近代フランス文学におけるダンディズムの主役の一人がボードレールであるということに異論はないであろう。そのボードレールにとって、ダンディズムとは何なのか。自己の内面と外面との必然的な乖離、それにもかかわらず両者は不可分であること、それゆえに避けがたい両者の間の葛藤さらには戦い、これらが自己意識の可能性の条件だとすること、これがボードレールのダンディズムである。
「鏡の前で暮らして眠る」(« vivre et dormir devant un miroir »)こと、これをダンディーたちは美的かつ道徳的理想として掲げる。自分がふたりいるということ、自分が芝居を演じていることを苦痛とともにダンディーたちは自覚し、表層にすべてを賭けながらその二重性を主体として生きようとする。
ダンディーたちのこの勝利なき英雄的戦いは、すでに失われた社会への郷愁をその裡に秘め、自分たちが社会の主役だと思い込んでいるブルジョワたちのケチ臭い価値観への反抗の姿勢にほかならない。その反抗の姿勢をあからさまに社会運動化することは「野暮」である。だから、ダンディーは「うわべ」に「憂き身を窶す」。
ダンディーはナルシスの自己陶酔とは無縁だ。「ダンディーは、鏡の前で暮らす。なぜなら、自分の外見に気を配り、自分の独自性を養い、自分自身のうちにのみ自分の基準を探すからである。彼は決して誰のまねもしないし、自我礼賛を、すなわち己の相違の崇拝を、体現する。ナルキッソスとは逆に、ダンディーは自分の影に心を奪われた恋人ではない」(『鏡の文化史』194頁)。