紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

ボードレール 「どちらが本当の彼女か」(『パリの憂鬱』より)

2005-07-16 16:58:33 | 
私はかつてベネディクタとかいう娘と知り合ったが、彼女はあたりの空気を理想で満たし、彼女の眼は、偉大さへの、美への、栄光への、はたまた不滅を信じさせるすべてのものへの願望を撒き散らしていたのだ。
 だがこの奇跡的な少女は、長く生きるにはあまりに美しすぎた。だから、私が彼女と知り合った数日後には死んでしまったのであり、春がその香炉を墓地の中まで振っていたある日のこと、彼女を埋葬したのは私自身なのだ。インドの櫃のように香をしみ込ませて腐ることのない木材で作った棺桶の中に、しかと閉じ込めて、彼女を埋葬したのはこの私なのだ。
 そして私の目が、私の宝の埋められたその場所の上になおも釘付けになっていた時、突然、死んだ女と奇妙によく似た小娘の姿を私は見たのだが、その娘はヒステリックで異様な荒々しさをもってなま新しい土を踏みにじり、高らかに笑いながら言うのだった。「わたしよ、本当のベネディクタは!わたしよ、名うてのあばずれなのよ!あんたの頭がおかしくて、目がくらんでいたその罰に、これからあんたは、ありのままの私を愛するのだわ!」
 だが私は怒り狂って答えた、「いやだ!いやだ!いやだ!」そして自分の拒否をさらに強調するために、足でもってひどく乱暴に土を蹴ったものだから、私の脚はできた手の墓の中に膝まで没してしまい、この私は、罠にかかった狼よろしく、理想をほうむった墓穴に、ひょっとするといつまでも、繋ぎとめられたままなのだ。

 (阿部良雄訳、ちくま文庫版)

後に『国民評論』誌で出版された折には「理想と現実」というタイトルで出されたようだが、隠喩とも直喩ともとれる詩である。ボードレールの散文詩をブログで取り上げるのは、二度目だが、彼の象徴詩はとても分かりやすいし、一見破壊的なメッセージでもかなり美しい詩情をたたえていると思う。この詩を読んで、なぜか『古事記』に描かれた日本神話のいざなぎが死んだ妻のいざなみを黄泉の国に訪ねていく場面を思い出した。いろいろ考えさせられる詩である。