内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

電子書籍衝動買いの効用

2019-01-22 22:04:26 | 雑感

 なにかむしゃくしゃすることがあったり、ストレスが溜まったりするとき、後先考えずに衝動買いをして気分の転換を図るという「暴挙」に出るのは、どちらかといえば、女性に多いのでしょうか。
 私などは、そのような精神状態に置かれても、そもそもパッと衝動買いするだけのお金もありませんし、仮にあったとしても、いざ買おうとする段になって、こんな買い方すればあとで後悔するに決まっていると「理性」が働いてしまい、結局買わずじまいという結果に終わることでしょう。
 とはいえ、金額的には大したことはなくても、少しまとめて買い物をすると、確かにちょっとは気持ちが晴れるということは私にもあります。そんな買い方を私でもすることがあるのは、書籍に限られていますが。一挙に数十冊、前後の見境なく数万円パッと使ったことは過去に何度かあります。そんな買い方でも、ただ、数年後に、やっぱり買っておいてよかったなと思うこともありましたから、単なる無駄遣いとは違うよなと自分で自分を事後的に納得させたりしているところがまたケチくさい根性で、つくづく自分が嫌になりはしますが。
 最近は、保管場所の問題もあり、紙の書籍の購入には慎重になりました。その半面、電子書籍は、大量に購入しても、物質的にはまったく場所を取らないので、ついフラフラと購入ボタンをクリックしてしまうことが多くなりました。でも、目に見える物の形で購入の結果が得られないと、気分転換のためには、それだけ効果も小さいようです。パソコンやタブレットのメモリーがそれだけ喰われているのを確認しては、近い将来もっと容量の大きい機種に買い換えねばならないなあと、すこし暗い気持ちになってため息をつくのが関の山です。
 まあ、それはともかく、参照したい本がいながらにして瞬時に入手できるのは、調べ物をしているときにはとてもありがたい。今朝というか、今日に日附が変ってから徹夜で授業の準備をしていて、必要があるたびに電子書籍を購入しては参照箇所を即確認できたおかげで、短時間のうちにかなり周到な資料作りができただけでなく、私個人の研究のためにも収穫がありました。
 一つだけ例を挙げると、先日も言及した苅部直の『「維新革命」への道』の序章を授業で紹介するために読んでいて、その中にフェルナン・ブローデル『文明の文法』に言及されている箇所があったのですが、本文には、みすず書房の邦訳の箇所しか示されておらず、しかもその邦訳は手元になく、仏語原書 Grammaire des civilisations は手元にあるものの、時間的制約のせいでちょっと調べるのが億劫だなと思い、電子版を即購入し、「文明」の原語 « civilisation » が複数形で使用されている箇所を検索機能を使って調べたんですね。これだけの操作で、苅部氏が言及している箇所がたちどころに特定できただけでなく、ブローデルが文明の複数性を問題にしている箇所も網羅的に把握することができました。ここまで、購入からわずか二、三分のことでした。
 おかげさまで、今日の「近代日本の歴史と社会」の授業は、解説付き参考文献のてんこ盛りで、学生たちの知的胃袋の容量を完全に超えてしまいました。しかし、明日の「古典文学」の授業でも「攻撃」の手を緩めるつもりはいっさいありません。日本の古典文学の話なのに、なぜかシラーやモーリス・ブランショからの引用もありますし、ドイツ・ロマン主義のアンソロジーや現代フランスの中世哲学研究者の著作まで登場します。彼らの知的消化を助ける「胃薬」も持参しましょうかね。