じゃなくて1月11日は、「鏡開き」の日です。
鏡開きは、お正月に供えた鏡もちを、お雑煮やお汁粉に
して、一家の円満を願う行事です。
鏡は円満を、開くは末広がりを意味するといいます。
神様の「三種の神器」の一つである鏡。餅の形が似ている
ところから鏡餅と名付けられたようです。
お供えした鏡餅に神様が宿り、鏡餅を開くことで年神様を
お送りして、お正月も終わりです。
目には見えないけれど、そんな風習は大切にしていきたいと
和尚は思っています。
ご近所の宮司さんも今年の初詣を振り返って「町の氏神様を
みんなで守っていかなければいけないのに・・・時代も
変わったなぁ」とぼやいていました。
たくさん初参りにはくるけれど、何か本質が足りないみたい
です。
「美しい心」、「心の時代」と、叫ばれていますが、具体的な
ものが、まだ見えない状態です。経済発展で突っ走ってきた
日本・・・。多分あと10年くらいたたないと「心の時代」が
形にならないのかもしれませんね?
鏡開きは、お正月に供えた鏡もちを、お雑煮やお汁粉に
して、一家の円満を願う行事です。
鏡は円満を、開くは末広がりを意味するといいます。
神様の「三種の神器」の一つである鏡。餅の形が似ている
ところから鏡餅と名付けられたようです。
お供えした鏡餅に神様が宿り、鏡餅を開くことで年神様を
お送りして、お正月も終わりです。
目には見えないけれど、そんな風習は大切にしていきたいと
和尚は思っています。
ご近所の宮司さんも今年の初詣を振り返って「町の氏神様を
みんなで守っていかなければいけないのに・・・時代も
変わったなぁ」とぼやいていました。
たくさん初参りにはくるけれど、何か本質が足りないみたい
です。
「美しい心」、「心の時代」と、叫ばれていますが、具体的な
ものが、まだ見えない状態です。経済発展で突っ走ってきた
日本・・・。多分あと10年くらいたたないと「心の時代」が
形にならないのかもしれませんね?
行事だけをして、心が伴っていない。なんとなく、耳の痛い言葉です。
ただ、形だけであっても、お寺に足を運ぶということは大切なんだと思います。「形だけが」積み重なって、徐々に気持ちが伴ってくるだろう(伴って欲しい。)と思います。
まだまだ、心から先祖や仏さまを敬うことはできてないかもしれませんが、お墓やお寺に行く機会はなくさないでいようと思います。
うれしいですね
どんな小さなご縁であっても、神社仏閣に
足を運ばれることは、流れ流されそうな
時間をちょっと止めてみて、回りをよく
見て、選択をする大切な時間だと思います。
そこから大きなご縁が生まれてくるのだと
思います
同じ年頃の子達でも「あれ?」と思ってしまう人も多いし・・
大事な事を忘れてしまったのかな・・と、ちょっと寂しくなります。
ちなみに、七草粥は「もう少し」って味でした来年は「美味しい」を言える味にしたいです
よくしますが、その気持ちが形にならないと・・・。
逆に形があるから心が整ってくる事も多々ありますからね
プレーンのお粥、青菜の青臭さが残って、
美味しくないのかな?