ブログ 古代からの暗号

「万葉集」秋の七草に隠された日本のルーツを辿る

謎解き・藤原定家の詠花鳥和歌 はじめに

2010-01-30 07:58:17 | 日本文化・文学・歴史
2010年の新春は孫たちの来ず「めでたさも中ぐらいなりおらが春(一茶)」の気分でし
たが、中旬には「めでたさの吹っ飛びにけりおらが春」に急降下。日航株上場廃止のニュー
ス流れ、翌日にはたった7円に下落してしまい紙くずになる前にと我が家の持ち株を手放し
ました。個人株主30数万人の怒りはいったいどこにぶつけたら良いのでしょうね。
さて、気を取り直して『古代からの暗号』のブログを再開したいと思います。

今回は「古代からの暗号」の一連の仕掛けとして、『拾遺愚草』中の「詠花鳥和歌各十二ヶ
月」と題される和歌の花と鳥の組み合わせの謎を考察します。
この「古代からの暗号」の原点は『万葉集』の山上憶良詠「秋の七草」ですが、万葉集の成
立は771年頃、次の暗号<三木三鳥>という伝承のある『古今和歌集』の成立は905年
頃、藤原定家が編纂にかかわった『新古今和歌集』の成立は1205年ですが、藤原定家の
自撰歌集である『拾遺愚草』は1216年に成立しました。山上憶良の没したのが733年
ですから憶良の思いは実に530年後にも脈々と伝えられていたと思われるのです。

私が定家の「詠花鳥和歌各十二ヶ月」を知ったきっかけは平成7年10月に東京国立博物館
で開催された「花」という特別展で展示されていた「十二ヶ月花鳥図屏風」(狩野永敬・江
戸時代)と「十二ヶ月歌意図巻」(土佐光起・江戸時代)に出会った事でした。
特に六曲一双の屏風は秋の七草を含む四季の花や木と対応するように鳥が配置された構図の
目を見張るばかりの美しい作品でした。
もう一方は6メートル余の絵巻2巻で平安貴族の邸宅の庭先に、定家の花鳥和歌の歌意に沿
った情景が描かれています。その絵柄の一部が見られる状態でガラスケースに納められてお
り、その解説をまじかに読むことができました。そしてこれらの絵は定家が後仁和寺宮の
<月なみの花鳥の絵>に書くために詠進した「詠花鳥和歌各十二ヶ月」(『拾遺愚草』中)
を各月ごとの十二図に絵画化したものであることを知りました。

当時の私は平成8年3月から『炸』という短歌誌に「古代よりの暗号・秋の七草」の連載を
始めるための準備中で、この屏風に描かれた<秋草と鳥>の組み合わせにも意味があり、
七草の暗号を解くヒントだろうとときめきました。しかし「拾遺愚草」の成立したのが平安
末期であり、万葉集の成立からは500年以上の歳月が経過しており、まったく白紙の状態
からスタートした<秋の七草・暗号説>にとっては大きなヒントになったものの、何故この
花と鳥の組み合わせが成り立ったかの説明までには至りませんでした。

しかし憶良の<秋の七草・藤袴>と古今集・三木三鳥の<稲負鳥→稲荷鳥→白鳥>の組み合
わせから<伏見稲荷神符>の謎を解明出来たこともあって、この花鳥の取り合わせには深い
意味が込められているように思いはじめました。いまだにわからない事も多いのですが、こ
のブログを読んでくださった方のさらなるヒントとなれば良いと思います。
今回の推理もお楽しみいただけたら幸いです。











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