紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

日常への復帰

2005-07-15 16:55:38 | 世間・人間模様・心理
日常とは多くの人にとって単調で退屈なものであるか、慌しくて考える余裕もないものかもしれない。時々嬉しいことがあったり、辛いことがあったりしながら毎日忙しく過ぎていく。しかしそんな日常の重みを感じさせるのが非日常的な悲劇的な事件である。7月7日にロンドンで起こった同時多発テロ事件はまさにその例だが、海外紙の社説でこの事件をどう捉えているのか、ネット上でいくつか読んでみたが、ひときわ目を引いたのは、『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙の7月11日の社説だった。「テロの合理的根拠(The rationale of terror)」と題するこの社説では次のように書かれている。

「本当に恐ろしい狂気はテロリストの狂気ではなく、我々自身の狂気である。(中略)地下鉄やロンドンの静かな広場を鳴り響いた爆音は、いかに正常という構造が頼りにならないか、言い換えれば私たち自身がいかに頼りにならないかを示した。私たちを恐怖のどん底に落とす目的は、私たちの感情を解き放ち、私たち自身やお互いに対して理性的に行動する能力をそこなうことなのである。しかし同時にテロ事件の後にいつも驚かされるのは日常生活というものがなんとも早く復帰することである。翌朝までにロンドンの鉄道の多くは運転再開し、人々はいつもの金曜日を取り戻している。これは単に時間とともに傷を癒す習慣のなせるわざであるだとか、リスクに対する認識の低さの結果であるとかつい考えてしまいがちだが、同時に人間文明という薄板が浅薄でないことを示しているのだろう」

声高に「テロに屈するな」と訴えたり、事実関係が不明である段階ですかさずイラク戦争やブッシュ政権との関連と結びつけて政策や政府の姿勢を批判する社説が多い中で、このトリビューン紙の社説はある種の格調をたたえながら、日常生活を取り戻す人間の理性の力の可能性を静かに訴えている。幸いにして身近であまり悲劇的な経験をせず、平凡な生活を送ってきた私だが、それでも仕事をしたくなくなるほど落ち込むようなことは時々ある。しかしそんな時こそ仕事や日常の雑事があることは有り難く感じられる。日常生活という一見もろい構造の重みを改めて感じさせたのが今回のテロ事件とそれについての社説だった。


最新の画像もっと見る