食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『震災鎮魂の旅、知己との再会』

2013年06月22日 18時17分48秒 | 旅行

人の出会いは数えきれないほどあるが、何かの関係で同じ時期を過ごし、人間性

や考え方や、その人の持つ独特の雰囲気など、自分と異なっていても何故か相性

のいい人はいるものだ。会社であれば差し詰め同期の桜であるし、先輩・後輩もそ

うだ。私が初めて駐在したお客様先で一緒になったのが、今回仙台で30数年ぶり

に再会する先輩だ。一緒に仕事をしたのは4~5年と短いものだったが、技術的な

知識が伸び盛りの時に、色々と教えて貰い私の技術的な基礎を固めることが出来

た。勿論、人間性も素晴らしい人だから、離れ離れになり長い歳月が過ぎても、こ

うして逢って語りたいと思わせるのだ。

奥さん共々、出掛けたのは仙台名物の牛タン屋さん。

老舗で美味しいと評判の店らしい。牛タンを4人前頼もうとすると、店長さんが『ここ

のタンは大きいから、2~3人前と何かを頼まれた方がいいですよ』とアドバイスして

くれた。厚さは1cmくらいあり、2cm幅くらいに切ってある。丁度、ステーキを2cmくらい

に切り分けたような感じ。厚いのに店長が自慢するように、柔らかい。ほんのりとした

塩味で上品な味だった。私たちが食べるのは薄くスライスしたものばかりだから、タ

ンそのもの味より塩コショウだったり、別の調味料の味の方が強く感じてしまう。

何故、仙台が牛タンの本場なのかを聞き逃してしまったが、お土産コーナーでは

笹カマと肩を並べて牛タンの燻製や加工品が置かれている。

美味しい食べ物、冷えたビールで口も滑らかになり昔話、震災のことなどに花が咲

き大変楽しいひと時を過ごすことができた。皮肉なことに、この再会は憎たらしい震

災があったから叶ったものだ。天災は何一つとしていい事は言われないが極まれ

に、こうした機会を作り出すこともある。次の日は会津若松を通過して、長岡に泊ま

る予定だったが、宿の変更が出来たので会津若松泊にした。ここには後輩がおり

これまた何十年ぶりの再会だ。

当時は未だ若かったから会社のレクリエーションで奥さんも一緒にバレーボール

したりした。年賀状でのやり取りだけの付き合いになっているが、彼ともこうした

再会を果たせるとは思いもしなかった。頭の中には『いつか三春桜を観に行った

ら彼と再会できるかも・・・』とあったが具体性は皆無だった。

私の方が先輩だから偉そうにしたいが、郷に入れば郷に従うしかないから、連れ

いかれたのは『郷土料理』を食べさせる昔の豪農屋敷風の料理屋だった。

『こづゆ』と称する野菜汁のようなものや、目出度い時に食べる『饅頭の天ぷら』な

どともに会津地方の珍しい料理が出される。

呑み過ぎにならぬようと心がけていた心算なのに、ワインを3杯も飲んでも未だ元

気が残っていた。ここでも、当地で勤務していた仲間たちの報告やら病気の話を

していたら、奥さんは直腸がんで手術をされたと聞く。

以後の状況は順調で心配は要らないとの事だったが、こいつばかりは安心ならぬ

からお互い気を緩めないように。

懐かしい人との再会で話題は尽きないが時の経つのは早い。いつになるかはわ

からないけど、三春桜・・・・・と言いつつ再会を願う。

後輩の推薦・・・『五色沼は綺麗』に心を動かされ翌日は五色沼経由で中越地震

被災地の供養に向かう。


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