紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

新宿オン・マイ・マインド

2005-07-19 17:03:42 | 都市
離れてみるとよく分かることがある。東京、というより新宿という街の存在は自分にとってはとても大きいものだと思う。私自身は都心育ちではなく、物心ついてからは新宿からは30分以上電車に乗らねばならない都下で成長したので、そんな私が「ふるさと」のイメージとして、新宿の高層ビルを挙げたら、「都会っ子」ぶりっ子と非難を受けそうだ。しかしアメリカ・バージニア州の片田舎の大学町で過ごした時も、現在暮らしている神戸の街並みを眺めていても、新宿の高層ビル街の夕日を思い出すことが多いし、JR新宿駅西口や東口前の雑踏が私にとっての都会の原風景であることには変わりはない。ボードレールの「群衆にひたるのは誰にでもできることではない。群衆を楽しむのは一種のアートである」(「群衆」『パリの憂鬱』)というフレーズを読んでも新宿駅前の光景を思い出す。

新宿には子どもの時から思い出が多い。何度か引越しをしたが、いずれも京王線沿線だったり、今のように府中や立川といった郊外に次々とデパートができる時代でもなかったので、買い物というと新宿に出ることが多かった。大学も大学院も新宿に程近く、何かイベントがあると新宿で飲み会をやっていた。大学野球の晩にコンパをして酔った学生が歌舞伎町を汚すというので、大学は新宿区に清掃費を払っていたらしいが、その位、私の大学と新宿の関わりは深かった。新宿と比較的縁が薄かったのは、横浜市の高校に通っていた時くらいである。

ある人は「新宿区の西口は欧米で、東口はアジアだ」と語ったが、二重性とでもいうべきか全く違った姿を見せてくれるのもこの街の魅力である。西口の高層ビルやオフィス街、東京都庁に見られる効率主義と洗練、モダニズムと、東口の歌舞伎町に象徴される猥雑な欲望と消費と暴力の集中、ゲイタウンの新宿2丁目、静寂の(そして昼夜で全く様子の違う)新宿中央公園、新宿御苑など都会の本音と建前を力強く見せてくれる街である。大都会であるのに、生活感に溢れているのも魅力の一つだろう。

新宿に住んだことはなく、新宿は出かける場所、通学する場所でしかなかったが、新宿で会った人々、新宿でした会話、飲んだ酒、買った本、見た映画、食べたもの、(厳密には新宿ではないがその周辺で)習った英語などが10代、20代の自分にとって大きな位置を占めている。同僚で京都という街に特別な思い入れをもつ人たちが少なくないが、学生時代を過ごすというのはそういうことなのかもしれない。そうしたものと切り離して都市は語れないのだろうが、単に思い出の街としてではなく、新宿が与えてくれた都市のイメージをいい意味で克服して、自分なりの都市論・都市像を考えてゆきたいと思っているのだが、離れた今でもこの街は自分の中で大きすぎる存在なのかもしれない。