食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『震災鎮魂の旅、双葉町入口』

2013年06月21日 18時36分41秒 | 旅行

震災の被害は津波が一番惨いが自然災害によるものだから、防ぐための私

たちの努力には限界があり、残念な結果に歯ぎしりをするしかない。そうと分かっ

ていても、やりきれないものだ。

それに対して、今回は福島第一原発の津波?地震?による事故は、人災も加担

して、私に言わせれば取り返しのつかない事故を起こしてしまった。

私は原発や東電、国に言いたいことは山ほどある。この場でも何度も書いてきた

が、書いても々、怒りは収まらないし書き足りないのだ。

今、原発周辺から強制力を伴って避難している人が約8万人、自主的を加えると

15万人と報じられている。こんなことが、あっていいのか?

中国では何かあると強制的に住民が移動させられたり、それに反発して居座って

いると家の上に鉄道高架が作られたり、そんなことが度々あったらしい。内々に始

末してきたが最近は騒ぎがネットなどに流れるから、強制移民は別に珍しいことで

はないことが判明した。ここは中国ではない。なのに理不尽な強制移民を強いら

れている。一番おかしいと思うのは、こんな大惨事を起こしたのに誰一人として

『責任』を口にした人はいない。

半径30Km以内は何とか、帰宅準備地域だとか、困難地域だとかどうでも良い名前

を付けて、これらの町が震災前に戻るような空虚な夢を抱かせ続ける政治家や官

僚どもが勝手なことをしている。双葉町や大熊町、浪江町などに入ることが出来な

いのは誰でも知っている。私は街中に出掛け惨状を見たいのではない。出来る限

り近くまで行って、恐らく以前のような街にはなり得ないだろう町の回復を祈りたい

だけだ。三春桜近くのICを過ぎ双葉町に近づいて行くが、震災とは無縁の町を走

っているように感じる。この辺りは私の住むところと余り変わりなく、田んぼには稲が

植えつけられているし、畑ではお婆ちゃんたちが野菜の世話をしている。

しかし、途中からやはり原発の影響を受けていることを目の当たりにする。除染で

除去した土を黒い土嚢袋に詰め込んだものが集められている。数はまちまちで、

所も山際とか家の側などまちまちだ。

TVで説明を受けたりニュースなどで報道されているから、除染の土だと分かる。

袋には場所を示すのだろうか、一つひとつにタグが付けられている。

畑の側にも黒い袋が積んである。除染したのであろう。除染というから放射線で汚

された土をはぎ取ったものだろう。畑の土だろうか。畑で作る作物は放射線の影

響は受けないものだろうか。除染したから大丈夫ということなのだろう。除染は原則

として森林は適用されない。除染後すぐ近くの山から核物質が飛来して来ないの

だろうか。こうした物質は埃のようにヒラヒラしているらしい。雨が降れば下に落ち、

乾燥して風が吹けば飛散する。落ち葉の下に隠れてしまえば、そのまま残ってい

る。除染した土袋は行き先がないから、行き先が決まるまで何年も何十年も今の所

に置かれる。その内、袋は劣化して破れ出すのは目に見えている。

其の頃には半減期に至らなくてもかなり低下しているから、そのままでもいいのか。

深く考えると疑問符に疑問符が乗りキリが無くなる。

目的地の規制入口付近に到着したら、丁度ガソリンスタンドがあり給油することに

し、様子を見るが開店なのか否か・・・・取り敢えず駆け込むと若い店員さんが出て

きた。スタンドは見るからに暇そうで客が来ても、いつもは五月蝿い程の声で

『いらっしゃいませー』の声はない。満タンにして貰い

『双葉町の規制入口はどこですか』と聞いてみた。

『この峠を降りたら検問があり許可書のない人は入れません』

スタンドを出て分帰路に来ると規制を示す看板があり『通行証のない人はここで戻

って下さい』

わざわざ検問入口で追い返される必要もないので、双葉町入口の旅をここで終え

た。さきほどのガソリンスタンドは双葉町との境界にあり、お客さんは沢山あったの

だろうが、今や町の一番外れに位置し疎らな客相手の活気のない店になってしま

った。塀の外と内を比較するのに刑務所がでてくる。この店は塀の外側にありなが

ら実際には塀の内側とあまり変わらない哀れな状況にさせられてしまった。大震災

の爪痕は何もない。塀の外側の人は震災以前と変わらない風景の中で暮らしてい

る。塀のすぐ内側は、ここと同じなのに何が違うのだろうか。

気は心だ。道の駅に寄った際、『福島県産の米ともち米』を購入した。

勿論のこと、袋には放射線被害のない安全な福島県産と書いてあった。

私は餅が好きだから、帰ったら電気ベーカリーで餅を作って貰おう。

 

                       除染土の袋

 


『笹百合が咲いていた』

2013年06月21日 18時24分57秒 | 日記

先週、旅に出る前には笹百合の蕾は未だ固そうで、かえって来た頃が丁度見ごろ

になるのではないかと思っていた。しかし1週間の旅から帰ってみると季節の時計

は、それよりもずっと早いスピードで針を回していた。

山小屋の周りの笹百合たちが咲き始めており、全部で10本ほどしか見えないが、

次々とラッパのような白い蕾がはじけそうだ。小屋の周辺は雑木に覆われていた

のを開拓した所だ。もう10年以上も前の事だが、それ以来この地には笹百合の花

が咲くようになった。正しくは昔、この地は田んぼだったから周囲は、今のような光

景で恐らく笹百合が咲いていたと思われる。人が手をかけなくなったこうした場所

の大地には太陽の光が届かなくなり、野花たちも朽ち果ててしまう。乱開発はよろ

しくないが、人の手が入る場所でなければ、こうしたありふれた自然も保てないと

言うことだ。

『山は、こると(雑木を倒伐したり下刈りをすること)笹百合やワラビなどが生え始め

る』といつも糸さんが言っていた言葉を思い出す。本当に、その通りだ。この周辺

の山々を綺麗に『こってやれば』笹百合が点々と咲き、強い百合の香りを漂わせ

てくれるだろうなー。

たった1週間の時間は畑の小梅の収穫時期まで狂わせて、黄色く熟れ過ぎ大半

が落果し、周囲を甘い香りで包んでいた。木には少しの実が残っていたが、収穫

して漬けるほどの量はないので、このまま放置することにした。

梅の収獲といえば、私の所属するNPOで栽培している梅園では約100Kgの梅が

採れた。これも旅の途中に行われたことだが、昨年は3Kgほどしかなかったから、

木の成長も順調にいっている証しだと思う。

   

            笹百合                    アザミ

 

          山つつじ                      自生のショウブ

                           梨の実

                  ブルーベリーの実 

                   以上、山小屋のプチ自然


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