中国の西安(せいあん)へ行ってきました。
西安は東西を結ぶシルクロードの玄関口でも
あり、唐の時代に「長安」という都でした。
その当時には、数々の文化や仏教の教えが栄えて
いる時代で、その国際情勢や大陸文化を学ぶために、
日本から唐へ派遣された公式な使節団が遣唐使でした。
1回数隻に分乗し600人ほどの人が、荒波の海を
渡り、その後2ヶ月近く陸路を歩いて長安に入る、
まさに命がけの旅だったのです。
その中の一人に弘法大師がいたのです。
今回の訪問ではじめて気がついたことですが、
この遣唐使という「遣」という字は「遣わす」(つかわす)
という意味があります。
そういえば昔の老僧は、「仏に遣わさせていただいている」
なんていう言い方をしていました。
非常に尊大な気持ちを持って「させていただく」という
意味ですが、今では死語になってしまいましたね。
気がつけば「派遣」なんていう合理的なビジネス用語に
なってしまっています。
しかし、弘法大師も「遣」という、そんな謙虚な気持ちで、
見るもの聞くもの、すべてが新しく刺激のある街を、真言密教の
教えを求めて歩いておられたのでしょう。
西安は東西を結ぶシルクロードの玄関口でも
あり、唐の時代に「長安」という都でした。
その当時には、数々の文化や仏教の教えが栄えて
いる時代で、その国際情勢や大陸文化を学ぶために、
日本から唐へ派遣された公式な使節団が遣唐使でした。
1回数隻に分乗し600人ほどの人が、荒波の海を
渡り、その後2ヶ月近く陸路を歩いて長安に入る、
まさに命がけの旅だったのです。
その中の一人に弘法大師がいたのです。
今回の訪問ではじめて気がついたことですが、
この遣唐使という「遣」という字は「遣わす」(つかわす)
という意味があります。
そういえば昔の老僧は、「仏に遣わさせていただいている」
なんていう言い方をしていました。
非常に尊大な気持ちを持って「させていただく」という
意味ですが、今では死語になってしまいましたね。
気がつけば「派遣」なんていう合理的なビジネス用語に
なってしまっています。
しかし、弘法大師も「遣」という、そんな謙虚な気持ちで、
見るもの聞くもの、すべてが新しく刺激のある街を、真言密教の
教えを求めて歩いておられたのでしょう。