小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(6)

2013年11月22日 16時12分51秒 | ジャズ
これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(6)


 ピアノトリオについての話を続けましょう。

 前回、ビル・エヴァンスについて書き、後期の彼に対して否定的な評価をしました。これに対して一読者の方から疑問の声が寄せられました。それによりますと、70年代後半から最期までの彼には、命の残りを燃え尽くす悲壮感にあふれており、60年代前半とは違った大きな魅力がある、というのです。じつは私は、70年代初めくらいからの彼の演奏を半ば見限ってしまったところがあり、最晩年の演奏をきちんと追いかけていませんでした。自分の中に、最盛期のビルのイメージが染みついており、前回ご紹介したような演奏(「いつか王子様が」)には、どうしても往年の「ビルらしさ」が感じられなかったからです。
 この考え自体はいまも変わりませんが、最晩年についてきちんと評価しなかった点については、不覚のそしりを免れず、ここにお詫びいたします。
 さてビルの晩年のライブ盤「コンプリート・ラスト・パフォーマンス '79」などを聴いてみますと、たしかに「命の残りを燃え尽くす悲壮感」を存分に味わうことができます。なかから一曲、ご紹介しましょう。「ゲイリーズ・ワルツ」。パーソネルは、マーク・ジョンソン(b)、ジョー・ラバーベラ(ds)。

Bill Evans Live - Garys Waltz (Jazz Piano)


 前回、軽率にも「晩年の演奏はかなり衰弱したものだ」などと書いてしまいましたが、「衰弱」というような形容はまったくあてはまりませんね。この部分を削除いたします。
 これはこれで抒情あふれる演奏ですが、ただ感じることは、自分の運命を感じ取っているせいか、最晩年のビルは、中間期よりもかえって自由奔放になり、抑制を取り払ってほとんど弾きたいがままに羽を伸ばしているという印象です。かつてのように他のメンバーとのアンサンブルやインタープレイを最重要視していた構成の妙は、あまり感じられません。逆に言えば、他のメンバーは、大マエストロを存分に立てているために、そのぶん影が薄いとも言えます。そこにショパンの独奏曲のあるもののように、やや過剰なロマンチシズムを聴きとってしまうのは、私だけでしょうか。「私の中のジャズピアニスト、ビル・エヴァンス」はどうしてもこれと違う、と言いたくなります(笑)。耳が固まってしまっているので、頑固なんですね。

 ビルについてはこれくらいにして、これまで再三触れたバド・パウエルについて語りましょう。



 バド・パウエルは、ビルよりも5歳年上で、40年代末から50年代初頭にすでにそのモダンジャズピアノのスタイルを確立しています。ピアノトリオという形式を作り出したのも彼の功績です。でもご多分に漏れず麻薬におぼれたために、その最盛期は短く、やがて精神疾患にかかります。60年代にはフランス活動拠点を移し、麻薬禍から立ち直りますが、ほどなく命を落とします。
 しかし、こういうバイオグラフィー的なことを述べるよりも、まずは彼の最も有名な曲をお聴きください。「アメイジング・バド・パウエル vol.5」から、「クレオパトラズ・ドリーム」。パーソネルは、ポール・チェンバース(b)、アート・テイラー(ds)。

Bud Powell - Cleopatra's Dream [from 1958 album The Scene Changes]


 とても親しみやすいテーマで、ノリもよく、一回聴いたら忘れられない曲ですね。これは彼が34歳の時の演奏ですが、ソロパートのフレーズも年にふさわしい円熟味が感じられます。しかしよく聴いていただければわかりますが、この時すでに彼の右手は指が相当もつれており、お世辞にもスムーズなプレイとは言えません。最後のテーマに戻るときにもミスっています。
 彼本来の独創性が発揮されたのは、なんといっても51年、27歳の時に発表された、「アメイジング vol.1」においてです。その中から、ジャズファンの間でいまでも評価の高いオリジナル曲「ウン・ポコ・ロコ」をお聴きください。パーソネルは、カーリー・ラッセル(b)、マックス・ローチ(ds)。

Un Poco Loco


 いかがですか? ジャズを聴きなれていない人の中には、「え? 何これ、ヘンな曲」と感じられた向きもあるのではないでしょうか。そうですね。「クレオパトラ」の親しみやすさに比べてたしかにけっこうエキセントリックな雰囲気です。じっさい、「ウン・ポコ・ロコ」とは、スペイン語で「ちょっと狂った」という意味だそうです。
 しかしこの曲には、「俺はこういう音楽をやりたいんだ」という彼の強い気迫と情熱が全編に漲っています。ソロパートをたっぷり聴かせるという楽しみは味わえませんが、カウベルの不思議なリズムに乗って奏でられる激しいテーマの繰り返し、中間部における、訥弁でありながら何かを懸命に訴えようとする切迫した展開、ローチの短いソロを経て、再びテーマへ。これは通常のジャズ音楽の概念を超越していて、並の人間感情の表現ではなく、何か「神々の憤り」とでもいったらよいようなものを感じさせます。狂気の神がパウエルの体にこの時突然降りてきたようです。
 51年という早い時期にこんなアヴァンギャルドな曲が生まれたというのは、まさにアメイジングです。クラシックで言えば、そう、プロコフィエフの登場に似ているでしょうか。私は60年代後半に起こったアヴァンギャルド・ジャズ・ブームをほとんど評価していませんが、パウエルのようなモダンジャズ草創期の人が示したこのような天才性には、脱帽するほかありません。
 この時期のパウエルは、自分が納得するまで同じ曲のテイクを何度も取っています。スタジオ録音では、テイクを何回か取るというのはしばしば試みられることですが、パウエルの場合は、ことにそれがしつこい。「アメイジング vol.1」、同vol.2のCD版では、それをたっぷり聴くことができます。興味を持った方はぜひどうぞ。

 なお蛇足を一つ。
「クレオパトラ」でも「ウン・ポコ・ロコ」でも、パウエル自身の声が聴かれますが、これは彼の癖で、表現したいことを鍵盤にぶつけようとするときの唸りあるいは呻きととらえられるでしょう。好き嫌いがあるでしょうが、そういうところも含めて、彼の演奏にシンクロできれば、これもまた魅力の一つになると思います。
 演奏中に声を出すピアニストには、ほかにオスカー・ピーターソンや、キース・ジャレットがいます。オスカーのそれは、マンブリング(もぐもぐ)と言って、なかなか楽しいものです。もともと彼のピアノはハッピーなトーンですから、それによく適しているでしょう。サッチモ(ルイ・アームストロング)のスキャットに似ていますね。
 キース・ジャレットの声出しは、私にはあまり好もしく思えません。というのは、彼の演奏は、エコーを効かせたとてもきれいなフレーズに満ち溢れているのに、それに「アーッ」というようなよがり声みたいな音がやたら混じるのは不調和そのもので、せっかくの美しい音楽をぶち壊しているようにしか聞こえないからです。



 *次回以降もピアニスト特集を続けます。


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