテゴリー」と「差別」の間の厄介で入り組んだ関係がある。

人種、民族、皮膚の色、宗教、性別、出身地、家柄などで、少なくとも法的な差別をしてはいけないという規範は、今日の先進民主主義国においてはほぼ確立している。そうした民主主義国において、「差別」をなくしていくために、「差別」に社会経済的な意味をもたせないことと、差別を受ける側が、差別する側の論理を内在化させないことがまず大切ではないだろうか。

「差別」に社会経済的な意味をもたせないということについて付言すれば、アメリカで始まったアファーマティブ・アクションのような試みは、差別解消のための過渡的な施策としてはある程度、有効であるものの、結局、被差別集団としての過去を社会経済的な既得権にしてしまい、差別の解消ではなく、差別やカテゴリーの固定化、永続化につながりかねない逆効果があるだろう。

「差別する側の論理を内在化すること」について言えば、コンプレックスをもつことは、人の「弱点」を差別し、笑いものにしようとする人間を増長させる。「ぼくは・・・だけど、だから何?」と引き直れれば、笑った人間は笑ったことを恥ずかしく思うだろうし、そうした仲間の態度を目にすれば、「・・・」であることを引け目に思って隠している人は、「ああ、隠す必要はないんだな、恥ずかしく思う必要はないんだな」と思うかもしれない。

もちろんそんなことだけでは解決しきれない根の深い差別やそれに基づく暴力が、社会の様々な局面に蔓延しているのは事実だが、「差別」を意味のないものにする努力を、差別をしてきた側と、差別をされてきた側、さらに差別を黙認してきた人々がともに続けていかない限り、なくならないだろう。

そういう意味では、「対話」を強調し、二分論を否定する好井氏の差別論は共感するところも少なくなかった。著者は内なる差別意識ときちんと向き合わない自称「普通の人々」が、差別の温床となっていると考えているようだ。著者が問題とする無意識の差別も確かに重要ではあるが、より意識的で悪質な差別は、不満の捌け口であれ、経済的利害であれ、「効率」優先であれ、トラブル回避であれ、差別をする人にとって、何らかの「効用」があるから存在しているのであり、そうした「効用」がなくなった「差別」は消滅していくのではないかと私は考える。しかし、いかなる形であれ、何らかの差別が残り、差別したりされたりするのが「日常」であるという点では著者と同意見である。

「構えて」取り組んでもダメだし、「自然体」で臨もうと意識してもなかなか上手くいかない。つい批判的なコメントが多くなったが、数々の実践を経験してきた専門家にとっても「差別」を論じるのは容易ではないのだなと改めて実感させられた一冊であった。

「黒い憂鬱」と「白い罪」-シェルビー・スティールの新著を読む

2007-01-14 19:27:25 | 社会
黒人監督スパイク・リーの代表作、映画『マルコムX』でとりわけ印象に残ったのは、小学校時代のマルコムが将来何になりたいかを教師に聞かれた時、勉強のできた彼が『医者か弁護士になりたい』と答えると、教師から「君は黒人だからどちらも無理だから、大工になれ」と勧められる場面だった。教師の何気ない一言が生徒の心を傷つけてしまう、人種差別の厳しい現実を見せ付けられるような一幕だった。両親を人種差別主義者に殺害される場面と合わせて、マルコム・リトルが白人を憎み、黒人分離主義者として成長していくのもむべなるかなと思わせるプロットだった。

しかし今、考え直してみると全く別の見方もできる。その当時の状況では実現が難しい夢をもった生徒に、社会の厳しい現実を認識させ、より実現可能な目標を立てるように指導した教師の親心だったのかもしれない。教師と生徒の信頼関係や、生徒の側の受け取り方によって、同じ言葉でも全く違った意味や重みを人生に与えることになるだろう。

そんなことを考えさせられたのは、保守派の黒人評論家として名高いシェルビー・スティール(1946-)の新著"White Guilt(白人の罪悪感)”に出てきた少年時代の回想を読みながらだった。スティールは、黒人知識人として、中産階級的なモラルを重視する立場から、公民権時代以降の人種関係の問題点を指摘した"The Content of Our Character(私たちの人格の中身)"(1990)で一躍有名になった。当時は、カリフォルニアのサンノゼ州立大学の英文学教授であったが、現在はスタンフォード大学のフーバー研究所の研究員を勤めている。在日韓国人の訳者が『黒い憂鬱』という秀逸な意訳タイトルで1994年に日本語版を出しているので、日本でも人種問題に興味がある人で読んだ人も少なくないだろう。

この"The Content of Our Character"というタイトルそのものが皮肉なのだが、有名なキング牧師のワシントン大行進の際の名演説私には夢があるの一節、「私はいつの日か、私の4人の子供たちが、肌の色ではなく、人格の中身で判断されるような国で暮らせることを夢見ています」からとったものである。つまりスティールに言わせれば、公民権政策以後、採られるようになったアファーマティブ・アクションなどにより、例えば大学入試で「人種優先枠」が設けられるなど、今はかつてとは別の意味で「肌の色」で判断されるようになったと批判しているのである。

昨年出版された"White Guilt(白人の罪悪感)”も前著での議論を基本的に踏襲しているが、スティールの個人的な体験を多く盛り込み、より体系的に議論を進めている。

野球少年だった頃、白人しか入れなかった近所の野球チームのコーチを説き伏せて、なんとかバットボーイにしてもらって一生懸命働いたものの、遠征試合は白人しか入れない球場で行なわれたため、遠征バスに乗せてもらえなかったこと。家族旅行で他の町を訪ねた時は、まず地元の黒人の人に、黒人街がどこかを尋ねないと食事も宿泊もできなかったこと。親の方針で自分以外の生徒が皆、白人である学校に通っていたが、歴史の教科書に、奴隷制を正当化するがごとくに「卑屈に笑っている奴隷」の写真が掲載されているのを見て、教師に対して「奴隷は幸せじゃなかった」と恐る恐る抗議したものの、無視されたこと。大学時代に学生運動家として、要求書を携えて、学長室に乱入した際に、彼が吸っていたタバコの灰をじゅうたんに落としたのをみて、白人の学長が一瞬、「許せない」という風に顔色を変えたが、やがて引きつった笑顔に変わったこと。英文学科のカリキュラムに「エスニック文学」を入れるか、入れないかをめぐって同僚と言い争ったこと・・・。少年時代の人種差別から公民権時代を経て、やがて多文化主義・ポストコロニアリズム全盛時代を英文科教員として迎えた彼の眼を通して、アメリカにおける人種関係の変化がリアルに浮かんでくる。

本書の論旨は明確だが、議論を要約すると次のようになるだろうか。

1955年にミシシッピーで黒人の若者が殺害された時、犯人は白人だったために無罪となったが、95年のO・J・シンプソン裁判では、沢山の証拠にもかかわらず、シンプソン弁護団は、警察が「人種差別的」だったと、争点を人種差別にすりかえることで無罪判決を得た。逆転しているがどちらも「人種」が理由になり、真実が歪められている。1950年代以前のアメリカは、「白人の責務」という道徳観で人種差別を正当化していたが、公民権法で人種差別が禁止され、従来の差別の結果に対する補償が政策の中心になると同時に、過去の人種差別を反省し、黒人たちを「犠牲者」だと見る「白人の罪悪感」が社会のモラルの中心となった。

クリントンは、不倫スキャンダルにもかかわらず、大統領の任期を全うしたが、人種差別発言をしていたらできなかっただろう。全ての既存の道徳的価値観が相対化してしまった、60年代以降のアメリカ社会において、「人種差別」と決め付けられることが、唯一、致命症となる基準となった(同じようなことが性差別や同性愛差別のタブー化へと拡大していった)。過去の人種差別やベトナム戦争などによって、自分たちの道徳的な「正しさ」に自信を失ったアメリカの白人たちは、「反省」や「罪悪感」といった消極的な形でしか道徳を規定できなくなり、社会の道徳基準があいまい化していった半面、黒人たちは、貧困や犯罪、不品行、学業成績不振などを全て社会構造や過去の差別のせいにして、責任転嫁するようになった。

同時に、黒人を「犠牲者」と位置づけ続ける限り、白人はいつまでも黒人を「対等なもの」とみなさず、差別を続けることになる。また黒人知識人や成功した黒人たちが、黒人を何か批判するような発言をすれば、「裏切り者」扱いされかねず、相変わらず「人種」の中に閉じ込められていると言わざるを得ない。こうした悪循環を断ち切るには、黒人というカテゴリーの中にとどまるのではなく、個人として自立し、社会的責任をとり、競争に勝ち抜いていくための努力をするという当たり前のことをするしかない。


スティールの主張は大体、こんなところである。

こうした主張自体はあまり新鮮味もないかもしれないし、モラルと自己責任を強調するアメリカ保守派の典型的な主張と片付けることも可能かもしれない。しかし祖父の代から政治家で、ずっとメインストリームにいるブッシュ現大統領や安倍首相、小泉前首相が、自己責任や保守主義を語るのと、人種差別社会で、責任と努力の大切さだけを信じて、駆け上がってきたスティールが言うのでは、同じメッセージでも全く意味も重みも違うだろう。

スティールの父は、貧しいながらもトラック運転手として身を粉にして働き、家族を養い、自分の家を建て、また中産階級的な価値観を身につけさせるため、息子を黒人学校ではなく、白人生徒が多い学校に入れた。人種完全別学の南部ではなく、中西部(イリノイ州)に育ったのも幸いしたかもしれない。

こうしたマイノリティ出身の保守派の人たちの著作を読んでいて、いつも感じるのは、彼らが子供の時から自尊心が強い点である。プライドが高ければ、それを満たすための努力も惜しまないだろうし、また「同情」されることは、相手の優位を認めることだから潔しとしないだろう。「白人の罪悪感」というものを、彼がことさらに批判しているのもその点にあるように思われる。

同じような文脈で思い出すのが、フェミニズム批判の論客・長谷川三千子氏が十年以上前に、『中央公論』で書いていたエッセイである。彼女が書いていたのは、子供の頃、男の子とばかり遊び、喧嘩でも勝っていたので、自分は男の子より強いと思い込んでいたが、ある日、彼女が明らかに自分より強い男の子のことを殴ろうとしたときに、男の子が、『まいったな、しょうがないな』という表情をして、わざと負けたそうである。その表情を見てから彼女は無邪気に男の子を殴れなくなったそうである。そうした思い出を紹介した上で、彼女は、「男がすべて悪い、女は、差別する社会の犠牲者であると、女たちが叫んでいるうちは、男女平等社会は実現できない。男に対して、『まあしょうがないな』と余裕の表情を見せられるくらいに強くならないといけないだろう」と言ったような内容で結んでいたのが印象的だった。

長谷川氏の夫婦別姓反対論など一連のフェミニズム批判には共感できない点も多いが、スティールにしても長谷川氏にしても、共通しているのは、女性と黒人というリベラル派が主流であろう知識人グループに属していながら(・・・彼らは属していないというだろうが・・・)、そうしたカテゴリーでくくられることも、また戦略的に自らをマイノリティとして位置づけたり、その上で男性や白人といったマジョリティを批判対象とするようなことを潔しとしないプライドの高さである。

ただ問題なのは、保守派と目される『中央公論』誌が上野千鶴子氏と対立させて、長谷川氏の文章を載せ、またブッシュ大統領が、スティールの本を賞賛したように、こうした誇り高きマイノリティ知識人の言説が、結果的には、マジョリティ保守派に利用されかねないことである。おそらく彼らはその点は十分認識しているがゆえに歯がゆい思いをしているかもしれない。

いずれにしてもある集団やある国を過去の歴史の「犠牲者」だと決め付けて、それに対して「援助」しようとしたり、その「理解者」を気取ったり、「連帯」を呼びかけたりすることが、知的にも社会的にも「不遜」な行為であり、さらに差別意識を再生産しかねないということを改めて考えさせられた。比較的平易な英語で、声高ではなく淡々と書かれているのだが、社会の偽善に鋭く突き刺さる刃のような一冊である。

美しく年をとる

2006-04-18 23:37:21 | 社会
誰が言っていたか忘れたが、「就職すると先輩や上司が増えても、親友は増えない」という言葉が妙に印象に残っている。確かに仕事をしていれば自動的に先輩や上司の数は増えてゆくが、学生時代のように利害関係のない付き合いができる友人は、社会人として限られた時間の中ではなかなか多くならないかもしれない。

同時に、年をとればとるほど、素直に尊敬できる人に知り合う可能性がどんどん減っていく気がする。こちらの人間を観察する目が厳しくなっているせいもあるかもしれないが、自分がもはや子供や若者でなく大人になるにつれ、自分より年長者がすべて中年か、老年に属する人たちとなり、そういう人たちが若者がもつような純粋さや潔癖さを失って、現実の利害や欲望でがんじがらめになっているのを見せ付けられることが多いからかもしれない。

大学を卒業してすぐに会社に勤める社会人に比べると、我々、大学教師の多くは大体10年遅れくらいで社会人になっている。会社に勤める友人たちがそろそろ中堅社員になるころにやっと駆け出しの教員となり、「若手」などと呼ばれる。普段付き合う学生たちも18~22歳の若い人たちが中心である。自ずと気持ちも若くなるし、早くから社会にもまれている友人たちと比べて、実際に若く見える教師も多い。しかし大学の校舎を一歩出れば、私たちも「中年」に変わりになく、人生70年の時代でいえば、既に折り返し地点を回っている。そんな風に考えると、若い頃の「いかに生きるべきか」という問いが、「いかに年を取るべきか」という問いにふと変わる瞬間がある。

私は年を取ることがすべてマイナスだとは思っていない。若いことだけが優れているのだとしたら、人生を生き続ける意味が無くなってしまう。だから「中年」のはしくれとしては、若者の真似をして、若さをアピールするのも何か馬鹿げている気もする。年齢に応じた成熟をしてゆきたいものだといつも願っている。その一方で、私たちよりも年長の中年、老年層の人たちになかなか共感できないことも事実だ。特に「団塊の世代」と呼ばれる権利意識が極めて強い世代には何かと違和感を覚えることが多い。

「元『革命家』が年金をもらう日」というフレーズをどこかで見かけたが、2007年問題といわれるように、若き日に学園紛争や反体制運動に明け暮れた世代が大量に定年退職し、年金生活をする日が近づいている。高齢者介護施設を訪問調査したゼミ生が面白いことを聞いてきたのだが、現代の入居者の中心は昭和一ケタ以上世代で、規律や集団行動に従う世代なので、老人ホームの運営も比較的やりやすいが、自己主張が激しい団塊世代がホームに入ってきたら、果たしてどうなるのか、関係者は戦線恐々としているそうだ。

安易に「世代」でまとめてはいけないとは思うが、団塊世代を見ていると、上手に年を取ることの難しさを感じることが多い。この世代は戦前世代のような、「老成」や「東洋的諦念」、「枯れ」といった言葉とは無縁で、よく言えば「生涯現役」というか、年を取っても現実的な欲望を貪欲に追求しているハングリーな集団に見える。学生時代には「大学解体」や反体制を掲げていながら、なぜか大学に残って、国立大学の場合には税金で給料をもらうようになった元「革命家」やラジカルたちは、自分たちの意識の上では、50になっても60になっても「若者」であり、「抑圧」や「体制」と戦い続ける抵抗者である。成熟を拒否することを誇っているようにさえ見える。しかし現実には「解体」したはずなのに残った大学でそれなりのポジションを得て、「学内限定」かもしれないが、いつのまにか「権力者」にもなっている。しかし意識の上ではいつまでも「青年将校」だから、自分がよもや「抑圧者」になっているとは気づかない。リベラルだと自認している人ほど、権威主義的で抑圧的な教育者となりがちな陥穽はここにあるのかもしれない。自分のためにやっていることを大学や学生のためにやっているのだと本気で思い込むのに慣れすぎているのだろうか。

しかしこういう人たちにも若い時代があり、大学解体や反戦を叫んでいたときには純粋に正義感で戦っていたのだろうし、自分が地位を得て、自分なりの権力を行使できるようになったから、以前の理想を忘れて、現実にただ安住しているのだと決め付けるのは早計だろう。むしろ自分の主観と客観的な環境、周辺の人の思惑とのずれに対する感度が老化によって鈍くなってきていることが大きいのかもしれない。今はそういうズレに敏感なつもりでも、あと20年も年を取ると同じように鈍感になってしまうのだろうか、そういう風に考えると恐ろしくなってくる。

大学に限らず、あらゆる学校の教師によく向けられる批判に、「独善的で人の話が聞けない」ということがある。長年、学校の先生をしていた人に多いのだが、自分がしゃべりだすと止まらないのだが、他人の話は10分も黙って聞けない人がいる。教師の職業病といえるかもしれない。私も長年、教師稼業を続けるとそうなってしまうのだろうか。そうならないように誰かに釘を刺してほしいものだ。

生活習慣病などは定期健康診断などで毎年チェックされるが、こうしたベテラン教員の「教師病」も定期的にチェックしないと、手のつけられないことになってしまうのかもしれない。美しく年を取ることは不可能ではないと思うが、感性が鈍らないようにするには、かなりの努力が必要であるに違いない。

反時代的考察の難しさ

2006-01-03 23:17:16 | 社会
帰省した折に本棚を眺めていて、古い雑誌やムックに目が留まることがある。大学に入って国際政治学を勉強し始めた頃に買った『国際政治学入門』(法学セミナー増刊 1988年4月30日発行、日本評論社)もそんな一冊だが、冷戦終結直前の激動期に刊行された本だけに、載せられている論文、解説記事の内容も今から見ると感心するもの、疑問を感じるもの、様々である。木戸蓊氏の「国際政治と均衡感覚」(81-90頁)のように、

「キューバやニカラグアを研究しているわが国のラテン・アメリカ研究者は同地の革命運動がほぼ無条件に『反米親ソ』傾向をもつことから強い影響を受けているものが多く、他方、わが国のポーランド研究者は、『連帯』運動が強烈に『反ソ親米』的であることを反映しているものが多かった。国際政治を客観的、総合的に観察しようとする場合には、それでは困るのである」(89-90頁)

と時流に流されないバランス感覚の必要を強調する論考がある一方で、1987年11月の金賢姫による大韓航空機爆破事件の直後であるにもかかわらず、あるいは直後であるため、かえってなのかもしれないが、「金日成著作集」を必読書として勧めたり、「北は主体思想にもとづいた社会主義社会建設を主目標にして、自立的な経済の発展と分配の平等を目指してきた。必要なものから平等に満たしていくという哲学が貫徹されている。ピョンヤンのデパートを覗いても、たしかに生活必需品は潤沢である」(多賀秀敏「新しい地球の読み方」、253頁)といった今から見るとナイーブすぎる記述もある。このような論者による幅の大きさも、多様な見方を提供する、大学生向けの「国際政治学」入門としては的確だったのかもしれない、というのは皮肉すぎるだろうか?

情報が限られた現在進行形のことを、特に外国の出来事や国際情勢を的確に判断・評価するのは難しい。冷戦期には、「平等」と「自由」という、必ずしも相容れない二大価値観の間にあって、前者を重視する論者は、たとえ表現の自由や結社の自由が制限されていても、社会主義体制による「平等」の実現の可能性を何より大切なことと考えていたし、政治的自由や選択の自由をより重視する論者は、社会主義体制下における政治的・社会的自由の制限こそを問題視し、資本主義社会における格差の存在をある程度止むを得ないものと考えていたのだから、同じ事件や事実に直面しても、まったく正反対の結論や評価を下したとしても不思議ではない。今から振り返れば、論壇の両陣営の間でのかみ合わない議論だったのかもしれない。ただ、どちらか一方の結論だけを大学や高校の授業で押し付けられ、その通りに答案を書かなければ、悪い成績をつけられてしまったとしたら、「冷戦」の害悪は教育現場にも持ち込まれていたといわざるを得ない。

こうしたイデオロギーの違い、入手できる情報の限界によって、社会評論や政治評論は、後から読むと的外れな議論の方がむしろ「当たり前」なのかもしれない。それでも時々、「おお、こんな時にこんなことを言っていたのか」と意外な発見があるのが興味深い。アメリカ「建国」200周年の1976年3月の『時事英語研究 創刊30周年記念特大号』(研究社)にもそんな論文が載っていた。硬派のTV司会者・田原総一朗氏が東京12チャンネル・ディレクターの肩書きで、ベトナム戦争を扱ったドキュメンタリー『ハーツ・アンド・マインズ』の映画評という形で書いているのだが、その中で

「日本で目にするルポルタージュや映像によると、ベトナム人たちは、アメリカ軍に家を壊され、田や畑をメチャクチャにされ、殺しに殺されながら、じっと耐えているあいだに、いつの間にか戦いに勝ってしまったように思えるが、もちろんそんなはずはない。アメリカ軍に破壊され、殺されながら、そのアメリカ軍を打ち破り、殺しに殺したから勝ったのである。戦うとは、殺戮に殺戮で応じるものであり、戦争に勝つのは正しいからではなく強いからである。ところが日本で目にするルポルタージュや映像は、この戦い抜きの、ベトナム人の正当性とアメリカ軍の不当性のみを主張するものが多い」 (162頁)

とはっきり書いているのが目を引いた。ベトナム戦争当時を扱ったドキュメンタリーも国際政治を勉強するようになってから見たに過ぎず、リアルタイムでは報道の雰囲気は知らない私だが、田原氏が言う事情は容易に想像がつく。田原氏はさらに

「戦争を放棄した日本人が、たとえベトナム人の正当性と、その抵抗ぶりを評価しても、その戦いぶり、戦力は認めにくいという事情はわかる。しかし、認めにくいからといって見ないふりをするというのは事実を歪めてしまうことになるだろう」(163頁)

と指摘しているのは、報道の最前線に立つ者として、しかも今から30年前の、現在よりもはるかに反戦平和主義の呪縛が強かった時代の記述としては大したものだと感心した。

19世紀のドイツの哲学者ニーチェ(1844-1900)の有名な著作に『反時代的考察』(1876)がある。ニーチェは「反時代的考察」の重要性を以下のように説いている。

「私は、時代が正当に誇りとしている或るもの、すなわち時代の歴史的教義をここで、はっきりと時代の害悪、疾病、欠乏として理解しようと試みるからであり、それどころか、われわれすべてが身を焼き尽くす歴史熱に罹っており、これに罹っているを少なくとも認識すべきであると信ずるからである。われわれはわれわれの徳と同時にまたわれわれの欠点をも栽培するとゲーテは言ったが、これが本当に正しいならば、(中略)一応、私の思うままを述べてよろしいであろう」 (小倉幸祥訳『ニーチェ全集 第4巻 反時代的考察』理想社、p.100)

ニーチェの「反時代的考察」は、現代批判や歴史主義批判であると同時に、ショーペンハウアーやワーグナーを論じた文化、芸術、教育論であるが、時代とシンクロしていかざるを得ない時事評論、政治経済論にこそ、時代の価値観に流されない「反時代的考察」が必要だと痛感させられる。だが言うは易し、行なうは難しで、評論対象である現在の価値観に流されないとしても、自分が今まで生きてきた時代の価値観、教育に知らず知らずに拘束されている面があるはずだから、「時代」を超えることは難しい。少なくともそうした緊張関係の中で考えていくバランス感覚だけは失わないようにしないといけないだろう。

自立支援を考える

2005-10-16 16:40:25 | 社会
大分前の話だが、日本の先端企業を扱った英語テキストを使っているクラスで、将来、入社してみたい企業への志望動機書を英語で書いてみるという宿題を出したことがあった。企業についていろいろ調べて、なぜ自分がその業界や企業に興味をもったのかを書いてもらったのだが、その中で目を引いたのが一人の学生の出した志望書だった。彼の父親は全盲らしく、家族の手助けなくしては一人で食事をすることもままならないらしい。しかし父親はなるべくなら家族に助けられずに万事を自分で行なおうともがいていて、そうした姿を見るのが息子としてつらく、将来は障害者のための補綴具メーカーに就職したいと書かれていた。心を動かす内容であり、おそらく企業もきっと採用してくれるだろうと思われるような志望書だったが、自立支援のあり方についていろいろ考えさせられた。

その後、8月にアメリカ人の政治学者を囲む研究会があった。彼は自分の政治学のクラスをとっていた学生のエピソードとしてこんな話を紹介した。「過度の援助は自立の妨げになる」と政治学のクラスで習ったある学生の前である日、杖をついた老人が倒れていた。優等生だった彼は授業で習った内容をバカ真面目に反芻して、老人を助けるべきか否か、逡巡していると、通りかかった中年の男がその老人を助けて、「若いくせにぼっと突っ立って何やってるんだ!それでも人間か」と怒ったという。次の日からその学生は政治学の授業に来なくなったというのがオチだった。出来すぎていて作り話じゃないかと思うが、その位、アメリカ政治のクラスでは定番の議論なのである。

アメリカの大学院で福祉をめぐる政治を勉強し始めた時に一番衝撃を受けたのは「援助に値しない貧困層 Undeserving Poor」という言葉だった。ペンシルバニア大学の社会史学者マイケル・カッツ教授の1990年の著書『援助に値しない貧困層-「貧困」に対する戦いから「福祉」に対する戦いへ』で有名になった言葉であるが、日本で「福祉」というと恵まれない人を助けるものであり、助けることがいいことだというのが暗黙の前提になっていた気がしたので初めて耳にしたときはどういう意味かすぐに理解できなかった。1980年代後半からアメリカでは、高齢者や障害者などの「援助に値する」貧困層と、未婚の母などの「援助に値しない」貧困層を区別し、後者への補助金を廃止・削減しようという動きが保守派を中心にさかんだった。特に槍玉に挙げられていたのが、シングルマザーを対象にしたAFDC(要扶養児童世帯補助金)で、10代で妊娠して未婚の母となった黒人女性が主な受給者になっていたため、この補助金があるせいで、かえって若年で未婚の出産が増えているなどと共和党保守派に批判されつづけ、クリントン民主党政権も1996年の「福祉改革法」で廃止し、就労を原則とし、一時的にしか援助しないTANF(貧困世帯一時補助金)へ切り替えた。これにより各州の福祉給付受給者数は激減したが、貧困問題はもちろん解決されなかった。

「援助に値しない貧困層」というネーミングは、自由主義的市場競争を重視し、北欧・西欧諸国と比較して「弱い」福祉国家であるといわれるアメリカらしいが、アメリカよりも福祉国家であることにコンセンサスがあると考えられてきた日本の福祉行政のあり方も一方では、厚生官僚など、行政による「保護」「収容」「給付」といった、国家による後見性を前提とした「措置」行政だと批判されてきた(例えば新藤宗幸『福祉行政と官僚制』岩波書店、1996)。国民の生存権や生活権を実質的に保障するために行政の役割が不可欠であるとしても、福祉サービスの主体が行政である限り、社会的スティグマ(烙印)や市民の自主性を阻害するという問題を免れない難しさが存在している。

郵政民営化法案に隠れてしまったが、先の通常国会で廃案になり、現在の特別国会で成立見込みの法案に「障害者自立支援法」がある。10月14日に参議院本会議で与党賛成多数で可決され、衆議院に送られた。同法案は、1.身体、知的、精神と各障害によって分かれていた施策や制度を一本化する、2.就業支援として職業訓練や創作活動の事業を促進し、空き店舗や空き教室などを活用できるよう規制緩和する、3.障害者が利用する福祉サービスについて国の財政負担を義務付けた上で、介護保険と同様、原則1割の自己負担を求めることを柱としているが、障害者団体を中心に、「一割負担」を求める点や、障害者の所得保障がない点などが批判されている。国の財政事情を鑑みると、「自立支援」よりも、障害者の「自己負担」の強化にポイントが置かれていると疑われるのも無理ないだろう。しかし第2のポイントである、障害者の就業支援や社会参加の拡大のための政策が重要なことは言うまでもない。この機会に真の「自立支援」とは何かを改めて問うてみる必要があるだろう。

日本の障害者行政は、障害者を健常者と区別し、親の庇護の元におくか、施設に入所させる方法を主流としてきたが、今日の障害者政策のあり方は「ノーマライゼーション」、つまり障害者や高齢者が社会の他の構成員と出来る限り同様に活動し、生活できる環境を作ることが重要だと考えられるようになってきた。この「障害者自立支援法」のコンセプトもそうした「ノーマライゼーション」の方向性に沿っているものだと言えるだろう。「健常者」に比べて就労機会や就労「能力」に限界がある障害者に所得保障することは一見「正しい」ように思われるが、行政による「施し」という社会的スティグマを押されたり、差別されるという問題点が残る。社会において異なる背景・条件を抱えた人々が共生するためには、ただ単に社会的に不利な立場にある人々に援助するだけでなく、そうした援助をすることが当然であるというコンセンサスが形成されること、もっと言えば自分もその立場になりうるということを心から理解する必要があるだろう。裏を返して言えば、自分も障害者になりうると思うと同時に、障害者が自分と同様に社会の担い手となりうると考える必要があるのである。その意味で就労支援や職業訓練の充実することや、可能限りの自己負担を求めることは決して間違っていないはずだ。

先ほど述べたように、「助けることがいいことだ」とは必ずしも思われてないアメリカで、障害者福祉を考える際によくなされている説明は、車社会のアメリカでは誰もが事故で車椅子に乗る可能性があり、障害者の問題は他人事ではなく、自分の問題なのだ、ということだった。こういう説明を聞けば、最も保守的で個人主義的なアメリカ人でも納得することだろう。

「援助」や「支援」という言葉自体にも、援助する側、支援する側の「優位」性や「優越」観が内在しており、「援助」される側、「支援」される側からすると、不公平感、被差別意識、スティグマを感じやすい構造になっている。そうした「タテ」の関係ではなく、自分の問題として、対等な市民間の相互扶助として障害者行政の問題を捉える意味でも、単に「自己負担」の増加を批判するのではなく、実効的な「自立支援」のあり方は何かを考える方に議論の力点をおくべきではないかと今回の法案をめぐる議論を聞いていて思った。


「ずっと」の美学

2005-08-30 10:19:43 | 社会
外国語を学ぶ利点の一つは日本語に敏感になることだろう。その意味では古文や漢文を習うのも、現代日本語のあり方に自覚的になる意味で大いに意義があるに違いない。アメリカ留学中に日本語クラスのティーチング・アシスタントをするという、今から思うと貴重な経験をした。毎週、漢字の小テストの採点をしていたら、ある日、インストラクターに呼び出されて、「あなたの採点は厳しすぎます。レフトかライトのどちらかがあっていたら部分点をあげてください」と言われた。しかし「へん」と「つくり」の片方だけあっていても全く別の意味の漢字になってしまうのだが・・・とは思ったが、翌週から部分点をやるようにした。

「東京ローズ」というすごいネイミングの比較的で値段が高い日本料理店があったのだが、ある日、アメリカ人学生の作文を採点していたら、「トウキョウローズよりもピザハットのほうがおいしいです」などと書いてあり、アメリカ人の男の子の味覚ならそうだろうなと微笑ましく思ったりした。「~より~の方が・・・」という構文を使って文章を書く宿題だったようだ。こうした比較表現はおそらくあまり本来の日本語になじまないのだろう。英語の比較級、最上級を日本語を訳すと、「より大きい」とか「最も大きい」といういかにも翻訳調になってしまう。しかし逆に英語を書く時に、この比較級は実は、例えばA longer life means a longer retirement(寿命が延びたことによって、退職後の生活が長くなった。)という具合に、「~すれば、~になる」という因果関係を説明する時に便利なのである。

しかし高校までの英語教育では作文よりも英文和訳重視なので、「no more A than B = B でないと同様にAでない」といった変な解釈公式ばかり教えて、高校生や受験生の間で比較級アレルギーを増殖させているのが現状である。英語で比較級が発達しているのは、アングロサクソン文化圏の人々の競争心が旺盛で、常に他人に優越感を示したり、他人との関係でしか自己確認できないからだ、などと安直な文化還元主義的な説明をする人もいるかもしれないが、言語によって表現が豊富な分野とそうでない分野があることを自覚できるのも外国語学習の面白さである。

反対に日本語が得意な分野はご存知の方も思うが、「どんどん」、「すいすい」、「さらさら」といった擬態語・擬音語・オノマトペの類である。宮沢賢治がオノマトペを多用したことはよく知られている。擬音語のことは知っていたのだが、アメリカ人と話して気づいたのは、日本語の「ずっと」という言葉にぴったりと当てはまる英語がないことだった。

ここでいう「ずっと」は「ずっと大きい」の「ずっと」ではなく、「ずっと変わらない」方だが、和英辞典ではall the way, all the time, the whole ~ through, always といった訳例があげられているが、いずれも日本語の漠然と変わらない状態が続くニュアンスが表現されていないような気がする。「いつも always」でもなく、「永遠にforever」でもない、ずっとの微妙な語感が英語で伝わらないようだ。 あるアメリカ人学生が「私は日本語の『ずっと』という表現が好きです」と言っていて、なるほどそうなのかと発見したのがきっかけだった。これも変わらないことを愛する日本文化の象徴なのだろうか?

試しに歌謡曲の歌詞検索サイトで「ずっと」をタイトルに含む曲名を検索してみると26曲もヒットし、そのものずばりの「ずっと」というタイトルの曲や「ずっとずっと」という曲も二曲もあった。歌謡曲なので大部分は恋愛の移ろいやすさ、人の心の変わりやすさを歌って、だから「ずっと」変わらないことを切望したタイトルになっているのかもしれない。その一方で変わりやすさ・はかなさの代名詞のような「桜」をタイトルに含む曲も、「桜」で48件、「さくら」で16件もあった。「さくら」のはかなさを愛でつつ、「ずっと」を願っている日本人像が浮かび上がってくると言うとこじつけ過ぎかもしれないが、日本人としてはわからなくもない。

「ずっと自民党にいたかった」という人たちの声も遠くで聞こえてきそうな今度の解散選挙だが、「ずっと」変わらないことがいいことなのか、改革という美名の下、桜のように散ってしまうのがいいことなのか、有権者の展望をもった判断が必要とされるだろう。

栄冠は君に輝くか?

2005-08-08 08:18:17 | 社会
私の大学時代の恩師は高校野球が嫌いだった。日本におけるマスメディアの発達の歴史について触れた授業で覚えているのは、「新聞社などの報道機関はニュースがなければニュースを自分で作ります、そのために野球などのイベントを始めたのです」という言葉だった。確かに新聞社が主催する行事として高校野球も始まったのである。ここで先生の話は終わらなかった。

「毎年、夏の電力消費量のピークは高校野球の決勝戦の正午です。皆がクーラーをつけてテレビを見てますからね。日頃、環境保護だの、京都議定書の重要性などを力説している新聞社が主催する行事が日本のエネルギー過剰消費の元凶とは偽善の極みではないでしょうか?」。

先生はスポーツが嫌いで、「人間が平等じゃないと言うのは、駆けっこ(=徒競走)、やらしてみると一目瞭然じゃないですか?」などと日頃よくおっしゃっていた。小学生の頃運動が苦手だった私には先生の心の叫びがよく伝わってきたが、高校野球に関しては、私の母校は私が入学した年の3月にいきなり春の選抜に出場し、在学中に一度夏の甲子園にも出場して、私たち在校生一同を楽しませてくれたので、先生の高校野球批判には必ずしも共感できなかった。
 
クラスメートに甲子園登板ピッチャーもいたのでなおさらである。しかし今年の不祥事にしてもそうだし、プロ野球のドラフトが熾烈だった時代のダーティな高校生への金銭授受の問題、野球部の暴力隠蔽・封建体質など、「白球を追いかける高校球児たちの筋書きのないドラマ」と美化するのはあまりも白々しい汚れた世界でもある。
 
高野連が「教育の一環」と言っているも偽善的かもしれないが、高校野球中継を見ていても、中年男性の解説者が裏声(猫なで声?)で「うーん、○X君のスライダーのキレ、惚れ惚れしますねえ」などと高校生に妙にへつらった言い方をしているのもいつも違和感があった。血気盛んで判断力が未熟な高校生が、このように大人も含めた周囲から常にちやほやされて、間違いを起こすな、という方が無理な注文かもしれない。
 
また高校野球でいつも奇妙に思うのはその地域ナショナリズムのあり方である。高校野球の定番の応援の仕方は、まず母校を応援し、母校が県大会で負ければ、県代表を応援し、県代表が敗れれば、関東なり北陸なり同じ地域の代表を応援し、最後には西日本か東日本かで応援するというやり方だそうだ。言ってみれば「同心円型(地域)ナショナリズム」というところだろうか?
 
だが皮肉なことに強豪校になればなるほど、いわゆる「野球留学」で他府県から選手を集めており、当該県出身者がスタメンの半分もいないチームも珍しくないのだ。私は母校が出場しなかった大会には全く興味をもたない我侭なファンだが、一つにはこうした地域ナショナリズムに全く共感できないというのも大きい。しかしアメリカでも野球人気はアメフトやバスケに負けているが、日本でもプロ野球人気はすっかり低迷し、特に若年層の間ではすっかりサッカーに逆転されていることを考えると、一野球ファンとして高校野球にはまだまだ頑張って欲しいと思う。

謝罪と責任のポリティックス

2005-08-07 08:13:39 | 社会
人間の行動や選択に過ちや失敗はつきものである。誤った判断や行動で他人に迷惑をかけたり、他人の気持ちを傷つけたり、人間関係で取り返しがつかなくなってしまうことは決して珍しくない。タイムマシーンで過去には戻られないので、やってしまったことや選んでしまったことを後悔しても始まらない。どのように修復するかで力量が問われるのだろう。
 
責任を感じ、間違ったことに謝罪するのと、それを相手に素直に受け入れてもらうのは容易ではない。往々にして加害者より被害者の認識の方が重い場合が多いし、人に受けた恩は忘れやすいのに対して、人から受けた被害や嫌なこと・辛いことはなかなか忘れられないものだ。人生や人間関係でもバランスシートをつけられれば、もう少し客観的に把握できるのかもしれないが、多くの場合、喜怒哀楽は主観そのものなのでわかっていても簡単に赦したり、素直に受け付けられない場合も多いだろう。

個人間でも謝罪のタイミングや言葉、それを受け入れてもらうことは難しいわけだが、国家間ならなおさらである。日本の「戦争責任」についての中国や韓国と日本との間の認識の違いや感情的な行き違いはその典型である。第二次大戦中に日本が中国や韓国に対して行なったことを間違っていたと思い、日本人として真剣に謝罪したいと思っている政治家や官僚、民間人は決して少なくないだろう。その一方で、「戦争責任」という概念そのものを受け入れず、謝罪する必要がないと思っている政治家や歴史家もまた無視できない数だけいる。そのため過去の日本の植民地支配や戦争責任を否定して、中国や韓国の人々の神経を逆撫でするような政治家の発言が絶えることがない。
 
アジア諸国の人々がそうした日本人政治家の発言に触れれば、「だから日本人は戦争でやったことを謝罪も反省もせず、美化している」と思ってしまうだろう。首相が毎年靖国神社を参拝しているとなおさらそれを裏付けているように思われてしまう。一方で、日本の納税者の中には日本の円借款で北京や上海の空港建設費の約50%がカバーされたことなどを知って、中国の経済成長に対する日本の政府援助が十分に「感謝」されていないことに不満をもっている人も少なくない。中国・韓国の人からすれば日本の「謝罪」や「賠償」が不十分であるとして不満を抱き、日本人の「反省」の度合いに不信感をもっているのだが、日本人からすれば過去の罪悪感を軽減したいという心理も働くのだろうが、日本の戦後の経済援助の実績を強調し、それが十分評価されていないのに不満をもつという相互不信の図式ができあがってしまっている。
 
戦争を遂行指導した直接の責任がある政治家・軍部指導者以外の一般日本人自身の間にも戦争の「被害者」意識があるのだから、「加害者」意識を共有しろと要求されても理屈では分かっても素直に受け入れ難いかもしれない。ここで大切なのは、1965年日韓基本条約1972年日中共同宣言における賠償請求権の解釈といった法的議論の問題だけでなく、国民感情というよりデリケートな側面である。
 
二つの条約における「賠償」の仕方の問題点を指摘することは容易かもしれないが、双方の国民全員が納得するような政治的決着は不可能である以上、二国の政府間交渉として政治的決着をつけない限り、国交正常化は不可能で、両国が戦後の新たな関係を切り開くことができなかったであろう。しかし日本軍の占領や攻撃によって家族は失った人、家を失った人、人生が台無しになった人、それを祖父母や親たちから聞かされてきた子供や孫たちの反日感情を癒すことは至難の業である。その重みを日本人は背負っていかねばならないだろう。

 しかしもう一つ大切だと思うのは、語弊を恐れずにあえて言えば、糾弾の「快感」にひたってはならないということである。人間関係でも政治の場面でも、一方的に「絶対善」、「絶対正義」の立場に立てることは稀であり、必ず双方に痛いところというか、弱点や非難されるべき点があるはずなので、相手に言い返されるのを恐れるとあまり一方的に強くモノを言えない場合が多い。しかしそういう関係でいいのではないだろうか?
 
アメリカ人に対して原爆投下の責任を問う日本人や、日本人に対して南京大虐殺や従軍慰安婦問題の責任を問う中国・韓国人(や場合によっては彼らを支援する日本人活動家たち)の口調がともすると、この「絶対正義」の安全地帯から発言しているように聞こえることがある。こうした問題に対して、良心的なアメリカ人や日本人ならば反論できずに沈黙するか、自分では到底取りようもない責任を感じていることを表明するか、どちらかしかできないかもしれない。しかし被爆者本人や被爆者の家族、あるいは日本による侵略の直接の犠牲者やその家族が糾弾するのはともかく、東京生まれの広島市長が第2次大戦後生まれのアメリカ大統領を非難しても、また20代の中国人の若者が何の罪もない日本料理店に投石しても、糾弾や責任追及のあり方として何かちぐはぐな観があることは否めない。
 
戦後処理として国家間関係として政治的に一応の決着をつけることはできたかもしれないが、国民感情としては60年決着がついていないことは多い。いや永久につかないのかもしれない。犠牲者の側の「赦し」の気持ちと、加害者(あるいは加害国民)の側の長期的な「原罪意識」の持続がうまくかみ合わない限り、「もう謝罪した」「いや反省していない」という議論の堂々巡りが避けられないのだろうか?

進化論を信じないアメリカ

2005-08-06 08:09:06 | 社会
久しぶりのアメリカ政治・社会についてのブログである。今年の『アメリカ社会論』の授業では扱わなかったが、アメリカ社会を見る場合、日本と大きく違っている点に進化論の扱いがある。アメリカ史を勉強した人なら誰でも知っている裁判の一つに1925年のいわゆる「モンキー裁判(Tennessee v. John Scopes)」がある。テネシー州で進化論を教えることを禁止する法律が制定されたのに対して、リベラル派の人権団体のアメリカ市民的自由連合(ACLU)の支援の下、進化論を教えるテネシー州の高校の生物学教師・ジョン・T・スコープスがこの州法を違憲として訴訟を争った。
 
スコープスは一審では有罪判決だったが、最終的には州最高裁判決で無罪になったが、同州法自体は合憲とされた。アメリカにおけるキリスト教文化と天地創造説の根付き方、「バイブル・ベルト」といわれる南部の保守性を象徴する事例としてよく引用されるが、しかし現在の全米世論調査でも驚くべき結果がでている。2005年6月のハリス社の調査によると、「人間が他の『種』から進化した」と答えている人はわずかに38%で、「そうではない」との回答が54%も占めている。また「猿と人間が共通の祖先をもつと思うか?」という質問に対しては、イエスが46%、ノーが47%とまさに国論を二分している状況である。このように世論が二分されているため、理科教育で進化論をどう教えるべきかについて根深い政治論争がある。この世論調査でも「公立学校では」、

進化論のみを教えるべき 12%
天地創造説のみを教えるべき 23%
インテリジェント・デザイン説のみを教えるべき 4%
上記三者を合わせて教えるべき 55%

となっているが、複数の見方を同時に教えるべきだという意見が過半数を占めているのがある意味でアメリカらしい。
 
実際、留学中に親しくなった生物学専攻のアメリカ人学生も中学高校で天地創造説と進化論を両論併記で習い、クラスで議論したそうである。ここでいう「インテリジェント・デザイン」説というのは、1999年に出版されたウィルアム・デンスキーの著書『インテリジェント・デザイン-科学と神学の架橋』で展開されている考え方で、地球上の生命の発生には進化論や科学では全て説明が出来ない、何らかの高度な知能のはたらきが関わっていると主張するもので、批判者側からは「天地創造説」の変種と捉えられている。ブッシュ大統領もインテリジェント・デザイン説も教えられるべきだと発言して話題になっている。
 
アメリカの場合、教育委員会(school board)の委員は選挙で選ばれ、学校運営や教材選択・カリキュラム編成に強い発言力をもっているため、キリスト教保守派団体は保守系委員の増員を目指して、教育委員の選挙運動に力をいれ、天地創造説やインテリジェント・デザイン説の普及をはかっているという。特にインテリジェント・デザイン説に力を入れているのは、ディスカバリー・インスティチュートという団体である。
 
こうしたアメリカの事情は日本からすると奇異な目で捉えられがちだが、「新しい歴史教科書を作る会」の編集の教科書採択をめぐる賛成反対運動や、毎年繰り返される卒業式・入学式での日の丸掲揚・君が代斉唱問題などを考えると、ある種の前近代的な価値観を引きずった、教育現場をめぐる政治論争という点では日本も無縁ではないし、特に「つくる会」教科書の場合は、かつての皇国史観に近い日本神話を含んでいるので、「天地創造説」をめぐる論争に通じる部分があろう。
 
また大部分の日本人は進化論に疑いをもってないとは言え、自然科学の場合もどれほど進歩しても全ての自然現象を説明できるわけではないし、説明できない要素や部分、偶然はかならず残る。インテリジェント・デザインという考え方はそうした科学の隙間を埋めるという点ではうまいところに目をつけたものだと思うが、昨年の9月のニュースでは日本の小学生の4割が「太陽が地球の周りを回っている」と答えたそうである。天動説や天地創造説をめぐる神学論争以前に恐るべきはただの無知なのかもしれない。
 
「それでも地球は回っている」というガリレオ・ガリレイの叫びは日本の小学生には届かないのだろうか?アメリカの世論調査での進化論否定層の4割の中にもこうした「無知」層が含まれている可能性も否定できないだろう。安易に「キリスト教国」アメリカの問題として片付けられないかもしれない。

自己開示と友情

2005-07-31 17:30:04 | 社会
予備校は個性的な先生が集まるところだが、英語のS先生は特に個性的で、どういう英語を教わったのかは全く思い出せないが、彼の雑談は今でもよく思い出す。美大で非常勤でフランス語を教えているというその先生は、ひげを蓄えて、ダンディというか、儚げで怪しいインテリな雰囲気を醸し出していた。フランス語訛りで英語を朗読しながら、常にラ・ロシュフーコーのアフォリズム風の毒舌を吐いていた。ある日、彼が囁くように言ったのは、「友だちができないって悩んでいる人いるけど、そんなの簡単です。誰か見つけて、『君だけに打ち明けるけど』って深刻な悩みを相談すれば、すぐに親友になれますよ」ということだった。これも毒のある言い方だと思うが、一面の真理をついているかもしれない。
 
大学に入って専攻する政治学以外で特に興味をもった科目は社会心理学で、その関係の本も結構読んだ。社会心理学や集団心理学は社会科学を学ぶ上でも重要な学問だが、何よりも人間関係に興味をもって、政治学や社会学を学んでいる人にとっては興味深い科目である。とくに対人社会心理学という分野があり、その中で重視されているのが「自己開示」ということだと知った。自分の弱い部分を見せない人、本音を語らない人はなかなか人から信頼されたり、好きになってはもらえないだろう。しかし人間はたとえ何か悩みを告白している時でもどこか自分を良く見せたい気持ちが残っているし、自分にとって望ましい自画像を他人を通じて確認しようとする傾向がある。また反対に過度に偽悪的になって、他人が聞きたくないような性癖、経済事情、家庭事情や非常識な行動をべらべらと「ぶっちゃけて」しゃべって、それが「飾らない」自分を話しているからいいのだと勘違いしている人もいる。そういう人は自分が他人から「お高く」見られがちなので、自分の低俗さをあえて強調することで親しみをもたせようと努力しているのかもしれないが、残念ながら他人は最初からその人のことをそれほど尊敬もしておらず、ただ周囲を幻滅させるだけのみっともない結果に終わることも多い。このように適切な「自己開示」というのは極めて難しいものだ。

自己開示型のコミュニケーションを重視するアメリカではたくさんの本が出ていて、日本語でも例えばV・J・ダーレガ著『人が心を開くとき、閉ざすとき-自己開示の心理学』という翻訳書も出ているので、興味のある方は読んで頂きたいが、知識がついても実践するには勇気とセンスと敏感さが必要であろう。

私自身も悩んでいる内容に応じて相談する相手が何人かいるが、本当に困っていることを素直に隠さずに話せるのは大学時代以来の友人一人かもしれない。今は遠く離れてお互い忙しく暮らしているため、普段はあまり連絡をとらず、何か悩んでいる時に連絡を取り合う関係だが、私の性格や弱点、特徴などを知りつくしていて、しかも説教くさくならずに、無責任でない助言をしてくれるのでとても助かっているし、頼りにしている。相談しながら結局その通りに行動できないことも少なくないし、同じ失敗も何度も繰り返しているのだが、彼のお陰で悩みが解消、とはいかなくても、軽減されたことは数知れないし、相談した以上、彼の信頼を裏切らないように行動したいといつも思っている。まことに英語のThat's what a friend is. というフレーズを思い出させる存在である。しかし大切なのはいくら付き合いが長く親密になっても、お互いの感情と最低限の礼儀を尊重する気持ちがあることだと思う。このブログを読んでくれているとは思えないが、この場を借りて日頃の友情に心から感謝したい。