今から10年前(1996年)の6月2日に三木武夫内閣の官房長官などを歴任された井出一太郎先生が亡くなられました。
私が先生とお会いしたのは、先生のご子息である井出正一先生の秘書になってからです。東京の行き帰りに当時の信越線小諸駅まで送迎をすることが多くありました。その時既に政界を引退されて7年が経っておられ、現役時代の激務が崇ったそうで視力がほとんど無かったようでした。
しかし政治家としてではなく歌人として歌会始の召人(めしうど―特に天皇から召された者)にも選ばれるなど文人政治家といわれた先生は、30歳そこそこの小僧であった私などと話をする時でも穏やかにそして丁寧に、大変重みのあることばを下さり大変可愛がっていただきました。その身体から滲み出てくるオーラは何とも表現ができないものでした。
先生とはいくつかの思い出があります。
私はあまりミーハーでないので、普段は芸能人は勿論、政治家の先生方のサインや揮毫を自分から欲しがることはしないのですが、現役時代に揮毫された先生の包み込むような丸みのある字は私を虜にし、自らが欲して先生に何度もお願いをしました。目が不自由なことを理由に断る先生に「“心眼”で書いていただければ結構ですから。」と無理なお願いをつづけましたが、「気持ちは分かったが揮毫することができない。」と、とうとう実現することはなくとても残念でした。
また、96年の2月に体調を崩され佐久総合病院に入院されていた先生でしたが、亡くなる直前の5月下旬の小満祭の時に正一先生とお見舞に行ったときの出来事です。正一先生が耳元で「今日は〇〇君が来てくれているよ。」と私の名を呼びながら大きな声をかけると、目を閉じられたままでしたが何かことばをいうため一生懸命に口を動かされました(治療の関係で先生は声を出せなかったので、結局何をおっしゃっていただいたのか分からずとても残念です)。
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