紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

シャーロッツヴィル、ヴァージニア

2005-07-21 17:06:03 | 都市
13回程度のアメリカ論の講義で毎回、違ったアメリカの都市を取り上げて、その街の背景や現在抱えている問題点などを浮き彫りにしてみたいという夢というか、構想はあるのだが、毎週徹夜で準備しなければならないことが目に見えているのでなかなか踏み出せない。とりあえずブログでまず気になる都市について語ってみたい。第一弾は留学先だったヴァージニア州シャーロッツヴィル市である。

東京以外で暮らしたことない私が人口4万人で大学と大学の創立者で3代大統領トーマス・ジェファソンの私邸モンティチェロ以外何もないこの町で暮らし始めた時のカルチュアショックはとてつもなく大きかった。写真のダウンタウンも歴史的建造物を再建して一見瀟洒だが、15分もあれば一周できる小さな規模である。アメリカの都市らしく都市中心部よりも郊外のショッピングモールなどが発展しているという典型的なスプロール型の発展をしていて、裕福な住民はシャーロッツヴィル市内ではなく、シティリミッツ(市域)外のアルバマール・カウンティの方に住んでいた。ヴァージニア州は全米で唯一、独立市制と呼ばれる、カウンティ(郡)とシティ(市)の財源の完全分離を行なっていたため、こうしたスプロールのとばっちりで州の下部組織であるカウンティの方にばかり高い固定資産税や消費税が入ってしまい、公共支出の多いシャーロッツヴィル市の方は税収が減少し、財政赤字に苦しんでいた。そのため、留学当時には名より実をとって市の「自治権」を捨てて、「市」から「タウン」へと「降格」し、カウンティの一部になってしまおうとする運動が盛り上がっていた。吸収合併して「市」に昇格しようという運動が一般的なので、Town Reversionと呼ばれたこうした動きは全米でも珍しいものであったが、その後はストップしてしまった。

ワシントンDCから車で2時間半程度、緯度で言えば「東部」であるが、文化的には「南部 Dixie」の雰囲気が濃厚な街で、フランス公使を経験をしたジェファソンの影響で18世紀末~19世紀初頭のフランス風の街の面影も残っている。東部で成功した人が引退後に住む住宅地としても人気があるようで、また大学もあったことから人口規模のわりには文化的な街で、画材店や骨董品店等も多かった。ダウンタウンのみやげ物店でLPレコードのような巨大なオルゴールを眺めていると、客は私一人しかいなかったのだが、総演奏時間20分程度かかるそのオルゴールをわざわざかけてくれた。古本屋ではアジア系の風貌の私がアメリカ史の本やアメリカの地方自治関係の本を探しているのが珍しかったのか、丁寧に解説してくれて、割引もしてくれた。何が原因か忘れたが、レストランで注文が来るまで、(たぶんいかにも)一人で落ち込んでいるように見えた私に他の客が慰めの言葉をかけてくれた。いずれも些細な思い出だが、そうした思い出の積み重ねが歴史の教科書にしかでてこないようなこの小さな町を私にとって特別なものにしている気がする


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