紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

忘却術の伝統

2005-12-31 16:50:57 | 日記
今年も残り数時間となった。「年忘れ・・・」と冠したイベントやテレビ番組が年末には溢れている。除夜の鐘で百八の煩悩を忘れるように、忘れることをポジティブに捉えるのが年中行事化しているのは面白い文化だと思う。「記憶術」の本は書店でも平積みにされているが、「忘却術」の本は管見にして見たことが無い。受験生の昔は記憶力がもう少しあればと思うことも多かったが、今では記憶術よりも嫌な事を忘れる忘却術の本があればと時々思う。除夜の鐘も聞こえない所に住んでいると、鐘の音では忘れられそうも無いが、日々の慌しさがいつの間にか大切なことも忘れさせてしまうのかもしれない。

インターネット化など情報化時代に拍車がかかった頃、『超整理法』などの本がベストセラーになった。読むともなく、そうした本もいくつか読んだが、時間管理法にして、整理法にしても、秘訣は結局、要らないモノや要らない時間を捨てることであるようだ。となると、必要なことを記憶する秘訣もおそらく、不必要なことを次から次からへと忘れていくことであるに違いない。年をとると物忘れがひどくなったり、さらにひどくなると痴呆症になったりするのだが、仕事盛りの年代で嫌なことをどんどん忘れていくのは意外と難しいのかもしれない。一年の終わりに全てリセットして、新年を新たな気分で迎えようとする習慣は、たとえ時間が連続で、同じ昨日と明日であるとしても、賢い人類の知恵である気がする。

来年は年末だけでなく、時々いらない記憶を処分しながら、前向きに進んでいく一年にしたいものだと年を終えるにあたって思っている。

たくましい知性?

2005-12-22 16:48:28 | 教育・学問論
ようやく授業が終わった。先送りした仕事、返事を書いてないメール、出さなければならない書類や手紙は山積しているが、今学期は担当コマ数が多かったこともあって、授業の準備やただ授業するだけでもきつかったので、終わって少しホッとしている。

ブログの更新もすっかり滞ってしまったが、何も考えてなかったわけでなく、いろいろ考えて、書く時間がない場合が多かった。今学期は非常勤講師として別の大学で講義したり、また高齢者向けの生涯教育講座を何度か教えたので、授業や学生の気質について、普段教えている学生たちと比べながら、いろいろ考えさせられた。

まず高齢者向け講座だが、大学で行なっている一般市民向けの公開講座で二度ほど、自治体主催の講座で一度、話したことがあり、今回の講座はいわば四度目だったが、やはり大学の普段の授業と比べて難しかった。前三回は一回限りの講義なので、どういう人たちが聞きに来るのか、関心はどの辺にあるのか、全く分からず、出たとこ勝負の難しさを感じた。今回の講座は月1回のペースで同じ受講生を相手に3回ほど話すので、もう少し改善できるのではないかと思っていたのだが、準備時間を十分に取れなかったせいもあるが、普段、自分が大学で行なっている講義とあまり変わらないものしかできず、結果的にご高齢の方々にとっては難しすぎる、とっつきにくい話が中心になってしまった。大講堂だったせいもあって、質問もほとんど出なかったが、最終回には「先生、今の日本のアジア外交おかしいですよ」と熱く話しかけてきた老齢の方がいらっしゃったので、何かが響いたのかもしれないと思った。

非常勤の方もどうなるか、全く見当もつかずに行ったのだが、勤務校での授業と比べて、ずっと受講生が少なかったせいか、4年生が多かったためか、受講態度が極めて真面目で、熱心に聞いてくれる学生が多かったのでとてもやりやすかった。それだけでなく、私の授業内容の事実関係や解釈について、予習してきていちいち細かく反論する質問カードを提出する学生がいて、少し驚いたが、熱心さを頼もしくも思った。

しかし考えてみると、私が赴任して2、3年目に、40人程度の学生を相手に話していた時は同じような手応えがあった。この2年ほどは80人くらいで、私の学部としては大勢の受講生を前に話すようになってから、授業中に寝る学生や遅刻する学生が急に増え、また質問カードやコメントも、「レジュメの要点だけを整理したプリントをもう一枚別に刷って欲しい」とか、「授業の初めに質問に長々と答えている時間が無駄」といったエゴイスティックな感想を書く学生が目につくようになった。そんな中で、今回の非常勤先の学生の一人が、「自分たちがした質問に答えてくださって感激しました」と書いていたのには新鮮な驚きを覚えずにいられなかったし、「前はそんな学生もいたな」と懐かしく思った。他の学生の質問も講義を補う上で役立つからそれに対する答えを授業の冒頭で紹介しているのだが、「自分の質問じゃないからどうでもいい」という心や関心の狭さがある意味で嘆かわしく感じられた。

最近はあまり学生を注意したり、厳しいコメントをしなくなったのだが、今学期は何度かした。それに対する反応がまたそれぞれで興味深かった。あるクラスでは「聞いてなかったから、課題をやってきませんでした」と平然と言い放つ学生がいたので、さすがに私も「聞いてなくても構わないけど、提出しなければ単位を取れないよ」と言ったのだが、翌週から一番前に座って、急に熱心に授業を聴くようになった。注意をする教師がいなくなって、注意をされたこと自体がある意味で新鮮だったのかもしれないと思った。

演習形式の授業では二度ほど報告内容について、厳しめの質問やコメントをしたが、ある学生は二度目の発表で前回の指摘を踏まえて、きちんと調べてきた。しかしあるクラスの学生は翌週から授業に出てこなくなった。世界情勢や国際平和に関心を持つといいながら、少し違った角度から突っ込まれただけで逃げてしまうようでは、複雑な国際社会の現実に到底対応しきれないだろうと思ってしまうのだが、学生に限らず、自分の拠って立つ狭い「正論」の枠から抜け出せない人は専門家にも多いから、そうした「打たれ弱さ」も学生だけの現象でないに違いない。

大学に入ったとき、確か、今は亡き『朝日ジャーナル』誌の大学新入生向け特集号か何かだと思ったが、ある有名私立大学の学長が「たくましい知性を養え」というエッセイを寄稿していた。その人は「学問を志す人は3日間徹夜しても平気で議論や発表、授業できるくらいでないとならない」と書いていて、タフでない私にはいまだに耳が痛い話だったのだが、同時に「批判されても簡単にへこたれない」で、かつ「人の話に柔軟に耳を傾けられる」精神を養えと訴えていた。人の批判に耳を傾けて、素直に反省しつつ、かつ必要以上にへこたれないことは容易ではない。誰でも批判されれば傷つくし、うまく反論したり、答えられなければ、なおさらである。反発もするし、恥をかかされたと逆恨みさえするかもしれない。ただ最近の学生にとっては「わかりません」と答えることや、質問に答えられないこと、言い換えれば何かを知らないことや調べてないことが「恥」でないらしく、さっさと「わかりません」と答えてしまえば逃げられるという雰囲気が感じられる。

私の大学生時代も既にそういう傾向があったが、その頃、習った先生方からは「昔の学生は議論で論破されまいと必死に準備して勉強してきたものだ」と聞かされてきた。その「昔の学生」たちが長じて頑固な中高年に変貌を遂げているのを見ると、必ずしも肯定できないのだが、褒めあうばかりでなく、学生同士も相互に建設的に批判しあい、教員も厳しく指摘する緊張関係がやはり必要なのではないかと学期中、何度も考えさせられた。3年生のゼミでは初めて、お互いの報告についてコメントを書かせてみたが、内容自体はよかったが、「お疲れ様でした」とか「面白かったです」といったフォローの言葉が多く、厳しいコメントはごく限られていた。そうした「やさしい」時代の趨勢の中で、厳しい発言をするのは学生にとっても教員にとっても酷なのかもしれない。

忙しさを更に増したには違いないが、普段教えている学部を離れて、違った学生や社会人を相手に教えるのはやはり貴重な経験だと思った。一つの学部で教えていると、その学部を支配している教員や学生のムードが全てだと勘違いしてしまう。一歩離れれば「当たり前」でないことばかりのはずなのだが、埋没すればするほど、それが当たり前になってしまう。日頃の職場を離れて、自分の立ち位置や自分の学生たちのメンタリティや社会的立場について客観的に見直すことができたのが、今学期の大きな収穫の一つだったと思う。


ある晩のカラヤン

2005-12-05 16:46:06 | 音楽・コンサート評
夏の最中に「秋のブラームス」という記事を書いた。気付けばもう12月。近畿でも初雪が見られた。夏にブラームスを聞くのもいいものだと書いたが、この秋は久しぶりにクラシックのCDをよく聞いていた。旬の魚や野菜のように、やはりブラームスは秋に聴いた方がはるかに良かった。最近はどちらかというとジャズに凝って、ピアノ・トリオのCDを集めたり、たまには生演奏を聞きに行ったりしていたのだが、ジャズを聞き出すとクラシック・ピアノの磨かれた美しさが懐かしく感じられて室内楽からまた聞き始めるようになった。

クラシックを一番熱心に聴いていたのは中学生の頃で、バイオリンを習っていた友人がレコードやテープを貸してくれて、最初はドボルザークの『新世界(交響曲第9番)』といった入門的な曲から聞き始め、交響曲からやがて協奏曲、室内楽、器楽曲と聴くようになった。クラシックでもジャズでもとっつきにくそうなジャンルに入っていくには、やぱり最初に名盤と言われるCDを集中的に聴いていくのがいいのだろうが、買い続けるのは特に子供の場合は無理であるし、レンタル屋にはクラシックはほとんどない。図書館にも昔は時々あったが、図書館さえも今では「無料のレンタル屋」で著作権を侵害しているとして批判されるご時世なので、貸し出しも制限されてくるかもしれない。そう考えると、クラシックに詳しい友達がいて、気前よく貸してくれたのは有難かった。楽器は習ってなかったし、まるで演奏できないが、集中的にいろんな曲を聴いているうちにだんだんと聞く耳を磨いてこれたような気がする。

この秋、久しぶりに聴いて感銘を受けたのは、今は亡き名指揮者、「帝王」の名を恣にしたヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルの最後(3度目)のブラームス交響曲全集である。カラヤンというと「アダージョ・カラヤン」というCDがベストセラーになったのを記憶されている方も多いと思うが、クラシックを知らない人でも知っている大スターで、レガート奏法と呼ばれる磨きぬかれた明快な演奏と端麗な容姿を生かしたカリスマ的な指揮者だったが、逆に言うと、「通」ぶるクラシック・ファンからは敬遠されがちでもあった。ドイツ教養主義的なクラシック・ファンからすればフルトベングラーの演奏こそが正統派で、カラヤンは「通俗名曲の大指揮者」に過ぎないと言った悪口もよく聞かれた。

もちろんフルトベングラーのように深い精神性を感じさせる重厚なベートーヴェンやブラームスも嫌いではないが、カラヤンの最晩年のブラームスは、頂点と言われた1970年代の演奏には見られない枯淡の境地と同時に、カラヤンが生涯貫いてきた、クラシックの現代的再生という姿勢が強く感じられた。同じ19世紀の音楽でも例えばメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲やチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のような曲を聞くと、いかにも古風な情緒主義が漂ったメロディで、ドライに演奏しても、ロマンティックに演奏にしても古さを免れない気がするが、バッハの楽曲やベートーヴェン、ブラームスの交響曲などは贅肉を落とした演奏をすると、時代を超えて、現代のテーマが響いてくるような演奏に十分なりうる気がする。カラヤンのベートーヴェン交響曲全集やブラームス全集が様々な批判を受けながらも一方で高く評価されてきたのも演奏の現代性にあるのだろう。同じベートーヴェンやブラームスを得意なレパートリーにしているオーケストラでも、伝統重視のウィーン・フィルより、現代的な都市のオーケストラであるベルリン・フィルの方がそうした傾向を強く感じさせられる。

しかしクラシックを聞き始めた中学生の頃はカラヤンのベートーヴェン『運命(第5番)』や『英雄(第3番)』jはいいと思ったが、ロマンティックな第三楽章が有名なブラームスの交響曲第三番や、独特の寂寥感と情熱をたたえた交響曲第四番は、モーツァルトの交響曲第四〇番、ベートーヴェンの『田園(第6番)』の場合と同様にブルーノ・ワルター指揮の演奏の方を愛聴していた。その頃持っていた、カラヤンの70年代のブラームスの演奏は壮麗だが、ブラームス的な情緒が何か欠けているように感じていた。そんな折、生でカラヤン指揮ベルリン・フィルのコンサートに行く機会に恵まれた。1984年、カラヤン8度目の来日公演を東京・普門館で聴いた。インターネットで調べてみると10月23日だったようである。演目はブラームスの交響曲第三番と第一番だった。父に連れられて、というより、ブラームス好きな私に父が付き添っていったというのが正しいだろう。カラヤン美学なのか、アンコールもすることなく、シンフォニー2曲でシンプルに終わったが、クラシックの交響曲などはほとんど聴かない父は帰り道、「ブラームス以外もやればいいのにね」とつぶやいていた。

この晩の演奏は、日頃、聞いていたレコードの70年代後半録音の演奏とは全く違って、「綺麗なブラームス」ではなくて、男らしい重厚なブラームスだった。ライブにはライブのよさがあるとしみじみ思った。カラヤン最後のブラームス第一番(1987年録音)が出たとき、従来のイメージを破るものとして高い評価を受けたが、私が聴いた84年のコンサートもまさにそのCDを予見させるような骨太のブラームス第一番だった。久しぶりにそのCDを聞きながら、あの晩の演奏のことも思い出した。クラシックの演奏も一方ではオリジナル楽器や編成、楽譜にこだわって忠実に再現しようとする方向に走っているようだが、ベートーヴェンやブラームスが表現しようとした世界を、より現代的な形で再現しようとすることも新しい鑑賞者を増やす意味でも重要なのではないかと思う。その意味でとかく批判されがちのカラヤンが果たした功績は大きいだろう。ただカラヤンのようなカリスマ性とスター性を兼ね備えた指揮者がその後出ていないのが淋しいことだと思う。