ブログ 古代からの暗号

「万葉集」秋の七草に隠された日本のルーツを辿る

古代からの暗号 誤解していたか?出雲の国譲り

2020-03-24 09:08:11 | 日本文化・文学・歴史

昨年の今頃は桜の開花を心待ちしながら令和という新しい時代に期待を込めていましたが、今年は目には見えない新型コロナ
ウイルスに世界中が恐れおののいています。空のみか宇宙まで、南極にも北極にも、深海にも到達出来た人間ですが、今私達
人類の生死を握る鍵が微細なウイルスであるとは皮肉なことです。一人一人の気遣いでパンデミックが防げるのなら良識と忍耐
を持って行動したいものです。

今回は出雲の国譲り神話は九州に関わるかも知れないというテーマです。、
『豊前国風土記』逸文によって知られる香春の神は新羅からの渡来神で辛国息長大姫大目命。香春岳を中心に新羅系の渡来人
・秦氏集団が多く居住したことは知られています。彼らはやがて八幡神を奉じて地祇と主張する宇佐氏の祀る宇佐神宮まで勢力
下に収めてしまいます。

前回は香春の神の傘下に組み込まれそうになった杉坂村の住民について考察しましたが、彼らは古宮の神として豊比咩命を祀り
行幸には彼ら自身で神輿を誂えて香春神社へ出向、宇佐神宮への神幸祭にも参加しています。さらに古宮八幡の神幸祭には必ず
長光家(採銅所の宮柱・集団の長)で作った「おまがり様」を迎えに行き、本宮で祭典が行われ、それから杉の葉神輿へ神遷し
がなされます。

「おまがり様」とは米の粉で作られた龍頭の餅(しとぎ)ですが、この「おまがり様」とは何者であるのか、長光家の当主と古
宮八幡宮司のみが知るものであり、祭典も秘儀のため不明とのことですが、私はこれまでの謎解きの経験から杉の葉神輿を奉じ

る人々は出雲系と考えており、龍頭の餅は出雲の神在月に大社へ奉納する竜陀様そのものと思われ、出雲神族自身が竜陀族と自
称しているのでそれは祖先神を象ったものと推量しました。
九州の豊前地方に嘗ては出雲系の人々が住んでいた痕跡が残っていたのです。

『出雲国風土記』によると「出雲国は八束水臣津野命がはじめ狭布の稚国だったものを新羅の三埼や北門の佐岐の国、北門の良
波の国、高志の都都の三埼を引いて来た」とするいわゆる<国引き神話>を冒頭に記した後に、大国主命(大巳貴命・大穴持神)
を祀る出雲大社は「天の下所造らしし大穴持大神が天孫に国土を献上した後に隠棲する<日隅の宮>として諸々の神が築き給い
き」と記し、歴史学では出雲の国土を天神へ国譲りしたと考え、誰も疑いをもつことはありませんが、大国主命の治めていた天の
下の<葦原中つ国>が何処にあるのか『出雲国風土記』で明言している訳ではありません。
国名の由来については「出雲と号(なづ)くる所以(ゆゑ)は八束水豆津野命詔りたまひしく<八雲立つ>と詔りたまひき。故に
<八雲立つ出雲>と云う。」しかし、雲は空に浮かんでいるもので、霧立ち昇るとはいうが雲が立つとはいわないので私は<出雲>
という語には暗号的なメッセージが仕掛けられ、杵築大社の中に何らかのヒントが込められているのではと思いました。

そして、私が選んだ<出雲>の語源は<出づる蜘蛛>あるいは<出でし蜘蛛>。秋の七草の暗号を解くルール<同音異義熟語>と
発想は同じです。その根拠と考えたものは蜘蛛の足八本から名付けたと思われる出雲大社の正門である「八足門」や「八足机」。
八足机は伏見稲荷神符を以前にブログで取り上げましたが、その中の<身逃げ神事>で大国主が帰ってきた時にお迎えする場に
用意する机の名前です。
この蜘蛛の本拠地は何処にあるのでしょうか?
現存する『肥前国風土記』や『豊後国風土記』の中に土着のまつろわぬ者の存在として<土蜘蛛>という呼称が記さています。
土蜘蛛は穴居しているとか、手足が長いとか大和朝廷側からみて異形の相と捉えられています。土蜘蛛の存在は豊後国の日田郡、
球珠郡、直入郡、大野郡、速見郡、肥前国の佐嘉郡、小城郡、松浦郡、彼杵郡『日向国風土記』逸文にも見え九州の先住民として
広範囲に居たと思われます。

蜘蛛とは関わりませんが、杵築(出雲)大社が筑紫(九州)を意識していると思われる例を『出雲大社』(千家尊統・1999年学生社)
から拾うと

*杵築大社の本殿の神座は筑紫社に向かい配置されている。
*三摂社の序列は 一位・筑紫社 二位・御向社 三位・天前社 であり、古来社殿の基礎工事や建築の際に筑紫社は他の二社と
 異なり一段と丁重であるという。

*一般的に神社の注連縄はない方も飾り方も左方上位とし、社殿に向かって右にない始めがありますが出雲大社は全く正反対であり、
 まるで西方にある見えない社に向かって注連縄を張っているように思われます。
*当ブログで取り上げたことのある「身逃げ神事」は、稲佐の浜で<ツマ(対馬)>向きの神事を行うが、<交い矛(出雲王家末裔と
 いう富氏の証言によると王家の紋であったという)>を副葬された対馬の祖霊の元に里帰りするお盆の行事と私は考えている。
*出雲大社の10月は<神在月で>日本中の神様が出雲へ参集するとされ、出雲以外の10月は<神無月>といいますが、高良大社と諏訪
 神社(祭神・建御名方神)の神は出雲へ帰らないと高良大社に伝えられているという。

では九州の風土記で語られる<土蜘蛛>とよばれた人々はどのように語られているか?
*『風土記』においては在地の人間を<土蜘蛛>と表現し、討伐されるべき者という認識であり、殺すことが前提であるように<誅>
 という文字を使用している。
*肥前国・佐嘉郡
 「佐嘉郡の川上には荒ぶる神がおり、往来する人の半分は生かしておくが、半分は殺してしまう。県主の先祖の大荒田が占った処
  土蜘蛛に大山田女と狭山女という者がおり、この二人が荒ぶる神を鎮める方法を知っているという。『下田村の土を取って人形・
  馬形を作り、この神を祀れば必ず鎮まる』という。大荒田は土蜘蛛の言う通り神を祭ったところ神は鎮まったという。
*肥前国・松浦郡
 「土蜘蛛の大耳を捕らえて殺そうとすると、大耳等は額づいて『自分たちの罪は極刑に値すれど、もし温情を頂き生きることが出来
  れば御贄を造り御膳に貢ります』と命請いをし、許される。彼らはアワビや魚、海藻を取る漁師たちであったと思われる。」
*日向国
 「瓊瓊杵尊が日向の高千穂の二上の峰に天下りした時、天は暗く、昼夜がなく、人々は道を失い、物の色も分けがたい程国が乱れて
  いた。ここに土蜘蛛の大鉏、小鉏という二人がいて奏上することには『皇孫の尊、あなた様が自らの御手で稲千穂を抜いて籾とし
  て、四方に投げ散らしなさいましたら、必ず世の中が明るくなって治まりますでしょう』という事だったので瓊瓊杵尊が奏上され
  た通りにしたところ、たちまち天は明るくなり太陽も月も照り輝いた。」とあり、天孫降臨した瓊瓊杵尊に農耕儀礼を教えること
  によって、降臨した土地の統治の方法を教えた。土蜘蛛の名前には大鉏、小鉏という農耕具の名前となっていることから、未開の
  民ではなく、農耕や漁労の生業を持ち王または首長に統治されていたと思われます。

これまでの記紀の解釈では、出雲国で国譲りをさせたにも関わらず天孫が降臨するのは日向の襲の高千穂の峰なので、それは何故にと
疑問視されていました。「出雲」の「雲」を「蜘蛛」と考えることによって、九州において天津神集団との戦いに国津神集団は敗れ、
大国主や事代主は命を落とした後に国譲りがあり、天津神側はその代償として出雲に壮大な杵築大社(天の日隅宮・出雲大社)を造り
ひたすら霊の鎮まるようにお祀りするが、天神側には様々な祟りがあったと思われ、後には大神神社を出雲系の大田田根子に祀らせた
り、伏見稲荷神社で宇迦之御魂神(宇迦山は出雲大社の後背の山であり、宇迦山に坐す大国主神を指している。)を祀ることでひたす
ら出雲の神々を手厚く祀り続けています。

これほどまでに畏れおののいた天津神たちはその事実を伏せ口をつぐんできました。ですから天津神たちの末裔である我々現代人はそ
の事実を知りませんでした。次回は九州に大巳貴命の神裔の痕跡がないか探してみたいと思います。











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