内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

冬の日の憂鬱

2019-01-21 23:59:59 | 雑感

 ここ数日寒い日が続いています。昨日はこの冬何度めかの降雪もありました。それでも朝はいつものように屋外プールに泳ぎには行きました。でも、なんというか、とくにこれといった理由はないのですが、ちょっと気持ちが沈みがちです。なにも積極的にする気になれず、今日が成績提出締切日だった答案の採点も昨日中には終えられず、午前二時に起き出して、やっとのことで間に合わせ、その後引き続き今日の授業の準備もして、そのまま一睡もせずに大学に自転車で出勤しました。
 昨日の雪がまだところどころ自転車専用道路にも残っていて、スリップしないように気をつけながら、ゆっくりと自転車を走らせました。防寒用の手袋と帽子をもちろん着用していましたが、大学までの十数分の道のりで指先はすっかりかじかんでしまいました。
 今日は、後期のみ担当する学部二年生七十人弱を対象とした階段教室での日本語の授業一時間だけだったのですが、日本語理解力の向上を目的として今年度から新たに導入されたこの科目は、前期を担当された新任の先生もなかば手探りで授業を構成されており、私もマニュエルのようなものを使わずに毎回全部自前で授業を組み立てているので、二回目の今日もまだしっくりきておらず、学生たちの反応もいまひとつです。前半の文法的説明はまあまあ無難にこなしましたが、後半に取り上げた読解テキストは学生たちには明らかにレベルが高すぎて、大半はちょっとついていけないという顔をしていました。これは私の方の選択ミスです。
 今日の午後は、ただただぼんやりと過ごしてしまいました。あそこまで行けばまた明るい外に出られるというような希望をまったく持てずに、どこまでも続く薄暗いトンネルの中を、立ち止まることも許されずに、とぼとぼと歩いているような心境です。












「元がない努力」がもたらす底なしの転落 ― 堀川惠子『永山則夫 封印された鑑定記録』を読みながら

2019-01-20 15:19:37 | 読游摘録

 今からすでに半世紀以上前の1968年に世間を震撼させた連続殺人事件の犯人、永山則夫が処刑されたのは、事件の翌年の逮捕から28年後の1997年のことである。獄中で執筆され1971年に刊行された手記『無知の涙』はたちまちベストセラーとなり、支援者たちも集まり、その裁判はメディアでも大きく取り上げられたが、1990年に死刑が確定すると、次第に人々の関心は薄れ、刑の執行は新聞の片隅の数行の記事にしかならなかった。
 2012年、長く封印されていた永山則夫の鑑定記録の存在が明らかになった。その記録とは、鑑定を担当した精神科医石川義博医師が鑑定の際に回し続けた100時間を超える録音テープである。そこには、永山則夫の肉声が生々しく記録されている。
 この録音テープを石川医師から託され、八ヶ月かけてそれを原稿に起こし、徹底的に検討することで、連続殺人犯の少年の心の闇に迫ったのが堀川惠子の『永山則夫 封印された鑑定記録』(岩波書店、2013年。講談社文庫版2017年)である。
 石川医師が鑑定作業にかけた期間は278日。ひとりの医師による単独犯への鑑定で、これだけ長期間を費やしたものは極めて稀だ。その鑑定書の原本は質量ともに膨大である。ビッシリと細かな文字で二段組、182頁。その内容は、永山本人の生い立ちの細部だけではなく、両親・兄姉たちの生い立ちと複雑な関係にまで及んでいる。この鑑定の基礎となる膨大な情報はどうやって集められたのか。この問いを解く鍵は、永山自身が語った録音テープにある。
 永山の肉声による証言に基づいて細部まで再現されている永山の生い立ちを読んでいると、読んでいるこちらまで苦しくなる箇所が多々あり、続けて先を読むことができず、本を閉じてしまうことが一再ならずあり、年明けから読み始めていながら、まだ読み終えていない。所々に挿入されている石川医師の見解の中には、とても他人事とは思えず身につまされてしまうところさえある。

「人が努力をしようという意欲を出すこと、つまり努力のエネルギー源は、愛情とか褒められるとか尊重されるとか、そういうものがなければ続かないし実らないんです。お母さんというか、母親的な優しさとか保護とか愛情があって、それで自信や安心感を得て、やる気、努力する力が出てくるわけなんです。そういう基盤があっての努力だったら実りがあるんですが、元がない努力というのは多くの場合、疲れ、くたびれ果て、さらに悪くなるという方向にしか向かわないことが多いのです。
 永山はそういう基盤をまったく持たない上で、努力だけで自分を一人前にしようとするわけですが、やはり空回りで続かない。もっと悲惨な状況になっていく。いわば人間の根っこです、基本的信頼感とも基礎的信頼感とも言いますが、それがなければ人間は成長できないし努力もできない。私の診療でも、最近はそういう子が多いですね。親子の関係が希薄で、パソコンや携帯電話に熱中して他人と付き合わない。生の人間関係とか働くとかスポーツするとか、そういう体験がないと人間的になりにくいですね。バーチャルな、非現実的な世界で遊んでいても、現実で自立しようとしたときに心の栄養にはならないですから。大きな事件を起こさないまでも、今はインターネットの世界とか、ああいうもので憂さ晴らしをする傾向が見られますね」(297‐298頁)。

 本書は、単に過去の殺人事件の犯人の心理を理解することを可能にしてくれるだけではない。人間の成長にとって何が本質的に大事なことなのか、それが決定的に欠けているとき、人間はどこまで転落してしまうものなのかを、一人の殺人犯の心理を徹底的に読み解く忍耐強い作業を通じて私たちに問いかけ、その問いを今の社会に生きる私たち自身の問題として考えることを強く訴えかけてくる。













近代日本の旅行者たちが西欧への航路の途次に見たもの

2019-01-19 23:59:59 | 読游摘録

 今日のように海外への旅行は飛行機を使うのが普通で、遠国への船旅はごく一部のお金持ちたちだけに許された極めつけの贅沢になってしまった時代に生きていると、日本から西欧への旅は船を使って一月以上もかかっていた時代に、その船旅の途次に旅行者たちが見たものを想像してみることはかなりむずかしい。
 しかし、最終目的地であるヨーロッパでの見聞・経験と同じくらい、あるいはそれ以上に、旅の途次の観察がその旅行者に多くのことを考えさせ、近代日本の将来に思いをめぐらさせ、その後の生き方やものの考え方に影響を及ぼした場合があることを忘れるわけにはいかない。
 岩波書店の『シリーズ 日本の中の世界史』の中の一冊、木畑洋一著『帝国航路を往く イギリス植民地と近代日本』(2018年)は、文久遣欧使節団(1862年)から遠藤周作(1950年)まで、「帝国航路」を旅した日本人の経験や思索を通して、帝国世界における立ち位置を模索する近代日本の姿に迫ろうとしている。

 帝国航路は、確かに長期間をかけて暑い地域を行くルートであった。しかし、そのルートをたどることによって、ヨーロッパにでかけた近代日本の旅行者たちは、イギリスやフランスが支配している地域の状況に直接触れて、ヨーロッパとアジアの関係についてさまざまな感懐を抱き、世界のなかでの日本の位置や日本の将来の姿について思いをめぐらした。それは、日本以外のアジア地域と日本の間を比較する試みでもあったり、アジアにおける日本の居場所の模索であったりしたのである。(6頁)

 本書にも言及されている和辻哲郎の『風土』も、ヨーロッパへの船旅の途次で各地での観察がなかったとすれば書かれることはなかったであろう。近代日本の知的所産の一つの源泉が、今日では決定的に失われてしまった航路を経る長旅の途次にあったことを、本書は、その「プロローグ」に挙げてある三冊の先行研究 ― 和田博文『海の上の世界地図―欧州航路紀行史』(岩波書店、2016年)、橋本順光・鈴木禎宏編『欧州航路の文化誌―寄港地を読み解く』(青弓社、2017年)、西原大輔『日本人のシンガポール体験―幕末明治から日本占領下・戦後まで』(人文書院、2017年)― とともに私たちに教えてくれる。本書の焦点は、世界とりわけアジアのなかでの日本の位置の模索に関わる人々の見聞と議論に絞られ、扱う期間は、1860年代から1950年までの約百年間である。












日本の中の世界史 ― 日本におけるキリスト教の世紀

2019-01-18 23:59:59 | 講義の余白から

 「近代日本の歴史と社会」という科目のことは先日14日の記事で話題にしたが、その前期の期末課題は、簡略化すると、「16世紀後半から17世紀前半にかけてのいわゆる「日本におけるキリスト教の世紀」の一断面を当時日本に在住した西欧人の視点から叙述せよ」となる。この視点は、実在の人物のそれでもよいし、架空の人物のそれであってもよい。ただ、架空の人物を選択する場合、歴史的にそのような存在がありうるような条件設定を答案の中に示さなくてはならない。答案の採点は今日明日行うので、総評を述べるのは採点終了後にする。
 このような課題を与えた背景には、日本史を世界史の中に位置づけるという視座と同時に、やはり14日の記事の末尾で言及した岩波書店の『シリーズ 日本の中の世界史』に実現されているような「日本の中に世界史を発見する」視角という二重の問題意識がある。日本固有の歴史的特異性をそれとして認識することももちろん大事だが、日本国内における出来事を世界史的視野の中で見直すことも、少なくともそれと同じくらい大事な課題であるだろう。
 このように言えば、その表現の類似性から、戦中、京都学派によって喧伝された「世界史の哲学」を想起される方もいるだろう。これは学部の一科目の目的意識を超脱することではあるが、私個人としては、この「日本の中の世界史」という問題視角から、「世界史の哲学」を批判的に読み直すという意図もそこには織り込まれている。
 日本におけるキリスト教の世紀というテーマについて一言加えておけば、日本の中に世界史を読むためには、例えば、渡辺京二の『バテレンの世紀』(新潮社、2017年)の「プロローグ」の中の次のような認識がその出発点となる。

ポルトガル海上帝国と結んだイエズス会によって強力なキリスト教宣布が行われることで、日本とヨーロッパとの第一の出遭いは広範な世界観的・思想的意味合いを帯びた。日本人はいわばキリスト教という姿見に映ったおのれを発見したのである。キリスト教を媒介とした日本とヨーロッパの相互認識は、むろん対立や相違をかき立てはしたが、共感や相似を含むものでもあったことを忘れてはならない。












歴史叙述こそ、最高の知的表現

2019-01-17 23:59:59 | 読游摘録

 渡辺京二の『幻影の明治 名もなき人びとの肖像』(平凡社同時代ライブラリー2018年、同社刊初版単行本2014年)の巻末に収められた新保裕司との対談の中に今日の記事のタイトルに掲げた表現が出てくる。
 この表現は、最近の傾向として優れた歴史叙述が日本で貧弱になっていることへの懸念を新保裕司が表明するところに出てくる。それに対して、渡辺京二は次のように応じている。

一つの透徹した自分自身の歴史哲学というか、「人間とは何か」ということについての見極めなどは持たずに、面白く、華やかな歴史物語を書く方はいらっしゃいますが、新保さんがおっしゃるように、歴史叙述は最高の知性がやるべきだということには日本はなっていない。しかし、ヨーロッパには、そういう伝統がありますよね。

 そのような優れた歴史叙述には何が必要なのか。それは何よりも先ずエピソードの拾い方だという。まず、面白いエピソードを見つけ出す鑑識眼がなくてはならない。しかし、拾い集め、取捨選択したエピソード群をただ羅列したところで歴史叙述にはならない。それらをうまく繋ぎ合わせて、ある生き生きとした歴史像がその時代の臨場感の中に結ばれるようにする。そして、それを優れた文章に仕上げることができて、はじめて良い歴史叙述は成立する。
 渡辺京二は、このような手法をホイジンガの『中世の秋』やブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』に習ったという。さらには、マルク・ブロックの『封建社会』のように相当に専門性の高い本でも、それが通読可能なのは、その文章が歴史叙述になっているからだという。
 歴史学者による専門家のみを対象とした歴史研究書とも小説家による大衆受けする歴史物語とも違う、最高の知性の表現としての歴史叙述を担うのが真の歴史家の仕事だということになるのだろう。












明治期に来日したフランス人画家による日本人の「古いほほえみ」擁護論

2019-01-16 23:59:59 | 読游摘録

 渡辺京二の名著『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー、2005年。初版、葦書房1998年)は、幕末から明治にかけて来日した異邦人たちの目に映った滅びゆく日本の文明の姿を、彼らのものした著作の徹底した博捜を通じて浮かび上がらせることに成功した、圧倒的な迫力をもった記念碑的著作である。
 著者の文化・文明観に諸手を挙げて賛成することは私にはできないが、本書に集約された異邦人たちの種々の日本観察記・日本観・日本人論は、近代日本とは何かと問うとき、ひいては近代文明とはなにかと問うとき、かけがえのない資料であることは間違いない。
 今年度前期の修士一年の演習でラフカディオ・ハーンの『日本の面影』その他の著作を学生たちと読んできて、ハーンによって描き出された、失われゆく古き美しき日本に感じ入るとともに、それに対して、反発とまでは言わないにしても、違和感も覚えずにはいられなかった。
 『逝きし世の面影』でも、当然のことだが、ハーンについて言及された箇所がある。特に、太田雄三の『ラフカディオ・ハーン』(岩波新書、1994年)について、「日本文化の最良の理解者」という「ハーン神話」を解体しようとした力作として評価しつつも、その行き過ぎに批判をくわえているところが注目される。
 私が個人的に面白いと思ったのは、ハーンの有名な日本人微笑論に言及している一節で、ハーンのかわりに、日本人の微笑の「弁護人」として、フランス人素描画家のレガメ(Félix Régamey, 1844-1907)を召喚しているところである。そこを渡辺書から引用しよう。

レガメによれば、日本のほほえみは「すべての礼儀の基本」であって、「生活のあらゆる場で、それがどんなに耐え難く悲しい状況であっても、このほほえみはどうしても必要なのであった」。そしてそれは金であがなわれるのではなく、無償で与えられるのである。このようなほほえみ――後年、不気味だとか無意味だとか欧米人から酷評される日本人のてれ笑いではなしに、欧米人にさえ一目でその意味がわかったこの古いほほえみは、レガメが二度目に来日を果たした一八九九(明治三十二)年には、「日本の新しい階層の間では」すでに「曇り」を見せ始めていた。少なくとも、レガメの目にはそう映ったのである。(レガメ『日本素描旅行』雄松堂出版、一九八三年、二三九頁)

 この引用に付された後注には、原著 Japon は出版年度不明とあるが、一九〇三年刊行。現在は稀覯本で 300€ の値がついている(こちらのリンクをご覧あれ)。一八九一年に出版された Le Japon pratique と一九〇五年に出版された Le Japon en images とは、現在 BNUの Gallica で公開されており、無料でダウンロードできる(リンクはこちら)。両著とも、当時の日本人の姿・日本の風景、文化・生活の諸相を知る上でとても貴重な資料になっている。後者の巻末には Japon の紹介文が付されている。
 この古きよき無償の微笑みが失われていくことが日本の近代化の一つの指標であるとすれば、微笑み鬱病(これについては、2017年5月28日の記事を参照されたし)は、病める現代日本の指標であると言えるのかもしれない。












1960年代に現象学が日本古典研究に与えた衝撃の証言

2019-01-15 23:59:59 | 講義の余白から

 明日から古典文学の後期の授業が始まる。前期は、昨日言及した歴史の授業と同じような理由で、今年度限りの移行措置として、中世文学史と近世文学史とにそれぞれ半分づつの時間を割いた。昨年までのカリキュラムでは、二年次に上代文学史と中古文学史がそれぞれ前期と後期にあったので、今年の三年生はすでにそれらを学習済みのため採られた措置である。来年度からは、通年の古典文学の講義の中で上代から近世まで通覧しなければならなくなる。たとえ断片的であれ、原文に触れさせるという方針は維持するが。
 今年度の後期は、そういうわけで、通史的アプローチとは異なったアプローチを採用する。毎回、一話完結式で一つのテーマを取り上げる。明日の講義は、「神話と文学」と題して、古代における両者の関係について考察する。参照テキストは、西郷信綱の『日本古代文学史』(岩波現代文庫、2005年)。本書は、岩波全書の一冊として初版が1951年に刊行され、同改稿版が1963年、同時代ライブラリー版が1996年と、息長く読みつがれてきた名著である。ところが、最新版である現代文庫版は、現在版元品切れ。残念なことである。もっとも現代文庫版は、古本市場によく出回っているようで、私が持っているのも状態のよい古本である。
 岩波書店のサイトの本書の紹介ページには、「T・H」とイニシャルが末尾に付されたかなり詳しい紹介文が載っていて、その中に初版の「はしがき」(現代文庫版では割愛)の一部が引用されているなど、本書についての貴重な情報源の一つになっている。
 明日の授業では、本書の「序 古典とは何か」のうち、最初の二節をじっくりと読みながら、古代における文学の誕生の場面にいかにアプローチするかという方法論的な問題を考察する。
 西郷信綱は、60年代に英国に渡り,ロンドン大学でイギリス社会人類学及び現象学の方法を学んだこともあり、国内だけに生息する「自給自足」型の国文学者たちとは異なり、その著作はとても骨太な理論的構想力において際立っている。ただ、まさにそれゆえに、いささか強引とも思われる概念化が気になる箇所もある。そのあたりに注意を払いつつ読みたい。
 名著『古事記の世界』(岩波新書、1967年)の「あとがき」には、同書執筆の際に深く学んだ三つの源泉が挙げられている。第一の源泉として、本居宣長。これは至極真当。第二に、当時の英国の社会人類学。ここまではさほど驚かない。その同じ段落には、レヴィ・ストロースの構造人類学への言及もあるが、本書の考察対象が神話世界であってみれば、これも得心がいく。ところが、第三の源泉として、メルロ=ポンティ(西郷の表記は「メルロ=ポンチ」)が挙げらているのを初めて目にしたときは、仰天した。『知覚の現象学』との出会いを自身にとっての「事件」とまで言っている。その「衝撃」を語っている箇所を引用しておこう。

とにかくこの本に出くわし、私は、哲学が個別の学に先行しそれを基礎づけるものであること、つまり個別の学が私たちのひとり合点しているようには自律的なものではないゆえんについて、今さら愕然と目を見張ったのです。そしてそのふかい衝撃が、古典研究という一見縁もゆかりもなさそうな分野にまでひたひたと浸透してくるのを経験しました。縦糸と横糸は多少用意されていたにしても、それをどんなぐあいによりあわせ、どういう模様を織ったらいいのかを根源的なところで教えてくれたのは、この本でありました。(215頁)

 1960年代、現象学の衝撃波がどこまで届いたのかの一つの証言がここにある。












江戸時代を一気に駆け抜ける

2019-01-14 23:59:59 | 講義の余白から

 「近代日本の歴史と社会」と題された学部最終学年必修科目は、今年度から導入された新科目である。昨年度までは「近世史」(前期)「近代史①」(前期)「近代史②」(後期)の三科目だったのを通年の一科目に圧縮したものである。しかも、同じく最終学年前期の必修科目だった「中世史」も独立の講義としてはなくなってしまったので、今年に限っては、移行措置として、一年間で「中世史」「近世史」「近代史」を全部カヴァーしなければならない。最初で最後のことで前例がなく、年度開始前に一応年間プランは立てたのだが、実際には予定より大幅に遅れてしまった。前期で江戸末期まで終える予定だったのに、いわゆる「鎖国」状態について、最新の歴史研究の成果を紹介したところまでしか行けなかった。このペースでは、後期の前半を「近世史」に当てざるをえなくなってしまい、「近代史」は明治止まりになってしまう。それはそれで一つの選択かもしれないが、この科目の趣旨からして、少なくとも二十世紀前半まではカヴァーすべきだろう。
 そこで、明日から後期が始まるこの科目では、無茶を承知の上で、明日の一回で一気に江戸時代を駆け抜けることにした。学生たちには、仏語の参考文献をすでにいくつか提示してあるので、それを自主的に読むことで欠落を補ってもらうことにする。こちらの手際が悪くて、彼らには申し訳ないと思っている。
 それこそ通り一遍の通史ならば、私が授業で取り上げるまでもなく、仏語の参考文献を読んでもらえればそれで十分大学教養程度の知識は得られる。だから、前期は、できるだけ新しい研究成果に基づいて、特に強調しておきたいところに時間を割いてきたのだが、このやり方だとどうしても当該の時代について過不足なくというわけにはいかない。バランスを欠いているとの誹りは免れがたい。
 近代史に入る後期は、高校レベルの教科書を一通り辿るだけでも時間的に一杯一杯なのに、紹介したい最近の日本語の文献も数多く、なんとも悩ましいかぎりである。一冊だけ例を挙げると、昨年11月から刊行が始まった岩波書店の『シリーズ 日本の中の世界史』(全7冊)の中の南塚信吾『「連動」する世界史 ― 19世紀世界の中の日本』は是非紹介したいと思っている。












ただ一つの真理を発見するための謙譲の精神

2019-01-13 18:26:34 | 読游摘録

 昭和二十三年とその翌年に、文部省は『民主主義』という上下二巻の中高生向けの教科書を編纂・刊行し、この教科書は1953年まで中学高校で使用された。その復刻版が1995年に径書房から出版され、2016年には幻冬舎から短縮版が出版されている。両者ともに現在も流通しているようだが、昨年十月に角川ソフィア文庫の一冊としてその完全版が出版された。私の手元にあるのはこの最新の完全版である。
 著者として文部省とクレジットされているが、実のところは当代の経済学者や法学者たちによる共著である。この書物の成立事情については、内田樹の解説に詳しい説明がある。本書は、占領下、「GHQ の指示に基づいて、日本国憲法の理念を擁護顕彰し、民主主義的な社会を創出していゆくという遂行的課題を達するために、敗戦国の役所が、子どもたちを教化するために出版した」(内田樹「解説」447頁)。
 作成にあたって、執筆者たちは、当局による検閲を念頭に置いて書かざるをえなかった。内田樹は、それゆえ、この本を検閲という歴史的条件抜きに読むべきではないだろうと言う。「それによって文章はある種の「屈曲」を強いられていたはずである。その屈曲を補正することで、私たちはこの教科書を書いた人たちが敗戦国の少年少女たちにほんとうは何を伝えたかったのかについて推理することができるのではないかと思う」(448頁)。
 それはそのとおりだと思うが、内田自身、「何より「民主主義とは何か」を十代の少年少女に理解してもらおうと情理を尽くして書かれている文章の熱に打たれた」と述べているように、検閲という歴史的条件を括弧に入れて読んだとしても、本書は現在でも立派に通用する洞察に満ちている。言い換えれば、当時から現在に至るまでの70年の間に、日本はどれだけ民主国家として進歩したのだろうかという問いを今また私たちは問わなければならないということでもある。
 例えば、昨日の記事で問題にした寛容について、第七章「政治と国民」「五 政党政治の弊害」には、今日の政治家たちこそ謙虚に耳を傾けるべき見解が披瀝されている。

政党は、相手方の主張にもよく耳を傾け、正しい意見はすすんで採り入れるだけの寛容さを持たなければならぬ。特に、多数党は少数党の主張を重んじなければならぬ。多数によって少数を圧迫し、是非にかかわらず採決で勝利を獲得すれば、多数党の横暴となることを免れない。国民の禍福の分かれ道になる問題を、右からも左からも、上からも下からも見て、よく研究し、互の議論を重ねつつ、ただ一つの真理を発見してゆこうとする謙譲の精神があってこそ、花も実もある政党政治が行われうる。(166-167頁)

 寛容さも謙譲の精神も忘却した傲慢な愚人たちによって動かされている現代日本社会が民主主義の理念からどれだけ遠く離れてしまっているか、この一節を読んだだけでもよくわかる。しかし、ただ政治の悪口を言ってもはじまらないと、次の段落は注意を促す。

 しかし、これらのことの根本をなすのは、国民の良識である。政党は、国民の心の鏡のようなものである。国民の心が曲がっていれば、曲がった政党ができる。国民の気持ちがさもしければ、さもしい政党が並び立って、みにくい争いをするようになる。それを見て、政党の悪口を言うより先に、何よりもたいせつな国民の代表者に、ほんとうに信頼できるりっぱな人を選ぶことを心がけなければならない。国民がみんな「目ざめた有権者」になること、そうして、政治を「自分たちの仕事」として、それをよくするためにたえず努力してゆくこと、民主政治を栄えさせる道は、このほかにはない。(167頁)

 この段落には、近い将来に有権者となる中高生たちへの執筆者たちの切なる願いが込められているように私には読める。












寛容と自己批判 ― 渡辺一夫「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」より

2019-01-12 23:50:22 | 読游摘録

 2017年に中公文庫オリジナル版として刊行されたトーマス・マン『五つの証言』(渡辺一夫訳)には、渡辺一夫自身の寛容論ほかの代表的エッセイが併録されている。朝鮮戦争が勃発した1950年の翌年に書かれたエッセイ「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」には、今日改めて「普通人」が自らのこととして考えるべき問題が提示されている。以下、同エッセイから摘録しておく。

僕の結論は、極めて簡単である。寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容たるべきではない、と。(186頁)

普通人と狂人との差は、甚だ微妙であるが、普通人というのは、自らがいつ何時狂人になるかも判らないと反省できる人々のことにする。寛容と不寛容との問題も、こうした意味における普通人間の場において、先ず考えられねばならない。(189頁)

寛容と不寛容とが相対峙した時、涙をふるって最低の暴力を用いることがあるかもしれぬのに対して、不寛容は、初めから終りまで、何の躊躇もなしに、暴力を用いるように思われる。今最悪の場合にと記したが、それ以外の時は、寛容の武器としては、ただ説得と自己反省しかないのである。従って、寛容は不寛容に対する時、常に無力であり、敗れ去るものであるが、それは恰もジャングルのなかで人間が猛獣に喰われるのと同じことかもしれない。ただ違うところは、猛獣に対して人間は説得の道が皆無であるのに反し、不寛容な人々に対しては、説得のチャンスが皆無ではないということである。(191頁)

 以上はエッセイ本文からの摘録である。以下はこのエッセイについての1970年の附記である。

「自己批判」を自らせぬ人は「寛容」にはなり切れないし、「寛容」の何たるかを知らぬ人は「自己批判」を他人に強要する。「自己批判」とは、自分でするものであり、他人から強制されるものでもないし、強制するものでもない。(207頁)