紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

自己否定の哲学-『空(くう)の思想史』を読んで-

2007-09-09 19:01:11 | 思想・哲学・文明論
ある休日の午後、FM放送を何気なくつけていた時にゲストに華道家を迎えてのトーク番組が流れていた。ベテラン・パーソナリティの年配男性が若い華道家に「どうすれば花が長持ちするのか」と質問したのに対して、その華道家は「花は萎れていったり、枯れていってもその時々の美しさがあり、その時々の様相を楽しむことも大切だ」といったような答えをしていた。しかし司会者はその返答に納得せず、「そうは言っても高い花をもらったり、買った場合は長持ちさせたいのが人情だ」と言って、部屋の温度を下げるのがいいのか、水切りするのがいいのか、薬を使うのがいいのか、と執拗に質問し続け、二人の会話がまったくかみ合わなかったのが印象的だった。

春の桜のように、花はすぐに散るからこそ美しい、と感じるのは、日本人にはおなじみの美意識であろう。司会の男性もそんなことは当然わかりきっているのだが、華道家が若く、気取った口調で話すのに反発して、いやみを言ってみたかっただけなのかもしれない。『般若心経』の一番有名な文句に「色即是空、空即是色」という言葉がある。この言葉にも二通りの解釈があるようで、「色即是空」を「色・形があるものはすぐになくなってしまうので、そういう表面的な美や価値に執着するな」と諭すものと解釈する立場もあれば、「眼前の無常なるものこそに物事の本質がある」と捉える立場もあるようである。後者の立場はむしろ現世肯定の思想につながっていく。

こうした東洋哲学、仏教哲学の鍵概念である「空(くう)」について、その歴史的展開と論理構造を丹念に明らかにしているのが、立川武蔵氏の『空(くう)の思想史』(講談社学術文庫)である。立川氏によれば、般若心経がインドで編纂された際には、「色即是空、空即是色」は「色や形のあるものには執着すべきではない」という現世否定の色彩が強かったのが、中国や日本仏教として展開する過程で次第に、「諸法実相」、つまり「色や形のあるままにもろもろのものは真実である」と解釈されるに至ったのだという。

しばしば皮肉をこめて、「禅問答」といった言い方をされるように、仏教や東洋思想のことばは西洋のロジックから見ると、非論理的に見える部分が少なくない。先の「色即是空、空即是色」にしても、目の前に見える現象である「色」が、実体のない「空」であり、「空」がすなわち「色」である、というのでは、「迷いは悟りだ」というに等しい矛盾と響くだろう。立川氏はハーヴァードでPHDを取られているようだが、こうした一見、非論理的な東洋哲学を西洋人にもわかるようにできる限り、論理で説明しようと努めている。本書は、東洋哲学の門外漢にとっては難解な箇所も少なくなかったが、インド発祥の原始仏教からチベット、中国仏教を経て、日本仏教において、「空」思想がどう展開されてきたのか、そこに内在する論理は何かということを体系的に理解する手がかりを提供している。

西洋的な発想からすれば、全ての行為には「世界観」と「目的」と「手段」があり、時間が目的の実現に向かって、一方向に流れていくことになる。それによって人類は「近代化」し、物質世界を発展させてきたかもしれないが、同時に環境を破壊し、戦争を繰り返し、自然も人間もその時々の何らかの「目的」のために犠牲にし続けてきた。こうした人間・目的中心主義的な西欧の合理主義思想と違い、空の思想は、簡単に言えば「世界もない、人間もない、悟りもない」という徹底した自己否定・現世否定の発想として始まったものであると立川氏は説明している。ただし原始仏教から日本仏教へと展開していく過程で、徹底した自己否定を経て、世界や自己の「空」性を理解した後に、虚無の世界に住むのではなく、俗なるものを浄化して、また現世に帰ってくるプロセスを重視するようになったという。それがまさに「色即是空、空即是色」なのだという。この東洋的な逆説の説明はわかりやすかった。

キリスト教は一見、神を中心に世界の秩序を考えているようでありながら、世界や自然が神から人間に与えられた素材なのだという解釈を許す余地があり、結局、神と人とが逆転して人間中心主義になり、エゴイズムにつながり、また生態系におけるヒトの圧倒的に優位な立場を肯定していく危険性を内包している。世界の創造主の存在も、世界全体を調和させる根本原理の存在も、そしてもちろん人間の欲望や煩悩を否定する徹底した自己否定の思想である「空の思想」が際限なき人間中心主義へのブレーキとして働くと同時に、徹底した否定を通じて、逆に本質が浮かび上がってくるという肯定的な側面もある点は分かりやすく、共感できた。

今日、自己否定というのは、とかく良くないことと捉えられがちであり、自分の良さを認めてくれる人や組織を選んで、そういう人たちとばかり馴れ合い、付き合いたがる者が多い。近年、一見、「宗教的」なお説教をしているテレビ番組が流行しているようだが、よく見てみるとそうした番組に出演している、自称「宗教家」や「予言者」たちは、相談相手のことを結局、最後には「肯定」している。表向きは厳しそうな言葉に涙を流していても、最後は肯定し、励ましてもらおうという相談者の甘えが透けて見えるし、そうした「フォロー」があるからこそ、予定調和を期待して見ている多くの視聴者をひきつけることができるのだろう。徹底した自己否定に耐えるほど人間は強くないし、戦後の日本の教育もそうした強さを鍛える方向で展開してこなかったといえるかもしれない。

『空の思想史』を読んで、改めて考えたのは、徹底した自己否定を経て、世界と立ち向かうようになった自己の方が、自己の弱点を直視することやそれと対決することを避け、安易な自己肯定を繰り返してきた自己よりも強い自己になるだろうということである。

「空」という言葉を聞くと、いかにも東洋的な諦念、ニヒリズムだと考えがちであるが、そうではなく否定そのものが次の行動への原動力となるような強さをもった思想がまさに「空の思想」なのだというのは目からうろこが落ちる思いだった。また「縁起」が「因果関係」を示したり、「仮説」というのがもともとは仏教用語であったことも恥ずかしながら、はじめて知った。インド発祥の仏教が漢訳を通じて、日本に伝来したことで変容していく過程を解説する本書を読むことを通じて、自分が勉強してきた西洋の学問の様々な用語が、時としては仏教用語である漢語で表現されてきたことで、どのようなズレが生じているのだろうかといったことも、合わせて考えさせられた。

年をとってしまうと精神的にも肉体的にも厳しい「自己否定」には耐えられなくなってしまうかもしれない。だからこそ若いうちは、安易に「肯定」してくれる人や言葉を求めるのではなく、むしろ厳しい言葉や人を求めるべきだし、自分に対しても厳しくしないといけないだろう。文字通り学術的な東洋哲学の研究書だが、教育や今日の世界について示唆するところも多い良書だと思う。

取れる責任、取れない責任-柄谷行人『倫理21』を読んで

2007-08-31 19:04:50 | 思想・哲学・文明論
昨今、「責任」という言葉がなにかとクローズアップされている。3年前にイラクで日本人が人質になった時、「自己責任」という言葉が話題になった。現在、アフガニスタンでタリバン勢力に拘束されている韓国人宣教師たちにもついても似たような議論が韓国内で行なわれているようである。「アカウンタビリティ」という専門用語が「説明責任」と訳され、メディアを通じて、一般に広まった。そんな世の中の動きを反映してか、今年、卒論を指導している学生のうち、二人が、これも近年の流行語である「企業の社会的責任(CSR)」をテーマとして取り上げている。「責任」とは、いったい何を意味するのか、どこまでが「責任」の範囲なのか、自ずと考えさせられる機会が増えてきた。

政治学を少しでも学んだことのある人間にとって、「責任」をめぐる有名な議論は、マックス・ヴェーバーの『職業としての政治』(1919年)に出てくる、「責任倫理」と「心情倫理」の話である。ヴェーバーは、政治家は、「結果に対する責任を痛切に感じ、責任倫理に従って行動する、成熟した人間である」べきだとして、目的による手段の正当化に陥りがちな心情倫理の問題点に目を向けさせた。小学校以来、さんざん聞かされてきた、「悪気はなかったから」、「一生懸命やったんだから」といったような典型的な「心情倫理」的な正当化を一刀両断にする、ヴェーバーの議論は大学生の時に読んで、新鮮だった。

一方、法律用語としての「責任」は、例えば英米法では、責任(liability)は、「あることをなし、またなさないことを法的に義務付けられている状態」(田中英夫編『英米法辞典』東大出版会、p.515)と定義されており、一般に「責任」に当たる英語として考えられるresponsibilityは、「責任能力などliabilityの根拠となる事由が存在することを指す」(同書、p,727)となっている。つまり一般に「責任感が強い」といった場合は、ともすると何でも引き受け、何でも口出すような人の意欲の旺盛さを指すこともあるのだが、法律用語としての「責任」は、法的「義務」の有無とそれを遂行する「能力」の有無を問うことで、責任の所在や範囲を明確にしようとしている。

しかし日常用語としての「責任」は、心情倫理と責任倫理を峻別しようとしたヴェーバーとは違い、むしろ「罪悪感」や「後悔」といった心情の部分にまで踏み込んで、無原則に拡大されて使われている。歴史や戦争責任をめぐる議論にもその傾向が顕著に見られる。法的議論では回収しきれない「責任」論をどう捉えたらいいか、考える一つの材料を提供してくれたのが、柄谷行人氏の『倫理21』(平凡社ライブラリー、2003年)である。

柄谷氏の「責任」についての講演をまとめた本書の議論は、犯罪者の親の「責任」から天皇の戦争責任、生者の死者に対する責任まで、多岐に渡っており、全体を通じて、必ずしも一つの明確な方向性を示すには至っていないが、考える論点をわかりやすく提示しているので、それらを紹介しながら、考えてゆきたい。

柄谷氏は、道徳と倫理という言葉を区別し、前者を共同体的規範の意味でもちいて、倫理を「自由であることを要請する義務」という意味で使っている。柄谷氏の用語法はカントに従っており、柄谷氏が述べているように道徳を主観的なものとし、倫理を習俗規範としたヘーゲルと正反対の用語法になっている。

英米系の功利主義の哲学では、幸福(快)の実現を善と捉え、「最大多数の最大幸福」を実現することを目指し、共同体が個人の幸福の実現に干渉するようなことはできるだけ避けるべきだと考えられている。それが今日の資本主義社会を支える基本原理になっていることも確かだが、個人が自分の幸福を追求するといっても、その幸福なり利益なりは、個人の心の中から自発的にできてきたものというよりも、多くの場合、他者が欲するから自分も欲するというものに過ぎない。また他人に迷惑をかけない限り、法に触れない限り、何をやってもいいというエゴイズムに陥りがちであるし、自分の幸福のために他者を「手段」として扱うという問題も生じる。自律的な倫理を重視したカントはこうした功利主義を批判すると同時に、伝統的な共同体的な規範についても「他律的」であるとして批判している。

共同体的規範の問題点は、例えば会社という「共同体」が不正を働いていた場合に、一会社員としては組織防衛上、それを隠蔽することを求められたりするが、社会全体にとっては正しいことにならない。それは「共同体」の単位を国まで広げても同じことである。カントは、共同体的規範が世界市民的なレベルで共有できる場合にのみ「倫理」として肯定できるとしている。その倫理とは、「自由であれ」という至上命令であると柄谷氏はまとめている。

柄谷氏はまたニュルンベルク裁判の際にドイツの哲学者カール・ヤスパースが展開した罪責論を引用し、戦争犯罪を、刑事上の罪、政治上の罪、道徳上の罪、形而上の罪の4つの見方でとらえることを紹介している。罪を「責任」と言い換えれば責任論になるが、戦争責任は国際法の問題として決着をつけるしかなく、国際法は、実際にはどこかの強国の「暴力」によってしか実現されず、強国の利害に従属してしまいがちで、例えば帝国主義そのものは当時の国際法的には「違法」ではなかったので、国際法だけでは、二つの世界大戦のより根本的な原因であり、罪でもある帝国主義の責任を問えないことになってしまう。したがって責任論は上に挙げた4つの位相のうちで、最後の形而上的な責任のレベルで考える必要が常に出てくることになる。

柄谷氏が繰り返し強調しているのは、カントの「他者を手段としてのみならず、目的として扱え」というテーゼである。このテーゼを現代の世界に当てはめれば、他者を手段にし、発展途上国を手段にし、低賃金労働者を手段にし、また地球環境を手段として破壊して、増大している現代のグローバル経済が「倫理的」要請に反しており、それをどう考えるかがまさに責任論ということになってくる。柄谷氏はマルクス主義の立場から最後は、資本制からコミュニズムへの発展は歴史的必然からではなく、「自由であれ」、「他者を手段としてのみならず、同時に目的として扱え」という倫理的な義務からのみ生じる、とまとめているので、結局、カントとマルクスへ帰れということになってしまうのか、とその点は大いに引っかかるのだが、個人、共同体、そしてより普遍的な規範の三者の関係を、現在生きている人間だけでなく、死者やこれから生まれてくる新しい世代も視野に入れて議論している点が説得的で、考えさせられることが多かった。

柄谷氏はヤスパースの4類型で言えば、責任を現実世界でまず決着させるためには刑事上の責任、言い換えれば法的責任のレベルで決着せざるを得ないが、責任を考える上では最後の形而上的責任のレベルまで考えなければならないということで、その中で一番大切なのは、「他者を手段として扱ってはいないか?」「他者の自由を尊重しているのか?」ということに敏感に配慮することになるのだろう。

哲学者の議論として説得的であったが、同時にやはり結局、法的責任以外は問うことはできないし、法的責任が問われない限り、何もやってもいいという功利主義的な道徳観がはびこっている日本や世界の現状を大きく変えることができないだろうと思わざるを得なかったのも正直なところである。哲学者の議論であるだけに、現実世界でどう実践していくかについての処方箋が乏しいのはやむを得ないかもしれない。

しかし企業が最近よく使い出した「コンプライアンス(法令遵守)」や「企業の社会的責任(CSR)」という概念は、狭義の刑事的責任を超え、例えば地球環境問題への対応やグローバル資本主義の弊害に対する修正など、柄谷氏がいうような形而上の責任を含む広がりを持ち始めているだろう。個々人の「責任」と「責任」がどのようにぶつかりあい、それが社会全体、世界全体でどのような関係になっているのかを根源的に考えさせられる点で、わずか200ページの本だが、示唆的な本だった。

知識人論の落とし穴-サイードの『知識人とは何か』を読む-

2006-06-18 00:06:51 | 思想・哲学・文明論
高校生の時、例えば丸山真男の『日本の思想』(岩波新書)を読んでみてもなかなか理解できないのは、例えばカール・マンハイム(1893-1947)の『イデオロギーとユートピア』(1929)に出てくる「存在被拘束性」の概念とか、さりげなく専門的な哲学・思想用語がちりばめられている点にあるのだろう。大学に入って、近代社会思想を学んだ時にこのマンハイムに触れたのだが、簡単に言えば、人間の思想や考え方、政治的意見などは、その人の社会経済的な立場に影響されているということである。

例えば南北戦争期のアメリカなら、商工業中心のアメリカ北部都市は奴隷解放により、解放奴隷が都市の労働力不足を補うのに役立つから奴隷解放賛成であったし、奴隷労働に依存するプランテーション農業中心の南部は経済的に死活問題なので反対する、という具合に、一見、奴隷制賛成か反対かという人道上・道徳上の意見も、生活基盤が商業か農業か、北部か南部かということによって異なってしまう。このように政治意識が経済社会基盤に左右されていることを、マンハイムは「存在被拘束性」と呼んだである。

しかしマンハイムの言いたかったことは、単にすべての人の意識が社会経済的条件に縛られているということではなかった。そうした生活や経済事情に拘束されない、「浮遊する知識階級」こそ、彼が夢見た理想像だったのである。マンハイム以後の様々な知識人論においても、この「特定の階級や階層、体制の代弁者でない知識人」というイメージが、数々の批判を受けながらも一つのモデルとなってきたことは間違いないだろう。

一方で「知識人」論は落とし穴がある。「知識人」論を語る人は多くの場合、「知識人」を自認している人であろう。その場合、その知識人論は著者が理想とする、あるいは著者が実践しているタイプの「知識人」こそが真の「知識人」であって、他の人たちは、非知識人か、エセ知識人だと切り捨てられることになる。自分が「御用学者」だと考える人は少ない。いきおい「体制派知識人」論というものはほとんどなく、多くは「反体制派知識人」の勧めである。しかし実際にはそうした自称「反体制派」知識人と体制との距離も様々であり、どの知識人論も鍵括弧つきの「知識人」論に過ぎないと思って、まずは読むべきだろう。

パレスチナ系学者としてニューヨークのコロンビア大学で比較文学を講じていた故エドワード・サイード(1935-2003)については多言を要しないだろう。彼の『オリエンタリズム』という言葉は、文化研究のキータームとして定着したし、『イスラム報道』や『戦争やプロパガンダ』といった論文集は911以後、日本でも幅広く読まれた。ユダヤ系知識人や言論人が圧倒的に多い中で、英米メディアでも活躍する数少ないパレスチナ系知識人として影響力を持った人である。

サイードがイギリス・BBC放送のリース講演として行なった連続講義をまとめたのが、本書、『知識人と何か(原題 知識人の表象)』(平凡社、1998)である。サイードは知識人とは、「特定の職務をこなす有資格階層」ではなく、公衆に向かって、メッセージなり思想なり哲学なりを表象・代弁する能力に恵まれたものであり、「たえず警戒を怠らず、生半可な真実や、容認された観念に引導を渡してしまわぬ意思を失わないこと」(54頁)を使命とする人であるとしている。

サイードによれば、知識人も必ず何らかの国民共同体なり宗教、民族共同体に属しているから、その共同体との絆をどうするか、共同体への忠誠と自分の良心をどう両立させるかの問題に悩まされるが、知識人は実際には移民や故国喪失者でなくても、自らを「知的な亡命者」として考え、すべてを中心化する権威から距離をおいて、周辺に身を置き、「君主より旅人の声に鋭敏に耳を傾け」、「慣習的なものより一時的であやういものに鋭敏に反応し」、「変化を代表し」、決して立ち止まってはならないという。また専門分野の中に安住するのではなく、社会の中で思考し、憂慮し続けるアマチュアとして徹しなければならない。そのためには、必ず「失敗する神」しかいないのだと自覚して、一つの神から次の神へと崇拝の対象を変えるような権威に隷従する姿勢を改めることだとサイードは主張する。

このようにサイードは知識人に対して、かなり高いレベルの道徳的・職業的要求をしているのだが、「警戒をおこたらず信念をまげないことにおいて成功して、なんともいえぬ爽快感を経験したことのあるものは誰しも、この成功がいかに得がたいことか、身にしみて感じているだろう」(192頁)と述べているように、かなりの程度、自らが実践できていると自信をもっているようである。サイード自身がパレスチナ系知識人としての周辺的な立場にあったので、アメリカの知的コミュニティの権力構造に絡め取られてはいないと言い切れる自信があったのだろう。確かにそうなのかもしれない。しかしサイードが知識人の模範の一人として挙げているノーム・チョムスキーにその基準が当てはまるのかどうかは疑問を感じた。

チョムスキーは、生成文法で有名な世界的な言語学者だが、ベトナム戦争以後、アメリカの対外政策を激しく批判し、活発な政治評論活動を続けており、むしろその方面での活動に関心を持っている人も多いだろう。彼自身はフィラデルフィア生まれのユダヤ系アメリカ人だが、イスラエルやイスラエル支持のアメリカ政府の姿勢を批判し、パレスチナ寄りの発言を繰り返していることもあり、サイードから政治的共感を得ているのだろう。しかしサイードが理想とする「知識人」は大学の制度や権威や専門分化の中で安住する知識人ではないということなのだが、1928年生まれ、今年で78になるチョムスキーがマサチューセッツ工科大学の言語学部教授として、未だに引退せず、本業以外の反米的な政治評論活動を続けていることが果たして「知識人」の理想なのだろうか?

アメリカの場合は連邦法の「1967年雇用における年齢差別禁止法」により「定年」制度は禁じられているため、大学でもテニュア(終身在職権)がある教授は自発的に引退することになっているが、留学中にアメリカの大学の若手の教員からよく聞いた話だが、大家の先生の一人の給料で、何人もの若手を新しく雇うことができるので、いつまでも引退しないことは学部や若手教員から迷惑がられているようである。留学先での指導教授は63歳で引退されたが、同じ学部には75歳で現役の老教授がいて、陰でかなり批判されていたのを思い出す。チョムスキーが言語学において世界的学者としていくら有名でも長年居座るのは、結局その学部の学問的発展を阻害していると非難されても仕方ないだろう。彼のアメリカ政治や外交、アメリカのパワーエリートの対する激烈な批判の言葉を読んでいると、その厳格さと対照的な自らの立場に対する甘さを感じてしまうのは私だけだろうか?少なくともアメリカの定年禁止法に守られて、アメリカの有力大学に「制度的に」奉職しつづけているチョムスキーは、サイードが賞賛するような「アウトサイダー」的知識人と呼べないことは間違いないだろう。

サイードは「オリエンタリズム」批判に見られるように、西欧思想の普遍主義に対して厳しい批判を投げかけている。例えば『アメリカにおけるデモクラシー』で、アメリカの民主主義の発展を冷静に観察した一方で、黒人や先住民差別を厳しく批判した、19世紀のフランスの思想家トクヴィルも、アルジェリアにおけるフランス軍による残虐な武力鎮圧は肯定した。イギリスのジョン・スチュワート・ミルも『自由論』や『代議政府論』を著しながらも、東インド会社に在職時にインドで代議制民主主義はまったく不可能だとみなしていた、といった具合に西欧の政治思想家たちもサイードの手にかかると形無しである。植民地主義の時代に生きた彼らにそこまで求めるのが無理なのかもしれない。

一方で、サイードらの「批判的」知識人論を読むたびに感じることは、政府を批判しない知識人に対する舌鋒は極めて鋭いのだか、反体制的知識人の限界や問題点についてはあまり真剣に検討していないように思われる。例えば批判的知識人は、植民地からの独立運動でのナショナリズムの高揚は積極的に評価するが、既成国家のナショナリズムに対しては批判的である場合が多い。しかし独立運動の中心となった指導者たちが、やがて新興国家の指導者となり、国家建設・発展の過程で強烈にナショナリズムを発揮するようになるのは、当の政治家たちにとってはあくまで連続して行なっていることである。それを良い悪いと評価するのは外側から視点である。サイードは「必ず失敗する神」と名づけたが、批判的知識人がある革命勢力や反体制運動に肩入れして、支援して、やがて彼らが権力を握ることに成功した場合、ほぼ確実に期待を裏切られることになるだろう。ロシア革命しかり、キューバ革命しかり、中国の文化大革命しかり、イラン・イスラム革命しかりである。

それが現実政治の厳しさでもあるが、その場合に、新たに権力を握った彼らに対して、批判を続けることが「知識人」の役割なのだろうか?歴史的に見て、それが成功した例はごく少ない気がする。 何よりも旧体制にとっての「反体制知識人」は革命勢力の味方だが、もし彼らが「新体制」にとっても「反体制知識人」であり続ければ、今度は新体制によって弾圧されることになるだろう。また冷戦期には、韓国の反体制運動家が北朝鮮政府の主張の代弁者になってしまい、ソ連の反体制運動家が西側自由主義の代弁者となっているなど、グローバルにみると一方の「反体制知識人」が他方の「体制派知識人」、もしくはスポークスマンとなっていることは珍しくないのである。

このように体制派知識人と反体制派知識人、主流派知識人と反主流派知識人、アウトサイダーとインサイダーというのは、あくまでも相対的、状況依存的な概念で、常に浮遊するアウトサイダーで批判的知識人であり続けることはほぼ不可能なだけでなく、それが果たしてどこまで意味があることなのか、結局、体制に取り込まれないという自己満足に過ぎないのか、考えざるを得ない。そうした「知識人」論の抱えるあやうさを内包しつつも、知識と社会のあり方を再考させられる名講演であり、200ページに満たない小著で読みやすいのでサイード入門として一読をお勧めしたい。

『葉隠入門』と『堕落論』にみる、生と死の哲学

2005-03-08 17:00:57 | 思想・哲学・文明論
最近、練炭による若者の集団自殺のニュースを聞くことが珍しくなくなった。インターネットを通じて、「心中」の相手を見つけて、見知らぬもの同士で集団自殺しているとのことだが、厚生労働省が公表している「自殺死亡統計の概況」によると、人口10万人における自殺者数をはかる自殺死亡率は、トータルでは、2003年度は38.0と、1970年度の17.3に比べて倍増しているが、急増しているのは若者ではなく、中高年の自殺である。不況やリストラ、高齢化などが背景となっていると考えられる。

自殺についての古典的研究である、デュルケムの『自殺論』は自殺率を様々なデータで比較し、人とのつながりが弱い社会での自殺率が高いことを明らかにした。つまり他人とつながっている実感がもてないこと、人のために役立っていると自覚できないことが自殺の引き金となると考えたのである。練炭による集団自殺者が、知り合いは巻き込めないが、あるいは一緒に死んでくれる相手は身近にはいないが、一人では死にたくないと最後まで他人とのつながりを求めているところに自殺志願者の心理が反映されているのかもしれない。

自殺の事情は様々で、将来に悲観して若者が自殺するのと、経済的にも社会的にも行き詰まって、疲れてしまった中高年が自殺するのでは全く意味が異なるかもしれないが、若者にしても中高年にしても生きること、死ぬことと直面することの難しさを痛感させられる。生きることと死ぬことは表裏一体の関係にあり、生きる力をつけることは死を迎える力をつけることのはずだが、西洋哲学や道徳教育が「いかによく生きるか」に力点を置いてきたのに対して、死をどう迎えるかについては十分な哲学が発達してこなかったのかもしれない。

三島由紀夫は自衛隊の市谷駐屯地で衝撃的な自決を行なう3年前(1967)に『葉隠入門』を出版している。『葉隠』とは「武士道といふは、死ぬ事と見つけたり」という一節が特に有名な、18世紀初頭、元禄太平の世の中に武士道の理想を説いた処世訓である。三島はこの『葉隠聞書』の死の哲学に大いに共鳴し、解説しながら、自己の文学観、人生観や戦後20年の世相に対する考えをまとめたのがこの『葉隠入門』である。

「行動家の最大の不幸は、そのあやまちのない一点を添加したあとも、死ななかった場合である。那須与一は、扇の的を射た後も永く生きた」(『葉隠入門』新潮文庫、13頁)という文章を読むと一見、「死の美学」を称える、いかにも三島文学らしさを感じるが、同時に「われわれは、一つの思想や理論のために死ねるという錯覚に、いつも陥りたがる。しかし『葉隠』が示しているのは、もっと容赦ない死であり、花も実もないむだな犬死さえも、人間の死として尊厳をもっているということを主張しているのである」(90頁)とも指摘し、死を過度に美化したり、理想化したり、意味づけることを戒めている。言い換えれば安易に「美しい死」を求めるな、と言っているとも読める。そう読むと、三島とは全く対照的な議論と考えられている、坂口安吾の『堕落論』(1946)の主張とも似通ってくる。

敗戦後の価値の大転換期に、坂口安吾は「戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから、堕ちるだけだ」とむしろ開き直って生きてゆくことにエールを送った。ソクラテスが説くように「よく生きる」ことや、「よく生きられない」ために死ぬことよりも、「よく生きられなくても生き続けること」の方が難しいだろう。美しい死を求め続け、実際に自決してしまった三島由紀夫も、死すべきものとしての武士道を説きながら、生き永らえた『葉隠』の著者・山本常朝に共感し、死を安易に意味づけること、死に急ぐことを戒め、逆説的な形で人生を生き抜く哲学を語った。坂口安吾は「義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な道はない」と廃墟の中から立ち上がる心意気を説いた。安易なまとめは書けないが、生きたくても生きられない命が存在する限り、自ら断たなければ生きられる命は絶ってはいけないのではないだろうか。

しかし生き続けることは誰にとっても容易なことではない。その為にはいかによく生きるかだけでなく、日頃避けがちな死の問題についても考え、いかに死を迎えるべきについても考えておかねばならないだろう。死ぬ気になれば生きられるし、死の意味づけを自ら選ぶことが結局のところできないのだとしたら、死に急ぐ必要はない。三島の『葉隠入門』も坂口安吾の『堕落論』もそうした生と死のパラドキシカルな関係を明らかにしている良書である。

『文明の衝突』と「文化戦争」

2004-10-10 15:25:03 | 思想・哲学・文明論
「古典とは、誰もが賞賛するが、読まないもの」と言ったのは、マーク・トウェインだが、読まないでも内容を理解した気になるのが古典だとすると、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』も現代の古典と言えるだろう。2001年の同時多発テロ事件を予言した本として一躍注目されることになったが、もともと湾岸戦争でも同時多発テロでもなく、1992年に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を念頭において書かれた本である。

1990年代以降に書かれた政治学的な著作で『文明の衝突』論ほど一般にも注目され、批判されてきた本もないだろう。『文明の衝突』論は、文明の定義があいまいであることや、西欧中心主義的であることや、儒教・イスラム文明を仮想敵としていること、西欧、ラテンアメリカ、アフリカ、イスラム、中国、ヒンドゥー、東方正教会、仏教、日本という文明の分類が乱暴であること、文明間の衝突が必然であるかのごとく描いていることなどが批判されてきた。
 
例えば進藤栄一氏は『現代国際関係学』(有斐閣、2002)で、「西欧キリスト教文明対儒教=イスラム連合軍との2010年世界戦争を想定し、欧ロ軍がシベリアから万里の長城を超え勝利するシナリオを描いた」としてそのネオ・リアリズムの世界観を批判している。
 
ハンチントンが保守的な政治学者であることは否めず、近著の『我々は何者か-アメリカのナショナル・アイデンティティへの挑戦』(邦訳タイトルは『分断されるアメリカ』集英社、2004)でも、ワスプ的なアメリカの知的文化を軸にアメリカ社会の再構築を構想していることは確かであるが、『文明の衝突』批判が多くの場合、原書で書いてない内容を読み込んで、批判している。
 
『文明の衝突』を素直に読むと、「異なる文明が接するフォルトライン(断層線)で戦争がおこりやすいこと」や「異文明に属すると考えられる国家間の紛争はエスカレーションしやすい」とは書かれているが、「文明の衝突」を必然としているわけでもなく、西欧の勝利を強調しているわけでもない。また「フォルトライン紛争を防ぐために」という節も設けられている。安易な紹介に頼らず、原著を読んでほしいと思う。

アメリカ国内に目を転じると、アフリカ中心主義などのラジカルな多文化主義やドラッグ・カルチュア、同性婚をめぐる議論、移民をめぐる政府の対応などをめぐる価値観の衝突やその政治化がしばしば「文化戦争」と呼ばれている。「文化戦争」は「文明の衝突」の国内版と言えるかもしれないし、ハンチントンの近著『我々は何者か』はまさにアメリカ国内の文化戦争について彼の考えをまとめたものである。
 
「衝突」や「戦争」というと直ちに回避すべきものと日本人的には考え、目をそらしがちだが、こうした価値観の衝突が存在しないかのごとくに考えられていた、従来の画一的、コンセンサス的な文化観の方がむしろ問題であり、現代日本についてもどういう「文化戦争」、「価値観の衝突」、「文明の衝突」の可能性があるのかを真剣に考えなければならないだろう。