内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

江戸時代を一気に駆け抜ける

2019-01-14 23:59:59 | 講義の余白から

 「近代日本の歴史と社会」と題された学部最終学年必修科目は、今年度から導入された新科目である。昨年度までは「近世史」(前期)「近代史①」(前期)「近代史②」(後期)の三科目だったのを通年の一科目に圧縮したものである。しかも、同じく最終学年前期の必修科目だった「中世史」も独立の講義としてはなくなってしまったので、今年に限っては、移行措置として、一年間で「中世史」「近世史」「近代史」を全部カヴァーしなければならない。最初で最後のことで前例がなく、年度開始前に一応年間プランは立てたのだが、実際には予定より大幅に遅れてしまった。前期で江戸末期まで終える予定だったのに、いわゆる「鎖国」状態について、最新の歴史研究の成果を紹介したところまでしか行けなかった。このペースでは、後期の前半を「近世史」に当てざるをえなくなってしまい、「近代史」は明治止まりになってしまう。それはそれで一つの選択かもしれないが、この科目の趣旨からして、少なくとも二十世紀前半まではカヴァーすべきだろう。
 そこで、明日から後期が始まるこの科目では、無茶を承知の上で、明日の一回で一気に江戸時代を駆け抜けることにした。学生たちには、仏語の参考文献をすでにいくつか提示してあるので、それを自主的に読むことで欠落を補ってもらうことにする。こちらの手際が悪くて、彼らには申し訳ないと思っている。
 それこそ通り一遍の通史ならば、私が授業で取り上げるまでもなく、仏語の参考文献を読んでもらえればそれで十分大学教養程度の知識は得られる。だから、前期は、できるだけ新しい研究成果に基づいて、特に強調しておきたいところに時間を割いてきたのだが、このやり方だとどうしても当該の時代について過不足なくというわけにはいかない。バランスを欠いているとの誹りは免れがたい。
 近代史に入る後期は、高校レベルの教科書を一通り辿るだけでも時間的に一杯一杯なのに、紹介したい最近の日本語の文献も数多く、なんとも悩ましいかぎりである。一冊だけ例を挙げると、昨年11月から刊行が始まった岩波書店の『シリーズ 日本の中の世界史』(全7冊)の中の南塚信吾『「連動」する世界史 ― 19世紀世界の中の日本』は是非紹介したいと思っている。












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