昨日の記事「黒人の民主党支持」で書いたような説明をすると、「南部民主党って何?」と余計分からなくなる場合がある。南部民主党はDixiecratsと呼ばれる勢力で、正式には「州権党」といい、1948年の民主党全国大会で、黒人の公民権を支持する綱領が採択された際に民主党を脱退したアラバマ、ミシシッピ-、ルイジアナ、サウスカロライナなどの深南部の人々により形成された。
トルーマンは48年大統領選挙ではこうした南部民主党の離反を受けて、選挙戦を戦わなければならなかったのである。南部民主党側は人種差別主義者だったストロム・サーモンド・サウスカロライナ知事を大統領候補に指名して戦ったが、一般投票では2.4%の票しか取れず、49.6%を獲得したトルーマンが勝利した。
サーモンド自身、後に共和党員に転向し、最長老上院議員となるのだが、2001年のサーモンドの誕生日に共和党上院院内総務だったトレント・ロットが「1948年選挙でサーモンド氏が当選していればよかった」と発言して、黒人議員、団体をはじめとする各方面から猛反発され、辞任に追い込まれたのは記憶に新しい。
南部民主党を支持した政治的保守層はその後、南部における共和党の支持基盤となり、今日に至っているが、1964年大統領選挙で、南北戦争以来はじめて、大統領選挙でジョージアでは共和党候補が、ヴァーモントでは民主党候補が勝利したというのがニュースになるほど、南部では民主党一党州が一般的で、北東部では共和党が支配的であったという事実は覚えておいた方がいいだろう。全国レベルでは二大政党制のアメリカも州・地方レベルでは60年代までは事実上の1党制がめずらしくなかったのである。