食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『SCC=1.8に上昇』

2013年06月20日 18時15分47秒 | 通院

今日は先日受けた血液検査の結果を聞きに病院へ。前回は1.0と今までで一番

低い数値を示していた腫瘍マーカーSCCが倍近くの数値になっていた。過去の

ケースだと1.5の辺りをウロウロしてまた元に戻る、そんなパターンの繰り返しだか

ら先生も『まあ、検査誤差の範囲と考えてもいいでしょう』との説明はあったが

『次回のCT検査を少し早目にしてみますか』

と提案があった。続いて

『造影剤の影響やアレギーはなかったですよね』と聞かれ『はい』と答えると

『造影剤の方がよく見えるから、そっちにしますか』

私には何の異論はないから、次回のCT検査は造影投与になった。

私の希望としては過去の結果からSCC=1.0は出来過ぎのようだから、1.5近辺の

低空飛行をお願いしていたが過去最高の1.7を越えたのには,いささかながら

『ふー』とため息を一つ。腫瘍マーカーの数値とは、これからもずーっとお付き

合いしなければならないが、知らなければ心配しないで済むこともあり複雑な

問題だ。

癌患者は腫瘍マーカーの上下を気にして暮らす、それよりも高い数値を持って

いながら何も知らないで平気に暮らす健常者もいる。何らかの病気発症率が高

いのは、どちらの人だろうか、なんてくだらないことを思う。

まあ、この私のことだからこれ位の事で落ち込んだり、暗がりでしょんぼりするこ

とはないから、再び一応1.5以下への道を手繰り寄せようぞ。

過去の何度も基準値越え(1.5以上)をしているが、何もしないで下がっているの

で、いつものように『空元気』で頑張ろう。


『震災鎮魂の旅、石巻港』

2013年06月20日 17時30分47秒 | 旅行

仙台市は東北地方では抜きん出た大都市だ。駅前のビジネスホテルに宿をとり、

早目のチェックインだったので、駅ビル近辺を散策してみた。人口は100万を越

す大きな街で近代的なビルも沢山あり、その合間にケヤキが街並を緑色に染め

る杜の都は近代的であり青葉城下、古の姿を持つ。

これまで地方の中核都市ばかりに泊まってきたが、朝のラッシュにしても余り苦労

なく幹線から自動車道に抜けられた。しかし、仙台駅前の朝は車で溢れているし、

ホテル前は一方通行でそれに沿って走るしかない状況だ。

目覚めのいい朝を迎え、車に乗り込みナビをセットしたが何故かGPSは未だ位置

確認の緑色表示になっていなかった。取り敢えず一方通行の道に出て、道なりに

走る。ところがナビは一向に緑色にならず案内をしてくれない。

やっと色が変わった頃になると今度は反対方向に案内を始めた。位置関係は全く

分からない、通行規制の多い都会の中、渋滞に揉まれていると雨まで降りだし自

動車道にたどり着くのに1時間もかかった。幸い、この日は時間的な余裕がたっぷ

りとあるから慌てる必要はないからと言い聞かせながらの脱出劇だった。東北自動

車道からローカル自動車道に乗り継ぎ石巻河南までは渋滞もなく、思ったよりも早

く着いた。相馬市と同様、港近くになっても目立った地震や津波の痕跡は見られ

なかった。

それは私たちが頭の中で描いていた如何にも、震災跡の風景は既になく、一応に

整理されているからだ。津波被害に遭った当初は建屋の残骸やガレキなどが山積

みにされていた風景をTVや新聞などで見ていた残像と現実の対比により『痕跡は

ない』と思わせているのだ。

最初、私たちがカーナビにセットしたのは簡易郵便局だった。住宅地だったような所

を走って行くと『目的地付近に到着しました』とナビが連れて来てくれた場所は、遠

くまで見える広い場所だが、建屋はなく幾つもの基礎と鉄筋の一部が残され、その

周囲に建築用の砂利が敷き詰められて一応に平坦だから、整地された場所のよう

に見える。かつては家並みが続いていたと思わせるのは、電柱と電線は修理された

のだろう、家のない遠くまでも張り巡らされていた。

先の少し高い場所には、運よく流されなかった家が残り、人々の生活の臭いがし

ている。明らかに建て直したと思われる新築の家有り、そのままの所ありとマダラ

模様だ。こうした状況は建屋の位置がほんの一寸低い、高いで明暗が分かれて

いる。

人が見ている、いないに拘わらず災害現場で人の不幸を写真に残すのは、とて

も気が引けるものだ。私も人にこの惨劇を伝えるのに『百聞は一見に如かず』を気

取って、カメラを向けてみたが直ぐ様にシャッターを切りカメラを収めた。特に、こ

の後に訪れた双葉町手前の除染と言いただ汚染土を袋に詰め置いただけのもの

の写真ですら、車から降りてシャッターを切る勇気はなかった。ジャーナリストやプ

ロの写真家は劇的なシーンや災害の象徴のような風景を求め歩くが、私たちは供

養の旅に来て、昨日、今日と被害現場の今を見た。

多くの写真や、酷い現場の思い出を作りに来たのではないから、津波による別の

被害現場に行こうと言う気は起きなかった。仙台には20代の頃からお世話になっ

てきた先輩がおられ、昨晩30数年ぶりの再会を果たした。積もる話は別として『石

巻港に行くと、昔あった店屋や建屋など皆無くなっているし、行方不明の知人もい

るから行くのが辛い』と言っておられた。私たちは災害以前の姿を知らないから、そ

うした思いとは別の感情を持つが、こんなことを聞くと改めて震災被害のむごさを思

い知らされる。津波は沢山の被害を作った。沢山の人の生命も奪った。人の死はど

のような形であれ受け入れざるを得ない、悲しみを、苦しみを乗り越えるしかないが、

人は助け合う心があり、時にはそうしたものを分かち合いながら少しずつ癒していく。

そうした被害に遭った人たちは、長い時をかけて痛みを癒し続けるだろう。だから、

何の被害もなかった我々は、そうして闘っている人たちのことを忘れてはいけないの

だ。災害も然り。そして場所々により教訓として残すべきものを伝承することも生かさ

れた者の使命ではなかろうか。


『震災鎮魂の旅、相馬港にて献花』

2013年06月19日 17時37分50秒 | 旅行

晴天続きの裏日本松江から表日本に来たのだから、それに輪をかけたような晴天

かと思いきや、本日は曇天なり。この日も磐越自動車から東北自動車道に乗り換え、

福島県相馬市を目指す。特定の場所を目指すのではないから、相馬港の近くをナ

ビにセットする。自動車道を降りて地道を走り出すと、距離・時間の関係は予測不能

になりナビの数字を当てにするしかない。土地勘も、地理勘も全く当てにならないか

らだ。霊山という大きな山を越えて相馬市に入っていくが、震源地から近く激しい揺

れによる建物の被害の跡が多少なりとも残っているのかと予想していたが、それは

全くと言っていいほど見られない。もう2年、未だ2年、建物被害の象徴は屋根の上

にかけられたブルーシートや崩れかかったままになっている瓦などはなく、本当に

大震災に襲われの?

と思わせる。これは津波に襲われた沿岸近くでも同様であった。

被害からいえば、地震によるものは限定的で圧倒的に津波による被害の方が大き

いように感じた。(私が車で走った道中に限り)地震なら建屋が倒れても、多少なりと

も家財や思い出の品々は残されるであろうが、津波は分け隔てなく持ち去ってしま

うから、やりきれなさを増大させてしまう。

港に行って被害に遭われた方々への供養として献花をしようと花屋を探すが上手

く見つからずスタンドで情報を仕入れ、近くのスーパーで購入する。

時間も昼近くだったので、惣菜売り場で弁当を買い港へ々ひた走りする。それまで

建物や木々で見えなかったのに、急に視界が開け干拓後に何かを作り出す工事

をしているような場所に出た。相馬港だ。かつては魚市場、海産物の会社、船のド

ック、倉庫、燃料関係などなどの施設がひしめき合っていただろう場所だ。大きな

湾を囲むように賑わいを見せていたと思われるが、今はただの広い閑散とした広場

にポツポツト真新しい建物が経ちつつあった。もう2年過ぎたし、ここは表玄関みた

いな所だから復興のスピードは早そうで、表向きには震災の爪痕はないように整地、

片付けを終えている。また、港周辺を含め震災後、あれほど問題になったガレキの

山を見ることはなかった。言葉少なく対岸部に行ってみると、海水浴場と見られる砂

浜の一角に小さな建屋が残されていた。近くに行って見ると、海水浴客が使用する

シャワールームのようだ。コンクリート製だから建屋だけは残っているが、中にあっ

ものは全て津波が奪い去ったのだろう。未だ窓にガレキの残りがへばり付いて

いる。建屋周辺のタイルはえぐり取られた部分や、綺麗に残っている所があり、こ

うした一寸の違いが人の運命も大きく変えたりしていたのだろう。

周りにそうした幾つかの建屋が放置されていたが、如何にも津波被害という姿は

くなりつつあった。残された建屋の前で献花、犠牲になられた方々に供養の線

香を手向けた。私たちは何の被害もなく2年前の3.11以降も変わりなく暮らしてい

る。犠牲になられた人たちは、もっと生きて、笑って、泣いて、沢山のことをしたか

ったのに違いないと思うと、本当に申し訳ないような気持になる。

震災に遭われた人たちの心情を思い知ることなど到底できはしないと思うが、遠

い島根県から遥々やってきたことで、私たちの心根を理解して頂きたいと思う。

今回の旅で、だれにも誤解して欲しくなかったことは『被害地の物見遊山』で出掛

けたのではない、これに尽きる。移動の関係で寄ることのできる場所以外に観光

地の巡りを予定しなかったし、宿泊先もXX温泉は避けた。

私の大きな課題である『三春町の滝桜』を観に来ること、今回の旅で頑張れば実

現できるので、そうした楽しみは先に残しておき、もっと元気になった福島県と共

に再会を果たしたい。

 

                         再建中の施設

                     残されたシャワールーム

              建屋の基礎だけ残った被災地跡

 


『福知山のうどん事件と会津の鶴ヶ城』

2013年06月18日 18時20分22秒 | 旅行

福井から約400Kmの道のりだが自動車道ばかりだから、走行車線を普通に運転

していれば無用な気遣いをしなくてもいいから、それなりのマイペースで走ること

ができる。こうした道の欠点は町の様子が全く分からない事、食事は限られたPA

/SAで押し付けられたものしかない。だから道すがらの名物なんてものはお土産

置場にあるもので推すべし。

食事で思い出したのが『福知山のうどん事件』丁度、昼食時に到着したのでと、

適当な店を探していたらうどん屋があったから、その店に決めた。

メニューをみるとミニうどんにトロ丼とか、かつ丼などのセットがあった。うどんだけ

でも十分なのだが、ご飯ものを少しとミニうどんならば何とかなりそうと、妻もそれを

注文した。大して待つこともなく注文のセットがやってきた。うどんを見て我が目を

疑う。どう見てもミニではなく、普通の1人前にしても大盛り風なのだ。妻が『ミニう

どんのセットを頼んだのですが・・・・』と言うと『はい、これがミニうどんです』とごく

当たり前の調子で店員さんのアンサー。

元々、大食ではないからミニを当てにしていたのに、二人ともこれを見て戦意喪失、

トロ丼を平らげたが戦意喪失のうどんは食べても食べても減らない。改めてメニュ

ーを見てみると、うどんの部に『ダブル』が幅をきかせているではないか。つまり、ダ

ブルに対してミニだから私たちが想像しているイメージではなく、1玉がミニなのだ。

しかも、ここの1玉は普通のものより明らかに大きい。

たっぷりと残ったうどんを尻目にレジで『多すぎて食べ残しました・・・』

『ここの量は多いですからね・・・・』

このお蔭でいつもは昼食に『うどん』を食べているのに、うどんには目が行かなくな

った。ボリュームたっぷりのうどんパワーで走りぬいたら、思いの外、早く到着したの

で急遽、鶴ヶ城と珍しい建築物のさざえ堂に行って見た。NHK大河ドラマでご当地

のスーパーウーマン八重さんのおかげで、お土産屋さんは何にでもこじつけてお

土産を売っている。あちらこちらには八重さんをデザインした、幟旗が風にヒラヒラし

ている。朝の連続ドラマしかり大河ドラマしかり、ご当地になると何らかの経済効果

は確かにありそうだ。白虎隊の歴史や鶴ヶ城での出来事などに然したる興味を持っ

ていないが、時代の違いと一言では片付けられない。あのような『気概』を如何にし

て若者たちは身に付け実行できたのか。太平洋戦争でもそうだった。

戦は普段、身に着くことのできないものを知らずの内に身に付け、人を潔いものに変

えてしまうのだろうか。戦の心構えなど要らぬ世であって欲しいが、今の世は余りにも

『チャライ』のではなかろうか、そう思うと先人たちの偉大さはとても大きく、背は遥か

方にしか見えない。平日なのに鶴ヶ城には観光客らしき人が多く見えていた。

さざえ堂はマニアックな人に向いている。六角堂でらせん階段は一方通行で、頂上

に着くと下りの通路になるから人と出会うことはない。中心に通し柱が通っているから

スカイツリーと似た構造になっている。彫り物などは何処にでもありそうなものだが、ら

せん階段の一方通行は珍しいと思う。近くの土産物屋さんは道案内、トイレ案内そし

て『駐車もOK、お土産が入用でしたら是非、当店で』と愛想良い。ついつい吊られて、

お土産を購入。

今回は物見遊山ではないからお土産の吟味に力が入らない。

 

                            鶴ヶ城

                           さざえ堂正面

  上りのらせん階段


『水不足の心配』

2013年06月18日 18時19分11秒 | 日記

梅雨入りしたのに、宣言されてから雨らしいのはたったの2日ほどで、またカンカ

ン照りの毎日に戻ってしまった。川の水は雨によって一時的に堰堤を越えていた

が、今はそれを越すことはなくなり、堰堤より下流の流れは無くなり水溜まりのよう

になっている。

近隣の水田の水は,この堰堤より上流で農業用水路に分水されているから、水田

の水不足には至っていないし、堤には未だ水は残っているから、暫くは大丈夫そ

うだ。今年の冬は雪が少なく、傾向としては暖冬気味だった。空梅雨は全国的なも

ので梅雨前線が南方に追いやられて、梅雨どころか雨すら降らない状態が続い

ている。尾原ダムの貯水量も激減しており、この様子だと取水制限若しくは、節水

の依頼が始まるのではないかと思う。

畑は水気が無くなり埃を被っている。そうした心配を一時的なのだろうか、恵みの

雨が降ってきた。旅先でも雨不足の話をよく聞かされていたが、あちこちにも降り

ますように・・・・


『震災鎮魂の旅、原発立県』

2013年06月17日 18時35分21秒 | 回顧録

6/9松江を出発し福井市で宿泊する行程が第一日目。松江市から鳥取県中部ま

では自動車道があるのでいつもスイスイと動けるが、鳥取市手前から少々込み合

い下手をするとこの付近で時間をロスすることが多い。鳥取市を抜けてしまうと福

知山まで国道9号線というスーパーローカルな道を、途中にある道の駅で道草を

食いながらマイペースで行くことが出来る。

福知山から終点の小浜までの自動車道に乗り、小浜から再び地道を走るが、途

中々で原発関係の案内看板が目に付く。同じ日本海側に住みながら大凡の位置

関係しか知らなかったが、こうして旅をすると昔からよく知っていたような気になる。

松江市にも原発は2基、新設未稼働1基の計3基もあり、私自身は嘆いているのだ

が、福井県には何基あるのだろうかと疑問になり、帰ってから調べてみたら13基も

あった。自動車道を縦断したり、永平寺の方をウロウロしただけだから、恐竜の化

石が有名な案内以外は全くと言っていいほど知らない。政治の力関係なのか、過

疎や財政難で受け入れたのか事情は全く知らないが、こんなに原発があり、不安

ではないのかと関係ない私が思う。

地元に雇用を生む、周辺部に新たな経済効果を生む、人の流入も増える、自治体

は何よりも『お金』が入って来るから原発様々だろうか。立地を推進した政治家はそ

うした人たちから『ジャンヌダルク』のようにもて囃されたのだろうか。国も関電も『中

身のない空虚な万全の安全対策』を強調し福井県を承知させたのか、望んで招致

したのか。福島で起こるはずのないシビア事故が発生した。今も、これからも、数10

年か小100年か誰にも分からないほど福島県の大熊町、浪江町、双葉町などは苦

み続けなければならない。

だから福島県は被害のなかった福島第2原発さえも廃炉を要求している。何故あの

ような事故になったのか、たったこれだけの疑問の答えさえ誰にも正確に答えるこ

は出来ないのに、再稼働の要望がある。

つまり、福島は福島のこととして『何か新しそうな対策をしておけば新しい安全が確

保できる』これを新安全基準と名付けて『新安全な原発』を稼働させると言うことに

他ならない。

福井県はこんなに電気は要らないはずなのに・・・・

福井県の政治家か自治体の人が言った。『電気の消費地の人は原発立地県にもっ

と敬意を示すべきだ。そうしたことを私たちが理解できれば再稼働もやぶさかではな

い』私に言わせれば屁理屈だ。民はそんなくだらない敬意よりも安全な暮らしが大切

だし、電気消費地の人がそんな敬意なんか持つはずはない。

私の棲家も原発から20Kmくらいしか離れていない所にあるから、もしシビア事故があ

ればスタコラサッサと原発のない所に逃げて行き、2度と帰るつもりはない。

原発の欲しい県に共通するのは貧弱な自主財源、一言で言えば原発のお金に釣ら

れてしまったという表現が正しいのではなかろうか。国や電力会社の安全対策説明

が正しければ、東京湾の埋め立て地に原発を造ればいい。そうすると発電所から電

気を消費する都内までの送電路でロスする電気は殆どないから、最高の効率で稼働

できる。何も東北の福島から延々と電気を送ることはなくなる。

東京は何かあると困るから、余り困らないローカルな県を♪『すてごま』♪にするのか。


『自動車旅の防具』

2013年06月16日 19時16分38秒 | 旅行・日記

6/9  松江~福井市

6/10  福井市~(新潟中央JCT)~会津若松市

6/11  会津若松市~相馬市~仙台市 

6/12  仙台市内~石巻港~双葉町入口~会津若松市

6/13  会津若松市~(新潟中央JCT)~長岡市

6/14  長岡市~旧山古志村~福井市

6/15   福井市~松江市

今回の大まかな行程はこんな様子だった。最終目的地があるのではないから、取

あえず行ってみてから行動を考えることにしていた。松江から福井までは過去に2

往復しているので、大体の様子は分かっているが、小浜~敦賀は自動車道延長

の可能性を抱かせる区間だ。

ひょっとして、少しでも延びていないかと期待していたが、残念ながら今回もローカ

ルロードを走ることになった。山陰以外ではこの区間だけがローカルロードで他の

全ての区間は高速道路でつながっている。こうしてみると、山陰両県は日本のガラ

パゴスと言ってもいいのではなかろうか。高速道路だけの旅は風景や土地柄を楽し

む観点からは風情のないものになってしまう。唯一の楽しみはPAやSAに立ち寄り、

ご当地名物の土産品を眺めるくらいだが、下の道には『道の駅』が随所に設置され

ており、超ローカル名物にも出会えるから、私は下の道をノンビリと走るのが好きだ。

しかし退職して幾ら時間があるからと言って、今回のような旅をそれにあてはめてい

ては、旅の終結がいつになるのか分からないから仕方なく高速道路のお世話にな

る。所謂、高速自動車道は有料だから福井から会津若松までだと9000円くらいかか

る。ガソリン代も要る。二人旅を他の交通機関で行ったら、どちらが高い?

それとも、接続や待ち合わせなどの時間調整が上手くいかず、ギブアップ?

私たちに選択の余地はないが、間違いなく自動車の方が利便性、時間的経済性

からも高い評価を与えられる。こうした長旅をするとETC料金は有難いものだと思う。

ETCをつけると料金が安くなると宣伝されていた頃は『高速道は走らないから要ら

ない』としていたが何かのはずみで、設置してしまった。料金だけのことではなく通

過の際にも徐行するだけで清算できるから煩わしさから解放される。

ETCの他にレーダー探知機を設置している。最近の警察の取締りはハイテク化し

ており無人取締り箇所も種類も沢山ある。有人取締り、つまりネズミ捕りにしても通

過時のみに電波を発射するから事前探知が困難になっている。過日、レーダーが

いきなり聞きなれない言葉を発した『ステルス・ステルス注意』

つまり有人の取締りで発射した電波を検知したのだ。当てられたのは私の前を走

っていた車で、暫く先から警察が旗を振りその車を誘導した。

その時、私は法定速度近くで走行していたから、自分ではないことは判っていた。

取締り危険個所情報、道路情報は逐次変わるからメーカーサイトから有料でダウ

ンロードしておけば尚、正確な情報が得られる。

最近のレーダーは高価だがネズミ取りで『御用』になったことを思うと精神的な費用

対効果(b/c)は抜群だと思う。

レーダーに加えて趣味の世界に近いがドライブレコーダーを設置している。交通

事故や何かの衝撃を得た時、事象の数秒前から自動的に記録を残してくれる優

れものだ。道路の段差の大きい時に感知して記録を撮ることもあるし、任意に記録

もできる。広角の動画が記録されPCで確認できる。

旅先で辺りかまわず録画なんてことも可能。

これは万が一の時のためのもので、私たちのように反対車線から来た車にぶつけ

られ大破、廃車経験者のトラウマが為せること。

誰もが自分だけは大きな交通事故に遭わないはずだと思っている。私も思ってい

た。病気も同じだった。

後の後悔、先に立たず・・・・・くれぐれもご用心


『夢追人、魚の観賞Ⅱ』

2013年06月16日 19時14分34秒 | 趣味

自分で捕まえた魚を飼ってみようと思い立つ。無理は承知で渓流の山女を生かし

て帰り水槽に入れる。山女は岩男より下流に住む虹マスの陸封型で淡いピンクの

横線に斑点があり注意深い魚だ。水温が高いだろうから長期的に飼うことは難し

いかも知れない。ほんの数時間前までは渓流を自由奔放に泳いでいたものが狭

い水槽に入れられて、あちこちで水槽にぶつかりすっかり元気を無くしてしまつた。

ここの環境に順応するとは思えないが塩焼きになるよりは少し長生きができると勝

手なことを思う。水温の克服はできず今だかつてお目にかかったことのない菌で

遂に尾が腐れ始め、身体中に広がり死んでしまった。

水温を下げることの出来る器具が今、出来ているのかどうか知らないが当時は叶

わぬ夢だった。夜の海辺は小魚が明かりの下に集まる。小魚なら水槽への順応

性は高いだろうし餌付けも簡単に出来ると考え海水を汲むポリタンクを三つ持っ

て恵曇の海岸に出かけた。タモで群れているクロの子、桜エビを捕らえ早速、水

槽に放す。クロの子は一人前に真っ黒になったり灰色に戻ったりして見せる。水

槽への慣れは早く、水も故郷のものだから何の不足もないだろう。

餌は魚の骨に身を残したものを与える。おこぼれは下の桜エビが貰い受ける。

それからが大変だった。1〜2週間おきに水汲みに往復2時間の道程を通うことに

なった。餌は毎日やっているのに桜エビの数が減っている。よく見ると岩の陰に足

や手の殻がある。餌不足で共食いしてしまったのだ。弱肉強食の下剋上が自然

界の淀なのだ。1ヶ月も経つとクロは5センチ程度に育ち逞しささえ漂わせてきた。

友達が欲しいのか?キュウセンべラを釣り水槽に加える。こいつは飼うまで砂に潜

って寝ることを知らなかった。姿がなくなりまたエビの餌になったかと思っていたら

砂の中からチャッカリと顔を出していた。

別名、ギザミとも呼ばれ広島では珍重されるがこちらでは見向きもされない。白身

だが骨は緑色しておりあっさりとした味ながら箸が出て行かない魚だ。

セイゴの小型、サザエ、カニと色々、飼ってみた。海のミニ公園ができたようで楽し

く見せてもらった。

動物には口があり環境がある。多少のことは人ができるが所詮、人間の浅知恵で

彼らの望むことはしてやれない。魚を飼いながらそのことはつくづく感じた。

 

♪海は広いな大きいな♪

海を見ているとその雄大さに自分の心も

もっともっと広くなるような気がする。

寄せては返す波が語る。

小さいことにこだわるな、

ほら、ちゃんと次の波がくるさ。

人の世は辛抱の連続だろう。

ゆったりと行こうじやないか。

機を逃しても私のように寄せては返すのさ。

               第一章 おわり


『夢追人、魚の観賞 Ⅰ』

2013年06月15日 18時06分08秒 | 回顧録

魚の観賞、飼育も面白い。最初は熱帯魚の淡水編から出発してみた。言わば、入

門編であり器具さえ揃えば手頃に楽しめると気軽に始める。種類はグッピー、ネオ

ンテトラ、エンゼルフィッシュが一般的で値段も手頃。熱帯魚は種類が多く何から飼

っていいのか迷う。タキシードを着たようなタキシードグッピーは尾、ヒレが派手で綺

麗な色をしているしネオンテトラはグッビーよりも小型だが光があたるとブルーが冴え

わたる。しかし群れになる位居ないと水槽の中はガランとして寂しいが、そうするには

お足がついて回る。

底ものにはドジョウとかナマズの種類を入れておく。上で食べ残した餌が底で腐敗し

水質を落さないようにする為だ。ナマズ類が始末をしてくれる。水槽の中にミニ自然界

を作る。しかし、夏の水温管理が難しい。水温を上げるにはヒーターがあり一本で足ら

なければ二本入れればいいが、水温を下げるのは氷を入れる意外に手がない。水温

が上がると雑菌が発生し易くちょっとした傷口から感染し次々と魚に汚染が広がる。

尾腐れ病もあっという間に広がってしまう。初期の治療として赤チンを入れてもいいが

市販の薬で治療してやる。グッピーに子供が生まれた。二ミリあるかないかの小さなも

のだが一人前に水槽の中を泳ぎ回っている。幾日かして見ると数が減っている。死ん

だのかと思っていたら親が餌にしてしまうと本にある。慌てて魚を買ったとこに行き聞く

と隔離するケースに入れて飼うのだという。汚れた水の中で生まれた子供は段々と減

り、隔離ケ—スの中の住民は不在になってしまった。

どうも淡水魚は冴えない。海水魚の方が色も綺麗だしそっちにしょうと心変わりした。

人工塩で簡単に海水を作ることができる。今度の魚はコバルトスズメだ。ブルーの絵に

描いたような魚で見ていて飽きがこない。底には珊瑚を砕いた砂状のものを敷きその

白と魚の青がマッチしている。

飼っては絶え、飼っては絶えの連続ですっかり興味を失い一時中断してしまった。


『福島、宮城、中越震災鎮魂の旅』

2013年06月15日 17時57分54秒 | 回顧録

6/9の日曜日から東北、信越方面に鎮魂と称して自家用車で回り、先ほど無事

に自宅に到着した。走行距離2,783Kmを癌から復帰しようとしている爺さんが運転

した。近年、多少ながら自動車道を利用するようになり、以前ほど高速道、自動車

道の恐怖感はなくなっている上、事前にJCTやICなどの情報を調査していること、

それとナビを妻がチェックすることで円滑なドライブが出来ている。

2年3ケ月前に発生した東日本大震災、福島原発災害が余りにも早く忘れ去られよ

うとしている事に憂い、犠牲者の鎮魂、今なお東電のために故郷を追われている人

たちの心情を、より深く理解するため現地に行き、自分の目で見て、それを覚えて

おくことを目的にした。ただ、そうした方々の所や特定の施設などに出向くのではな

いから、正しく言えば、その目的を果たすことはできないかもしれない。しかしその

後、人に伝える、語るなどで風化を少しでも防ぎたい。

今更、そんなことをしても世の中が変わらないことなど知っている。私はドン・キホー

テと言われてもいいから、努力するつもりだ。

帰宅し新聞受けにあった新聞の一面に『中国電力、安全対策完了前に原発再稼

働の申請』と大きく掲載されていた。彼らの頭の中に『福島原発の惨状と現状』は既

に消え去っているらしい。現地に行き話を聞くと、ブログなどには書けない悲惨な事

や辛い事は沢山ある。私が自分で見たものは極々一部でしかないが、追々紹介さ

せて頂く。


『夢追人、釣り初めは関のタナゴ』

2013年06月14日 18時02分27秒 | 趣味

  冬

狩猟を始める前、元旦の行事は美保関の内防で釣り初めをするのが恒例になって

いた。小雪混じりであっても凍える手で餌をつけタナゴを釣る。別にタナゴと絞って

いる訳ではなくご祝儀みたいなものだから何でもいい。丁度、それにタナゴがあたり

恒例になった。

サヨリも時々、顔を出し俄かに五目釣りになってしまうが『今年もよろしくの挨拶』だ。

美保関には古くから漁業,海上安全の神さんとしてエビスさんと三穂津姫(みほつひ

め)が祭られている美保関神社がある。また、安来節で歌われる関の五本松も有名

である。今は全て枯れてしまい見る姿はないが、なお多くの観光客で賑わう。

朝のちょっとした時間だけやって家路につく頃は、美保関神社へ初詣に向かう長蛇

の列ができる。それを尻目にスイスイと走る。子供はお年玉を待っていることだろう。

家に着き、我が家の元旦が始まる。

 

厳寒の中、手なしイカ

冬は海が荒れ低調になる、釣り人も減って閑散としている。荒れた日本海に突き出す

防波堤に押し寄せる波を見ていると恐ろしくも見え、心洗われる殊勝な気持ちになる。

手結浦(たいのうら)は冬に手なしイカが釣れる。ここではゴンガラに魚かイカの身を巻

きつけ甲イカ釣りと同じ容量で巻きとる。この場所は岩場で滑りやすいのでどんなこと

があっても無理は禁物だ。何年かに1人は、鉄則を破り、命を落している。

寒い中の夜釣りだからカイロを背中に入れての奮戦になる。釣れても3杯どまりで大き

くは望めなかったが何もすることがなく釣りをしたくなったら出かける程度だった。


『夢追人、浜田のワカナ(ハマチ)』

2013年06月13日 18時00分17秒 | 趣味

面白い話を聞くと直ぐにその気になる。浜田の波止場で活気を見せているワカナ

釣りの模様をTVが流した。それが目につき早速のご出発。午前三時に起き車を

飛ばす、しかし早朝?の国道は長距離の卜ラックが我もの顔で飛ばす。信号無

視、追越し禁止区間での追越し、黄色の信号で止まったりすれば追突されかね

ない。三時間ほどで浜田に着く。

青川の波止場は既に沢山の釣り人が来ていた。ここで人の仕掛けをみて驚かさ

れた。私の用意したものは役に立ちそうにもない。あまりにもチャチな仕掛けでこ

れでは人の半分も投げることは出来ないだろう。

飛ばし浮木の大きさ、重さが全然違うのは見た目で判る。

釣具屋に足を急ぐ、しかしどうした訳か飛ばし浮木が売り切れで手に入らない。

仕方なく自分の持って来た電気浮木を使うしか手がないようだ。隣で三十五セン

チほどのワカナが掛かリ竿は大きく弧を描いている。横に走り釣り人を右往左往

させている。見ているだけでその迫力が伝わってくる。青物は横への引きが強く

底に近い所で住む魚は下へ下へと引く。投げてみるとやはり人の半分も飛ばな

い。そこで我慢してみたが近くで何本も上がるのに浮木は無情にもプカプカと浮

いているだけ。

やはりなー、その釣場に合った釣方でないとなー、諦めが先行するようになり、ポ

カンと浮木を眺めていた。浮木が見えなくなり、まさかと思った瞬間にガーンと竿

を引っ張った。とんでもない引きだ。竿を立てる、糸がキーンと唸り始めた。糸を

めなければと思いながらも引きが強く竿から手が離せない。唸りはー段と大きくな

り、突然、竿が後の方に跳ね返され軽くなった。僅かの時間で成す術もなく、あっ

さりと糸を切られてしまった。おそらくヒラマサだったと思う。

私が着く前に、置竿をしていた人が余所見をしている間にヒラマサと思われる魚

がかかり竿はそのまま引っ張られて海の中に消えてしまったと言う。

強烈な引きはあの一度しかない。それまでも、今までもあんな経験はない。

その夜、疲れを忘れ口惜しさだけが目を固くして寝付かれなかった。


『夢追人、鯵釣り変じてサバの大群』

2013年06月12日 18時00分30秒 | 趣味

もう二度と船には乗るまいと思っても虫が起きてきた。鰺釣りに行こうということに

なり馴染の富士丸にお願いする。やはり止めとけばよかった。今夜は月が出てお

り食いが悪い。

酔いはないものの釣れない釣りは堪える。そろそろ十時半になるが釣果は何もな

いに等しい有様。と、突然に船の周りにキラキラと腹を光らせながらサバの大群が

押し寄せてきた。集魚灯の灯りにつられてきたのだ。竿を上げ見える所で釣れる。

幾らでも釣れるのだ『空針でやれ』と船頭が大きな声をした。サバは何かにエキサ

イトしているから餌をつけなくても擬似針のままで釣れるとの指示だ。針は三本つ

いており上の針に食いついたサバを外していると海の中にある針にも食いつき下

から引っ張る。外した針に注意しないと予期しない方向に糸が引っ張られ、手に食

い込みでもしたら大変なことになる。そんな強い引きをしている。

サバは横走りする。その感触をたっぷりと楽しませてもらった。三十センチを少し越

すものだったが三十分あまりの間に皆のクーラーが一杯になった。『切りがない、

帰るぞ』船頭に促されて竿を納めた。皆の家の冷蔵庫はサバで一杯になったことだ

ろう。

 

ゴンズイとヘイズ鯛

秋もたけなわ山では松茸も採れる頃、冲泊という港のテトラの上で釣りをした。特に

目的の魚があったのではなく、何でもよかった。そこで初めてヘイズ鯛を釣り上げた。

十五㌢あるかないかの大きさだ。その時は名前も知らなかったが図鑑で調べて分か

った。時々、餌盗りの小魚がかかる。すると見慣れない五㌢ほどの魚の背に針が掛

かり上がってきた。

『何だ、こいつは』と指ではねのけようとしたところ、突然そいつが指に食らいついた。

まさか、嚙むとは思わないし、あっという間の出来事だ。口を見るとマムシが顎を外し

た時のように何倍にもなっている。上下にエイリアンのような鋭い牙がある。さほど痛

みはないし傷口は小さいのにおびただしい血が流れタオルで押さえても中々、止まら

ない。止血後、大事はないだろうと釣りを始めた。

家に帰って暫くは何事もなかったが何か熟っぽくなってきた。段々と身体がだるくなり

どうも調子が悪い。一晚寝ればよくなるだろうと思った。しかし症状は段々悪くなり熱

も高くなってきたようだ。疲れが出るような釣りではないし風邪をひいたのでもないこと

は、はっきりしている。翌日になっても変化なく会社を休むことにした。まさか魚に嚙ま

れて熱が出たと言う訳にもいかず『風邪気味なので』と説明する。結局、二日も休むは

めになった。どうも魚はゴンズイらしく、熱が出るような毒性云々は書いてなかったがこ

いつの精だと今でも信じている。


『夢追人、恵曇(えとも)のイカ釣り』

2013年06月11日 18時00分04秒 | 趣味

仕立船のリスクは大きい。波浪注意報が出ない限り雨が降っても

少々波があっても出港する。場合によっては波浪注意報が出てなく船長の判断で

『今日は止めならんかね、海は荒れちょおで』と進言してくれる船頭がいる。何回か

お世話になった恵曇港の富士丸の船長がそうである。『折角来ただけん、行かい』

とだれかが言う。大体にそんな時には誰も反対はしないが弱い人は一抹の不安を

抱きながらの出発になる。

例え、船が出てから五分後に酔い帰港したとしても契約は成立するので返金され

なくても文句は言えない。しかし、気の毒がつて半額程度返してくれる良心的な船

頭も居る。船頭の進言を断わり出た日にはそれなりのお裁きを受けることになる。不

思議と船が走っている時は酔わない。沖に出るときマストにしがみついていないと振

り落されそうになったり荷物はゴロゴロ転げ回ったりする。船が波の頂上に乗り上げ

た次の瞬間、宙に浮いた船は下の支えがなくなりドスンと落ちる、その衝撃は尾底骨

を直撃する。魚は釣れない。船酔いしないため早目に食べた軽食や何もかも海の中

に、出るものがなくなり緑色の胃液が出てくる。陸が恋しい。

こんなにも人が苦しんでいるのに『行こう』と言った奴は船酔いを知らぬ男、『帰ろう

か』の言葉はなく、ひたすらに釣れない釣りに精を出している。誰だ、こんな奴を誘っ

たのはと恨めしく船辺にしがみつく。またゲロが出てくる。『もう、絶対に船には乗らん

ぞ』心に固く誓う。

さて、イカ釣りのきょうは快晴でベタ風の絶好のコンディション、一時間あまりの所でイ

カリを降す。船に弱いと言うとパラシュートアンカーを打ってくれる。船の揺れをとる為

に船の回りに落下傘のようなものを張りめぐらす。船頭は船の集魚灯に明かりをつけ

た。海面から七~八メーター下まで見える、下からはどんな風に見えるのだろか。

ポッカリと楕円の光をイカが見ているに違いない。

月夜の海は明かりが分散して少々の明かりでは効果がないそうだ。仕掛けは電気浮

木に似たゴンガラで明かりがつくようになっており、それを垂らし、糸を上下に動かし

みを感じたらスムースに巻き上げる。上げたらスミをかけられないようにソッと生簀に

れる。上手、下手はゴンガラの動かし方にあるのだろうが余り大きな差となっていな

ったような気がする。

皺の中まで日焼けした老船頭が使い古したまな板の上でイカ刺しを作ってくれる。不

揃いの素麺のようなイカ刺を山盛りにこさえて呉れる。透明に近い白で、甘みがあり口

の中で吸盤が吸いつくようだ。これは確かにうまいどんな信用出来る魚屋が『きょうのイ

カは生きがよく極上ですよ』と言っても、これに勝るものはない。

船頭は餌用のイカも切ってくれていた。

『これをつけて、置竿にしとけ鰺が釣れる』

イカを釣りながら傍らでは鰺釣りをする、結構、結構。

船辺の竿がカタカタと鳴った。急いでリールを巻く、強い引きだ。鰺に違いない。ゆっ

くりと確実に巻き上げる、三十センチは越す大鰺だ。刺身にもできる。船はイカと鰺の大

漁を土産に灯台の灯りを目指して動きだした。生きのいいイカはお手製の塩辛と洒落

てみょう。腹を開け丁寧に内臓を取り出す。墨袋を破らないように取り黄色の内臓だけを

分けておく。ゲソと切リ身の水をよく切りビンに入れ先程の内臓を破りかき混ぜる。

塩を入れ更にかきまぜ密封して冷蔵庫の中に入れて塩を回らせる。凡そ十日もすれば

自家製の塩辛の出来上がりだ。この間、辛抱よく待ち決して開けてはならない、と凝り性

のご仁の言葉。食べてみて未だ生臭みがあればもう少し時間をかける。


『夢追人、磯から沖へ、仕立船』

2013年06月10日 18時00分32秒 | 趣味

  大社のイサキ

趣向を変えて仕立て船で冲に出てみると別の釣りの世界がある。時期によって獲

物は違うが六月ころから十月一杯までは仕立てることができる。出雲は神々のふる

里、出雲大社のお膝もと大社町では梅雨時のイサキ、真鯛が狙い目。大社港は昔

々、出雲神話に登場する国譲り交渉の場とされた稲佐の浜(いなさのはま)の東側に

ある。

午後六時、出航する。定員は五〜六人で、船ならと淡い期待を胸に冲に出る。一時

ほど沖に出て船頭が魚群探知機をかけ群れを探し始める、私たちは試合開始が

近いことを知り一斉に竿の準備に取りかかる。餌の青虫をつけ船頭の合図を待つ。

無口そうな船頭は『やらっしゃい』とぶっきらぼうに指示した。リールをフリーにして糸

を出す、錘は二十号の重いものだが底の潮流は速く錘は船底から遥かに離れた方

向に流されている。底に着いたら少し巻いて当りを待てと船頭が声をかけた。何回も

そうする内に、ガツンと大きな当りがきた。リールを巻き、竿を上げまた巻く。ポイントに

当たったらしい、四十センチ程の形のいいイサキが上がってきた。仲間も後でリール

を巻き、満足そうな顔をしている。小さくても三十センチ前後のイサキがクーラーに投

げ込まれる。この日は大量で二十本近くのイサキを釣り上げた。

午後十一時を過ぎると船頭が『上げて、終わりだ』。

ご満悦の皆みなは不平もいわずサッサと支度を済ませた。釣りとは別に船の灯りに寄

ってくる魚を捕るのも仕立て船での楽しみだ。飛魚は出航の際、船と並行してまるで

『どうだ』と言わんばかりに飛んでみせる、その距離は優に百メーターはあろう。その飛

魚も灯りにつられ羽根を広げたままでゆっくりと泳いで船辺に寄って来る。それをタモ

ですくい捕る。この方法で十そこらは楽に捕れるがバタバタすると船酔いのもとになる

ので弱い人にはお奨めできない。

船酔いには屈辱的な思い出がある。友人たちと初めての仕立船で鯛を釣ろうと張り切

て出掛けた。この時は、知り合いの紹介で頼んだ船長さん、『多少の時化はあるが船

いは大丈夫か』と聞かれ、『敵を知り、己を知れば百戦して危うからず』の諺を知らな

俄釣師は『大丈夫です』と自信たっぷりに応えてしまった。湾の中を走っている時は

ノープロブレム、外海に出てみると船長のお言葉通り、海には大きなうねりが。

逸る心と共に釣りの開始。暫くすると隣の奴がゲーゲーやり出した。釣りはと言えば波が

大きく、底を取るのが難しいものの何とかなりそうと、やる気は満々。しかし、余りにも音

沙汰がないから、念のために上げてみると案の定、餌を盗られている。アタリが分からな

いからどうもカワハギの仕業らしい。何度かやっているとガツンと大きなアタリがあり、下

へ下へ抵抗する魚を巻き上げると30㌢弱の立派な鯛が釣れた。よーし、餌をつけて頑

張ろうと下を向いていたら、急にゲーと私も始まった。そういえば、多少なりとも頭が痛い

ような、むかつくような気分ではあったが船酔いを認識するようなものではなかったから、

安心していた。一度、ゲロするともう止まらなくなり、胃液が出尽くしても、ゲー攻撃は手

を緩めない。結局、4人全員が討ち死にとなり、出発から1時間ほどで帰港と相成った。

史上最短の船釣りだとか、根性なしと不名誉な言葉を頂き、その上に可愛そうだと船賃

を半額にしてくれた。

船を降りても揺れは収まらない。帰りの車の運転はゆっくりと注意深く、模範生のようだっ

た。こうした時の決まり文句『もう、2度と船釣りには行かない』


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