紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

2008年に聴いたコンサート(3)

2009-03-12 00:32:39 | 音楽・コンサート評

さて何といっても昨年聴いたコンサートのメインはベルリン・フィルの来日公演である。ベルリン・フィルを生で聴くのは、カラヤン時代の来日公演以来なので、実に24年ぶりだった。間にクラシックをほとんど聞かなかった時期があったせいもあり、それだけ空いてしまった。ベルリン・フィルはカラヤン時代も今も世界最高のオーケストラという呼び声が高く、非常に高価なチケットもほとんど即日完売である。ウィーン・フィルのように毎年来日せず、今回も3年ぶりだったということもあるし、関西で2公演するのも珍しいので、贅沢だとは思ったが関西初日の1129日(於 シンフォニーホール)と30日(於 兵庫県立芸術文化センター)の両方に行ってみた。

 まずシンフォニー・ホールでの曲目は、ハイドンの交響曲第92番「オックスフォード」、マーラーの「リュッケルトの詩による5つの歌」(独唱 マグダレア・コジェナー)、そしてベートーヴェンの交響曲第6番「田園」である。現在の音楽監督は、サー・サイモン・ラトル53歳のイギリス人指揮者である。クラシックを聴き始めた中学生のころ、ラトルといえばカーリーヘアの若者というイメージだったが、今は大分貫禄が出てきた。ベルリン・フィルという伝統のオーケストラで、ジャズを演奏したり、現代音楽の曲目を増やしたりとレポートリーを広げる一方で、バロックなどの古楽にも造詣が深い才人指揮者である。ただ才人が聴衆を満足させるとは限らないので、カラヤン的な絢爛豪華でかつ分厚いサウンドを求めるファンには批判されることも少なくない。カラヤン自身もある意味でフルトヴェングラーの「亡霊」との戦いを強いられたから、それが名門ベルリン・フィルの音楽監督の宿命なのかもしれない。

今回のハイドンは、ラトルらしい選曲かつ演奏で、小規模で風通しの良い演奏だったが、室内楽を聴いた気分で、やはりせっかくベルリン・フィルだからフルオーケストラを聴きたいという気持ちは押さえられなかった。続くマーラーは、チェコ出身のメゾ・ソプラノ、コジェナーのホール全体に響き渡る中低音が素晴らしかった。物憂げなマーラーの旋律をラトルは絶妙に伴奏していった。後半は、ベートーヴェンの『田園』で、やや聞き飽きた感もあって私の場合は、普段はあまり聞かない曲だ。往年のブルーノ・ワルターやカール・ベームのよる定番のCDを聴き返してももはや何の発見もないので、むしろ奇抜な演奏を聴きたい。ラトルへの期待もそこにあった。しかしラトルの演奏は、「都市部の近郊の郊外を早歩きで散歩するようだ」と評されたカラヤンの『田園』よりも、むしろワルター&ベーム的な落ち着いたテンポの伝統的演奏で、かつ随所に瑞々しい響きを引き出していて、とても良かった。伝統的なベルリン・フィルを期待する日本人聴衆も満足したことと思う。東洋人女性がトロンボーンを吹いているので、そんなメンバーがいたかと思い調べてみたら、清水真弓さんというベルリン・フィルアカデミーの学生さんがサポートで入っていたようだった。

関西2日目は、兵庫芸術文化センターで、この日の席は3階席だった。3階席でも「S席」として売れるのはベルリン・フィルくらいだと思うが、芸文センターは3階からでもステージがよく見える作りになっていた。ただ音は下から上がってくる感じになってしまい、「風呂場」のような余計な残響が聞こえてしまうのが難点だ。この点は音響のいいシンフォニーホールに聞き劣りがする。初日の公演で残念だったのは、日本人コンサート・マスターである安永徹を初め、テレビで知っているベルリン・フィルの顔ぶれがほとんど見当たらなかったことだ。しかし2日目の公演では、安永はもちろん、清水直子(ヴィオラ首席)、エマニュエル・パユ(フルート首席)、ラデック・バボラック(ホルン首席)、サラ・ウィリス(ホルン)など、中継やDVDで知っている顔ぶれを見つけることができて、ミーハーな言い方だが、初日と違って「本物の」ベルリン・フィルを聴いている気になった。

曲目は、ベルリン・フィルの日本公演の定番、ブラームス「交響曲第1番」と「交響曲第2番」である。24年前に聞いたカラヤンのコンサートもブラームスの交響曲第1番だったから、その意味では感慨深かった。シンフォニーホールでは、ハイドンやマーラーの、ある意味でフルオーケストラ全開で演奏しない曲目が中心だったので欲求不満が残ったが、この日のラトルは、最初から全力投球でブラームスの分厚い響きをベルリン・フィルから引き出した。フルートのパユのようにベルリン・フィルのメンバーはそれぞれがソリストとして活躍できる技能を持ち合わせているから、まさに「多様性の中の統一」を地で行くオーケストラで、ラトルは激しく盛り上げるところは盛り上げ、各楽器のソロを引きたてる場面ではうまく引き立てていく。ウィーン・フィルの時に感じた不満とは違って、ベルリン・フィルは日本公演でも持てる力を全て出して、最高の演奏力をもつ集団であることを実証したと思う。その印象は、ブラームスの1番でも2番でも変わらなかった。2番は5月に聞いたフランクフルト放送交響楽団も名演だったが、ベルリン・フィルの演奏は、大きな室内楽とでもいうべき各奏者の個性を生かしたブラームスになっていた点が良かったと思う。

年末最後に聞いたコンサートは、1225日の「レニングラード国立歌劇場管弦楽団」の公演(於 シンフォニーホール)で、曲目は、グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ピアノ ウラジミル・ミシュク)、ショスタコーヴィチの交響曲第5番(「革命」)だった。このコンサートはあらゆる意味で「反則」の連続だった。まず「レニングラード国立歌劇場」というのが、日本公演向きの名称で、本当の名前はミハイロフスキー・オペラ・バレエ劇場だが、往年のファンには前述のムラヴィンスキーの威光があり、レニングラード亡き今も「レニングラード」の名称を使い続けている。またピアノ協奏曲のソリストのミシュクの演奏がお粗末だった。1990年チャイコフスキーコンクール2位と書いているのが疑わしいほどで、難しい箇所になるとすぐにテンポを落とすので、バックのオーケストラの方が、ちょうどNHKのど自慢で、お年寄りが歌う時にバックバンドが伴奏を遅くしたり早くしたり歌に合わせるように、苦労しながらピアノに合わせていた。5月のグリモーのミスタッチなどは可愛いもので、この「皇帝」は難しい曲なのだなと改めて実感した。最も「反則」だと思ったのは、ショスタコーヴィチでこの曲の演奏時には3-4割日本人のサポートメンバーを増員していた。いわば半分くらいは日本の別のオーケストラ団員が演奏していた感じである。それで来日公演といえるのだろうか?演奏自体は水準以上で、大音響で心おきなく激しい演奏をするという意味ではストレス解消になるものだった。カレル・ドゥルガリヤンというアルメニア出身の指揮者はよく頑張って、謎の「混成」オケを指揮していたと思うし、メンバー表によるとアレクサンダー・キムという東洋系のティンパニー奏者はセンターでなかなか存在感がある、いい音を出していた。7月に聞いたルツェルン交響楽団と比べると割高な気がした演奏会で、バレエにしてもオペラにしても自称「レニングラード国立歌劇場」は避けた方がいいと思った。最後は締まらなかったが、ウィーン・フィル、サンクトペテルブルク・フィル、そしてベルリン・フィルと今秋は世界のトップ・オーケストラを堪能できて、また読売日響のような日本でも実力のあるオーケストラの演奏も楽しめて、良かった。(写真はベルリン・フィル)。


2008年に聴いたコンサート(2)

2009-03-12 00:28:04 | 音楽・コンサート評

2008年後半に聞いた最初のコンサートは、9月15日のリッカルド・ムーティ指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団大阪公演(於 フェスティバル・ホール)だった。ウィーン・フィルを生で聴くのは実は今回が初めてで、毎年元日にテレビでニューイヤー・コンサートの中継を見たり、中学生のころから数知れないLPやCDで聞いてきたオーケストラを生で聴けるのは感慨深かった。イタリア出身の67歳のムーティは、ズービン・メータやダニエル・バレンボイム、小澤征爾などと同世代で、ニューイヤ―コンサートも4回指揮し、ウィーン・フィルとの来日も今回で4回目と関係が親密である。この世代の指揮者は、現在のクラシック演奏の主流となりつつあるピリオド奏法(作曲された時代の楽器や奏法をなるべく忠実に再現しようとする奏法)を採用することなく、20世紀前半までのように現代楽器を使いながら、大人数でベートーヴェンやモーツァルト、さらにはバッハやハイドンといった古典派を演奏するのが特徴的だ。個人的には今まであまりピンとくる指揮者ではなかったが、今回は、ヴェルディの珍しい曲目とチャイコフスキーをウィーン・フィルで聴きたいということもあって行ってみた。

ステージの右端の最前列の席だったので至近距離でムーティの指揮やウィーン・フィルの演奏を聴くことができた。一番印象的だったのは、日本人にもおなじみのコンサート・マスターのライナー・キュッヒルのヴァイオリンの音色がまるでソリストのようにはっきり聞き取れたことだった。ムーティの指揮は、楽団員の自発性を尊重しているようで、細かい指示はあまり出さず、振らない時もあったりしながら、要所要所は締めて、盛り上げるというような余裕を感じさせた。 曲目は、前半はヴェルディの『ジョヴァンナ・ダルコ』序曲、『シチリア島の夕べの祈り』からバレエ音楽「四季」で、どちらもムーティは録音しているが他にはCDはほとんどない珍しい演目で、もちろん今回初めて聞いた。前者はジャンヌ・ダルクを、後者は1282年のフランス人支配者によるシチリア島民の虐殺を描いたオペラということでテーマとしては悲劇的な史実を含んでいるようだが、音楽的にはムーティ得意のイタリア・オペラで、ウィーン・フィルの柔らかく優美な響きがマッチしてよかった。前半を聞く限りはさすがに世界トップレベルのオーケストラだと感心した。

後半は慣れ親しんだチャイコフスキーの交響曲第5番で、こちらは率直に言って、最高の出来とは言えなかった。金管でミスも少なくなかったし、ウィーン・フィルの特徴といえば特徴だが、エッジが甘いというか、ソフトフォーカスというか、もともとチャイコフスキーのムード音楽的なところがウィーン・フィルの緩い演奏で悪い意味で強調されてしまった感があった。アンコールは、ムーティが2000年のニューイヤー・コンサートで取り上げたヨーゼフ・シュトラウスのワルツ「マリアの思い出」で、これも珍しい演目で、最後にウィーン・フィルによるウィンナー・ワルツを聞けて、聴衆一同大満足だった。

 9月21日は、東京芸術劇場で読売日本交響楽団のコンサートを聴いた。指揮はポーランド出身のスタニスラフ・スクロヴァチェススキーで85歳と高齢ながら、テンポの速く、スマートな演奏で人気の巨匠である。彼のベートーヴェン交響曲全集やブルックナーの全集は、カラヤンとはまた違うが同様に現代的でスマートな魅力あるセットだ。今回の演目は、前半が、ブラームスのピアノ協奏曲第1番(ピアノ ジョン・キムラ・パーカー)、後半がブルックナーの交響曲第0番だった。

ブラームスのピアノ協奏曲第1番は、ブラームスが25歳の時の作品で、クララ・シューマンとの恋愛やその夫で恩師のロベルト・シューマンの死、自分自身の作曲家としての将来に悩んでいた時期の作品で、ブラームスとしては情熱的で若々しい、制御しがたい感情をストレートに表現したものである。ブラームスの曲ではあるが、ある種、ロック的な要素を含んだ名曲で、若いクラシック・ファンにも人気がある曲だと思う。今回のピアニストのパーカーは、49歳の日系カナダ人でジュリアード音楽院出身。まさに肖像画のブラームスを連想させる髭と堂々たる風貌で、とても男性的な迫力のあるピアノを聞かせてくれた。もともと「ピアノ付き交響曲」と評されるように、オーケストラの部分が伴奏ではなく、主役級の扱いになっており、その一方でピアノにも高度な技巧とパワーが求められる曲なので、コンサートで聴く機会はそれほど多くないが、パーカーのパワフルで情熱的な演奏は、この曲に求められる諸条件を全てクリアしていた。

後半のブルックナーの交響曲第0番は、単一楽章でも20分を超えるような長い交響曲ばかり書いたブルックナーとしては短い、全体で45分程度の習作で、ベートーヴェンの第9番の影響を強く感じさせる点では、ブラームスの第1番に似たところもある。敬虔なカトリックのオルガン奏者だったブルックナーについて、日本の音楽評論家は何かと「神への祈りが…」、「森での逍遥を連想させる云々」といった、ある種のステレオタイプ的な方向性から演奏の良しあしを論じがちである。しかしブルックナーはもともとはドラマティックなワーグナーの影響を強く受け、現代的な管弦楽法を用いて、華やかな演奏効果を持つ部分も多い。スクロヴァチェフスキーの演奏はむしろ「都会派」の演奏とでもいうべきで、素直にオーケストラの技術の高さとブルックナーの管弦楽としての面白さをテンポよく表現するものだった。読売日響も練習やリハーサルを念入りに行ったことが推測されるような安定した、実にプロフェッショナルなアンサンブルを保っていて、安心して聴けた。

10月に聞く予定だったアイスランド交響楽団は、珍しいアイスランドのオーケストラを聴けるのを楽しみにしていたところ、金融危機によるアイスランドの銀行口座の凍結という事態で来日中止となった。シンフォニーホールに払い戻しに行ったついでにまだ良い席が残っていたサンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団のチケットを買った。今回、聞いたのは11月2日の公演で、チャイコフスキーの交響曲第4番と第5番というチャイコフスキー・チクルスの一環だった。サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団は、往年のクラシック・ファンにはソ連のレニングラード・フィルとして名高かったオーケストラの後継楽団である。ムラビンスキー指揮のレニングラード・フィルは、鉄壁のアンサンブルと重厚なブラス・セクションで鳴らしたオーケストラで日本にも何度か来日し、おそらくはまだソ連信仰が健在だった1960-70年代には半ば神格化された存在だったようだ。残っている録音はソ連録音が多いため、音の状態も貧しく、生で接した人しかおそらくは真の姿は知ることはできないが、DVDやCDでも十分、その「凄さ」を理解できる面もある。チャイコフスキーやショスタコーヴィチといった専門のレパートリーはもちろん、ベートーヴェンやブラームスといったドイツものでも、贅肉をそぎ落とした、ストイックで鋭角的な演奏が魅力的だ。

現在の音楽監督は、70歳のコーカサス生まれのロシア人指揮者ユーリ・テミルカーノフでレニングラード音楽院出身、ムラヴィンスキーの正統な後継者だが、前任者が偉大すぎたことや、ちょうどソ連崩壊の混乱期にオーケストラを率いなければならなかったことで、「レニングラード・フィルを西欧化させて、『普通』のオケにしてしまった」などと批判されることも少なくないようだ。 今回、実際に演奏に触れてみるとそんな先入観は一気に吹っ飛んでしまった。ソ連のプロパガンダを背負った、ムラヴィンスキーは「西欧人指揮者による軟弱で、センチメンタルなチャイコフスキー演奏をいかに否定するか」を自分のアイデンティティとしていたようだが、テミルカーノフにそんな力みはない。しかし9月に聞いたムーティ&ウィーン・フィルには絶対に出せない、ロシアの「大地の歌」とでもいうべき、地響きのようなブラスや低弦を聞かせてくれた。「本場の演奏」という形容は安直で嫌いなのだが、まさに「ロシアのチャイコフスキー」としか言いようがない交響曲第4番と第5番を堪能できた。いいオーケストラの場合でも本番では、弦セクションはいいけど、金管がいま一つといったことや、反対に金管は上手いが、コンサートマスターなどの弦のソロがよくない、という風にバランスを欠く場合がむしろ多いが、どちらも不満なく、調和が取れていた点も往年のレニングラード・フィルに引けを取らない水準にテミルカーノフが鍛えていることがよく伺われた。アンコールは予想に反して、なぜかエルガーの「愛のあいさつ」、さらに定番のチャイコフスキーの「くるみ割り人形」からトレパックをやってくれた。席はところどころ空席も目立ったが、最後は聴衆が一体となって盛り上がった。(写真はテミルカーノフ)

 


2008年に聴いたコンサート(1)

2009-03-09 00:18:41 | 音楽・コンサート評

年内にとりあえず昨年聴いたコンサート評をまとめようと思っていたが結局できず、1月に書こうと思っているうちに3月になってしまった。コンサートの感想は印象が新鮮なうちに書かないと意味がない気がするが、「結晶作用」(スタンダール)もあるかもしれないので、とりあえずざっとまとめてみたい。

2008年2月には、ドイツの名門オーケストラ・ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の公演に行く予定だったのだが、首席指揮者のリッカルド・シャイーの急病で来日中止になってしまった。その結果、昨年、最初に行ったコンサートは、3月のBBCフィルハーモニックの大阪公演(3/15 フェスティバル・ホール)となった。曲目は、ストラヴィンスキー「妖精の口づけ」よりディベルティメント、シベリウス「ヴァイオリン協奏曲」(ヴァイオリン ヒラリー・ハーン)、そしてベートーヴェン「交響曲第7番」だった。指揮は、まだ33歳のイタリア出身の首席指揮者ジャナンドレア・ノセダだった。

何故だが説明することはできないのだが、私にとってイギリスのオーケストラはどれもピンと来るものがなくて、ロンドン交響楽団とか、フィルハーモニア管弦楽団とか、世間で名盤と呼ばれるものはいくつも出ているのだが、個人的に心を惹かれるものがほとんどない(あえて言えば故クラウス・テンシュテット指揮のロンドン・フィルによるベートーヴェンやブラームスくらいだろうか)。それでも今回、イギリスの公共放送のBBCがもつ三つのオーケストラの一つで、マンチェスターをベースとするBBCフィルの演奏を初めて聞いて、十分堪能できた。

ストラヴィンスキーのこの曲は初めてで、チャイコフスキー風の曲だなと思ったが、講演プログラムを見てみると「チャイコフスキーの書法を真似て・・・」と解説してあり、印象通りであった。シベリウスの独奏は女性の若手ヴァイオリニストとしては実力ナンバー1といってもいいかもしれない、ヒラリー・ハーンだったが、彼女の特徴であるのだが、技巧は完ぺきだが、情緒的な表現を避けた、ドライでハイスピードなヴァイオリンで、シベリウスとしては少し物足りなく感じた。あまり演歌調の情緒過剰もよくないかもしれないが、この曲はもっとロマン主義的に演奏した方が私の好みには合うと思った。その点は、昨年12月に来日したフィルハーモニア管弦楽団と共演した諏訪内晶子の演奏の方が(FMで聴いただけだが)、ハーンより情熱的で魅力があるように聞こえた。ノセダの伴奏もやや暴走気味で独奏にうまく合わせているとは言い難かった。ただハーンがアンコールで演奏したバッハの無伴奏のシャコンヌは凛とした響きで、次回は独奏で聞いてみたいと思った。

後半はベートーヴェンの交響曲第7番で、この曲もTVドラマ「のだめカンタービレ」の主題歌になったせいか、来日オケはこればかりやるので困りものだ。しかしノセダの若々しく力強いタクトの下で、疾走感のあるベートーヴェンを聞かせてもらって、普段は自分で進んではあまり聞かない7番を楽しめた。

5月には小澤征爾指揮の新日本フィルの演奏会に行く予定だったが、こちらも小澤の急病で大阪公演は中止となった。25日は、名実ともに世界一の弦楽四重奏団といってもいい、ウィーンのアルバン・ベルク弦楽四重奏団の解散ツアーの大阪公演(於 シンフォニー・ホール)に行った。私にとっては生で聴く最初のアルバン・ベルク四重奏団のコンサートが解散公演となってしまったのは残念だが、解散する前に聞けたことはとてもよかった。曲目は、ハイドンの弦楽四重奏曲第81番、ベルクの弦楽四重奏曲、そしてベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番という渋いプログラムで、ベートーヴェンのラズモフスキー第3番とか、ハイドンの「皇帝」(77番)とか、入門的な曲ではなくて、直球勝負の演奏会だった。古典派と近代の新ウィーン楽派、そして王道のベートーヴェンを組み合わせることによって、弦楽四重奏というジャンルの歴史も概観できるし、この四重奏団の歩みや実力も示せるプログラムだったと思う。

プロの四重奏団の演奏会を聴くのは実はこれが初めてだったのだが、ハイドンを聞いて、なるほど四重奏というのは、第1バイオリンとその他の3人が、ちょうどヴァイオリン協奏曲における、ソリストとオーケストラの掛け合いのように競合しながら演奏していくのかとか、いまさらながらに気づかされた。ベルクの曲も決してとっつきやすいものとは言えないが、弦を積み重ねていく手法で現代人の不安をうまく表現しているように感じられた。ベートーヴェンもこの後期の作品は晦渋な印象を受けるが、オーケストラと違って、4人だけで深遠な思想空間をよくこれだけ表現できるものだと感心させられた。ただ室内楽を大ホールで聴くだけに聴衆のノイズが気になった。オーケストラの入門的な曲をやるコンサートとは違い、こういう渋いプログラムの時は、コンサート初心者は来ないはずなのだが、無神経な咳払いで演奏の音が消される場面も何度かあり、解散コンサートにふさわしくない聴衆のマナーが気になったのが残念だった。

5月30日にはフェスティバル・ホールで、フランクフルト放送交響楽団の公演を聴いた。2007年に聞いた北ドイツ放送交響楽団やバイエルン放送交響楽団など、ドイツの放送オーケストラは実力派ぞろいだが、このフランクフルト放送交響楽団もエストニア出身の若手実力派パーヴォ・ヤルヴィの下で注目を集めている。今回の曲目は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ピアノ エレーヌ・グリモー)、ブラームス「交響曲第2番」だった。

グリモーは、俗な言い方をすれば才色兼備のフランス人で、野生のオオカミの保護活動をしているという個性派でもある。フランス人だが、ラヴェルとドビュッシーといった曲目は見向きもせず、バッハ、ベートーヴェン、ブラームス、シューマンといったドイツ音楽をレパートリーにしていて、新鮮な演奏を聞かせてくれる。 今回の皇帝もドイツ・グラモフォンから新譜をリリースしての披露ツアーだったが、まず印象に残ったのは、演奏前にとても緊張している様子だったことだ。ロシアのプーチン首相に似ている指揮者のヤルヴィは、プーチンさながらにオーケストラを完全に掌握して、一糸乱れぬバックを務めていたが、グリモーは必死にベートーヴェンに取り組んでいるといった印象だった。CDで聴いているとグリモーの演奏は、躍動感があって、軽やかなのだが、実演で見ていると(当たり前だが)ミスタッチもあって、余裕があまり感じられなかった。見ている方がハラハラさせられた。「皇帝」という曲の難しさも理解できた。

後半は、ブラームスの2番だったが、この曲はブラームスの「田園」交響曲などと評されるように、どちらかというとノンビリ、ゆったりと演奏される傾向があり、4曲あるブラームスの交響曲の中では一番、素朴で地味な曲でもある(もちろん異論はあるだろうが)。中学時代にブラームスにはまった私の場合も、当時はこの曲は苦手だった。 フランクフルト放送交響楽団の演奏で、印象的だったのは、弦セクションが、往年のソ連のムラヴィンスキー指揮のレニングラード・フィルのように一糸乱れず、正確で分厚い演奏を展開していることだった。ブラームスの2番がこれほど男性的で力強い曲だとは思っていなかった。アンコールのシベリウスの「悲しいワルツ」も絶品で、思い入れたっぷりの哀愁を帯びた演奏だが、上品さを失わず素晴らしいものだった。ぜひもう一度聴いてみたいと思う指揮者だった。

6月は、まず8日にベルギーのロイヤル・フランダース・フィルハーモニー管弦楽団のオール・モーツァルト・プログラムを聞いた(於 シンフォニー・ホール)。曲目は、いずれもモーツァルト作曲で、歌劇「イドメネオ」序曲、ピアノ協奏曲第20番(ピアノ リーズ・ドゥ・ラ・サール)、交響曲第40番、第41番「ジュピター」と、モーツァルト好きにはたまらない充実したプログラムだった。指揮者のフィリップ・ヘレヴェッヘは、バッハやバロック音楽の研究者としても知られていて、風貌も学者のようで、指揮姿もおよそスター性やはったりはない、地味でそっけないものだが、NHKでも放送されたベートーヴェンの交響曲全集のように、飾らないが説得力のある演奏で定評があるようである。今回の演奏会を聴いてもその印象は変わらなかった。

序曲は今となってはどういう演奏だったか、あまり思い出せないくらいの印象だったが、ピアノ協奏曲20番はとてもいい演奏だった。この曲はモーツァルトでは数少ない短調の曲で、しかもカデンツァはベートーヴェンが作ったものが一般演奏される、モーツァルトのピアノ協奏曲の中では最も「ベートーヴェン」的なもので、人気曲の一つである。 今回のソリストのリーズ・ドゥ・ラ・サールは、初めて聞く演奏家だったが、まだ20歳のフランス人ピアニストで、いかにも「美少女ピアニスト」として売り出しそうな風貌だったが、演奏が始まると、力強く前進し続けるような迫力に圧倒された。5月にみたグリモーが、キャリアでは彼女よりずっと先行していても、ステージ上ではとても神経質で危うかったのとは対照的に、ドゥ・ラ・サールは堂々たるもので、モーツァルトの世界に集中して聴くことができた。

後半はモーツァルトの人気シンフォニーの40番41番だが、どちらも奇をてらわず、やや小編成のオケでオーソドックスな演奏を聞かせてくれた。41番の第4楽章は、「つらいことがあっても頑張ろう」という勇気をくれる、応援歌のような楽章だと勝手に解釈しているのだが、ヘレヴェッヘはアンコールではその楽章の一部を2回演奏した。別の曲をやらないところがヘレヴェッヘの朴訥とした雰囲気によくあっていたと思う。

6月29日には同じくシンフォニー・ホールで、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団によるブラームス・チクルス(全曲演奏会)の後半を聞いた。指揮者はスペイン出身の75歳の巨匠ラファエル・フリューベック・デ・ブルコスだった。ブラームスの交響曲第4番と第2番が曲目だったが、4番は以前、ボストン交響楽団で聴いた演奏がどちらかという不協和音と高音を強調する演奏だったのに対して、ドレスデン・フィルの演奏はごく伝統的なドイツ的なブラームスで安心して聴くことができた。新しい発見はないが、気持ちよくメロディを聴く感覚である。後半は、2番で、こちらは5月にフランクフルト放送響の熱演を聞いたばかりなので、率直に言って聞き劣りするのは否めなかった。また4番についても2番についても弦はいいのだが、ホルンやトランペットなどの金管楽器の演奏でやや不安定な部分があった。アンコールは予想通りの「ハンガリー舞曲第5番」で、確かにみんな知っていて喜ぶし、時間も短いので手ごろなのかもしれないが、たまには「悲劇的序曲」とか「大学祝典序曲」とか、同じブラームスでももっと聞きごたえのあるアンコールをして欲しいところだ。

夏休み前に行った最後のコンサートは7月13日のスイスのルツェルン交響楽団の演奏会(於 神戸文化ホール)で、率直に言って、あまり期待はしてなかったのだが、初来日の珍しいスイスのオーケストラであるし、近くのホールでチケットも安かったので行ってみた。曲目は、ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」序曲、グリーク「ピアノ協奏曲」(ピアノ ニコライ・トカレフ)、ベートーヴェン「交響曲第7番」である。指揮は、フランクフルトのヤルヴィと同じくエストニアのタリン出身の37歳、オラリー・エルツで、眼鏡をかけた、憎めないオタク風の風貌で、一生懸命指揮するのが微笑ましかった。

スイスのルツェルンはワーグナーもお気に入りの音楽都市として有名で、ルツェルン音楽祭のためのルツェルン祝祭管弦楽団は戦前のフルトヴェングラーとか、戦後のカラヤン、最近ではアバドといった錚々たる指揮者が指揮しているのだが、今回聞いたルツェルン交響楽団は、歴史は長いがどちらかというと脇役的な存在だったようだ。しかし演奏は期待をはるかに上回る充実したものだった。

ウェーバーの序曲を危なげなく終えた後のグリークだが、ソリストは、25歳のロシア出身のイケメン・ピアニスト、ニコライ・トカレフで、明らかに彼目的で来ている聴衆も多かったようだ。ルックスだけでなく、演奏も完璧で、テクニックを誇示するところはこれ見よがしに誇示し、弱音部は弱音で美しく鳴らして、もともと芝居がかった通俗性のある、このグリークの曲をとても効果的に演奏していた。バックのオーケストラもそれをよく支えていた。後半のベートーヴェン交響曲第7番は、3月のBBCフィルで聴いたばかりで、こちらも別の曲を聞きたいところだったが、エルツの溌剌とした指揮のもと、明るいベートーヴェン像を提示して楽しく聞くことができた。ドレスデン・フィルで感じた管セクションの不安定さもなく、安心して音楽に浸ることができた。コスト・パフォーマンスが高い演奏会だった。

ヴァイオリン協奏曲は聞くことができなかったが、2008年の前半は、ベートーヴェン、モーツァルト、グリークの人気ピアノ協奏曲を、いずれも華のあるピアニストの演奏で聴くことができたし、イギリス、ドイツだけでなく、ベルギーやスイスといった、あまり普段は聞けない国のオーケストラの演奏を聴くことができて、充実していた。アルバン・ベルク四重奏団は解散する前にもっと聞いておくべきだったのだけが残念だが、お別れコンサートに参加できただけでもよかったと思う(写真は指揮者のパーヴォ・ヤルヴィ)。


2007年に聴いたコンサート

2008-01-06 22:09:33 | 音楽・コンサート評
ブログも放置したまま、一年を振り返ることもなく、越年してしまった。あまり良いこともなかった2007年だったが、例年よりもいい生の音楽に触れた1年だった。忙しいといいつつ、かなり無理して時間を作ってホールに足を運んだ。年内に書くべき内容だが、ブログ復活の意味も込めて、昨年一年間に聞いたコンサートについて振り返ってみたい。

2月にアメリカに出張した際に聞いたボストン交響楽団の演奏会についてはすでにブログでまとめた。3月には大阪のシンフォニー・ホールでズービン・メータ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を聴いた。曲目は、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」とドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」で、アンコールはヨーゼフ・ヘルメスベルガーのポルカ「軽い足どり」とヨハン・シュトラウスの「雷鳴と稲妻」だった。メータは2007年のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートの指揮を務め、3月のコンサートはまだその記憶も新しい頃だったので、ニューイヤーでも取り上げたアンコール・ピースの2曲は大変盛り上がった。

イスラエル・フィルは、ワーグナーを取り上げないといった政治的な側面や弦セクションに名手が多いことがとかく注目されがちだが、男性的で大らかな演奏を求めるメータの指揮の下、「ツァラトゥストラ」でも「新世界」でも大規模オケの魅力全開で大いに鳴らしていた。「ツァラトゥストラ」冒頭部のオルガンによる低音の提示は、レコードやCDで聞くとあまり気付かないのだが、シンフォニー・ホール自慢のパイプオルガンでの演奏だったので地響きするような音でまず度肝を抜かれた。「新世界」は、メータが若い頃、ロサンゼルス・フィルと録音したCDもスマートな名演で愛聴していたが、あまり感傷的でない、さらっとした演奏で、第2楽章の有名な「家路」のメロディも望郷の念たっぷり、というよりも、早足で帰宅するような印象の演奏だった。メータは恰幅もよく、比較的、舞台から遠い席から眺めていても存在感満点で、一流オーケストラの演奏として不満な点は何もなかった。

5月には同じくシンフォニー・ホールでハンブルク北ドイツ放送交響楽団の演奏を聞いた。このオーケストラは、古くはフルトヴェングラーなどの名指揮者も指揮し、またより最近ではギュンター・ヴァントによるブルックナーの演奏などでクラシック・ファンには有名なドイツの中堅名門だが、一般的な知名度はやや落ちるかも知れない。現在の首席指揮者のクリストフ・フォン・ドホナーニもオーケストラ同様、クラシックファン以外には馴染みがないかもしれないが、昨年聞いた演奏会の中では1、2を争う出来だった。

一昨年に聞いたマゼール指揮ニューヨーク・フィルの演奏会でも感じたことだが、コンサートの最初に演奏される「序曲」はどちらかというと肩慣らし的な演奏の場合は少なくないのだが、この日のドホナーニ&北ドイツ放送交響楽団の演奏では、ウェーバーの「魔弾の射手」序曲からオーケストラ団員が全力投球で弦セクションも管セクションも分厚い音を出していて、いかにも「ドイツ」らしい演奏を堪能できた。前半は諏訪内晶子がソロを務めたメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲で、聞く前はそれほど期待していなかったのだが、諏訪内も往年の名手ハイフェッツを連想させるような超絶技巧で演奏で、とかく感傷的で陳腐な演奏になりがちな、この曲を鋭角的に颯爽と弾ききって、聞き応えがあった。休憩を挟んでの後半はチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」で、もともと好きな曲だが、ドイツ・オケによるシンフォニックなチャイコフスキー演奏の典型ともいうべき、重厚で完璧なアンサンブルを保った演奏で素晴らしかった。これもまた感傷的になりすぎず、交響曲としての構成の魅力を前面に出した演奏だった。特に第三楽章の「行進曲」で全員が一糸乱れぬユニゾンで強奏する姿は圧巻だった。アンコールはドヴォルザークのスラブ舞曲第10番(第2集第2番)だったが、メランコリックなメロディで人気のあるこの曲を実に丁寧に演奏し、スラブ舞曲はこんなに内容のある曲だったのかと再発見させられるような名演だった。

7月もシンフォニー・ホールで、イタリアのオーケストラ、ローマ・サンタ・チェチーリア国立音楽院管弦楽団の演奏会を聴いた。この演奏会は当初は天才女流ピアニスト、マルタ・アルゲリッチがソリストとして同行するはずだったのがキャンセルになったため、払い戻しをする客が多かったようだが、私は中止になってからむしろ珍しいイタリアのシンフォニー・オーケストラを聴いてみたくてチケットを買って聴いた。結果は大正解だった。大阪公演での曲目は前半がベートーヴェンの交響曲第5番「運命」で、後半がマーラーの交響曲第1番「巨人」という超有名交響曲を二つ組み合わせたプログラムだった。私の席はパイプオルガン前のバルコニーで、ちょうど指揮者の正面で向かい合って演奏を聞く形になっていたので、迫力満点で、指揮ぶりをじっくり見ることができて満足した。「運命」は無駄が無い骨格だけのシンフォニーだが、この日の演奏もイタリア・オケらしくカンタービレで歌うところは歌うのだが、弦奏者たちの弓がみんなほつれてくるほど激しく情熱的な演奏をしていたのが印象的だった。

今まで聞いてきた指揮者は60~70代の巨匠と呼ばれる人たちだったが、今回の指揮者アントニオ・パッパーノは指揮者としては上り坂にある47歳で、その意味でも勢いに溢れていた。東京公演の曲目だったレスピーギのローマ3部作で、2007年のレコード・アカデミー賞を受賞したのも納得である。パッパーノは、オペラ指揮者として定評があるので、後半のマーラーではマーラーの交響曲がもつドラマ性のようなものをうまく引き出していたが、「運命」と「巨人」を続けて聞くと、「巨人」はマーラーの作品では一番簡潔な交響曲なのだが、それでも無駄の無い「運命」と比べると、冗長というか、主題が彷徨する曲だと改めて認識させられた。アンコールはプッチーニの歌劇「マノン・レスコー」第三幕への間奏曲だった。

9月はコンサートには行かなかったが、バーデン市立歌劇場によるヴェルディの歌劇「椿姫」公演を神戸文化ホールで見た。マンガであらすじを説明する解説書が配られたり、値段もオペラとしては手ごろで毎年日本全国で公演している入門的なオペラ企画のようだが、歌手陣は演技でも歌唱でも好演であった。しかし歌劇場専属ではなく、若手(学生?)による小規模のオーケストラが非力すぎて、名旋律の宝庫の「椿姫」が台無しにされている気がして、残念だった。値段が高くてもオーケストラがしっかりした舞台を見ないとオペラの魅力が半減してしまうのだと納得させられた。

11月には2006年のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートの指揮を務めた、ラトビア出身の指揮者マリス・ヤンソンス指揮のバイエルン放送交響楽団の演奏会を大阪フェスティバル・ホールで聴いた。曲目はリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」とブラームスの交響曲第1番だった。「ツァラトゥストラ」は、イスラエル・フィルの演奏会と被っていたし、ブラームス1番は学生オケのコンサートでもよく取り上げられる入門曲で、ブラームスの曲の中ではあまり好きな曲ではなかったのでどうしようかと思ったのだが、ドイツ国内ではベルリン・フィルに次ぐ実力と言われるバイエルン放響とヤンソンスの組み合わせに惹かれて、行ってみた。席は最前列から4列目でかぶりつきといってもいい席で、見上げる形ではあったが、至近距離でオーケストラと指揮者を見ることができた。しかし肝心の演奏のほうは3月によりコンディションのいいホールで、「ツァラトゥストラ」を聞いたばかりで、冒頭も今回はパイプオルガンではなく、電子オルガンだったので、率直に言って聞き劣りした。オーケストラの演奏もあまり緊密なアンサンブルを保っているとは言い難かった。

後半のブラームスも、素人の私が言うのも難だが、コンサートマスターのヴァイオリンが半音高いような印象を受け、ボストン交響楽団の演奏会でも感じたようにブラームスがむしろシェーンベルクら新ウィーン楽派のような響きをしているように聞こえた。アンコールはブラームスのハンガリー舞曲第5番と、リヒャルト・シュトラウスの歌劇『バラの騎士』から「ワルツ」で、後者は、ニューイヤーコンサートでも名演を聞かせたヤンソンスらしく、ワルツ指揮者としての本領を発揮していたが、ハンガリー舞曲は凡庸な演奏だった。聴衆の人気は凄まじく、終演後も拍手が止まないため、オケのメンバーが全員下がった後、ヤンソンス一人が舞台に再登場するサービスぶりを発揮していたが、肝心の演奏が一流オケとしては全力投球とはいえない、平凡な出来だったような印象を否めなかった。

昨年最後に聴いたのは12月のシンフォニーホールでの金聖響指揮オーケストラ・アンサブル金沢(OEK)によるブラームス・チクルス第3弾コンサートだった。曲目はいずれもブラームスによる「ハイドンの主題による変奏曲」、「交響曲第3番」、「ピアノ協奏曲第2番」だった。オーケストラ・アンサブル金沢は、故岩城宏之氏が創設した室内オーケストラで、演奏には定評があったので一度聞いてみたいと思っていた。金聖響も一部では漫画『のだめカンタービレ』の指揮者・千秋のモデルともささやかれる若手人気指揮者でどんな指揮者なのか聞いてみたかった。

最初のハイドンの主題による変奏曲は、オーケストラの各独奏パートが活躍する曲で、それだけにオケの実力がはっきり分かる怖い曲だが、室内オーケストラとしてのソロの旨さを生かして、美しい演奏だった。交響曲第3番も、金と同世代の若手指揮者ダニエル・ハーディングの演奏を髣髴させる各パートと曲の構造が分かりやすい、室内楽的なすっきりした演奏で、弦もバイエルンの時のようにヒステリックに響くこともなく、ブラームス的な厚みと滑らかさを感じさせてくれて、いい演奏だった。またバロック・ティンパニーを強打しているのも今回の演奏で印象に残った。後半は清水和音ピアノ独奏による協奏曲第2番だったが、ブラームスの作品の中で最も好きな曲の一つなので大いに期待して聞いたが、まずまず満足できた。清水和音は私が中学生でクラシックを聞き始めた頃はアイドル的な売り出し方をしていたが、しばらく見ないうちにすっかり中年男性化していたのも驚いた。演奏はミスタッチも無く正確で、ブラームス特有の詩情にはやや欠ける気もしなくもなかったが、物足りなさは感じない演奏だった。「ピアノつき交響曲」と呼ばれるようなピアノとオーケストラの融合も十分できていたと思う。演奏会全体として、バイエルンの時よりもはるかに満足度が高かった。アンコールはなかった。

一年間を通じて、ブラームスについて言えば、交響曲第1番(バイエルン)、第3番(OEK),第4番(ボストン)と、第二番以外全て生で聴くことができたし、ドイツを代表する放送オーケストラである北ドイツ放響とバイエルン放響の両方を聴くことも出来た。レヴァイン、メータ、ドホナーニ、ヤンソンスといった世界のトップ指揮者たちの演奏をまとめて聞くことができたし、またアメリカ、イスラエル、イタリア、ドイツ、日本と国籍も様々なオーケストラを聴き比べることができたのもよかった。2008年にどのくらいコンサートに行くことができるかわからないが、ホールにいる時間は全てを忘れて音響美に浸りたいと思っている。

ボストン交響楽団の「交響曲講座」

2007-02-24 19:23:51 | 音楽・コンサート評
2月10日から一週間ほど出張でボストンに行ってきたが、15日にボストン交響楽団の定期演奏会をシンフォニー・ホールで聞いてきた。ボストン交響楽団は、1881年創設で、ニューヨーク・フィル(1842)についで、アメリカでは2番目に古いオーケストラであり、この二つのオーケストラと、シカゴ、クリーブランド、フィラデルフィアがアメリカの五大オーケストラ(Big Five)と言われてきた。本拠地のボストン・シンフォニー・ホールも落成は1900年と100年以上前で、シートもそのままだという。格式ある古いホールだが残響効果もよく、いかにもクラシックのコンサートに来た気分になった。現在はウィーン国立歌劇場の音楽監督である小澤征爾が2002年まで30年近く音楽監督を務めていたので、日本人にもおなじみのオーケストラである。

コンサートは、午後8時からだったが、コンサートの前にチケットを持っている人は、「プレ・コンサート・トーク」というその日の曲目について、交響楽団のプログラム部長が解説するイベントに参加できた。それが6時45分から30分くらい行なわれた。日本でも啓蒙的なコンサートをやっていることは多いが、定期公演の前に解説を入れるのはあまりないのではないだろうか?この辺が、アメリカらしい、親切心というか啓蒙精神だと思った。この種のイベントはボストンに限らず、例えば近年、成長著しいロサンゼルス・フィルハーモニックなどでも行なわれていて、iTunes向けの配信であるポッドキャストで、"Upbeat Live"という解説を無料で聞くことができる。もっともロサンゼルス・フィルの場合、コンサート前の前座の解説しか聞けないのが残念だが、もっと気前がいいのがニューヨーク・フィルでこちらは毎週、一公演ずつ定期公演をネットに掲載し、誰でも無料で解説・演奏そのものをストリーミングで聴くことができる。こうした鷹揚さが、いい意味でアメリカ的だと思う。クラシック音楽の普及にも大いに貢献することになるだろう。

さて私が聴いた2月15日の演目は、ハイドンの初期の交響曲第22番「哲学者」と、1938年ニューヨーク生まれのアメリカ人作曲家チャールズ・ウォーリネンの新作・交響曲第8番「神学上の諸見解(Theologoumena)」の世界初演、そして休憩を挟んでブラームスの交響曲第4番だった。コンサート前の解説では、例えばベートーヴェンで完成された交響曲の基本的な形式は、第一楽章 アレグロ(急)→第2楽章 アダージョ、またはアンダンテ(緩)→第3楽章 スケルツォ(急)→第4楽章 アレグロ(急)というパターンが一般的だが、その日、演奏するハイドンの交響曲第22番は、アダージョ(緩)→プレスト(急)→メヌエット(緩)→プレスト(急)という珍しいパターンになっていることや、同じ「シンフォニー」という言葉を使っても、ハイドンやモーツァルトの時代のように漠然と管弦楽をさしていた時代から、後期モーツァルトからベートーヴェンにかけて、管弦楽によるソナタ形式が完成し、やがて19世紀のブラームスで爛熟期を迎え、ブルックナー、マーラーを経て、20世紀のショスタコーヴィチへとつながり内容も複雑になり、声楽も加えた大規模なものとなり、混沌としていく歴史が簡単に振り返られた。

実際にCDでその日聞かせるブラームス4番やハイドンなどをかけながら解説していたのだが、やや意外だったのは、今回の公演の指揮者であるボストン交響楽団の現在の音楽監督ジェームズ・レヴァイン(写真)のCDではなく、「マエストロ・レヴァインのじゃなくてごめんなさい。でも僕のお気に入りなんです」などと言って、聴衆を笑わせながら、ニコラウス・アーノンクールのCDをかけたことだった。ウォーリネンに関しては、その日の演奏会が初演なので当然CDはないからどうするのだろうと思っていたら、なんと途中から作曲者本人がステージに登場し、解説を始めた。ウォーリネンは芸術家というより大学教授のような風貌で体系的な話し方をするなあと思って聴いていたら、実際、現在、ニュージャージーにあるラトガーズ大学の作曲科の教授を務めているようだった。

今回、初演されたウォーリネンの交響曲第8番はボストン交響楽団創設125周年を記念して書かれた委嘱作品であるが、このように現代音楽(主にアメリカ作品)と古典的なレパートリーを定期公演のプログラムで組み合わせるのは、アメリカのコンサートではよくあるようだ。実際、現代音楽だけだったらチケットは売れないだろうが、ハイドンやブラームスを聞きに来た伝統的なクラシック・ファンの思わぬ興味を引けば収穫なのだろう。ウォーリネンは、解説では「古典性」の重要性を説き、ポストモダン音楽が様々な実験を試みた結果、聴衆を遠ざけてしまうという失敗をしたことを指摘し、自分としては交響曲というジャンルに拘って書いてみたと熱く語っていたので、演奏が楽しみになった。

30分ほどのトークが終わり、少し間をおいて開演した。ジェームズ・レヴァインは、クリーブランド管弦楽団でハンガリー出身の名指揮者ジョージ・セルの薫陶を受けたアメリカ人指揮者で、ウィーンやベルリン、ミュンヘンなど欧州楽壇で活躍する米国人としては、レナード・バーンスタイン(1918-90)以来のスターである。米国の主要オーケストラの音楽監督の大半はヨーロッパ人か、ヨーロッパ楽壇での経験が長い人なので、ボストンの音楽監督もレヴァインがアメリカ人では初めてだった。ニューヨークのメトロポリタン・オペラの音楽監督を長く務めており、オペラでも広いレパートリを誇る他、ピアニストとして室内楽のCDも数多くリリースするなど才能に溢れた人である。ただ残念なことに、スマートな容貌で聴衆を魅了したバーンスタインやカラヤンとは違って、体重100キロを超える巨漢で、現在63歳と指揮者としては決してまだ高齢ではないが、昨年怪我をしたためか、座ったままの指揮であり、ヴィジュアルとして魅せる要素にはおおよそ欠けていた。

指揮ぶりも決して派手ではなく、楽譜をさかんにめくりながら生真面目に指揮していたが、鈍重といっては悪いが、そうした風貌に似合わず、紡ぎ出される音はとても美しかった。ボストン交響楽団は、クリーブランド管弦楽団などと並んで、「ヨーロッパ的な音質」としばしば形容される。何が「アメリカ的」で、何が「ヨーロッパ的」か、というのは曖昧な表現であるが、例えば往年のユージン・オーマンディ指揮のフィラデルフィア管弦楽団、ゲオルグ・ショルティ指揮のシカゴ交響楽団、レナード・バーンスタイン指揮のニューヨーク・フィルなどの演奏は、わかりやすいメロディ・ラインと、強靭な合奏力の強調、派手に鳴らす金管セクションなどが特徴的で、人によってはハリウッドのBGM的であるという。そういうものを「アメリカ的」だとすると、「ヨーロッパ的」というのは、オーボエやフルート、ファゴットなどの繊細な木管楽器と弦楽器との掛け合いや、柔らかい弦による中低音の強調、金管でもトランペットではなく、ホルンの馥郁とした響きを重視するようなイメージだろうか。今回のボストン交響楽団の演奏でも、確かに昨年秋に来日公演を聴いたマゼール・ニューヨーク・フィルと比べると乾いた響きだが、厚みのある弦合奏と木管陣の上手さが際立っていた。

レヴァインは、ウィーン・フィルとモーツァルトの交響曲全集を完成しているが、古典派にリズムと新しい生命を吹き込む上手さが今回のハイドンでも生かされていた。ハイドンは私自身は普段それほど聞くことはない作曲家だが、レヴァインが振ると現代性も出てきて面白く聞けた。今回、特に印象に残ったのは、ボストン交響楽団が夏のシーズンオフにボストン・ポップスオーケストラとして模様替えしている際にコンサートマスターを務めていている、ロシア出身の女流バイオリニスト、タマラ・スミルノバがこの曲でのコンサートマスターを務めていて、華やかなソロを聞かせて、交響曲というよりもあたかもバイオリン協奏曲のような様相を呈していたことだった。

さて世界初演となったウォーリネンの交響曲第8番だが、開演前の作曲家本人の解説から新古典主義的な作品なのでは?と勝手に考えていた期待は見事に裏切られ、不協和音が耳を劈く、いかにも現代音楽然とした曲だった。一応、3楽章構成ということだったが、第一楽章はストラヴィンスキーの「春の祭典」を一層、ラジカルに強奏したような音楽であった。今回、私は1階のほぼ中央の前列から5列目というかなり舞台に近い席で聞いていたが、周りはほとんど常連風の白人の老夫婦ばかりだったが、このウォーリネンの曲に対しては明らかに困惑の表情を浮かべていた。曲が終わって、ブーイングが起こるのではないかと思っていたが、さすがに最後は作曲者本人もステージに登場したので、きちんと拍手をもらっていた。しかし翌日の地元紙『ボストン・グローブ』のコンサート評を読んでみると曲の力強さを褒めつつも、「聴衆が儀礼的な拍手しかしなかったのもやむをえないだろう」とコメントしていたのも納得だった。ウォーリネンの曲の後、インターミッションに入ったので、席を立つと、横にいた人が、「まあ今日はブラームスを聞きに来たからいいんだ」と言っていたのも正直でよかった。

休憩後のメインディッシュとも言えるブラームス交響曲第4番は、私自身もクラシックの曲で一番好きな曲の一つだが、交響曲史上に残る名曲である。第1楽章に見られる不協和音を重ねつつも、ため息のような美しいメロディを織り成していく手法は、19世紀のロマン主義を引き継ぐ面と20世紀以降のマーラーやシェーンベルクにつながる新しい要素の両面を持ち合わせているし、第4楽章はバロック時代の舞曲であるパッサカリアを主題として活用していて、バッハからの西洋音楽の継承を示す古い側面ももっている。外面はがっちりとした古典様式で固い殻に守られているが、内部にはロマン主義的な熱い情念が燃えているような、ブラームス音楽の特徴が凝縮した曲である。しばしば「枯淡の境地」と形容されるように、人生の秋にさしかかり、過去の情熱をどこか冷めて回顧しているような、しかしまだ完全に諦めきれないような、感情の揺らぎと強靭さとを同時に感じさせるようなメロディが魅力的な音楽だ。

ブルーノ・ワルター指揮のコロンビア交響楽団による演奏やフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの演奏などは上に書いたようなブラームスの特質を強調した演奏だったが、1980年代になるとカルロス・クライバー指揮のウィーン・フィルの演奏のように、ブラームス的情念のようなものにあまりとらわれずに、むしろこの楽曲のもつ構成上の美しさをあっさりと瑞々しく表現する演奏も増えてきた。より最近の演奏で言えば、若き指揮者ダニエル・ハーディングの演奏もそうである。今回、聴いたジェームズ・レヴァインも、シカゴ交響楽団とウィーン・フィルと、二度、ブラームス交響曲全集を完成しているが、どちらも比較的速いテンポで、あまり細部には粘着せず、力強く推進して行くような演奏だった。今回のボストンの演奏もその点ではCDでの印象とあまり変わらなかった。枯れたブラームスやロマンティックなブラームスを期待する人には合わない演奏かもしれない。

ただ面白かったのは、コンサートマスターが目の前にいるような席に座っていたからかもしれないが、第一コンサートマスターのマルコム・ローウィが、ウォーリネンの現代音楽と同じようなテンションで、ヒステリックな、というと言いすぎかもしれないが、絶叫するようなヴァイオリンをブラームスでも奏でていたことで、現代音楽に続けて演奏されたためかもしれないが、その余韻がオケに残っていて、ロマン主義のブラームスではなく、現代を向いたブラームス4番になっていたのが新鮮だった。こういう演奏に触れられるのがライブの醍醐味なのかもしれない。

ブラームスが終わったときに10時を回っていたのでアンコールはなかった。来日公演となると、会場の外でCDやプログラムを販売していたりと商業的な要素が目に付くが、いかにも地元に根ざしたオーケストラの平日の定期公演の聴衆の一人になれたのはよかった。UBSというスイスに拠点をおく大金融グループがコンサートのスポンサーになっていたが、有名オーケストラの来日公演のようにプログラムは有料かと思っていたら、無料で配布され、広告が多いとはいえ、64ページもある冊子に、指揮者や作曲家、楽曲の解説はもちろん各曲のCDリストもつけられて非常に充実している点にも感心した。定期公演だったが、プレコンサート・トークから参加していたので、ボストン交響楽団による交響楽講座に参加し、単位を取得したような気分になって、ホテルへの帰路についた。



マゼール指揮ニューヨーク・フィルハーモニック演奏会を聴く

2006-11-16 23:52:33 | 音楽・コンサート評
11月13日月曜日、加古川での高齢者向けの市民大学の講義を終えた後、西宮の兵庫県立芸術文化センター大ホールで、ロリン・マゼール(1930-)指揮のニューヨーク・フィルハーモニックの来日公演を聴いた。

マゼールは、私が中学生でクラシックを聞き始めた頃、毎年、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを指揮していた。すでに30回近くも来日しているようだが、生で聴くのは今回が初めてなので、ずっと楽しみだった。CDで聴いていると、オーケストラの各パートを強調したデフォルメされた表現が目立ち、「曲者」と評されることも多く、古典から近現代まで幅広いレパートリを誇りながらも、数多く出ている名曲名盤のガイドでは必ずしもスタンダードな名盤として推薦されないのがマゼールの演奏の特徴である。だが、くせがあるだけに根強いファンも多いようで、大ホールも様々な年齢層の聴衆で埋め尽くされていた。

ニューヨーク・フィルは、以前、マーラーについて書いた折にも触れたが、バーンスタインの下で黄金時代を築いたアメリカの名門オーケストラである。私が中学生の頃は、欧州の二大オーケストラであるベルリン・フィルとウィーン・フィルの奏者は依然として全員白人男性(ウィーン・フィルの場合はさらにそのほとんどがウィーン育ちであった)だったのだが、それに対してニューヨーク・フィルは当時から「人種のるつぼ」らしく、女性や黒人、アジア系など多彩な構成なのも特徴的だった。今回の来日メンバーで特に印象的だったのは、黒人メンバーは一人だけだったが、アジア系女性奏者が圧倒的に多いことで、香港のオーケストラと言っても通用しそうなほどだった。

最初の曲目は、ドヴォルザークの序曲『謝肉祭』だったが、やや荒削りながら金管を中心に勢いのある演奏だった。コンサートの開始にふさわしい祝祭的な気分に満ちた曲だった。私が座っていたのは舞台に向かって右手の袖口の席10列目くらいで、マゼールの指揮ぶりもオーケストラの演奏も肉眼ではっきり見える好位置だったのだが、昔、ニューイヤーコンサートで見ていたマゼールと比べると、当然だが大分、年をとり、時々、指揮台の手すりに寄りかかる場面もあったのだが、相変わらずの精密な指揮ぶりだった。9日間にわたる来日公演の最終日が西宮だったので疲れもあったのだろう。

2曲目は前半のメインである、ストラヴィンスキー作曲のバレエ『火の鳥』の組曲版(1919年版)だった。ロシアの作曲家ストラヴィンスキーは、1913年のパリ初演が音楽史上名高い、大スキャンダルとなった『春の祭典』で有名だが、バーバリズム全開の『春の祭典』のような作品があるかと思えば、名前を伏せれば、バロックの名曲として誰もが疑わないだろう、組曲『プルチネルラ』(1919-20)など、作曲様式の幅も前衛から新古典主義までかなり揺れ動いた人である。もっとも『春の祭典』も、例えばカラヤン指揮の演奏で聴くと、端正で古典的なバレエ音楽に聞こえるし、最近ではむしろフォルムを強調する演奏も増えているようだ。

マゼール自身はまだ27歳だった時にこの『火の鳥』組曲をベルリン放送交響楽団と録音しているのだが、基本的な解釈は今回の演奏でも当時と変わらなかったが、生で見て感じたのは、ストラヴィンスキーは、フルートやオーボエ、ファゴット、トランペットなどの木管、金管楽器のソロパートに見せ場を多く用意している点だった。マゼールは、決して派手な大振りやオーバーアクションをすることなく、オーケストラの各パートに入念な指示を与えて、それぞれの名人芸をうまく引き出していた。CDで音だけを聴いているとなかなかわからないのだが、オケの各奏者が技量を最大限発揮して、管弦楽の醍醐味を味わせてくれる構成になっていることがよくわかったが、それはストラヴィンスキーの技量であるとともにマゼールの巧みなドライブのなせるわざなのだろう。ストラヴィンスキーが苦手な人も生演奏に触れれば、印象が一変するのではないだろうか。この曲は、「見せる」管弦楽名曲だと実感した。

一昨年、発売されたサイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルの『春の祭典』のように、この曲がもつロシアの土俗的なパワーや野性が一切排除されたようなドライな演奏は物足りなく思っていたのだが、今回のマゼールの演奏は、『火の鳥』がもつ不気味な闇の響きや得体の知れない野蛮なリズムを十分感じさせるような表現で、スマート過ぎない点がとても良かった。

休憩を挟んでの後半、コンサートのメインとして演奏されたのは、ショスタコーヴィチの交響曲第5番『革命』である。ショスタコーヴィチについても以前、ブログで取り上げたが、今年は生誕100年ということで、FMやテレビでも演奏を聴くことが多かったが、コンサートで聴くのは初めてだった。マゼール自身は、この5番をクリーブランド管弦楽団と録音しているが、他の曲は吹き込んでいないので、必ずしもレパートリというわけではないが、ニューヨーク・フィルはバーンスタインの時代から得意にしている作曲家の一人である。

ストラヴィンスキー以上にこのショスタコーヴィチで、マゼールは、ピアノ、フルート、ピッコロ、ヴァイオリン、トランペットのソロや、低弦のユニゾンを効果的に浮き立たせていた。この曲は、起承転結のハッキリしたわかりやすい交響曲の一つで、CDで漠然と聴いていても十分に楽しめるのだが、今回のマゼールの演奏では、ある意味でオケとソロ楽器の競演といった協奏曲的な趣を楽しむことができた。

行進曲風の終楽章の冒頭とコーダは、ソロモン・ヴォルコフの『ショスタコーヴィチの証言』公刊以来、ソ連共産党幹部に妥協した『強制された歓喜』、『苦々しい凱歌』なのか、それとも『苦悩からの解放と勝利』を表現しているのか、しばしば議論されてきたが、マゼールの演奏は、そうした政治的な解釈にはこだわらず、この部分は比較的速いテンポで快調に演奏した。クライマックスはトランペットなどの咆哮で華やかに、そして力強く終わった。

バイオリン・パートが女性奏者で占められているためなのか、弦パートが全般にややパワー不足に感じられたが、それはコントラバス、チェロなどの低弦と、金木管パートが強力すぎて圧倒されていたからなのかもしれない。割れんばかりの拍手が続き、マゼールも何度も舞台に呼び戻されている最中に、スポンサーの某真珠会社の副社長なる人物がステージに登場してスピーチをして、自社の銀座店のためにマゼールに作曲してもらったという"A Pearl, A Girl"という曲を演奏させたのは、興ざめだったが、その曲自体は、弦楽合奏による美しいもので、それまでの演奏で弦パートにやや不満をもっていただけに、最後に合奏という形で力量を確認できたのはよかった。

スポンサーによって、せっかくの盛り上がりに水を差された鬱憤を晴らすがごとく、マゼールはさらにアンコールとしてもう一曲、ワーグナーの歌劇『ローエングリーン』第3幕への前奏曲を華やかに演奏して、会場は最高潮に達して、閉演となった。

一人一人の奏者が独奏者なみの技量をもつオーケストラと言われるのがニューヨーク・フィルだが、日頃のアメリカ論でおなじみの喩えで言えば、まさに『サラダ・ボウル』的な多文化オーケストラで、各ソロパートの魅力を引き出すマゼールはまさにこのオーケストラのシェフとして適任だと思った。コンサートでの名演は、一回限りで、形に残らないから、それだけ美しいし、いいものだ。
 

マーラーとウィーン、ニューヨーク

2006-06-26 23:45:33 | 音楽・コンサート評
テキサス州ダラス市のダウンタウンにThe Sixth Floor Museumという博物館がある。文字通り6階だけが展示施設になっているのだが、J・F・ケネディの狙撃犯オズワルドがオープンカー上のケネディをライフルで撃ったのが、当時、教科書倉庫だったこの建物からだったのである。ケネディ政権や暗殺事件についての様々な展示があり、2月に訪れた折に興味深く見ていたが、展示品の中に、アメリカの大指揮者レナード・バーンスタインのサイン入りのライターがあった。ケネディの大統領就任を記念して、贈られたもののようである。

レナード・バーンスタイン(1918-90)は、ミュージカル『ウェスト・サイド・ストーリー』の作曲家としてよく知られているが、アメリカが生んだ初のクラシック界の大スターで、1950年代から60年代にかけてはニューヨーク・フィルハーモニックの常任指揮者として、70年代から80年代にかけては、ウィーン・フィルを中心にヨーロッパの主要オーケストラを客演して、「帝王」カラヤンと人気を二分した。ヨーロッパがクラシックの本場ということで、日本のNHK交響楽団もそうだが、シカゴやフィラデルフィア、クリーブランドといったアメリカ諸都市の主要オーケストラも音楽監督や常任指揮者は今でも(ロシア東欧も含む)ヨーロッパ出身者が占めている。バーンスタインの時代は、ナチスの迫害を逃れたユダヤ系音楽家たちがアメリカの音楽界を牛耳っていた。バーンスタイン自身もマサチューセッツのユダヤ系ロシア人の家に生まれたが、3世で生粋のアメリカ育ちだった。きびきびとしたリズム感と鳴り切ったメロディーを武器にしたニューヨーク・フィルでの明快な演奏で名声を博して、晩年は本場ヨーロッパでの重厚でロマン主義的な演奏でその芸術性を評価されるという恵まれた音楽人生を送った人である。

バーンスタインがもっとも得意としていたのがマーラーの交響曲で、同じユダヤ系としての民族的共感があるなどとしばしばまことしやかに論評されてきた。マーラーのシンフォニーは起承転結なベートーヴェンと違って、ともするとパッチワーク的に音楽の流れが途切れていくような印象を受けがちなのだが、バーンスタインのマーラー演奏を聞いていると、長い交響曲も確かに一つの必然の元に作られているように聴くことができる。その意味でもマーラー入門に最適かもしれない。彼は映像も含めると、マーラーの交響曲全集を3度録音しているが、主にニューヨーク・フィルと録音した最初の全集には、JFKの弟で司法長官を務めて、兄同様に暗殺されたロバート・ケネディの、セント・パトリック教会での埋葬ミサでの「アダージェット(交響曲第5番第4楽章)」の演奏が収められている。ヴィスコンティ監督の映画『ベニスに死す』でも使われた、退廃的な美しさを湛えたマーラーの有名なメロディが、このミサでの演奏ではまるでレクイエムのように、静かに悲しみに耐えているように聞こえてくる。同じ全集に収められている交響曲5番の4楽章と比べても、まったく違った印象を受けるのだ。あらためて指揮者とオーケストラの力量を感じさせられた。

作曲家マーラーの人生は、真にドラマチックで、それ自体が文学的で映画的だ。
「私はどこに行っても歓迎されない。オーストリアにおいてはボヘミアンであり、ドイツにおいてはオーストリア人であり、世界においてはユダヤ人だから」と語ったのは有名だが、ウィーン宮廷歌劇場、今の国立歌劇場とウィーン・フィルの指揮者になるために、ユダヤ教からカトリックに改宗したり、若い妻アルマの浮気に悩まされて、精神分析家のフロイトの診断を受けるなど、現実的世俗的な努力も怠らない人であった。彼は、リュッケルトの詩に基づいて合唱曲集『亡き子をしのぶ歌』を書いた4年後に娘マリアが病死するなど芸術と現実の人生がシンクロする悲劇も経験している。保守的なウィーンを追われて、ニューヨーク・フィルの指揮者になったが、アメリカも安住の地とはならなかった。また「交響曲第9番を書くと死ぬ」というジンクスを嫌って、9番目を番号なしの「大地の歌」という合唱付管弦楽曲にしたものの、結局、その後、交響曲第9番を書いた後、第10番は完成することなく、この世を去ることになった。

19歳年下の妻アルマは画家の家に育ち、ツェムリンスキーに作曲を習っていた作曲家でもあったのだが、画家のクリムト、建築家のグロビウス、画家のココシュカ、作家のヴェルフェルと19世紀末から20世紀初頭のドイツ・オーストリアを代表する芸術家たちと恋愛遍歴を重ねた。マーラーとアルマの人生が多くの人の関心を惹きつけるのは、前出のフロイトも含めて、関わった人々全てが当時の芸術文化の最先端の人々だからであろう。

そうしたマーラーとその生涯・作品を文化史的に検討した好著が渡辺裕氏の『マーラーと世紀末ウィーン』(岩波現代文庫)である。もともとはNHK交響楽団の機関紙の連載を基にしたものであるせいか、統一的なテーマを持った本というよりは、マーラーをめぐるエッセー集的な色彩が強く、マーラーの交響曲のように、魅力的な主題が一見バラバラにちりばめられている。しかし日頃読んでいる社会科学者たちの文章と違って、音楽学者らしく、短く、リズムがよい文章が印象的で、テンポよく読む通すことができた。

19世紀の歌劇場は、あくまで社交の場で、オペラの上演中も出入りおしゃべり自由だったようだが、その「悪習」を断つため、舞台以外の照明を落とし、休憩時間以外は出入り禁止にするなど、ウィーン歌劇場の近代化に取り組んだエピソードや、画家クリムトらと1902年の「ベートーヴェン」展に取り組み、「闇に対する光の勝利」という近代啓蒙主義的なベートーヴェン像に挑戦し、逆に「闇の勝利」を表象したこと。それはマーラーが人気指揮者でありながら、ベートーヴェンの楽譜を大胆に改変した演奏を行なって、聴衆や批評家の間で物議をかもしたことにもつながっていた等々、興味深いエピソードをちりばめながら、ウィーンの19世紀末の文化運動全体の中でマーラー像が再検討している。

トーマス・マンの小説『ベニスに死す』とマーラーの結びつきについては、ヴィスコンティが主人公をマーラーをモデルにして、かつマーラーの楽曲を使って映画化したことにより、過度に強調された「神話」であると指摘しているが、同時にこの映画自体が映像と音楽、文学の融合という19世紀末以来のヨーロッパ芸術の潮流の延長線上にあるのではないかと渡辺氏は肯定的に捉えてもいる。

中にはマーラーの交響曲4番の各演奏を計量分析したような、ややマニアックな論考も含まれているが、本書で繰り返し描かれているのは、「管弦楽によるソナタ」としての交響曲形式にこだわりながらも、結果的に交響曲的予定調和を超えてしまった、意図せざるポストモダニストとしてマーラー像である。

渡辺氏は、音楽が再現芸術である以上、現実的に鳴り響くためには演奏家という媒体を経なければならず、必然的に作曲された時代と演奏される時代という「異なった二つの時代、二つの精神の出会い」を経て、我々の前に「異文化の出会い」として立ち現れるものだと指摘している。

たとえば19世紀に演奏されたバッハが、ロマン主義的で本来のバッハではないと語ることがどこまで意味があるのか?オリジナル楽器を使ってオリジナルな編成で、21世紀のホールで再現すれば、本物の「バッハ」に触れられるのか?そんなことはないだろう。むしろ換骨奪胎され、再解釈され続けても生き残るだけの度量を持ち合わせているからこそ、「クラシック」と呼ぶに値する芸術なのだろう。そんなことを考えさせられた。

音楽に対する予備知識がなくても、マーラーの音楽を聴いたことがなくてもヨーロッパ文化論として十分興味深く読める本だが、ベートーヴェンの交響曲とマーラーの交響曲を比べながら聞くと、著者の言わんとすることがより深く理解かもしれない。マーラーが指揮したベートーヴェンのシンフォニーはどんな演奏だったのだろうか?叶わぬ夢だが、読み終えた後にしみじみ聴いてみたいと思った。

「二重言語」のシンフォニー:ショスタコーヴィチ交響曲全集を聴く

2006-01-16 23:15:10 | 音楽・コンサート評
かつてソビエト政治の専門家は、ソ連共産党本部がおかれたクレムリン宮殿の名をとって、「クレムリノロジスト」と呼ばれていたが、彼らは秘密主義の体制を限られた情報で分析するため、独特のテクニックを駆使していた。例えば集合写真における共産党幹部たちの立ち位置の変化に注目して、権力関係の微妙な変化を読み取ったりしていた。共産党幹部の演説を分析する時も、マルクスやレーニンの著作の引用が多い場合は、そうした主義に忠実なのではなく、むしろ改革路線を打ち出したいときにこそ、自らが「修正主義者」ではなく、主張の根拠がレーニンやマルクスにあるかのごとくアピールするため、引用を多用しているのだと読まねばならなかったそうだ。ゴルバチョフ書記長の演説もそのパターンに当てはまったようだが、そうした独自の「裏読み」がクレムリノロジストたちには求められたのである。

ソビエト音楽界のみならず20世紀を代表する作曲家ドミトリ・ショスタコーヴィチ(1906-75)の交響曲全集を、昨年、出版された若きショスタコーヴィチ研究者の千葉潤氏の『作曲家:人と作品 ショスタコーヴィチ』(音楽之友社)などを参照しながら聴いていて、そんなソビエト・ロシア政治研究者の苦闘を思い出した。ショスタコーヴィチの音楽はソビエト現代史そのものであるといっても過言でなく、彼の作品を純音楽として楽しむには政治的エピソードがあまりにも多すぎるかもしれない。

オペラ作曲家として成功しながらも、『ムツェンスク郡のマクベス夫人』(1934)を共産党機関紙『プラウダ』紙上で無署名の(スターリン自身によるとされる)「論説」により「音楽の代わりの支離滅裂」と批判され、その後も度重なる党による弾圧や検閲に耐えながら、時に妥協して社会主義や共産党を礼賛するプロパガンダ音楽を数多く作曲し、一方では批判や風刺精神を内在させた作品を生み出し続けた。高等学校のブラスバンドでもよく取り上げられるようになった交響曲第5番は、十月革命20周年記念演奏会で演奏され、「『革命』交響曲」という俗称で知られているが、ベートーヴェンの『運命』を20世紀に移したようなドラマティックで分かりやすい曲で、サイレント映画『戦艦ポチョムキン』復元版のサウンドトラックとしても利用されたので、ご存知の方も多いと思う。ロシア革命のドキュメンタリーでもBGMとしてしばしば流されている。

この曲で名誉回復したショスタコーヴィチだが、その後も交響曲第6番は「形式主義」と批判を受けているし、独ソ戦におけるソ連軍の勝利を祝う第7番「レニングラード」、第8番に続く「戦勝賛美」3部作の完結編を期待された第9番を軽妙な作品に仕上げてしまって、ふたたび共産党当局の不興を買った。かと思えば、1905年「血の日曜日」事件を描いた交響曲第11番「1905年」、レーニンに捧ぐとされた第12番「1917年」といったプロパガンダ的な作品も書き、西側諸国からは「体制に妥協した作曲家」として評価を下げたりもしている。しかし帝政ロシアによる民衆弾圧を批判した第11番ははからずも同年(1956)のソ連軍の武力介入による「ハンガリー事件」と重なったり、ウクライナにおける、ドイツ軍によるユダヤ人虐殺を批判したエフトゥシェンコの詩に基づく、交響曲第13番「バビ・ヤール」も、その詩の内容がスターリン体制批判とも読めることから改作を要求されたりと、体制と体制批判の間で作品も絶えず彷徨い続けた。そうした過程でショスタコーヴィチは歌詞や音階に裏の意味を込める「二重言語」の技術を磨いていったようである。

彼の作品を演奏した人々も数奇な運命をたどっている。「プラウダ」批判を受けて、発表できなかった交響曲第4番を25年後に敢然と初演した指揮者キリル・コンドラシン(1914-81)は後に亡命し、その3年後、アムステルダムで急死し、KGBに暗殺されたのではないかと噂されるなど、ショスタコーヴィチの曲も演奏家もソ連政治史の暗部と切り離して考えることができなくなっている。「私の交響曲は墓碑銘である」の名台詞で知られる『ショスタコーヴィチの証言』は、千葉氏の研究によると、ソロモン・ヴォルコフによる「偽書」だそうだが、「粛清」の恐怖に怯えながらも、魂を完全に体制に売り渡すことなく、批判と風刺の精神を秘めて作曲し続けたショスタコーヴィチにとってのシンフォニーは、まさに生きながら記した「墓碑銘」だったのかもしれない。

このような政治的なメッセージ、歴史を背負いすぎたショスタコーヴィチの音楽を純音楽として鑑賞することは容易でないかもしれない。私がもっているのは、オランダの名指揮者ベルナルド・ハイティンク指揮コンセルトへボー管弦楽団&ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(英デッカ盤)による全集だが、協奏曲の伴奏や数々の交響曲全集の「中庸」で手堅い演奏で知られるハイティンクらしく、政治色やプロパガンダ色を薄めて、誇張の少ないバランスの取れた演奏を心がけているようである。どの曲においても金管の多用も決して下品には聞こえない、極めて端正な演奏である。

最初にショスタコーヴィチに触れたのは確か中学生の時で、ご多分に漏れず、交響曲第5番だったが、当時、心を惹かれたレナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルの劇的で能弁な演奏に比べると、ハイティンクの第5番は大人しすぎるようにも感じられたが、ソビエトのプロパガンダ映画音楽を数多くものしたショスタコーヴィチらしく、描写力のあるメロディが魅力的で、「レーニン!」というシュプレヒコールで終わる第2番「十月革命」や、第3番「メーデー」、第11番「1905年」、第12番「1917年」など、一連のロシア革命を描いた曲はどれも面白く聞くことができた。『展覧会の絵』のムソルグスキーや『序曲 1812年』のチャイコフスキーなどロシア標題音楽の伝統が脈々と受け継がれている印象を受けたし、ロシアン・ブラスと呼ばれる重低音の金管楽器の多用もドイツ・オーストリア的な交響楽に慣れた耳には新鮮だった。交響曲第13番の『バビ・ヤール』の歌詞は「ユーモアは殺せない」と歌っていて、長年の圧政の中で、「アネクドート(小話)」として知られる独自の権力風刺を生んだ、したたかなロシア民衆文化が思い出された。

ベートーヴェンの交響曲全集を聴き通すと意気高揚となるだろうが、ショスタコーヴィチの全集を聴くと、重苦しい沈痛な作品の連続で憂鬱になることは間違いないのだが、インターネットを検索してみると、熱烈なショスタコーヴィチ・ファンのサイトが数多く開設されており、日本のクラシック人口の裾野の広さを改めて実感させられた。LP時代は交響曲全集は数万円もして一部の好事家しか縁がなかったはずだが、輸入CDもインターネットで簡単に購入できる今は、例えばルドルフ・バルシャイの全集など、輸入盤ならば三千円強でショスタコーヴィチ交響曲全曲を入手できるようになったことも大きいのだろう。共産党指導部から批判されて、「わかりやすさ」を求められたショスタコーヴィチだが、体制に順応させられる過程で、純芸術的で前衛的な現代音楽だけでなく、国や体制や時代を超えて、幅広く聞かれる音楽を残すことができたのは、結果だけ見れば、僥倖だったのかもしれない。

ある晩のカラヤン

2005-12-05 16:46:06 | 音楽・コンサート評
夏の最中に「秋のブラームス」という記事を書いた。気付けばもう12月。近畿でも初雪が見られた。夏にブラームスを聞くのもいいものだと書いたが、この秋は久しぶりにクラシックのCDをよく聞いていた。旬の魚や野菜のように、やはりブラームスは秋に聴いた方がはるかに良かった。最近はどちらかというとジャズに凝って、ピアノ・トリオのCDを集めたり、たまには生演奏を聞きに行ったりしていたのだが、ジャズを聞き出すとクラシック・ピアノの磨かれた美しさが懐かしく感じられて室内楽からまた聞き始めるようになった。

クラシックを一番熱心に聴いていたのは中学生の頃で、バイオリンを習っていた友人がレコードやテープを貸してくれて、最初はドボルザークの『新世界(交響曲第9番)』といった入門的な曲から聞き始め、交響曲からやがて協奏曲、室内楽、器楽曲と聴くようになった。クラシックでもジャズでもとっつきにくそうなジャンルに入っていくには、やぱり最初に名盤と言われるCDを集中的に聴いていくのがいいのだろうが、買い続けるのは特に子供の場合は無理であるし、レンタル屋にはクラシックはほとんどない。図書館にも昔は時々あったが、図書館さえも今では「無料のレンタル屋」で著作権を侵害しているとして批判されるご時世なので、貸し出しも制限されてくるかもしれない。そう考えると、クラシックに詳しい友達がいて、気前よく貸してくれたのは有難かった。楽器は習ってなかったし、まるで演奏できないが、集中的にいろんな曲を聴いているうちにだんだんと聞く耳を磨いてこれたような気がする。

この秋、久しぶりに聴いて感銘を受けたのは、今は亡き名指揮者、「帝王」の名を恣にしたヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルの最後(3度目)のブラームス交響曲全集である。カラヤンというと「アダージョ・カラヤン」というCDがベストセラーになったのを記憶されている方も多いと思うが、クラシックを知らない人でも知っている大スターで、レガート奏法と呼ばれる磨きぬかれた明快な演奏と端麗な容姿を生かしたカリスマ的な指揮者だったが、逆に言うと、「通」ぶるクラシック・ファンからは敬遠されがちでもあった。ドイツ教養主義的なクラシック・ファンからすればフルトベングラーの演奏こそが正統派で、カラヤンは「通俗名曲の大指揮者」に過ぎないと言った悪口もよく聞かれた。

もちろんフルトベングラーのように深い精神性を感じさせる重厚なベートーヴェンやブラームスも嫌いではないが、カラヤンの最晩年のブラームスは、頂点と言われた1970年代の演奏には見られない枯淡の境地と同時に、カラヤンが生涯貫いてきた、クラシックの現代的再生という姿勢が強く感じられた。同じ19世紀の音楽でも例えばメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲やチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のような曲を聞くと、いかにも古風な情緒主義が漂ったメロディで、ドライに演奏しても、ロマンティックに演奏にしても古さを免れない気がするが、バッハの楽曲やベートーヴェン、ブラームスの交響曲などは贅肉を落とした演奏をすると、時代を超えて、現代のテーマが響いてくるような演奏に十分なりうる気がする。カラヤンのベートーヴェン交響曲全集やブラームス全集が様々な批判を受けながらも一方で高く評価されてきたのも演奏の現代性にあるのだろう。同じベートーヴェンやブラームスを得意なレパートリーにしているオーケストラでも、伝統重視のウィーン・フィルより、現代的な都市のオーケストラであるベルリン・フィルの方がそうした傾向を強く感じさせられる。

しかしクラシックを聞き始めた中学生の頃はカラヤンのベートーヴェン『運命(第5番)』や『英雄(第3番)』jはいいと思ったが、ロマンティックな第三楽章が有名なブラームスの交響曲第三番や、独特の寂寥感と情熱をたたえた交響曲第四番は、モーツァルトの交響曲第四〇番、ベートーヴェンの『田園(第6番)』の場合と同様にブルーノ・ワルター指揮の演奏の方を愛聴していた。その頃持っていた、カラヤンの70年代のブラームスの演奏は壮麗だが、ブラームス的な情緒が何か欠けているように感じていた。そんな折、生でカラヤン指揮ベルリン・フィルのコンサートに行く機会に恵まれた。1984年、カラヤン8度目の来日公演を東京・普門館で聴いた。インターネットで調べてみると10月23日だったようである。演目はブラームスの交響曲第三番と第一番だった。父に連れられて、というより、ブラームス好きな私に父が付き添っていったというのが正しいだろう。カラヤン美学なのか、アンコールもすることなく、シンフォニー2曲でシンプルに終わったが、クラシックの交響曲などはほとんど聴かない父は帰り道、「ブラームス以外もやればいいのにね」とつぶやいていた。

この晩の演奏は、日頃、聞いていたレコードの70年代後半録音の演奏とは全く違って、「綺麗なブラームス」ではなくて、男らしい重厚なブラームスだった。ライブにはライブのよさがあるとしみじみ思った。カラヤン最後のブラームス第一番(1987年録音)が出たとき、従来のイメージを破るものとして高い評価を受けたが、私が聴いた84年のコンサートもまさにそのCDを予見させるような骨太のブラームス第一番だった。久しぶりにそのCDを聞きながら、あの晩の演奏のことも思い出した。クラシックの演奏も一方ではオリジナル楽器や編成、楽譜にこだわって忠実に再現しようとする方向に走っているようだが、ベートーヴェンやブラームスが表現しようとした世界を、より現代的な形で再現しようとすることも新しい鑑賞者を増やす意味でも重要なのではないかと思う。その意味でとかく批判されがちのカラヤンが果たした功績は大きいだろう。ただカラヤンのようなカリスマ性とスター性を兼ね備えた指揮者がその後出ていないのが淋しいことだと思う。

秋のブラームス

2005-08-23 10:03:47 | 音楽・コンサート評
大学1年の時、どちらかといえば野暮ったい同級生が多かった中で、メンズ・ファッション誌から抜け出したようなM君が「統計学」のレポートで彼らしく、「お洒落な男子学生の割合と大学の立地条件の相関関係」について調べると言っていたのを思い出す。「お洒落な男子学生」の数をどうやって測るのか、尋ねてみたところ、「夏に秋服を着ている割合、具体的に言うとジャケットを羽織っていたりする数を数える」とのことだった。なるほど、暑い最中でも売っているファッションは秋物であるし、流行に敏感な人ほど季節の先を行く格好をするようである。

ドイツの19世紀の作曲家・ヨハネス・ブラームスの楽曲もさしずめ秋のイメージだろう。「秋のブラームス」と銘打ったコンサート企画もよく広告で目にする。弦楽六重奏曲第一番、交響曲第四番、クラリネット五重奏曲・・・いずれも秋以外の情景が浮かんでこない。しかし地球温暖化対策が喧しい今日、真夏の昼間に冷房を効かせてブラームスを聴いて秋を想う、などというのは背徳的ですらあるかもしれない。中学生の時に本格的にクラシックを聞き始めるようになって一番好きになった作曲家はブラームスだった。彼は日本人に最も愛されている作曲家の一人であるに違いない。
 
ウィーン・フィルやベルリン・フィルのような欧州の主要オーケストラの来日公演では必ずと言っていいほどブラームスの交響曲が取り上げられる。「ハンガリー舞曲第5番」や「交響曲第三番」の第三楽章のような哀愁を帯びたメロディアスな曲や「大学祝典序曲」のような明るい曲、楽章を多く作っているし、交響曲、協奏曲、室内楽、ピアノ、バイオリン独奏曲、歌曲など、オペラ以外の全てのジャンルで人気曲を書いていて、はずれの少ない作曲家だと思う。映画音楽やBGMにもよく使われているので、気づかずに聴かれている方も多いだろう。1989年に昭和天皇が亡くなった時、テレビはずっとブラームスのシンフォニーを流していた。荘厳で厳粛なイメージが強いのかもしれない。

ブラームスの伝記は日本語でも英語でもずいぶん読んだ。生涯独身だったこと、シューマンから「ベートーベンの後継者」と激賞されて、音楽界で早くから注目されたが、そのプレッシャーに悩んで、最初の交響曲を完成するまで20年も要したこと、シューマン夫人ですぐれたピアニストだったクララ・シューマンとの恋愛と生涯にわたる付き合い、ワーグナーとのライバル関係、名バイオニスト・ヨーゼフ・ヨアヒムとの友情といさかいなど興味深いエピソードもつきないが、クラシック・ファンならご存知の方も多いだろう。
 
私が興味をもったのは、ウィーンで既に大作曲家として評価されていたブラームスだが、生涯、生まれ故郷のハンブルクのオーケストラの音楽監督の地位を望み、ハンブルク市民として安定した生活を送ることを希望していたのだが、下層階級の出身だったため、成功してからもそのポストを得られなかったことである。生活を支えるため、幼少の時から酒場でピアノを弾かされていたらしいが、その時に身につけたポピュラーな楽曲センスが「ハンガリー舞曲」や数々の曲で生かされ、結果的にブラームス・ファンの裾野を広げているのも人生の不思議なめぐり合わせといえるかもしれない。「ハンブルクで常任監督となっていれば、普通の幸せな人生を送っていたかもしれない」と晩年のブラームスは語っていたそうだが、それが実現していればハンブルクのローカルな一音楽家として終わり、「世界のブラームス」は誕生していなかったのだろう。貧しいながらも教育熱心な両親の方針で、名教師についてバロック音楽の基本である対位法などをきちんと学んで、新古典主義的な作曲技法上の武器にしたこと、フォーマルな教育はあまり受けていなかったが大変な読書家で教養を身につけたことなども彼の人生を成功させた鍵となっている。

「クラシック classic」という言葉は、「古典的」という意味と同時に「階級的」という意味がある。まさにクラシックは上流「階級」の音楽という意味合いが強かった。フランス革命後、宮廷や貴族のお抱え料理人の職を失ったコックたちが町で開業し、実力をつけてきた都市商人たち(ブルジョワジー)を客として始めたのが街の高級レストランのおこりだったように、音楽でもヘンデルやハイドンといった宮廷お抱えの音楽家から、やがては蓄財した都市市民階級をパトロンとする音楽家たちが成長したのだが、モーツァルトやシューベルトが生涯生活で苦しんだのに対して、ブラームスは特定のパトロンの庇護を受けることなく、楽曲による収入で生活し、経済的に自立できた最初のクラシック作曲家だったと言われる。出身階級ゆえに、出身地での望むポストを得られなかったのだが、その分、作曲家の社会的自立に大いに貢献したと言えるだろう。

ブラームスの音楽の魅力は何であろうか。交響曲や協奏曲に顕著に現れているが、ヨーロッパのがっちりした建築のように構築された全体像の中で、時に激しく、情熱的なメロディや主題が繰り返し現れ、それがやさしく諦められていく、感情の波のような作りになっている点にある気がする。ブラームスをあまり好きになれない人はそこに「しつこさ」を感じたり、あるいはベートーベンのように高らかに歌い上げるような起承転結がなく、最後が諦念で締められるところが不満なのかもしれない。いずれにしても全ての楽章を聴き通さなくても、気にいったメロディをピックアップして聴くだけでも十分、魅力的な作曲家であるはずだ。

「ブラームス」論をブログで一度書きたいと前から思ってはいたが、音楽を言葉で語るのはやはり難しい。絵画も音楽も言葉で考えるより、見たり聴いたりして直接、感じるべきものであろう。クラシック・ファンの悪いところは薀蓄を語りすぎるところだといつも思っていた。中学生でクラシックを聴き始めた時は、『レコード芸術』といった雑誌や『名盤100選』のような本を買って、そこで褒められている名演奏を集めて聴いたりしたが、結局のところ、音楽評論家自身が最初に好きになった演奏にとらわれすぎていたり、あるいはあまりメロディアスにならないように、テンポを遅く演奏するほど、「音楽的」だ、「芸術的だ」などと高く評価する衒学的な傾向があることに気づいてしまってからは、自分なりに好きな演奏を聞いて満足するようになった。これからクラシックを聞いてみたい人はまずはそういう名盤ガイドブックやあるいはオムニバスCDに頼ってもいいと思うが、気に入ったのがあればどんどんそこから聞き始めたらいいのではないかと思う。

最後にブラームスのお勧めCDをいくつか挙げてリンクしてみたい。いずれもかなり昔の演奏で今は廉価盤になっているようだ。かくいう私は最近はブラームスを聴いていない。ブラームスの音楽は全く絵画的でない、抽象的な絶対音楽で、じっくり聞き込んで、「構造」とか考えたくなるもので、特に交響曲や協奏曲などの長く、複数の楽章から成る曲は「ながら作業」にあまりむいていないようだ。音楽だけをじっくり聞く時間はなかなかとれないので自然と聞けなくなった。私の近くの研究室の先生はシンフォニーのCDなどをかけながら夜中まで仕事をしている。人にもよるのだろうが、ブラームスの楽曲はどちらかと言えばコンサートか、CDを家でじっくり聞くホームコンサート向きかもしれない。この文章を読んで、何か引っかかるところがあれば、ぜひ聴いていただきたいと思う。

交響曲第1番、第2番、第3番、第4番
ヘルべルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

「カラヤンが好き」というと眉をひそめるクラシックファンも多いが、ポピュラリティと演奏技術と芸術性の三点の融合という点で一つの頂点を極めた指揮者だと思う。2500円で交響曲全集が聴けるのは手頃だし、この晩年の演奏はブラームスで求められる重厚さと「枯淡」の境地も表現できていてお勧めである。

ピアノ協奏曲第1番
アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)
ズービン・メータ指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

ブラームス青春の曲で、若さのエネルギーが漲る激しい曲だが、それを往年の名ショパン弾きのルービンシュタインが最晩年の89歳で録音しているのが驚きである。89歳という年齢を忘れる、まさに若い情熱が爆発しているような演奏である。

ピアノ協奏曲第2番
ウィルヘルム・バックハウス(ピアノ)
カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

この曲の定番演奏である。ブラームスでお薦めを一曲と聞かれると、この曲を挙げることが多い。ブラームスの得意のメロディアスでふくよかなピアノとシンフォニックな構成の両面を楽しめる。

バイオリン協奏曲
イツァーク・パールマン(バイオリン)
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

昔はオイストラフ、メニューインといった渋いおじいさんバイオリストを好んで聞いていたが、パールマンもブラームスは上手いと思う。曲もブラームス得意の哀愁を帯びた激しくロマンティクなメロディーと、第三楽章の明るくポップな終わり方の両方を楽しめる。

バイオリンとチェロのための二重協奏曲
イツァーク・パールマン(バイオリン)
ヨーヨーマ(チェロ)
ダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団

なぜか評論家の評判がよくない「二重協奏曲」だが、バイオリン、チェロ、オーケストラの緊張感ある掛け合いと、やはりブラームス・メロディーを楽しめる名曲だと思う。ブラームス好きなら必ず好きになると思う。

ピアノ3重奏曲第1~3番、ピアノ4重奏曲第1~3番
アイザック・スターン(バイオリン)他

室内楽では名バイオリスト・アイザック・スターンが中心になって演奏する、ピアノ・トリオとカルテットを全曲収めたこの一枚をお勧めする。ユーロピアン・ジャズが好きな人にもお勧めである。本人も名ピアニストだったブラームスは親友の名バイオリニストのヨアヒムの協力も得て、ピアノとバイオリンの持ち味を生かした曲作りを行なっているが、室内楽ながらシンフォニックな演奏を楽しめるのはブラームスならではと思われる。ベートーベンの同種の曲と比べるとロマンティックな響きがある。

(イメージは守屋多々志『ウィーンに六段の調べ(ブラームスと戸田伯爵極子夫人)』1992、ウィーンに駐在していた戸田氏共伯爵の夫人・極子が『六段』の演奏をブラームスに聞かせた可能性があるというエピソードを基にした歴史画である。変奏曲の名手だったブラームスは邦楽の主題にも関心があったという)。