鉄道模型工作記録帳

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祝1周年・鉄道模型工作記録帳1

2008-12-16 06:25:17 | 模型工作雑ネタ日誌

文字のみです。
ウルトラ長い、面白く無いチラシの裏の独り言が書いてあります。
飛ばしたほうがいいですw



さきほど、12月16日AM2時を持ちまして。

鉄道模型工作記録帳

1周年を迎えました!


おお、よく続いたなぁ。

ということで振り返ることなんてしてみます。
昨年12月まで、「なんちゃってモデラー」を約10年。

10年でまともに記憶にあるので制作したモデルは、リトルジャパンのクモハ40半流程度。
ほかには、GMの京成3700型くらいでした。
しかも京成はいまだに完成していません。

鉄道模型と最初に触れ合ったのは、1976年の事と記録に残っておりまして。
当時亡祖父が何を思ったか、「HOゲージ」を買ってくるという3歳児に何を贅沢な賜り物をしてきまして。

カツミのパワーパック、遠藤の金属道床レール、カツミのB20、ブリキ貨車のレム?トム?ワフ?の組み合わせでした。
ものすごい贅沢な事だと思います。
当時のものは今は何も無いのですが、B20とブリキ貨車だけは最近中古で入手しました。

初の男孫だったので、期待も大きかったのかな?

ゴメンね爺さん。
孫はとんでもない道楽男になってしまいました。

その後、近所の個人経営スーパー(まだ今のように大型流通スーパーなどありませんでした)のおもちゃ棚からプラレールを買ってもらい、

鉄道模型考古学でも謎扱いされた「バンダイミニミニレール」、また年長向けの「トミースーパーレール」などを順当に経由。
コロタン文庫でオタ醸成酵母菌を培養し、
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幼稚園年長の1979年になり、
当時の札幌三越デパート模型コーナーで「TOMIX キユ25」を親父から買ってもらってNゲージがスタートしました。
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でも、動力車を購入してもらったのは小学校1年だったかと。
前述のカツミのパワーパック、何故かここでもエンドウの金属道床Nゲージトラックからスタートしています。
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悉く、当時のものはありませんが、パワーパックを除き、全て当時のロットのモデルを買いなおしています。

初めてキットを目にしたのは、1982年です。
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松坂屋改め、ヨークマツザカヤに、グリーンマックスのキットが並んでいたんです。
旧型国電など、コロタン文庫の中の世界でしたが、立体を手に出来るとあって、ねだり込み、クモハ51のキットを買ってもらいます。



色はクリーム色一色だけ買ってもらったので、それ一色でも幸せでした。

セメダインで組み立てたクモハ51は、もちろんパンタも台車も別売りなどわかりませんでしたし、また親が理解するとも思えません。


当時持っていたキハ20の台車を嵌めて遊び始めたと思います。
クリーム色一色のプラモデルは、頭の中でスカ色に変換されて走り出したんです。

考えてみれば、小学2年生で、少なくとも箱にして、スプレー吹いているんだからませたガキです。
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さて、そこからは工作に目覚めたこむめ君。
完成品の分解に走り出します。

まぁ、
結果は
想像通り。

今は何も無いということはそういうことです。

1987年3月31日、国鉄が消えた日。
実は一緒に鉄道を遊んでいた弟を亡くしまして。
それ以前1年くらい親も入院介護で居ない生活を過ごすうち、
こむめは一旦グレます。
(以来、JRの鉄道ではなくJTのハイライトとお友達になります)

はい、
いきなり18歳まで飛びます。
東京に学生生活を過ごすこととなり、
東西線沿線西葛西のガード付近に住むことになります。

「東京ってすげー」

田舎もん。

鉄道模型をまたはじめたくなり、模型店を回るともうそれはパラダイスでして。
なんせ、憧れの「グリーンマックス田端店(なぜ田端だったのだろう?)」に行ったり、大山本店、鶴見店にコソコソ出入りします。


まだ陸の孤島だった麻布十番の麻布ホビーにも良く行き、そこで真鍮キットのワールド電気機関車シリーズに出会います。
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そこからですね。
まともな工作を始めたのは。
本をきちんと収集したり、仲間が少しづつ出来たのもその頃です。
(鉄道が話せるのは、今でも友人の、185系供出や先日の平成元年写真の友人Hm位だった)

学生時代、模型については某模型店に一時期入り浸らせていただき、カルチャーショック受けます。
まるで見た事も無いような精度、組み立て方を目の当たりにして、目から鱗、何もかもが神業に見えました。

金が無いなりにそこそこ作っても、全く技術が追いつけるわけもなく、卒業。
就職で模型など出来る状態ではなくなり、「全力疾走社会人・24時間働けますか」状態に入ります。
パソコン通信などで、通信上の友人も増えましたが、ほとんど模型制作をやる事がありませんでした。

この頃にいろいろと鉄道には関わりがあるようになりました。
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写真が始まったのはこの頃です。
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それまで写真に興味はありませんでした。

その後結婚、住宅ローン抱え、転職、子供の誕生で金が回らなくなり。
写真にだけ使う程度。
一時期ほとんどの模型を売却。

昨年に至ります。


昨年の秋、
会社のストレスもピークになり、ある意味で何かやらないとしんどい状況になりました。
常に仕事が家まで追いかけてくるような中間管理職になり、逃げる時間の必要に駆られました。

かといって、
ネットをやるのも、いい加減不健康である事はわかっており、
部屋は、実は仕事の本が一部以外、全て鉄道関係のもので埋め尽くされており、
いつでも鉄道模型制作する環境があるといえばありました。

キットだけはそれなりに在庫しており・・・

秋からうだうだと考えた挙句
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このキットから手をつけることにしたのです。

今までほとんどまともにキットを完成させた例も少ないくせに、薀蓄だけがある。
技法を口では言えるけど、手ではろくに出来ない。
そんな状態でしたから、失敗が怖かったのです。

このキットは、著名なモデラーがバックについて進行されたキットですから、組については良いと評判でした。
一方で、
著名なモデラーらしからぬデッサンの狂いも見られ、時間の関係で修正が打ち切られたのではないかなと見ました。

で、このまま組んでも、どうせ飽きて放り出す事が予想できました。

仕事を通じて、自分の癖を見つけたとすると

「目一杯見栄を張って、自分を追い込むと何とかできるときが多い」

ということ。

飽きっぽく、がさつで、面倒くさがりの神経質。
自分でやるより人のを見たりやってもらう。

そういう性格でしたし、
そういう性格にぴったりの仕事に最初から就いてしまい・・・。
ぶっちゃけ

自 分 で 手 を 動 か す 事 が 非 常 識 に なっていたんです。

あ、その逆こそ非日常かな。
非日常なら、仕事から一瞬だけ逃げられるかな?
と思ったのが思いつき。



追い込むためにブログを書きながら作ってみよう。

と、思ったわけです。

但し

切り継ぎも、配管も、もちろんやった事ありませんでした。
多彩な電車を作ったこともありませんでした。
動力ユニットなんて、両面テープで止めればいいと思っていました。
インレタなんか面倒だから殆ど貼りませんでした。
窓ガラスすら適当に入れるか、あまり入れた事すらありませんでした。
塗り分け?20歳くらい以来なら、103系のサッシくらいですよ。やった事あるの。




そう、そういう状況から始まりました。

つまり、頭ではわかっていますが、技術なし。
やった事の無い技法が頭の中でパレードしており、
偉そうな事言っても、ほとんど実績なし・・・・・から始まりました。



だからたまに 「腕があっていいですね」 とコメントいただくことがある様になりましたが。
とんでもない。

顔面から火を噴くように恥ずかしい気持ちになります。

で、今の1周年です。
思えばよく続いたものです。

ご静聴ありがとうございました。


若旦那の常磐線103系をいぢり倒す24

2008-12-16 01:06:34 | 若旦那の常磐線103系

コンピュータが不調で、思い切って再インストールしたら・・・。

メールアドレス帳とブラウザのお気に入りをすべて吹っ飛ばしたドジをしてまいました。

そこそこのヒットポイント喰らいました。

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ウィン製の未塗装中間車の車体を取り出します。

先頭車の車体が全般的に湾曲があり、湾曲の少ない中間車を先頭車とします。
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未塗装車体のディテールがはっきりしているのに対し、

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先頭車は一度IPAに漬けて塗装を剥がしたそうですが、ディテールがあちこちで甘くなっています。


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まず思い切って窓を破壊します。

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ノミなどで整形して行ったのち

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なるべく長方形に。歪まぬ様四角く開口していきます。

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1mm厚のプラ板を切り出して・・・。

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表面に尺を当ながら面一にするように嵌めていきますが、

こういう作業苦手でした。

でも、何度も何度も、今までの妥協点より何とか少し目を凝らして嵌め込みに注力してみました。

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なんとか嵌りました。

昔、牛久保孝一氏などの「一度全部プラシートで窓を埋めます」の一文が真似出来なくて真似出来なくて、自分の腕を嘆きましたが、ようは、
きちんと時間を掛けて、仕上げていないだけだったのではないか。

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縫い針で瞬間接着剤を落として行きます。
裏には割りと大目に塗布しました。

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400番から始まり、あらかた瞬間接着剤を削って、600番、1000番、1500番と仕上げて行きましたら、
雑誌で見たようなきれいな埋め跡になりました。

約40分掛けました。

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満足のいく仕上がりになりました。

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鉄コレ改造では中仕切りを入れましたが、省略して切り出してみます。
レザー層で刃をいれ

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妻板を切り出して行きます。

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断面にまた、歯を造るように細く削って行き、前面との愛を確かめながら時間を掛けて羽目合いを作って行きます。

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どうじゃ。
なかなかよく嵌りました。
ちょっと削れた部分 (右辺上部・・・瞬間接着剤で盛って整形したので半透明) を整形しましたが概ね良い出来上がりです。

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こちら側は無整形でいける状態になりました。
ワンダフルです。

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裏っ側はまだ瞬間接着剤の余波があるのできれいにしてかねば。

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こちらもまずまずですがヘッドライト部分は彫らねばならないですね。

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シャープになった気がしますよ。

考えてみれば、実物でも103系1000番台を改造したクハ105-7が横っ腹にトラックに突っ込まれて廃車になった際、
先頭部を利用して0番台中間車に接合、クハ104-551として再起した車両がありましたね。

まるでそのような改造です。
あちらはブロック接合ですが、こちらはさながら在来工法です。

雨樋を崩したくなかったので、乗務員扉も嵌め込みにします。
でも、

そんな、嵌め込みなんて、タヴァサモデラーズのやっていたような高度な改造やったことありません。

でも、やってみようと思います。

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      ↑実は本日でブログ1周年。次回は一応記念記事。