紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

ブログ、引っ越しました!

2009-03-09 00:09:28 | 日記
半年くらい放置したこともあるブログで、どのくらいの方が読んでいらっしゃるのか、分かりませんが、前のサイトが調子が悪いのでこちらで私のブログ「紅旗征戎」を再開します。よろしくお願いします。不調の旧ブログは、こちらです。前のブログに書いた記事も少しずつこちらに移動させていこうと思っています。

忘却術の伝統

2005-12-31 16:50:57 | 日記
今年も残り数時間となった。「年忘れ・・・」と冠したイベントやテレビ番組が年末には溢れている。除夜の鐘で百八の煩悩を忘れるように、忘れることをポジティブに捉えるのが年中行事化しているのは面白い文化だと思う。「記憶術」の本は書店でも平積みにされているが、「忘却術」の本は管見にして見たことが無い。受験生の昔は記憶力がもう少しあればと思うことも多かったが、今では記憶術よりも嫌な事を忘れる忘却術の本があればと時々思う。除夜の鐘も聞こえない所に住んでいると、鐘の音では忘れられそうも無いが、日々の慌しさがいつの間にか大切なことも忘れさせてしまうのかもしれない。

インターネット化など情報化時代に拍車がかかった頃、『超整理法』などの本がベストセラーになった。読むともなく、そうした本もいくつか読んだが、時間管理法にして、整理法にしても、秘訣は結局、要らないモノや要らない時間を捨てることであるようだ。となると、必要なことを記憶する秘訣もおそらく、不必要なことを次から次からへと忘れていくことであるに違いない。年をとると物忘れがひどくなったり、さらにひどくなると痴呆症になったりするのだが、仕事盛りの年代で嫌なことをどんどん忘れていくのは意外と難しいのかもしれない。一年の終わりに全てリセットして、新年を新たな気分で迎えようとする習慣は、たとえ時間が連続で、同じ昨日と明日であるとしても、賢い人類の知恵である気がする。

来年は年末だけでなく、時々いらない記憶を処分しながら、前向きに進んでいく一年にしたいものだと年を終えるにあたって思っている。

洋書店の思い出

2005-10-04 16:36:42 | 日記
このブログの読者の一人である、ゼミのK君が、「先生のこの前のブログ、難しすぎましたよ」と言ってきた。説明変数の話はなかなか分かりやすく解説しにくく、学生に読んで欲しくて書いたのだが、あまりうまく行かなかったようだ。K君は村上春樹の小説を貸してくれて、「先生、これでブログ書いてください」とか、イギリスからふざけた絵本を買ってきて、「これをネタにしてください」とか、いろいろリクエストを出してくるのだが、注文されて書けるほど器用ではないので、今日はたまたま目にした、洋書専門店の危機について書いてみたい。

毎日新聞-MSNニュースの10月4日の記事によると、ネット書店の普及で老舗の洋書専門店が苦戦しており、東京・神田・神保町の北沢書店も売り場を縮小したそうだ。この北沢書店にはいろんな思い出がある。一階は天井が高く、各種専門書が身長の二倍くらいある本棚に所狭しと収まっていて、ここに入ると外国に来た気分になれた。二階は革表紙の貴重本を販売していて、さらに格調高い雰囲気が味わえた。アメリカが「新世界」と分類されているのも古いイギリスの書店に来ている錯覚に陥らせてくれた。私の研究テーマであるアメリカ政治やアメリカ社会に関しての新刊本は、新宿の紀伊国屋書店の方が品揃えがよかったので、紀伊国屋書店か、東京駅前の八重洲ブックセンターを主に利用していたのだが、北沢書店を訪ねるのは本を買うより、洋書を眺める気分を味わう意味が大きかった。森鴎外など明治期の小説にも登場する丸善は、バーバリーや文房具の売り場の方が充実していて、院生が必要とするような専門書は少なかった。しかし文明開化の時代から舶来品を総合的に扱うのが、丸善の特長だったようだ。

修士論文のテーマが決まらず悩んでいた時、博士課程で何か新しい研究書を定例報告で紹介しなければならなかった時、ネタ探しに洋書店をよく訪れ、そこで何時間もつぶしたものだった。博士課程の時代には既にアマゾン・コムやバーンズ・アンド・ノーブルなどのオンライン書店も利用していたのだが、洋書はタイトルや紹介文だけで選ぶと、ハズレを掴まされる可能性が高い。特に日本の洋書専門店が発行しているカタログは日本語の紹介タイトルをつけるのがうまく、それに騙された教員も数知れないことだろう。大学の図書館に同じ洋書が何冊も入っていて、肝心な基本書が抜けていたりするのも、洋書店のカタログの説明の効果ではないかといつも疑っている。実際に店舗で手にとって選ぶと、値段はオンラインで買う倍くらいしても、確実に必要な本を選べるので、やはり出来れば店頭で見たいと思う。

国立大学は注文の手続きが面倒なので大学出入りの洋書専門店が繁盛したが、今はネットで出来るようになったので、値段の割高な洋書屋よりも、オンライン書店を使うようになったと記事では分析している。全くその通りで、新刊動向を多忙な毎日の中、チェックし、かつ繁雑な注文入力作業をするのは大変なので、校費や研究費で買う分は、ついつい出入りの洋書店に頼ってしまっているが、私費で買う本はほとんどオンラインで注文している。いずれにしても身近に洋書専門書の品揃えがいい本屋がないのは寂しいもので、北沢書店が懐かしく思い出される。

大学院時代の指導教授は、「自分の学生時代は、洋書を読まされるのが嬉しくて仕方なかったが、今の院生諸君は、洋書を嫌がって日本語でごまかそうとするんだな。洋書を使ったとたん、確実に不人気ゼミになる」などとよく嘆いていた。外国に関心がある学生や留学する学生が多いせいか、うちの学部生たちはイマドキの学生にしては英文や外国語を読もうと努力しているように感じられるが、大学院生たちは研究者予備軍でありながらもあまり原書を読もうとしない。確かに外国ニュースや外国の情報もインターネットを使うと日本語でかなり手に入るのだが、二次情報でなく、少しでも自分でオリジナルな情報に当たろうとしないのは残念な傾向だ。私が院生の時は、指導教授に日本語の本は使うなと言われた。日本語の本を全く使わないのも先行研究を無視することになるし、どうかと思うが、いわば退路を断って、英語を読まざるを得なくしたのだろう。それだけ日本でも英書を読まされていても、留学生活の1年目はただひたすら辞書ばかり引き続けていた記憶がある。未だに知らない単語も多いし、単語は覚えても覚えても一方で忘れる。ざるで水をすくっているようなものだ。洋書を読まない院生というのは、そうした努力全てを放棄していることになろう。

洋書専門店対オンライン書店の対決も深刻だろうが、大学の教員だけでなく、院生自体が洋書をますます読まなくなったら、ますます洋書店の経営が苦しくなっていくに違いない。大学院生の数は爆発的に増加しているはずだが、それに見合うだけの洋書の売上が上がってないのは想像に難くない。今、別の大学で教員になっている友人とは修士課程時代に、どっちが先に新しい洋書を読むのかを競って、読んでいた気がする。先輩学者たちにもその手のエピソードが多い。大学院というものは全く変わってしまったのかもしれない。

洋書の専門書を読むのは、日本語の専門書を読んでいる時のように「分かった気になる」ごまかしがきかない。日本の学術・研究水準もあらゆる分野で高くなってきたし、日本語でも読まねばならない先行研究が山積しており、輸入学問を脱してきたことは喜ばしいことではあるが、外国語の専門書と格闘することで得られる知的刺激や論理トレーニングは今でも修行時代の大学院生には必要な不可欠なはずだ。毎年、大学院の授業のテキストを選ぶ際に、「英語が嫌だ」、「教材の論文が長すぎる」と言った学生たちの声を聞くたびに何しに大学院に来ているのかと思うと同時に、洋書店で新しい学問に触れる原初的な喜びをまだ知らないのが可哀想だとも思う。

私的エッセイと公的発言の間で-ブログ1周年にあたって-

2005-09-28 16:17:14 | 日記
今日、9月28日でこのブログを書き始めてちょうど1年を迎えた。最初は担当している『アメリカ社会論』の質問に対する答えのストックが溜まり始めたので、一般に公開しようと思ってはじめた。第1回目(2004年9月28日)が「アメリカにおける保守とリベラル」、翌日が「黒人の民主党支持」といった具合で、よく聞かれるポイントを簡潔に説明しようとしたものだった。10月17日の「受刑者大国アメリカ」あたりまではそのパターンで書いていたのだが、この辺で大分長さも長くなり、評論調になってきた。
 
台風で授業が休講になったのをきっかけに、初めてアメリカ解説と身辺雑記を交えて書いたのが10月20日の「日本の大学と休講」だったが、この時、同僚の一人(実は出身大学院の先輩でもあるのだが)に面白いと言われた。以後、やや調子にのって評論を書くようになってしまった。彼は毎回熱心に読んで、「改行なしで長すぎるエッセイは読みにくいから、もう少し切れ目を入れてくれ」と助言までして下さった。

この1年間で書いた記事が81本なので、週二回ペースにも達しておらず、全体としては決して多くはない。2004年12月、2005年5月のように一回しか更新できなかった月もあったが、ブログを書くようになって、日常生活での観察や考察、専門外の読書の習慣などが以前よりも深まってきたのはよかったと思う。81の記事のうち、ブログ上でコメントを頂いた記事は17とこれも多くはないが、先ほどの同僚を含め、ゼミ生を中心とした周囲の学生や友人たちがいろいろと感想を寄せてくれた。特に同僚から面と向って「読んでるよ」と言われるのは恥ずかしいことであるのだが、自己満足に終わりがちなブログがそうした周囲の方々のコメントのおかげで、「目に見える」読者層を意識できて、書き甲斐が出たことは確かで感謝している。

周囲の方の反応があった記事をいくつか振り返ってみたい。2004年11月30日の「テレビは『自ら助くるものを助く』か?」は、アメリカでの人生相談型のトークショーに触れたものだが、初めてトラックバックしていただいた他、アメリカで生活していた院生もショーを見ていたらしく面白いと言ってくれた。12月27日の「正しい見方は誰が決めるか」は、自分としては言いたいことの半分も書けなかった記事だが、差別や偏見のない「正しい」表現、アメリカ流に言えば「ポリティカル・コレクトネス(政治的適正表現)」についての私見を述べたものだが、ブログ上で学生の一人からコメントを頂いた他にも、何人かの方から意見を頂いた。
 
2002年2月2日の「参政権と日本の若者」は、授業で選挙に行ったことがない、あるいは関心がない若者に選挙の重要性を教える難しさについて書いたものだが、先日の総選挙で周囲の学生を含む若者たちが大きな関心をもち、投票に出かけていた様子を見ると、状況次第で大きく変わるものだと思わされた。この記事の中で在日韓国人学生が参政権が無いことについて言及しているのだが、記事を読んだ、知り合いの在日韓国人学生が「自分の問題として読んだ」とメールをくれて、「参政権をもてないことは残念だが、自分の周囲の若い在日の学生たちも最初から政治に関心がない人も少なくない」という感想を寄せてくれた。2月12日の「反体制アニメと家族像」といったとっつきやすいトピックは学生には興味深かったようだ。
 
やわらかい話題を取り上げた時は同僚や周囲の人から「面白かった」と言われることが多く、例えばゲーム理論と絡めて男と女の見方の違いと埋め難い溝について書いた3月20日の「尽くす男は存在するのか?」も多くの方から興味深い感想を頂いた。テーマとしては先ほど挙げた「正しい見方は誰が決めるのか」同様、社会科学や社会評論に携わるものなら誰もが悩まされる、どの立場でどう発言すれば、「偏見」という謗りを受けずに済むのかという切実な問題について、私としては真面目に書いたつもりだが、軽い読み物として面白がられたようである。

大学の公開講座や研究会、または大学の広報誌で発表した原稿を転用したものもいくつかある。2004年11月3日の「メインストリートの再生」、2005年3月11日の「グローバル化はアメリカ化か?」、3月28日の「住民自治の功罪と対立するコミュニティ観-アメリカの場合-」、8月17日の「大都市が作る政治社会学-シカゴ、ニューヨーク、ロサンゼルス-」などがそうだが、どうしてもブログとしては専門的で長く、分かりにくい文章になってしまった。

同僚や友人からしばしば言われたのは、アメリカ政治を専門にしている私が「意外と」日本の文学や古典に興味をもっているのではないかということだった。しかしおそらく高校時代の友人からすれば、むしろ今、政治学を専門にしている方がやや意外で、国文学をやっていると言っても驚かないかもしれない。高校時代は古文・漢文が一番得意だったのだが、アメリカ政治を専門にするようになってからそうした経験を少しも生かすことができないのを残念に思っていた。
 
読み返してみると、昔の趣味がブログの題材選びにも出ている気がする。3月8日の「『葉隠入門』と『堕落論』にみる、生と死の哲学」、4月7日の「アメリカで読んだ『陰影礼賛』」、5月3日の「国語の授業で読んだ本を再読する」、7月24日の「『危険な関係』と平行線の粋」、8月15日の「ラストシーンから始まる人生:計画家・三島由紀夫」、8月18日の「『三酔人経綸問答』を再読する」などがそれに当たるが、日本の文化や文学が分からなければ日本の政治や社会を理解することはできないし、アメリカの社会や政治を学んでも、最終的には日本の社会や政治の改革につながらなければ何の意味もなく、単なる趣味に終わってしまうと平生思っているので、こうした関心は持ち続けてゆきたい。自作の詩を載せるほど恥知らずでもナルシストでもないが、何度か有名なをとりあげてブログを書いてしまった。これらは概して評判が悪かったので、今後はおそらく?登場することはないだろう。

大学での日常や教育についてダイレクトに書いたブログは、学生や同僚からいろんなご意見を頂いた。愚痴っぽくなってしまったものや口が滑りすぎた記事も少なくなく、反省もしている。8月18日の「真の反骨精神・批判精神とは」は、大学界にはびこる権威主義、反権力の新たな「権威」化とそれに安住する知識人の問題点について、日頃から思っていることを書いたものだが、何人かの学生からコメントをもらって、若い世代にも趣旨が伝わるのだなあと少し安心した。
 
ブログでは硬い話題と柔らかい話題を使い分けているが、硬い話題、特に大学教育関係について書くと、後で読み返すと、とても偉そうな口調になっているように感じられ、「おまえはどうなんだ?」という声がどこからか聞こえてきそうで内心忸怩たるものがある。このブログでは、全くの私的な日記やエッセイでなく、ある程度、公共性のあるテーマについて自分なりに責任をもって発言していきたいと思っているのでなおさらである。それがどこまでできているかは読者の方々に判断していただくしかないだろう。

一周年ということで、「楽屋オチ」のようなブログの舞台裏の話がつい長くなってしまったが、この辺にしたいと思う。この場を借りて、日頃ブログを読んでいただいて、様々な機会にコメントや感想、激励して下さった方々へ心からのお礼申し上げたい。

京都の夜、神戸の朝

2005-08-05 08:04:58 | 日記
8月1~3日、研究セミナーで報告するため京都に行っていた。会場へ向かう途中の車で西本願寺の前を通ったところ、

「明けぬ夜を嘆くものは多いが、明けた朝に感謝するものは少ない」

という看板が立っていた。よし、この言葉でブログを書こうと思っていたところ、今朝はかんかんと晴れて、まさに「明けた朝に感謝」していたのに夕立になったため、ベランダに干したままの洗濯物が全てずぶ濡れになってしまった。これもまた人生なのだろう。
 
京都は子供のときは家族旅行で、中学の時には修学旅行で、大学時代はインターカレッジの研究サークルの春セミナーの会場として訪れていて、東京に住んでいる時からわりと馴染んだ町だった。しかし5年前にいざ関西の大学に就職してからは、すっかり学会や研究会、会議など緊張する用事ばかりで訪問する町になってしまい、毎回リラックスすることができない。今年も6月の学会に続いて二度目の報告だった。夜は京都大学出身の先生たちに案内してもらってお酒を飲んだりする機会も少なくないのだが、学生時代をこの町を過ごした訳でもないので、なんとなく彼らの青春の思い出話も共有できないことも多く、残念ながらあまりなじめない町になってしまっている。今回の報告もあまりうまく行かず、試験の出来が悪かった日の高校生に戻ったような気持ちで神戸にとぼとぼと帰ってきた。

最初の本願寺の標語に話を戻すと、留学したときはなかなか寝付けず、「明けぬ夜」を嘆いたものだった。深夜まで勉強してからベッドにつくため神経が高ぶっていたのか、異国での生活のストレスのせいなのかわからないが、不眠にはかなり悩まされた。お酒に頼るのもよくないと思い、当時は眠れなくてもほとんど飲まなかった。
 
眠れぬままに深夜、テレビをつけていると睡眠導入剤か抗うつ剤のCMばかりやっていて、「アメリカ人も大変だなあ」と妙に共感を覚えたりしていた。眠れない人しか見てない時間のCMだから当たり前なのだが。逆に現在の生活だと研究室で仕事や授業の準備をしていて、朝まで終わらず、早すぎる夜明けを迎えてしまうことがある。正月の初日の出はほとんど見たことがない私だが、今年の前期の火曜日は研究室の窓から何度、神戸港から昇る朝日をみつめたことだろうか。
 
夜が明けるのは、特に天気のいい朝は、たとえ一睡もしてなくても、たしかに気持ちがいいものである。夜はなにかと考え方も悲観的になってしまうが、朝晴れていると、昨日の悩みが嘘のように消えて、また元気に取り組めることも少なくない。もっともそれは楽観的にすぎるのかもしれないし、夜のまま悩み続けた方が大学者になれるのかもしれないとも時々思うが。準備不足で会場に向かうのも、また帰ってくる時も憂鬱な研究会ではあったが、行きも帰りも見かけたお寺の看板に「我が意を得たり」と思った今回の上洛だった。