紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

オバマはどこへ向うのか?

2009-03-31 20:49:19 | 政治・外交

卒業式が終わったと思えば、まもなく新学期が始まる。私がアメリカ政治・社会の授業を本格的にスタートしたのが2001年からだったので、丸々、ブッシュ政権の8年間と重なっている。アメリカに留学していたのはクリントン民主党政権の時代で、教員として講義するようになったのはブッシュ共和党時代ということになるが、新学期からの授業では、この8年間とは全く一変した「オバマのアメリカ」を論じることになり、講義も大幅な模様替えを迫られている。

オバマについてはすでにメディアでも多くのことが語られ、日本でも多くの出版物が出された。オバマの英語の演説集が日本でベストセラーになったのは驚きだ。昨年、演習形式の授業で、2008年大統領選挙を取り上げて、学生にもオバマとマケインを比較してもらったが、オバマの方は何冊も本が出ているのに対して、マケインについては結局、日本語ではまとまった本も出ることもなく、選挙戦終盤はあらゆる世論調査の結果を見ても、敗色濃厚で、そのまま選挙戦を終えることになった。

2008年9月―10月に行われた3回のテレビ討論を見ていても、冷静に相手の質問に答え、回を重ねるごとに技術を上げていくオバマに対して、感情的な部分を隠しきれなかったマケインは見劣りしたし、共和党の副大統領候補となったペイリンを最初は面白がっていたメディアもまもなく、そのあまりの適性のなさに焦点を当てるようになった。より決定的には第1回目のテレビ討論の直前の9月に起こった、リーマン・ブラザーズの経営破たんが引き金を引いた世界金融危機により、「減税」くらいしか経済政策を打ち出していなかったマケインは圧倒的に不利な戦いを強いられるようになった。

オバマ当選の政治的意義は、すでに様々なところで論じられているが、何と言ってもアメリカ政治を「脱カテゴリー」「脱イデオロギー」の方向へと転換したことを指摘できるだろう。クリントン時代もブッシュ時代も、従来はイデオロギー的な距離が西欧の政党ほど離れていないと言われたアメリカの民主党、共和党のイデオロギー的な対立が深まり、両者の政治的主張は競って正反対になりがちであった。特に減税といった経済政策をめぐる対立、アファマーティブ・アクションの是非をめぐる対立、中絶や同性愛、遺伝子工学を含む生殖技術といった家族やリプロダクティブ・ヘルスをめぐる対立、など、いわゆるキリスト教保守派なども絡みながら、様々な社会的な問題をめぐる価値論争がかなり単純化され、二極化される傾向にあった。

またアメリカ政府が公民権法により、公的に人種差別撤廃に本格的に乗り出してから、既に40年を経過したにも関わらず、依然として様々な争点が「人種」の視点から考えられ、論じられる傾向が変わらなかった。ケニア人の父とカンザス州出身の白人の母をもち、ハワイで生まれ、インドネシアで育ったオバマは、2004年の民主党全国党大会で「黒人のアメリカでもヒスパニックのアメリカでもなく、あるのはアメリカ合衆国だけだ」と演説して喝采を浴びたように、人種やイデオロギーを超えて、アメリカを「再統一」しようとする姿勢を示すことで、社会的亀裂を強調し、対立を煽ってきたブッシュ政治に嫌気がさしたアメリカ人に大きくアピールしたことは言うまでもない。

ブッシュ政権がイラク戦争など単独行動主義的な外交政策で世界のアメリカに対するイメージを悪化させ、フランスやドイツといった同盟国の離反を招いたことや、京都議定書からの離脱など、環境政策に後ろ向きな態度を示して、世界の信頼を失ったのに対して、アメリカ人が国際協調や環境対策などで世界から再び尊敬されるような知的なリーダーを求めたことも、オバマ当選への力強い後押しとなった。まだ大統領候補に過ぎなかったオバマのベルリンでの演説に聴衆が20万人も集まったことは欧州での期待の大きさをよく表していたし、それがアメリカの有権者の判断にも影響を与えたと思われる。キューバのカストロ、イランのアフマニネジャド、ベネズエラのチャベスといった、アメリカと「対立」していたリーダーたちでさえ、オバマの登場を歓迎した。

より直接的には、サブプライムローン問題に端を発する金融危機とアメリカ経済の悪化に対して、党派対立を超えた対応を求められたことが、ブッシュ的な新自由主義政策から脱却を標榜するオバマへの期待を高める決定打となった。環境対策による雇用創出や設備投資の増加を狙った「グリーン・ニューディール」がどこまで成功するかは今後の展開を見守らなければならないが、IT/住宅バブルを前提としていたブッシュ・新自由主義経済政策の時代が完全に終わったことは間違いない。

オバマについては既に多くの本が出ているが、選挙後、比較的早い段階に出版され、しかも目配りが効いている一冊に渡辺将人氏の『オバマのアメリカ』(幻冬社新書)がある。渡辺氏は『見えないアメリカ』(講談社現代新書)でも、通説的・概説的なアメリカ研究書では見えてこない、合衆国の現状について光を当てていたが、本書も民主党議員の選挙スタッフとして働いた、インサイダーの目線が随所に生かされていて、人種問題にばかり焦点を当てたオバマ論に飽きた読者に新しい視座を提供してくれる。

論点は多岐に渡るが、読んでいて特に面白かったのは、メディアの選挙戦での活用法についてである。従来、アメリカのメディアと選挙の関連では、選挙広告やネガティブ・キャンペーンの内容やその費用に注目する傾向があったが、渡辺氏は「有料広告」中心の選挙戦はもはや古く、有料広告に投入する予算は縮小傾向にあり、むしろ広告をセンセーショナルなものにしてニュースなどで取り上げさせることによって、「無料広告」としての報道を活用していくのが重要になっているということだった。マケイン陣営が、パリス・ヒルトンやブリットニー・スピアーズと一緒にオバマを登場させて、「オバマは世界一のセレブだが、指導力はあるのか?」と批判したCMを流したことは日本のニュースでも取り上げられたが、このCMも実はオンライン向けの限定的な広告で、そのCMそのものを見せることよりも、CMがその後、ニュースやyoutubeなどで取り上げられる効果や反響を狙ったものだったという。「無料広告と有料広告の併用」というのは、今まで無かった視点なので渡辺氏の現場ならではの感覚が説得的だった。

またオバマを「トランスファー(編入)大統領候補」と評している点も興味深かった。この点も他のオバマ論ではあまり強調されていないが、オバマは、カリフォルニアのオクシデンタル・カレッジという小規模のリベラル・アーツ・カレッジに入学した後に、3年次からニューヨークのコロンビア大学に編入し、社会経験を経てからハーヴァード大学のロースクールに入学したという意味で「編入エリート」なのだという。その意味で前回の民主党大統領候補で、東部の名門家族出身でイェール大学卒のジョン・ケリーとは違って、むしろコツコツ成績を上げて、ステップアップしていく「編入型」である点で庶民性をアピールできたのだという。これも説得力のある主張であった。

ただしオバマの政治的キャリアを見ていて、気になるのがまさにこの点である。オバマはシカゴの黒人貧困地区サウスサイドでコミュニティ・オーガナイザーとして活動した後に、イリノイ州上院議員を1期務めて、連邦下院議員に立候補して落選。その後、イリノイ州上院議員をもう1期務めて、連邦議会上院議員に当選。1期目の3分の1を終えた時点で大統領選挙への立候補を表明し、見事、当選を果たした。鮮やかなステップアップであるが、今までのキャリアを見ていると常に2、3年単位くらいで次の政治的ステップを目指して上昇していく。世界の政治キャリアでアメリカ大統領を上回る地位はほとんどないので、次に何を目指すべきか、目指しているのか、わからないが、コミュニティ・オーガナイザーとしての活動も、イリノイ州議会議員としての活動も、あくまで一つのステップとしてしか考えていなかったのではないかという証言はオバマ周辺にも多いようだ。

さてオバマはをどこまでじっくり腰を据えて、世界全体に多大な影響を与えるアメリカの政治・経済を改革できるだろうか?2010年の中間選挙までは2年を切っているし、2012年の大統領選挙もそれほど先ではない。政治的上昇移動力ではなく、政策実行力で評価される大統領に成長してほしいと、こちらは外部からの観察者ではあるが、願わずにはいられない。


「中国脅威論」の虚実

2009-03-22 23:58:25 | 政治・外交

中国の国防費が21年連続で二桁の伸び率を示しており、全国人民代表大会の李肇星・報道官は3月4日午前、北京の人民大会堂で記者会見し、2009年の国防予算が前年実績比14.9%増の4806億8600万元(約6兆8257億円)になると明らかにしたという(『読売新聞』2009年3月4日)。経済成長に伴って、人件費も当然上昇しているわけだが、GDP成長率の方は2009年度は、目標の8%に達するのは難しいと見られているだけに、経済成長率のほぼ倍に当たる軍事予算の増加率はいかにも突出した印象をうける。

また1月20日に2年ぶりに発表された中国の『国防白書』で海軍力の増強を打ち出したことは大きく報道されたが、とりわけ注目されているのが空母の建造着手であり、3月20日に行われた浜田防衛相と梁光烈国防相との日中防衛会談でも梁国防相が「大国で空母を持たないのは中国だけで永遠にもたないというわけにはいかない」と発言し、空母建造の姿勢を示したと伝えられている(『朝日新聞』2009年3月22日)。「専守防衛」の日本は当然ながら空母を持たないが、戦闘機を大量に搭載できる空母を持つということは、本格的なパワー・プロジェクション(戦力投入)能力をもつということであり、端的に言えば、戦争を「仕掛ける」能力を高めるということを意味している。

 そうした動きも含めて、「公表額でも英国を抜き、米国に次ぐ世界2位になる可能性がある」(『日本経済新聞』2009年3月4日)、中国の急速な軍拡は日本を初めとする周辺諸国の警戒感を招き、「中国脅威論」の一つの根拠となっているが、こうした疑問に答える企画として、先週、大阪のアメリカ総領事館で開催された東アジア安全保障フォーラム、「中国の外交・安全保障政策:東アジア・太平洋地域の影響を探る」、に参加した。スピーカーは、ハワイのシンクタンク、イーストウェストセンターでシニアフェローを務めるデニー・ロイ氏だった。ハンドアウトは一切なかったので、ロイ氏の英語での講演内容を聴きながら取ったメモを元にまとめてみると以下のようになる。

中国は依然として国家建設の途上にあり、内部に多くの不安定を抱えている。経済発展と国内の治安の維持は共産党政権が支配の正統性を維持する要であり、国内の秩序を維持するために軍事力を維持する必要もあるが、外部からは「攻撃的」なものとして見られがちである。

中国のグランドストラテジーとしては、第1に、いわゆる「平和的台頭」、つまり世界経済に積極的に関与することで中国人民の生活水準を向上させ、経済発展を目指すこと、第2に中国に対する国際的な反発や反対をできるだけ少なくすること、第3に「上海協力機構」のような中国を軸にした国際協力の枠組み作りを推進すること、第4に東アジアサミットのような、アジアにおける多国間協力のフォーラムを構築し、アジア地域における、日本やアメリカ、インドなど、中国以外の大国の影響力を相対的に低下させることが挙げられるだろう。中国にとっては、日本は国際社会においては現在のように軍事的には積極的な役割を果たさず、経済的には中国に協力し続けることが望ましい。そのために必要に応じて、過去の戦争責任や靖国参拝問題などを持ち出す「歴史カード」を使って、日本を牽制することもあろうが、1998年の江沢民訪日の時にように歴史問題を持ち出しすぎるのは、日本国民の反発を買い、逆効果であることは中国共産党の幹部は学習済みである。

中国政府は、日本を軍事的に積極的にさせないために、北朝鮮の非核化やそのためのアメリカの宥和政策を引き出すことなどは重要だと考えている。また台湾についても従来のように統一を目標とするのではなく、むしろ台湾独立を避けるという消極的な目標設定をしている。

さて結局のところ、「強い中国は脅威か?」という点については、空母建造で制海権を強めることは、アメリカが台湾有事の際に介入しにくくなる可能性があるし、現在起こっているように石油やレアメタルなど様々な資源をめぐる米中間の競争が激化することも予想できる。しかし中国がリージョナル・パワーにすぎなかった時代とは違って、グローバルな大国として成長するに従って、たとえばアフリカなどの紛争地域への武器輸出が国際社会や中国の国際的な信用に与える負の影響など、国際社会のルールを次第に学習していくはずである。

また中国国内の言論・結社の自由など、市民的自由はまだ貧しい状況にあるとはいえ、共産党が把握していない、一種の消費者団体や住民団体のような、非登録の市民団体なども増えてきており、「市民社会」の萌芽も観察できる。もちろん「反動」的な動きが起こる可能性も否定できないが、あと30~60年のうちにさらに「自由主義」化が進む可能性は十分にあるだろう。

国際秩序との関連では、中国は冷戦期から「第3世界のチャンピオン」を自任してきたこともあり、また近代以前においては、「侵略的」というよりもむしろ比較的、「寛大」な大国だった伝統もある。また今後、仮に中国の「脅威」が現実的なものとなれば、反中国連合が国際社会に形成される可能性もあるので、結果的には中国政府としてはバランスをとった外交政策をとっていかざるを得ないのではないだろうか。ただし中国国民が政府以上にナショナリスティックになる傾向も見られ、政府と国民の温度差や国民のフラストレーションをどうコントロールするのかも大きな課題となるだろう。

以上のように、アメリカの東アジア安全保障問題の専門家の分析としては、極めて穏当なもので、むしろ日本人参加者からの質問の方が、中国の軍事的野心への懸念や国内少数民族問題への非妥協的な姿勢への批判、市民的自由の制限に対する疑問などを呈するものが多かった。

しかし私自身も大学の講義で米中関係を議論する場合にいつも強調しているのだが、アメリカにとっても中国にとっても、もちろん日本にとっても経済的な利益を最優先に考えれば、台湾問題にせよ、中国国内の人権問題にせよ、チベット問題にせよ、現状を大きく変更するような事態が起こり、それに対処せざるを得なくなることが一番望ましくないという点においては共通している。従って中国が極端に冒険主義的な外交政策をとる可能性は、特に中国が世界経済で最重要のプレーヤーとなりつつある今日では、低いと考えられる。その点ではロイ氏の現実主義的な見方に共感できた。ただしアジアやグローバルな地平でアメリカと覇権を競うことになると、結局のところ、お互いを口実とした軍拡競争が始まりかねないので、日本としてはアジア地域における軍備縮小を戦略的にも訴え続ける必要があるだろうし、変に中国の軍備拡張に「理解」を示す必要はないのではないかと講演を聴きながら、考えた。


十二年前の「米国・中間選挙」と日本の新聞

2006-12-05 23:59:00 | 政治・外交
書こう、書こうと思っているうちに早いもので米国の中間選挙が終わって、一月近くが過ぎてしまった。今年11月7日の米国・連邦議会選挙は、1994年の中間選挙で40年ぶりに共和党が下院で過半数を占めて以来、12年ぶりに少数党に転落するという結果に終わり、日本でも詳しく報道されていたが、その後の続報がないので、選挙の決着はついたと思っている読者の方も多いのだろうが、CNNの選挙速報ページによると、2006年12月5日現在でも下院の五議席が僅差のため、まだ決定していない状態である。改めて少なからぬ選挙区で接戦であったことを認識させられる。

選挙の結果を踏まえて、911テロ以来、タカ派路線をひた走りに走ってきたラムズフェルド国防長官は更迭されたが、今日のニュースでは、同じくタカ派の国連大使のジョン・R・ボルトンの年末の任期切れによる辞任が固まったようである。これも民主党多数となった上院で大使続投の承認を得ることが難しいと考えられたためだろう。911以来の単独主義外交もいよいよ本格的に修正されることになるのだろうか?

今回の中間選挙に関する報道で目を引いたのは、『ニューズウィーク(日本版)』の2006年11月22日号(11頁)で、同誌の副編集長ジェームズ・ワグナー氏が書いていた「共和党敗退にびびる日本の『変化恐怖症』」という文章だった。ワグナー氏は、中間選挙に敗北したアメリカ保守派が希望を見出そうとしているのとは、奇妙に対照的に日本のメディアは「意気消沈」し、ある識者は貿易政策を、ある者は北朝鮮政策を、ある人はヒラリー・クリントン大統領登場の可能性に懸念を示している、と指摘している。その要因として、「クリントン大統領時代、アメリカは日本と対立するか、無視するかどちらかだったから」、日本の評論家には民主党嫌いが少なくないためだとしている。

確かに2004年の大統領選挙の折も、日本の経済界はブッシュ続投を望んでおり、民主党のケリーが政権を取れば、クリントン時代のような強硬な対日貿易政策をとるに違いない、といった論調が多く見られた。ワグナー氏が日本のメディアが「変化恐怖症」だと嘆くのも無理はない。では12年前に、共和党が中間選挙で40年ぶりに下院で過半数を制した時に日本の新聞はどう伝えたのだろうか?

まずどちらかといえば民主党寄りだと考えられる、『朝日新聞』だが、1994年11月10日の「米中間選挙が物語ったもの」という社説では、「政権が交代するわけではないから、米国の対日政策がにわかに変化するとは考えられない。二年後の大統領選挙をにらんで、通商政策でも国民にわかりやすい結果を求める基調は続くのではないか。政権基盤が弱まっただけ、相手に譲歩を求めようとする姿勢はむしろ強まる可能性があると見ておいた方がいい」として、共和党が多数になったからといってクリントン政権の対日姿勢に大きな変化はないだろうと慎重な見方を示していた。

他方、どちらかといえば共和党に好意的と考えられる『読売新聞』の1994年11月10日の国際面では、「米中産階級、保守を選択」、「犯罪や移民増恐れる」といった見出しが躍っているのが、「アメリカ再生に失望」、「内政『変革』に議会の壁」、「インスタント政治台頭」といったアメリカの政治システムそのものに否定的な見出しを掲げている『朝日』と対照的である。

しかしこの『読売』も「クリントン氏は浮上できるか」という社説では、「クリントン政権が経済問題などで対日圧力をかけたり、国際社会でより多くの責任分担を日本に求めてくる可能性もある。政治基盤の弱い政権は対外的に強い姿勢に出る傾向があるが、一方的威圧的な外交は望ましくない」と述べ、『朝日』同様に中間選挙での与野党の議席逆転にも関わらず対日強硬路線は変わらないだろうという悲観的な見方を示している。

最後に経済界を代弁する『日本経済新聞』だが、同じく1994年11月10日の総合・政治面(2、3面)では、「対日圧力強化を懸念」、「強硬派が議会主導、共和党も『日本の責任』を問う」といった見出しを掲げ、「共和党が通商政策で民主党を上回る強硬策を主張する公算は小さいが、日本が期待するような歯止め役は期待できそうもない。日本の常任理事国入りに関しても、共和党の方が日本に対して常任理事国に見合った国際貢献や責任を民主党より厳しく求めるのは確実で、日本の姿勢があいまいなままだと日米関係を揺さぶる公算もある」と一歩突っ込んだ分析をしている。大きな変化がないとする点では、『朝日』、『読売』と同様だが、共和党の方が民主党よりは貿易政策では強硬でない代わりに、安全保障面でのより踏み込んだ協力を求めるだろうという分析は、まさにブッシュ-小泉外交時代に当てはまるもので、その意味では先見の明があったといえる。

同日の「大敗した米政権とどう付き合うか」という『日経』の社説では、(日本の自社さ連立政権と中間選挙に敗れたクリントン政権という)「二つの不安定な政権によって運営される日米関係の前途には必ずしも楽観的になれない要素がある。それは双方の政権が国内事情を優先せざるを得なくなり、対立の道を余儀なくされる事態が懸念される点である」と警鐘を鳴らし、アメリカのみならず、日本の当時の連立政権(村山内閣)の問題点も指摘しているのが印象的である。

こうして見てくると、今回の中間選挙で『ニューズウィーク』のワグナー氏が指摘しているような、日本のメディアの「変化恐怖症」の傾向は、クリントン時代のように、日本にとって厳しい政策がとられていた場合でさえも、変化に対する慎重な見方を示している点では共通していたことがわかる。改めて三紙の紙面を比べて思ったのは、『朝日』と『読売』が同じ選挙結果を扱っているにも関わらず、、それぞれの日頃の論調を反映して、「だからアメリカの政治は悪い」、「だからリベラルはダメだ、保守が正しい」という声が聞こえてきそうな、まったく違う方向へと導く見出しをつけている中で、経済紙の『日経』が一番、冷静に政治分析し、かつ日本の政治過程の問題点にも目を配っているのが印象的だった。結果的にその後のアメリカ議会や政治の流れを予見していたのは『日経』の分析の方である。

新聞は読者あっての存在なので、それぞれの読者層の関心や感覚に近い見出しや分析を示すのかもしれないが、新聞を二紙以上、購読する余裕がない場合でも、インターネットで簡単に内外の新聞を同時に比較できるようになったことは、一つの新聞に「ミスリード」される可能性が低くなった点でよかったと改めて痛感させられた。

(写真は今年4月に撮影した米国連邦議会議事堂)

声高な黙殺

2006-10-16 23:50:17 | 政治・外交
小学生時代、国語の時間には毎週のように作文を書かされていた。上手な作文は印刷されて、生徒全員に配られたが、私の文章が載ることはなかった。毎回のように載っていた同級生の女の子の作文を読んでいると、与えられるのはいつも違ったテーマなのに、コンスタントに同じように感動して、しかもそれをうまく言葉に表現にできるものだと感心していた。

ただ一度だけ私の作文が載ったことがあった。それは沖縄戦を背景にした灰谷健次郎の『太陽の子』の芝居を見た後の感想文だった。以前、沖縄に旅行したこともあり、素直にその反戦小説に感動して、気持ちを綴ったのが評価されたようだった。小学校時代に載ったのは確かその一回きりだったと思う。心から怒ったり泣いたり、感動しないと真に迫った文章は書けなかった。作文書きとしては不器用だったのだ。その時だけまともな?作文になったのは、素朴ながらそれだけ反戦の気持ちや世の中から戦争をなくしたいという思いが強かったからなのだろう。

政治や国際関係に中学生の頃から関心をもっていたのも、やはり戦争のない世の中を願う気持ちが強かったからだと思う。しかし、いつの間にか時は流れて、2003年のイラク戦争の最中に、アメリカ外交について講義で、私が学生の質問に答えて、主に説明していたのは、「なぜアメリカはイラク戦争を強行したのか」、「その政治的な理由や意味はどこにあるのか」、そんなことばかりだった。

国際法的にも暴挙に見えるイラク戦争に対して、学生たちは「何故だ」という思いが強く、毎回熱心に質問してくれたし、私も自分で調べたり、考えられる範囲で努力して、アメリカの立場や国際政治的な背景を説明していた。その一方で、イラクの戦場で現に何人もの人々が死んでいるのに、教室でもっともらしくアメリカの政治的立場や国際情勢を冷静に解説しているのは不道徳ではないか、という思いに苛まれた。『太陽の子』に素直に感動して、戦争をなくしたいと思って、政治を勉強した自分が、政治学をアメリカで学んだ結果として、いつの間にかアメリカ政府の論理を代弁しているのに過ぎないのではないか、そうならないつもりでも結局、やっているのではないか。そう思って自己嫌悪に陥った。

その頃、もともとアメリカやブッシュ政権に批判的な論者たちは、勢いづいて、メディアや教室、学会などの場で、アメリカ帝国論やイラク戦争批判を展開していた。背景や事実関係を詳しく調べることもなく、堂々と語る、彼らの歯切れのよさに比べたら、自分はいかにも歯切れが悪かったような気がしていた。イラク戦争は正当化できない戦争であり、それを批判するのは当然である。しかし、ただ批判するだけでなく、背景を知りたがっている学生たちに説明をするのはアメリカ政治研究者のはしくれとしての責務だと思っていたが、人間としての責務を果たしていたのか、いまだに反省している面もなくはない。

10月9日、まさに日中、日韓首脳会談と韓国・潘基文外相の国連事務総長選出内定にぶつけるようなタイミングで、北朝鮮が核実験の実施を世界に発表した。北朝鮮のミサイル発射時にはごたついた国連安保理も、今回はすばやいタイミングで14日には、対北朝鮮制裁決議をまとめた。日頃は北朝鮮問題に発言が慎重なメディアやニュース・キャスターも今回の核実験に関してはおおむね厳しい論調であるようだ。

しかしそうでもないところもある。それが大学である。安倍首相が就任したとき、まだ何もやっていなかった段階で、就任反対のデモ行進が学内であった。英語の授業に向かう廊下の壁を埋め尽くした様々な団体のビラの数々は安倍首相やアメリカのイラク政策などを激しく批判したものばかりだが、北朝鮮の核実験やミサイル発射に抗議したものは一枚もない。署名活動や政治的なアピールが好きな組合も今回の核実験にはノー・リアクションである。いったい彼らにとっての「平和」とは、「軍縮」とは、「反戦」とは何なのであろうか?北朝鮮の核実験を批判することは、自分たちが日頃、主たる批判の対象としているアメリカを利する「利敵行為」になるから、沈黙するしかないのだろうか?これでは唯一の被爆国でありながら、「社会主義国の核は『きれいな』核」といって、1965年に原水爆禁止運動の分裂を招いた愚を相変わらず繰り返しているようなものではないか。平和・反戦運動も所詮、党派的な運動に過ぎないのだろうか。改めてそんなことを考えさせられた。

アメリカのイラク戦争に授業や組合活動で猛反対する人が北朝鮮の核実験には沈黙する。その程度の「反戦」だったらいっそ発言しない方がいいのではないだろうか?以前、定年退官した同僚の一人が学生運動さかんなりし時代を振り返って、「いやあ反戦、反安保の運動を支持していたけど、運動をやっている人たちの行動や考え方についていけなくて、なかなか入ってゆけず、でも黙認もできなくて、私は詩を書いているくらいしかできなかったんですよ。情けないです」と語っていたが、「アメリカ大使館に石を投げた」とか「大学解体と革命を夢見て戦った」と「武勇伝」を語りながら、なぜか解体したはずの大学に残っている人たちよりもよっぽど正直で誠実に見えた。

「イラク戦争もダメだが、北朝鮮の核実験もダメだ!」。おそらく一般の人たちの感覚はそうなのだろうが、中途半端に政治的な学者や教師はなぜそう言えないのだろうか?

テロリストの肖像

2006-06-11 00:04:49 | 政治・外交
911テロが起こってから、早いもので4年と9ヶ月が過ぎた。この数年間、大学で教えていて、911テロに衝撃を受けて、私たちの学部に入ったという学生に何人もあったが、今年入学した学生の場合なら高校生ではなく、中学2年生の頃の出来事になるのだろうか。もうだいぶ昔の話という感覚かもしれない。

911テロに起こったときの日本での反応は今でも忘れられない。CNNのサイトなどは重たくてなかなか繋がらなかった。社民党の一年生議員がホームページに「ざまーみろと思っている国もあるのでは」と書いて、物議をかもした。小林よしのりと西部邁の対談で、小林は「こういう手があったのかと興奮した」と書いていた。日本人の多くが大きな戦争につながることを恐れていた反面、日頃、威張っているアメリカが「奇襲」攻撃にあったことに内心、喝采をあげているかのような報道が多いのを浅ましく思ったのをよく覚えている。

ブッシュ大統領は、「これは戦争だ」とすかさず宣言し、アフガニスタンを空爆し、やがて2003年には国際世論に反して、イラク戦争を断行した。以来、イラクでなくなった市民はIraq Body CountというHPによれば約4万人、米軍兵士も2400人が死亡した。911テロの犠牲者は約3000人、あまりに多くの人が犠牲になった。

その間、イラクで選挙が行われ、新政府が発足し、国際社会の関心は、イランの核疑惑に向けられるようになった。以前、日本のあるニュースキャスターは、テロ後のワシントンDCは米軍兵士が闊歩し、戦時下のようだと伝えていたが、今年4月に訪れた時はちょうど桜祭りの時期で、全米の老若男女が集まり、「テロ」との戦いにある雰囲気を一切感じさせなかった。しかし同じ時間にイラクでは未だに戦闘が続き、米軍や自衛隊の駐留していたのはいうまでもない。またちょうどその頃、911でハイジャックされた4機のうち、ワシントンDCに向かいながら、ペンシルヴェニア州に墜落した一機の機内のドラマを描いた映画「ユナイテッド93」の予告編をテレビで流すのは良識に反するのではないかと波紋を呼んでいた。映画化自体が国民感情としてまだ早すぎたのかもしれない。

普段、海外での災害や事故では、日本のマスコミは日本人犠牲者のプロフィールや家族の話を悲劇的に報道することが多いのだが、同時多発テロ事件の折には、日本人犠牲者がいたのにもかかわらず、事件直後の新聞ではむしろ911実行犯の内面をある種、共感的にルポしている記事があって、驚かされた。後に単行本化された、朝日新聞の連載記事『アタを追う』もその一つである。

その取材グループの一人の国末憲人氏が新潮新書から『自爆テロリストの正体』という本を昨年12月出版した。911テロからもイラク戦争からも少し時間をおいて、冷静に検討しているためか、「貧困にあえぐ敬虔なイスラム教徒のアラブの若者」というテロリストのイメージを壊すような群像が淡々とルポされている。

終章のタイトルが強烈で、「劣等感がテロリストを作る」としている。アラブの中流階級の子弟が、期待されて大学に進学したり、留学するものの、やがて学業や就職、生活に挫折し、イスラムの教義をごたまぜにブレンドしたテロ組織のリーダーたちにいいように操られて、ついには自爆テロを起こしてしまう。そんな姿が浮かんでくる。著者の国末氏は「こう見ていくと『国際テロリスト』なんてものではない、チンケな若者たちの姿が見えてくる。これがアルカイダの実態だ」(195頁)と喝破する。『テロリストの軌跡-モハメド・アタを追う』(草思社)同様、読後感は、イスラム原理主義のテロリストたちも日本のオウム真理教の若者たちに似通っているなという印象を受ける。著者たちがそう理解しているからかもしれない。

国末氏が論じているように、アメリカが「対テロ戦争」を開始して、テロリストの論理に乗せられてしまい、かえって泥沼にはまっているのは確かである。たとえブッシュ大統領が、911を赦しても、世界でテロは減らなかったかもしれないが、アメリカに集まった同情を尊敬に変えることができたかもしれない。しかし報復戦争を始めたために、むしろオサマ・ビン・ラディンらテロリストに何らかの理解や同情を示すものが増えた。「アメリカ合衆国こそがテロリストだ」といった乱暴な議論が横行し、本気でそう答案に書く大学一年生も今でも少なくない。イスラム世界を貧困に追い込んでいるアメリカ主導のグローバル化に対抗する手段としてテロはやむを得ないだろう、などとテロがムスリムたちによる文化的な抵抗権の行使だと勝手に決め付けている論者やそれを真に受ける学生も珍しくない。それも「我々の側につくか、テロリストの側につくか」といったブッシュ的二分法に負けず劣らずな乱暴な議論であろう。ダグラス・ファラーの『テロ・マネー』が明らかにしているように、慈善団体を隠れ蓑にして、アルカイダなどのテロリスト団体が資金集めをしているというが、人を救うための寄付金を集めて、罪も無い一般市民を無差別に犠牲にしているのは正当化できないだろう。

そういう意味で、国末氏の新書は、「殉教者」として持ち上げられかねない自爆テロリストたちを冷静に見るのに役立つ本である。ただそういうテロリストたちにどこか共感しているようで、同時に揶揄しているように感じられる文体なのは、自らは「リベラル」な朝日新聞記者として取材しつつも、「保守的」な読者層も念頭に入れた新潮新書としてまとめているからなのだろうか?

社説と外交

2006-05-08 23:41:50 | 政治・外交
今年3月に卒業したゼミ生の卒論は、日米安全保障条約と集団的自衛権をめぐる論争を、朝日、毎日、読売の3大紙の社説を材料に分析したものだった。今日、政治をめぐる世論形成に対する影響力は新聞よりもテレビなどの放送メディアの方が大きいかもしれない。しかし日本の場合、NHK以外の主要テレビメディアはいずれも新聞社の系列下にあり、また週刊誌も出版社系以外のものは新聞社から出されるなど、全国新聞のメディア全体に占める存在感が英米諸国と比べても大きなものとなっている。新聞の影響力は決して過小評価できない。政治家や官僚たちも新聞にどう書かれるかを常に気にしているので、新聞記者たちが意識している以上に、政治家たちは新聞が大きな権力・影響力をもっていると考えているようだ。そうした認識のギャップについては、綿貫譲治・三宅一郎編『平等をめぐるエリートと対抗エリート』(創文社、1985)が詳しいが、問題は新聞が世論形成に影響力が強いとしても、はたして社説がどこまで影響力をもつかである。

各新聞社を代表する論説委員によって執筆される社説だが、先日、TVで放映されていた読売新聞のドン・渡邊恒夫氏のインタビューでは、「読売の社説は5-6時間議論を重ねてまとめている」と説明されていた。まさに新聞社の公式見解としてまとめられているのであり、当然、社内には様々な違った見方があることはいうまでもない。外交のように政治的評価が分かれる場合はなおさらだろう。憲法9条と集団的自衛権の矛盾や、PKO活動への自衛隊派遣からイラク復興への自衛隊派遣までの様々な事件に際して、「リベラル」な『朝日新聞』と、「保守的」な『読売新聞』が常にほぼ正反対の立場の社説を載せていたのは予想通りだったが、ゼミ生の卒論での結論で面白かったのは、どちらの新聞も自説に都合の悪い事例は黙殺していて、結局のところ、両者の社説は、相互に意識し参照し合っている割には論争としてかみ合ってなかったのではないか、という点であった。はじめに社説ありきで、それに都合のよい事例だけを挙げているのは問題ではないか、というのが彼の批判点であった。4月から某新聞社で働いている彼が文字通り自分の将来に関わる問題として取り組んだ卒論の結論が「社説よ、自分の見方を、自分たちに都合のよい事実だけで押し付けるな」ということだったのである。

この4月に出版された河辺一郎氏の『日本の外交は国民に何を隠しているのか』(集英社新書、2006)も、近年の日本政府の外交に対する姿勢を批判した本だが、紙面の多くが日本政府よりむしろ日本外交を論じるメディアの問題点の指摘に割かれている。ゼミ生の卒論同様、各紙社説の外交に関するご都合主義的な議論が俎上にあげられていた。

河辺氏の本で興味深いと思った論点をいくつか挙げると

1.日本は米国についで国連分担金負担率が2位であると喧伝され、だから常任理事国になることが当然だという議論がなされているが、米国同様に分担金を戦略的に「滞納」することで、国連での発言力を高めているという事実がほとんど知られていない。
2.反国連主義者のボルトン氏がアメリカの国連大使に指名された際に、米国上院などで問題視され、議論になったことを日本の新聞はさかんに取り上げた一方で、従来の憲法解釈や国連中心主義に対して疑義を唱えている東大教授が日本の国連次席大使に任命されたことについて、日本の新聞は何ら批判を加えていない
3.イラク戦争の際も、開発途上国にブッシュ政権政策の支持を求めるなど、日本政府は積極的に関与したにもかかわらず、日本のメディアは、戦争をしかけるアメリカ批判や型通りのアメリカ「帝国」論、石油利権論に終始し、「やむをえず」ブッシュ政権を支持した小泉内閣の責任が追求されず、小泉政権を支持している日本国民が傷つくこともなかった。
4.冷戦期には日本政府や世論は、他国の人権抑圧問題に冷淡・無関心だったのにも関わらず、北朝鮮の拉致問題発覚以降、急速に態度を硬化し、経済制裁論なども台頭するようになった。

といったところだが、この本のユニークな点は、従来の論壇の保守-リベラル、親米-反米、資本主義-資本主義批判という二元対立的な呪縛を逃れて、比較的自由な立場から日本の外交とそれを論じるメディアを批判している点である。

私自身も大学で学生を教えたり、同僚の議論を聞いていて常に感じるのは、日本の政治外交を論じる場合に、「日本は無力だ」「やむをえない」という諦めムードが蔓延しきっていることだ。結果として主権者でありながら、常に免責・免罪されているのである。

イラク戦争のような「暴挙」にアメリカが出た場合、あるいは同時多発テロが起こった場合、「アメリカやブッシュ政権が悪いから世界から憎まれているのだ」ということを威勢よく論じる人は多いし、「アメリカが世界からどう思われているかに鈍感すぎる」という人も多いのだが、「日本や日本人が世界からどう思われているかに鈍感だ」という人はほとんどいない。昨年のように中国で激しい反日デモが起こっても、その意味するところを直視することをさけ、いわゆる保守派の人々は、「あれは共産党政権に向けられた不満をそらすための愛国主義教育のせいだ」と論評し、左派またはリベラル派の人は「首相が靖国参拝をやめて、日中友好に努めれば、お互いに分かり合えるはずだ」と語る。後者は一見、理にかなっているようだが、日本人や日本企業本位の「日中友好」や経済交流ではまた「反日」運動が起こりかねない。現に経済的な相互依存が深化しているが故の反発もあるのだという点から目を逸らしている点では保守派と同罪だと思う。もっと言えば、日本に有利な状況が続く限り、「反日」感情を完全に払拭することができないという冷徹な現実を直視してないといえる。河辺氏の本もそうした日本人の外交や国際情勢における「当事者意識」の欠如を批判している点で共感できた。

河辺氏の挙げている「国連大使」人事の問題が興味深かったが、「ボルトンのような反国連主義者を国連大使に任命するとはブッシュはけしからん」とか、「ボルトン指名に対する反対運動がアメリカでさかんだ」ということを日本のメディアは比較的詳しく報道しているのだが、どちらも外国の話である。日本のメディアが批判・監視の目を向けなければならないのは、むしろ日本の「国連次席大使」の人事だが、実際に主要新聞と関係も深く、しばしば論文も寄稿する学者なので、新聞社としては批判しにくい事情もあるのかもしれない。もしそうだとすると、アメリカや外国のメディアにだけ、自分たちに対するよりも高いモラル・スタンダードを要求し、「テロ以後は愛国心一辺倒で政権批判が少ない」などと論じていながら、自国の政治や外交についてはぬるい批判しか書けないのが日本のメディアなのだろうか?それは単に日本政府や日本人学者とメディアの間のしがらみや馴れ合いの問題だけでなく、国際政治を担う一員としての意識が日本のメディアや日本人学者には未だに乏しいことが原因ではないかと思う。

アメリカの大学や大学院で、「アメリカ外交」についての授業を受講すると、外交の理論や歴史を学んだ後に、アメリカのアジア外交、ヨーロッパ外交、東南アジア外交・・・といった具合に、各地域とアメリカの関係を学ぶスタイルになっていることが多い。アメリカの国際関係論の入門コースも理論を紹介したり、南北問題や環境、テロ問題といったグローバルな課題ごとに論じる場合も多いが、上記のような「アメリカが世界とどう向き合うか」を前面に出したものが多い。しかし日本の場合、国際関係の入門書のスタイルは、主要理論や冷戦など国際政治史を概観した後で、最後の「おまけ」の章として「日本外交の展望」のようなことを取り上げている場合が多いのではないだろうか?日本外交についての概説書もいくつか出ているが、アメリカのように大胆に、この地域と日本はどう向き合うのかを論じた本は少ないというか、ほとんど出てないと思う。この点にも日本人の国際認識がよく反映されていると思う。「世界と日本」といった二分法が何の違和感なく教育現場で使われたり、「世界史」に日本史が含まれてないのが、当然になっている日本の社会科教育にも問題があるかもしれない(もし「日本史」を含まないなら、「外国史」と呼ぶのが実態にあっているかもしれない)。

つまり国際政治や世界政治は日本の「ソト」で、日本以外の大国が主に行うことと無意識に見なしており、日本はそれを「観察」したり、「支持」したり、時には会議で「発言」したりという傍観者的な立場で、「世界戦略」をどう立案するかという発想が出てこないのである。憲法9条による限界や平和外交という建前がそうした消極主義を助長してきた面も否定できないだろう。

当事者感覚が欠落しているからこそ、外国の政治や外交に時には「ないものねだり」的な批判をする一方で、自国の外交や政治には甘くなってしまうのだろう。しかし有権者として私たちがより厳しい批判の目をむけ、責任を負わなければならないのは、日本の政治であり、外交であるはずだ。こうした日本のメディアの姿勢は、外国での暴動を「対岸の火事」的視線で過大に取り上げる傾向にも感じられる。

北朝鮮拉致までは「人権」に無関心だったのに、いまさら「人権」を振りかざすな、という河辺氏の批判は、拉致問題がそれまで日本のメディアや政界においてもほとんど無視されていた事情を考えると、言いすぎだと思い、共感できなかった。また河辺氏自身が望ましいと考えている日本外交の方向性が必ずしも明らかでないとも思ったが、日本の外交がめぐる議論がどうずれているのかを認識させてくれる良書だと思う。

友人と知人と銃

2006-02-16 23:27:51 | 政治・外交
すっかり更新が滞ってしまったが、久しぶりにアメリカに調査に来てみて、少し空き時間もあるので思うことを書いてみたい。チェイニ―副大統領が狩猟中に友人を「誤射」したという衝撃的なニュースは先日、日本でも報道されていたが、アメリカに来てみるとやはり大騒ぎになっていた。同じ事件でも様々な角度から光を当てているのが興味深かった。たとえばメディア嫌いで知られるチェイニ―副大統領が初めてこの件でインタビューに登場したのが、共和党政権に好意的なFOXテレビだったことを、他のメディアが批判しており、チェイニ―大統領の就任以来のTVメディア登場回数を局ごとに比較し、FOXとそれ以外すべてが同数という数字を挙げて、いかに好みのTV局しかに出ないかを批判していた。

また第三代ジェファソン大統領下で副大統領を務めたアーロン・バー(1756-1836)が、1804年に政敵アレクサンダー・ハミルトンと決闘をして、射殺し、殺人罪に問われたにもかかわらず、一時逃亡して、結局、副大統領職を全うしたエピソードが引き合いに出されていたのも興味深かった。アメリカのニュースを見ていると時々、歴史的事件をまるで昨日のことにように引用比較しているが特徴的だ。別の角度からの報道では、今回の事件の舞台となった狩猟用の牧場が全米各地にあることを、動物愛護団体のリーダーがまるで「缶詰狩猟(canned hunting)」だと批判しているのも印象的だった。絶滅危険種の動物を狩猟用に放している牧場も少なくないらしい。

チェイニ―副大統領は、副大統領就任前に石油エネルギー関連会社のハリバートン社のCEOを務めていたため、石油利権がらみでイラク戦争を起こしたのではないかという疑惑の目を向けられ続け、そうした利権関係を批判した『ハリバートン・アジェンダ』という本もベストセラーになったくらいである。ダーティなイメージが定着している彼が今回のような事件を起こすとそれだけ批判も強いに違いない。かなり厳しい論調なのがMSNBCで、FOXテレビでの副大統領の発言の矛盾をついていたのだが、狩猟前に飲酒をしたのかしてないのか、薬物治療を受けているのに飲酒をしていいのか、といった点と並んで、キャスターが今回の被害者の弁護士ハリー・ウィッティントン氏をチェイニ―氏が「友人friend」と呼んだのか、「知人acquaintance」と呼んだのか、どちらが本当なのかに執拗に拘っていたのが印象的だった。

英語でも友達と知人の違いが大切なのを改めて実感させられたが、実際には「友人」と「知人」の境界線はかなり曖昧なものである。大学生のとき、ゼミ仲間を「彼は知人だけど友人じゃない」とハッキリ言った男が顰蹙を買っていたのを思い出すが、親しいのが「友人」で、知り合いだが特別親しくないのが「知人」ということなのだろうか。小学校では、「誰が友達か」というアンケートを担任の先生から取られて、不愉快な思いをした人も少なくないかもしれない。多感な時期には、自分が友達だと思っていても、相手がそう思ってないのというのは悲しいことであるし、それを第三者である教師に知られるのは愉快ではないだろう。ところが大学の教職課程科目で教育心理学を習ったとき、そうした「友達調査」は「ソシオグラム」の活用だとして奨励されていた。学級運営上、児童の交友関係のネットワークを把握することは、効果的で大切だというのである。しかしそうした「管理」の側からのメリットだけで語っていいのだろうかと思わずにいられなかった。

このソシオグラムには大学院でアメリカ地方政治を勉強し始めたときに再び出会った。1950年代から60年代にかけてのアメリカ政治・社会学上の主要テーマだったのは、ある地域社会の政治経済を全面的に支配しているようなエリート集団が存在するのか否かという議論だった。これは「コミュニティーパワー論争」と呼ばれたのだが、「エリートは存在する」という立場の急先鋒だった社会学者のフロイド・ハンターが使った手法の一つがこのソシオグラムであり、聞き取り調査を通じて、地域社会の政治や経済の実力者の誰と誰がつながっているのか、ネットワークを明らかにしていったのだった。

利害関係でつながったネットワークは「友達」ではなく、「知人」なのかもしれない。いずれにしてもネットワークを重視する姿勢がアメリカ発の教育学や社会学におけるソシオグラムによく現れている。また昨日、ダラス・フォートワース空港からダウンタウンに移動する際に「モーツァルト・フェスティバル」というコンサートの宣伝と並んで、「ガン・ショウ(銃の展示即売会)」開催の看板が立っているのを見つけて、ギョッとした。牧場で動物たちを狩猟のために放し飼いにしたり、街中に何気なく「銃展示ショウ」の広告が立っているようなアメリカの銃文化こそがこうした事件を引き起こす背景になっているのだと久しぶりに来て、いまさらながらしみじみ実感させられた。

小泉政治と「失われた10年」の政治課題

2005-09-17 15:10:47 | 政治・外交
9月11日の総選挙から一週間が過ぎた。参議院での否決で衆議院を解散するという異例の事態で始まった選挙戦自体が近年になく、高い関心を集めたが、結果は予想をはるかに上回る自民党圧勝に終わった。メディアの興奮も冷めやらぬままで、郵政民営化法案に反対した参議院議員も「民意を踏まえる」と称して賛成の意を示し、また大幅に議席を減らした民主党の次期代表もようやく今日、2票差という僅差で、前原誠司議員に決まったところである。

小泉純一郎という存在を知ったのは1988年の竹下内閣に厚生大臣として入閣した時だったと記憶しているが、その後、彼は自社さ連立の村山政権時の95年9月に行なわれた自民党総裁選で、橋本龍太郎が規定路線になっているにもかかわらず、あえて立候補し、橋本の304票に対して、87票を得て注目された。当時から一貫して郵政民営化論者として知られており、また1997年には議員勤続25周年表彰を辞退したり、また電車で国会に通勤していた時期があることが伝えられるなど、永田町の常識では「変人」だが、世間や新しい時代の感性に近いことを既にアピールしていた政治家だった。1998年の自民党総裁でも最大派閥の田中~竹下派直系の小渕恵三に挑戦し、再び敗れたが、森首相退陣表明後に行なわれた2001年の総裁選で、3度目の挑戦にして、本命の橋本を破り、総裁となり、小泉ブームを引き起こしたことは記憶に新しい。今回の総選挙は、第一次小泉政権成立直後に行なわれた参議院選挙での自民党圧勝を上回るもので、電撃的な訪朝と歴史的な日朝首脳会談などで一時は盛り返したが、すっかり低迷していた小泉人気に再び火をつける結果となった。

よく指摘されることだが、小泉首相の政治手法の特徴は自分に反対する勢力を「抵抗勢力」、「既得権者」と位置づけ、自らの改革者イメージを演出するのに長けていることである。ワンフレーズ・ポリティックスと呼ばれる短い標語だけで語るやり方やテレビ映りを意識したパフォーマンスがそれを助けている。政治家も芸能人も同じレベルで語るのが好きな日本の政治報道において、特にわかりやすい映像を求めるテレビにとって、小泉首相ほど次から次へと「絵」になる話題を提供してくれる有難い存在はいないだろう。郵政反対派に対抗する「刺客」候補の擁立、郵政公務員を「既得権者」と名指しし、国民に直接問いたいと呼びかける自民党のCMなど、政権担当者としての権力と、権力の座にありながら既存の秩序を破壊しているかに演出するテクニックを併せ持っているのだから、予想外の解散で慌ててマニフェストを持ち出して、愚直に政策論争を行なおうとした地味な岡田民主党に勝ち目がないのは明白だった。

しかも民主党の支持基盤である労働組合が、まさに「既得権」の象徴としてターゲットにされており、昨年から大阪市など自治体での問題点も世間の注目を集めていたところであった。本来は既存の利害を打破し、新しい世の中を作るのを目指すはずの「革新」政党が、護憲や生活防衛として既得権の維持を訴えるという意味で「保守的」になっているのに対して、グローバル化やそれに伴う新自由主義的な競争に対応しようとする小泉自民党が、郵政民営化や規制緩和、公務員改革などの既存のシステムの抜本的な「革新」を標榜するという図式である。こうした相違は単に政策上の差だけでなく、「新旧」や「世代交代」についての野党の感覚の鈍さにも現れており、例えば自民党執行部が中曽根・宮沢・橋本といった首相経験者の高齢大物議員を引退させ、立候補させなかったのに対して、社民党が土井たか子を立候補させ、落選させていることや小泉首相が8年も前に辞退した議員勤続表彰を民主党議員がいまだに受け続けていること、自民党の世襲体質を批判しながらも民主党は菅前代表の長男など今回の総選挙でも35人もの「世襲」候補を擁立したこと等にもよく現れている。有権者はそうした野党の「鈍さ」「古さ」を敏感に感じ取っているに違いない。

55年体制下では汚職などの政治腐敗の問題に対して、「何でもあり」の自民党支持者よりも野党支持者の方がよい意味で「潔癖」だったはずだが、「批判勢力」として期待する、そうした有権者の信頼を当の野党がこの10年間、裏切り続け、秘書給与詐取、学歴詐称、年金未納問題など相次いで発覚したスキャンダルで政治不信を深めた罪は大きいだろう。「護憲」を標榜する社民党が執行猶予中の候補を公認するようでは、本当に「法の精神」があるのだろうかと疑わざるを得なかった。野党が与党に選挙で勝つためには、野党政治家に与党政治家以上のモラル・スタンダードが求められるのであり、与党政治家と同じように腐敗しておこぼれにあずかっていたのでは、いつまでたっても万年野党の地位から脱することはできないだろう。それに対して女性スキャンダルや金権スキャンダルで足元をすくわれなかったのが小泉首相の強みだった。

大衆政治家としての小泉首相のもう一つの武器は、芸能人のようにテレジェニックさ(テレビ写りのいいこと)を十分意識し、それを臆面もなく発揮し、右に掲げた写真集を出したり、自分の写真を全面に押し出した自民党ポスターを作ったりしていることである。イギリスのブレア首相もアメリカのクリントン元大統領もそうだが、メディア時代のマスデモクラシーにおいて政治的リーダーのルックスの問題は演説力と同等かそれ以上の重みをもつものである。この点でも野党に小泉首相に対抗しうる人材がいなかった。

小泉政権が推進している「小さい政府」路線は戦後日本には少なくとも中曽根政権までは存在しなかった選択肢で、自民党も社会党も共産党も公明党もみな「大きな政府」志向で、中央から地方へ、高所得者から低所得者へ、工業セクターから農業セクターへの再配分を政府の力で積極的に行なう路線だった。日本の政党はアメリカで言えば、みな「民主党」型の社会民主主義政党で、共和党タイプの政党が日本にはないと言われ続けてきた。今回の選挙報道では「小さい政府」という言葉がすっかり定着した観があった。こうした変化は小泉政権の成果というよりもバブル崩壊後のいわゆる「失われた10年」と呼ばれる90年代から現在までにかけて、深刻化する財政赤字とそれに対する国民の認識の深まりや少子高齢化による将来に対する不安から来ているものなのだろう。

小さい政府路線による財政の健全化、地方分権、規制緩和、郵政民営化、国連安保理常任国入りの追求、対中円借款の見直し、自衛隊の海外派遣、憲法改正論議など小泉政権が推進してきた政策もまた小泉が常に対抗してきた田中~橋本派の各政権でもこの10年間少しずつ進められてきたものである。郵政民営化が最後のタブーで特に田中~橋本派の抵抗の強いものであったとは言え、衆議院では可決できるだけの同意を得るところまで来ていたのである。かつては「聖域」であったコメ市場の開放も1993年の細川内閣で行なわれたように、永久に既得権が守られる領域はないので、確かに小泉首相が言うように「改革に聖域なし」なのであり、変化を求めていくのが政治本来の姿であるはずだ。

そのように考えると、自民党圧勝のインパクトや小泉首相のパフォーマンス的な部分にばかり関心が集まり、人によっては「ファシズム」だといった安易なラベルを貼って批判しているが、グローバルな政治的経済的変化に対応するために各政権が積み重ねてきたことを分かりやすく、いささか派手に非妥協的に追求しているのが小泉首相であって、それに対して国民も「感覚的」に理解し、支持を与えているのが今回の選挙結果だと言えるのではないだろうか。「小泉革命」と呼ぶのは、あきらかに言いすぎだろう。郵便局が減るのは困るが、それだけ言っていても21世紀は乗り切れないだろうという認識が国民の中にあったはずである。ただ投票率が67%と高かったのは、自民党公認候補と郵政法案反対派の非公認候補の対立など、結果がどうなるかわからない面白さにも左右されたことは否定できない。そう考えると地方の首長選挙での投票率が低いのは、共産党以外の各政党が相乗りして、事実上、選択肢のない「無風選挙」ばかりが行なわれているせいであり、地方の首長選挙でも地方をどう活性化するのかについて複数の候補が様々なアイディアを出して論争しあうような状況が生まれれば、選挙そのものも活性化するはずだ。単に有権者の無関心に原因を帰するべきではないことがよくわかる。

小選挙区制は従来の中選挙区制と違って、同一政党からの複数の候補が当選する可能性はなく、過半数を取らないと議席を得られないので、各政党から一人ずつ出た候補の間で政策を争うべきシステムであり、その意味で総裁をはじめとする自民党の方針が「郵政法案」推進だったら、反対派の候補は公認しないのが当然であり、「賛成派」の選択肢を提供するという小泉首相の主張は妥当であった。「刺客」とか「非情」という言葉は当たらないのである。しかし「国民全体」の代表であり、特定の「選挙区」や「有権者」の代弁者ではないのが建前の国会議員でも、有権者は、候補者の「人柄」と候補者の所属「政党」の両面から判断するので、いくら小選挙区制といっても公明党や共産党のような組織政党の場合は別として、自民党や民主党の場合は政党の「政策」のみならず、というよりむしろ「候補者」の顔や名前をみて投票する有権者が多いだろう。無党派有権者の場合はなおさらである。その意味で魅力的な候補者をなるべく多く擁立しなければならないのであり、そのためには政権を取る可能性が高くなければ有能な人材が集まらないだろう。政策のみで訴えようとして、魅力的な候補が十分そろっていない野党の弱みはここにある。民主党にならって候補者の公募制を今回の選挙で積極的に導入した自民党だが、民主党が政権奪取する可能性が低くなればなるほど、公募にしろ、勧誘するにしろ、有力な候補を集めることはますます難しくなるだろう。

有権者はバランス感覚を備えており、今後の自民党政権の動向や特に消費税税率やサラリーマン新税など増税問題の推移などで、次回の選挙の結果は大きく左右されることになろう。その意味で今回の自民党の圧勝を「2005年体制」の成立、「自民党の都市政党への完全脱皮」などと安易に位置づけることはできないだろうが、「政権交代」のある健全なデモクラシーを実現するためには、国民の世論とも時代の変化ともタイムラグを大きく示している野党の側の方針転換と、何よりも魅力的な政党リーダーの養成と候補者の発掘が急務だといえるだろう。

最高裁判事に見る日米の相違

2005-09-09 14:49:07 | 政治・外交
以前、アメリカ人の政治学者と話した時に面白い発見があった。日本人の私が彼の前でアメリカの地方自治について研究報告し、アメリカ人の彼が日本の地方自治について報告したのも興味深く、いろいろ刺激を受けたが、自ずと日米の政治制度の比較が話題になった。最高裁判所の政治的役割について、司法が政治的判断を積極的に行なう「司法積極主義」のアメリカの最高裁は面白い判例が多いと私が言ったのに対して、彼は流暢な日本語で、「選挙で選ばれない最高裁判事が国の方向性を決めてしまう判断をするのは危険で、その点で日本の最高裁判事の国民審査はとても民主的でよい制度だ」と褒めた。

今週末、9月11日の総選挙と同時に最高裁判事の国民審査が行なわれる。選挙管理委員会によって選挙公報とともに『最高裁判所裁判官国民審査公報』が配達され、最高裁判事の略歴と関与した主要な判例が載せられている。アメリカの連邦最高裁は、憲法判断をなるべく回避する日本の最高裁と違って「違憲」判決を多く出しているだけでなく、その場合も意見が5対4、6対3と判事の間で分かれることが珍しくない。良くも悪くも判事の政治的イデオロギー的立場がはっきり反映されるのだが、今回の『公報』で挙げられている日本の最高裁判事の主要判例はほとんどが「全員一致」の判例で、「少数意見」の判例を挙げている判事が一人もいない。言い方を変えると選挙のように「目だって」選ばれようとするものではなく、あくまでも「罷免を可とする」人にXをつけるという消極的な審査なので、なるべく目立たないように、他の判事と同じであるように、いつも多数意見を言っているように示すことが大切なのだろう。

9月4日の『朝日新聞』日曜版(be on Sunday)によると1976年以降、10回行われた国民審査のうち、最も「罷免を可とする」投票が多かったのは、1番目に名前が書かれていた判事で、10回中7回であるという。ほとんど判断材料がないので、ただ最初の名前にXをつけてしまうのだろう。

新聞社も『公報』より詳しい判断材料を提供するため、各判事にアンケートを行なっている。9月7日の『朝日新聞』朝刊第5面で各判事が①議員定数配分の格差について②表現の自由とプライバシーについて③非嫡出子の法定相続分の不平等について④政教分離について⑤株主と経営者の衝突について⑥税務訴訟について⑦司法と行政の関係についての回答を求められている。これらの論点は各判事の社会政治的争点についてのスタンスを見る上で実によく選ばれていると思うが、6人のうち、①については3人が、③については3人が、④については3人が回答を拒否している。これらは国民の意見が分かれる重要争点なので、回答拒否した判事が自分の意見を持ってないわけはないと思うが、答えることが審査のプラスにならないと考えているのだろう。全体として弁護士出身の判事の方が質問に丁寧に答えており、キャリア裁判官や行政官出身者がなるべく無味乾燥に短く答えようとしているのが印象的である。こうした実態を踏まえると、アメリカ人の日本政治研究者が感心した判事の国民審査制度が機能する前提条件が整っているとは言えないことがよくわかるだろう。

アメリカの最高裁でも今週大きな進展があった。9月3日にウィルアム・レーンキスト連邦最高裁長官(首席判事)が80歳で亡くなった。以前、ブログで取り上げたリベラル派の最高裁長官だったアール・ウォーレンの「ウォーレン・コート」の時代と違い、いわゆる「レーンキスト・コート」の時代は戦後の最高裁史上、最も保守的だと言われ、社会改革や不平等是正、環境規制などに政府が介入することをあまり支持せず、企業活動の自由や財産権の保護を優先し、連邦政府が州に介入することも認めず、州中心主義の立場をとり、憲法にプライバシーの権利など新たな権利概念を読み込まず、憲法制定者の「原意」を重視する、言い換えれば時代の変化に応じた柔軟な姿勢をとらない方針を貫いてきた。ハリケーン「カトリーナ」への対応の遅れを指摘されていたブッシュ大統領はすばやく9月5日に後任の長官に、7月に最高裁判事に指名したばかりのジョン・ロバーツ現連邦控訴裁判事を指名した。ロバーツは7月に引退を表明した中道派のサンドラ・オコーナー判事の後任として指名されていたのだが、上院での承認がこれからだったが、50歳で連邦最高裁判事として新任でありながら、いきなり長官の重責を果たすことになる。

前述したようにアメリカの最高裁の政治的役割はきわめて大きく、各判事がはっきり政治的意見を表明するため、大統領はなるべく自分のイデオロギーに近い人を最高裁判事に指名しようとするが、逆に言えば野党は大統領が指名した判事の攻撃材料を探して、上院公聴会で問題にしようとする。しかしロバーツの場合は保守派と言っても穏健な実務型で、7月に指名されてからメディアや野党の民主党が過去の裁判記録を調べたりしたが、特に攻撃すべき材料が出てこなかったのが今回、ブッシュ大統領が素早く最高裁長官に選んだ要因だと言われている。世論調査の結果を見ても、最新の9月6-7日のピュー・リサーチ・センターの調査でも、ロバーツを上院が「承認すべきだ」と言う意見は35%(「すべきでない」が19%、「わからない」が46%)、ロバーツのイデオロギーについては「関心がない」が39%、「わからない」が36%で、「保守的すぎる」は20%に過ぎない。同じ日に行なわれたゾグビー・ポールの調査では、ロバーツが最高裁長官として有資格者か、という問いに共和党支持者の76%が、民主党支持者でも39%が同意しており、まだよくわからないながら、特に反対すべき理由もないといった模様である。

最高裁判事をめぐる公聴会と言えば、1991年秋にブッシュ元大統領によって最高裁判事に指名された保守派の黒人判事クラレンス・トーマスが、オクラホマ大学ロースクール時代の部下だった黒人の女性教授アニタ・ヒルからセクシャルハラスメントで訴えられ、上院公聴会で生々しい証言をされて、僅差でかろうじて承認されたことを思い出される方もいるだろう。ブッシュ元大統領の息子である現大統領がその時の苦い経験を踏まえれば、イデオロギー的に極端な保守派を選び、野党・民主党やリベラルなメディアの激しい追及を受けるよりは、穏健派を選択したのはよく分かるところである。

ギャラップ社が9月6日に行なった調査によると、ロバーツに公聴会として最も聞いてみたい話題としては、妊娠中絶の権利について(28%)、マイノリティの権利について(6%)、経済について(6%)などという順になっている。ロバーツが長官となり、さらにオコーナーの後任が誰になるかによって、最高裁判事の保守-リベラルのバランスが変わっていくことになるだろうが、いずれにしても上に挙げたような妊娠中絶の権利を認めた1973年の「ロウ対ウェイド判決」や、マイノリティへの優遇措置アファーマティブ・アクションの合憲性をめぐって、ロバーツや新任判事がどのような判断を示すかが注目の的となっていくに違いない。

アメリカの最高裁と日本の最高裁を比べて、前者が政治的で、後者が非政治的であることについて、前者の過度の政治性を批判したり、「日本ではアメリカほど社会的、政治的に問題になる司法上の争点がないのだ」と指摘する人もいる。しかし新聞の最高裁判事へのアンケートに見るように、靖国参拝に見られるような政教分離の問題、非嫡出子の「差別」に見られるジェンダー的視点から見た民法規定の合憲性の問題、増加しつつある経済訴訟への各判事の知識とスタンスなど、実は日本においても問うべき争点が沢山あるのであり、単に最初の名前にXをしたりということではなく、選挙公報同様、こうした裁判官のアンケートなどもきちんと読んで、数少ない国民の司法へのチェックの機会と権利を無駄にしないよう努めないといけないだろう。(写真はジョン・ロバーツ判事)

『三酔人経綸問答』を再読する

2005-08-18 09:31:45 | 政治・外交

ジャン・ジャック・ルソーの『社会契約論』を『民約訳解』として翻訳し、「東洋のルソー」と称された明治時代の社会思想家でジャーナリストの中江兆民(1847~1901)の伝記『TN君の伝記』を読んだのはたしか中学1年の夏休みのことだったと思う。夏休みの読書日記のようなものをつけていて、その一冊として取り上げたように記憶している。

「よしやシビル(=市民権)は不自由でも、ポリティカル(=参政権)さえ自由なら」という「よしや節」を作詞し、土佐・高知の自由民権運動に深く携わっていた人物が自分の先祖だと聞かされていたので、土佐の民権思想家・兆民には自然と興味をもっていた。それに、なだいなだ氏の文章も平易で読みやすく、兆民の柔軟な思想と時として矛盾に満ちた人生も興味深かったので、小学校で読まされた他の教訓めいた伝記とは違って楽しく読了したことを覚えている。

中江兆民の著作の中で今日の国家戦略を語る場合もしばしば引用される本に『三酔人経綸問答』がある。岩波文庫で平易な現代語訳が添えられて出ている小著で読まれた方も多いと思うが、大日本帝国憲法発布直前の明治20年(1887)に出版されたもので、遅れて文明国入りしたアジアの小国・日本の将来について、西欧啓蒙主義的な議論を展開する「洋学紳士」と、大陸侵略も辞さない膨張主義を主張する「豪傑君」の二名が、現実主義的自由主義者の「南海先生」宅を訪問し、ブランデーやビールを酌み交わしながら議論を交わすという設定である。西洋哲学を学んだ兆民らしく、プラトンの『国家』のような対話形式で思想を展開するスタイルとなっている。今回、実家への帰省を期に久しぶりに一読してみたが、世界情勢を考える場合に依然としてこの19世紀の本が示唆する所が多いように感じた。

例えば国内における民主制の確立、軍縮・平和主義を主張する「洋学紳士」は、世界の国々が民主制を採用することにより戦争が起こらない状態を作るという、今で言う「デモクラティック・ピース(民主的平和)」論を信奉しているのだが、「豪傑君」がもし非武装につけ込んで、凶暴な国がわが国に侵攻したらどうするのかと問うたのに対して、「洋学紳士」はまずは説得して、それがダメなら「弾に当たって死ぬだけのこと。別に妙策があるわけではありません」(岩波文庫版、現代語訳、60頁)と答えている。戦後日本の非武装中立論に近い洋学紳士であるが、攻撃された場合に玉砕するとはっきり言っていた革新系の論者はほとんどいなかっただろう。その意味でこの絶対平和主義の主張は潔く、むしろインドのマハトマ・ガンジーのラジカルな「無抵抗・非暴力不服従主義」に近いかもしれない。

これに対して富国強兵主義の「豪傑君」が失笑しているのは言うまでもないが、彼もただの軍事優先主義ではなく、内政において守旧派と改革派の対立が不可避である現実を踏まえながら、、対外戦争によって国論をまとめ発展させ、守旧派の一掃をはかろうとしている点で近代史の前例を踏まえた現実主義的な主張を行なっている。

洋学紳士と豪傑君のアイディアリズムとリアリズムを折衷しているのが、南海先生で、彼はプロシアとフランスの軍拡競争により、かえって両者が武力行使に踏み切れなくなっているという、今日の「抑止論」に近い見方を示した上で、「もし軍事侵攻されたらどうするのか」という二人からの問いに対して、国民全員が兵士になり、ゲリラ的に抵抗すべきだと主張している。ベトナム戦争時のアメリカ軍に対するベトコンの抵抗を想起すると、この南海先生のゲリラ戦論は説得力を帯びて聞こえてくる。

もっとも洋学紳士も理想論一辺倒ではなく、そもそも戦争が起こるのは、君主が自己の領土にこだわるからであり、いつの時代でもどこの国でもいざ戦場となれば被害を蒙るのは民衆なので、民衆は領土や国境線には拘らず、総じて戦争に反対するはずであり、君主制を廃止すれば、戦争が起こる可能性は著しく減少するはずだと主張している。ナショナリズムの衝突が戦争の原因となり得ることや、主権概念や民族自決論に固執することが紛争対立の可能性を高めること、内政と外交の連関などに鋭い見方を示していると言えるだろう。また国際法が結局のところ、限定的な拘束力しか持たない「道徳」の域を超えないといったリアリズム的な見方も示している点も印象的である。

南海先生の議論で興味深いのは、彼が洋学紳士の「民主的平和論」を批判し、

「政治の本質とはなにか。国民の意向にしたがい、国民の知的水準にちょうど見あいつつ、平穏な楽しみを維持させ、福祉の利益を得させることです。もし国民の意向になかなかしたがわず、その知的水準に見合わない制度を採用するならば、平穏な楽しみ、福祉の利益をどうして獲得することができましょう、かりに今日、トルコ、ペルシアなどの国で民主制度をうち建てたとすれば、大衆はびっくり仰天して、騒動し、挙句の果ては動乱をかきたて、国じゅう流血騒ぎになる。たちまちそうなるに決まっています」(現代語訳、97-98頁)

と述べている点である。当時のペルシアはまさに今日のイラクだが、民主的平和論を盾にした、アメリカの「中東民主化」論を批判し、イラクでの選挙や民主政体の樹立の可能性を否定的に捉える今日の論者たちの主張になんと似通っていることだろうか。


豪傑君が上海に行き、洋学紳士がアメリカに渡り、南海先生は相変わらず酒ばかり飲んでいると言う結末は象徴的だが、日中戦争に至る道のりは豪傑君の、戦後民主主義の成立は洋学紳士の主張をなぞったかに見える。しかし戦後の日本政治に欠けていたのは、政治と軍事をバランスよく、リアルに捉えた南海先生の視点なのかもしれない。120年前の本だが、今読んでも示唆の多い大変興味深い小論であるが、同時に政治外交論があまり進歩せず、今日でも同じような議論反論を繰り返し、また戦争が依然として世界ではやまない不毛を改めて実感させられた。