紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

ゴミヤの叫び

2006-04-19 23:30:41 | 教育・学問論
私の研究室に近くに分別ゴミのコーナーがある。朝1時限の授業の準備をしていると、清掃業者のおじさんやおばさんが回収作業をしているが、たいてい「おはようございます」と声をかけると明るく挨拶を返してくれるのだが、決まり悪そうにぶつぶついっているおじさんが一人いた。

そのうち、ゴミ置き場に時々張り紙されているのが気になった。「常識だと思うが使ったら元の場所に戻しておけ」、「本などの重いゴミは縛って、外に置くこと」、「ビンを中に入れるな、何度言えば、わかるんだ?」といった具合で、細かい表現は忘れたが、激しい言葉が憎悪に満ちた字で書き込まれている。朝、研究室にいるとわかるのだが、収集の時、そのおじさんが怒りを爆発させるように怒鳴ったり、乱暴に箱をたたきつけているような音がすることが度々あった。

張り紙の文句はそれだけならそれほど気にならなかったかもしれない。しかし「何度言ったらわかるんだ ゴミヤより」といった書き方をしていて、最初に見た時、ショックを受けた。自分で「ゴミヤ」と署名する姿勢に自嘲的な怒りがこもっているように感じられたし、大学や社会システムそのものの矛盾への憤りをぶつけているように読めたからだ。こちらの感性がセンチメンタル過ぎるのだろうか?

ある時、教員同士のお酒の席でこの張り紙についての話題を出してみたところ、皆、気になっているらしく、かなり盛り上がった。日ごろ、「民衆の味方」を自称している、ある先生は「あんな張り紙をするのは全くけしからん。業者に言って、代えてもらえ!」などと勇ましいことを言っていたが、他のやさしい同僚たちはむしろ同情的で、「報告したらすぐにクビになってしまうし、教員や学生のゴミの出し方のマナーも確かに悪いから、怒るのも仕方ない」という意見が大勢を占めた。私も同感だった。

プラスチックのゴミ箱だとはいえ、重い本や雑誌を放り込めば、回収しにくいばかりでないだけでなく、底が抜けてしまうかもしれない。おじさんが特に「荒れている」ように見えたのは、ワインや焼酎などの酒の空き瓶が出ている日だったような気がするが、院生室にしても教員の研究室にしても学内で酒を飲んで、そのままゴミ箱にビンを放り込んでおくのは明らかにどうかしている。「偉そうに大学の教師や大学院生だといって、そんなこともわからないのか」という怒りの声を張り紙からビシビシと響いてくる気がした。

大学というのは社会の中では恵まれた場所であると思う。日ごろ、そこに生息している教員や学生は、ともするとそのことを忘れがちである。サークルのビラも研究会の通知も壁にベタベタ貼りっぱなしでも、いつの間にかなくなっているのは誰かが剥がして片付けてくれているからである。「地球環境保護」を訴えるビラを大量に刷って撒き散らしているようではやっていることの意味がちゃんとわかっているのかさえ疑わしい。研究室しかないフロアのゴミ置き場からアルコールの匂いがするのもおかしいし、校内禁煙のはずなのにタバコの吸殻が散らばっているのも変だ。生活している私たちが最低限のマナーを守って、自分たちで生活環境をよくするようにしないと荒廃した街のようになってしまうだろう。おじさんの怒りは社会から私たちに向けられた怒りのメッセージとして襟を正さないといけないだろう。

美しく年をとる

2006-04-18 23:37:21 | 社会
誰が言っていたか忘れたが、「就職すると先輩や上司が増えても、親友は増えない」という言葉が妙に印象に残っている。確かに仕事をしていれば自動的に先輩や上司の数は増えてゆくが、学生時代のように利害関係のない付き合いができる友人は、社会人として限られた時間の中ではなかなか多くならないかもしれない。

同時に、年をとればとるほど、素直に尊敬できる人に知り合う可能性がどんどん減っていく気がする。こちらの人間を観察する目が厳しくなっているせいもあるかもしれないが、自分がもはや子供や若者でなく大人になるにつれ、自分より年長者がすべて中年か、老年に属する人たちとなり、そういう人たちが若者がもつような純粋さや潔癖さを失って、現実の利害や欲望でがんじがらめになっているのを見せ付けられることが多いからかもしれない。

大学を卒業してすぐに会社に勤める社会人に比べると、我々、大学教師の多くは大体10年遅れくらいで社会人になっている。会社に勤める友人たちがそろそろ中堅社員になるころにやっと駆け出しの教員となり、「若手」などと呼ばれる。普段付き合う学生たちも18~22歳の若い人たちが中心である。自ずと気持ちも若くなるし、早くから社会にもまれている友人たちと比べて、実際に若く見える教師も多い。しかし大学の校舎を一歩出れば、私たちも「中年」に変わりになく、人生70年の時代でいえば、既に折り返し地点を回っている。そんな風に考えると、若い頃の「いかに生きるべきか」という問いが、「いかに年を取るべきか」という問いにふと変わる瞬間がある。

私は年を取ることがすべてマイナスだとは思っていない。若いことだけが優れているのだとしたら、人生を生き続ける意味が無くなってしまう。だから「中年」のはしくれとしては、若者の真似をして、若さをアピールするのも何か馬鹿げている気もする。年齢に応じた成熟をしてゆきたいものだといつも願っている。その一方で、私たちよりも年長の中年、老年層の人たちになかなか共感できないことも事実だ。特に「団塊の世代」と呼ばれる権利意識が極めて強い世代には何かと違和感を覚えることが多い。

「元『革命家』が年金をもらう日」というフレーズをどこかで見かけたが、2007年問題といわれるように、若き日に学園紛争や反体制運動に明け暮れた世代が大量に定年退職し、年金生活をする日が近づいている。高齢者介護施設を訪問調査したゼミ生が面白いことを聞いてきたのだが、現代の入居者の中心は昭和一ケタ以上世代で、規律や集団行動に従う世代なので、老人ホームの運営も比較的やりやすいが、自己主張が激しい団塊世代がホームに入ってきたら、果たしてどうなるのか、関係者は戦線恐々としているそうだ。

安易に「世代」でまとめてはいけないとは思うが、団塊世代を見ていると、上手に年を取ることの難しさを感じることが多い。この世代は戦前世代のような、「老成」や「東洋的諦念」、「枯れ」といった言葉とは無縁で、よく言えば「生涯現役」というか、年を取っても現実的な欲望を貪欲に追求しているハングリーな集団に見える。学生時代には「大学解体」や反体制を掲げていながら、なぜか大学に残って、国立大学の場合には税金で給料をもらうようになった元「革命家」やラジカルたちは、自分たちの意識の上では、50になっても60になっても「若者」であり、「抑圧」や「体制」と戦い続ける抵抗者である。成熟を拒否することを誇っているようにさえ見える。しかし現実には「解体」したはずなのに残った大学でそれなりのポジションを得て、「学内限定」かもしれないが、いつのまにか「権力者」にもなっている。しかし意識の上ではいつまでも「青年将校」だから、自分がよもや「抑圧者」になっているとは気づかない。リベラルだと自認している人ほど、権威主義的で抑圧的な教育者となりがちな陥穽はここにあるのかもしれない。自分のためにやっていることを大学や学生のためにやっているのだと本気で思い込むのに慣れすぎているのだろうか。

しかしこういう人たちにも若い時代があり、大学解体や反戦を叫んでいたときには純粋に正義感で戦っていたのだろうし、自分が地位を得て、自分なりの権力を行使できるようになったから、以前の理想を忘れて、現実にただ安住しているのだと決め付けるのは早計だろう。むしろ自分の主観と客観的な環境、周辺の人の思惑とのずれに対する感度が老化によって鈍くなってきていることが大きいのかもしれない。今はそういうズレに敏感なつもりでも、あと20年も年を取ると同じように鈍感になってしまうのだろうか、そういう風に考えると恐ろしくなってくる。

大学に限らず、あらゆる学校の教師によく向けられる批判に、「独善的で人の話が聞けない」ということがある。長年、学校の先生をしていた人に多いのだが、自分がしゃべりだすと止まらないのだが、他人の話は10分も黙って聞けない人がいる。教師の職業病といえるかもしれない。私も長年、教師稼業を続けるとそうなってしまうのだろうか。そうならないように誰かに釘を刺してほしいものだ。

生活習慣病などは定期健康診断などで毎年チェックされるが、こうしたベテラン教員の「教師病」も定期的にチェックしないと、手のつけられないことになってしまうのかもしれない。美しく年を取ることは不可能ではないと思うが、感性が鈍らないようにするには、かなりの努力が必要であるに違いない。

アメリカ大学訪問記

2006-04-17 23:32:45 | 教育・学問論
2005年は結局、一度も訪米できなかったのだが、年度末に当たる今年の2月に調査でテキサスを訪問した後、3月末から4月頭にかけて、交換留学協定校視察として、ジョージア大学(ジョージア州アセンズ市)、テネシー大学(テネシー州ノックスヴィル市)、およびメリーランド大学(メリーランド大学カレッジパーク市)を訪ねた。メリーランド大学は数えてみると12年ぶりの訪問だったが、ほかの大学は今回が初めてだったし、普段はアメリカの大学を訪問しても、図書館や関連施設を利用したり、専門の近い教授に面会したりするくらいなので、大学の事務当局の人たちとじっくり話すのは、初めてで貴重な経験だった。学生を送り出す立場で訪問するアメリカの諸大学は、学生生活を過ごしたキャンパスとはかなり違った印象を受けた。

考えてみると私がアメリカに留学したのはもう10年前になり、就職した学部は学生の国際交流が大変盛んで、留学も日常茶飯事なので、指導した学部生や院生も短い期間のわりにはかなりの人数、アメリカへと飛び立った。最初期に卒論を指導した学生は、私の勤務先の学部を卒業後、すぐにアメリカの大学院に留学し、修士号をとって、帰国して、東京で働き始めている。年月の流れるのは早いものだ。

私が留学したのは大学院生のときだったが、私より先に留学して、当時、学部の助手を勤めていた先輩は、「1ドル=200円時代に留学していた人たちは気合がかなり入っていたけど、今は1ドル100円を切ってるからな」などとうらやましがっていた。確かにかなりの円高の最中の留学でその点だけは助かった。しかし日本からパソコンを持っていかなかった私は、アメリカで購入したパソコンで、当時から普及し始めたメールでも日本語でのやり取りができず、自ずと英語を使える日本の友人たちとの交流に限定されてしまったし、今のように図書館のホームページで日本語のサイトを自由に見れるわけでもなかったので、最初の頃は図書館の新聞・雑誌室で週1、2回、『読売新聞』や『朝日新聞』の衛星版を読んで、日本の情報を得ていた。しかしアメリカ生活が慣れてくると、いつの間にかアメリカのテレビや新聞のほうが面白くなって、わざわざ日本の新聞を読みにいくことはなくなってしまった。

今、日本からアメリカに留学している学生たちの話を聞くと、ネットやメールはもちろんのこと、メッセンジャーやミクシーなどの手段でオンラインで日本の友人たちといつでも連絡が取れるので、その面でホームシックになることはなさそうだった。しかし今回の訪問では短時間であまり突っ込んで聞くことはできなかったのだが、アメリカと日本の文化や生活習慣の違いは大きいので、いろいろ悩んだり、苦労することは少なくないだろう。その点は10年前の私の時とあまり変わらないかもしれない。

今回訪問したどの大学でも、日本への留学生候補を選抜するのに日本語学科の教員が大きな影響力をもっていて、応募者も主に中上級の日本語クラス受講者の中から出ているようだった。それには驚かなかったのだが、日本に留学する動機の多くは、子供の頃から日本のアニメに親しんでいるため、自然と日本に興味を持っていることが多いということだった。

確かに私が留学していた人口4万人ばかりの大学町でも当時CDショップでほとんど日本のミュージシャンのCDはなかったし、レンタルビデオでも黒澤監督の『羅生門』や伊丹監督の『タンポポ』くらいしかなかったのに、日本のアニメは有名なのものから、まったく知らないものまでかなりの品数を揃えていたし、ゲームソフトも日本製のものが多くて驚いた記憶があった。その頃はまだ日本製のアニメやゲームが市場を席巻し始めたと話題になっていたに過ぎなかったが、今や幼稚園や小学生時代からそうした日本のアニメ・ゲーム文化漬けになった世代がアメリカで大学生くらいになっているのかと、改めて年月の速さを再確認させられた。

同時に私が留学した時代とあまり変わらないなと思ったこともあった。留学時代の友人だった建築学科の院生は、サマースクールとしてイタリアで建築学を学んでいたが、今回、会ったメリーランド大学の人の話でも、フランスなどのヨーロッパ諸国にメリーランド大学の教員が学生たちを引率して、短期留学させるようなプログラムをさかんに展開しているようだった。せっかく外国に行っても、同じ大学生で固まって、同じ大学の先生が中心になって教えるのはどこまで意味があるのかと思わなくもなかったが、アメリカの学校で言う、フィールドトリップというものに近いのかもしれない。日本の大学でも9-10ヶ月という比較的長期の交換留学だけでなく、そうした夏休み引率型の語学留学講座などを行えば、かなりの需要を見込めるかもしれないと思った。

少し気になった点は、こちらの大学で提供している英語で受けられる授業の数や、初級・中級レベルの日本語クラスの内容について、アメリカ側からさかんに質問されたことである。私たちがアメリカの大学に留学生を送り出す場合は、留学生向けの英語試験TOEFLで相応のレベルの得点を取ることが必要条件となっている。しかしアメリカから来る学生は多くの場合、1-2年、日本語のクラスを取った程度の日本語能力の学生であり、当然、日本語で自由に生活したり、大学レベルの講義を取るには限界がある。交換留学プログラムに力を入れている私立大学の中には、そうした現実に対応すべく、英語で授業をほぼ完結できるような学部相応の組織をもつところもある。私の大学の場合は留学生センターという組織で日本語の授業を展開し、後はいくつかのゼミや授業が英語で行われているくらいだが、そう答えると、アメリカ側担当者はやや不満そうであった。

しかしいくら英語が国際語であるから、また英米人にとって、漢字言語を学ぶのが困難であるからといって、せっかく日本に留学して、日本語の初級クラスや英語での日本事情のクラスばかり取っているのではもったいないのではないかと思わずにいられなかった。それでは少し時間が長いだけの「修学旅行」のようになってしまうのではないだろうか。

アメリカに留学したとき、留学生向けのガイダンスで、アメリカの価値観から人々の交際法から文化行事にいたるまで、簡潔にマニュアル化した冊子をもらった。今読んでみても面白いのだが、「自分たちの国はこういうシステムで動いていますから、それを理解して、合わせてみてください」と簡潔に言葉で提示できるのがいかにもアメリカ的だと思った。よく言われることだが、アメリカでの暮らし方はある意味でマニュアル的なので、そのルールを学び、それに従う限り、あまりトラブルなく暮らすことができるのである。

はたして日本の場合、どうだろうか?日本人の間の不文律や習慣、感情表現などをそんなに簡単にマニュアル化して、留学生に配布する資料としてまとめることはなかなかできそうもない。それと同時に、留学生に対して「ここは日本だから日本流に従ってくれ」と強く要求することもできないし、しそうもない。どこかで「外国人だから」、「留学生だから」と勝手に納得してしまいそうである。その点がアメリカ流と大きく異なっている。

アメリカに留学したいと思っている日本人学生の数と、日本に留学したいと思っているアメリカ人の数とを比べれば、明らかに「輸出超過」である。だから「授業についてこれるくらい日本語ができなければ来なくていいですよ」などと強いことを要求できないのが現実だ。しかし日本に来る以上は、我々がアメリカに留学したらそうするように、最初は理解できなくても、日本人に混じって講義やゼミに出て、発言できなくても日本語の海に漬かるのが、結局、日本語力を向上させる近道に違いない。そう考えると「修学旅行」にならないように、あまり英語による日本文化・社会の授業など充実させない方がいいのかもしれないと、逆説的に考えた。