小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(11)

2014年03月06日 20時27分14秒 | ジャズ
これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(11)




 さて「帝王」マイルス・デイヴィスです。

 少し前、近くのスナックで、好感の持てるある寡黙な若い男性と話していたら、その人がビル・エヴァンスが好きだと言うので、おお、いいセンスしてるなと思い、「マイルスはどう?」と聞いてみました。すると、「マイルスはピーピー言ってるだけだ」とぶっきらぼうな答え。まさかそんな返事が返ってくるとは思ってもいなかったので、私は唖然としてそれ以上話す気がなくなりました。いったいマイルスの何を聴いてきたのか知りませんが、こんなことを言っているようでは、ジャズのスピリットなどまるでわかっていないのと同じです。ビル・エヴァンス好きというのも怪しいものです。

 この種のことって時々あるんですね。
 以前、あるうら若い女性が「デクスター・ゴードンが好きなんです」と言うので、デクスター・ゴードンの名前が出てくる以上は、ジャズについて多少は聴きこんできたのかと思ったのですが、話していると、どうもそれ以外には誰も知らないらしい。
 また、別の女性と話していて、「僕、最近、落語に少しハマりかけているんですよ」と言ったら、「落語、私も大好き!」と反応してきたので、「誰がいいですか」と聞いてみました。するとある落語家の名前を挙げました。私はその人の名前だけ知っていてまだ聴いたことがなかったので、機会があったらぜひ聴きに行こうと決めました。さてその他の噺家や有名なお題について会話を進めてみると、彼女、きょとんとしていて全然乗ってきません。どうやら前に一回か二回、誰かに誘われてその落語家を聴きに行っただけらしい。なんでその程度で「落語が大好き!」なんて言えるんでしょうね。
 憎まれ口を叩きましたが、私はけっして、この人たちが、ある文化ジャンルについての知識を持っていないことを軽蔑しているのではないのです。私だってジャズ鑑賞という趣味の領域で、知識量という点では、多くの熱心なファンから比べたらほんの少ししか知らない。でも、多少は年季を積んできたせいで、この曲はいいと感じるけれど、この曲はあまりいいとは思えないという感覚だけははっきりしています。心に響いてくる曲は何度も何度も聴きますが、一、二度聴いてピンと来なかった曲はたいていすぐ見捨ててしまいます。自然とそうなってしまうので、だから知識も増えないんでしょうね。
 私が言いたいのは、「あるものが好き」と心から言えるためには、そのものが属している世界全体のさまざまなありように多少ともなじむことがどうしても必要だろうということです。最近の人たちは、すぐ「何々が好き」と、あたかも多くの中から選択したかのように言いますが、ほんとうに自分の感性に自信をもって言っているのでしょうか。この情報洪水の時代のなかで、たまたま触れたものにちょっと興味を抱いた程度のことを「好き」と称している場合が圧倒的に多いのでは。
 それにしても気にかかるのは、あまりに多くのものが五感に飛び込んでくるこんな時代では、自分の趣味、自分なりの価値判断を養うための道筋のようなもの(教育などとエラそうなことは言いますまい)が失われているのではないかということです。
 趣味について言葉で議論することは、なかなかうまくかみ合わなくて空しさを感じることが多いですが、それでも、人それぞれとあきらめず、この作品のこういうところに感動した、とか、これはちっともいいと思わなかったとか、ともかく言ってみることが必要ではないでしょうか。
 いきなり脱線してしまいましたが、いま話題にしているマイルスに関連させますと、たとえば彼よりもずっと後の世代でウィントン・マルサリスというジャズ・トランぺッターがいます。とてもきれいな伸びのある音を出して、テクニックもたいへん優れています。その点ではマイルスより上と言ってもいいでしょう。しかし私はまったくいいと思わないので、何枚か買ったCDはそのままほこりをかぶっています。だれかこの人がいいと思う方がいたら、どうぞご意見をお聞かせください。

 さて再び、「帝王」マイルス・デイヴィス。
 彼は、1950年代前半までは、そんなに目立つ存在ではありませんでした。1926年生まれですから、30歳前まではということです。同時代の先輩トランぺッターには、ディジー・ガレスピーがおり、同輩にはクリフォード・ブラウンがいて、テクニックの凄さや情熱的、華やかさという点では、彼らのほうがはるかに優っていたと言ってよいでしょう。
 この頃のマイルスの吹き方は、何となく羞じらっているような、「これでいいのかな」と一生懸命自分に問いかけているような雰囲気があって、音もややくぐもっており、声で言えば沈んだハスキーボイスのような趣です。それが個性的といえばいえるのですが。
 ではまず1954年のヒット作「ウォーキン」から、「ウォーキン」。パーソネルは、ジェイ・ジェイ・ジョンソン(tb)、ラッキー・トンプソン(ts)、ホレス・シルヴァー(p)、パーシー・ヒース(b)、ケニー・クラーク(ds)。

Miles Davis - Walkin'


 以前にも書きましたが、この演奏はオープン・トランペットです。マイルスの本領であるミュート・トランペットの魅力を知ってしまっている私たちとしては、どうしても少し物足りないものを感じます。ただ、こういうくぐもった吹き方のうちに、やがてミュート・トランペットによって水を得た魚のごとく開花する彼の芸術性の萌芽が確実に感じられることは確かでしょう。
 では次に、そのミュート・トランペットの魅力を存分に発揮したスローテンポの一曲、「クッキン」から「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」。パーソネルは、レッド・ガーランド(p)、ポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)。原曲の哀しみを保存しながら、マイルスがそのまま情緒あふれるソロをゆっくりと吹き、中間部、倍テンポでレッド・ガーランドがシングルトーンのおしゃれな音色を響かせます。再び元のテンポに戻ってマイルスへ。

Miles Davis - My Funny Valentine


 これが吹き込まれたのは1956年ですが、この年はマイルスにとって、またモダンジャズ界全体にとって、まさに画期的な年です。マイルスは、上記のメンバーにジョン・コルトレーンを加えたクインテットを組み、「クッキン」「ワーキン」「リラクシン」「スティーミン」の四部作、そして「ラウンド・アバウト・ミドナイト」などのアルバムを矢継ぎ早に世に出していきます(「ラウンド・アバウト・ミドナイト」の発売は57年)。
 このクインテットは、モダンジャズ史上、不世出のクインテットで、こんなすごいメンバーがニューヨークの片隅のスタジオで一堂に会して素晴らしい音楽を創造したとは、まさに奇跡としか言いようがありません。私としては、何曲も紹介したくなる欲望を抑えるのがやっとです。
 それでは、「リラクシン」のなかから、以前、トミー・フラナガン・トリオの演奏で紹介したのと同じ曲、「オレオ」。すべてのプレイヤーの呼吸がぴったり合ったインタープレイの超スリリングな演奏をお楽しみください。

Miles Davis - Oleo


「ラウンド・アバウト・ミドナイト」から2曲。
 まず「ラウンド・ミドナイト」。これはセロニアス・モンクの作曲ですが、同じ曲でもこれほど魂を揺さぶる演奏はまずほかに考えられないでしょう。かすれ声で深く語りかけてくるマイルスの孤独な内面の告白が続き、中間部で突然転調して、やや速いテンポで、武骨だけれど力強いコルトレーンの声が応じます。再びマイルスの静かな受け答えがあり、最後に承認しあった者どうしの友情の表現のように、二人して歩んでいく短い印象的な二重奏で曲を閉じます。見事な構成というほかありません。

Miles Davis Quintet - 'Round Midnight


 次に、「バイ・バイ・ブラックバード」。この曲は古い名曲ですが、マイルスが採りあげてから、前回紹介したサラ・ヴォーンヘレン・メリルも歌うようになりました。しかしやはりマイルスを中心としたこのクインテットの演奏は独特で、彼らにしかこういう世界は創り出せなかったと思います。よく知られた曲でも、マイルスが吹くと、それがまったく初めから彼の持ち歌であったかのように聴こえてくるから不思議です。
 レッド・ガーランドの印象深いイントロとフィリー・ジョーの控え目なブラッシュワークに乗って、マイルスがおもむろにテーマを吹き、調子がぐっと上がったところでソロパートに移ります。このソロは完璧な美しさをそなえていると言ってよいでしょう。続いて不器用ながらテナーと格闘するコルトレーンの好感度抜群の演奏、そして、レッドのあの趣味のよさを存分に表現したピアノソロが全体を締めくくって、テーマに戻ります。

Miles Davis - Bye Bye Blackbird


 この黄金のクインテットは、58年には早くも崩れます。現実上のいろいろな事情があるのでしょうが、それ以上に、こういう絶妙のコンビネーションというものは、もともとやれることをやりきってしまうようにできていて、その後はそれぞれのメンバーが新しい自分なりの道を切り開いていくほかはなくなる宿命を持っているのかもしれません。

 私は、マイルスがミュートを頻繁に用いるようになった事情をつまびらかにしませんが、いずれにしても、このサウンドが切り開いた新しい境地が、ジャズというものの精神と容貌を一変させることになったのは確実です。その変貌を何といったらいいのか。
 華やかさや軽薄さからクールで重厚なものに、というのともちょっと違うし、新しい抒情性を獲得したというのもちょっと違う。また、これまでの規範の窮屈さから脱して各メンバーたちのより個性的で自由な演奏を前面に打ち出したと言っただけでは足りないものがあります(ちなみにそういう傾向はこの時点でも明らかにうかがえますが、これがモード奏法の完成によってより鮮明になるのは、59年の名盤として名高い「カインド・オブ・ブルー」からです。このシリーズでもすでに紹介しましたね――「ソー・ホワット」と「オール・ブルース」)。
 マイルスがここで切り開いた地平をひとことで言うなら、演じる方も聴く方も集団で味わうことを前提とした音楽であったジャズを、ひとりひとりが演奏し、ひとりひとりがその趣を深く味わう芸術にまで高めた、ということになるでしょうか。たとえが適切かどうかわかりませんが、ちょうど万葉の時代に歌垣で喝采しあうような雰囲気のもとに詠まれていた和歌が、新古今に至って西行や実朝のような個人の内面的境地を表現するものに大きく変容したというのに似ているかもしれません。あるいは俳諧からの芭蕉の登場にも。
 もちろんマイルスだけがこの変貌に貢献したわけではなく、そこには天才たち(たとえばビル・エヴァンス)どうしの相互影響があり、またジャズ界をめぐる時代の雰囲気がしだいにそういう成熟したものにせりあがっていったという背景があります。98度くらいまで熱していたのを、100度で沸騰させたのがマイルスだったのでしょう。

 次回もマイルス・デイヴィスについて書きます。この後も彼の最盛期が続くので、引き続きそのことを書くつもりですが、行き着くところまで行ってから、どのように変貌していったかに関しても触れたいと思います。


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6 コメント

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マイルス (Yutala Ogawa)
2014-03-07 16:35:25
「あまりに多くのものが五感に飛び込んでくるこんな時代では、自分の趣味、自分なりの価値判断を養うための道筋のようなもの(教育などとエラそうなことは言いますまい)が失われているのではないかということです。」

同感です。教養とも文化と呼ぶもの、または、culture 、Kultur…、こうした「直観」に属するもののよしあしを見る目を育て、鍛える(sophisticate)には、余裕も、判る瞬間が訪れるまで気長に待つことも必要です。
が、今では、そんなことをする前に、「情報」の波に押し流されてしまうというのが一般的なのでしょうか。一文にもなりませんからね。

最近、某作曲家がもてはやされた挙句、実は影武者のいたずらだと分かった事件がありましたが、みんな本当に自分の耳で聴いていたのかな、と疑います。芸術は、形式を持った快楽に過ぎないと言えるかもしれません。が、何が「快か」も分からなくなっているのでは、「大丈夫なの」と訊きたくなります。人が言ってるから、よいというのでは楽しくないと思うのですが…。


Yutaka Ogawaさんへ (kohamaitsuo)
2014-03-08 00:21:09
本質を突いたコメント、ありがとうございます。

まさにおっしゃる通りで、おこがましい言い方になりますが、やっぱり「相互の感情教育」のようなものが必要なのかもしれません。

特に日本の大衆社会には、この問題意識がなさすぎるように思います。小学校の美術教育なども「自由に表現しなさい」と言うだけで、「こういうものを美しいというのだ!」という明確な価値観の提示や、それに向って感性を開かせるための地道な修練過程の試みが欠落しているようですね。

佐村河内氏の事件については、その音楽を聴いたことがないので、作品そのものについての評価は控えますが、「日本のベートーヴェン」とまでもてはやされていたのが、事実が発覚したとたん、あるファンによる「涙を流して聴いていたのに、騙された気分だ」というコメントがありました。私は、開いた口が塞がりませんでした。「涙を流し」た自分はどこへ行ったのでしょう。ゴーストライターの作品であろうと何だろうと、本当に感動したのなら、その事実を否定してはいけない。別に耳が詐欺にあったわけではないのだから。また、涙がインチキだったのなら、人を非難する前に、そういうインチキな自分を恥じるべきでしょう。

この事件の場合、障碍者であるという知的情報(それも詐称だったらしいですが)が、多分に評価を底上げしていた可能性が考えられます。
それで連想したのが、世界的な人気を博している盲目の某若手ピアニストです。この人はもちろん詐称ではありませんが、私はこの人の生演奏を聴いたことがあり、どうも情緒の豊かさが欠けているなあ、という印象を受けました。これも底上げだと言ったらその筋から怒られるかもしれませんが、そういうことを自由に言える雰囲気が必要だと思います。

某ノーベル賞作家の息子さんについても同じことが言えますね。作品や演奏についての絶対的に正しい評価というのは難しいでしょうが、逆にもし王様が裸だと感じたなら、率直に「王様は裸だ」ときちんと言える構えが大切と心得ます。そういうところから初めて本当の批評が始まると思うからです。

映画『風立ちぬ』と『『永遠の0』は、いずれも優れた作品だと思いますが、この二つをめぐる多くの政治的な雑音も気になるところです。

貴兄のコメントに刺激され、つい調子に乗って、いろいろ書きました。

またよろしく。

突然失礼致します (Kazunori Ohmura)
2014-03-11 20:24:00
今回貴ブログを拝見し目から鱗の気が致しました。正直申しまして私はあまりジャズとは縁がなく、中学時代から約半世紀に亘り所謂クラシックをもっぱら愛好して参りました。しかしジャズについても高校、大学の友人に誘われピットインやダグなどに通った時代もございました。ちなみに好きな奏者はオスカー・ピーターソン、ステファン・グラッペリ、外道かも知れませんがジャック・ルーシェです。

しかし名前を挙げても、その代表作など知る由もなく誠にいい加減なファンであることをお許し下さい。本来のクラシックも含め多くのLPレコードを前妻のもとに置き去りにし、大変後悔致しております。昨年一大決心をして返還を求めたところ、その一部数十枚を返してくらましたが、ジャズは含まれておりませんでした。

昨年俄かにジャズが聞きたくなり、図書館でオスカー・ピーターソンを借りましたが、自宅の生活臭とのミスマッチに唖然となり、途中で再生を止めてしまいました。やはり非日常性の空間で聞くべき音楽なのでしょうね。

ところでクラシックは前述の通り約半世紀聞いておりますが、実際のところその感性が分かりだしたのは恥ずかしながら最近のこと。徒然なるままに知恵袋などのクラシック関連記事を拝見すると、昨日今日聞き始めたようなひよっこが、どうせネットで仕入れたネタをもとに、いっぱしの批評家然として生意気なことを書いているのがどうにも気に入りません。実際私が数回質問を出したところ、非常に上から目線で痛烈な批判を頂きました。多分書いている人は文脈から若い方だと思います。

この現象は先生の書かれている「一度でも聞いたことがあれば大好き、その道の通」というエピソードと合致するのでは、と思う次第でございます。私などはもう年寄りに近い年代であり、何を言われてもそれ程動じませんが、若い繊細な方々はこれで懲りてしまうのでは、と危惧致しております。

ご迷惑とは存じますがもし宜しければ今後も時折コメントさせて頂きたくお願い申し上げます。書いているうちにとりとめがなくなり申し訳ございません。
Kazunori Ohmuraさんへ (kohamaitsuo)
2014-03-12 00:04:45
生き生きとしたコメント、ありがとうございます。
とても面白く読ませていただきました。

これは単なる想像ということになりますので、間違っていたらお許し下さい。

Ohmuraさんのおっしゃっている、「いっぱしの批評家然として生意気なことを書いてい」て、「上から目線で痛烈な批判を」する「若い方」というのは、私がとりあげた、何も聴きこんでいないくせにすぐ「大好き」と言いたがる人とは、また種族が異なるのではないかと思います。

おそらく知識量としてはものすごくため込んでいて、素直な感動をさしおき、やたらとトリヴィアルな薀蓄をかたむけて人とは違ったことを言いたがる「オタク」的な人ではないでしょうか。こういう人もまた、困ったものなのですね。

どうぞこれからもよろしく。
「カインド・オブ・ブルー」を聴いています。 (ランピアン)
2014-05-20 22:55:40
『カインド・オブ・ブルー』、CDを購入して聴いています。いいですね。とくに「So What」が素晴らしく、繰り返し聴いております。マイルスといえば、「『死刑台のエレベーター』の・・・」という程度のお恥ずかしい認識でしたが・・・。

まだまだ耳がついていきませんが、『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』、『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』と、まだまだ聴くべき名盤がありますので、とても楽しみです。
ランピアンさんへ (kohamaitsuo)
2014-05-21 00:19:06
いつもながら、うれしいコメント、ありがとうございます。

「ソー・ホワット」は、ポールとビルの出だしにマイルス、コルトレーン、キャノンボールが合わせてしだいに盛り上げていき、マイルスのソロに突入してゆくあの雰囲気に、思わずゾクゾクっときますね。

キャノンボールのソロ、ジミー・コブの見事なシンバリズムによるサポートも聴きものです。

ぜひこれからも名盤をお聴きください。

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