あ、マジですか。
http://railf.jp/news/2008/12/01/105100.html
によると。DD51はもう一台出荷されたらしく。
DD51-1068
1068・・・ああ。
一番多くファインダーに納まっていた機関車です。
何の変哲も無い番号ですが、ホント何回も何回もファインダーに入ってきた思い出のマシンです。
新札幌にて。
北斗星遅延ということで構えていたら、ヘッドマークの無い北斗星を牽引してきたのは1068でした。
データ化しているものは意外と少ないのですが、
苗穂駅に午前中入る工場入場列車の牽引と言えば1068によく当たりました。
はまなす牽引機が担当するので、専用とか限定は無かったはずです。
この日は、スハネ25-503と半室Uシートを一般座席に戻す改造に来た721系
キハ280の入場と、確かDD51-1141の入場を牽引。
img title="FH000004s" height="320" alt="FH000004s" src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/62/e1091b5e3131016c6d09a099d0c9354a.jpg" width="480" />
新撰組マーキングのキハ281を配置区に戻したのも1068でした。
あるときは261系を入場。
証明のないものまで含めると(1068ばっかりでファインダーを向けるのも飽きていたことがありました)
北海道最終上陸だったかの夢空間も1068牽引でしたね。
ご苦労様、あちらでも何とか行きぬいてくださいな。
ミャンマー物凄い番外編
スシ24-508の窓枠に引っ掻かれたいたずら書き。
昭和56年7月20日・・・
いなほ4号www
実は相合傘やら、「昭和●●年●月●日、明日で日●食堂辞めます」やら、色んな落書きが廊下の窓枠にありましたねww
↑1068が行くのは個人的に感傷が。
札幌市電の廃車体も大変数が減りました。
記憶の中では、
帯広動物園や札幌市豊平区西岡に鉄北線を引退した札幌市電標準型330型・210型と同型の230型があったり、
中央区円山のバス回転場には、1300mmの片扉と言う半端ない大きな扉を持つA810型、
中央区盤渓の山の中にも320型、
東区の原野にA800型、
江別市文京台には実質4年の超短命に終わった721号、
どうも新篠津村にもA800が居たようです。
で
このような写真までは間に合いました。
西区平和にあったA820型。
美しき札幌市電連接車の誉れ高かったA830型の前モデルで。
個人的にはA830よりシンメトリーなドア配置が美しいと思うモデルです。
大きな違いは、車掌台の場所変更前で、後部2扉から乗車。前に扉で降車する方式のドア配置1編成片側4扉が特徴です。
A830では、片側3扉となり、運転台右にあった扉が消失しました。
また、A830では未改札者を少なくしたことが特徴ですが、A820では未改札者と既改札者がほぼ同数の定員でした。
既にぼろぼろで、台車もありませんが広告などが残っていました。
ろくな天気にならなかった記憶が強い物件です。
大きな扉は一見、A820と同じですが、このモデルでは両開き。
A830では片引き二枚重ね合わせでした。
ですから、扉配置もあいまってデザインがこちらの方がシンメトリーなのです。
10年ほど前に解体されてしまいました。
廃車直前に見ることが出来た、元A830を目の前にした時は感動しました。
見るも無残にデザインは壊されていましたが・・・・。
まだまだ走るものと思っていただけに、解体は非常に残念です。
首だけ残っているそうですが・・・。
デザインがここまで壊されたのは悲しかったですね。
でも、良く走りきってくれました。
厚別区大谷地には集会場として、室内も機械も何もありませんが
326号が保管されています。
色はチョット変ですけど。贅沢いえません。
売ってくださいww
現役時の写真がこちら。
ピンク色のHゴムが懐かしいです。
気色悪い色ですが、1979年頃まで札幌市では多用されていました。
北区太平には
をっと・・・・
img title="市電廃車等007s" height="320" alt="市電廃車等007s" src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/4a/8d1b587683c71f50497b41a62f3ba425.jpg" width="480" />
台車は無かったと思います。
325号です。
状態は案外悪くないのです。
廃車直前の姿。
この320型をモデルに、張殻構造の手法を取り入れて、札幌市のデザイン決定版となったのが・・・
東急車輛で製造された330型です。
東急玉川線200型とも通じるデザインと言われています。
このモデル、東急で作ったのは僅か5台。
その後デッドコピーを北海道で製造しまして、210型、220型、230型、240型まで瓜二つに大量生産され、変化を与えて250型、
更にディーゼルカーD1001,D1010型、D1020型、D1030型まで製造し、なおかつそれらは電車改造されて700型、710型、
721号に派生し、更に連結車A870型まで改造されて行きました。
ザ・札幌スタンダード。
今も改造されてなお、このモデルは走り回っているのは有名です。
で、330型は車体更新されましたが、旧車体が
西区西野に保存されています。
個人図書館ですけど。
ちょっと残念色ですが。
何故か台車付きで置かれています。
その台車は・・・
実はこのオーナーさん、2台目でして。
216号をお持ちでした。
老朽化により、車体を交換され、この車体は北広島市西の里の業者で解体されました。
216は解体されましたが、
余市町に215が残っています。
最初は食堂だったのですが、今はよく解りません。
北海道人なら忌まわしい記憶の大赤字イベント「世界・食の祭典」でレストランカーに改造されたそのままの姿です。
もうかなりぼろぼろです。
ぼろぼろ、なんてったって海に近いですから。
改造当時の内装に近い現状。
ここで調理された食事を運び入れられ食したのです。
マスコンなども残っています。
このマスコン、都電8000型のものですよ。
・・・・・。
石狩市花畔には、南北線を走行した東西線試作車・試験車01も居ました。
これも現在は消滅しています。
あとは地下鉄自衛隊前の記念館に保存されているものが殆どです。
320型トップナンバー
現役時
保存時にワンマン装備が撤去されていますね。
親子電車として有名だったM101-Tc1のTc1のほう。
僅か10年で廃車となりましたが、実質7年程度しか動かなかったと言います。
現役時
相棒のM101は現役として今も高い人気を誇ります。
姿を残す、最後の軌道ディ-ゼルカーD1041
DCと言うのだから驚きです。
電車化改造を中断され、僅か新製から5年で廃車となり、1042は解体されてしまいました。
現役時
A820の流れを受ける美しいデザインです。
美しすぎて言葉が出ません。
唯一残る連接車。
A800型。
女性的でありながら不恰好なデザインが魅力です。
除雪車・プラウ式 雪11号
いかにも旧型。
ササラ式デイ-ゼル除雪車 DSB1
前後のピッチングが凄まじかったそうです。
凄い顔w
戦後、20両と言う数を誇った名車?600型。
最初は変哲も無い旧型電車でしたが、徹底的な改造を施され、一枚前面、両扉など、札幌市黄金期において最も変化した電車です。
ところがこの車両、601ではないのです。
本物の601
前面に注目。バッファーが付いている特徴車でした。
実は
614号が今の601として成りすましています。
番外・東西線初代車両6000系モックアップ。
厚別区の科学館に設置されています。
オリジナルが廃車されたので、姿を見せる唯一の車体になりました。
古い現役車両写真は所蔵のみで私の撮影したものではありません。
↑札幌市の保存車は大変少ないのです。
動力ユニットの床下機器を取り付けて行きます。
ここからスタート
台車を取り付けて、念のため高さチェック。
誤差の範囲ですね。
後で微調整させて行きます。
そのままでは・・・
蛇足施工のおかげで、6mm。
あと1mm落として行きます。
取り付けた足を再び取り外し、やすりで高さを整えます。
抵抗器側だけ配置します。
良い感じですね~。
先に施工済みのトレーラー。
今回の動力ユニット床下。
殆ど違和感なく出来ています。
写真の角度がずれたんですが、位置関係は酷似させています。
次に反対側ですが
やはり盛大にカットしなければならないわけで・・・。
ベースに添わせてカット。
バラバラになっていく機器。
試しに置いて見ると、高さが足りません。
足の建設が必要です。
今日はここまで。
昨夜、若旦那からなにやら電話が
「色んなもん、送り付けといた(・∀・)」
ん・・・何送ってくるの・・・!?(;´Д`)
↑床下機器ばかりで飽きてきていますが、そろそろ一旦おしまいです。