紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

「後期子ども」のための大学院?

2009-01-03 14:55:00 | 教育・学問論

「後期高齢者」という言葉が、医療制度と絡めて、世論の猛反発を買い、名称の変更を迫られたことは記憶に新しい。しかし高齢化の政治への影響を研究テーマの一つとしていた教授から指導を受けていた筆者にとっては、75歳以上の高齢者を「後期高齢者」と呼ぶことは、10年以上前から知っていた。厚生(労働)白書などでは当たり前のように使われていた統計用語で、だからこそ官僚たちも何にも抵抗なく、「後期高齢者医療制度」というネーミングにしたのだと思う。厚生省OBで、現在は千葉大学で社会保障論を教えている広井良典氏の『持続可能な福祉社会—「もうひとつの日本」の構想』(ちくま新書、2006)を読んでいたら、後期高齢者ならぬ、「後期子ども」という言葉が出てきた。

広井氏の定義によれば、「前期子ども」が15歳前後までで、「後期子ども」とは、それ以降、高校、大学等を経て、三十歳前後までを含む、としている(p.44)。広井氏は、会社に勤めて、定年まで勤めるというのが若者にとって当然の人生コースとなりがたくなってきた日本社会においては、大学院も含めて、20過ぎの若者が働くまで試行錯誤する期間を長く認めて、場合によっては20−30歳のすべての若者に月額4万円程度を支給する「若者基礎年金制度」を創出したらどうかという大胆な提案をしている(pp.98-99)。

その当否はともかく、「後期子ども」という視点は、広井氏が書いているように、氏自身がどうしても進路を決められずに大学院に進学したことや、現在、大学で多くの若者を教えている実感から出た発想だと思う。その点は同じく大学で多くの若者に毎年接していて共感できた。ただし現在、全国的に大幅に定員を拡充した大学院が事実上、「後期子ども」たちの受け皿になっていることについては、いろいろと問題点が多いと思う。

大学院が少数の研究者になりたい学生のためのものから、パンフレット風の表現を用いれば「高度職業人の養成」、率直にいえば学部入試よりも少ない試験科目、低い競争倍率で有名大学院に入学し、それによって就職活動を有利に進めるためのキャリアアップのための機関に変質してからすでに少なからぬ時が立っている。そのこと自体は、18歳前後の一回の入試で人生が決まることを避け、セカンドチャンスを与えることにもなるし、18歳の乏しい判断力で決めた学部選択ではなく、4年間の大学での勉強を踏まえて専門を選択することを可能にしているので望ましいことだと思う。ただ毎年、大学院の面接や入試に携わっていると、どうもそれほど肯定的になれないケースが多い。

大学院は、大学学部よりも「高度」で、「専門的」な内容をやることが前提になっているのだが、学部時代に学んでいない分野に進学すれば、当然、基礎知識は欠けている。入学後や入試に備えて、自学自習して専攻を変更するための努力をしてくれれば問題ないのだが、多くの受験生を見ているとそうした努力を十分してないケースが多い。入試をしても、「これから学びたい」という気持ちは分かるのだが、そのために準備をしてきた形跡がほとんど感じられない返答や答案が多い。それでは仮に入試にパスしても、入学後、専門用語が飛び交う演習などでは議論についていけないということになってしまう。

また志望動機を聞いても、「学部時代にほとんど勉強していなかったので、大学院では勉強したいと思い、・・・」などと語る学生が意外と多い。学部生を見ているととても優秀でよく勉強し、大学院に進学して研究者を目指せばいいと思われる学生であればあるほど、学問の奥深さや難しさ、自分の適性などをよく理解していて、大学院に進学しない傾向にあるが、学部で卒論を書いていなかったり、特に論文を読んでいない方がむしろ「お気楽」に大学院進学を目指しているようにさえ感じられることもある。こういう学生は入学してから、いざ「勉強」させられると当然苦しむ結果となってしまう。

また修士号をとって就職活動に生かそうと思ってもいろいろと矛盾がある。修士課程の1年目は様々な科目を履修し、単位を取らなければならないが、近年の傾向では就職活動が早期化して、修士1年の秋には就職活動を始めないと、修士2年を修了して、すぐに仕事に就くことができない。4年間で進路を決められずに大学院に進学しても、猶予期間はせいぜい半年強しかない上に、学部のように1科目当たり半期に1回の試験やレポートをパスすれば単位を取れるわけではなく、半期数回の発表などをこなさなければならない授業も多いので、結局、就職活動も大学院での勉強も中途半端になりがちである。その辺の事情はどのくらい世間では理解されているのだろうかと思う。

大学の学部は、就職するために「学士号」をもらうために入学している学生が大部分であり、最小限の努力で単位をとって卒論を書き、いい企業に就職することが学生にとっては「合理的な選択」かもしれないし、それを教員側も諦めて受け入れている部分もあるが、大学院は少なくとも建前では「大学卒」のように企業就職に絶対に必要とされる資格であるとも言えず、勉強しない学生が入学してくることを今でも想定していないはずである。また「楽」して単位を取ることは、知識が十分に身につかないことを意味するので、研究者を目指すにせよ、目指さないにせよ、専門知識を深めようとする院生にとっては望ましいオプションではないはずだ。

しかし実態としては、外国研究でも原書は読めないので日本語のテキストを使わざるを得ないとか、発表の順番に当たっているのに欠席するとか、講義形式の授業では居眠りして聞いていないとか、少人数のクラスでも無断欠席するとか、学生たちがいやいや出席している学部教育か、それ以下の状況になっているケースも少なくない。一つには、大学院の成績認定が学部の成績よりも甘く、修士論文のための研究時間を取れるように、その外の科目についてはあまり厳しい要求をしないという慣行が悪い方向に働いているように思われる。結果として、修士論文の研究も進まないが、授業にも一生懸命取り組まないという学生が増えてしまっている。

これらの問題点は、学会で出会う、様々な大学院を担当している教員と話していると、いつも一致する点である。ごく一部のトップ校には当てはまらないのかも知れないが、多かれ少なかれ全国的な現象であるに違いない。そういう状況を踏まえると、ロースクールやビジネススクールのような専門職大学院は別として、それ以外の大学院が、広井氏が提案しているような「後期子ども」たちの「社会化」にどの程度貢献できるのかは甚だ心もとないと言わざるを得ない。

大学院で教え始めてまだ8年程度だが、その8年の中でもこの2,3年、特に勉強についていけない、勉強したくない、という方向性の、院生からの「抗議」が増えてきたような気がする。勉強したくなければ、「大学院」に在籍する必要はないと思うのだが、労働市場に組み入れられていない若者たちを受け入れる、一種の「社会保障」として、日本の大学院も機能し始めているのかなという日頃、漠然と感じていた疑問に対して、むしろ肯定的に提言している、厚生省OBの広井氏の本を読んで、良くも悪くも納得させられた。


大学と地域住民

2007-08-27 19:08:55 | 教育・学問論
ある日、大学へ向かうバスに乗っていた時に一人の老齢の男性が女子学生に向かって、「本当にこの大学はマナーが悪い。市民はみんな、迷惑しているんだ。公害大学だ!」とはき捨てて、降りて行く場面に出くわした。当の学生は大人しく立って乗車していて、何も悪いことはしてなかったのであっけにとられていた。ただこのお年寄りの日頃の鬱憤をたまたまぶつけられて、気の毒だった。昼前だったので、さほどバスが混んでいた訳ではないが、通学バスを生活圏で利用しているお年寄りなので、日頃から学生のせいでバスが混んでいると不満を持っていたのだろう。「コウガイ大学」というのが語呂合わせのような響きがあったので、なおさら普段から考えていて、敢えて言ったように聞こえた。

この大学に赴任した時にまず学生よりも、むしろ地元の高齢住民のマナーの方がよほど気になった。終点の駅のバス停は別として、途中の停留所では順番を守らず、当然のように横入りする。車内で前に移動する時に「すみません」の一言もかけることなく、ぶつかって歩き、時には怒鳴る。一停留所しか利用しない客も多く、そのほとんど全員が無料パスの利用者であるなどなど、お年寄り利用者の方が何かと目に留まった。高齢社会の将来に暗澹たる気持ちになることも少なくなかった。

そんなことを考えていたある日、70歳くらいの女性だろうか、60歳くらいの女性が空いた席に座ろうとしたのを威嚇して、「アンタ、いくつや?」と聞いて、その女性が「60です」と答えると、「まだ早い。図々しい」と言い放って着席することもあった。言われた女性も十分、優先席に座る資格があるように見えたが、きまり悪そうに「すみません」と言って、その凶暴な老女に譲った。日頃、混んでいるバスで優先座席が空いているのに学生が着席しないでいると、かえって混雑を助長するので座ればいいのにと思っていたのだが、こんなお婆さんが乗車していると思えば、学生たちも怖くて座れないだろう。

大学にしても高校にしても概して地域住民との関係はデリケートな問題で、地元の学生を敵視する住民はどこでも多い。私が通っていた高校は、最寄駅から歩くと50分もかかる、ひどい立地条件だったため、バスに乗ることが不可欠だった。幼稚園から工業高等専門学校(現在は大学になっているが)まで抱えたマンモス校だったので、バスの混雑は尋常ではなく、当然、地元の人たちの反発を強く買っていた。そのため高校の先生たちは朝夕、登下校時のバスの乗車指導を駅や学校で行なっていた。生徒は、通学路線以外のバスには乗ってはいけないと指導されていた。学校から少し歩いていくと、駅に帰る別の路線のバスがあり、通称、「裏バス」と呼ばれていた。家に帰るのにバスに乗るのになぜ若干の背徳感を覚えなければならないのか、と思いつつ、時々、友人とこっそり利用したのも懐かしい思い出である。

あの高校に比べると現在の大学のバス状況は数倍ましであり、大学があるから本数も多く、また老人が利用する病院があるから一定本数も確保されている、冷静に考えれば「相互依存」のはずなのだが、地元の高齢住民からすれば、「自分たち」のバスを学生が「占領」しているくらいにしか思っていないのが残念である。また原付二輪で下校する学生たちがうるさいといって、通りかかる学生の学生証を取り上げたり、電話で大学に脅迫めいた抗議をしてくる住民さえいる。誠に地域との共存は難しい。

過疎地の場合、大学を誘致することで、税収源が確保されたり、地元のサービス業に還元されたりということもあるのだが、都市部の大学の場合は、そのように歓迎されることもないだろう。地域連携ということも盛んに言われるが、大学の所在地からその大学に入学する学生の数はごく限られているし、市民講座や学園祭などの形で地域の人たちにキャンパスを開放し、よりよい関係を築こうとしていてもその効果はしれたものである。若い人たちや特権的に見える大学生に対する日頃の反発が、時々バスの中で暴発しているのかもしれない。反発する住民から見れば、大学も一種の「迷惑施設」に過ぎないのかもしれない。

もちろん大学や学生が反省すべき点は多い。ある晩、大学から駅に向かうバスに乗っていたら、酒に酔った学生たちが車内で大声で騒いでいた。他の乗客がほとんど乗っていなかったからよかったものの、そのようなことを繰り返していたら、「公害大学」だと決め付けられても反論できなくなってしまう。休日や深夜まで演奏している音楽関係のクラブも近くに住む人にとっては騒音だろう。以前、ブログでも書いたが、大学や大学生という身分が自分たちが思うよりも特権的なものだという自覚をもって、注意して行動しなければならないだろう。

このように書きながら同時に思うのは、住宅地だから仕方がないのかもしれないが、この町が必ずしも大学町として、コミュニティ全体で大学生や大学に対して優しくなっていない点が学生たちにとっては少し可愛そうだと思う。私が通っていた大学は、商店街も大学生をもう少し暖かく見守っていたし、大学スポーツで優勝したり、勝利した時は町全体で喜ぶような雰囲気があった。町の印象は、建物や施設やお店などのインフラだけで形成されるものではなく、そこを歩く人々の表情や言動などで作られる部分も重要である。若い学生よりも長く生きてきた人生の先輩である高齢者たちが、ただ学生や他の乗客を怒鳴り散らしたり、捕まえたりするのではなく、一緒に町の文化を創っている意識を持って、もう少し余裕をもって接してほしいと思うのは高望みなのだろうか?

「公正」な選抜とは?

2007-03-23 19:20:50 | 教育・学問論
ブログで取り上げようと思っていた本や社会的事件がいくつかあったのだが、気付いてみると更新しないまま、一月が過ぎてしまった。軽く書けることを取り上げていれば、新しい記事を掲載できたのかもしれないが、いずれにせよ、忙しすぎた。

その主な原因は入試である。今年は様々な事情が重なって、2月末から3月半ばまで毎週末、学部の入試に二度、大学院の入試に二度、関わっていた。それであっという間に一月たってしまった。明日は卒業式だ。2月、3月は日本の学校は年度末に当たるが、卒論や修士論文の審査など、今まで学んできた学生を送り出すことと、4月に入学する予定の学生を選抜するのをほぼ同時に行なう、多忙な時期だ。大掃除をして、新年を迎える年末年始のようなものかもしれない。新年を迎えて、すぐに卒論を受け付けているので、我々、教員は年末年始の忙しさを二度繰り返すうちに、いつの間にか春を迎えているようだ。

1年生の時から教えている学生が卒業するのは、明日が初めてなので、感慨深い。1年生の時の印象からあまり変わらない学生や、すっかり大人っぽくなった学生。期待通りに成長する学生や、予想外だった学生。様々な個性があって面白い。学生からしても期待を裏切られたように感じている人もいれば、自分なりに居場所を充実させた前向きな学生もいることだろう。

新しく学生を迎える準備と、学生たちを送り出す仕上げを同時に行なっているといろいろ考えさせられる。学部を卒業する学生や修了する学生に対しては、もう少しこうしてあげればよかったと後悔する点もない訳ではない。だが、学生たちの自主性や自立心、能力の高さなどを思えば、こちらが思っているよりずっと上手に、「大学」という場を自分なりに活用して、たくましく巣立っていく学生が多いのであまり心配していないというのが率直なところだ。

しかし入学試験に関していえば、果たして自分たちが行なってきた試験が受験生の潜在能力や成長の可能性をどこまで正当に評価して、選抜できているのか、はなはだ心もとない。

よく言われることだが、ずば抜けてよく出来る学生と、出来ない学生を選別することは極めて容易だ。試験問題の出来が良くなくとも、また面接官の見る目があまりなくても大丈夫だろう。問題はボーダーラインにいる学生たちである。困ったことに、多くの学生は紙一重の線上にいる。面接官の印象や論述試験の採点者の基準一つで、明暗が分かれてしまう可能性は否定できない。論述問題や面接試験を項目ごとのポイント制でつけても、結局、印象点でつけるのとあまり変わらない結果になる場合もある。定期試験でもそうだが、英文和訳を減点法で細かくつけるのと、大体、何割がた英文の意味を取れているのかで採点するのと、合計点で結局、大差がない場合が多い。面接でもそうである。絶対的で客観的な基準というものがないだけに、合格ラインぎりぎりの学生の運命が気になって仕方なかった。

最近は大学側が敗訴するので、入学辞退者から入学金を取れなくなったが、日本の私立大学では以前はごく当たり前の慣行だった。先日、亡くなった大学時代の恩師は、そのことを批判して、「入学した学生から高い学費を取るのは、それだけのサービスを提供すれば正当化できるが、入ってもない学生からお金をとって儲けるのはおかしい」とよくおっしゃっていた。同じような言い方をしてみると、ある教員が入学したある学生の能力を評価しそこなっても、あるいは買いかぶりすぎても、他にも教員は沢山いるし、4年間の在籍期間中に何とか帳尻を合わせることができるかもしれないが、入学試験で教員(たち)が判断ミスをして、不合格になった学生たちの人生を何らかの形で狂わせても、それを償うチャンスはほとんどなさそうだ。

そんなことをいちいち気にしていたら入試などできないのかもしれないが、我々教員は自分たちの「人の見る目のなさ」について、もう少し謙虚になる必要があるのではないかと常々思う。

この季節は、来春の就職を目指す学生たちが企業に選抜される時期でもある。以前、ブログでも書いたが、率直に言って、企業の見る目の「たしかさ」についても疑問を感じることも多い。神ならぬ人間が人間を選抜する矛盾は、学校でも企業でも同じと言えば同じかもしれない。そうした偶然や運にも左右されながら、選抜されたり、されなかったりした人たちが作っていくのが学校なり、会社なり、社会組織なのだろうが、今年の春はなぜか、矛盾や理不尽がたまらなく気になった。

古い皮袋の新しい酒

2006-12-23 19:32:29 | 教育・学問論
12月の今頃の時期にブログを書くのは、今年が三年目だが、昨年も一昨年も授業を振り返った文章を書いていた。忙しい毎日の中でいろんなことを考えたが、授業や研究で今期、しばしば痛感させられたのは、「古い皮袋に新しい酒は入らない」という聖書のことわざだった。

法律学や自然科学はやや例外だが、日本では同じ大学の教科書が4版、5版と版を重ねることはあまりないが、アメリカでは政治学でもむしろそれが普通である。私の専門のアメリカ政治論では特にその傾向が顕著なのだが、例えばジェームズ・マックグレガー・バーンズのアメリカ政治の教科書"Government by the People"などは、昨年出た最新版は何と第21版である。初版は1952年なので、実に53年も続いている超ロングセラーなのだが、この教科書のように著者の弟子たちや新しい研究仲間が加わりながら、選挙データなどを入れ替えつつ、版を重ねているアメリカ政治の教科書は珍しくない。アメリカ政治の制度的な連続性がそれを可能にしている面もあるのだろう。

院生時代に指導教授から、同じ著者のアメリカ政治の教科書でも違った版を比べてみると、それぞれの時代の空気や問題関心を反映していて面白いと読み比べを薦められていたので、留学時代は、図書館で古いヴァージョンも簡単に見られることもあり、時々眺めてみていたのだが、いくら新しいデータや著者を追加しても、古い枠組みで作られた教科書は版を重ねるごとに新鮮さや面白さがどんどん薄れていくように感じられた。

大学教科書の競争も熾烈なアメリカでは様々な趣向を凝らした教科書が次々、誕生するのだが、それらを見ていると一番充実しているのは、大体3~4版くらいで、5版となるとマンネリ化を避けられないようだ。前述のバーンズの教科書は私の院生時代には既に古臭い教科書だと思っていたが、当時の定番だった、J・Q・ウィルソンのアメリカ政治論の教科書も昨年で10版となり、もはや清新な魅力を失って、時代ともずれてきた観がある。ビッグネームによる手堅い内容で、かつ時代の空気も反映している教科書は、今だったら、ピーターソンとフィオリーナのよる"America's New Democracy"あたりだろうか?

ロングセラーになるような教科書の初版には、かならず斬新な切り口や構成の面白さがあるのだが、一方で間違いや洗練されていない部分も少なくない。それが2版、3版となると図版や説明、参考文献などが充実して改善されるのだが、5版、6版となると、データだけは新しいものの、時代の変化への斬り込みかたが鈍くなっていく。まさに「古い皮袋に新しい酒は入らない」のである。

私も今の大学に来て今年が7年目で、7年は短いのか、長いのかわからないが、教えているアメリカ政治や日米関係に限ってもその間、911テロがあり、アフガニスタン、イラク戦争があり、小泉政権の誕生から終焉まであり、大きな変化を経験した。2001年に大学院や学部の講義で教えていた枠組みでは、いくら新しいデータを入れ替えても、時代遅れになってきた感も少なくない。一度、あるテーマについて勉強して、基本的な枠組を作ってしまうと、それを崩して、新しく捉えなおして、講義内容を組み替えるのはなかなか困難なのだが、それをしない限り、今の風が吹く新鮮な授業はできないのだろう。そんなことを今期はよく考えた。

幸か不幸か、今は大学は激変の時代で、カリキュラムの改編や講座制度の再編がさかんである。私が今の職場で働いている7年間という短い間にも毎年のように何かが改変され、担当する科目も変更を余儀なくされてきた。新しい科目のために新しい授業を準備しなければならないのは、負担といえば負担かもしれないが、そうでもしない限り、マンネリ化して、鮮度の失った講義を続けることになるかもしれない。「普遍(不変)の真理」などといって、同じ講義を続けていると、気付いたら「変わらないのは自分だけ」になってしまうかもしれないから、変化は大切なのだろう。

演習(ゼミ)についても、自分が大学時代に所属していたような3、4年間の2年間所属し、かつ原則として一つの演習しかとらないスタイルに比べると、今の学部の演習のやり方は、毎学期メンバーが交代し、複数のゼミを取るのが当たり前というもので、連続性や安定性という点ではやりにくい面も少なくないのだが、関係性が固定しないのをポジティブに捉えることもできるのではないかとも思うようになった。

私が学部時代に所属していたゼミでは、ゼミの幹事と呼ばれる人が数人いて、ゼミの中での役割分担が良くも悪くも固定し、発言する人はいつもするし、しない人はしない。行事で一生懸命やる人も、サボる人もいつも同じ。しかもその関係が3年生の時にできてしまって、それが卒業時まで続いた。

それに対して、現在、私が担当しているゼミでは、毎学期変わると言っても、かなりの部分は同じ学生が連続して履修しているのだが、例えば前期である学生が中心的に発言していても、彼ら彼女らが留学して、後期から別の学生が中心になるということもよくある。風通しが、自分が昔いたゼミよりはいいような気もする。

変化が多いということは落ち着かないということでもあるし、また安定しているというのは、マンネリに陥るということであり、どちらも一長一短あるのだが、ナマモノである政治や社会情勢を扱っている私の授業や演習の場合は、安定よりも変化を求めていかなければならないのだろうなと思う。当の学生たちの意見も聞いてみたいものだ。

大学英語教科書の不毛

2006-11-23 19:35:20 | 教育・学問論
大学にもよるのだろうが、大体、来年度の授業の時間割が決まり、教科書選びなどが行われるのが今の季節だ。研究室にも英語教科書会社のセールスマンが盛んに訪ねてくる。

いろいろ見本を持ってきてくれるのだが、大学生の知的レベルと実際、仕事で使うのに求められる英語のレベルに見合うような教科書は驚くほど少ない。20年くらい前だったら中学校の教科書だったのではないかと思うレベルのものも大学生用の教科書として流布しているようだ。私自身の経験を振り返っても、高校のリーダーの時間には大学教養レベルの副読本を使っていたし、通信教育のZ会などで難しい英文を読まされていたので、いざ大学に入ってみて、英語教科書が簡単なのに驚かされたが、今、英語を教える側に回ってみると、そうした教科書しかないのがよくわかった。書店で売っているような市販の英語教材には、良いものも少なくないが、それらは自習用で解答がついているので、授業テキストとして使えないのが辛いところだ。

最近は、TOEICの需要が高いので、TOEIC対策の教科書が多いのだが、これもまた問題形式だけTOEICを真似てはいるが、難易度は中学~高校1年レベルの基礎的なものが多い。「なんちゃってTOEIC」教科書としかいえないような代物である。こうした教科書で勉強していても本番の試験では歯が立たないに違いない。

セールスに来る人には気の毒だが、いつも「一番難しいのはどれか」とか、「もっと難しい教科書は?」とばかりたずねているのだが、「それじゃあ売れないんですよ」とか、「○○大学でも使っているんですよ」などと言い訳をされるばかりだ。つい先日も、かつては比較的難しい教科書を作っていた会社の人が来たので、リーディングの「上級(アドバンスト)」の見本を置いていってもらったのだが、後で見てみると、「2000語」レベルということだった。2000語では、Penguin Readersでも中級レベルである。しかも少しでも難しそうな単語には全て注で日本語訳がついている。難関大学の入試でも3000~5000語は必要とされているはずなので、これでは受験英語より簡単なものを大学に入ってから読ませることになる。現在の日本の大学英語の教科書の多くは、英米の小学校2、3年生の国語教科書程度だという厳しい現実を重く受け止めなくてはならない。

何といっても語彙力が語学力を大きく左右することは否定できない。TimeNewsweekを辞書なしで読み、CNNニュースを聞いて理解できるレベルというのは、大体、海外で仕事をするのに必要なレベルなのだろうが、8000~10000語の理解語彙が必要だと言われている。2000語レベルの教科書を「上級」として大学生に売っている場合ではないのである。

中高6年間英語を勉強したが、新聞一つ読めないのは、日本の英語教育が悪いとよく言われるが、現在の公立中高の英語の授業時間はトータルで900時間であるという。学生が一日に起きて、活動している時間が仮に15時間だとすると、900時間は、60日、つまり英語圏で生活する2ヶ月程度に過ぎず、中高でトータルで読む英語の量も『ニューヨーク・タイムズ』一日分にもならない。絶対量が少なすぎるので、これでは6年間やっても新聞も読めない、話せなくてもむしろ当たり前なのだろう。

問題はその後である。戦後の教育が、教育水準・知識水準のナショナル・ミニマムを引き上げることを第一目標にしてきたとしても、全国民が高校までに英語で新聞を読めるようにするのはあまりにも重い、非現実的な目標である。イギリスやアメリカの植民地でもないので、英語で新聞を読む必要もないと思う人も多いだろう。やりたい人がやればいい、そこそこのレベルで終えておこう。近年の高校までの指導要領はその方向なのかもしれない。

しかし国語教育と英語教育には本質的な違いがあるはずだ。国語教育の水準が下がり、国民の書ける漢字や読める漢字が減ったとしても、日本人「みんな」が読めない、書けなくなっているのだから、構わないといえば構わないのかもしれない。文部科学省が「小学3年生までに習う漢字」といった具合に指導要領で集権的に指示しても、国語審議会が常用漢字を減らしても、さして問題ないのだろう。

だが日本の役所が、例えば日本人の高校1年生が学ぶ英単語はこの位の数で、と決めることは、日本の大学入試問題作りの指標となることはさておき、グローバルに見て、どれほどの意味があるのだろうか?新学習指導要領では、いわゆる「制限語彙」の規定が厳しく、中学校で900語、高1の「英語1」で中学プラス400語の1300語、さらに高2の「英語2」でプラス500語の1800語と定めている。現在の高校の英語教科書は1800語という極めて限定された語彙で書かれた英文なのである。1970年と比較すると、高校で習う英単語数は、ほぼ半減している。このように日本の英語教科書は中学から大学までレベルダウンし続けても、実際に英語圏で使われている英語が簡単になるわけではない。むしろ日本の学校で習う英語と、英語圏で使われている英語のギャップが広がり、自分で勉強しなければならない余地が増えるばかりである。2000語レベルで終わってしまっては、あと6000語、自分で勉強しないとまともに新聞も読めない。そんな「なんちゃって英語教科書」ばかり量産して、「英語ごっこ」に興じている場合ではなかろう。

実際に、留学生向けの試験であるTOEFLの難易度は上がる一方であり、日本人受験生の平均点が下落し続けるのも当然である。

現在、アメリカの大学で研究している友人の日本人医師と話していた時に、彼が「英語はしょせん猿真似だからな」とつぶやいたのには、目を開かれる思いだった。帰国子女だった彼の実感が言わせたせりふなのだろうが、実際、英語を道具として学ぶとしたら、結局、ネイティブの真似をするしかなく、それ以上でも以下でもなく、日本で新しい語彙を生み出せるわけでもないのだ。だとすれば苦しくても、英語で新聞を読んだり、そのレベルの英語を書くように努力しないと、結局、英語をマスターすることにはならないはずだ。

「悪貨は良貨を駆逐する」というように、実際、2,3年前に使った教科書でも少しでも本格的な英語教科書は次々、市場から消えていき、イラストと写真ばかりが充実し、中学レベルの英語を並べた同工異曲の教科書ばかりが跋扈している。難しい教科書は採用率が低いか、クレームが多いのかもしれないが、大学英語教科書会社にも、日本人の英語力向上に貢献したいという良心が少しでもあるならば、新聞英語レベルの教科書をもう少し発行し続けてほしいと切に思う。

社会科ぎらいにつける薬

2006-08-18 19:49:31 | 教育・学問論
理科嫌い、理系離れが今日、問題視されている。資源に乏しく、先端技術と輸出産業で経済大国へのし上がってきた日本にとって、優れた理科系の人材を養成することは重要な課題であるだけに、小学生から高校生に至るまで年々、理科嫌いが増えていることは深刻な問題だろう。

しかしあまり問題にされないが、科目の好き嫌いは理科に限られたことではない。英語嫌いも世の中にはたくさんいるだろう。毎年、大学で英語を教えていても、何で大学まで来て英語をやらなければならないかと恨みで一杯の学生によく出会っている。数学嫌いも世間に多い。私自身も数学は得意でなかったが、文系を選ぶ理由に数学が苦手だったことを挙げる人は多い。国語、特に本を読むのが嫌いだという子供も少なくないだろう。漢字も苦手、まともな文章も書けない。新聞を読むのも苦痛だという生徒は全国にたくさんいるのではないだろうか?

その中で社会科(今は地歴・公民科か)嫌いの存在は意外と目立たないものかもしれない。今年はゼミの学生たちが何人か教育実習に行っているのだが、彼女たちの話を聞きながら、自分が中学校に実習に行った頃のことを思い出した。私の高校は、予備校のように受験指導を重視していたので、実習生として受け入れてくれなかったので、やむを得ず地元の出身中学に教育実習に行った。実習生が数時間しか授業をやらせてもらえないことも多いようだが、私の場合は2週間の間に二日目から毎日、3-4時間、授業をやらせてもらって、大変勉強になった。しかも「歴史」と「公民」の両方を教えた。歴史は市民革命のところで、公民は日本国憲法の三原則の話だったのを昨日のように覚えている。

その時に中学校の先生方や生徒たちの話を聞いていても、社会科が嫌いだという生徒は少なくなかった。「覚えることが多すぎる」、「名前ばかり出てくる」、「昔のことにしても今のことにしても実感がもてない」等など様々な意見を聞いた。

社会科や社会科学の教員になっている人は計算は苦手でも、固有名詞を覚えるのは得意だという人は多いだろう。文系は計算ができないから、外国語も含めて、暗記が勝負だ、という受験アドバイスも一理ある。ある程度の名前は覚えないと社会科や社会科学の科目は理解できない。大学に入ると、暗記中心の受験勉強の反動からか覚えることを極端に避ける学生が多いし、そうした風潮に迎合して、「すべて持ち込み可」などという、およそ試験とは言えない試験をしている教員も少なくないが、ある程度の固有名詞や基礎知識を覚えているからこそ、議論したり、理解できるものなので、その意味では大学の授業でも何かを「覚えさせていく」面をあまり排除すべきではないのではないかといつも思う。「持ち込み可」の試験で、持ち込んだ本を適当に抜書きしてお茶を濁したり、インターネットから「コピー&ペースト」して作成したレポートで次から次へと単位が取れてしまうようでは教育にならないだろう。

とはいえ私自身もまったく知らない国の政治や経済について書かれた本を読んだりすると、なかなか読み進めなかったり、頭に残らないこともある。そんな折には、自分が教えている科目について、学生たちもそんな状態なのだろうとふと思い出す。そういえば私が大学生の時、非常勤で私の学校に出講されていた高名なロシア政治の先生が板書やハンドアウトもなく、ロシア政治家や学者の名前を連発するのに、出席していた学生が「抗議」したこともあった。わかりやすい授業にするためには、ある程度、出てくる登場人物は絞って、ストーリーも単純にしなければならないのかもしれないが、今、教壇に立つ立場になると、できるだけ多くの名前や事実を伝えたいと思った、彼の気持ちが痛いほどわかる。

実際、毎年、毎回の授業のアンケートで、「詰め込みすぎだ」といわれることが多い。自分でも確かにそう思う。しかしあまり事実や史実を省略しすぎると、大雑把な一般論や文化還元主義で終わってしまいかねない。今、私が教えている学部は、中学・高校的な教科区分で言えば、「社会科(地歴・公民科)」的な科目が講義科目の大半を占めていて、外国語や国語的な科目は少ない。しかし中等教育では同じ社会科に属していても、文学部的なアプローチと法学、経済学、政治学などの社会科学的なアプローチで教えるのはまったく違う。私の学部の場合、文学部出身の先生が多いため、おそらく人文科学的なアプローチの授業が多いのだろう。その場合、ある意味で研究者が重要と考える人物や史実、時代、概念などをデフォルメして、それからいろんな現象を説明しようとする傾向が強いように思う。

答案を読んでいても、「アメリカは多民族国家なので敵を作らないとまとまらない。だから必ず敵を作るようにしてきた。第二次大戦ではファシズム、冷戦期はソ連共産主義、冷戦後は経済的ライバルである日本、そして現在はテロリストやならず者国家である・・・」といったことを書く学生は多い。そこに一面の真理はあるだろうが、仮想敵を想定するというのは「安全保障政策」の一側面であるとしても、その一言でアメリカ社会の傾向をまとめてしまうと、一方でアファーマティブ・アクションなどの様々な人種差別撤廃のための施策や二言語教育など、多民族国家を調整・維持するために行なわれてきた数々の努力を見過ごしてしまうことになる。それよりも何よりも戦時ならいざ知らず、平時にのんびり暮らしている普通のアメリカ人がいちいち外の敵を意識しているわけでない。むしろ現在のブッシュ政権が直面しているように、原油高によるガソリンの高騰で、支持率が急落しており、ガソリン高への不満の方が、人種や生活水準の差を超えて、アメリカ国民を「団結」させている。「テロ対策より、ガソリン対策をやれ」という声が強まっているのだ。そういう現実を見ていると、「国民統合の手段として戦争を多用する」といった印象論的な一般論が、小さな部族国家ではあるまいし、果たしてどこまで今日のアメリカ社会を理解するのに役立つのか、疑わしい気がする。

一方で「・・・年・・・月・・・日に・・・が起こりました」という事実だけ羅列しても面白くないし、それがもつ社会的意味が見えてこない。中高における社会科もそうだろうが、社会科学の面白さのひとつは、理論と事実のせめぎあいにあるのだろう。受験テクニック風にいえば、「大きく捉えて、細かく覚える」のが大切なのだ。

しかし教えている当事者としても思うのだが、高校や大学の社会の授業で習っていることが現実の時事問題を理解するのにダイレクトに役立つかというと、いささか心もとない面もある。国際関係の概論的な授業を取っていても、ヒズボラとイスラエルがなぜ対立しているのか、旧ユーゴスラビアの複雑な民族対立がどうして起こっているのか、なかなか理解できないであろうし、「日本政治論」の授業を取っていても、小泉首相が対中、対韓関係をぎくしゃくさせてまで、靖国参拝にこれほど固執するのか、理解できないだろう。もちろん現実の出来事を素材としながら、講義で補足説明している先生方も多いのだろうが、大切なことはそこで学んだ知識が大学を卒業して社会人になってから、その時点で起こっているニュースを理解したり、社会的発言をするのに役立つかどうかであろう。その点からすると社会系講義の賞味期限はかなり短いのかもしれない。そうなると、いずれ賞味期限が切れてしまう時事解説をするよりも、既に過去のものとなっている思想や歴史、理論を解説する方が、遠回りでも現在の社会や世界を理解するのに役立つのだろうか?実際、そうした思いで思想や歴史、文化論を講義されている方も多いのだろう。

この問題について、自分なりにはっきりした答えがあるわけではないが、現在担当している講義では、どちらかといえば理論よりも今、アメリカの社会や政治で起こっていることとその背景を解説することに重点を置いている。幸いにして合衆国については、日本語でも情報が比較的に豊富であり、報道に触れ、最低限の知識をもち、自分なりの意見や疑問をもっている学生も多いので、そうした疑問や意見に応えていく形で授業を進めることで、ある社会を観察・分析する視座を提供できるのではないかと考えている。それがどこまで成功しているのか、していないのかは、受講している当の学生たちの意見を聞いてみないといけないのだが、いずれにしても新聞や政治経済問題に対するアレルギーを解消するところまでは行っていないような気がしてならない。

それでは社会嫌いの人が苦手意識を克服するためにはどうしたらいいのだろうか?一つ提案したいのは、テレビのニュース番組でも新聞の国際面でもとにかく毎日、眺め続けることだろう。新聞やテレビでカバーされる情報では複雑の社会情勢、国際情勢を理解するのに十分ではないのだが、いずれにしても同じニュースがしばらく様々な角度から取り上げられ続けるので、毎日眺めていれば、次第に背景や因果関係が見えてくるようになるだろう。因果関係が見えるというのが、社会科(学)の醍醐味の一つではないだろうか?その上で気になることは自分なりにインターネットなり図書館なりで調べてみると、さらに深い知識がついて、興味が広がっていくことになるだろう。

受験生にとっては目の前の試験の点数を上げないといけないので、「頻出分野の要点整理」といった無味乾燥な参考書とにらめっこせざるを得ないが、時間的に余裕がある時に少しでも学校の授業を離れて、今、世界や日本で起こっていることを自分なりに調べてみたら、学校で習っている知識と繋がる部分と繋がらない部分、過去や外国との意外な連関が見えてきて面白いのではないかと思う。理科好きや数学好きの場合と違って、社会科好きの学生が増えても必ずしも世の中が発展するわけではないのかもしれないが、日本や世界の民主主義を支えるために、社会問題から逃避しない学生たちが増えてほしいと思う。

ゴミヤの叫び

2006-04-19 23:30:41 | 教育・学問論
私の研究室に近くに分別ゴミのコーナーがある。朝1時限の授業の準備をしていると、清掃業者のおじさんやおばさんが回収作業をしているが、たいてい「おはようございます」と声をかけると明るく挨拶を返してくれるのだが、決まり悪そうにぶつぶついっているおじさんが一人いた。

そのうち、ゴミ置き場に時々張り紙されているのが気になった。「常識だと思うが使ったら元の場所に戻しておけ」、「本などの重いゴミは縛って、外に置くこと」、「ビンを中に入れるな、何度言えば、わかるんだ?」といった具合で、細かい表現は忘れたが、激しい言葉が憎悪に満ちた字で書き込まれている。朝、研究室にいるとわかるのだが、収集の時、そのおじさんが怒りを爆発させるように怒鳴ったり、乱暴に箱をたたきつけているような音がすることが度々あった。

張り紙の文句はそれだけならそれほど気にならなかったかもしれない。しかし「何度言ったらわかるんだ ゴミヤより」といった書き方をしていて、最初に見た時、ショックを受けた。自分で「ゴミヤ」と署名する姿勢に自嘲的な怒りがこもっているように感じられたし、大学や社会システムそのものの矛盾への憤りをぶつけているように読めたからだ。こちらの感性がセンチメンタル過ぎるのだろうか?

ある時、教員同士のお酒の席でこの張り紙についての話題を出してみたところ、皆、気になっているらしく、かなり盛り上がった。日ごろ、「民衆の味方」を自称している、ある先生は「あんな張り紙をするのは全くけしからん。業者に言って、代えてもらえ!」などと勇ましいことを言っていたが、他のやさしい同僚たちはむしろ同情的で、「報告したらすぐにクビになってしまうし、教員や学生のゴミの出し方のマナーも確かに悪いから、怒るのも仕方ない」という意見が大勢を占めた。私も同感だった。

プラスチックのゴミ箱だとはいえ、重い本や雑誌を放り込めば、回収しにくいばかりでないだけでなく、底が抜けてしまうかもしれない。おじさんが特に「荒れている」ように見えたのは、ワインや焼酎などの酒の空き瓶が出ている日だったような気がするが、院生室にしても教員の研究室にしても学内で酒を飲んで、そのままゴミ箱にビンを放り込んでおくのは明らかにどうかしている。「偉そうに大学の教師や大学院生だといって、そんなこともわからないのか」という怒りの声を張り紙からビシビシと響いてくる気がした。

大学というのは社会の中では恵まれた場所であると思う。日ごろ、そこに生息している教員や学生は、ともするとそのことを忘れがちである。サークルのビラも研究会の通知も壁にベタベタ貼りっぱなしでも、いつの間にかなくなっているのは誰かが剥がして片付けてくれているからである。「地球環境保護」を訴えるビラを大量に刷って撒き散らしているようではやっていることの意味がちゃんとわかっているのかさえ疑わしい。研究室しかないフロアのゴミ置き場からアルコールの匂いがするのもおかしいし、校内禁煙のはずなのにタバコの吸殻が散らばっているのも変だ。生活している私たちが最低限のマナーを守って、自分たちで生活環境をよくするようにしないと荒廃した街のようになってしまうだろう。おじさんの怒りは社会から私たちに向けられた怒りのメッセージとして襟を正さないといけないだろう。

アメリカ大学訪問記

2006-04-17 23:32:45 | 教育・学問論
2005年は結局、一度も訪米できなかったのだが、年度末に当たる今年の2月に調査でテキサスを訪問した後、3月末から4月頭にかけて、交換留学協定校視察として、ジョージア大学(ジョージア州アセンズ市)、テネシー大学(テネシー州ノックスヴィル市)、およびメリーランド大学(メリーランド大学カレッジパーク市)を訪ねた。メリーランド大学は数えてみると12年ぶりの訪問だったが、ほかの大学は今回が初めてだったし、普段はアメリカの大学を訪問しても、図書館や関連施設を利用したり、専門の近い教授に面会したりするくらいなので、大学の事務当局の人たちとじっくり話すのは、初めてで貴重な経験だった。学生を送り出す立場で訪問するアメリカの諸大学は、学生生活を過ごしたキャンパスとはかなり違った印象を受けた。

考えてみると私がアメリカに留学したのはもう10年前になり、就職した学部は学生の国際交流が大変盛んで、留学も日常茶飯事なので、指導した学部生や院生も短い期間のわりにはかなりの人数、アメリカへと飛び立った。最初期に卒論を指導した学生は、私の勤務先の学部を卒業後、すぐにアメリカの大学院に留学し、修士号をとって、帰国して、東京で働き始めている。年月の流れるのは早いものだ。

私が留学したのは大学院生のときだったが、私より先に留学して、当時、学部の助手を勤めていた先輩は、「1ドル=200円時代に留学していた人たちは気合がかなり入っていたけど、今は1ドル100円を切ってるからな」などとうらやましがっていた。確かにかなりの円高の最中の留学でその点だけは助かった。しかし日本からパソコンを持っていかなかった私は、アメリカで購入したパソコンで、当時から普及し始めたメールでも日本語でのやり取りができず、自ずと英語を使える日本の友人たちとの交流に限定されてしまったし、今のように図書館のホームページで日本語のサイトを自由に見れるわけでもなかったので、最初の頃は図書館の新聞・雑誌室で週1、2回、『読売新聞』や『朝日新聞』の衛星版を読んで、日本の情報を得ていた。しかしアメリカ生活が慣れてくると、いつの間にかアメリカのテレビや新聞のほうが面白くなって、わざわざ日本の新聞を読みにいくことはなくなってしまった。

今、日本からアメリカに留学している学生たちの話を聞くと、ネットやメールはもちろんのこと、メッセンジャーやミクシーなどの手段でオンラインで日本の友人たちといつでも連絡が取れるので、その面でホームシックになることはなさそうだった。しかし今回の訪問では短時間であまり突っ込んで聞くことはできなかったのだが、アメリカと日本の文化や生活習慣の違いは大きいので、いろいろ悩んだり、苦労することは少なくないだろう。その点は10年前の私の時とあまり変わらないかもしれない。

今回訪問したどの大学でも、日本への留学生候補を選抜するのに日本語学科の教員が大きな影響力をもっていて、応募者も主に中上級の日本語クラス受講者の中から出ているようだった。それには驚かなかったのだが、日本に留学する動機の多くは、子供の頃から日本のアニメに親しんでいるため、自然と日本に興味を持っていることが多いということだった。

確かに私が留学していた人口4万人ばかりの大学町でも当時CDショップでほとんど日本のミュージシャンのCDはなかったし、レンタルビデオでも黒澤監督の『羅生門』や伊丹監督の『タンポポ』くらいしかなかったのに、日本のアニメは有名なのものから、まったく知らないものまでかなりの品数を揃えていたし、ゲームソフトも日本製のものが多くて驚いた記憶があった。その頃はまだ日本製のアニメやゲームが市場を席巻し始めたと話題になっていたに過ぎなかったが、今や幼稚園や小学生時代からそうした日本のアニメ・ゲーム文化漬けになった世代がアメリカで大学生くらいになっているのかと、改めて年月の速さを再確認させられた。

同時に私が留学した時代とあまり変わらないなと思ったこともあった。留学時代の友人だった建築学科の院生は、サマースクールとしてイタリアで建築学を学んでいたが、今回、会ったメリーランド大学の人の話でも、フランスなどのヨーロッパ諸国にメリーランド大学の教員が学生たちを引率して、短期留学させるようなプログラムをさかんに展開しているようだった。せっかく外国に行っても、同じ大学生で固まって、同じ大学の先生が中心になって教えるのはどこまで意味があるのかと思わなくもなかったが、アメリカの学校で言う、フィールドトリップというものに近いのかもしれない。日本の大学でも9-10ヶ月という比較的長期の交換留学だけでなく、そうした夏休み引率型の語学留学講座などを行えば、かなりの需要を見込めるかもしれないと思った。

少し気になった点は、こちらの大学で提供している英語で受けられる授業の数や、初級・中級レベルの日本語クラスの内容について、アメリカ側からさかんに質問されたことである。私たちがアメリカの大学に留学生を送り出す場合は、留学生向けの英語試験TOEFLで相応のレベルの得点を取ることが必要条件となっている。しかしアメリカから来る学生は多くの場合、1-2年、日本語のクラスを取った程度の日本語能力の学生であり、当然、日本語で自由に生活したり、大学レベルの講義を取るには限界がある。交換留学プログラムに力を入れている私立大学の中には、そうした現実に対応すべく、英語で授業をほぼ完結できるような学部相応の組織をもつところもある。私の大学の場合は留学生センターという組織で日本語の授業を展開し、後はいくつかのゼミや授業が英語で行われているくらいだが、そう答えると、アメリカ側担当者はやや不満そうであった。

しかしいくら英語が国際語であるから、また英米人にとって、漢字言語を学ぶのが困難であるからといって、せっかく日本に留学して、日本語の初級クラスや英語での日本事情のクラスばかり取っているのではもったいないのではないかと思わずにいられなかった。それでは少し時間が長いだけの「修学旅行」のようになってしまうのではないだろうか。

アメリカに留学したとき、留学生向けのガイダンスで、アメリカの価値観から人々の交際法から文化行事にいたるまで、簡潔にマニュアル化した冊子をもらった。今読んでみても面白いのだが、「自分たちの国はこういうシステムで動いていますから、それを理解して、合わせてみてください」と簡潔に言葉で提示できるのがいかにもアメリカ的だと思った。よく言われることだが、アメリカでの暮らし方はある意味でマニュアル的なので、そのルールを学び、それに従う限り、あまりトラブルなく暮らすことができるのである。

はたして日本の場合、どうだろうか?日本人の間の不文律や習慣、感情表現などをそんなに簡単にマニュアル化して、留学生に配布する資料としてまとめることはなかなかできそうもない。それと同時に、留学生に対して「ここは日本だから日本流に従ってくれ」と強く要求することもできないし、しそうもない。どこかで「外国人だから」、「留学生だから」と勝手に納得してしまいそうである。その点がアメリカ流と大きく異なっている。

アメリカに留学したいと思っている日本人学生の数と、日本に留学したいと思っているアメリカ人の数とを比べれば、明らかに「輸出超過」である。だから「授業についてこれるくらい日本語ができなければ来なくていいですよ」などと強いことを要求できないのが現実だ。しかし日本に来る以上は、我々がアメリカに留学したらそうするように、最初は理解できなくても、日本人に混じって講義やゼミに出て、発言できなくても日本語の海に漬かるのが、結局、日本語力を向上させる近道に違いない。そう考えると「修学旅行」にならないように、あまり英語による日本文化・社会の授業など充実させない方がいいのかもしれないと、逆説的に考えた。

たくましい知性?

2005-12-22 16:48:28 | 教育・学問論
ようやく授業が終わった。先送りした仕事、返事を書いてないメール、出さなければならない書類や手紙は山積しているが、今学期は担当コマ数が多かったこともあって、授業の準備やただ授業するだけでもきつかったので、終わって少しホッとしている。

ブログの更新もすっかり滞ってしまったが、何も考えてなかったわけでなく、いろいろ考えて、書く時間がない場合が多かった。今学期は非常勤講師として別の大学で講義したり、また高齢者向けの生涯教育講座を何度か教えたので、授業や学生の気質について、普段教えている学生たちと比べながら、いろいろ考えさせられた。

まず高齢者向け講座だが、大学で行なっている一般市民向けの公開講座で二度ほど、自治体主催の講座で一度、話したことがあり、今回の講座はいわば四度目だったが、やはり大学の普段の授業と比べて難しかった。前三回は一回限りの講義なので、どういう人たちが聞きに来るのか、関心はどの辺にあるのか、全く分からず、出たとこ勝負の難しさを感じた。今回の講座は月1回のペースで同じ受講生を相手に3回ほど話すので、もう少し改善できるのではないかと思っていたのだが、準備時間を十分に取れなかったせいもあるが、普段、自分が大学で行なっている講義とあまり変わらないものしかできず、結果的にご高齢の方々にとっては難しすぎる、とっつきにくい話が中心になってしまった。大講堂だったせいもあって、質問もほとんど出なかったが、最終回には「先生、今の日本のアジア外交おかしいですよ」と熱く話しかけてきた老齢の方がいらっしゃったので、何かが響いたのかもしれないと思った。

非常勤の方もどうなるか、全く見当もつかずに行ったのだが、勤務校での授業と比べて、ずっと受講生が少なかったせいか、4年生が多かったためか、受講態度が極めて真面目で、熱心に聞いてくれる学生が多かったのでとてもやりやすかった。それだけでなく、私の授業内容の事実関係や解釈について、予習してきていちいち細かく反論する質問カードを提出する学生がいて、少し驚いたが、熱心さを頼もしくも思った。

しかし考えてみると、私が赴任して2、3年目に、40人程度の学生を相手に話していた時は同じような手応えがあった。この2年ほどは80人くらいで、私の学部としては大勢の受講生を前に話すようになってから、授業中に寝る学生や遅刻する学生が急に増え、また質問カードやコメントも、「レジュメの要点だけを整理したプリントをもう一枚別に刷って欲しい」とか、「授業の初めに質問に長々と答えている時間が無駄」といったエゴイスティックな感想を書く学生が目につくようになった。そんな中で、今回の非常勤先の学生の一人が、「自分たちがした質問に答えてくださって感激しました」と書いていたのには新鮮な驚きを覚えずにいられなかったし、「前はそんな学生もいたな」と懐かしく思った。他の学生の質問も講義を補う上で役立つからそれに対する答えを授業の冒頭で紹介しているのだが、「自分の質問じゃないからどうでもいい」という心や関心の狭さがある意味で嘆かわしく感じられた。

最近はあまり学生を注意したり、厳しいコメントをしなくなったのだが、今学期は何度かした。それに対する反応がまたそれぞれで興味深かった。あるクラスでは「聞いてなかったから、課題をやってきませんでした」と平然と言い放つ学生がいたので、さすがに私も「聞いてなくても構わないけど、提出しなければ単位を取れないよ」と言ったのだが、翌週から一番前に座って、急に熱心に授業を聴くようになった。注意をする教師がいなくなって、注意をされたこと自体がある意味で新鮮だったのかもしれないと思った。

演習形式の授業では二度ほど報告内容について、厳しめの質問やコメントをしたが、ある学生は二度目の発表で前回の指摘を踏まえて、きちんと調べてきた。しかしあるクラスの学生は翌週から授業に出てこなくなった。世界情勢や国際平和に関心を持つといいながら、少し違った角度から突っ込まれただけで逃げてしまうようでは、複雑な国際社会の現実に到底対応しきれないだろうと思ってしまうのだが、学生に限らず、自分の拠って立つ狭い「正論」の枠から抜け出せない人は専門家にも多いから、そうした「打たれ弱さ」も学生だけの現象でないに違いない。

大学に入ったとき、確か、今は亡き『朝日ジャーナル』誌の大学新入生向け特集号か何かだと思ったが、ある有名私立大学の学長が「たくましい知性を養え」というエッセイを寄稿していた。その人は「学問を志す人は3日間徹夜しても平気で議論や発表、授業できるくらいでないとならない」と書いていて、タフでない私にはいまだに耳が痛い話だったのだが、同時に「批判されても簡単にへこたれない」で、かつ「人の話に柔軟に耳を傾けられる」精神を養えと訴えていた。人の批判に耳を傾けて、素直に反省しつつ、かつ必要以上にへこたれないことは容易ではない。誰でも批判されれば傷つくし、うまく反論したり、答えられなければ、なおさらである。反発もするし、恥をかかされたと逆恨みさえするかもしれない。ただ最近の学生にとっては「わかりません」と答えることや、質問に答えられないこと、言い換えれば何かを知らないことや調べてないことが「恥」でないらしく、さっさと「わかりません」と答えてしまえば逃げられるという雰囲気が感じられる。

私の大学生時代も既にそういう傾向があったが、その頃、習った先生方からは「昔の学生は議論で論破されまいと必死に準備して勉強してきたものだ」と聞かされてきた。その「昔の学生」たちが長じて頑固な中高年に変貌を遂げているのを見ると、必ずしも肯定できないのだが、褒めあうばかりでなく、学生同士も相互に建設的に批判しあい、教員も厳しく指摘する緊張関係がやはり必要なのではないかと学期中、何度も考えさせられた。3年生のゼミでは初めて、お互いの報告についてコメントを書かせてみたが、内容自体はよかったが、「お疲れ様でした」とか「面白かったです」といったフォローの言葉が多く、厳しいコメントはごく限られていた。そうした「やさしい」時代の趨勢の中で、厳しい発言をするのは学生にとっても教員にとっても酷なのかもしれない。

忙しさを更に増したには違いないが、普段教えている学部を離れて、違った学生や社会人を相手に教えるのはやはり貴重な経験だと思った。一つの学部で教えていると、その学部を支配している教員や学生のムードが全てだと勘違いしてしまう。一歩離れれば「当たり前」でないことばかりのはずなのだが、埋没すればするほど、それが当たり前になってしまう。日頃の職場を離れて、自分の立ち位置や自分の学生たちのメンタリティや社会的立場について客観的に見直すことができたのが、今学期の大きな収穫の一つだったと思う。


「しゃべり場」の効用

2005-10-25 16:42:18 | 教育・学問論
今学期はゼミ形式の授業を多く担当している。3人の教員によりリレー式で数回だけ担当するはずだった授業に受講希望者が集まりすぎて、結局、別々にフル開講することになって、1年生向けのゼミが二つになり、3年生向けのゼミも二コマ連続でやっているし、大学院の授業もゼミ形式なので、合計5コマもやっている計算になる。

以前、ブログで書いたこともあるが、私は教員が一人でしゃべるゼミは講義と変わらず良くないと思っていたので、なるべく多くの学生が発言する機会を増やそうと努めてきた。それなりに効果を挙げてきたという自負もあった。今学期の授業でもその姿勢に変わりはないのだが、しゃべり放しのゼミが良いのかどうか、最近、疑問も感じてきた。

講義形式の授業のメリットは知識を体系的に効率よく伝達できることである。こちらがきちんと準備すれば一学期の間にかなりの情報量を詰め込むことができる。もっとも受動的な講義でどこまで実際に学生が理解できるかどうかは別問題である。大学の授業は「目次」に過ぎず、実際に自分で本を読むのにはかなわないと、私が教わったある先生は言っていた。確かにその通りである。以前、私の講義課目のアンケートで、「自分では到底調べられない情報量のレジュメがよかった」と書いている学生がいたが、自分で調べようという意欲があるのを頼もしく思った。実際、学生自身が何冊か代表的な本を読めばカバーできるような内容の講義も少なくないのだろう。

ゼミ形式の授業のよい点は学生が主体的に調べたり、発言できることである。しかし大人数のゼミだと必ずしもそれがうまく行かない。発表するのも数回に一回だったり、場合によっては一学期に一回しかないかもしれない。発言もよく発言する学生はどうしても限られてしまうし、黙って聞いていても何かを学ぶに違いないとはいえ、座っているだけじゃ本人も楽しくないだろう。かといって知識がないまま好き勝手な発言をして終わってしまってもあまり生産的ではない。学生主導の議論に批判的な同僚は、本を読まない、言い放しのゼミは、NHK教育で放送している人気番組の「真剣10代しゃべり場」みたいなものだと言っていた。

今学期、学生に議論を促すばかりの毎日に少し疑問を感じていたある日、たまたまこの「しゃべり場」を見てみた。すると10代のレギュラー出演者が好き勝手に発言するだけでなく、大人が議論を一応仕切っていた(私が見たときは、ラッパーのYOU THE ROCK氏だったが)。話題提供者の10代の男の子が中心になって話し、それに他の子たちが批判的にコメントし、YOU THE ROCK氏が一見、物分りのいい兄貴的なコメントを挟むという図式だった。実際の10代の子達の間でこの番組がどの程度見られているのかわからないし、ここでの議論が迷える10代にアドバイスになっているのかどうかもわからなかった。何となく大人が今の子が考えていることを知りたくて見る番組のような気もしなくもなかった。

自分自身の経験を振り返っても、短時間で相手の言うことのポイントを掴み、文章のようにポイントをまとめて適切に発言し、他の参加者の質問にきちんと答えるというトレーニングはゼミ形式の授業で発言し続けることでしかできないと思う。それは難しいことだ。授業中には上手く発言できずに、他の学生の発言や授業形式に対する不満を後で研究室に言いに来る学生が毎年、必ずいる。その度に、「ここで言うくらいなら授業中に頑張って言ってごらん」とアドバイスするのだが、それがうまく行かないから言いに来るのだろう。言いたいけど上手くいえない、そんな気持ちをもつこともゼミ形式の授業の効用であるに違いない。

議論のし放し、本の一部の丸写しの発表を聞いているだけでは意味がないと思い、最近は映像教材を用意したり、プリントを用意したり、講義的な情報伝達の要素を混ぜるようにしている。それでも何かが欠けている気がしてならない。複数のゼミを取れることになったのはいいことだが、ゼミが単なる一授業科目になってしまって、学生生活を賭ける特別なものでなくなってしまって、それほど準備もしないで臨むものになってしまったことにも原因があるのかもしれない。他の学生の発表には興味がないといわんばかりに簡単に欠席する学生も珍しくない。私が大学時代の別のゼミの先生は「親の葬式と本人の入院以外はゼミを欠席するな」と通達していたが、今思えば、もうその当時からゼミを簡単にサボる学生がいたからこそ、わざわざそんなことを言わなければならなかったのかもしれない。

人前で話したいという欲求に応えつつ、聞くに堪えるだけの議論をできるように教育していくのがゼミの課題であるのだろうが、そのためにはゼミの教師だけではなく、学生たち本人のもう少しの努力も必要であるに違いない。