小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(3)

2013年11月12日 16時31分06秒 | ジャズ

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(3)


 時計の針を大学入学前に戻します。
 渋谷のジャズ喫茶に通っていたころ、よくかかっていたのは、楽器別に言うと、次の通りです。もちろんそれぞれのプレイヤーが共演しあっている場合が多いのですが、アルバムによって、だれをフィーチャーしているかということがほぼ決まっており、その人の名前が前面に出ているわけです。
 ピアノ: ホレス・シルヴァー、バド・パウエル、ソニー・クラーク、ウィントン・ケリー、オスカー・ピーターソン、セロニアス・モンク、マル・ウォルドロン、マッコイ・タイナー、ハービー・ハンコック、デイヴ・ブルーベック、そしてビル・エヴァンス。
 トランペット: ディジー・ガレスピー、ドナルド・バード、アート・ファーマー、ケニー・ドーハム、リー・モーガン、フレディ・ハバード、そしてマイルス・デイヴィス。
 テナーサックス:  コールマン・ホーキンス、ソニー・ロリンズ、デクスター・ゴードン、ウェイン・ショーター、スタン・ゲッツ、チャールス・ロイド、そしてジョン・コルトレーン(彼はソプラノサックスも吹きます)。
 アルトサックス: ジャッキー・マクリーン、アート・ペッパー、リー・コニッツ、ポール・デスモンド(と、なぜかこの楽器、白人が多い。柔らかい音質だからか)、キャノンボール・アダレイ(黒人)、そしてエリック・ドルフィー(黒人)。彼はバスクラリネットとフルートも吹きます。チャーリー・パーカーの嫡出と言えるでしょう。
 いま挙げた中で、それぞれの楽器の最後に置いた人たちはみな巨匠なので、いずれゆっくりと語りたいと思います。
 その他、脇役的な立場で共演していながら目を見張る出演者がたくさんいるのですが、きりがないのでこのくらいにしておきましょう。
 さて、大学受験も押し迫った高3の11月、文化祭の折に、友人K君(先のK君とは別人)と語らって校内でジャズ喫茶をやろうという話になり、私はそれまでに小遣いをはたいて買い集めたLP10枚ほどを持ち込んで、店内に好き勝手に流しました。これはなかなか好評で、そのころコルトレーンのソプラノサックスにいかれていた級友のT君が、私のささやかなコレクションを見て、「小浜、それはすごい財産だな」と言ってくれました。得意満面。しかしこういうことにうつつを抜かしていたせいか、第一志望には見事に不合格。
 ここで、当時爆発的にヒットしていたデイヴ・ブルーベック・カルテットによる「テイク・ファイヴ」を聴いてください。このメロディ、きっとどこかで聞いたことがあるでしょう。

http://www.youtube.com/watch?v=vmDDOFXSgAs

 軽くソフトでいいノリですね。白人らしい洗練されたセンスです。スコッチやブランデーなどをかたむけながら聴くとゴキゲンかも(ちょっとクサいか)。
 でも正直な話、当時、私はこの曲の大流行があまり面白くありませんでした。エラそうに言うと、ジャズに対する自分の感受性はもっと激しいものを求めている! と感じるところがあったのです。
 この曲が有名になったのには、テーマが親しみやすいことのほかにもう一つの理由があります。ジャズはふつう四拍子ですが、これは四分の五拍子という変則リズムなのです。ツダッツダッ、ンダッ、ツダッツダッ、ンダッ、とブルーベックのピアノがそのリズムを打ち続け、それに乗せられてポール・デスモンド(as)が軽快にソロを奏でます。それが何ともオシャレな雰囲気を醸し出しているのですね。一種の知的な操作の勝利でしょうか。
 しかしこの楽団は、ほとんどこれ一曲しかヒットがなく、やがてジャズのメイン・ストリートから消えていきます。「一節太郎」というヤツですね。お聴きになってわかるとおり、リーダーのブルーベックは、何にもソロ・パートを弾いていません。一説によると、彼は魅力的なアドリブができないのだとか。ジーン・ライトのドラムソロも、どうってことのないつまらないものです。まあ、いまでもよく聴かれているようなのでいいですけど。
 悪口を叩きましたが、これって、ジャズ鑑賞における私自身の「白人差別」かも。でも、同じく白人のビル・エヴァンスについては、最高級の評価をしていますので。

 その頃さかんにもてはやされて、いまはあまり聴かれなくなってしまったピアニストに、セロニアス・モンクがいます。「真夏の世のジャズ」という有名な映画に出演して世界的に人気を博しました。ちなみにこの映画には、ゴスペルのマヘリア・ジャクソン、ジャズ・ヴォーカルのアニタ・オデイらが出演しています。この二人は、それぞれ素敵です。マヘリア・ジャクソンは、のちのホイットニー・ヒューストンなどに大きな影響を与えた大歌手です。
 脱線しました。
 モンクのピアノは、極端に訥弁型でイレギュラーな不協和音を意識的に使うので、それが何やら神秘的、哲学的に感じ取られたようです。本国ではいざ知らず、日本ではエキセントリックな若者に妙に受けていました。しかしじつを言えば、私は当初からこの人の何がいいのか、よくわかりませんでした。でもほら、若い時って、自分の感性に自信がない分、なんだかわかったふりをしたがるところがありますよね。私は、「モンクはいい」と積極的に人に説いた覚えはありませんが、なんとなく周りの雰囲気に押されて、これっていいのかなあ、みんなが言うからいいんだろうなあ、くらいに思っていました。
 いまの時点で遠慮なく言わせていただくと、この人は歌えない人だし、聴衆を乗せない人だし、他のプレイヤーとのスリリングなインタープレイができない。でも、ひとりで弾いている「ソロ・モンク」というアルバムはちょっといいし、何を訴えたいのかがなんとなくわかります。
 要するに他のプレイヤーと共演することに向いていないなあ、と思います。マイルスとの共演がうまくいかなくて喧嘩別れしたという話もあります。この喧嘩別れでは、私はマイルスに断然軍配。同時代のピアニストなら、バド・パウエルのほうがずっと天才的で個性的です。シャブ中のためか、最盛期は短命に終わりましたが、彼についてはまたのちに紹介しましょう。
 モンクの才能は、むしろ作曲に活かされています。「ラウンド・アバウト・ミドナイト」「ストレイト・ノー・チェイサー」など、ジャズスタンダードナンバーとして有名な曲は、彼の手になるものです。
 
 当時よくかかっていた曲に、マル・ウォルドロン(p)の「レフト・アローン」、リー・モーガン(tp)の「ザ・サイドワインダー」があります。
 前者は、黒人女性歌手、ビリー・ホリデイの伴奏者だったマルが、亡きビリーを偲んで作った曲。ジャッキー・マクリーンの悲哀のこもったアルトサックスが妙に肉声に近く、日本人にはとても人気があります。ジャズで哀悼を表現した曲というのはあまりないので、貴重といえるかもしれません。素朴な心で聴いて、きっと泣けると思います。よい意味での「浪花節」ですね。浪花節は大切です。
 では「レフト・アローン」。
http://www.youtube.com/watch?v=E7lIffL3xaQ
 後者、リー・モーガンは、前にご紹介したアート・ブレイキーとジャズメッセンジャーズでも花形スターでしたが、オリジナルアルバム「ザ・サイドワインダー」で一躍、一般のポップス界でも人気を勝ち得ました。この人は、ちょっと不良っぽい風貌ですが、早い時期から才能をきらめかせ、若々しく華やかなラッパを吹きます。



「ザ・サイドワインダー」は、ジャズとロックの中間のようなリズムで、とてもポップなイメージです。これなら、ジャズに興味がなかった人も、思わず体を動かしたくなるでしょう。私の友人、K君もA君も当時これを聴いて、ノリまくっていました。
http://www.youtube.com/watch?v=T5jFPrx51Dc
 このノリのよすぎる明るい曲は、ジャズを静かに聴く、という立場からは、少し邪道に感じられるかもしれません。事実、本格派を気取っていた私自身は、こういう方向にジャズが開かれていくことに、多少の不満を抱いたものです。
 しかしリー・モーガンは、一見やんちゃで派手に見えますが、ジャズが持つリリシズム(抒情性)や即興演奏での緻密な構成力をきちんと表現できる人です。オーソドックスなジャズ曲の中での彼の演奏を聴きたい人には、ジョン・コルトレーンの「ブルー・トレイン」がお勧めです。
 この曲でリー・モーガンは、初めから終わりまで、起承転結のある完璧なソロを吹いています。もちろんコルトレーンも大したものですが、彼については、言いたいことが山ほどあるので後回しにし、ひとまずこの曲では、リー・モーガンの演奏をお楽しみください。二人以外のパーソネルは、カーティス・フラー(tb)、ケニー・ドリュー(p)、ポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)。フィリー・ジョー以外のすべてのメンバーがソロパートを受け持っています。

http://www.youtube.com/watch?v=S1GrP6thz-k
 アトランダムにいろいろ紹介してきましたが、ほかの世界と同じように、ジャズの世界はたいへん奥が深く、とてもとてもこんなものでは本道にたどり着いたとは言えません。次回は、モダンジャズの栄枯盛衰ということについて私なりの考えを語ってみたいと思います。ただし気ままな旅なので、ここで予告したことは、その通りになるとは限りません。もしみなさんがまだ飽きていらっしゃらなければ、どうぞもう少しお付き合いください。


コメント(2)

2013/09/08 01:39
Commented by ogawayutaka さん
60年代のジャズシーン、私には懐かしい名前ばかりでしたが、懐かしいというだけでなく、挙げられている音楽家の独自性は、普遍性を持つと思います。次の世代に人にもぜひ、イントロデュースをお願いします。
ところで、そもそも、世間での評価以上に評論家という存在の役割はとても大きいと思います。ジャズ評論家もしかり。評論家は、芸術家と受け手の媒介をしてくれます。評論家と言っても、その名を職業としている人とはかぎりません。ときには、編集者、教師、それに音楽の場合、レコード会社や放送局の人、オーケストラの音楽監督と言われる人もそうでしょう。ジャズ喫茶のおやじもそこに入ります。
こういう人たちは聴き巧者であるとともに、多く場合、言語表現の達人です。この人たちが、音楽を「発見し」、大衆に伝えてくれます。偉大な芸術家は最初は、なかなか理解されないのですが、こういう人たちが熱心に説得するおかげで、人々は聴いてみようかなと気を起こします。または、放送局に働きかけて初めて多くの人の耳に達するということもあります。バッハは、メンデルスゾーンが広報活動をしなければ、発見がずいぶん遅れたでしょう。その間に多くの楽譜も失われてしまったかもしれません。
ついでに、個々のプレイヤーについてですが、たしかにブルーベックはつまらないです。しかし、数年前に大統領も出席して誕生日が祝われ、昨年亡くなったときは「偉大な芸術家」としてみなされたようです。芸術家を褒めるのは大切ですが、これで若い人へのメッセージなるのかどうか、疑問に思いました。
ところで、ポールデスモンドは、世間ではイージーリスニングとみなされがちですが、私は天才だと思います。


2013/09/08 14:35
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Commented by kohamaitsuo さん
To ogawayutakaさん
たびたびコメントを寄せていただき、ありがとうございます。
おっしゃる通り、芸術・文化にとって紹介者・媒介者の役割はとても重要ですね。バッハが人口に膾炙するのにメンデルスゾーンが大きな役割を果たしていたとは、不覚にして初めて知りました。
編集者、教師、音楽関係者、ジャズ喫茶のおやじなどの広報活動や意見が貴重というお考えに賛成です。
評論家と言っても、当時「スウィングジャーナル」誌で活躍していた人たちの中には、名前は挙げませんが、あまり共感できない人も何人かいました。あるジャンルに心から惚れ込んでいること、趣味にあまりぶれがなく日和見主義に陥らないことが何よりも重要かと思います。油井正一さんがよかったですね。彼はジャズ評論界の淀川長治です。
私もこういう試みで、少しでもよき紹介者の末席に連なることができればと、少々身の引き締まる思いでおります。
デスモンドが超名プレイヤーだということは、もちろん認めます。彼がいなかったら「テイク・ファイヴ」もあれだけヒットするはずがないですよね。
今後ともよろしくお願いいたします。

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(2)

2013年11月11日 22時39分52秒 | ジャズ

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(2)

 前回、K君と悪友関係になったと書きましたが、途中からA君も加わり、私たちはジャズ好き三バカ・トリオとなります。三人の中では、A君がどちらかと言えばより開かれた趣味の持ち主。私が一番気難しくハードなものを好むタイプ。K君はその中間と言ったらよいでしょうか。ちなみにA君は、ずっと後に、ちあきなおみの素晴らしさを私に教えてくれることになります。
 さて私は、66年の春、横浜の大学に入学しました。横浜は地元だし、中心部の野毛には、日本で初めてのジャズ喫茶と言われる「ちぐさ」があります。もう一つ「ダウンビート」というのがあり、こちらは高校時代からちょくちょく通っていたのですが、大学生になってからは、両方に通うようになりました(授業がつまらないので)。
「ちぐさ」は、おそらく大正末期から昭和初めにかけて青春時代を送ったと思われるハイカラ爺さんの吉田翁が経営していました。十人も客が入るかどうかの本当に小さな煤けた喫茶店ですが、老舗の風格があり、多くのジャズメンたちも訪れています。
 CDやi-podやYou Tubeでいつでもどこでも音楽が聴ける今の若い人たちにはあまり想像がつかないかもしれませんが、ジャズ喫茶というのは、150円から200円くらい取ってジャズのレコードを聴かせコーヒーを出すだけの店です。そういう店が当時都会には何軒もあり、コーヒー一杯で何時間も粘る客がいたものです(私もその口でした)。社交場としての意味はあまりありません。なぜなら、孤独な青年たちが好きなジャズを聴くだけのためにやってきて孤独なまま帰っていくというのが、まあ、この種の店の客の主たる特徴だったからです。だから大きな声を出してしゃべってはいけないのです。有楽町の何とか――ちょっと名前が出てきません――という店、新宿の「木馬」などは、特にこの点がうるさく、有楽町の店では、私たちがちょっとおしゃべりをしていたら、そこのマスターに「坊やたち、静かにしなくちゃだめだよ!」と叱られたことがあります。
「ちぐさ」でも、おしゃべり禁止の規則があるわけではありませんが、そこらへんはみんな不文律として心得ていて、大きな声を出す客など一人もいませんでした。濃くて苦いコーヒーを飲みながら(今にして思うと、これはあまり美味くありません・笑)静かにジャズを聴いていると、そのうち吉田翁が寄ってきて、「そっち、なんかリクエスト!」とぶっきらぼうに言います。レコードのリストがその辺に置いてあるので、それを参考にしてもよし、勝手にリクエストしてもよし、もちろん手を振って断ってもかまいません。
 ちなみに、吉田翁亡き後も「ちぐさ」は相当長く続きましたが、一度店を閉じました。もう永久に失われたのかと思っていたら、なんと昨年、少し離れた場所に移って再開されたのです。今だと、お酒を飲ませたり料理を出したりするシャレた店でなければ客が寄り付かないと思うのですが、復活の「ちぐさ」は、前よりも少し広くなったほかは、どでかいスピーカー、小さなコーヒーテーブル、レコードしか聴かせない点など、昔のままです。野毛商店街の団塊オヤジたちが、亡くすにしのびず、復活させたのでしょう。
ちぐさ:http://noge-chigusa.com/

 高校時代に渋谷のジャズ喫茶をはしごしたと書きましたが、さまざまな曲を聴いた中で、私はソニー・ロリンズに一番ハマっていました。彼の吹くテナーは、男らしく、当意即妙、変化に富み、野心的で自由闊達、じつに独特の節回しです。ロリンズ節という言葉がありました。彼がいなかったら、モダンジャズの世界でテナーという楽器がこれほど注目を浴びることはなかったでしょう。



 もっとも有名なのは、「サキソフォン・コロッサス」というアルバムの一曲目、「モリタート」(「マック・ザ・ナイフ」のロリンズ版)ですが、ここでは、同じアルバム中から、親しみやすいカリプソ風のノリで目いっぱい楽しませてくれる「セント・トーマス」を紹介しておきましょう。彼のオリジナル曲です。

http://www.youtube.com/watch?v=Z4DySQyteRI

 この曲でドラムを叩いているのは、前回紹介したマックス・ローチですが、二人のコンビネーションは絶妙で、もう一つ紹介したい曲に、「ワーク・タイム」というアルバムの、「イッツ・オールライト・ウィズ・ミー」があります。速いテンポでスリリングな絡みを演じていますが、残念ながら、You Tube、ニコニコ動画その他からも取り込むことができないようです(ダウンロードはレコチョクなどからできるようですが手続きが少々面倒)。でもこの曲は絶対おすすめですよ。「ワーク・タイム」自体は、アマゾンなどで安く買えます。
 ロリンズは、軽妙に奔放に吹きまくっているように聞こえますが、じつは自分の音楽追究の志に関しては、けっこうストイックなところがあり、壁に突き当たったと感じると、そのたびに演奏活動を中断してしまいます。長い中断期間の後、おそらく私の大学時代だったと思いますが、インパルスレコードから復活を果たしました。しかしその頃は、テナー奏者としての王座をジョン・コルトレーンに奪われており、往年の輝きはもう見られませんでした。
 なお「セント・トーマス」で短いけれど気の利いたソロを展開しているピアニストは、トミー・フラナガンですが、彼は「オーヴァーシーズ」「エクリプソ」などの名盤を残しています。これらのアルバムについては、またの機会に。

 MJQ(モダンジャズカルテット)について触れましょう。
 このカルテットは、1951年の結成から解散まで20年以上の歴史を持ち、解散以後もファンの熱望にこたえて再結成しています。内部事情はいろいろとあったようですが、これほど長く同じメンバーで結束を保つことができたバンドは、他のジャンルでも珍しいのではないでしょうか。ちなみに、ビートルズは8年で解散しています。
 メンバーは、ミルト・ジャクソン(ビブラフォン)、ジョン・ルイス(ピアノ)、パーシー・ヒース(ベース)、コニー・ケイ(ドラム)。初期には、ドラムがケニー・クラークでしたが、彼の死後、コニー・ケイに代わりました。
 このバンドの特色は、一口に言うと、ミルト・ジャクソンのブルース魂あふれるプレイと、リーダーのジョン・ルイスのたぐいまれなプロデュース能力との見事な結合によって、ジャズ界にまったく新しい雰囲気を持ち込んだところにあります。ジョン・ルイスは、ヨーロッパ・クラシック音楽へのあこがれが強く、それにのっとって楽団全体のトーンを何とも上品で西洋音楽の深い伝統を感じさせるものに仕上げました。この特色は、ジャズをアメリカのものだけではなく、繊細な感覚の持ち主であるヨーロッパ人にとっても魅力あるものとして目を開かせることに大いに貢献したと思います。もちろんジャズのスタンダードナンバーもたくさん演奏しているのですが、ラッパやタイコのやかましい音が耳障りな人にとっては、ビブラフォンという楽器の何ともさわやかで心地よい響きがジャズに対する抵抗感を和らげてくれるはずです。
 しかし、よく聴いていると、ミルト・ジャクソンの即興演奏そのものは、きわめて白熱した情熱的なものであり、その独創的なフレーズのこんこんとわき出るような繰り出しには、まさに不世出の天才としか呼びようのないものがあります。ジャズ界でのビブラフォン奏者はあまり多くなく、彼の以前には、ライオネル・ハンプトン、彼の以後には、ゲイリー・バートンなどがいますが、まったく比較になりません。
 私は、大学1年の時に2回目の来日公演に接することができ、その渾身のプレイにすっかり感動してしまいました。彼は、見た目はまあ、さえない小男なのですが、あのきれいな音の連なりを出すのに、こんなにすごい力を集注させているのかというのを知って、ただただ圧倒されてしまったのです。この時の思い出は、いまでも、芸術って何だろうと考える時の重要なヒントの一つになっているほどです。



 では、お勧めの2曲を聴いてみてください。
 一曲目は、多くのジャズメンが好んで演奏している「朝日のようにさわやかに」。

http://www.youtube.com/watch?v=drxKsX0uI4Y 

 2曲目は、バッハのよく知られた曲の合間にオリジナル曲をはさんだ「ブルース・オン・バッハ」から、「ブルース・イン・Cマイナー」。これはミルト・ジャクソンのオリジナルです。ここでの彼のソロは、まるで初めから完成された曲のようです。

http://www.youtube.com/watch?v=D-_sYoaNVMw

お聴きになってわかると思いますが、これらの演奏では、ミルト・ジャクソンのソロがあまりにすごいので、それに続くジョン・ルイスのピアノ・ソロは、少々かすんで聴こえます。もともとジョン・ルイスという人は、ソロピアニストとしては、そんなに卓越した技量の持ち主ではありません。
 先にも言ったように、彼の本領は、ミルト・ジャクソンという天才を、自分が構想してきた音楽の中にいかに位置づけるかということに心を砕き、その苦労を通して、それまでだれも考えなかったモダンジャズとクラシックとの融合を見事に果たしたプロデューサーとしての才能にあります。2曲目のイントロに、いかにもバッハ風の典雅な枠取りが感じられますね。彼は、クラシック・ギタリストのジャンゴ・ラインハルトに捧げた「ジャンゴ」その他の名曲の作曲者でもあります。クラシカルな香りを基本にしながら、一方で、ミルト・ジャクソンのブルース魂を前面に立てることを決して忘れない、そうしてその融合を実際の演奏で実現させてしまう、そこがとても偉いところです。ちなみに、MJQとは、もともとは、ミルト・ジャクソン・カルテットの略称でした。
 当時の多くのヨーロッパ人たちは、新興大国・アメリカの文化に軽蔑心を抱いていたと思われますが(今でもフランスには、その気がありますね)、まさにMJQの存在によって、ジャズの魅力が彼らの心に深く浸透していったのです。その後、ヨーロッパからは、ジャック・ルーシェ(ピアノ)、ウラジミール・シャフラノフ(ピアノ)、ヨーロピアン・ジャズ・トリオなどのセンスの良いジャズメンが続出していくことになります。




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2013/08/23 02:29
Commented by ogawayutaka さん
サヴ、ディグ、ありんこ、スウィング、少し離れてデュエット...。みな懐かしい名前です。5年という年差はありますが、当時のジャズ喫茶文化を私も共有していると思います。当時は、わが道を行くという気持ちでしたが、年を経てきますと、案外同じ趣味の人が多かったと聴いて、自分の「独創性」がたいしたことでなかったことに気がつきます。もっとも、放送局やレコード会社にもそういう人がいて、彼らが偉くなって選曲をしてくれるおかげで、いまでもラジオなどでジャズ番組が聴けるわけです。
私の場合、高校一年のとき、桑田慶介の歌などに出てくる、茅ヶ崎のリゾートホテル、「パシフィック・パーク・ホテル」のプールサイドで、アートブレイキーを聴いたのが最初でした。小学校の同級生の親がそこの経営者で、券をくれたのでした(ちなみにそのホテルは菊竹の設計です)。
演奏が始まる前は、勝手なことをしたり言ったりしていた背の高いやせた黒人たちが、ブレイキーの合図とともに、完全にリズムとハーモニーをあわせ、お互いの反応を見ながら即興演奏をすることに感嘆しました。それ以前は、音楽と言えば、小学校の合唱でハレルヤコーラスなどをしていたわけですから、かなりカルチャーショックでした。
その後は、横浜の高校をさぼって渋谷や新宿に出没していたのは、たぶん小浜さんと似ていると思います。あ、小浜さんは放課後ですね。私の場合は、ぐれていたわけですが。


2013/08/23 19:01
【返信する】
Commented by kohamaitsuo さん
ogawayutakaさんへ
 うれしいコメントでした。
 自分の趣味について公開的な文章を書くのは、好きになった女のことをのろけているみたいで、どうも恥ずかしかったのです。ちょっとばかり薀蓄をかたむけても、相手がシンクロしてくれなければ、意味ないですよね。でも、もうそういう年でもなくなったので、友人にそそのかされて、この際やっちゃうか、という気持ちで始めました。これからもどうぞよろしく。
 ogawayutakaさんは、私より世代がだいぶあとのようですが、やっぱりアート・ブレイキーですか。あの衝撃はすごかったのですね。
 続編で、横浜の「ちぐさ」についても書いていますので、よろしければそちらのほうも。
 あまりきちんと調べながら書く気がありませんので、記憶違いが多々あると思います。ボケをかましている場合には、遠慮なくご指摘いただければ幸いです。

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(1)

2013年11月11日 20時21分56秒 | ジャズ

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(1)


 私が高校生以来のジャズファンであることは、以前このブログでもお伝えしましたが(「落語の魅力」http://kohamaitsuo.iza.ne.jp/blog/entry/3108338/)、ある知人からの勧めもあって、ジャズについて書いてみることにしました。といっても、音楽知識に詳しいわけではありませんし、最近のジャズシーンについては、ほとんど知りません。ただ自分のこれまでのささやかな鑑賞履歴に沿って好き勝手なことをあれこれ言ってみようと思います。そぞろ歩き、道草、連想の赴くまま、いつ終わるか見通しなし。読者の皆さんが、この気ままな旅に付き合ってくださって、ジャズに興味を持っていただければ望外の喜びです。

 まず、いま日本でジャズというと、普通はモダンジャズのことを指すようです。けれどもじつはジャズというのは、20世紀初頭にアメリカ南部の都市ニューオーリンズで黒人を中心に発祥してから、すでに100年の歴史を閲しています。その間、多様な発展の仕方をしてきました。初期のラグタイムに始まり、カントリーウェスタン、黒人霊歌、ブルース、クラシック音楽、ブラジル系音楽など、様々な要素が混入して、一言ではくくれない様相を呈するに至っています。
 しかし中心的な流れは、次のようになります。
 ニューオーリンズから、やがてあのアル・カポネが暗躍したシカゴにその中心が移りました。すぐにニューヨークにも波及し、両大戦間に繁栄を謳歌したアメリカ、大都会の歓楽の巷で、ナイトクラブやキャバレーでのダンス音楽として栄えたのです。このころのジャズは、ビッグバンドが中心で、クラシックのメロディアスな要素を取り入れながら、「踊れるジャズ」として多くの人の人気を集めました。白人が大挙して演奏に加わり、当時のポップスとして隆盛を極めたのです。ベニー・グドマン、グレン・ミラーなどが有名ですね。もちろん黒人の名ミュージシャンとしてその名を欠かせない人もいます。デューク・エリントン、カウント・ベイシーは双璧です。前者二人と、後者二人との間には、やはり白人と黒人のスピリットの違いが明白に感じられます。
 やがてこういうビッグバンド系の流れに飽き足らないミュージシャンも出てきました。ダンスのため、一般公衆のための音楽ではなく、自己表現のための音楽を追求しようとした人たちです。若くして死んだ黒人アルトサックス奏者、チャーリー・パーカーがその代表です。彼はビバップという音楽様式を発展させて、強いアクセントをもつハードバップという独自の領域を切り開いていき、今日モダンジャズと呼ばれる流れを作り出しました。彼の演奏は速いテンポでゴリゴリとハードに吹きまくるものが多いので、とても恋人同士が甘い雰囲気で踊るというわけにはいかず、出てきた当時は、一部でひんしゅくも買ったようです。

 モダンジャズの演奏スタイルは、ピアノ、ベース、ドラムのリズムセクション、プラス、トランペット、サックス、トロンボーンなど、計4人から6人くらいの小編成がメインで、これをコンボと言います。このスタイルがジャズ界の一角を占めるようになってからは、かつての主流は、スタンダードジャズと呼ばれるようになりました。
 私は、華やかなビッグバンドにはあまり興味がなく、初めからコンボによるモダンジャズに惹きこまれていきましたので、これから語るジャズ話も、もっぱらモダンジャズにかかわるものです。
 ちょっと我田引水かもしれませんが、いま日本の居酒屋などでBGMとして流れている音楽は、じつにモダンジャズが多いですね。ある年齢以上の日本人には、西洋の習慣である、あの大きなホールで華やかな楽団をバックに踊るというスタイルはあまり似合っていないのかもしれません。私もその口で、モダンジャズの流れるちょっとおしゃれな居酒屋で友と語らいながら、日本酒をちびりちびり、というのが一番趣味にかなっているようです。
 ジャズという音楽形式の基本は、四拍子(フォー・ビート)のリズムで、二拍目と四拍目にアクセントが置かれる形をとります(アフター・ビート、またはオフ・ビートと言います)。これによって独特のスウィング感(躍動感)が出るわけです。その点は、ビッグバンドでもコンボでも変わりません。ロックはエイト・ビートですが、やはりアフター・ビート(三拍目と七拍目に強打)ですから、その点ではジャズのリズム様式を継承しているといえます。なお、モダンジャズも、比較的早い時期からワルツ形式を取り入れたり、ボサノバのようなラテン系のエイト・ビート形式を取り入れたりしています。
 コンボによるジャズ演奏の構成は、一番オーソドックスな形としては、次のようになっています。
 まず、テーマが出てきます。これはたいていの場合、リズムセクションに支えられながらトランペットやサックスなど、ホーンによって奏でられます。トリオの場合は、ピアノが奏でます。曲目は、何でもありです。映画音楽、シャンソン、その当時はやった曲、スタンダードナンバー、ジャズメン自らが作曲したオリジナル曲などなど。
 テーマ演奏が一通り終わると、それぞれのプレイヤーのソロ・パートになります。トランペット、テナーサックス、ピアノ、ベース、ドラムのクインテットなら、初めの三つが交代してソロを奏でるのが標準ですが、ベースソロやドラムソロもあります。ソロパートは、コード進行にのっとった即興演奏です。これは、それぞれのプレイヤーたちの出番ですから、だれがどんなふうに吹いたり弾いたり叩いたりするか、ここがまさにジャズの醍醐味です。ジャズの鑑賞では、クラシックと違って、だれが作ったなんという曲かはさほど問題になりません。プレイヤーの個性をこそ聴き取って、しだいに彼らのファンになっていく。そこがキモです。また、アンサンブルの妙味も大いにありますから、あのグループが演奏しているあのアルバムがいい、というようなかたちでの「好きになり方」もとても大切です。
 ソロパートは、仮にテーマ曲が32小節だったとしたら、これを1コーラスとして、一人が1コーラス分、2コーラス分、というように受け持つわけです。そうして最後にもう一度テーマに戻って終わる。だいたいこういう流れなのですが、テーマに戻る前に、フォアーズと言って、二人あるいは三人による四小節ごとの掛け合いを挟むことも多くあります。これもたいへんスリリングで、聴きどころの一つと言えるでしょう。
 ただし時代が進むにしたがって、こういう形式にこだわらないもっと自由な発想で演奏される曲もたくさん出てきました。しかしこれについては、またの機会に述べることにしましょう。

 さてここで、しばらく思い出に耽らせていただきます。
 1961年、「モーニン」「ブルース・マーチ」で大ヒットを飛ばしたドラマーのアート・ブレイキー率いるジャズ・メッセンジャーズが初来日、日本に一気にモダンジャズブームを巻き起こしました(ファンキーブームと呼ばれました)。



当時私は中学2年でしたが、それまでラジオからシャワーのように流れるアメリカンポップスが日常的な音楽環境でした。パット・ブーン、ポール・アンカ、コニー・フランシス、ニール・セダカ、エルビス・プレスリーといった人たちですね。ちなみにこの人たちはみな白人です。
 そのさなかに入り込んできた黒人ジャズのサウンドは、何かまったく異質で新鮮な興奮を覚えさせるものでした。ことにブレイキーのお得意、「ナイアガラ・ロール」と呼ばれる嵐のようなトレモロ・プレイは、「カッコイイ!」の一言でした。トランペット奏者やサックス奏者のソロ演奏を見事にインスパイアする効果があるのですね。

 ではここで、モダンジャズ曲でもっとも有名な「モーニン」を聴いてみてください。

http://www.youtube.com/watch?v=VKXsnDvILmI&list=RD02eZacqCfAvEI
 当時、家にはテレビがなかったのですが、テレビ放映を見た同級生が、ブレイキーのドラムソロ演奏場面を下から仰ぐように撮るカメラアングルに驚いたと言っていました。なおアート・ブレイキーは大の親日家で、何度も日本に来ており、「オン・ザ・ギンザ」など、日本を素材にした曲も作って吹き込んでいます。
 中3になったころ、兄が大学に入り、さっそく東京の大学文化を家に持ち込んできます。その流れのなかで彼はジャズ・メッセンジャーズのLPレコードを買ってきて聴かせてくれました。学生がLPレコードを買うということ自体、普通の貧乏家庭では、かなり冒険だった時代です。
 これを聴きながら、私はますますジャズの世界にあこがれるようになっていきました。私の実家は横浜ですが、たまたま渋谷経由で東京の高校に通うことになり、裕福でオシャレな趣味の持ち主と浅い友達になります。彼が私のジャズ好きを知って、「四大ドラマー夢の競演」というのがあるから行かないか、と誘ってくれました。マックス・ローチ、フィリー・ジョー・ジョーンズ、ロイ・ヘインズ、シェリー・マン(彼のみ白人)……。今から考えると、ちょっと想像できないほどのメンバーです。まさに「夢の競演」。ただ残念なことに、期待していたフィリー・ジョー・ジョーンズが麻薬不法所持の疑いで入管に引っかかってしまい、出演不能。当時日本で一番人気だった白木秀雄が急遽代役を務めました。それでも私は大満足。モダンジャズ・ドラミングの完成者と言われるマックス・ローチにぞっこんほれ込み、サインを求めて追いかけたのですが、彼は「ゴメンナサーイ」と言って取り合ってくれませんでした。



 それからしばらく経って、ある日の学校の休み時間。たまたま近くにいた一人の同級生K君が、「俺のこの有り余るエネルギーをどう発散しようか」と独り言のようにつぶやいているのに接しました。そばにいたもう一人の同級生S君が、すかさず「ドラムやりゃあいいんだよ」。私はそれを聞いて、「四大ドラマーというのを聴きに行ったんだけど、その時のパンフレットがあるから明日持ってこようか」と言いました。
 さあ、それからがK君と私との悪友関係の始まりです。彼も完全にジャズにはまってしまいました。授業をさぼって音楽室の準備室に勝手に入り込み、タイコのまがい物のようなものを叩きまくったり、スティックを持ち込んで休み時間にかちゃかちゃやったり、放課後、渋谷の斎藤楽器店というところに何度も行ってベースをいじくりまわし、お店の人に嫌がられたり――しかし何といっても、このころジャズ鑑賞に深入りしたのは、当時、渋谷の百軒店に集中していたジャズ喫茶に通いづめた経験です。
 ブルーノート、サヴ、ディグ、ありんこ、スウィング、少し離れてデュエット、なんと6軒もかたまっていたのです。関係ないけど、デュエットでコーヒーを運んでくれたお姉さんはとても素敵でした。MJQ(モダンジャズカルテット)の「フォンテッサ」というアルバムをリクエストした時、「フォンテッサですね」ときれいな声で応えてくれたのをいまでもよく覚えています。
 私たちはこれらの店をはしごしながら、さまざまなジャズメンたちの演奏に接することになります。それについては、次回以降、だんだんとお話ししましょう。

 思い出話はまた折を見て続けるとして、いま取り上げたジャズメンたちの何人かについて、いまの時点での私なりの感想を簡単に述べておきたいと思います。チャーリー・パーカーは、その偉大な功績は認めますが、あまりにゴリゴリし過ぎていて、初心者にはお勧めできません。ほどなく登場したトランペットのディジー・ガレスピーやクリフォード・ブラウンのほうが、まだ聴きやすいかもしれません。二人とも天才的なテクニシャンです。クリフォードは、20代で事故死してしまいました。
 先に、アート・ブレイキーに魅せられてジャズを聴き始めたと書きましたが、彼のドラミングは、いまにして思えば、それほど個性的ではなく、むしろ、親分としての役どころを心得ていて、あまり出しゃばらない黒子的存在と言ったほうが適切です。
 マックス・ローチは、正確無比のドラミングですが、聴きなれてくると、少し定型的で特に伴奏時の遊びの要素が少なすぎる。しかし彼がいなかったら、その後のドラマーたちは存在しなかったでしょう。彼については、ソニー・ロリンズ(テナーサックス)について語るときにもう一度登場してもらいましょう。
 ロイ・ヘインズは、たいへんなテクニシャンで精妙なドラミング。彼はとても器用なたちで、時代が移ってかなりアヴァンギャルドふうな共演者が出てきても、それにきちっと合わせることができる人です。意外と知られていませんが、やはり器用貧乏の気があるのかな。お勧めは、チック・コリア(ピアノ)のアルバム「NOW HE SINGS NOW HE SOBS」の一曲目「STEPS-WHAT WAS」。

http://www.youtube.com/watch?v=Ga-M6LDmZzA

 シェリー・マンは、白人らしい繊細なタッチで、特にブラッシュ・ワークがいいですが、ちょっと迫力に欠けて物足りないか。
 フィリー・ジョー・ジョーンズは、私が一番好きなドラマーです。一見荒々しく聞こえるのですが、いつも計算されつくした演奏をします。ワイルドでありながら、音楽的な完成度が非常に高い。伴奏も出しゃばらず、ソロ・プレイヤーをじつに適切にインスパイアします。また、彼自身のソロは素晴らしいの一言です。マシンガン・ドラムの異名をとっていました。彼についても、マイルス・デイヴィスについて語るときにまた登場してもらいましょう。
 MJQについては、いろいろ語りたいことがあり、ここでは短くまとめられません。次回、自分のライブ鑑賞体験と合わせてじっくり語ってみたいと思います。
 それでは今日はこんなところで。