大社のイサキ
趣向を変えて仕立て船で冲に出てみると別の釣りの世界がある。時期によって獲
物は違うが六月ころから十月一杯までは仕立てることができる。出雲は神々のふる
里、出雲大社のお膝もと大社町では梅雨時のイサキ、真鯛が狙い目。大社港は昔
々、出雲神話に登場する国譲り交渉の場とされた稲佐の浜(いなさのはま)の東側に
ある。
午後六時、出航する。定員は五〜六人で、船ならと淡い期待を胸に冲に出る。一時
ほど沖に出て船頭が魚群探知機をかけ群れを探し始める、私たちは試合開始が
近いことを知り一斉に竿の準備に取りかかる。餌の青虫をつけ船頭の合図を待つ。
無口そうな船頭は『やらっしゃい』とぶっきらぼうに指示した。リールをフリーにして糸
を出す、錘は二十号の重いものだが底の潮流は速く錘は船底から遥かに離れた方
向に流されている。底に着いたら少し巻いて当りを待てと船頭が声をかけた。何回も
そうする内に、ガツンと大きな当りがきた。リールを巻き、竿を上げまた巻く。ポイントに
当たったらしい、四十センチ程の形のいいイサキが上がってきた。仲間も後でリール
を巻き、満足そうな顔をしている。小さくても三十センチ前後のイサキがクーラーに投
げ込まれる。この日は大量で二十本近くのイサキを釣り上げた。
午後十一時を過ぎると船頭が『上げて、終わりだ』。
ご満悦の皆みなは不平もいわずサッサと支度を済ませた。釣りとは別に船の灯りに寄
ってくる魚を捕るのも仕立て船での楽しみだ。飛魚は出航の際、船と並行してまるで
『どうだ』と言わんばかりに飛んでみせる、その距離は優に百メーターはあろう。その飛
魚も灯りにつられ羽根を広げたままでゆっくりと泳いで船辺に寄って来る。それをタモ
ですくい捕る。この方法で十そこらは楽に捕れるがバタバタすると船酔いのもとになる
ので弱い人にはお奨めできない。
船酔いには屈辱的な思い出がある。友人たちと初めての仕立船で鯛を釣ろうと張り切
って出掛けた。この時は、知り合いの紹介で頼んだ船長さん、『多少の時化はあるが船
酔いは大丈夫か』と聞かれ、『敵を知り、己を知れば百戦して危うからず』の諺を知らな
い俄釣師は『大丈夫です』と自信たっぷりに応えてしまった。湾の中を走っている時は
ノープロブレム、外海に出てみると船長のお言葉通り、海には大きなうねりが。
逸る心と共に釣りの開始。暫くすると隣の奴がゲーゲーやり出した。釣りはと言えば波が
大きく、底を取るのが難しいものの何とかなりそうと、やる気は満々。しかし、余りにも音
沙汰がないから、念のために上げてみると案の定、餌を盗られている。アタリが分からな
いからどうもカワハギの仕業らしい。何度かやっているとガツンと大きなアタリがあり、下
へ下へ抵抗する魚を巻き上げると30㌢弱の立派な鯛が釣れた。よーし、餌をつけて頑
張ろうと下を向いていたら、急にゲーと私も始まった。そういえば、多少なりとも頭が痛い
ような、むかつくような気分ではあったが船酔いを認識するようなものではなかったから、
安心していた。一度、ゲロするともう止まらなくなり、胃液が出尽くしても、ゲー攻撃は手
を緩めない。結局、4人全員が討ち死にとなり、出発から1時間ほどで帰港と相成った。
史上最短の船釣りだとか、根性なしと不名誉な言葉を頂き、その上に可愛そうだと船賃
を半額にしてくれた。
船を降りても揺れは収まらない。帰りの車の運転はゆっくりと注意深く、模範生のようだっ
た。こうした時の決まり文句『もう、2度と船釣りには行かない』