ヒューストンから50マイル南に位置し、写真に見るようにまさにメキシコ湾に面した人口6万人の町ガルベストン市は、夏には海水浴客で賑わい、漁港としても知られている街だが、約100年前の1900年9月8日、ハリケーンの襲来で壊滅的打撃を受け、3000世帯の家屋が全壊し、8千人ものの死者を出した、アメリカ史上、最大規模の自然災害の一例として記憶されている。
アメリカの場合、市町村レベルの自治体は州によって設立・承認されることになっているが、ガルベストン市政府はこの災害にうまく対処できず、機能不全に陥ったので、テキサス州知事が州議会に圧力をかけて、全く新しいタイプの市政制度が同市で施行されることになった。それが市委員会制度というものである。アメリカの地方自治を日本人の感覚で捉えると分かりにくいが、日本の場合の市町村は全て、アメリカで言う「市長-議会制 mayor-council form」という仕組みをとっている。つまり市長も市議会議員もともに選挙で選ばれる二元代表制である。
この市委員会制度とは、有権者が例えば5人の委員を投票で選び、彼らがそれぞれ公共安全、公共事業、財政、公園管理、地域開発といった市の行政各部の分担責任者となる仕組みである。委員が市議会議員と行政各部門の長の役割を兼ねることになる。市長と議会の対立が都市政治の主要な側面だとすれば、この委員会はそうした「政治色」を極力排除したものである。ガルベストンでの成功の後、テキサス州内のヒューストン、ダラス、フォート・ワースといった主要都市や他州のピッツバーグ(ペンシルべニア州)、バッファロー(ニューヨーク州)、ナッシュヴィル(テネシー州)、シャーロット(ノースキャロライナ州)など一時は全米160の自治体でこのしくみが採択された。
しかし政治に興味がある方なら容易に想像がつくと思うが、強力な政治的リーダーシップを発揮する市長不在で、行政各部門の代表が合議して決めるこの仕組みは、それぞれが自分の部門の利害の代弁者となってしまい、総合調整機能が働かないため、話し合いがまとまらず、また行政部と立法部を兼職するため、チェック機能も働きにくく、市政制度としては問題が多いことが判明し、やがて廃れていった。
イラク戦争に対する国際的な批判にも反応が鈍かったアメリカ国民だが、州兵をイラクに大量派遣しているために、「カトリーナ」に対する対応がうまく行かなかった事実に直面して、ようやくブッシュ政権批判を強めるようになった。日本の場合も阪神大震災の際に、政治的な理由で自衛隊出動要請が遅れたことが被害の拡大につながったと後に指摘されたが、大災害は日頃、見過ごしがちな政治システムの問題点を容赦なくあぶりだしてしまう反面、911テロで活躍したジュリアーニ前ニューヨーク市長が、共和党の次期大統領候補と目されるまで政治的知名度を向上させたり、中越地震の被害地の旧山古志村村長が今回の総選挙で衆議院議員に当選したりと、災害が(結果的にかもしれないが)政治家個人のキャリア・アップの手段となってしまうこともあるのが何とも皮肉だといえる。
災害が起こったときに、被害の拡大を安易に「人災だ」、「行政の責任だ」と決め付けるメディア報道も少なくないが、個人の住宅が仮に一定の安全水準に達してなかったとしても、行政サイドが建て直しを命令することはできないし、台風やハリケーンが来た場合に土砂崩れが起こりそうな地域の住民に対して、災害も起こってない段階で安全な地域への引越しを命じたりすることもできない。移動や居住の選択の自由や財産権の保護などの観点に立てば、私権の制限を伴う、日常の防災には自ずと限界があるだろう。日頃から市民の防災意識を高めておくと同時に、一旦、事が起こった場合の危機管理対策を充実させておくことこそ行政の任務であり、行政にできることと、市民が日頃から自らの安全は自ら守る意識を高めることが相補いあわなければ、防災行政の効果はあがらないに違いない。