ブログ 古代からの暗号

「万葉集」秋の七草に隠された日本のルーツを辿る

伏見稲荷神符14 <違い鎌>のメッセージ

2009-09-25 12:05:49 | 日本文化・文学・歴史
出雲の国譲り神話で大国主命の子として登場する建御名方富命は、諏訪神社の祭神
として祀られているが、「この神をまつるのに鎌を神幣とす」とあり、伏見稲荷神
符に描かれている<違い鎌>が秘紋とされている。<違い鎌>に隠されたメッセー
ジを探ってみたい。

まず、<違い鎌>と名付けた理由から考えたい。
本来なら旧かな表記の<違ひ鎌>であろうが、鎌を二本交差させた絵柄から見て
<違ひ鎌>では少し違和感を覚える。正しくは<交ふ(十文字または襷の形に交わ
らせる。交叉させる)鎌>つまり<交ひ鎌>であろう。
<違ふ>の場合「行き違う」のように接尾語的に用いるときには交差する意味をも
つが、「形が違う・性格が違う・番号違い」などのようにあるものとあるものが
同じではない場合に用いられる言葉である。

そこで<違ひ鎌>が謎解きのキーワードと考えた場合、掛詞を用いて何を導き出せ
るだろう。この<違ひ鎌>は諏訪神社の秘紋とされ祭神である建御名方神を指して
いるわけだが、『古事記』の葦原中国平定の物語の、建御雷神に諏訪湖まで追い詰
められた建御名方神が命乞いをし「この地を除いては、他の所にいきません」と
誓う場面から、<誓い鎌>であろうか。

また<違う>を重視すれば<違ひ釜>、<誓ひ釜>の可能性もあろう。
前回稲荷大社本の<稲荷曼荼羅>中の稲荷神の稲を担ぎ鎌を持った姿の画像を掲載
したが、同じように稲を担いだ老翁の姿が<熊野曼荼羅(岩崎小弥太本・聖護院本
・根津美術館本など)>にも描かれている。そしてこれらの曼荼羅の老翁が出雲大
社の「釜の神事」に登場する。

千家尊統著『出雲大社』によると、出雲国造の継承の儀式である<火(霊)継ぎ式
>に似た「古伝新嘗祭」が毎年行われるが、この祭りはかって陰暦十一月中の卯の
日に、出雲国造みずから熊野大社(中古以降大正三年までは、冬季の積雪、山路の
険阻などのため大庭の神魂神社(かもすじんじゃ)でおこなわれた)赴いて、その
年の新穀を神に供え相嘗(あいなめ・神と共に食べる事)し、実りの感謝とともに
国家の繁栄を祈願する祭りであり、国造が神と相嘗することによって霊威を復活さ
せるための祭りでもあるという。

そして古伝新嘗祭には出雲国造が大国主神に代わり大国主神となり、大国主神が祀
っている神々の祭りを執り行うという別の大きな意味がある。と述べている。
つまり、<出雲国造が天穂日神となり、さらには祭神・大国主神となる>ための
祭りなのだ。

この祭りの時に<亀太夫神事>と呼ぶ興味深い行事がある。
出雲大社から1メートルもある長方形の餅を二枚持っていくが、それを受取る熊野
神社側の社人(亀太夫)が餅の出来栄えについて、あれこれと口やかましく文句を
言い立て悪態をつく。これに対して大社の社人は、いちいち謹んで申し開きをする
という。

この餅を稲荷縁起の餅(国譲り前の出雲の国つ神側)と考えると、国つ神側が天つ
神(天穂日命)側に祭祀権を奪われた意趣返しをしているように思われてくる。
出雲では熊野大社が一宮で、杵築大社の上位とされている。














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