紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

テレビは「自ら助くるものを助く」か?

2004-11-30 17:13:14 | TV
「天は自ら助くるものを助く」とはイギリスのサミュエル・スマイルズのSelf Helpを翻訳した明治4年のベストセラー『西国立志篇』の有名な一節である。中村正直の翻訳が出てから130年以上が過ぎたが、今年の流行語になった「自己責任」論をめぐる世論の迷走に見られるように、「自助」の思想は未だに根付いているとは言い難い。

アメリカの本屋に行くとかならず「セルフ・ヘルプ」と題したコーナーがある。日本流に言えば、「自己啓発」の本が並んでいる。アメリカの大学に留学した時に渡された、留学生向けのアメリカの社会生活を紹介したパンフレットに、「アメリカ人は個人の自主性と自助を重んじる国民ですが、その一方で助けを求めた場合は協力を厭わないことでも知られています」と解説してあったのが印象的だった。自己救済を原則としつつも協力を惜しまない、セルフヘルプの精神は、狭い意味での「自助」のイメージよりは寛大であるようだ。

そうしたセルフヘルプを支援する、視聴者参加型のトークショーに『モンテル』という人気番組がある。写真の人物、モンテル・ウィリアムズがホストを務める番組で、1991年から現在まで13年ほど続いており、エミー賞を受賞するなどトークショーとして高い評価を得ているようだ。日本で言えば、みのもんた氏にあたるのかもしれないが、子供の非行、離婚、病気、借金、親戚や近所とのトラブル、学校でのドラッグ問題など、身近な問題について、悩みを抱えた複数の一般視聴者が登場し、苦境を語り、時に出演者同士で喧嘩したり、観客が野次を飛ばしたりするなかで、このモンテル氏が決め台詞的にアドバイスをするような番組展開になっている。モンテル氏だけでなく、専門のカウンセラーや医師、精神科医なども登場してアフターケアすることになっている。

この『モンテル』の特徴は、アメリカのほかのトークショーがともするとセンセーショナルな話題やエキセントリックな悩み、人物を多用するのに対して、普通の市民が悩みそうなことに奇をてらわず、まじめに助言していることである。モンテル氏は海兵隊出身という異色の経歴で、海軍大学出身という軍人としてもエリートであった。しかしトークショーホストとして多くの人の悩みに答えながらも、本人も離婚を経験したり、医薬用マリファナ所持で空港でつかまったり、人生のトラブルと無縁ではない。文字通りの「自助」は大変なことである。アメリカの書店やテレビでこうした「セルフヘルプ」本や番組が流行しているのもそうした背景があるのだろう。日頃、「強さ」を誇示するアメリカを外から見慣れている私たちにとって、平凡なアメリカ人の平凡な悩みを眺めるのは新鮮でもある。日本ではあまり知られていないアメリカの「普通」の番組はアメリカ社会を理解する有効な手がかりを提供してくれる。

『サタディ・ナイト・ライブ』に見るアメリカ社会像

2004-11-28 17:09:52 | TV
ブッシュ大統領をはじめとする政治家に扮したコメディアンのショートコントの後、"Live from New York, It's Saturday night!"という掛け声で始まるのが、アメリカNBCの人気バラエティ番組の『サタディ・ナイト・ライブ』である。土曜日の東部時間夜11時半から一時間やっている番組で今年の10月で30周年を迎えた長寿番組でもある。過去にエミー賞も受賞している。

今はインターネットでメインのコントを日本にいながら見られるようになったので、一度ごらんになっていただきたいが、ブッシュが2期目の政権で誰を首にするかで困っているコントや、オサマ・ビンラディンが大統領選挙中に発したメッセージで「どちらの候補でも構わないが、ケリー夫人だけは支持できない」と言って笑わせているものや、ケリー候補が選挙後にブッシュに選挙勝利の祝福の電話をかけている場面で、ブッシュが「前の政権がやっためちゃくちゃをこれから直すのが大変だ」などといって笑わせるコントが掲載されている。

留学時代も毎週楽しみにしてみていたが、ネットに載せられているようなコントは比較的英語も内容もわかりやすいが、右の写真に掲げた「ウィークエンド・アップデイト」という一週間のニュースにとんでもないコメントをキャスターがつけるコーナーは英語力とアメリカ社会の知識がかなりないと笑えないものが多くて、笑えるようになるまで時間がかかったし、勉強にもなった。日本のコントというと政治や社会問題とは無関係のナンセンスなものか、芸能界や芸能人をおちょくった言わば内輪ネタのようなものが多いが、アメリカは政治や社会問題をコントにする点が異なっている。

取り上げられるネタも日本だったら放送コードに引っかかりそうなきわどいものが多い。私がリアルタイムで毎週見ていたのは、1996年の大統領選挙の頃だが、ゲイと女性と黒人の3人が会話をしながら、「結局、選挙に行っても何も変わらないからやめよう」などという結論に達するコントを流した後、「提供は共和党でした」と茶化したり(=つまりこの三者が民主党支持者だというわけだが)、アメコミのヒーローものをパロディにして、ゲイのキャラクターを仕上げて笑いものにしたり、黒人のコメディアンが「クリントンと俺の共通点は友達がたくさん刑務所に入っている点だ(=数々の不正献金疑惑でクリントン関係者が逮捕されていたので)」等と言ったりと、マイノリティ、女性、キリスト教保守派のような宗教団体、同性愛などに関する差別ギャグが満載されていた。もちろん権力の側の政治家も笑いものにされていて、今年の大統領選挙のTV討論のパロディでは、テロの脅威だけを連呼するブッシュと、ひたすら(ベトナム戦争時にもらった)勲章の自慢話をするケリーの様子がコミカルに演じられていた。

アメリカ人の友人と話したときに、「日本だったらああいうコントは放送できないね」というと、「あれは差別番組じゃなくて、『差別』そのものを笑いものにすることで、差別をなくそうとするものなんだよ」と解説してくれた。アメリカ人らしい発想なのかもしれないが、おそらく普通の市民が日常会話では差し支えがあるので、取り上げにくい話題を大胆にギャグにすることで社会全体が発散しているのだろう。この番組は毎週、映画俳優やコメディアン、歌手などがゲスト司会者を務めて、コントだけでなく、音楽やスタンダップ・コメディも含めた総合バラエティ・ショーとなっているが、日本のケーブルテレビなどで紹介されているのは、音楽ライブの総集編ばかりなので、アメリカで見たことない人にはコントの部分はなじみがないだろうが、ネットでも一部は見られるようになったので、ご関心の方はぜひ見ていただきたい。

日本でこうしたギャグが放送上はタブーになってしまうのは、放送局の自主規制が強すぎるのか、スポンサーや関係団体の有形無形の圧力が強いためなのか、日本人がユーモアのセンスに欠けて真面目すぎるのか、社会・政治問題をコントにしても笑えない視聴者が多いのか、政治家のキャラクターがアメリカほど個性的でないのか、いろんな要素が考えられるだろうが、芸能人の一員である芸人が楽屋落ち的な内輪ネタばかりで笑いをとったり、「素人」出演者をからかっているばかりではやがて飽きられてしまうだろう。しかし日本の新聞の読者欄などを見ている限り、きわどい社会ギャグの放送を許す寛容な土壌も無いような気もする。「笑い」は社会や国民をよく映す鏡であるとつくづく思う。

日米学生気質雑感

2004-11-23 17:05:33 | 教育・学問論
大統領選挙について何かを書こうと思っているうちに多忙にかまけて、すっかり更新が滞ってしまった。
 
昨日、アメリカの大学の先生を迎えて講演会を行なったが、その先生から私の研究室で、「どこからこの音楽が聞こえてくるのか?」と尋ねられた。私の研究室は学生の部室が入っている学生会館に面しており、吹奏楽やジャズ、アカペラなど様々な練習の音が防音が不十分な窓を通して伝わってくるのである。
 
「あそこに部室があって、学生も他では練習できないので練習しているんですよ」と説明したところ、「金曜日の晩ならわかるけどね」とそのアメリカ人の先生が半ば呆れ顔でため息をもらした。金曜の晩どころか、今日のような休日や土日も研究室の目の前の広場にアンプをもちこんでマイクで歌っているグループもいて、休日だから研究室でゆっくり研究をということにならない。
 
アメリカ人の大学教師からすれば、平日はひたすら予習復習・テスト勉強に明け暮れ、金曜日の放課後に初めて解放されて、パーティなどでhang outするのがアメリカの平均的な学生生活なので、「日本の大学生は月曜日からラッパを鳴らしているのか?」と素朴に驚いたに違いない。
 
しかし日本の大学生もバイトのスケジュールには厳密なので決して曜日感覚がないわけではないし、学生を教える日本の教師の方も月曜日から酒を飲んで帰る人も珍しくないので、学生ばかりを責められないだろう。サラリーマンで月曜から飲む人はあまりいないのではないだろうか?
 
「アメリカの大学生は勉強するが、日本の大学生は勉強しない」というのは言い古されたことであり、大部分、真実でもある。「アメリカの大学の授業は学生にとって興味深いが、日本の講義はつまらないので、学生が勉強しない」という人もいるがそれは必ずしも真実ではない。アメリカでも単調で面白くない授業、抽象的で難解な授業は珍しくないが、成績認定が日本より厳格で、課題が多いので勉強せざるを得ないのである。アメリカ留学中に気付いたことは、勉強量もさることながら、学生の勉強スタイルが全く異なることだった。
 
アメリカの、特に白人の学生たちはテスト勉強や宿題などほとんど独力でやっており、友達同士で協力してやることはまれである。ノートの貸し借りなどもってのほか、という空気さえあった。それに対して、アジア系、特に中国人留学生は人数が多いこともあったが、図書館やカフェテリアで10人近いグループで課題に取り組んでいた。アメリカの個人主義といってしまえば、それまでかもしれないが、激しく成績を競い合い、切磋琢磨する環境なので、日本の大学生のようなほのぼのとした友人関係は作りにくいだろう。日本の大学生たちも高校時代はそのような激しい受験勉強を潜り抜けてきたからこそ、大学ではノンビリしてしまうのかもしれない。
 
交換留学で私の勤務校に留学してきたアメリカ人の学生は、流暢な日本語で「日本の大学は全然予習しなくていいので、びっくりしましたが、そのうち慣れてしまったので、アメリカの大学に戻った後が不安です」などとジョーク交じりで述べていたが、例えばゼミ(演習)形式の授業でアメリカ方式を真似しようと思っても、アメリカ人のように「テキストを読んでこないと意見が言えないから読まざるを得ない」とは思わずに、真面目にテキストを読んできても意見を言わない大人しい学生が少なくなかったり、お互いに議論をすることを嫌ったりするのでなかなかうまく行かない。
 
知識を詰め込むのも、議論する力を伸ばすのもどちらの点でも思うようにいってないのが日本の大学の現状なのではないだろうか?大学生のみならず、「朝まで生討論」や「TVタックル」といった政治家や評論家、学者が時事討論する番組を見ても、日本人は議論が下手だと思うが、コンセンサス重視の日本社会では、「異論」を穏やかに唱えることが難しく、「異論」を唱えるとすぐに喧嘩になってしまって、議論→反論→新しい意見・知の発見へといったような弁証法的な展開になりにくいのかもしれない。
 
私たちの世代よりもはるかに学生時代に議論したといっている団塊世代の教師たちの教授会での議論を見ていてもその思いを強くする。教師自身が上手ないから、学生に議論の術や勉強の仕方を教えられないのだろうか?そうとは思いたくないが、学生の議論する力を高めることと、大学での会議の議論の質を高めることはどちらも難しく、改善の道は険しく、とてつもなく長く感じられる今日この頃である。(写真は研究室から見た夕景)

メインストリートの再生

2004-11-03 17:03:39 | 都市
「メインストリートは文明の極致である」と半ば皮肉を込めて書いたのは、20世紀初頭のアメリカの作家・シンクレア・ルイスである。彼の1920年の小説『メインストリート』は都会から田舎町に嫁いだ娘の地方での格闘と幻滅を描いている。またほぼ同時期の1919年に出版されたシャーウッド・アンダーソンの小説『ワインズバーグ、オハイオ』も中西部の架空の田舎町の奇妙な住人たちとその日常生活を描きながら、地方生活の因習や孤独をテーマにしている。この小説でもメインストリートが舞台として効果的に登場する。

アメリカの街を旅行した方はご存知かと思うが、どの都市に行っても「メインストリート」や「ステートストリート」という名前を冠した通りがある。ちょうど日本の地方都市で中心地に「栄」という地名が多いのと似ている。20世紀初頭から第二次世界大戦までの時期には、アメリカ各都市のダウンタウンと呼ばれる中心市街地はメインストリートを中心に繁栄し、各都市の政府諸機関や大学・博物館・美術館などの文化施設、そして各種の店舗やレストランを中心とする商業施設が集中し、文字通りコミュニティの中心地となっていた。ルイスやアンダーソンが描いたのはまさにそんな時代であった。しかし第二次大戦後、モータリゼーションの進展、全米高速道路網の整備や郊外化の急速な進行によって、商業の中心はダウンタウンから郊外のスーパーマーケットやショッピングモールへと移り、メインストリートを中心とする中心市街地の空洞化と荒廃が進んだ。「メインストリート」が往年の輝きを失って名ばかりになってしまった町も多くなった。

1960年代までは開発・成長一辺倒だったアメリカ諸都市も、1970年代に入ると、交通渋滞や大気汚染、オープンスペースの喪失、新たなインフラストラクチュア建設のための税負担増、安価な住宅の不足といった都市成長に伴う諸問題が顕在化し、開発や成長の質を問い直し、持続可能な街づくりをしてゆこうとする動きがでてきた。これが「成長管理(growth management)」と呼ばれる政策であるが、その一環としてダウンタウンの歴史的景観を保護または復元して、観光客や市民、そしてビジネスを誘致し、中心市街地を活性化して、再び商業と文化の中心にしようとする試みが全米規模で行なわれるようになってきた。全米歴史的景観保護協会(National Trust for Historic Preservation)は、全米メインストリートセンターを設置し、合衆国全土でのこうしたダウンタウン再生運動を支援している。このセンターは、Great American Main Street Awardという賞を設けて、街並み保存と中心市街地の再生に成功している諸都市を毎年、表彰している。

アメリカ市民にとってダウンタウンとは、地域社会のリーダーや政府関係者が日常的に接触する場であると同時に、商業や文化施設を中心に一般市民が集まり、交流する場所であり、低賃金労働者に住居や公共サービスを提供する役割も果たしてきた。市民にとってコミュニティへの帰属意識や一体感を実感できる場所であった。メインストリート再生運動は、スプロール型の都市発展の弊害を抑制し、中心市街地を経済的に活性化しようという動きであるが、同時にそれはこの半世紀の間に揺らいできたコミュニティにおける市民の社会的な結びつきや交流を取り戻そうという運動である。

日本でも街並み保存運動が次第に盛んになってきたが、観光誘致だけでなく、地域社会再生の視点が必要であることをアメリカでの経験は示唆しているように思われる。(写真は2002年度のGreat American Main Street Awardを受賞した、ヴァージニア州スタントン市のダウンタウン。第28代合衆国大統領ウッドロー・ウィルソンの生地であり、全米で最初にシティ・マネージャー制を実施した都市でもある。)