言の葉綴り

私なりの心に残る言の葉を綴ります。

敗戦古稀 其二

2017-08-19 11:32:33 | 言の葉綴り
言の葉44 敗戦古稀 其二


抜粋
書だ! 石川九楊展 画集より
敗戦古稀 其二



昭和二十年、敗戦の年に私は生まれた。二人の兄は東京生まれ、私も九ヶ月間は母の胎内で戦時の東京日本橋界隈を右往左往していた。父は戦地にあり、母は臨月で空襲を逃れて、故郷福井県武生市(現越前市)に戻って私を生んだ。私には、空襲で焼かれる町と、逃げ惑う人々の記憶がたしかにある。あとから刷りこまれたものというのが、無理のない解釈だろうが、私には胎児期の記憶のように思われる。
敗戦から七十年、今は古稀を迎える。そんなときに、なんとも大仰で物騒なことばが、ラジオやテレビから流れ、新聞雑誌に見かけるようになった。曰く「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される」——たしかに、七十年前無条件降伏するまでの戦時には、ささやかでつつましい日常生活すらなかった。それどころか、政府とマスコミと教育機関から流される「特攻」「一億玉砕」「本土決戦」「日本国万歳」「天皇陛下万歳」などのスローガンの下、国民の生命は虫けらのように踏みつぶされていた。殺し、殺され、町は焼野ヶ原となった。
国民の自由な生活はもとよりへ生命や財産が武力の行使によってやすやすと失われることを、日本人は身にしみ、七十年前に、再びこのような愚行は繰り返すまいと誓い新しい憲法をつくった。そう、再び戦争はしないと。
曰く「わが国の存立が脅かされる」——
これは変な日本語だ。第一、オーナーでもないのに「わが国」なんてふつうには言わない。 「日本国の存立」と言い換えても、「国の存立」とは何だろうか。ひとつ思い出すのは、先の「無条件降伏」。日本は、連合国アメリカに占領された。その後独立したとはいうものの、首都・東京は、常時横須賀と横田の米軍の監視下にあり、沖縄は二十七年間占領され、今なおその領土の一割が米軍に占領されつづけている。近頃では京都の一部が新たに占領されるありさまだ。
たしかにこのように、戦争をすれば、領土は失われ、国の存立は脅かされる。もっとも結婚や生活上の理由で国籍を移すこともある生活者には、国の存立などは大きな問題ではない。
たしかに、われらの日々のささやかな生活と生命、財産は、戦争によって根底から覆される。国の存立とやらも、危うくなろう。だから武力行使=戦争はしない、してはならないと七十年前に日本のみならず、世界の大多数の人々が身に沁みたはずだ。
ところが、平成二十七年(ニ0十五年)、七月十六日に衆議院を通過した一連の法案は、このような事態に至ったら武力行使するのだという、因果関係を逆転したおかしな論を展開している。武力行使しなければ、「国民の生命、自由及び幸福追求の権利」も「国の存立」も脅かされことはないのに。嗚呼。
おそらく誰も戦争を望んではいないだろう。にもかかわらず、21世紀の今なお人類がそれを超えられないでいるのはなぜだろうか。答えは「戦争が生活者の生命、財産、日常生活を覆す」という大前提をつい忘れてしまうからである。たとえば、「武力攻撃を受けた」という仮定。このときは反撃もやむえないと思う。これが、破滅のシナリオである。この場合でも武力行使=戦争はしないと冷静に考えることができれば、人類は戦争から足を洗える。政府は東京にミサイルが打ち込まれたらどうすると脅す。しかし、いったいどこの国が、何のために、どんな計画を持ってそんな愚かなことをするだろうか。
子供が殺されたからとて、犯人を殺す親はいない。殺せば殺人者になるからだ。「殺人は犯罪」——この制度に殺人の無限連鎖と拡大は封じこめられている。
ところが、人を殺しても罪にならないというおかしな制度がある。国の自衛権とやらである。時代遅れの国際法や国連憲章は、国家による殺人と破壊を合法無罪とする。ここに地獄のごとき様相を呈する戦争がなくならない理由がある。国といえども人を殺せば殺人、建物を破壊すれば放火、破壊犯である。たとえば、日本が武力行使したら、安倍首相が、殺人、破壊犯として裁かれる。こうすれば、戦争の時代は確実に終わる。小声で言うが、日本国憲法はこの思想に立脚する。
それでは、実際にミサイルを打ち込まれたらどうするか。どうもしない。だれも住んでいない無人の離島が奪われたらどうするか。何もしない。
米軍機や自衛隊機あるいは旅客機が墜落し、人が死に建物が焼かれたからとて報復することはない。それと同じ。戦前に日本人が生活していた北方四島も今では実質ロシア領、竹島も現在韓国が実効的に支配している。
さりとて、武力でとり戻すこともなかろう。西ノ島では日本の領土が日々広がっていることでもあるし。
三五0万人が死に国中が焼土と化したことに較べれば、憤りを胸に収めて、犯人を裁き、やがては赦すほうがいい。
「やられてもやり返さない」という「抱擁吸収」の力、つまり白旗を掲げる思想だけが、人類を戦争から解放する、敗戦古稀、夏の日の白昼夢である。

敗戦古稀 其二
2016年(94×60cm)(全)


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