ブログ 古代からの暗号

「万葉集」秋の七草に隠された日本のルーツを辿る

古代からの暗号 倭人を解く鍵か?鯰の伝承。

2020-08-28 06:04:50 | 日本文化・文学・歴史

出雲の国譲り神話で大国主命から「天つ神へ国を譲るべきか」可否を問われた建御名方命は、武𤭖槌命
と力比べで勝敗を決しようとするが敗れてしまい諏訪に逃れ「ここからは出ません」と誓い四隅に柱を
建てて鎮まった。と広く信じられていますが、当の諏訪大社大祝の系譜で建御名方命は九州の阿蘇神社
の祭神と兄弟とされ両者共鯰を眷属としており、今に絶えることなく鯰が祀られています。

出雲大社の背黒海蛇・春日大社の鹿・日枝神社の猿・熊野神社の八咫烏・八幡神社の鳩などはよく知ら
れていますが鯰とは珍しい。ネットで検索してみると<歴人マガジン>のホームページに「えっ、鯰の
神様?鯰をトーテムとする謎の民とは?」と題して鯰を祀る神社と鯰を祀る謎の民の情報が掲載されて
いました。
私と同様になまずを眷属とする謎の民がいたことをご存知ない方は多いと思われ、倭国を考える上で重
要な情報と思いましたので少し整理して今後の謎解きのガイドとして今回のブログで紹介させて頂きます。

A 鯰を神使とする神社
  ①淀姫(與止日女)系
    肥前国一宮 與止日女神社 佐賀県佐賀市大和町川上
    淀姫神社  佐賀県北部背振上無呂
     同      同    嘉瀬川流域に6社
    伏見神社  筑前(福岡県)那珂川流域
  ②蒲池媛系
    阿蘇の国造神社 熊本県阿蘇市一宮町手野(阿蘇神社より古く、元宮とされる)
   蒲池媛は宇土より阿蘇に入った女神で阿蘇の神々の母とよばれる。
   この女神は満珠干珠の玉で潮の干満を操る八代海の海神。①の與止日女も海神とされ、川と海の水
   を操るふたつの玉で有明海の干満を司ったとされる。満珠干珠を通して阿蘇の蒲池媛と川上の與止
   日女が重なる。肥後から筑後にかけて10社以上の神社で鯰が祀られ阿蘇と有明海沿岸の鯰の信仰は
   繋がっている。
  ③祭神を建御名方命とし鯰を眷属として祀る神社
    福岡県の宗像の南、現富津市(福間)を流れる西郷川流域にある大森宮など4社で祭祀される。

21世紀の現在に至るまで守り続けている鯰を眷属とする人々がいる事に大変驚きましたが『歴人マガジン』
では「鯰をトーテムとする謎の民の正体とは!?」とさらに謎の民の情報を掲載しており、興味深い内容
です。

 B 「鯰をトーテムとする民」の情報
  ①海外の書
    『後漢書』倭伝に「会稽の海外に東鯷人(とうていじん)あり、わかれて二十余国を為す」とあり
    注釈によると<鯷>は<なまず>の意。会稽の海外とは日本列島のことで、民俗学の谷川健一氏は
    東鯷人とは鯰をトーテムとする民のことで大鯰の伝承を持つ阿蘇の民であろうとしています。

    古く、呉人の風俗が「鯷冠鯷縫」とされ、鯷とは鯰。呉人は鯰の冠を被るとされます。
    呉は長江下流にあって、BC473年に越に滅ぼされました。呉人は海人、東シナ海から日本列島へ
    渡ります。大陸の史書に倭人は呉(句呉)の後裔であり、入墨などの習俗が同じであると書かれて
    います。鯰をトーテムとし潮の満ち引きを操る民とは、北方の漢人によって蛮とされ江南から列島
    へ渡った海民でしょうか?
  ②我が国の史書に垣間見える鯰トーテム
   イ 神武天皇の親衛隊である久米氏は神話において、祖神の天津久米命は瓊瓊杵尊の降臨を先導し、
     大久米配下は神武東征における軍事の主力でした。久米氏は隼人系の海人といわれる異能の集団。
     大久米命は鯨利目(入墨された目)であったといわれています。この久米氏の氏寺は神武天皇を
     祀る橿原神宮の門前にある久米寺。この寺にも鯰の奉額がみられます。
     そして久米の発祥のひとつとして『和名抄』に肥後の球磨、久米郷の存在があり、その人吉盆地
     は球磨の中枢、後の熊襲の地とされます。久米はクマとも発音され、歴史学者・木田貞吉氏は
    「久米は球磨にして、すなわち肥(くま)人として、久米は狗人、後の熊襲に拘わるとしています。
     又、隼人と同族とされる久米氏族の原初を、その音からインドシナ半島のクメールとする説が
     あります。クメールがあったメコン川、中下流域に生息するメコンオオナマズは世界最大の淡
     水魚。神の使いとして信仰の対象とされます。
     このクメールあたりが鯰をトーテムとする民の原初となるのでしょうか。また、沖縄の久米島
     が江南よりずっと南に位置して、呉の鯰トーテムさえ東南アジア由来ではないかとも思わせます。
   ロ 前回、阿蘇神社と鯰の関係をご教示いただいた油獏氏の 出自が阿蘇北宮祝家ということでしたが
     阿蘇の草部吉見(くさかべよしみ)命が阿蘇開拓の祖神で、後裔氏族に山部(宮川)氏族もおり
     その山部氏を『新撰姓氏録』では隼人同族の久米氏族の流れとしている。

C 鯰の民間伝説
   ①飛鳥の亀石の伝説
     昔、大和盆地が湖であった頃、川原の鯰と当麻(たいま)の蛇が争い、川原の鯰が敗れて湖水を
     当麻に取られてしまいます。そのため川原が干上がり、多くの亀が死に絶えます。
     人々は亀の霊を慰めるために亀石を祀ったとされます。
   ②武𤭖槌命を祀る常陸一宮の鹿島神宮や香取神宮において、大鯰を封じる「要石」の存在があります。
    国譲り神話で武𤭖槌命に戦いを挑んだ建御名方命の神霊をいまだに封じているのでしょうか?
    地中の大鯰が地震を引き起こすといった伝承も逆説的に解釈すれば、忌避された鯰トーテムの民の
    存在を畏れた人たちが創り出したものかも知れません。
    初期王権の成立に関わった鯰をトーテムとする民が、やがて忌避されるに至った痕跡。そこには
    国譲り神話の本質が隠されているようにもみえます。
   (あらき獏)

私は今回もインターネットの検索によって苦労することなく鯰の情報を得ることが出来ました。末尾に
(あらき獏)とサインがありましたが、前回の油獏さんと同一人物かもしれないと気が付いて確認すると
「阿蘇神話譚」のプロフィールに<araki-sennen>とサインがありビックリしました。二度に亘り貴重な
情報をつかわせていただきありがとうございました。
この幸運を生かして「古代からの暗号」とした謎解きをさらに深めることが可能ではないかと思い始め
ました。

真っ先に「ああそうか!」と気が付いた事は、国譲り神話に登場する建御名方命は九州と関わりがあり、
鯰を眷属とする民族に属していましたが、彼を祀る長崎の諏訪神社が楠(くすのき)を神木としていた事
を思い出しました。私の謎解きの発端となったのは山上憶良詠の「秋の七草」の七草が日本成立に関わる
民族または国を花の名前に託して伝えようとした暗号歌であろうと考え、それを解く鍵は同音異義語をヒ
ントに解けるように仕組まれていました。しかし<葛花>では<吉野の葛>と<吉野の国栖>という伝承
語が知られていたのでそれがヒントとなり古事記にも記されている<国栖・国巣>を導きだし、さらに
彼らは古代の有力氏族<葛城氏>であろうと結論しましたが、葛城氏成立までの姿は全く探せずにいた
ので、自分では納得できないものでした。が、<吉野の葛>の吉野が<九州の吉野>の可能性が出て来た
事から国栖の本拠地も九州の可能性がでてきました。

二つ目は鯰の漢字表記として、鯰・鯷・鮷・鮧・鰋など多数ありますが、もうひとつ中国では<鮎>は鯰
を指していたのです。日本では神魚とされる<あゆ>に<鮎>の字があてられており、これは国字として
用いられています。鯰の隠語として用いられている場合もありそうです。

日本の歴史は大和からという発想は誤った思い込みかもしれません。次回に続けます。 
     

 

 

 

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